はてなキーワード: ディベートとは
・シス女性アスリートがトランス女性アスリートと切磋琢磨しさらなる高みを目指せる
・発達障害者が無理矢理働かされずにすむ
・健常者も障害者も同じ教室で助け合い学び合いサバイバルスキルを身につけられる
・授業内容を全く理解できない児童も共に学ぶ大切さを実感し鍛錬を積める
・女性たちが肌を隠せるようになる
・欧米を見習おうとした明治時代の先人たちの正しさが改めて実感できる
・ホームレス暮らしを謳歌する男性と同じく女性も児童も不審者のいない路上でのびのびできる
・妊婦さんたちが外野の声を遮断し本当に産みたい子だけを産めるようになる
・出産直後でも好きなだけ働ける
・田舎のしがらみから解放され都心で好きなだけ子育てに勤しめる
・男性同士が愛し合うマンガ作品が普及し同性愛の男児が勇気づけられる
・都会のみならず農村でも工場地帯でもさまざまな地域の外国語を学ぶ機会が増え多様性を実感できる
・進学したくもない大学に無理に行かなくてすむ
・アジア系アメリカ人が大学入試でチャレンジモードにチャレンジできる
・ユダヤ系ドイツ人とアラブ系ドイツ人が人目を気にせずガチンコディベートできる
・ドイツやスウェーデンなどの移住先でも自国自民族独自の司法文化や婚姻文化を実践できる
・沖縄に住むアメリカ人の子どもたちが日本人の大人からひどい言葉を浴びせられなくなる
・好きなキャラクターの肌を黒く塗ったファンアートをたくさん鑑賞できる
・同じ肌の色の人々が作った文化を自分たちで独占し流出拡大を防げる
・時効をなくせる
・友好国の軍隊同士でじゃれあえる
・おまわりさんが当てにならないことを学び市民が自分たちの手で課題解決する力を身につける
・おまわりさんがジェンダー論の主張を受け入れてくれる
ルックバックの件についていろんな反応が自分の中でもやもやしたものがあるので整理する。
・作者が明言していない以上そのような意図はなかった。
→明言していようがいまいが内心として何らかの意図があったかどうかは本人にしかわからない。個人的には作者には差別的な意図はなかったと思う。デンベレやグリーズマンも差別する意図は本当になかったんだろうなと思う。意図と差別であるかどうかは別。差別の定義って明確になってないと思うので毎回議論が発生するんだろう。激ムズだからそうそう誰もが納得しうる結論は出ず、喧々諤々やってくしかない。
あと、ルックバックに批判的なエントリに対して、そのエントリに書いてないことをあたかも書いてるかのように解釈して批判しているコメントもあり、書いてないことに対しても想像で意図を補完するのは当たり前だよなあと思った。そして嘘もつけるのだから内心について明言していたとしてもそれを信用できるかは別の話になる。これは誰にでも言える話。これも双方向コミュニケーションなら一個一個確認しながら進めていけば建設的な話になるかもしれない。ただ、ディベート的に勝利したい目的の人がいるとあらさがしと印象操作に時間が使われて建設的ではなくなるけど。まあはてブは建設的な議論というよりいろんな視点を確認できるというのがめっちゃいいところだと思う。
→ヘイトスピーチについては制限を受ける。ルックバックは個人的には表現の自由の範囲内と思う。かきなおしまでする必要はないと思う。(あの漫画において該当の場面をかきなおしたところであの漫画上特段マイナスはないようには思うけど。)
・作者の意図しない解釈をもとに問題視や難癖をつけるのはクリエイターを委縮させる
→作者の意図しない解釈も当然あり、個人がどのように受け取ったかを表現することも表現の自由である。多様な解釈の表現を批判するのも自由であるがその批判は個人の表現を委縮させる点では同じでありクリエイターであるかそうでないかは関係がない。ヘイトスピーチや誹謗中傷をのぞき表現の自由は確保される。
→規制についてはヘイトスピーチ・誹謗中傷をのぞけば同意。キャンセルの要求については登用への不快感の表明や個人的な不買の意思決定は個人の自由であり、それを考慮したうえで登用したり登用をやめたりするのは結局自由としか言えないと思う。この点はたしかになにか危険な動きのような感覚もあるが具体的にどこまでが?とかじゃあどうする?とか整理できてない。
また、そもそもルックバックについて規制までは求めている声は少ないように思う。が、やはり内心としてどのような意図があるかはわからない。
というか、規制を求めること自体は悪いことではないか。それに対して反対することも。結局は投票とかそういうときにしっかり意思表示しましょうということか。
自分がどのような印象をうけたかと他人がどのような印象を受けるかは違うのは当たり前で、例えば差別を助長するか否かという点では「俺はそうは思わなかった」は差別を助長しないということにはならない。
その表現で偏見を持つ人が増えるかどうかが大事と思う。もちろんそれをゼロにしろというのは無理だと思う。だから規制するのは極めて慎重にすべきで、それを補完する意味で影響力の大きいもにに対する批判は積極的になされていいのだと思う。それで個人の想像力を補うことができることもあるから。
自分がルックバックを子供の時に読んでいたら差別的な感覚を意識的にも無意識的にも持たなかったかというと絶対大丈夫とは言い切れない。
自意識が肥大化して性別の都合のいいところとだけ合体してる人、それをネットで開陳してる人がツイフェミと弱者男性だろうなぁ
というか若いやつはたいてい自意識めちゃでっかいしスマホ握って毎年数十万人参戦してくるし本当大変ですね
このところ特に顕著になってきているのが、早い段階で攻撃的なコメントが星を集めてから、その後にID付きの反論コメントがついて星を追い上げるパターン。
じゃぁ反論コメントに良識があるかというとそうではなくて、それはそれですごい極端な意見だったりする。
それが何を意味してるかというと、いまのはてなでは思慮深く多角的に物事を捉えられているコメントが誰の目にも留まらない状況になっているということ。
つまり、どっちがくさいうんこ投げられるか大会の会場に成り果ててしまった。
勝手な想像だけど、今まで他のSNSでイキってたようなガキンチョ(世の中ではいい大人と言われるようなやつら)が流れ着いてきてる感が強くて見てられないんだよね。
先日、古参のはてな民がいなくなってるというやりとりが何ターンか続いてたけど、運営がこんな状況を野放しにしてたらそりゃそうだろなって思う。
ましてはHAGEX氏の事件があってからこうした状況は沈静化していくどころか加速していく一方にしか思えなくて、もしかして運営無能なんじゃない?っていう気持ちしか湧いてこないんだよね。
最近も国語力の増田とかを吊るしてるのを見て、ユーザーもユーザーで勉強しないなって不安になったばかり。
日本死ねが国会まで行ったことに運営は喜んだのかもしれないけど、あの辺がターニングポイントになってはてなはリークとかディベート(笑)が増えたけど、優良な個人コンテンツが輩出されることがなくなっていってるようにしか思えない。
それがはてなの方針というならそれまでだけど、早い段階でよっぴーさんからもブコメの素行の悪さは指摘されていたわけで、1はてなユーザーとしては残念でなりません。
最近、日本語ができるできない。読解ができるできない。この解釈で合っている、間違っているという増田がホッテントリに上がってきていたので、読解ができていないとされる要因ってこれじゃね?っという話を、いきおいで書いてみた。
個人的に読解力の問題よりも、自分が信じていることの正しさを証明したい人ばかりというのが問題かなと。
自分と同じ意見であれば正しくて、違うなら間違ってる。そういう先入観があるから内容を受け取れてないし、こうに決まっているというバイアスがかかって、同じ意見でない箇所を見落とす。
さらに言うなら、自分の意見=自分の人格、そいつの意見=そいつの人格くらいになっていて、意見が食い違っただけで人格を攻撃した、されたかのように反論する過激なコメントが多い。
ちょっと異論が出ようものなら、自分の正しさを毀損された。攻撃された。反撃してやる!ってなる。
異論や反論って攻撃じゃないし、ちょっとずつ擦り合わせたり、少しずつ取り入れたりすることもできるはずなのに。違う意見を攻撃認定している人が、はてなに限らずネットにあふれていて、あっちもこっちもギスギスしてるな~と。
日本はディベートを学ばないから~とかも聞くけど、海外も先入観バリバリで敵味方分かれて言い争っているから、ネット上はどこも似たようなもんかな。
ということで、読解できていないとされる要因1は、自分が信じる正しさにこだわり過ぎている。
主語が大きいとか小さいとか言うけど、問題は大小だけじゃないなと。
たとえばさ、こういう記事があるっしょ。
(たとえだから、実際にこういうブコメが書かれているって話じゃないんだ。念のため)
テレワークで浮いた通勤時間の使い方 女性は「家事」が1位、男性は?
テレワークによって浮いた通勤時間の使い方」に関する調査を実施したところ、男性は「仕事」と「SNS・ネットサーフィン」が22.76%で同率1位、女性は「家事」が40.46%で1位となった。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2106/17/news130.html
こういうのに「女だからって家事させられるとか…」とか「はぁ、また男disか…」みたいなコメントがついたら、さすがに曲解かなと感じる。
で、個人的に気になっているのは「私、女だけど仕事ばっかりしてるよ?」「俺、めちゃくちゃ料理しているけど?」って感じのコメント。いやいまさ、集団の傾向の話をしてるんだよね、個人の話をしてないよねって思う。
アンケートでも何でも、その集団の傾向を示しているだけで、その属性の人すべてがそうだって言ってない。特定の集団の情報を、こんな風に集計した結果、もしくは平均を割り出した結果、この集団には特徴的な傾向がありましたってだけ。同じ属性を持ったあなたもこの傾向があるはずです、とかは誰も言っていない。
こんな感じで、集団の傾向の話を、属性全員がそうだという話と受け取り、その傾向を持っていない一個人や少数を例に出して反論としてしまう。そんな無理矢理な感じのコメントが散見される。これは前からすごく気になってる。
それぞれ、男とか女を主語として認識して、表面上ズレていないけど、中身を見てみるとまったく違う内容で話をしている。
これってどう表現すればいいんだろうか?主語の大きさって言葉じゃおさまらないと思うんだ。
主語のゆらぎ?変形?
言葉自体は合っているけど、イメージしている対象や姿がうまく共有されていない。
てな感じで、読解ができていないとされる要因2は、そもそも主語のイメージや語るべきポイントがズレている。
文章になっていない。論理になっていない何かばかりで、コミュニケーションコストが非常に高い。
文章として必要なパーツが揃っていないせいで、何について語っているのか、これは感想なのか、意見なのか、ただの罵声なのかもわからない文章。
反論したいことだけはわかるけど、何がどう違うのか?どこが間違っていると思っているのか?を指摘せずにいる文章。間違っているという指摘はいいけど、何故そう思うのかという意見や根拠を出さない文章。誰かがひどいと訴えているけど、何がどうひどいのか書いていない文章。さっきとかぶるけど、集団の平均や傾向の話なのに、個人の例や、少数の例、やたら特殊な例を出して論破した風になっている文章。
まず、文章パーツが揃っていなければ、相手側がイメージして埋めるしかない。埋めるしかないけど、それが相手が思っているのと同じであるかはわからない。ここでまたズレる。
で、そういう欠けた文章でも、自分と違う意見だなというのは伝わる。イメージが正確でなくても、そういうのだけはきちんと伝わる。伝わった結果、正しさ証明スイッチが入った誰かが、文章未満、論理未満をもとに、また文章未満、論理未満のコミュニケーションコスト高めな文章で返す。
繰り返していくうちに、話がズレまくって理解の及ばないところまで行き着いて、間違っている奴に反論されたという思いだけが双方に残る。えらく不毛な感じだなと思う。
というわけで、要因3はコミュニケーションコストが高いコメントと文章が、さらにイメージをズラしている。
で、結論。
まず文章や論理って読み込むのに時間がかかる。で、そこから自分の意見を出すのにも時間がかかる。しっかりしたコミュニケーションコストの低い文章を書こうとすると、もっともっと時間がかかる。
でもさ、ブコメや増田ってそんなに時間かけてないから。ブコメなんてとくに、早く書き込んだ人がスターをもらいやすかったりするし。Twitterもたぶん一緒。先行者利益が高い媒体だと思う。だから正確さより速度優先になっているわけ。
本来なら、読んで、内容を吟味して、意見をまとめて、コメントをするまでって、けっこう時間ってかかるものだと思うんだよ。ちゃんとした意見を出そうとすれば、あれこれ探したり読み直したり、書いたものを一日寝かせたりするはず。
もちろん読解が苦手な人もいるだろうし、荒らすためにわざと捻じ曲げたコメント書いてる人もいるだろうけどさ。
いまのネット上の議論が荒れやすく炎上しやすいのは、コメントをするのにかける時間の少なさによるものな気がしている。
反論がズレているのもだいたい時間が問題なのかなと。人って怒ると早く早くと急ぎたがると言うし。とんちんかんな反論をしている人も、時間をかければ違うブコメになったりするかも。
あとさ、時間をかけると怒りっておさまるよね。衝動もおさまるよね。だから時間をかければかけるほど、殺伐としたコメントが消えていくと思うんよ。
ホッテントリやトレンドみたいな、いま乗らないといけないという雰囲気を消した、ひとつのことをじっくりゆっくり議論するSNSがあれば、人はもっと穏やかに話し合えるかもしれない。無理かもしれない。
で、正しさについてが一番むずかしいかな。
どうして人は、自分が信じているものの正しさを証明したがるんだろうか?
時代が違ったり、国が違ったりするだけで、正しさなんてクルクル変わるのに。
ブコメだってさ、3年前、5年前のものを見返すと、だいぶ様変わりしている。いま書いたら絶対に炎上するようなブコメがトップブコメなってたりする。
絶対的な正しさなんて無いのに、自分が信じるものの正しさを証明しようと躍起になるのって、意味があるんだろうか?
いまの自分はこういう意見だよ。いまのあなたはこういう意見だね。今日は、この意見が多いんだね、ではダメなんだろうか?
正しい、間違っているというジャッジをするのって、何か意味があるんだろうか?
そんなことを考えてたけど、腹が減ってきたので終わるわ。半端でスマン。上手くまとまんなかった。
ま、こんなことを考えてる奴もいるよってことで。
最近、日本語ができるできない。読解ができるできない。この解釈で合っている、間違っているという増田がホッテントリに上がってきていた。
色々読んだけど、せっかくなので読解ができていない、内容が上手く伝わっていない要因について書いておきたいと思った。
個人的に読解力の問題よりも、自分が信じていることの正しさを証明したい人ばかりというのが問題かなと。
自分と同じ意見であれば正しくて、違うなら間違ってる。そういう先入観があるから内容を受け取れてないし、こうに決まっているというバイアスがかかって、同じ意見でない箇所を見落とす。
さらに言うなら、自分の意見=自分の人格、そいつの意見=そいつの人格くらいになっていて、意見が食い違っただけで人格を攻撃した、されたかのように反論する過激なコメントが多い。
ちょっと異論が出ようものなら、自分の正しさを毀損された。攻撃された。反撃してやる!ってなる。
異論や反論って攻撃じゃないし、ちょっとずつ擦り合わせたり、少しずつ取り入れたりすることもできるはずなのに。違う意見を攻撃認定している人が、はてなに限らずネットにあふれていて、あっちもこっちもギスギスしてるな~と。
日本はディベートを学ばないから~とかも聞くけど、海外も先入観バリバリで敵味方分かれて言い争っているから、ネット上はどこも似たようなもんかな。
ということで、読解できていない要因1は、自分が信じる正しさにこだわり過ぎている。
主語が大きいとか小さいとか言うけど、問題は大小だけじゃないなと。
たとえば、ちょっと前まで、やたら男が批判されていると嘆いているブクマカがいたよね?
ネガティブな記事のタイトルに男と入っているだけで、男だというだけでこんなに批判されるなんて…的なブコメばかりしてた人。あそこまでだと、たぶん釣りか工作かなと思うけど、似たようなことで怒ったり悲しんだりしてる人は他にもいる。
たとえばさ、こういう記事があるっしょ。
(たとえだから、実際にこういうブコメが書かれているって話じゃないんだ。念のため)
テレワークで浮いた通勤時間の使い方 女性は「家事」が1位、男性は?
テレワークによって浮いた通勤時間の使い方」に関する調査を実施したところ、男性は「仕事」と「SNS・ネットサーフィン」が22.76%で同率1位、女性は「家事」が40.46%で1位となった。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2106/17/news130.html
こういうのに「女だからって家事させられるとか…」とか「はぁ、また男disか…」みたいなブコメがついたら、さすがに曲解かなと感じる。
で、さらに首を傾げるのは「私、女だけど仕事ばっかりしてるよ?」「俺、めちゃくちゃ料理しているけど?」って感じのブコメがついた時。いやいまさ、集団の傾向の話をしてるんだよね、個人の話をしてないよねって思う。
アンケートでも何でも、その集団の傾向を示しているだけで、その属性の人すべてがそうだって言ってない。特定の集団の情報を、こんな風に集計した結果、もしくは平均を割り出した結果、この集団には特徴的な傾向がありましたってだけ。同じ属性を持ったあなたもこの傾向があるはずです、とか誰も言っていない。
こんな感じで、集団の傾向の話を、属性全員がそうだという話と受け取ったり。集団の傾向についての話を、その傾向を持っていない一個人を例に出して反論としてしまう。そんな無理矢理な感じの議論が散見される。これは前からすごく気になってる。
それぞれ、男とか女を主語として認識して、表面上ずれていないけど、中身を見てみるとまったく違う内容で話をしている。これってどう表現すればいいんだろうか?主語の大きさって言葉じゃおさまらないと思うんだ。
主語のゆらぎ?変形?
言葉自体は合っているけど、イメージしている対象や姿がうまく共有されていない。
てな感じで、読解ができていない要因2は、そもそも主語のイメージがズレている。
文章未満、論理未満があふれていてコミュニケーションコストが高い問題
文章になっていない。論理になっていない何かばかりで、コミュニケーションコストが非常に高い。
文章として必要なパーツが揃っていないせいで、何について語っているのか、これは感想なのか、意見なのか、ただの罵声なのかもわからない文章。
反論したいことだけはわかるけど、何がどう違うのか?どこが間違っていると思っているのか?を指摘せずにいる文章。間違っているという指摘はいいけど、何故そう思うのかという意見や根拠を出さない文章。誰かがひどいと訴えているけど、何がどうひどいのか書いていない文章。さっきとかぶるけど、集団の平均や傾向の話なのに、個人の例や、少数の例、やたら特殊な例を出して論破した風になっている文章。
まず、文章パーツが揃っていなければ、相手側がイメージして埋めるしかない。埋めるしかないけど、それが相手が思っているのと同じであるかはわからない。ここでまたズレる。
で、そういう欠けた文章でも、自分と違う意見だなというのは伝わる。イメージが正確でなくても、そういうのだけはきちんと伝わる。伝わった結果、正しさ証明スイッチが入った誰かが、文章未満、論理未満をもとに、また文章未満、論理未満のコミュニケーションコスト高めな文章で返す。
繰り返していくうちに、話がズレまくって理解の及ばないところまで行き着いて、間違っている奴に反論されたという思いだけが双方に残る。えらく不毛な感じだなと思う。
というわけで、要因3はコミュニケーションコストが高いコメントと文章が、さらにイメージをズラしている。
個人的結論
で、結論。
まず文章や論理って読み込むのに時間がかかる。で、そこから自分の意見を出すのにも時間がかかる。しっかりしたコミュニケーションコストの低い文章を書こうとすると、もっともっと時間がかかる。
でもさ、ブコメや増田ってそんなに時間かけてないから。ブコメなんてとくに、早く書き込んだ人がスターをもらいやすかったりするし。Twitterもたぶん一緒。先行者利益が高い媒体だと思う。だから正確さより速度優先になっているわけ。
本来なら、読んで、内容を吟味して、意見をまとめて、コメントをするまでって、けっこう時間ってかかるものだと思うんだよ。ちゃんとした意見を出そうとすれば、あれこれ探したり読み直したり、書いたものを一日寝かせたりするはず。
もちろん読解が苦手な人もいるだろうし、荒らすためにわざと捻じ曲げたコメント書いてる人もいるだろうけどさ。
いまのネット上の議論が荒れやすく炎上しやすいのは、コメントをするのにかける時間の少なさによるものな気がしている。
反論がズレているのもだいたい時間が問題なのかなと。人って怒ると早く早くと急ぎたがると言うし。とんちんかんな反論をしている人も、時間をかければ違うブコメになったりするかも。
あとさ、時間をかけると怒りっておさまるよね。衝動もおさまるよね。だから時間をかければかけるほど、殺伐としたコメントが消えていくと思うんよ。
ホッテントリやトレンドみたいな、いま乗らないといけないという雰囲気を消した、ひとつのことをじっくりゆっくり議論するSNSがあれば、人はもっと穏やかに話し合えるかもしれない。
で、正しさについてが一番むずかしいかな。
どうして人は、自分の信じているものの正しさを証明したがるんだろうか?
時代が違ったり、国が違ったりするだけで、正しさなんてクルクル変わるのに。
ブコメだってさ、3年前、5年前のものを見返すと、だいぶ様変わりしている。いま書いたら絶対に炎上するようなブコメがトップブコメなってたりする。
絶対的な正しさなんて無いのに、自分が信じるものの正しさを証明しようと躍起になるのって、意味があるんだろうか?
いまの自分はこういう意見ですよ。いまのあなたはこういう意見だね。今日は、この意見が多いんだね、ではダメなんだろうか?
正しい、間違っているというジャッジをするのって、何か意味があるんだろうか?
そんなことを考えてたけど、腹が減ってきたので終わるわ。半端でスマン。上手くまとまんなかった。
ま、こんなことを考えてる奴もいるよってことで。
https://twitter.com/tobatoppers/status/1408171575480774657?s=20
このツイッターみてふと思い出した。
初めてのディベートの授業で、
「家でDVDで見る派」
と分かれて意見を言い合った。
確か、事前に自分はどっち派か、で分かれて少数派だった「映画館で見る派」に入った。
ディベートって本来、自分がどっち派かは関係なく二手に分かれて調べた情報や感じたことを戦わせて、お互いの価値を認め合うといったような、そこそこ高度な議論だと今となってはそう認識してるんだけど、
当時、ディベートなんてもの私は当然初耳だったし、教師側もやったことなかったんだろう。記憶違いかもしれんけど。
まずは各派に分かれて机を突き合わせて、互いの良いところと悪いところを出し合うんだけど、真正面に座ったあの子の、映画館で見る映画への情熱に私は圧倒されたのを覚えてる。
好きなものを語るあの子が一生懸命で、頬を紅潮させて、もともと大きな目が更に大きくキラキラしてた。何を喋ってたかは覚えてない。
だから想像でしか意見を言うことしかできない。音がいいとか、迫力がすごいとか、そんなことしか出てこなかったとおもう。
お金がどれだけかかるかとかも当然知らない。
でもそんなことどうでも良かった。
一転、ディベートの本番では家派にコテンパンに叩きのめされた。
あの子が先頭に立って反論するが、質・量共に足りない。応援弁論にわたしも立つが薄っぺらい反論しかできなかった。
負けたと思った。惨めだったなー
思い出そうとしてもぼんやりしてる。
MVは事あるごとに内容のない薄っぺらな知識をひけらかし、ディベートサークルを作ってディベートもどきを披露していた。彼が会長から頂いた垂訓は、まさにもどきだな、であった。
こんな彼であるから、仕事の机が私と隣接したときなどは非常に鬱陶しい存在となった。
私が新入りにWindows98のショートカットを教えていると、プルダウンメニューが基本だからそれを使うように、と指示し直した。上司だからと黙っていると、彼はその巨体を揺らしながら、基本は大事でしょ、そんなんだからおまえは、と愚痴り始める。ぶっちゃけ自分的にはWindowsのプルダウンなど製作者の意図でどうとでも変更できるため、そんな基本に意味はほぼないと思っていた。ある程度のUI独自の方言さえ掴んでしまえばよいのだ。
反論すると豪腕を垂らして、ジトーっと下目線で睨んで威嚇してくる。聴かなければ暴力を辞さない構えだった。
会長から上がってきた文書を、ここを応用すれば自然とこういったやり方もできますよね、と空白部分に対する意見を述べると、そんなことは資料には書かれていない、お前の妄想だ、といちいち潰しにかかった。実際のところそうとしか取れない内容であるにも関わらずだ。
MVはなんちゃってディベートを弄する割に浅知恵選手権で一位を取りかねない勢いであったため、会長の奥さんからもMVはこころが浅いからしかたないわよ、と言われる始末であった。
こんなMVだから、社内からの評判も芳しくなかった。やれしゃしゃり出るだの、口うるさいだの、言ってることが浅いだの散々な暴言が陰口として流れてくる。
私が会社をやめて数年立った後、会社のスレがたった。今はもう存在しないスレだが、そこでもMVは9割の元社員からぶっ叩かれるという逸材ぶりを発揮した。私はようやくそのときになって、MVのいびりを受けていたのは自分だけではなかったと知った。ついでに調子に乗ってお前相変わらず滑ってんな、とギャグセンスのなさを指摘して書き逃げしたのは良い思い出(?)である。
表現の仕方がわからなかったので人間性と書いたけど、かんたんに言うと”頭がよくなった”
女だし、尖ってたので本当に学歴を高めようとか思ったことがなかった。
社会人になったときに、紹介で知り合ったIT系の人と付き合った。
例えば、
私「コロナのワクチンが打てるようになったらどうする?打つ?」
といった具合だ。
ある程度学歴がある人や、男性同士ではもしかしたら違和感のない会話なのかもしれないが、
恐らく女性同士でこのやりとりは発生しないと思う。少なくとも、私と学歴が似たような女友達とは絶対にならない。
私 「コロナのワクチンが打てるようになったらどうする?打つ?」
友人「なんかアメリカではすぐ打てるから打ってすぐ帰ってくるのやってた人いるらしいよねー」
実際友人とこの会話をしたときはこんな具合だった。
彼の返答は正直めんどくさいと思うことがよくあるけれど、
私も本当は、ディベートというのかわからないけど、そういうものが好きなんだと思う。
いろいろ考えながら話し合うというのがゲーム感覚で楽しくなった。
彼や会社に揉まれて、私も論理的思考というか、ちょっと大人っぽい喋り方ができるようになったんだなあとふわっと思っていた。
ある時社外講義で、正しい文までは忘れてしまったが、「大きいと思うものはなんですか?紙に書いて発表しましょう」といったワークがあった。
みんなの回答を見てみると、家、キリンなど様々な回答があった。
その回答を見た時、すごく衝撃を受けた。
そんな人が家、キリンと答えているのが信じられなかった。
正直、私の一般的なものの2倍という回答も微妙かなー突っ込みくるかなーと考えていた。
講師にも私の回答は珍しい、論理的思考能力が高いですね的な事を言われてまた更にびっくりした。
急にめんどうになったのでまとまるが、
彼と出会わなかったら、私はキリンとか答えて、ギャハハ笑っていたかもしれないと思うととても怖くなる。
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