2013-04-26

私は「憎悪連鎖」が怖い

ヘイトスピーチを撒き散らすデモと、トラメガで罵声を加える「しばき隊」や抗議者たち。

憎悪連鎖はなにも解決しない」と呼びかけるプラカードの前を、隊列が通り過ぎていった。


憎悪連鎖」。いまやあらゆる憎悪の局面で使い回されているこの表現を、あなたはどう理解しているか

もし「憎悪連鎖は止められる」「理性で断ち切らなくてはいけない」と脳天気に考えているなら、

それどころか自分自身は憎悪連鎖と無関係だと認識しているなら、平和ボケした市民主義者化石として嘲られても仕方がないかもしれない。

恥ずかしいけれど、私はそういう世間知らずのひとりだった。

ついこのあいだ、私がそうでなくなったときの話。


ネット動画を見て、新大久保に行こうと決めた。

中立気取りの「どっちもどっち」論者を軽蔑しながら、私は、しばき隊にも共感できなかった。

蛮勇を誇示しているように見えたから。

から、できるだけ理性的言葉デモ参加者に呼びかけるプラカードを作って、沿道に立った。


目の前をデモが通過していくのを見たとき、予想に反して、激しい感情が沸き起こるのを感じた。

野次馬としてぐずぐずと態度を決め兼ねていた時には一度も感じたことのない、怒りだった。

気がつくと抗議の声を上げていた。

しばき隊」は下品だと思っていたはずなのに、黙ってプラカードを掲げ続けていることができなかった。


ヘイトスピーチは、聞く者の心に発言者へのヘイトを呼び起こすのだと知った。

「中指は生理現象」としばき隊の一人が言った。


正直に言う。私は在特会が憎い。

デモ参加者が憎い。動画の中の鶴橋女子中学生が憎い。

現実を見ろ」という沿道からの抗議に、「韓国人に言え」と嘯いた男が憎い。

憎悪のせいで大きくなった私のシュプレヒを聞いて、デモ参加者は私を憎むだろう。

私を巡る憎悪連鎖が始まってしまった。ちっぽけなものだけれど。


憎悪連鎖」は人間の本性に染み付いていて、やすやす人間を捕らえてしまう。

憎悪連鎖」を途中で断ち切ることなんか、簡単には出来やしない。

から私たちは、一層の熱意を持って、憎悪の始点を攻撃しなくちゃならない。

森が乾燥しているからこそ、火をつけて回る扇動家を攻撃しなくちゃならない。


この投稿が「憎悪の鎖の一環」以上のものであればいいと願っているけれど、

私が同胞市民の一部への憎しみから(も)このテキスト作成したことは、否定しない。

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