はてなキーワード: 徹夜とは
他人の欠点ばかりあげつらって文句を言う人はどこでも基本的に疎まれる。
Aは責任感の欠けた人間で、彼女が自分の論文の担当箇所を仕上げてこなかったせいでスケジュールが遅れあれほどチームに迷惑をかけたのに、結果的にプレゼンが成功したのはゼミ長の私が徹夜で資料を作成したお陰である。彼女は内定がある。
ずいぶん自己評価が高いようだが、これだって君の管理能力の欠如が問題だったとも言える。
決して君は素晴らしい能力を持っていない。
二十数年生きてきて、自分もスーツを着て電車に揺られる社会人になると信じて疑わなかった。
50社程落ちて、内定はない。
小さい頃はスポーツ選手や漫画家に憧れて、サラリーマンにはなりたくないなんて思ってたけど、まさかサラリーマンになることがこれほどハードルが高いとは思ってもみなかった。
ネットを眺めていても、コメントをしてるユーザーが全員この就活を乗り越えてきたのだと考えると、どこか違う世界の人間のように感じられる。
自分より話し下手な人、自分より単位を落としている人、自分よりプレゼンが下手な人、自分より英語が苦手な人、自分より就活を始めたのが遅かった人…みんな内定を持っている。
彼らを見下しているわけじゃない。彼らには彼らの秀でている部分があり、そこを上手くアピール出来て企業に評価されたのだろう。当然そんなことは理解している。
Aは責任感の欠けた人間で、彼女が自分の論文の担当箇所を仕上げてこなかったせいでスケジュールが遅れあれほどチームに迷惑をかけたのに、結果的にプレゼンが成功したのはゼミ長の私が徹夜で資料を作成したお陰である。彼女は内定がある。
Bは内気な人間で、後輩との飲み会の場であるにも関わらず全く面白い事も言わず愛想笑いをしているだけの人間である。集団が集まる場所では私は話題の中心であり、彼は居ても居なくても変わらない人間である。彼も内定がある。
Cは学がない人間で、推薦で入学したため碌に漢字も読めない。受験で数学も必要なかったため、授業について行けず私が助けてあげた。彼は私が知っている知識の1/10ほどしか知らないだろう。彼も内定がある。
脳裏に浮かんできた知り合いは全て、私より能力が劣る人間ばかりだった。普段よく目にするネットユーザー達も、政権を口汚く罵ったり面白くもない大喜利を繰り返すばかりで、倫理もユーモアも私より劣っている。なのに彼らは社会人をやっている。
私にはわからない。
【追記】
沢山のコメントやアドバイスありがとう。どの企業からも興味を持って貰えなかった私にとって、どんな形でも関心を寄せてくれることが励みになります。
プライドの高さが滲み出ているというコメントが多いが、本当にそれに尽きると思う。
ABCなど周りの人に相談は出来ない。周囲の人間に陰口を叩かれるのは屈辱的なので、周りには内定があると嘘をついているからだ。SNSでもそのように振る舞っている。
なんなら、この前も後輩の前でしたり顔で就活のアドバイスをしたくらいなので、おそらく少し頭がおかしくなっていると思う。
自分の欠陥については十分すぎるほど自覚しているし、地獄がもう目の前に迫っているのも理解しているが、今はアルコールで不安をバグらせながらエントリーを増やし続ける日々を送っている。
「内定」さえ取れれば、全て解消すると信じて。
どうも解せない。騙されてるような気がする。
就職氷河期世代の私が20世紀末に就職した時は、そんなに人気のある仕事ではなかった。
その頃からシステムエンジニアという仕事が注目されつつあったが、プログラミングするのは、あくまでシステムエンジニアになるための下積み行為でしかなかった。
プログラム組むのは大手の社員じゃなくて、二次請け三次請け四次請け以降の中小ソフトハウスや人材派遣だ。私は大卒後、東京で従業員10人ぐらいの小さい会社に就職して、あちこちの会社に業務請負で派遣された。単価がくそ安かった。多分会社対会社は月50-60万で契約してたのだろう。終電帰りや日曜出勤、徹夜は当たり前だった。その会社にいる間は月給20万(手取りじゃなくて総支給)超えたことなかった。ボーナス含めても年に300に届かなかった。
頭を使う割には社会的には十分底辺職と言ってもいい扱いだった。でもなぜか、周りを気にせず、単純にプログラミング上達したいおもしろいぐらいの気持ちがあったからなんとなく続いた。
それでも給料安すぎるし人間関係窮屈すぎてもう無理と思ってシステムエンジニア職中心の別の会社に転職した。ちょっと給料上がったが同世代の中央値には程遠かった。そこでもプログラミング中心の業務だったが、昇進するためにはプロジェクトマネージャーになるしかなく、上司面談でプログラミングの職人になりたいと言ったら鼻で笑われた。
プログラム組むよりもExcelで設計書書いたり進捗管理する方が偉いという風潮が根強くてどうもだめだった。
結局そこも何年かいてからやめて今は別の会社でやっぱりプログラミングしてるわけだが…。
この仕事で人並みに食えているという人たちの話がどうも素直に信じられないし(まったく食えない仕事ではない、とは思う)、この仕事が近年人気になっているという話も眉唾ものだ。
社会的な需要が増えているという話は少し信憑性を感じるがそれを鵜呑みにするにしては今のプログラマの社会的地位はあまりにも低すぎるだろう。
自分は能力こそ人並みにははるかに及ばないが、多分この仕事が好きでそれなりの好奇心があるのと、途中で諦めるのが悔しいという意地と他の仕事の適性がほぼないという状況でなんとか続けてきたのだが、
たくさん(?)の若い人が
・他のことも普通にできる
・頭がいい(少なくとも皆私よりは)
のに何故あえてこの仕事を選ぼうとするのか、ここで、プログラミングが好きという理由が出てこないのならそいつは頭がおかしいのか何かに騙されているとしか思えない。
生活の中でアレルギーを発見する瞬間があったことはありますか。私にはあります。私は四日前日曜出社を終えて、少し遠出して買い物を済ませて、昼寝を挟んで、何気なく牛丼を食べた時に、久しぶりに腕に発疹が出たときに、確信するところがありました。というのも、ツイッターですき屋の牛丼は皿を使いまわすからアレルギーが出るとかいうのを見ていたからでした。牛丼食ってるとなんか眠いし、運動のあと、飲酒、徹夜をしていると蕁麻疹がでることが多いなとは思っていたのですが、どうも牛丼を食べるとすぐ眠くなる傾向はあるし、なんなら寝て起きても眠いことが多かったんじゃないかと。そこで、この段階では妄想と区別がつかないですが、1万円以上出して検査をするのも尚早かと思って、順番に試そうということにしました。
すき屋のアレルギー表を見て、私は甲殻類と小麦のどちらも疑ったので、次の日の夜には回転寿司へ行って、エビづくしカニづくしをやりました。12貫甲殻類尽くしです。翌日は便が緩み、強烈な眠気に襲われ、胃も水を飲んだ時の引き攣るような不快感がありました。なんでも食べ過ぎたら体には悪いでしょうけど、そういえば年末年始に帰省したとき、食卓に出た蟹が特段美味しいとも思えず無理して食べて、翌日は下痢もしてやたらと眠かったことを思い出しました。より確信を深めるためには、体調のいい日に二食絶食して蟹缶をまるごと食べる、ということも考えてはいますが、現時点でももう単に“苦手な食べ物”として、遠ざけてしまってもよいのかも、というようにも考えています。
小麦や牛、豚もその“苦手な食べ物”に入るのではないか、ということを考えています。どうにもパンや牛肉、豚肉は消化に悪く、野菜と組み合わせても眠気を催すように思えます。それは単に胃腸が弱いからとか消化に悪い食べ物だから、というはあるのでしょうけれど、眠すぎて会議中居眠りをしたり、夕食後に眠すぎて本も読めなかったりするのは、あまりにみじめだと思うことが多くありました。だから、今回のアレルギーについて発見があったことをきっかけに、眠気を催した食べ物やその素材は手元に控えておいて、あるいは活力を得られた食べ物は何だったかを覚えておいて、もっと目が覚めている健康な状態で過ごせるようにしよう、と考えるようになりました。昔から食い意地の強いほうで、嫌いな食べ物はなく、給食も絶対おかわりをしていたような人間でしたが、牛丼を避けようなどとはいままで考えたこともありませんでしたので、こうした考えがいつまで続くかはわからないですが、今日は朝も早かったのに遅い時間にこうして暇な作文をできるくらいにはよい体調を維持して過ごせていることは確かです。それで、ぜひ書き留めておこうと思った次第です。
コスパ最悪。
勉強しか取り柄のないガリ勉くんにはお似合いですが、大学とは、勉強を片手間に遊ぶところです。友達や恋人を作ったり、バイトやサークルで社会経験を積みつつ、先輩から貰った過去問などを丸写しして最小限の労力で単位を取るのが大学です。社会ではそういう社交性と要領の良さが評価されます。
大学に入ってまで勉強なんかしてる陰キャは、非常に自己満足的で滑稽です。彼らは自分が鼻で笑われていることに気付いていません。
理系の勉強は大変です。これは主に、以下の2つの理由からです。
まず、ほとんどの理系分野は、現象を正確に記述するのに数学と物理の知識を必要とします。この2科目は、論理を地道に積み重ねていく学問なので、誤魔化しが効きません。つまり、「AはB、BはC、したがってAはC」のような完全に正当化される論理のみを紡いで議論する必要があります。またその性質上、基礎となる分野を飛ばして、応用分野を学ぶことができません。つまり、一度躓いたらそこでドロップアウトすることになります。
一方文系の場合、計量経済学のような一部の人気のない分野を除けば、教員の指定した本を順番に読んで、その内容を日常用語で適当に再解釈した感想文が書ければ、卒業論文として認められます。というか単位を取るだけなら、本すら読まずとも又聞きした情報を適当にまとめれば良いです。何のスキルも必要ありません。
また、理系では理論系の分野を除けば実験があります。実験は研究室によっては徹夜で行うことも珍しくなく、非常にハードです。また、やはり実験の前提となる基礎理論を正しく理解していなければなりませんし、誤差等の評価を数学的に正しく行える必要があります。実験ノートの取り方、論文の書き方などのマナーも非常に厳密に決まっており、一般的な文書作成技術よりも高い技術が必要になります。
分野によっては、直接の専門とは別にプログラミングや電子回路設計などの技術も身につける必要があります。
機械工学科や電気工学科などの産業的に非常に需要のある分野を除いて、専攻に関係した職業に就く人はほとんどいません。したがって、文系が就職に不利になることはありません。むしろ、大学入って勉強しかしてこなかった理系は、コミュニケーション能力などの点で文系に大きく水をあけられます。
また、学部別の平均年収なども、1割くらいの高額所得者が平均を吊り上げているだけで、どこに行っても実態は大差ありません。
つまり理系というのは、大学に入ってまでわざわざ勉強なんかしてるガリ勉キモオタ陰キャが、結局社会に出たらなんの役にも立たないというところです。非常にコスパが悪いです。合理的に考えたら、理系に行く選択肢はないでしょう。
ちょっとプログラムができるといい気になりやがってっていうけど
自分のサービス残業の時間は自分が一番良く知ってる。ごまかさなきゃ採用もされないくらい。
それでも、なんとか、がんばって。納品して、給料もらってる。
そういう、末端がちょっとぐらい胸張ってもいいだろ、でも仕事出されたら喜んで!
でもよ、難しいものは難しいって言わなきゃいけない。
逆に考えてみろよ、ド無能が一生懸命、必死にがんばってるんだって。それを踏みつけるな
この業界に来たらいわれることばNo1が
ちょっとプログラムができるといい気になりやがってっていうけど
終わったんだって?飲みに行かない?
新ネタが
(そういう時だから普段は対応という前提で)俺たちだって話しかけられたらイラッとするけど、仕事上しょうが無いからはしかけてんだよ(だからイラッとはするけど聞いて修正するだろ
イラッとするってわかるけど、はなしかけたら、あいてがいらつとする そりゃそうだ。でも、ちゃんと仕事はするから しょうがねーだろ。わからないんだったら、こっちが我慢するけど わかるんだったら、もう少し空気読んでくれ、難しい作業が終わったら つぎに簡単なのやるから 損時がいい マニュアルつまりどういうときならサボってるか?どういうときならマジ仕事かっていうのが書いてあるからだいたいそのとおりだ わかるならすまないけど対応はしてくれ そのぶん客にいいもの出す たのむな いいものつくるからがんばって売ってきてくれ 多少のむちゃはなんとかする)
□きっかけ
以下の投稿の反応を見て精神科に行ってもいいんだと思ったので行くことにした。
誰でもあるような症状だと思う。
精神科に行く人の症状を見ると壮絶で、自分なんかが行ってもいいのかなとは予約した今でも思っている。(逃げ)
ちなみに増田に書くには匿名だけどログが残せてハードルが低いから。
話そうと思っていることを書いておく。
□病院に期待していること
後述するがやる気を取り戻したい。毎日成長のためと頑張っていたころのように働きたい。
それと同じくらい毎日積み重なるタスクから逃げ出したいし会社を休みたい。
□自分の症状
最初はテレワークで見てる人がいないからだと思ってたけど、出社し始めても変わらない。
slackやメールの通知が来るたびにビクビクするようになった。
これまでは「ああ~なんやろ?」ぐらいだったけど、見るのが漠然と怖い。
うちの会社はポジティブ推奨。というかポジティブなスタイルが評価に響くのでみんな結構ポジティブ。
これ自体はいい会社だなと思う。問題が起きた時でも、相談すれば常に前向きに協力してくれる人が多い。
でもこれが今の自分には全く合わない。このポジティブさがしんどい。
書いてて自分でもひどいなとは思う。向こうはポジティブに接してくれても自分にはしんどいからイライラするなんて。
□思いつく理由
多分これが一番大きい。今の会社で5年目だけど給料があがらない。というか下がった。
大きめの会社で制度はしっかりしているので、しっかりと無能と評価されるのは精神的に響いてる。
同僚と仕事内容も変わらない(と思ってるだけかも)ので不信感もある。
いつでも仕事ができるので頭からこれまで以上に仕事が頭から離れなくなった。
裁量労働の会社なのでいつまでも仕事ができるので徹夜や早朝から仕事をするようになった。
□その他
散々言われてるかもしれないけど、精神科に行くって予約が必要かつ予約も一杯で疲れてる人にはハードルが高い作業だなと思う。
それだけ疲れてる人が多いってことなんだろうけど。
またそのうち結果を書こうと思う。
話はおいておくけどさ、そりゃ子供だから、自分の子供みたいって、かわいがるやつが、35を超えていて相手が15ぐらいだと、同い年の女が駄目なんでしょ児童性愛っていわれるのはわかるけど
それは35超えている男なら性欲を抱くことはあるというのと自分の子供みたいだななというのはどちらもある。
そのときに、なんか、ひっでーなーと思う。すっごいがんばって、トータルでお金持ちににはなれなかったし1000万とか夢のまた夢だけど
がんばった、ということまで否定しなくてもいいのになとおもう。むしろ、30代結婚のラストチャンスと、しゃかりきに頑張るに決まってる。他のやつがこそだてで遊園地に子供と行くときに、おれも、っておもって、すっごい必死にそいつの仕事を徹夜徹夜で頑張るに決まってる。
なんどもなんども事故がある。でなきゃ50とかいわない。生涯独身なんて、よばれない。生涯が独身というのは同性愛とかも結婚と考えて、生涯が独身50年。つらいなーと共感しようとするやつもいる。だんだんつらくなっていくよね。自粛。それをみて、思った。殺されるなって。結婚できたやつは結婚して普通に生きればいい。でも、あいつなんかへんだからに殺されるんだなって思った。
行政が助けてくれるなら、俺達だけの仕事。学校作って増やして、だれでもできるようにして、追い出さないみたいな配慮がほしい。
まぁ、食えないから、大変で辛い業界にたよろう。というのはわかるけど、
自分たちの業界も、新しい人を受け入れて、仕事をわけて、もり立てていく努力は必要。おいしいところを若い子に分けなきゃいけないんだよ。
ころされるのまちみたいでつらい。守ってあげるよってのがない社会。自己責任社会。自決するのも自己責任。できずに餓死して道で倒れるのも自己責任。
普通に数ヶ月激務が続いただけじゃないの? その分給料も出るし寄付なんて不要じゃない?
病院が医療品を購入できていない とか、家族に感染させないためにホテルを自費で払っている なんて話も聞くけど、
システム構築が全然終わらず三日三晩徹夜なエンジニアとかは、はてなでは馬鹿にされるだけだよね?
なんで医療従事者だけ優遇されんの? 震災の頃にインフラ修復していた人とかにも寄付されたりしたの?
それともやっぱ職業にはカーストがあって医者という人の命を守る職業は優遇されんの?
国境なき医師団とかは予算カツカツの中活動していそうだし(イメージです)、世界の貧富の差を無くすためにも寄付するのは分かるんだけど、
日本の医者なんて高給取りなんじゃないの。今回忙しかったよね、お疲れ様ー。ってかんじで皆からの寄付で臨時ボーナスをもらうかんじでいいの?
もちろんこのみんなは自分自身も含む。誰でも構わない、無差別に、注意していたとか気を抜いていたとか関係なく、みんなコロナで死んでしまえばいいと思う。
毎日毎日毎日毎日ニュースでは新型コロナの話題がない日はない。避けようと思っていても、普通に生活していたら嫌でも新型コロナの話題が目に、耳に、脳に届いてしまう。twitterだって、おすすめの隣はトレンドだったはずなのに、いつからCOVID−19なんてカテゴリができたのか。LINEニュースもyahooニュースも、トップページの一番最初に新型コロナ関連情報まとめなんて作って、そんなもん牛にでも食わせておいてくれ。目に入るだけでイライラする。
テレビの中でもインターネットの中でも、国に政府に都道府県知事に市町村長にあれをやれこれをやるなだからダメだぼくのわたしのかんがえたさいきょうのしんがたころなたいさくはこれだって、馬鹿も休み休み言ってほしい。国も政府も首長もそれを支えるスタッフも暇じゃない。そういうのはチラシの裏か便所の壁に書いておいてくれ。目障りなだけなんだよ。
それでもアホは口を閉じることをやめないから、飽きもせずに金金金金10万円100万円マスクマスクマスク金金消毒液マスクマスクマスクマスクって、せっかくお母さんがお腹を痛めて産んでくれたのにその小さい脳味噌とロクなことに使われていない口を他のことに使うことはできないの?その指先を少し動かす労力は、なんでもいいからとりあえずそれ以外のことに使うべき。ウンチを拭くのに使ったって、まだそっちの方が有意義な使い方だよ。
さらに、こういうときだからこそおうちじかんを素敵に♡みたいな投稿がSNSに溢れている。何がこういうときだ。社会の混乱に乗じて自己肯定感を高めようとするな。他人の不幸で飯を食うな。曖昧にみんなでがんばろうなんて、軽々しく言うな。その「みんな」の範囲を明示しろ。結局自分のお仲間しか入っていないんだろうが。わたしとわたしの仲良しが幸せになりますように、くらいはっきり言えないなら、適当な言葉で誤魔化して偽善者ぶるんじゃないよ。やらない善よりやる偽善?他人の迷惑を考えられない人間はすっこんでろ。医療関係者にエールを⭐︎も同様。忙しい医療関係者は、君たちの自尊心を満たすだけの自慰行為のような投稿を見ている時間はないんだよ。この現状に対して本当に真摯に真剣に向き合ってくださっている人間を、「自分には無関係だけどそんな人たちのことまで考えて応援できるボク/オレ/ワタクシの器の大きさ」アピールのために使うんじゃない。気持ち悪いんだよ。
テレビ番組だって、収録を中断しているものは過去の総集編を流したり、新しいドラマが始まらなかったり、リモート出演だとか、わざとらしく距離をとって見せてみたり、いやいや君たちつい最近まで「体調が悪くても仕事を休めないあなたに」とか言っている薬のコマーシャルばんばん流していたじゃない。特に冬になるとその手のものは増えていたような気がしたのだけれど。どうしたの掌返したの?芸能人が亡くなるたびに涙と過去の映像を織り混ぜて流して、芸能人以外が新型コロナで亡くなるニュースは少し顔をしかめてみせる顔芸で乗り越えて、そういう度に生命は平等じゃないんだって思い知らされる。知り合いが亡くなって泣くなとは言わない。でもその涙を仕事にしてお金もらうのは違うんじゃない。プライベートで泣けよ。仕事で泣くなら、全ての死者に平等に涙を流せ。
毎日毎日浮かれポンチのお祭り騒ぎで、結局みんなみんな、非日常に当てられてくらくらしているだけだ。しょうもないことで馬鹿みたいに騒ぎ立てて、いつもと違うライフスタイルとやらを発見して、これまで出来ていた当たり前がなくなる生活を美化して、その不便を何とか乗り越える自分に、自分たちに酔っている。ポストコロナとかアフターコロナとか適当な言葉を作っては各々好き勝手喋っているけれど、新型コロナが流行しようがしまいが、昨日今日明日と72時間あれば大体のことは変化するし、時間は基本的に不可逆なので、変化してしまったものは大体元に戻らない。たとえば仲の良かった二人が喧嘩をして仲直りするのは、関係が戻ったのではなくて喧嘩を経て仲の良い状態に更に変化したのであって、仲直りをしたところで喧嘩がなかったことにはならない。事実としてあったわけだから。でも毎日ってそういうものでしょう。大なり小なりの変化を重ねて、いつしか大きく変わった自分になる。それが人生なのではないでしょうか。それは新型コロナがあるとかないとか関係なく。
今この瞬間も新型コロナの流行を理由に本当に大変な思いをしている方がたくさんいらっしゃるのは分かっている。けれど、社会全体の雰囲気が、なんだか楽しそうにしか見えないんだよな。例えるなら、高校生の時、学校祭の準備のために毎日夜遅くまで学校に残って、少しずつ生徒皆がハイになっていったような。例えば、仕事で大きな案件を抱えて、毎日毎日徹夜を繰り返すことで少しずつ感情のリミッターが外れていくような。