はてなキーワード: 野次馬とは
「どうする原発・汚染水問題」なるtogetterまとめ(http://togetter.com/li/563302)を読んだ。
二点指摘したい。
朝日新聞の編集委員といえば、日本語のプロのはずだが、理系のおれでさえこの言葉づかいはおかしいと思う。
まあ、意味はわかる。しかし、「傾く」というのは漢詩の「一顧傾人城 再顧傾人国」で使われるように低下するというニュアンスを含む言葉である。こういう不適切な単語を選択してしまうセンスというのはどうなの。「再生可能エネルギーの開発に注力すべし」でいいだろこんなの。
そしてもう一つだが、このまとめは「どうする」と言っておいて現状を記述するだけで終わっている。どうするかは自分で考えてくださいね、とでも言うのか。むろんこれは朝日新聞のいつもの手口であるが、責任あるエネルギー政策などと書きながら自分は無責任極まりない。いかにも野次馬根性、騒げればいいという下劣な品性が丸見えである。
断っておくが品性下劣なのを非難しているのではない。おれだって品性下劣だから増田に書いているのだ。だが、己が品性下劣を恥じる気持ちはないのか(おれにはある。恥ずかしくて匿名のアカウントですら書けないから増田に書いているのだ)。
ようするに、@Nao_Maeda_Asahiは一体何をやりたいのか。実名肩書き丸出しでアカウント名にも_Asahiと入れるアピールっぷりでありながら、「投稿は個人の考え」と予防線を張った上で、内容は毒にも薬にもならない、知ってました、としかコメントしようのない情報の羅列。
投稿は個人の考えだというならもっと踏み込めよ。「再生可能エネルギーに国力を傾けるべし」って、小学校の学級会じゃあるまいし、今さらそんなスローガンを書いて何したいの。消費税増税して全部ぶち込め、とか毎年国債1兆円ずつ積み増して充当しろ、とかもうちょっと何か書くことあるだろ。まあ、サンシャイン計画の惨状を考えると注入した資金に対して充分なリターンが得られるとは考えにくい、というかこれ以上資金を増やしてもまったくのムダ使いだと思うが。
新聞記事が、ある程度どっちつかずの記述になってしまうのは仕方がない。だが新聞記者が個人の責任の上で書きたいことを書いたときに、その内容が「どうすればいいのかみんなで考えましょう」というのはお粗末すぎる。そんな情報、発信する意味あると思ってんのか。セルフまとめしてるんだからあると思ってるんだろうな。おれ今いいこと呟いちゃった!もったいないからまとめようそうしよう!みたいな考えなのか。
増田ではよく「意識が高い(笑)」みたいなことが言われるが、この朝日新聞の記者はいくらなんでも意識が低すぎることであるなあ、と思う秋の夜であった。詠嘆。
ここで書かれてるような「在特会になびくキッズ」って、大体はニコ動がホームなんだろうな。
彼らのホームって「人権(笑)」なノリの場だったと思うんだけど、そこで「ネット童貞と罵倒するとかセクハラだー」と主張してもねー。ネット童貞disの尻馬に乗っかった野次馬に石を投げつけられるのが関の山なんじゃねえの。
まぁ素で朝鮮人差別は綺麗な差別、とか言ってるダブスタ連中だし、党派性ひとつで頑張って手のひらクルクルするんだろうなー。がんばれー。君たちでも童貞は捨てられるぞー。学生運動の時のサヨクみたいに、在特会に寄ってくる頭弱い子と傷を舐めあってたらうっかり捨てちゃってたりするもんだぞー。社会運動は弱者のためのヤリ●ンツールなので有効に使いたまえ。
出会い系サイトとか、リアルに会うだけでも一苦労なのに、既に会員費もポイントもタダでオフ会ヤってるとか最強じゃね?
しらんけど。
その様子を見ている人が周りに沢山居れば居るほど、これは徹底しておいた方が良い。
怒りにまかせて持論を声高に叫んでしまうと、たとえそれが筋の通った意見だったとしても、外野には悪印象を与える可能性が高い。
そうなってしまうと、炎上好きな野次馬根性の人を呼び寄せ、事態のより一層の悪化を招く恐れすらある。
逆に理不尽を受けたことに対し深く悲しんでいる様をアピールすると、
場の流れを一旦落ち着かせ、自分の意見に対して耳を傾けるよう促し易い環境を整えられる。
このとき、一見筋の通った主張を述べる事が出来ると、
傍観者の中から無償で味方してくれる人が出てくる見込みが強い。
※重要なのは「一見」筋が通っている事であって、熟考したら屁理屈でしかない事だとバレるような理論でも構わない。
相手側が対照的にエキサイトしているなら尚更良し、だ。
実際に触ってない野次馬の戯言です。
あ、「ペンで押しても反応しますがデモでは指を使ってます」ならいいんだけど。
そっちのが「消してる」感あるし、消しゴムの接地面積(?)的にガシガシ消せるし。
「間違ったらペンでグシャグシャ」と「間違えたらペンをクルッと回して消しゴムでゴシゴシ」だったら、後者のが直感的じゃね?みたいな。
当方アマチュアだけどオーケストラで演奏する人間として思った。
PDFの楽譜をiPadで表示するのはもはや当たり前なので、それの延長かも知れない。
楽譜の製本めんどいし、練習のときに色々走り書きしたり消したりが綺麗に素早く出来ると助かる。
ペンで書ける・消せるだけじゃなく、指でなぞって譜めくりとか、練習番号を指定したらそこに飛ぶとか、書き込みの全ページ消しと1ページ消しをボタン一発で実行する機能も欲しい。
ヘイトスピーチを撒き散らすデモと、トラメガで罵声を加える「しばき隊」や抗議者たち。
「憎悪の連鎖はなにも解決しない」と呼びかけるプラカードの前を、隊列が通り過ぎていった。
「憎悪の連鎖」。いまやあらゆる憎悪の局面で使い回されているこの表現を、あなたはどう理解しているか。
もし「憎悪の連鎖は止められる」「理性で断ち切らなくてはいけない」と脳天気に考えているなら、
それどころか自分自身は憎悪の連鎖と無関係だと認識しているなら、平和ボケした市民主義者の化石として嘲られても仕方がないかもしれない。
恥ずかしいけれど、私はそういう世間知らずのひとりだった。
中立気取りの「どっちもどっち」論者を軽蔑しながら、私は、しばき隊にも共感できなかった。
蛮勇を誇示しているように見えたから。
だから、できるだけ理性的な言葉でデモ参加者に呼びかけるプラカードを作って、沿道に立った。
目の前をデモが通過していくのを見たとき、予想に反して、激しい感情が沸き起こるのを感じた。
野次馬としてぐずぐずと態度を決め兼ねていた時には一度も感じたことのない、怒りだった。
気がつくと抗議の声を上げていた。
「しばき隊」は下品だと思っていたはずなのに、黙ってプラカードを掲げ続けていることができなかった。
ヘイトスピーチは、聞く者の心に発言者へのヘイトを呼び起こすのだと知った。
正直に言う。私は在特会が憎い。
「現実を見ろ」という沿道からの抗議に、「韓国人に言え」と嘯いた男が憎い。
憎悪のせいで大きくなった私のシュプレヒを聞いて、デモ参加者は私を憎むだろう。
私を巡る憎悪の連鎖が始まってしまった。ちっぽけなものだけれど。
「憎悪の連鎖」は人間の本性に染み付いていて、やすやすと人間を捕らえてしまう。
「憎悪の連鎖」を途中で断ち切ることなんか、簡単には出来やしない。
だから私たちは、一層の熱意を持って、憎悪の始点を攻撃しなくちゃならない。
森が乾燥しているからこそ、火をつけて回る扇動家を攻撃しなくちゃならない。
ネットウォッチ界隈(?)で話題のイケダハヤト師だが、彼のこれまでの言動を見ていて、これはどうも「自己愛性人格(パーソナリティ)障害」に該当するのではないかと思えてきた。
下記サイトにはこのように記されている。
自己愛性パーソナリティ障害の特徴・症状・治療法 [メンタルヘルス] All About
自己愛性パーソナリティ障害には、「自分は周りのみんなとは違う」と、自分を特別視し、自己の外見、能力など、自己の属性に自信を持ち過ぎる傾向があります。
同サイトより。この障害が生じることで
他人には、自分に対する賞賛の言葉や特別扱いを求めるのに、相手の気持ちにはまるで無頓着なことが多く、対人関係において深刻なトラブルが生じやすくなります。
やまもといちろう氏と間で現在進行中の件をはじめ、この手の(自分を特別扱いし、相手の気持ちに配慮しないことが原因の)トラブルがよく見受けられるのはご存知のとおり。
wikipediaより。「以下のうち5つ(またはそれ以上)当てはまれば自己愛性パーソナリティ障害だと診断される」そうだ。
1.自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張する。
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人や施設(団体?)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感性の欠如。他人の気持ちや欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
以下、1つずつ確認してみたい。
彼はしばしば、自分の重要性を誇大にアピールする。たとえば「僕は強者」と発言したり、最近の記事では自分のことを「優等生」になぞらえた発言をしている。
広がる格差と、強者に求められる「ノブレス・オブリージュ」 - ihayato.書店 | ihayato.書店
さらに厄介なことに、こういう人間は自分が弱者であることすら正当化します。「おれは落ちこぼれだから、目立っている優等生を叩く権利がある」というロジックです。
大衆を愚劣へ導く切り込み隊長 - ihayato.書店 | ihayato.書店
twitterのフォロワーが2万人を超えたことについて、下記のようなツイートをしている。2万人程度で?と思うのだが(しかも単なる野次馬的フォロワーもいるであろうし、せいぜい数十人の信者から罵倒されて終わりじゃないのかな…)、それでも「僕を怒らせたら人生潰せるからね!」と、自分に強大な力があると空想している。
フォロワーはしばしば無条件で支援してくれる存在なので、その力に甘えてはいけない。影響力が高ければ高いほど攻撃力は高まる。大袈裟ではなく、人の人生すら潰せる。
https://twitter.com/IHayato/statuses/172691977199030273]
また、やや違った角度からになるが、こんな例もある。彼は周囲から「一貫性のなさ」を指摘されたとき、下記のようなツイートをしている。指揮でも作曲でも多才にこなすのは0.0001%レベルの天才バーンスタインだからこそできることであり、そこを自分を重ね合わせるあたり、自分も相当の才気を持っている空想しているようである。
一貫性がないと批判する人もいるのだろうけれど、僕が僕であり続ければ、一貫性のなさすら個性になる。かのバーンスタインだって、指揮やったりミュージカル書いたり現代音楽書いたりしてますしね。試行錯誤も寄り道も、全部含めてバーンスタイン。
Twitter / IHayato: 一貫性がないと批判する人もいるのだろうけれど、僕が僕であり続 ...
基本的に、彼は自分の間違いを認めない性向がある。たとえば、やまもといちろう氏に「ちゃんと仕事やってくれ」くらいのことを言われた際に、それに逆ギレして両手グルグルパンチレベルの人格攻撃。
では、そういう性向がどこからくるかというと、彼の「自己特別感」だと思われる。自分は特別だと思うから、自分は常に間違っていないと考える。(多くの人がそうであるように)もし自分のことを特別視していないのであれば、「自分にも非があるのかも知れない」とどこかで気づけるはずなのだが。
大衆を愚劣へ導く切り込み隊長(イケダハヤト) - BLOGOS(ブロゴス)
同じくやまもといちろう氏との対談企画において、彼は「収益をNPOへ寄付する」と言い出した。周囲としてはちゃんと対談さえ実現してくれさえすればよいのだが、わざわざNPOとか寄付といった構想を示すあたり、賞賛を得たいという彼の承認欲求が見え隠れする(しかも、彼が具体的な寄付先を示さないため周囲から不信感を持たれつつあることはご存知のとおり)。
隊長、イベントやりましょう。ただし条件があります - ihayato.書店 | ihayato.書店
また、得意の「カジュアルにブロック」によって都合の悪い意見は次々と切り捨てるが、これも賞賛だけを集めたいという意識の裏返しなのだろうと思われる。
これも、「収益をNPOへ寄付」の話が当てはめられる。繰り返しになるが、当初は単なる対談イベントであったはずだが、尊師から一方的に「条件」を出してきた。やまもと氏が大人の対応を見せて生暖かく成り行きを見守ってくれたからこそよかったものの、こういった言動こそ、まさに「自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する」彼の性格が現れている。
彼が他人の記事や書籍を利用して「コピペ記事」を量産しているのはご存知のとおり。たとえば、はるかぜちゃんのツイートをもとに記事を投稿しPVとアフィリエイトを稼ごうしたことがあった。
イケダハヤト,はるかぜちゃんネタで我田引水しようにも,本人からステマと言われて撃沈される - NAVER まとめ
はるかぜちゃんの件でこのような批判を受けている。やはり共感性に欠けるのであろう。
イケダハヤトさんのエントリ、ブログで稼ぐために、はるかぜちゃんを利用している印象を受けます。これは不快。というか、他者に対する思いやり、想像力がなさすぎ。
Twitter / BirdWing09: イケダハヤトさんのエントリ、ブログで稼ぐために、はるかぜちゃ ...
また、「マックジョブ」発言で炎上したこともあった。最高レベルのオペレーションノウハウを持つマックで働くことは多くの学びがあるはずだし、プロ意識を持って働いている方も多いのだが、そういう人々の気持ちを想像せずに見下すような発言をしている。
イケダハヤト,マクドナルドでバイトする人々に蔑称をつけて炎上 - NAVER まとめ
彼は誹謗中傷はもとより、まっとうな意見や批判に対しても耳を貸さず考えを改めようとしない。ということは、尊師の心中ではそういった意見・批判も「嫉妬」と捉えて切り捨てている可能性がある。
たとえば下記のようなツイートがあった。もしかしたら本当に嫉妬している人もいるのかも知れないが、周囲からの批判や異論をいくつか見る限りでは、贔屓目に見ても嫉妬として捨てきれない意見が多い。おそらく痛いところを突くような意見について「これは嫉妬だ」と解釈することで、心の平安を得ているのであろう。
Twitter / IHayato: BLOGOSアワードへの反響をなんとなく見てみたら、大人の妬 ...
それにしても、コピペブログを量産したり、やまもといちろう氏との対談イベント絡みでこれだけ「仕事ができない人認定」されている人を、誰が嫉妬するのだろうか…
彼の尊大さ。傲慢さ。これについては言うまでもないことであろう。自分を成長させてくれるかもしれない意見に謙虚に耳を傾けることなく、
めんどくさい人はカジュアルブロックで!
Twitter / IHayato: めんどくさい人はカジュアルブロックで! ...
また、「イケハヤ目線」なる言葉があるが、下記の記事では「上から目線が嫌い」という内容を上から目線で語るという離れ業を演じている。
「下から目線」を持とう - ihayato.書店 | ihayato.書店
…ふむ。5つどころかすべてが彼には当てはまってしまうなあ…
ともかく、以下ではその障害の治療法について紹介する。
では、彼がこの障害に該当していたとして、その治療法はというと下記のようになる。
自己愛性パーソナリティ障害の治療ゴールは、他人の気持ちを汲めるようになることです。主に心理療法が行なわれます。ただ、他人の気持ちを汲めるようになるということは、自分の優越性をある程度否定することでもあります。本人にとって受け入れがたいような場合、治療が難しくなってしまう傾向があります。
薬物療法が必要か否かは個人個人の病状によりますが、自己愛性パーソナリティ障害では、年齢を重ねるにつれ、自己愛の源である、性的魅力、肉体的能力などが失われて、気分が落ち込み、薬物療法が望ましくなるケースが少なくありません。具体的な治療薬に関しては、気分の大きな落ち込みに対しては、抗うつ薬。気分の移り変わりが大きい場合は、気分安定薬……など、状況に応じて、治療薬が選択されます。
自己愛性パーソナリティー障害では、他人からの批判など、日常生活でも自意識がダメージを受けることが多くなってしまいます。大きな心の苦しみにつながらないよう、早期に精神科(神経科)を受診することが望ましいです。もしも社会生活上、自己のナルシスト的傾向のため、心の苦しみや落ち込みが大きくなっているような場合は、ぜひ、精神科(神経科)受診を考慮してみてください。
今は若くて一定数の信者(?)もいるからよいのかも知れないが、年齢を重ねたりネットでの知名度が下がってきたりすると薬物治療に頼らざるを得なくなる可能性があるということだ。
というわけで、尊師にはぜひ治療やカウンセリングを受けられるところに行ってほしい、と思う。今の彼に必要なのはきっと、的を射た批判とか異論ではなく、まず専門家のところに行って治療に専念することなのだと思う。
彼女がそんな状態なのは、年齢のせいというよりも男を見る目がなかった、さらには人生に対して無計画すぎる(若さと美しさゆえ考える必要がなかったため)と思う。
その友人の不幸をみたいだけなのかな?私なら増田みたいな考えを持ってる時点で、もう友人とは言えないな。
だからその友人に深入りする必要もないし、そばにいる意味もないような気がする。
彼女は彼女なりの生き方をしてきたんだから、放っておけばいいと思う。それより増田は自分の人生を考えた方がいい。
他人のことよりも。
オタク文化やオタクという人種には、できるだけ関わらないようにするのが処世術であると思う。
はじめにそう感じたのは、電車男の頃に、秋葉原で路上喫煙をしていた男が写真を晒されていたのを見たこと
で、
オタクの縄張りを荒らすとリンチに遭う可能性があると意識した。
オタクの興味の範疇は狭いが、その内で事を起こすといつまでも粘着される。
戸松遥ライブでの照明器具落下が、もしアニソン歌手以外のコンサートで起こったら、ここまで騒がれただろうか。
オタクに興味をもたれると本当にロクなことにならない。
一度アニソンを歌うと、その歌手は一生、オタクからアニソン歌手というレッテルを貼られたままだ。
十年くらい前に亡くなった、フルーツバスケット?のアニメの歌手の話題には確実にオタクの反応がある。
それは彼女の音楽が素晴らしかったからというより、アニソンという身内の文化に関わったからだ。
オタクという人種に関わりを持つのならば、一生関わり続ける覚悟が必要だ。
ビジネスとして関わるにしろ、オタク関連の仕事でなにか間違いがあると、
一般社会で考えられる以上のバッシングを覚悟しなければならない。
不可触な存在と思ったほうが身のためだ。
無断転載を批判することは誰から見てもそれは(少なくとも日本においては)社会正義だから、この正義ってやつを手にすると、中にはそれを無邪気にふりまわしたがる人が現れる。それは避けられない。「錦の御旗のもとでなされる暴挙」はどこの世界にもあって、それはネットには限らん。
んで、そういうことを愉しんでいる人がいる層って絶対居て、だけど彼らには正義という強力な武器を手にしているわけだから、「お前はただ楽しんでいるだけの野次馬だろ」と言っても全力で跳ね返す。おもちゃを取り上げられるわけにはいかん。
こういう手合いに説得を試みても無駄。
何もしないのが最善。というのも、肝心の当のクリエーターどもは「あまり触れたくない、このまま、だましだましのノリでやっていきたい」って考えている人ばっかりだから実のところ。声が大きいのって、いつも著作権侵害の非当事者ばっかりでしょ。放置しておいて大丈夫。
あ、ちなみにふたばの話に関して言えば、彼らに著作権を語る資格はあんまり無いと思ってる。あそこは基本匿名の掲示板で、およそ著作権を尊重するという精神からは遠い行為で成り立ってきたと言って良いわ。
たとえ純粋にふたばで生まれた作品であっても、それが他方で流用・商用利用されたからといって騒ぐのはムシが良すぎる。著作権という概念を持ち出して批判するのであれば最初から匿名で投稿しなけりゃいいワケ。さすがにふたばはわがまま過ぎるだろ。
なんかももクロについて書きたくなったので書く。
ももいろクローバーZは2008年に結成、2010年にメジャーデビュー、2011年に改名(メンバー数-1)し、2012年に紅白出場が決まった。テレビで見る機会も増えてきてるし、AKBの次に人気のあるアイドルグループだと言っても過言ではないと思う。一言で言うと「絶好調」みたいな感じ。
ももクロの魅力を一言で語るのは(少なくとも私には)不可能だが、彼女たちがAKBを含めた他のアイドルグループとは異なるファン層を獲得している要因のひとつとして「全力」という単語が使われる。裏表のない純粋な女の子が、一般的なアイドルとは異なるパフォーマンスを、拙いながらも全力で、楽しそうに披露する。舞台の裏では悩み、苦しみ、罵倒(叱責)されながら、それでもステージの上では笑顔で歌い、踊り続ける。そのライブパフォーマンスにファンは笑顔にさせられ、後に涙させられる。
ももクロのファンの中には「アイドルに興味を持ったことのないおっさん」が多いと言われる。それは、舞台裏での彼女たちの苦悩に対する共感と、舞台上での笑顔で全力のパフォーマンスに対する賞賛と敬意が理由ではないかと思う。もちろん、ももクロのメンバー5人はとても魅力的な女の子なので、疑似恋愛をしているファンも多い。ただ、疑似恋愛で応援しているファンの割合は、他のアイドルよりずっと低いと思う。(余談だが、ももクロほどではないにせよ、AKBも疑似恋愛率は"比較的"低いと思う。)
ここまでがももクロの簡単な紹介。興味があったらyoutubeやニコ動で動画を探してみてほしい。探すのが面倒な人は下記の動画を見るよろし。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18544650
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19244729
絶好調なももクロだがファンの入れ替えは着々と進行している。よく「他界」と表現されるが、ファンを辞める人が続出している。具体的な理由やきっかけは様々だが「自分の好きだったももクロが変わってしまったこと」に耐えられないというところに集約できると思う。変化は避けるべきものではないし、避けられるものでもない。そして、変化した対象から離れていくことは自然なことである。だから、他界したファンのこともももクロのことも責めるつもりはない。ただ、「私がももクロの変化に耐えられなくなったときにどうするだろうか」については考えずにいられない。
私にとって一番恐ろしい変化は、彼女たちが「こなす」ようになることだ。圧倒的に多忙な中、「一定のクオリティを保ちつつ」「スケジュールを消化する」のは社会人として必須のスキルだと思う。それは成長であって、好ましい変化に違いない。ただ、私が彼女たちに感じている魅力のいくらかは消え去ってしまう。こなせるようにならなければももクロは生きていけない、ただ、こなされてしまうとファンとしての私は生きていけない(笑) 実は、11月23日にその恐怖を味わっている。私は参戦できなかったが、23日にももクロが参加したイベント(ぴあフェス)で、多くのファンが「ももクロがライブをこなしている」と感じたらしい。その日は念願のミュージックステーションの生放送が控えており、目の前のライブに集中できなかったのかもしれない。ただ、「こなす」ライブを多くの人が目撃し、仕方ないと思いつつも強く落胆していたのは事実だ。彼女たちが多忙になればなるほど、この変化の実現が現実味を帯びてくる。
また、彼女たちの精神的な変化も恐ろしい。来年以降は彼女たちの無邪気さゆえの言動は、調子に乗ってる(所謂天狗)ゆえの言動と見なされるかもしれない。それにより批判され、萎縮し、無邪気さが失われてしまうかもしれない。というか、普通に天狗状態になる可能性も大いにある。十代の女の子が周りにちやほやされて天狗になるなんて当たり前のことだ。また、恋人ができるかもしれない。いや、恋人自体は今もいるかもしれないし、それ自体はいいことだ。ただ、恋人がいることをすっぱ抜かれて、野次馬や疑似恋愛していたファンからの強烈な批判に晒されて、精神的な変化が訪れるかもしれない。あぁ恐ろしい、彼女たちが変わってしまうことが恐ろしい。
他界するファンを横目に、彼女たちが変わってしまったら嫌だなぁ、変わってしまったときに私はどういう態度を取るんだろう、そんなことをずっと考えていた。昨日まで、そんなことを考えていた。今はそんなことみじんも考えていない。
昨日、紅白出場決定→NHKでの会見→Ustream生放送→ファンクラブ動画→前山田氏の涙→ももクロのANNという一連の流れを経て、尋常ならざる幸福感の中で芽生えた感情は感謝だった。いや、感謝自体は今までもずっとしてきた。落ち込んだときは彼女たちのライブを見て救われたし、そうでないときも「自分も頑張らないと」とやる気をもらい続けてきた。そう、感謝自体はずっとしてきた。ただ、昨日は、これまでとは異質の感謝の念が芽生えた。うまく説明できないのが悔しい。うまく説明できないけれど、なぜかわからないけれど、「彼女たちが変わってしまっても、自分は応援し続けよう」と思った。たとえ最後の一人になったとしても、解散するその日まで一モノノフとして声援を送り続けようと思った。
特にオチはない。自分が思ったことをとりとめもなく書いただけ。冒頭に書いたとおり、書きたくなったから書いた。最後にもうひとつ、書きたいことを書いて締めたい。
バイトを始めようとするものの身だしなみに必要な金が揃えられず雇われず
派遣に登録して働き出すものの 可愛いなと思っていた同僚は事故で目の前で機械につぶされ主人公も危うく潰されそうになり
ベンチにはホームレス避けの区切りのせいで眠れず
こつこつ材料を集めて川辺に建てたツリーハウスで夜の寒さをしのぎ日雇いしながら
幸せそうな家族や正社員を横目で眺め「あの中には2度と入れない」とつぶやき嗚咽する
ある冬の寒い日に路上で飢えと寒さに力尽き行き倒れた主人公の冷たい亡骸の横でエサを満足に与えられず骨と皮ばかりになった弱った猫が
主人公の亡骸をついばんでいた
まず、「承認欲求」に飢えてそうな「野生のハテナー」を見つけます
気に入ったブクマコメントを見つけたら、エサ(☆)を与えましょう
エサは(☆)基本無料ですが、色の付いたエサ(☆)を買って与えると喜びます
自分の気に入ったコメントだけエサ(☆)を与えると段々「同調」してきて使いやすくなります
どんな「ハテナー」に育てるかは貴方次第
他の調教師とのネットバトルの時に手持ちの「ハテナー」「野次馬ハテナー」がランダムで召還され
育てすぎた「ハテナー」は攻撃力や拡散力が強くなり自信を持たせ過ぎると、サバンナに帰ってしまいます
調教師としては寂しさを感じますが、悲しんでいる暇はありません。次代の逸材を探しましょう。
注1:「ハテナー」の乱獲はSNS生態系のバランスを破壊します。ご注意ください。
注2:このゲームはあくまで妄想ゲーです。実在のSNSではID名まで見て☆あげるようなことはしていませんので
ご安心ください。
http://anond.hatelabo.jp/20120709151641
だって日本のデモって(と言っても海外のを知ってるわけではない)、
自分達だけが「んぎもぢいいい~~~~~~!!!」なのばっかりじゃん。
はてなでかなりブックマーク数を集めた参加者のブログを貼っておく。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/50e69beb6749d32bb760f2f21af30ba0
??
disりながら何かを要求するって言うのは
それをやっておいて敵意が返ってきて文句言うのは
「いじめ」→「関わるのめんどくさい」
関心持ってる人がウジャウジャ居るように見える。
手でも叩いた方が?
ネットコミュニティからの排除なんかを目的にした炎上は見た事が無い。
他の項目にもいえるけど
どうして欲しいのか、何をやめて欲しいのか、
ぐらい書かないとあなたの主張はわかんないよ他人には。
「自分では何も言わないけどそちらの推測と責任でよきに計らえ」
とか言いたいわけじゃないでしょ。
具体例がわからないけどプラマイゼロでちょうどよくなるんじゃないの。
様々な物事があなたの思い通りに・あなたの期待通りになってないのは
それぞれの理由があって、個別に理解してアクションをしていくしかない。あなたが。
なんとなーく「他人に手間と迷惑をかけるのが「悪」」とか
そういうスローガンでまとめて喋ろうとするのはやめよう。
それはただの怠け癖だ。
「病んだ日本社会」みたいなパッチをあてようとするのが好きだが
それは大局観でもなんでもなく、ただの怠け者の大雑把な議論だ。