はてなキーワード: ハーフとは
全体的傾向に基づいて属性の性質を推定しようとすることは統計的差別です
無自覚な差別への問題提起をする上で、当人がどのような人種であるかは本質的に無関係なので、ハーフであることを表明すべきではなかった
日本って普通に他国と同じくらい差別が蔓延ってるし、あんま自覚してないよな。
アジア系ハーフなのか、アフリカ系ハーフなのか、ヨーロッパ系ハーフなのかとかで扱いも露骨に変わるしな。
外国ほど暴力とかに繋がってないだけで、数とか自体はあんま変わらんと思うわ。
差別がなんでも悪いって話じゃなくて、無自覚なのが結構問題で、本人が無自覚に相手を傷つけたり失礼なこと言ってることも多いから難しいなと思う。
人種や服装での職質とかも当然だと思うし、別に不当だとは思わんけど差別の一種であるって認識は必要だと思う。
子供の頃から結構差別されてきてるけど、知能が低いほど生まれ育ちや喋り方による差別をしてて、社会的地位が高いと仕事や収入やコミュニティによる差別をしがちだなと思う。
きっちりやろうと思うとめんどくさくなり1週間でやらなくなる。
●プレイムーブ
・基本はデイリーレース、デイリーレジェンドレース、レジェンドレースのみのログイン勢
・チャンピオンミーティングで課金勢に勝つ事を目指してもメリットない&時間がかかるのでエントリー報酬だけもらってノータッチ
●石の使い方
・上記プレイで貯めた石をアニバーサリー毎に汎用人権サポートカードガチャで無料分と合わせて凸る
これをハーフアニバーサリーとアニバーサリーの1年くらいやっとけばだいぶサポカが揃う
・その後は適度にキャラクターガチャ回していればすり抜けが多いゲームなんでそれなりに揃う
繰り返しになるがこのゲームのポイントは真面目にめんどくさい報酬に付き合わない事。
やればやるほど「この時間をFGOとかブルアカとかに使った方がまだ楽しめたのではないか、アニメや漫画見ていた方が有益だったのではないか」と苛まれることになる。
「原爆被曝者・何世だから、「被差別部落」出身だから、朝鮮人だから、ハーフだから、このような差別に会った。社会の無理解や理不尽さ。悔しかった、悲しかった。あるいはこうして対応した。差別は許されない。」
…という文章はたくさんある。「道徳」の副読本であったり、人権授業で使われる読み物(「心のノート」とか)であったり。もっとわかる人向け(多分関西オンリー?)にいえば、「にんげん」みたいな読本などに載っている読み物。
ところで私は、この逆の立場の、差別を行ったとされる人々の気持ち、云わば「逆・にんげん」を読んでみたい。
差別や理不尽さというのはすべて人間が生み出しているものだが、果して(近)現代の人間の中で、人権と、差別との「妥協」はどのように行われているのだろうか。
一体どのようにして、差別の正当化と、その追認が行われているのだろうか。知ってみたい。
それももちろん何か差別の悪を糾弾するとか反面教師や皮肉としての読解ではなく、自然な文体としての体験談で読んでみたい。
「娘が誰かと付き合っている。結婚するかもしれない。うちは名家だ。興信所を使って相手の素性を探ろう。それみたことか、「部落」だ。ダメだダメだ、結婚は絶対に認めない。これでウチは安泰だ…。」
「原爆はダメだ。直接の被曝もダメだし黒い雨の被曝もダメだ。実際に被害の惨状や何かを見たわけではないが、とにかくダメだ。奇形児が生まれるかもしれない。病気をうつされる。こういうものは収容所に閉じ込めて二度と出てこないように」
みたいな文章になるのだろうか。差別は原始的かつ素朴な感情から生まれるとはいっても、もっと複雑な何かがあるはずだが。
ここまで書いてみて、ヤフコメとかまさにこのはてな匿名ダイアリーも絶対そんな部分があるよな、と思ったが、なんというか作為や露悪、学級会的な目配せもかなりありそうなので、何とも言えない。
国会図書館デジタルアーカイブなどで戦前の書籍などを探れば、より平然とさも当然に行われる差別とその正当化が現れてきそうだし、大きな参考になりそうだが、私としては戦後の・建前上は完全に民主主義社会に染まってる人々の思考を探ってみたい。
なぜ、あなたは近所の知り合い、子どもの結婚相手、就職してくる相手の出自や素性を知りたがり、そこに何かを見出したがり、そしてそれを排除したがることで安心したがるのかを。
それが明らかになることで…つまり何かそれを巨悪の告発などではなく、ただ反対の立場になっただけの「読本」として目に出来るだけで、道徳や人権などの教育はさらに一皮むけると思うのだが。
先日デパートを歩いていたら、真っ白い髪の子供を抱き上げた母親らしき女性が目に入った
髪は肩くらいの長さで真っ直ぐで、ノースリーブの服から覗く腕も真っ白と言っていい白さだった
最初は人形か?とも思ったが、その子は動いて女性の頭に触ったりしていたので明らかに人間の子供
最初に見た時は後ろ姿だったけれど、そのうち前を向いたのを見たら睫毛も真っ白
仮に夫が白人だったとしてもああはならないだろう
という事はアルビノ
いいなぁ~、物凄く羨ましい
羨ましすぎる
運良く白人男性と結婚出来てハーフの子供を産めたとしてもああはならないだろうからな~
本当に幸運で羨ましすぎる
しかもアルビノって肌が弱いとか視力が弱いとか聞いていたけれ眼鏡とかもかけていないしこの炎天下でノースリーブって事は日焼けの心配もなく
女性はニコニコしてこの上なく幸せそうにしてたから、あれがアルビノの子供を産んだ勝利宣言なんだろうなって思った
いいなー本当に最強過ぎる
やめた。
私、貴方を愛することをやめた。
配信者、というのは、厳密にはVtuberのことなんだけども。
なんでリアコになったかって、相手の身の上話に共感できてしまう事、それによってその見えもしないひととなりを「わかる」とか思ってしまって、
全部自分が作り上げた虚像でしかないのに、それを「1人の生きた人間」として見てしまった訳ですよ。
不味い、長年全てがフィクションで出来た二次元と向き合っていたせいか、相手が生きている人間だと認識できると、「ある」「ありえる」可能性を見出してしまい、
いやありもしないのに、***脳内で勝手にPretenderを流し始めてしまう。***
もっと違う設定で、もっと違う関係で、出会える世界線選べたら良かった、じゃないんだよ。ないんだっつの。
それを冷静な頭のどこかで認識しつつ、それでもワンチャン…と引き摺ってしまうのが「相手が生きている」事実があるゆえに起きえる事象で一番怖いと思う。
これを言うと企業単位でバレてしまうとは思うんだけど、毎月ボイス出るって何?グッズも出るの?それでコミュニケーションも取れる?
Vtuberと上手く距離感を保って継続して推し続けられてる人本当にそのコツを教えて欲しい。
ファン人口が多いから、何かしら愛を示すにあたって「人と比べてしまって辛い」というのは確かにあるポイントだと思うが、正直いまはちょっとそれに感謝している。
だって担当を降りた理由にはそれもあったよ。あとは単純にお金がなかったから。
やめてなかったら私今頃破産していたな、と結構身に染みて思う。
そういう状況のリアコから、そういう理由でリアコをやめたの自体は結構前で、推し始めた時新人だった推しは今では1周年を迎えた。
ハーフアニバを迎える前にやめたから、半年以上は経っている事になる。
じゃあなんで今更これを書いているのかという話になるわけですが、グッズを売ったからです。
本当に”積む”人には敵わないが、数千円で売れるくらいのグッズは持っていた。それを売った。
そうでもしないと一生「もうやめた」と言い切れない気がした。
結局過ぐには言い切れなかったけど。
誰かを好きになることに不幸のレッテルを貼りたくはない。
それでも忘れて、置いていくべき恋心だった。愛だった。
あと冒頭で結局推しに呼び掛けてしまっているのが、***我ながら未練たらたらでいい加減キモい。***
だからこの記事を書いています。全部ここに捨てて置いていく為に。もう呼びかけない。もう想わない。
これをはてなにあげたらどうなるんでしょうか。
ただ流れていくのか、怒られるのか、キモイと言われるのか、褒められるのか、ちょっと気になります。好奇心だね。
では、ご清聴ありがとうございました。
バーが海外で栄えてるのはバーがマッチングアプリだからなんだよ
やりたい男はバーで女を捕まえて種付けする
実際、日本でも繁華街の陽キャの集まり的なバー絡みでハーフが腐る程生まれてるしさ
32歳女。自分の好き嫌いはどうでもよくて、自分に似合う格好をしたい気持ちが最近強くなってきたんですが、どうやって見つければいいのでしょうか……
子ども産んで育児にてんやわんやしてるうちに30代に突入した。生活の中心が子どもになったら、良くも悪くも自分への興味が薄れて、自分の好きな格好をしたいと思わなくなってた。それよりも、周りからみてちゃんとしてるって思われる格好をしたい。そんで機械的に判断して最小の労力でそれを実現したい。シンプルに身支度にかける時間がない。
やっぱり最初は金かけて、骨格、パーソナルカラー診断やメイクレッスン受けたり、スタイリストに依頼したりプロに教えてもらって、自分のファッション取説を作ってもらうのが手っ取り早いんだろうか。今までファッションにそこまで強い興味もなく労力かけてなかったから、雑誌見て研究したり、試行錯誤の中で自分に合うものを見つけたりみたいな経験も全然ない。なんとなく好きに適当にやってやってきてしまったから、ほんと手の付け方も分からない(思えば10、20代のほとんどはファッションにかける金もなかったのも大きいかも。今は正社員なれたから、育児してるとはいえ金銭的に投資するゆとりは少しできた
合理的に自分のファッションを組んでる人いたら、どうやってその境地に至ったのか教えてください……ここらで一念発起しないと一生やらない気がする。
あ、一応、自分で認識してる限りの特徴置いておくので、オススメのアイテム・ブランド・テクニックなどあったらぜひご教授をーーーー!!
質問は
子供の「なんであの人は黒いの?」との問いかけに対する説明なのか
推測するに後者のようだが
あのさ
「なんであの人は黒いの?」って子供が言ってもいいんだよ
子供にしてみりゃ奇異に映るのは当然でそれを口にしてはイケないと教えるのは差別意識の刷り込みにしかならない
「人種が違うから、南国に住んでいる人は環境に適応して肌が黒くなった
日本ではあまり見かけないだけで世界にはいろんな肌の色の人間がいる」
触れなかったら差別にならないというのが日本人の差別行動に対する欺瞞
「皆違って皆良い事を上手く伝えたいと思ってます」
と保険かけてるのが更にクソ
私は差別主義者ではありませんよ、でも子供には異国人には関わらないように教育したいです
透けて見えるんだよカス
ピッチ脇の気温42度を記録する中で横浜F・マリノスユースに3-0で大勝した大分トリニータU-18とともに、九州勢の好調が際立った。
……
全会場が気温35度を超えるという酷暑の中で大会が行われているため、当初の40分ハーフから35分ハーフに試合時間が短縮。その時間帯の暑さ指数(WBGT)に応じ、1分間程度の飲水タイム、3分間程度のクーリング・ブレイクを前後半に取り入れながら試合を進行している。
https://web.gekisaka.jp/news/clubyouth/detail/?250254-250254-fl
横浜F・マリノスユース-横浜FCユースは、伊勢崎市華蔵寺公園陸上競技場(午前8時45分キックオフ)で行われ、横浜マリノスが後半アディショナルタイムの得点で1-0で劇的勝利を手にした。その公式記録の気温が、なんと「44・0度」だった。
https://www.nikkansports.com/soccer/news/202307270001066.html
一方で、過酷な状況下で行われた試合もあった。今月27日午前8時46分から開催されたクラブユース選手権ラウンド16の横浜F・マリノスユースと横浜FCユースの一戦(会場は群馬県・伊勢崎市華蔵寺公園陸上競技場)では、気温44度を記録する中で試合が行われた。
また、この日群馬県内で気温40度以上を計測した試合は前述した1試合を含めて計6試合あった。生命の危機に直面する可能性がある状況下での試合開催は、ナンセンスの極みだ。
…
同情報サイトによると、WBGT=31℃は気温(参考)35度以上と書かれている。JFAの熱中症ガイドラインには、このWBGT=31℃が試合開催可否の基準となっている。だが、今月27日に開催されたクラブユース選手権の6試合は気温40度以上を計測している。
横浜FMユースと横浜FCユースとの試合では、試合前のWBGTが32.2℃(ガイドラインでは試合を始めていけない基準を超えているが…)で、ハーフタイムは33.3℃を記録しているため、明らかにガイドラインから逸脱した気温下で試合が開催された。
https://qoly.jp/2023/07/31/0m86r2up-heatstroke-risk-column-uta-1?part=2
私はアメリカ在住のハーフなのだが、この前書いた日記を書いた時に「日本人的な感覚がある自覚があるなら日本に行きゃあ良いじゃないか」と指摘されたり、ついでに「弱者男性だな」とか言われたりしたので、自分なりに何故そんな奴が日本に行かないのか書いてみる。
ただ、結構色々な気持ちが混ざり合った故の結論なので、かなり自分語りをさせてもらう。
まず、私は大学に入るまで家庭的に日本に行ける様な環境ではなくて、それが変わった大学入学当時はアメリカ社会に馴染めず結構病んでて自分は英語のコミュ力がないと勝手に思い込んでいた。
今思うと、周りに日本人がいない状態でアメリカのテレビやゲームに全く興味を示さずにただひたすら日本のメディアを堪能していたわけだから、他人と趣味が全く被らずこうなるのは必然だった気もするが、当時は日本ツイッターのオタク文化に感化されて自分の好きなものに正直に向き合うのが正義というメンタリティーだったのである。
このオタクの方向性が深夜アニメとかだったらまだWeeb(日本かぶれ)と話が合うのに、私の場合は藤子不二雄とか主に任天堂系のレトロゲームという日本でも同世代じゃ結構珍しい趣味をしていたので、この方向に突き進めば突き進むほどアメリカ人と何の話をすればいいか分からなくなっていった。
別に趣味が合わなくても話術で話を合わせる事は全然可能なのに、当時の自分はそれがわかっておらず、勝手に遠慮して勝手に世間から孤立していた。
高校時代の私の陰キャっぷりの凄い簡単な例をあげると、ある時ウメ星デンカの文庫版(おすすめです)を授業の自由時間に読んでいたら、向かいの女子に
「それなんの漫画なの?」と聞かれ、私はこんな英訳もされてないクソマイナーな漫画をどう紹介すればいいんだとテンパり、あと読むの邪魔すんなって感じで
ちょっと不機嫌気味に「50年前の漫画だ」と言ってそこで会話が終わった(笑)。我ながらこんな奴と絡んでしまった彼女が気の毒である。
今なら「これは凄い昔の漫画なんだけど、今読んでも結構面白いんだ。君も漫画とか読むの?」という感じで、上手くはなくても最低限のコミュ力と礼儀は取れるが(まず前提として公の場でウメ星デンカなんて読まないが)、この当時の私は本当に自分から周りを突き放すダメダメな奴だったのである。
そんな感じで生活していると当たり前だが友達もあまりできず、自分は既存の日系人の友人数人としか自然に話せないコミュ障なのだと思っていた。
そして、その少ない友人等を失うのが怖くてどこか遠い場所に行く留学に対する勇気も夢も抱けず、実家から車で20分程の距離にある州大へ入学した。
こんな感じの入学経緯だったので、学業自体は真面目にはやっていたが、コロナ禍もあり大学デビューのチャンスもなく、ただ無気力に生活していた。
が、去年の春にコロナ禍授業が終わり、冬に日系人サークルが自分の大学にできて私の大学生活は大きく変わった。
このサークルの人とあっという間に仲良くなれた事で自分は日本語ならマジで誰とでも喋れるって事がわかり、そこから皆と頻繁に飲みに行ったり、春休みに男女グループで旅行したりと普通の大学生に少し近づけた。
後に、出会った時はそういう目で見てなかった女子に気づいたら初恋を抱いたりしていて、最終的には(告白したら本人如く半年後に日本に引っ越すという理由で)振られたけども一緒にデートも何回か行ったりした事で無気力が結構改善されて、人生もっと頑張ってみようとか思えた。
大した事ないかも知れないが、この学期の前学期に「おお、俺女子と普通に喋れてるよ」と思ってたレベルのヤバイ奴だったので、そう考えるとこれでも大躍進なのである。
それ以外にもちょくちょく日本に行っては普通にリアルな日本人とかと知り合って楽しんだりしているので、今の自分なら日本に留学したり一人暮らしする勇気は全然あるしその方が楽しい気もすると思うんだけど、決定的に今の自分に日本はまだ早いと思える出来事があった。
それは、この前彼女を含んだ大きなグループで英語を話すことになって、その時に全く参加できないのはカッコ悪いなって理由で自然と話す勇気が出て、その時に自分は英語ができないという思い込みの呪縛から抜けられたのだ。
そして、その時に私はこのまま日本に行ったらそれは英語ができないダメな奴のままな自分から逃げる事になると解釈し、ここで終わっては勿体無いと思えたのだ。
こういう理由から今の私は日本には行かずに、呪縛も解けたしで、アメリカでもう少し頑張ってみようって感じなのである。オール英語のバイトでも周りとカジュアル面である程度馴染めているし、大学は今夏休みなので何もないが、過去の自分にはできなかった、「大学が楽しみ」という感情まである。
それに、留学するなら日本という慣れている所ではなく、中国とか韓国とかに行って語学留学した方が辛かろうがよっぽどタメになりそうだ。
最近の趣味は語学勉強と読書で、過去の趣味はまだ普通に好きだが実質卒業したと言っていいくらい触れてない。
そして、これはあくまでも個人なりの解釈だが、私はもうオタクではない。
本当のオタクは趣味の分野が取り上げられたり禁止になったら死ぬ程抵抗するという認識だが、私は必要ならば趣味を切り捨てられる。
娯楽は自分のアイデンティティ自体では無いし、それよりも私の心を動かすものがある事を知れたからだ。
最後に、世間一般から見れば私は所謂弱者男性に該当するのだろうが、私としてはだったら強くなれば良いという考え方だし(そもそも今の私は強者とはいかずとも自分を弱者だとは思っていない)、無気力ながらこれまで真面目にやってきたおかげで積み上げる為の土台はしっかりしている。それに、世間からそう思われているからという考えを言い訳にして行動を躊躇していたら何もできない。