はてなキーワード: ハードカバーとは
○夕食:台湾まぜそば
○調子
はややー。
おやすみですね。
月曜日から忙しくなると思うと憂鬱で、お布団でむっきゅりしていた。
普段よく言う意味のむっきゅりは、ネトフリでコメディを見るという意味なんですが、
まあ、たまにはこういう日があってもいいでしょ。
それと、久々に小説を読んだ。
ハードカバーで買ったのに5年以上積んじゃってた。(ソフトカバーか)
正直、読んでてて辛くなった。
僕は擬似家族モノはたまらなく好きなんだけど、好きだからこそ、こう反動というか、期待しすぎてしまうというか。
フィクションに過剰な期待を求めるの良くないくせなんだろうけど、どうしても、彼女達が幸せであってくれと、願うがあまり、感情移入をしすぎたかもしれない。
悲しいお話だった。
○グラブル
セラフィックウェポンを火水土風全部星三にした。
○朝食:パピコ
○間食:なし
○調子
「ゆうきゅー!」だったので、むっきゅりすごした。
午前中は、見知らぬ土地を散歩したのだけど、散歩して行くと見知った土地に出てしまいかつ、嫌な思い出があった場所なので、そそくさと地元に帰ってきた。
ハードカバーのときも読んだので二回目なのだけど、話の筋をすっかり忘れていて、楽しく読めた。
竹本健治熱が非常に上がったので「さんれんきゅー!」の際には、ウロボロスシリーズが文庫と新装版で出ているので、それをまとめ買いして楽しもうと思う。
安い店なので、クオリティはそれなりーなんだけど、レバーはとても美味しくてレバーばかり頼んでしまった。
お仕事がんばろー!
○ポケとる
マンスリーピカチュウを受け取って、これで残る未捕獲ポケモンはマーシャードのみ。
ラストかあ……
寂しいね。
○朝食:御福餅四つ
○昼食:御福餅四つ
○調子
むきゅー!
さすがに、それだけで1日が終わるのはもったいなかったので、小説も読んだ。
ハードカバーのときにすごい話題になっていて、文庫になっていたので購入。
特に最後の方の畳み掛けるかのような掛け合いは、まさに僕の理想形のミステリであり、理想形の小説で、
今更そんな道を目指しはしないけど、もし僕が小説家になるならこういう作品を書きたいなあと強く思った。
いやほんと、まじで凄かった。
こりゃ賞を総なめするのもよく分かる。
不勉強で、この作者の作品はデビュー作しか読んでなかったので、他の作品も読もうと思う。
あー凄かった。
もうそのね、好きな作家はたくさんいるけど、こういう文章をかきたいと思わせられたのは、この人が初めてかもしれん。
(作家と呼んでいいのかわかんないけど、同人作家の天野大気さんをそう思っている…… かも?)
7面クリア。
レアコイルを育てたけど、良い。
そんなに買っているつもりはない、のだけど大学時代から同じ家に住み続けて15年ほどたつと流石にあふれてくる。2000冊以内…くらい。多分。
いい加減整理しようと思って本棚やダンボールをひっくり返しているのだけど、どれもちょっと気になって捨てられない。明らかに情報が古い本でも「この頃は、このように語られていたんだなあ」というのが見えて面白い。捨ててしまった瞬間に「あの頃の言説」を忘れてしまいそう。そしてネットの海の真偽不明のソースで調べ直しているうちに「そんなことを語られていたような気がする・・・こうだったような気がする・・・」とどんどん記憶がうやむやになって「あの頃」が書き換わって行く気がする。いや、まあ今ここに本として存在しているものに記載されている中身だって、その論壇の中にいるうちの一人の主張、でしかないから、それをもって真とできるわけではないんだけど。
『官邸主導 小泉純一郎の革命』(2005)、『脱フリーター社会 大人たちにできること』(2004)ただいま絶賛問題継続中な話の一昔前のまとめを今読みかえすと学生当時読んだ時とは別の感慨がある…。『不美人論』(2004)というゆるい対談式の本パラパラ見てたら「ブスとオカマは差別してはいけないという社会コードがまだない」という記述があった。たった14年前でそうだったんだっけ…このへんのポリコレはここ10数年で本当に急激に変化をしてきてるんだよなあ。
あとは高校の教科書も色々持ってきてしまっているんだけど捨てがたい…山川歴史のやつ学校で使う普通の+自分で買ったハードカバーのごついばん+用語集セット並んでると気持ちいい…参考書も数学の青チャートとか好きだから置いておきたい…あと科学や社会の資料集とかいいよね…大学時代の教科書も今その専門は仕事にしてないから要らないんだけど1冊数千円するし情報更新しなきゃいけないとこ以外の基礎部分のは置いときたい…となると結局あれもこれも…あれもこれも捨てたくない…
新しくない新書…一昔前のムック本…小説…きっと読み返さないけど…思い切れない…
一方で一番好きであった所の漫画は、意外と思い切りよくばさっといける。なぜかというとすっかり電子書籍派になってしまったため、そっちで自分の生活の一部になっているから。電子書籍でなさそうなの残してあとはスッキリさせられそう。
途中の駅で図書館のバーコードがついたハードカバーの本を片手に小汚いおっさんが乗ってきた。
自分もおっさんも混雑のため立っていた。(自分が斜め後ろに立つ位置関係。)
おっさんは上着の内ポケットからiPhoneを出してロック画面を少し眺めていた。
(自分はこの時、このおっさん、時間を確認したのかな と思った。)
そのあと、電源ボタンを長押しして電源を切っていた。
(え? と思った。)
なんで電車に乗ってすぐのタイミングでスマホの電源を切る必要があるのか。
おっさんはその後本を読みふけっていたし、時間つぶしの観点ではスマホが不要だったことはわかる。
でもなんで電源を切ったのかはよくわからない。一応以下が自分の考察。
・もう帰路につくだけであって、特に連絡がない又はする必要がないから電源を切った。
・バッテリー残量がやばかった。
・仕事等、退勤したのに、又は休日に入ったのに連絡をして欲しくなかった。
一つ目の理由だとすればおっさんは小汚いし、独身で誰とも連絡を取る必要がない状況にいつもあるのかもしれない。
本日の外出が終わってもう自分の世界、自分の時間を過ごすだけだからスマホは必要なかったのかもしれない。
なんか寂しいような、理にかなっているような。
気持ち悪がられても良いから、酔ったフリでもしておっさんに聞いてみてもよかったかもしれない。
いや それは言い過ぎかな。
https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。
大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。
それだけじゃ何なので、掲題通りである。
一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。
小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。
低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。
その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこまごましたものが特集されていた本だった。
ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。
不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。
自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。
なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。
きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。
あとすべり止めで受けた私立高校の入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。
そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。
なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。
勉強はあんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。
当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。
ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10冊前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。
多感なお年頃なので、性描写のあるものに出会うと成人指定の境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業したかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)
野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。
後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。
地元の公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。
アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品の初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)
同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。
学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。
その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。
ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。
森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。
お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。
ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。
大型書籍は比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。
専門書も同じく時が止まっていた。
半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。
卒業後も利用できるということだったが、生憎地域の図書館の方が便利であった。
今につながる本の思い出。
急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館は存在してくれればいいなと思う。
読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。
ひどいようだがそんなもんだよなと思う。
あるときブログで家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。
家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。
教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。
面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)
それだって、きっかけは耳をすませばだ。(個人的な気質はあるにせよ)
こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。
作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。
もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。
ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭の先生方には感謝を伝えたい。
思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。
期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。
エロゲに限らず、活躍の場所を求めて降りてきたクリエイターと、背伸びしたい年頃が出会ったときに波が生まれるんだよ。
なので何事にもタイミングってのがある。運といってもいい。
古くは映画でもロマンポルノってのがあった。普通の映画は撮らせてもらえなかった監督がそういう場で活躍した。
文庫だってそうだ。普通のハードカバーを出せない作家が雑誌連載から文庫というパターンもあった。
アニメもそう。映画をやらせてもらえない人がアニメなら…でヒットメーカーになった例は多い。
エロゲはアニメや映画、メジャーシーンをやれる資金がない人が活躍する場になったことがある。
ニコニコ動画だって、インディーズでも出せなかった人が活躍する場所として活気が溢れた。
ソシャゲもそうだった。
どれでもそうだが、成熟したシーンにあとから乗り込むというのは、ハードルがすごく上がってる。
今はとにかくそのサイクルが早い。あっという間にハードルが上がってレッドオーシャンになる。
エロゲはまだ長く続いている方だ。
でもなぜか覚えてるのは、一緒に図書委員になった子と朝早い時間に肛門に向かって走ってることだ
先いくよーwといいながら楽しげに走っていた記憶がある
中学生ではブラックジャックとブッダとはだしのゲンを読んでいた
高校ではラノベがたくさんあってリクエストしたらそれを入れてくれたからめっちゃ入り浸った
運動部だったのに昼休み図書室いったりして3年間で300冊くらい読んだ
部活帰りの駅で分厚いハードカバー版の模倣犯読んでたら、部活のキャプテン(脳筋系)が、「よく部活の後にそんなん読めるな」とあきれたように言ってきたのを覚えてる
行きの電車は英単語の小テストの勉強、帰りの電車は読書がおきまりのパターンだった
いさかこうたろうとかおんだりくとか
でもその友達に西尾威信すすめたら絵が萌えだからよまないといわれてがっかりした
が出始めたころでクビキリサイクル面白いとすすめたけど絵が・・・といわれて読んでもらえなかった
いつもマスクをしていてなんとなく活気がない感じだったけど、本の話をするときは目がキラキラしてた
そう伝えるとうれしそうにしていた
でも司書とかの方向には進まなかったのはなんでだろうなー
○昼食:なし
○調子
はややー。
天気がよかったので、お散歩してた。
散歩の途中で寄った本屋さんで、急に物欲が刺激されてしまい、クレジットカードで色々お買い物をしてしまった。
特にでかいのが、似鳥鶏ってミステリ作家の市立高校シリーズを7冊まとめ買いした。
四巻ぐらいまでは読んでたんだけど、表紙が新しくなってるし、実家に置きっ放しだしなので、買い直した。
それと、青崎有吾の裏染天馬シリーズの文庫版を2冊購入、ハードカバーでも持ってるけど欲しくなっちゃた。
ただ、3冊目以降は売ってなくて買えなかった。
月曜日に仕事行った帰り道に大きい本屋さんがいくつかあるから、そこに寄って買いたいなあ。
いや、鬱になってから小説の本は読めなくなってたんですけど、この間は古典部シリーズを6冊一気読みするぐらいには読めるんだよね。
なんだかんだで、お仕事も11月から初めて1年以上たってるし。
けど、未だに薬は手放せないし、月に一回ぐらい体調を崩してるけど、
それでも、やっぱり、お仕事を1年続けられて、本も読めるようになって……
さすがに「これも全部増田のおかげです」みたいな綺麗事を言うのは寒いけど、
でも、少しはこうやって自分の気持ちを文章にして、誰かに読んで貰えて反応をもらえることが、支えになっていた。
かも。
この日記を書き続けて、けっこうな年月が過ぎてて。
でも、なんとかかんとか、少しづつだけど、良い方向に進めている気がする。
多分、また調子の良い時と悪い時があって、きっと悪い時もくるんだろうけど、
そこまで極端な振れ幅で落ち込まないんじゃないかなあ、落ち込んだとしても回復が早くなってると思いたい。
なんか、最終回のポエミーな感じになっちゃったけど、今後もダラダラと続けていこうと思います。
特に目標とか目的もないし、なんなら他人が読んで面白いものを目指そうっていう気持ちすらもあんまりないけど、
楽しくゲームをして、楽しくお仕事ができて、楽しくご飯を食べる。
そういう、自分にとっての楽しい気持ちを集めていける場所にしていきたいです。
そして何より、この、はてな匿名ダイアリーが大好きだって気持ちを、ずっと大切にしたい。
とかなんとか良いこと書いた直後にあれなんだけど、今日は散歩と読書ばっかりでゲームはあんまりしてないんだよねー。
デイリー要素のみ。
未プレイ。
ログボのみ。
○ポケとる
悪ポケ全捕獲を目指して頑張り中。
未捕獲:39
捕獲済:35
現時点で最後のメインステージ登場悪ポケはシザリガーの527なので、あと227ステージ。
Sランク取得は110と少し。
現時点で最後のEXステージ登場悪ポケはサザンドラの400なので、あと290ステージ。
ログボのみ。
先月のシルバーウィークに有給含めて1週間のデジタル断ち旅行をしてみた。
旅行といっても、とある僻地にあるグランピング施設に泊まるってだけなんだが、
とにかくスマホとPCなど一切のデジタルガジェットに触れない、という企画旅行だった。
ちょっとググれば出てくるので、ステマと思われるのはイヤなので具体名は明かさないでおく。
そこは当然ながらWifiも飛んでいないし、スマホの電波すら怪しいレベル。
スマホとPCは受付で預けていて、どうしても連絡する必要があるときは受付にある電話かPCを借りるしかない。
(ちなみに、外部からも受付に電話をかけることが出来、その電話番号は告知されているので、緊急連絡は可能)
最初の1日目は地獄だった。具体的に言うと、退屈地獄だった。何をしたらいいかわからない。
普段いかにスマホに依存しているかよく分かる。ヒマになるとすぐにスマホを覗いていたわけだ。
ただ、ヒマになると面白いもので、周囲の色々なものに関心が出てくる。普段なら興味も持たないことだ。
例えば、周囲の自然や空の青さ、風の匂い、鳥の鳴き声、夕焼けの切なさ、月の明るさ、夜の静寂。
自分を取り囲むすべてのものがとてつもなく魅力的に感じられる。
古代の人たちが自然を歌に詠んだのは、こういう感性があってのことなんだな、と気付けた。
ただ、それらの写真を撮りたい衝動に何度も襲われたのには苦笑させられた。
2日目になると早くもスマホへの依存は薄まり、朝はしばらくぶりに快適な目覚めだった。
その日は雨だったが、雨音は読書中のBGMとしては申し分なく、ハードカバーの小説を一気読みしてしまった。
3日目以降になると、もはや驚異の体験。思考が驚くほどクリアなのだ!
次々と新しいアイデアが湧いてくる。仕事のことはもちろん、これからの人生の進路についても色々と有意義な思索を巡らせた。
今まで答えが出てこなかったものにも、「これだ!」と言える答えが次々と湧いてきて、知能指数が上がったような錯覚すら覚えた。
一日のうち、午前中は外でアウトドア活動を満喫し、昼下がりから思索をノートに書き連ねる日々を過ごした。
いつも寝る直前には適度に疲れを覚え、ベッドの中で無駄な考えをすることもなく、スッと寝入ることができた。
普段は睡眠薬に頼り切りだったので、これは驚くべき効果だった。
最終日、自分はもはやスマホの存在を半分忘れていた。そういえばそんなものもあったな、という気分。
受付で手続きを済まし、預けていたスマホとPCを受け取るが、電源を入れてみる気も起きず、そのまま帰途についた。
自宅に戻ると一気に現実感に引き戻されるような気がした。
スマホに電源を入れると、LINEとメールに大量の着信があり、それを見て思わず苦笑した。
ああ、またリアルに戻ってきたな、という実感。もはやネットもリアルの一部なんだな。
旅行から1週間くらいは普段よりも身体も思考も快調な状態が続いたけど、やはりしばらくすると元の状態に戻ってしまった。
でも、デジタル断ちすることにより、いかに人間が本来の能力を回復できるのか知っただけでも収穫があったと思う。