はてなキーワード: ライフスタイルとは
病気にならなければ体調が変わらない(あんたも毎月、頭痛と貧血と下痢と腹痛とお股からボタボタ液体が垂れるのを受け止めるだけのを1週間耐えてみる?)
セクハラされない
アルハラされない
マタハラされない!
そもそも、存 在 自 体 を軽んじられない!!
男は分からないよね。日本でも女の参政権が認められたのは1945年なわけ。
ということは、そ れ ま で 女は人間扱いされてなかったわけ。学校で習ってないの?あんた。
あんたみたいなやつが「レディースデーがあるならメンズデーつくれ」とかいうんだよ。
女で男の上に立ってる地位の人がどれだけ血を吐く努力してるか考えろよ。
あんたの周りの女があんたより給料が高いのはな、あんたより努力して仕事ができるからだよ。
子どもいる女がどれだけ神経すり減らして働いてるかわかんないか。
自分の体から生み出した、誰にも触らせたくない宝物を他人に預けても、それでも働く女の覚悟が分かる?
わかんねえだろうな。
何もしなくてつやつやだった髪も、くびれたウエストも、ピンクでかわいくちっちゃかった乳首も、何もかも捧げて子どもを生むの。
知ってる?髪もバサバサになって、お腹に肉がついて、乳首がだらしなく伸びちゃうって。
知らないでしょ。知ろうともしないでしょ。
こっちは体も心も削って生きてんだ。
子どもを生むとな、髪の毛が手のひらいっぱい抜けるって知ってるか。知らないだろ。
そのケアに何時間もかけて、平気な顔してオフィスに来てんだよ。
Kindle Oasisを買った。Kindleには何千冊も入るので旅先にもこれ1つ持っていけば数千冊の本だって持ち歩ける。好きなものを好きなときに読めるのだからありがたい。旅先にもっていく本の重みで腰がやられそうな悩みを解消できる。
あと、目当ての本がすぐ見つかるのが良い。買っておいて後で読もうと思ったり読み返そうと思っても当の本がどこにあるのか思い出せない探すのに大層な時間がかかると言う悩みがある。Kindleはこれを解消してくれるのである。Kindleデバイスで検索すればその本がすぐ出てくるのだからありがたい。
なので、本はKindle版があるのなら全てその版を買うようにしている。こういうことも考えてジェフベゾスはKindleを開発し続けているのだろうと思う。この人物は世界中の人々のライフスタイルを変えた。偉い人だ。ビジネスの成功者は人を殺すとことなく多くの富を生み出し、従業員だけでなく、それに付随してビジネスを行う人々をも支え、養っているわけであって、戦国武将などとは次元の異なる偉さを持った人々といえる。
現代はいってみれば経済戦争の時代というべきときであってそういう次元の戦いの中で学べるとは有難いものである。戦に命をかけずとも良い。核兵器という使えば双方を壊滅させてしまいかねない武器を手に入れることによって狂ったような均衡状態の中で平和な時代を生きていけると言うのも皮肉なものであって、まるで白刃の上を裸足で渡るようなスリリングな時代であるとも言える。
話を戻す。ところでKindle Oasisにはマイクリップと言う文書がいつの間にか画面に現れる(Oasisに限らないのかもしれないが。→ paperwhite にも同じ機能があった)。これはなんだと思って開けてみれば、それは自分が読んだ本のハイライトした箇所が抜粋されて1つのファイルにまとめられているのであった。これはとても良いアイディアではないか。自身が感銘を受けたフレーズがまとめて見られるのだから、よほど読書の楽しさを知り抜いた人が開発したにちがいない。
Kindleは Paperwhite をこれまで使ってきたのだがOasisは反応速度が段違いに良い。こんなに動作のスムーズなKindleをAmazonはつくれたのかと驚いた。Kindle Oasisは買って良い。
20年以上前の話になるんですが、学生時代は環境問題に興味があって、そういうディスカッションに多く参加してたんですね。
時代感としては京都議定書があり、リベラルな人たちが多くそちらに流れていた頃でした。ドイツでは緑の党が大躍進していたり。
今も同じかもしれないけど、環境問題にはディープエコロジスト(生態系を守るためなら、人類が停滞または全滅してもかまわない)という思想と、
シャローエコロジスト(環境問題に対応することが、長い目で見れば人類(含む経済活動)にとって有益である)という思想があります。
私はシャロー側の人間で、世間一般でいうエコっていうのもこっち側だと思います。
たとえば、エンジンの燃費を上げることは同じガソリン量で長く走れるわけなので、シャロー側ではエコだし、ディープ側ではそもそも車なんかに乗るんじゃねぇという話になるわけです。
で、こういう議論をしていくと、ワークショップやらパネルディスカッションやらでは、大体いつも同じオチになります。
たとえば、「効率主義(=新自由主義)に飲み込まれない社会をつくるべきだ。」などなど。
大体、何度か参加すれば金太郎飴であることがわかるので飽きてきます。
で、同じくよくあるオチが「我々のライフスタイルを変えていく必要がある。」みたいなやつで、
この現代的なライフスタイルを支えているインフラは何かといえば、コンビニであるという話だったんですね。
そのため、大量消費・大量廃棄のシンボルであるコンビニの今後はどうあるべきか、というのがよくディスカッションのテーマでありました。
で、ディープな人たちはそもそもコンビニ自体が悪なので、江戸時代に戻れとか言って、お話にならなかったのですが、
その当時よく言われていたことは、コンビニは24時間店を開けていることが(経済的にもエコ的にも)効率的なのだという話です。
多くの電力は冷蔵庫・冷凍庫に使われており、電源を入れたり落としたりできないので、そうであるならば開けていた方が得だという話でした。
このあたりの細かな数字は忘れましたが、とあるコンビニ大手の人も来てくれて、正確な数字を出してくれていたように思いますし、
私個人では、大都市近郊の、または地方都市の主要幹線道路沿いのコンビニではそれが成り立つのはわかるけど、
日本全国すべてのコンビニが開けておいた方が効率的であるという言説は懐疑的でした。
すったもんだがあり、金太郎飴の議論にも飽き、就職後はこの手の議論からさっぱり遠ざかってしまいましたが、
当時あれだけ難しかったコンビニを変えようという議論が、どちらかというと労働者問題やフランチャイズ問題から動いていることは
驚くばかりです。業界の王であったセブンイレブンが近年これほどまでにヘイトを集めるなど想像もできませんでした。
いや自分の所業を棚上げしてでも後輩を指導しないといけない先輩のつらさもわかるから、そこで揚げ足をとるほど不親切にふるまう気はないんだけど
先輩があまりに自分は一点の曇りもない完璧な人間かのようにふるまうからさ
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べつに会社の看板に泥をぬるために失敗をしているわけではないし先輩に媚びるために失敗を反省してるわけでもない。
まあ会社の向上につながるなら社員それぞれのライフスタイルにあわせてフレックスタイム導入すればいいじゃんと思ってる方だし、人間ミスする生き物だからミスを憎んで人を憎むな、ミスが発生するスキームが悪いと思ってる方だから、いままでは先輩の仕事のしかた自体に対してはどうとも思ってこなかった。
なんなら先輩もこっち側の人間だからそういう仕事のしかたをしてるんだと思っていた。
しかし、ふたを開ければ、先輩は自分の失敗を記憶から消すことで生き延びているかなしい生き物ってだけだった。
その生きざまに信念はない。
今は失った記憶をもとに形成した人格で、後輩に説教をかまして悦に入る怪物と化している。
言われた方がカチンと来る言い方をするのがあまりにも上手い。先輩自身と同じように、遅刻やミスをする人間に対してあまりにも傲慢な言い様だと思う。
出世したいらしいけど、そのやり方では、求心力は育たないだろうなと、思う。
だらしない先輩からだらしなさを指導されたときは、クッソむかつくな、ブン殴ってやろうか。と思ったけど、それがただしいわけじゃないかもしれない、と思って、とりあえず殴るのはよした。
でもうっくつはたまって仕方がない。
どうすればいいんだろ
不安は今は小さい。俺の話を聞いてくれる友の存在は俺を救ってくれている。俺はあいつの事をやはり好ましいと感じている。自覚していたよりも強く、俺は気に入っている。わからないが俺は今とても心が嬉しい。
車窓の山畑はうつくしく、流れる時間は緩慢で、街は馴染みある小ささをもって俺を迎えてくれているように感じられる。
本当は、こういう街でゆるやかに家族とともに暮らしたいのだろうな。俺はこういう地方が好きなのだ。刺激なんてものはそんなに必要じゃない。
俺は有名な大学を出た。大手に就職した。高給をとれるようになった。
俺にとっての幸せ。
俺にとってのプライマリー。
俺は俺が愛した人と一緒にいたい。それはただそれだけだってことにいまさら気がついた。俺は人を愛している。これは特定のパートナーということでもあるし、俺の親しい友達ということでもある。この暖かい気持ちが俺の全てなんだ。
愛している人と、一緒にいられる事を最も重要視するべきなのだ。
俺は愛だけを焚きこめて生きられるようにしよう。
俺のテーマは愛だ
人に対するどうしようもないほどの興味関心と、彼らの無事を祈り、彼らの変化を見つめ続けたいと思う気持ち。もちろん、彼らの負担にならないように。
俺はみんなを愛している。
この愛を歌って、この愛を語って、この愛を全身で世界に表現していこう。俺はこういう風に生きたいんだ。
俺は愛を求めているに過ぎないのだ。
仕事なんてものは、俺が愛されるための経験を得るだけのファンクションしか持っていない。
どういう仕事をしているのが格好いいのか。どういうライフスタイルで生きていくのが愛されることに繋がるのか。俺はそれを考えるべきなんだ。
ネットではたまに見かけるけど、本当?
一緒に遊びにいくのもどこ行くの?クラブとか?
「若くてかわいい女の子」って意味で、ギャルって言ってるのか。
じゃあ「若くてかわいい女の子と付き合いたい」って言えばいいじゃないか。
ギャルっぽい見た目のアイコン(派手なファッション・染髪・露出多め・濃い化粧)に惹かれるのか。
ギャルっぽい性格のアイコン(バカ・ポジティブ・仲間意識が強い・体育会系)に惹かれるのか。
でもギャルでもネガティブだったり病んでたり、太ってたり化粧下手なのもいそうだ。
いるだろうなあと思うんだけど。
オタク女子もその傾向強いけど、疲れた人はギャルに夢を見がちなのかも。
「女子高生と付き合いたい」の亜種というか。
でも女子高生と付き合いたい、には、肉体的な若さを求めてるニュアンスが強く感じられるんだけど、ギャルと付き合いたい、には別の欲求が含まれてる気がする。
できないの定義だけど、他人とそういう空気になると過呼吸になったり、相手を刺してでも逃げたくなったり(刺したことはもちろんない)とか、というタイプの「できな〜い」である
中学生の頃にはぼんやりと「ああわたしって結婚せずに死ぬんだろうな」と思っていた自分よ、きっと正しく未来が見えていた
まあセックスができないのは仕方ないし、死ぬわけでもないし、いいんだ
もうず〜〜〜〜〜〜〜〜っと悩んで、トライもした、わたしめっちゃがんばった!
ただ、「できない」では終われないのがこのセックス至上主義の世の中なのだった
ここからはセックスができない人間がつまづくいくつかの石ころを紹介していく
個人的なケースばかりなので、こういう人間もいるんだな〜くらいの気持ちで読んでほしい
セックスをしない恋人…というあり方もあるのでしょうが、少なくともわたしの周りにはいないので、敢えてないものとして考えたとき、「わたしには恋人ができない」は、揺らぎない真実になる
恋人がいなくても友達いたらぼっちじゃない?だと?それは甘い考えだ
世の中の人間は、どんどん結婚してくし、どんどん引っ越してくし、どんどん趣味嗜好が変わっていくから、ライフスタイルが変わらない人間こそ置いてかれる
定期的に連絡を取っている友達でさえも、相手が結婚したらもう会わないかな…と思ったりもする
子供ができたら大変だしね〜。
②人生って重いな〜と思う
一人分の人生ごときで生抜かすんじゃねえ〜〜と既婚者に怒られてしまうかもしれないが、改めて言いたい。人間一人分の人生って重い
セックスをしない夫婦…というあり方もあるのでしょうが、少なくともわたしの周りにはいないので、敢えてないものとして考えたとき、わたしには結婚ができない、は揺らぎない真実になる
誰にも自分がしょいこんでるものものを預けることができないのって、すごくつらい
セックスさえ我慢すれば、わたしは楽になれるのか?学費を返す間だけでいいから、がんばれって応援してくれる伴侶がほしい…と思ったことは何度もあるし、なんなら今も思う
つらいとき、自分の人生を一緒に横で歩んでくれる人がいたらすごくすごく心強いなって思う
いいな〜〜って思う
でも、わたしが欲しいものが与えられたとしても、わたしだって与えなければならない
偏見だって言われるかもしれないけど、わたしの頭の中では少なくとも、女だからというだけでちやほや生かされてきた対価を払う瞬間がセックスなのだった
まあいいそんなこんなで、セックスができないわたしには、恋人を作る権利がない
いくら可愛くたって、アイドルにさえ対価を求める人間が一般人に「なにもしなくていい」なんて心の底から思うわけない(相手が病気の人は除く)
かつて付き合ってた人と、旅行に行く約束をしてたんだけど、予定日が近づくに連れて不眠とイライラと動悸が襲うようになり、直前になって行けないと言ったことがある
行ったら、からだを求められたと思う
断ることもできたと思う。でも横で眠るだけでもどうしても嫌だった。この時ばかりは、わたしなんかのために人生を使わせてしまってごめんなさいと心の底から思ったが、思っただけで旅行に行かなかった罪は重い
相手を傷つけてでもわたしはわたしがかわいかったのだ。恋人よりも泣いてる自分が可愛かった
理由を話さずにドタキャンしたわたしを、その人は責めなかった。わたしが人生で出会ったなかで一番優しい人だった
私は、自分で言うのも恥ずかしいが、世間的にイケメンの部類に属する容姿をしている。
新たな職場、紹介されて会う人、付き合いで行く飲み屋で隣の席になった人など、多くの人が自分の容姿を褒めてくる。
しかし私は、そのように容姿を褒められるたびに、恐怖感がある。
なぜなら、私は世間でイケメンとされる人達に期待されるような趣味嗜好や、性格、ライフスタイルを全くと言っていいほど持ち合わせてないことによる恐怖である。
私の容姿を褒めていた人達は、皆、私が恋人もおらず、出会いを求めるわけでもなく、普段休日一人でインドアに過ごしていることを知ると、衝撃を受ける。
そして、その瞬間から「自分が〇〇(私)の容姿を持っていたら、もっと色々するのに」などと言い始め、次第に、そうした方がいいと説教じみた会話を展開してくる。
私は、多くの女性と遊んだり、クラブに行ったり、お酒を飲んだりしたくないから、そうしているので他人にどうこう言われる筋合いはないと思うのだが、そう言われる度に、自分の顔面を全うしていない奴として相手の中で扱われるのかと思うと、とても悲しい。
それお前の感想だよね? どこでそう定義されてんの? wikipedia見るだけでも「エシカル・ヴィーガニズムが動物の商品化を否定し、あらゆる目的での動物製品の使用を拒否するのに対し、ダイエタリー・ヴィーガニズム(純菜食主義)は食事から動物製品を排除するだけにとどまる。また、エンバイロメンタル・ヴィーガニズムと呼ばれる別の一派は、畜産業が環境を害しており持続可能でないなどの考えから、動物製品の使用を拒否している」ってあるけど。
さらにもうちょっと調べると日本エシカルヴィーガン協会では「ヴィーガン (vegan) とは、すべての動物の命を尊重し、犠牲を強いることなく生きるライフスタイルのこと」と定義しており、大本のThe Vegan Societyのサイトには「Veganism is a way of living which seeks to exclude, as far as is possible and practicable, all forms of exploitation of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose.」ってあるね。
嘘つきなのか無知なのか知らんけどフカすのはやめとけ。
ミックスしたり、外したりするのがオシャレ。
だから、色んなコーデを楽しみたい私にはとても
ありがたい時代。
数少ない服でも、組み合わせしだいでいくらでもコーデは
今日は数少ない服でどうやって色んなスタイルを生み出すかについて
書いてみたい。
1、自分に似合う服を知っている
これはもう言うまでもなく、大前提でしょ。
特に色と形は大事で、どのテイストの服を買う時も、この二つだけは
死守してる。
2、どんな服にでも合う定番を揃える
どんな奇抜なものを合わせても受け止めるだけの度量がある
気分転換や好みの服はその後に付け加える
どんなコーデにも合う靴やバックなんて、どのコーデも
台無しにする気がする。。
例えば、黒いトートバックを私も長年愛用していたけど、
ある日ふと垢抜けないのはこのバックでは?と思って、やめた。
試しに白や明るい色味のバックを持つと、抜け感が出るし
季節に合わせてPVCバックや冬に敢えてファーのついたカゴバックも
オシャレだと最近気がついた。
靴も同様。
これ一足あれば、なんてものはない。
最低でも、
・サンダル
は必要!
5、コーデを決めるときはその日の予定に合わせて
スムーズ。
合わせるようにしている。
その割合は人によって違うけど、覚えておくと困らない。
掛け合わせるのは服だったり、小物だったりするけど、
そんな感じで日々調整しながらやっとります。
見たまんまの女じゃねえぜ、というアンチテーゼも込めて。
ずっと見た目で「真面目」「優等生」と言われ続けて
一人暮らししている普段は、勉強をしようしようと思っても、とにかく苦痛で全然できなかったんだが、
同じ家に人がいると、すんげー楽。
思うに、俺みたいに自堕落な人間は、一人でいるとダメなんだな。
努力を見てくれる相手(悪く言うなら見栄を張る相手)がいるとスイスイできる事が、一人だと面倒で苦痛でどうしょもない。心の支えが無い。
一人暮らしはした方が良いとは思うが、
5年も10年もは続けない方がいいな。
小中高が実家 → 大学が一人暮らし → 大学を出て社会人2年目か3年目辺りで彼女と同棲
って感じの推移が理想的な気がする。