はてなキーワード: ディベートとは
反出生主義的な主張に対して顔真っ赤にして反論(?)してる人がすこしでも筋通ったこと言ってるのマジで見たことないんだよな
「子供作るのは親のエゴでーす!その通り!知らねえよ!死ね!」的な反応がいちばんマシ ヘタに謎の破綻した理論を繰り出さず、素直に現実を肯定する姿勢はすてきだ
「親に勝手に人生を押し付けられるってなんですか、あなたには意志がないんですか?」みてえなことを言うやつらは本当に理解不能
そういう話してないじゃん どんな理解力してるんだ? ってなる
ディベートでこういうのが出てくると、勝ちたさよりめんどくささが勝って戦いを放棄してしまう
何言ってもわかってくれないだろうな、と思わせるのが実はコツなのか?バトルの…
「そんなこと言ってたら人類が滅びますよ」的なことを言う層もマジで謎
そらそうだろ 逆になんで人類を存続させたい人間が生殖に反対してると思うんだよ
反論できないことを言われたら「大人になれ!」「まともな人生送ってないんだな」「お前は幼稚だ」みたいなことを言って勝った気になるっていうやり方、本当にすばらしいんだよな
うちのおばあちゃんがなんか俺の父親の嫁と俺の母親は別人だと言い出した。
どうやら別人と間違えてるとかじゃなくてばあちゃんの頭の中では俺のカーチャン(というかばーちゃんの一人娘)が2人に分裂してるみたいで、『嫁さん』『お母さん』という2人がいつも一緒に行動してることになってるらしい。
今日も「あの2人はまだ帰ってこんの?」って外出中の母のことを言っていた。この2人は一心同体みたいな感じだけど姉妹とも違う謎の関係らしい。
そんで「俺のお母さんとずっと同居していていつも婆ちゃんの面倒を見てれるあの嫁さんは同一人物か否か?」っていう議論が始まったんだけど、
話はめちゃくちゃすり替わるし説明しても理解できないし10秒後には内容忘れるし
「お父さんの嫁さんってことは俺のお母さんと同一人物でしょ?」とか言っても「いやいや違うって言いよるやろ」「婆ちゃんの娘は一人やろ?嫁さんとお母さんはどんな関係なの?」「それは知らん」みたいな感じでずっとループするだけだし
否定しすぎるのもよくないらしいし結局面倒臭くなって「そうだね、早く2人共帰ってくれば良いね。」って感じで話が終わる。
よく考えたらディベートはともかくレスバトルに置いてはこの戦法って無敗確実の最強戦法じゃないか?
「相手の話は聞かない」「理解しない」「わけわからないことを喚く」「面倒くさいと思わせる」「真面目に相手にしても得しない空気を出す」
そして、これも弟たちだけの話では終わらない。
このやり取りを学級内でやっているということは、教員達の耳にも必然的に届いた。
つまり、今度は教員や保護者の間で箸の持ち方談義が繰り広げられることになる。
「子供達が箸の持ち方ひとつで揉め事を起こすのは、授業での教育が不十分だからですよ」
「教育が必要なのは一理ありますが、この件はどちらかというと我々の管轄外だと思うんですよねえ」
「給食の時間だってあるわけですし知らん顔とはいかんでしょ。あれだって、ただのランチタイムではなく教育の一環ですよ」
モメるのは決まっていた。
しかも、弟たちより年上で知識も語彙も多く、コミニケーションの妙も理解できる同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。
「やはり家庭科の授業等で、しっかりと時間をかけて教えるべきでは? 一時間、二時間とはいわずワンシーズンくらい」
「箸の持ち方だけでワンシーズンですか? 他にも教えたいことがあるのに」
「なんだったらオールシーズンあってもいいですよ。将来、料理や裁縫は避けられても、食べるために使う箸は今後も確実につきまとってきます」
「うーん、でも個人の資質もあると思いますし。同じことを無理やりやらせるのは、昨今の潮流を無視しているといいますか。みんな違って、みんないいの精神でいきませんか」
「多種多様な人間がいる中で社会を回すためには、時に同じことが求められる。それを学ぶための義務教育、その場所としての学校でしょうが」
大人たちは一回りも二回りも歳を重ねているから、当然ながら箸を使ってきた回数も遥かに多い。
その分“拗らせレベル”が高まっているんだ。
そんな中で繰り広げられる談義は、俺たちのディベートもどきや、弟たちの口喧嘩とはワケが違う。
「まあ、先生が渋る理由も分かりますよ。生徒に箸の持ち方を教えるためには“必要条件や十分条件”が必要ですからねえ」
「……私としましては、箸の持ち方ひとつで他人にとやかく言わないよう教える事の方が大切だと思っていますので」
「道徳の授業でマナーの大切さを教えているのに、箸の持ち方は自由にしろでは通らんでしょ。子供はそういう不合理に敏感ですぞ」
彼らは長く生きてきたが故に、箸をちゃんと持ててない人をより多く見てきた。
今でも矯正せずに生きてきている人もいたりする。
それを気にする時も、気にしないようにする時もあっただろう。
だから箸の持ち方について、腹に抱えているものは若者よりも熟成されている。
「先生の言ってることは、箸の持ち方を直す気がない人間のポジショニングトークでしかないんですよ。それの何が悪いのかと逆切れする術でも教えるっていうんですか」
「うーん、この歳になって箸の持ち方で説教なんてくらいたくなかった……」
しかも彼らは教育者という看板を背負っている手前、その日限りの雑談で片付けられなかった。
オタク数人で話をしていても、一人で黙り込んでスマホを見る、話に割り込んで来てはなんか場がしらけて撤退というのを繰り返す人だった。
オタク話が多いので、どこに原因があるかわからなかったりしたが、ひとつ気付いたことがある。
もちろん、アイドル情報については公式サイトも見るしツイッター等のSNSにも頼っているが、DNGである我々とは情報の捉え方が違う。
我々は、
といったことを自然に行うように教育されている。(これが新聞やテレビ主流の時代には面倒すぎてできなかったことである)
だが彼の人らは、そういう習慣が全くない。見っぱなし、読みっぱなし、信じっぱなしだったりする。
で、それだけだったらいいんだけど、圧倒的にディベート能力に欠けている。
己の武器(議論の材料)が、○○で放送されていたこと、○○で書かれていたことというだけのままの人生を歩んできているからだ。
もちろんじゅっぱひとからあげ? (なんだっけ?) にくくることはできないだろう。
増田がDNG(Digital Native世代)だっていうのも嘘だ。
ただ、これを読んで、
「接種しないやつは馬鹿なんだおおおおおおwwwww」と息巻く宣伝手法が子宮頸がんワクチンの時にも繰り返し行われていた
あれで全員が胡散臭く思ってワクチンが消えたんだと思うわ
で述べた議論は簡潔にしてあって実際にはもっと長いけど、概ねそんな感じの議論だったのは事実だ。
しかし、そのフェミニストさんとしたかった議論はほんとはそうではなかった。
多分、もし、その件で議論していたらこんな感じになったはずだ。実際にはしていないので妄想である。
時はちょうど、宇崎ちゃん炎上を起こしていた真っ最中だった・・・・
俺は言った。あなたが言うような、現実の女性を意識して描くべきであり、男性が求めるような女性を描くのはおかしいというのは、表現の自由を異常なほど束縛するので、どう考えても間違いである。
すると彼女は言った。読者は男性だけではないし、その先生の漫画はとても面白く、私も大好きだったが、どうしてもその女性像はあり得ないとしか思えないので、意見を述べただけです。
俺は言った。仮にそうだとしても、直接作者にそれを言うのはおかしいと思わないか? それを聞いた作者は、自分の作品を否定されたような気持ちになり、女性差別などする気は全くないのに、嫌な気持ちになるだけだ。
彼女は言った。でもそれは女性差別です。現実には考え難い描き方は、現実の女性を無視しており、それは読者に悪い影響を与えるからです。先生にはそんな作品を書いて欲しくなかったので、出来れば聞いて欲しかった、それだけです。
俺は言った。読者に悪い影響だというならば、暴力シーンや犯罪シーンなど世の中の漫画には溢れかえっているじゃないか。そんなことを言い出したら、あれもこれも描けなくなってしまう。表現の自由を完全に侵害しているので、それは言うべきではない。
彼女は言った。一読者の気持ちとして先生に伝えただけであり、そんな表現をやめてくださいと言っているのではありません。でも、私も一読者です、自分の思ったことを表明することの何がいけないのでしょうか? 私にも言論の自由があります。
俺は言った。確かにあなたにも言論の自由はあるが、あなたの言論もまた、漫画がそうであるように、一つの影響を与えることになる。俺はそのことを言っているのであって、先生は実際、あなたの意見を聞いて今後の表現を萎縮させる可能性だってある。それが果たしていいことなの?
彼女は言った。でも、読者やあるいは一般市民、みんなの意見でこの世の中は成り立っています。私がこうだと思ったことを言えないような世の中こそ、それこそ言論の自由の侵害ではないのですか?
・・・・とま、多分こんな感じの議論になって平行線をずっと辿ったろう。俺は「表現の自由」はひどく脆いものなので、彼女の意見には全く賛同できないが、とは言え、彼女の意見を完全に誤っていると見なす事はできない。
俺が言いたいのは、どっちが正しいかではなく、ネットでは特にフェミニストに対する偏見がものすごいことになっているので、偏見を持つのはできたらやめるべきではないかって事。
滅多にいないが、ストレートに議論というか、意見交換を真面目にできる人は存在する。どうしても感情的になりがちで、罵詈雑言、お前が悪い、みたいな言説が飛び交いがちだが、全く聞く耳を持たないという態度もどうかと思うのだ。
それは無論、フェミストにおいても同じではある。俺も、何人ものツイフェミに議論をふっかけたが、まともに議論できたのはこのたった一人しかいなかった。議論ができたとしても、その例外を除いて、お互いが自説の殻に閉じこもってしまうため、罵詈雑言誹謗中傷になり不毛なだけだった。
しかしながら、それはアンチ側とて同じであり、逆の立場に回っても景色が変わった事はない。
フェミニストにも色々ある。極端な反出生主義からアンチと見分けがつかないフェミニストまでいる。十把一絡げにはできないが、青織のような似非ディベートではなく、真面目に意見交換もできると思うぞ。
中学の頃洋楽にハマって「J-POP?(笑)」とか「まだそんなの聞いてるの?(笑)」
みたいに邦楽をバカにしていた。今思うとガキだった。毛も生え始めたばっかだったし。
俺と仲が良かったスギヤマはJ-POPが好きみたいでAKBだの、ももクロだの、よく大衆向けアイドルグループの曲を聴いていた。
俺は内心でバカにしてるだけじゃなく、堂々とスギヤマを罵倒したりもした。
スギヤマはIQが低い。俺に批判されても「難しいことわかんねえよ!」って笑って済ませようとする。
俺なら売られた喧嘩はディベートして完膚なきまでに論破してやるのに。
だけど、最近大人になってちょっと考えが変わってきた。さっきも言ったように、今までの俺はガキだったんだ。
思ったことすぐ言うロケンローラー的な要素があったが、ロケンローラーは責任を取らない(笑)それじゃダメなんだ!
話を戻すと、邦楽の良さは歌詞の抽象性にある。メタファーが効いていて、一言一言が心に響いてくる。
洋楽がIQ80~100向けに対して、邦楽つまりJ-popは80~130ぐらいまで手中に収めている。
あれだけ毛嫌いして、見下していたJ-POP、邦楽が今では大好きになった。
もしあいつがIQが高くて、「俺は音楽云々を語るなんて幼稚なことにリソース使うつもりはない。
そんなのどうでもいい。適当に脳をリフレッシュさせられればそれでいい。だからJ-POPでいいんだ」
ぐらい言ってくれるならわかる。共感できる。
だが、あいつの場合は違う。あいつは単純にアイドルが好きなんだ。
俺だって女の子は好きだ。だけど、そのやり方はスマートじゃないし、俺の哲学に反する。
音楽の趣味=IQの高さなんだなーって最近思い始めた今日此の頃。
よく見返したら駄文多いな。。。すまそ。。。