はてなキーワード: アガペーとは
顔はブスじゃないと思う。初対面だとだいたい顔を褒められる。あと女の人だと服とかメイクも。
地元とか学校とか職種的にずっと男の人が多い環境だけど、だからと言って「男といる方が楽だわ~」とかは思ったことない。これは私の勝手な感覚だけど、男でも女でも絶対に出せる面と出せない面があるからどっちがいいとかないし、友達の割合も男女半々ぐらい。
引きこもりかと言われるとそういう部分はあるだろうけど、週末には普通に友達と遊びに行くし、一人で飲みに行ったりもする。そんで学生時代にガールズバーでバイトしてたから初対面の人と話すことも億劫とかあんまりなくて、その場で会った人と盛り上がることだってある。
家事は掃除が嫌いだけど人は呼べる程度にしてるし、料理もそれなりにするけど可もなく不可もなくって感じ。嘘。おつまみ作るのはうまいと思う。
多分その辺の人と同じような、平均的な生活してるんだけど、でもずっと彼氏ができない。
小中高の通知表のコメント欄みたいなところにはだいたい人間関係を築くのが上手い、みたいなこと書かれてたのに彼氏とやらはさっぱりできない。
別に何でみんなにできて私にできないの!とかそういうことじゃなくて、みんなどうやって付き合ってるんだろうってシンプルに疑問に思う。
私よりも可愛らしい子にも彼氏はいるし、私より友達の比率が(男でも女でもいいけど)どっちかに傾いてる子にも彼氏はいるし、私よりインドア派で休日はNetflix三昧な子にも彼氏はいる。
まじでみんなどこでどうなって付き合ってんの?どこで出会ってんの?
既婚者ばっかりだから会社はまず無理だし、友達から彼氏へっていうのもそんな雰囲気一ミリも感じたことないし、飲み屋で会う男の人もなんかいつの間にか疎遠になってるし。
疎遠になるのは私が連絡をこまめに返さないからだってよく言われるけど、携帯見たときに何か来てたら返事はしてる。どんなに遅くても6時間以内には返してる。でもそれじゃだめなのかな、もっと細目に返さないといけないのかなと思って一回やってみたけど、それはそれで私が疲れた。
じゃあ性格に問題があるのかもしれないなって考えたけど、面白いくらいにネガティブになっただけだった。
就活の時に学校で受けた強み診断みたいなやつで、適応性とか最上志向とか調和性とか出たけど、それってつまり流されやすくて自分の中に細かいこだわりのある面倒な八方美人ってことだよなとか思った。
ちょっと前にネガポ変換みたいなの流行ったけど、1人でポネガ変換みたいなことしてた。結局自分がゴミだなって自覚しただけだった。やんない方が良いよ、数か月たったけど未だに引きずってるから。
飲み屋で話す人たちとこういう話をすると、男とか女とか年下とか年上とか関係なく絶対に「それだけ可愛かったらすぐ彼氏できるよ~」とか「良い子なんだからいい人見つかるよ」とか「みんな遠慮してるだけじゃない?」とか言われる。
褒めてくれるのは本当に凄く嬉しいし、メイクとか服とかに関しては、やっぱり他の人から見ても可愛いよね~?ぐらいの気持ちになったりもする。
でも最近その裏で、うるせえなこっちには24年いないっていう実績があるんだよって思ってしまう。適当な事ばっかりぬかしやがってって。
別にそれを口にしたりはしないし絶対に顔にも出してないけど、でもなんか変に卑屈になってしまった。ポネガ変換のせいかもしれないって思ったけど、前からそういう人間だったかもしれない。もう自分のことが分からなくなってきた。嫌なやつだな、とは思う。でも直し方も分かんない。
正直これを書く前は一旦気持ちを整理するために、とか思ってたけど、こんだけだらだら長く書いてもよく分かんないし、そもそも私は彼氏が欲しいのかも分からない。ただ、24年間誰にも愛されなかったのはどうしようもなくみじめだなぁって実感しただけだった。
愛にも種類があるっていうじゃん。エロスとかフィリアとかストルゲーとかアガペーってやつ。
私にはエロスってものが圧倒的に足りてない。与えたことも与えられたこともない。でもそれをどこで培えばいいのか分かんない。
なんか、そういうみんなが当たり前に持ってたりあげてたり貰ったりしてるものが私にだけないのがみじめ。でも寂しいじゃなくてみじめって思うこと自体が私が嫌なやつだからなんだろうな。
現実に希望を抱けないので、フィクションではせめて不快になりたくない。
だからジェンダーやセクシャリティ、人種などの点で差別的な表現があったり、ステレオタイプを刷り込むようなものは好きじゃないしそもそも見ないようにしている。
ここ数年は特にフィクションから遠ざかりがちで、厳選したものだけを見ていた。
パートナーの1人の家に泊まっていて、彼女がテレビをつけっぱなしにしたままお風呂へ行ったから。手持ち無沙汰ななんとなくテレビに目を向けた。
選手一人一人が、さまざまな形の愛をスケートで表現していて、それを支える美しく綺麗な音楽。
「音楽が良かった」という印象だけでDLしてどの曲が何とかも分からなかったけど、とりあえず一番それっぽい「Yuri on Ice」を再生してみる。
え……?
開始2秒で、涙が溢れた。こぼれてこぼれて、最後まで止まらなかった。
争いが嫌い。苦しみが憎い。それらは、熱くて、うるさくて、命の色をしている気がして。
冷たくて、静かで、青白いのが好きだった。
私にとって平和で完璧な世界はそんな場所で、いつもそれを求めている。
それを求め、現実との差に苦しんでいる。
けれどこの世界にもそれが感じられる場所はあって、モロッコのシャウエンや、アブダビのシェイクザイードグランドモスクへ行ったりした。(冷たさや静けさは体感です)
次に行きたいのはボリビアのウユニ塩湖かウズベキスタンのサマルカンドかなと思っていたところ。
ピアノがベースの歌詞のない曲なのに、私の眼前には冷たくて静かで青白い、平和で完璧な世界が一瞬にして広がって。
私がどんなに思い描いても、焦がれても、行けないその場所。
最初から最後まで涙が止まらなくて、ピアノの響きが美しすぎて、前世自分がピアノだったことを思い出したかのような、そんな愛しくて温かく、切ないひらめきがあった。
そうだ。スケートリンクって、冷たくて、静かで、青白い。
こんなに優しい世界があるなんてと毎話泣いてしまうほど、そこには多種多様でたくさんの愛があった。
「エロス」それがカツ丼でもいい。「アガペー」それはおじいちゃんからもらった。
異性愛だけじゃなく、同性同士でも、故郷への愛でも、兄妹愛でも、自分への愛でも。
恋人?友達?なんて愚問だというくらい、全ての愛がそのまま肯定されて美しく描かれていた。
性別でキャラに無駄なラベルを貼ったりしない。それぞれの「国」を背負うのは、みんなステレオタイプな「その国らしい」キャラとは限らない。
同性同士が、なんの名前もつけない「愛」のペアリングをつけても、それが自然な世界。
自分の愛を誇りに思いながら。
もし本当にそんな世界が訪れたら、どんなにいいだろう。
どんな愛でも、それが愛である限り大切な愛なのだと肯定される世界になったら?
ユーリon ICEはそんな世界で、ただただ温かい素敵な物語の一つになると思う。
そんなときが来ますようにと願いながら、私は今日もジェンダーやセクシャリティがさまざまな複数のパートナーたちと生きています。
ユリオがユーリを「豚」と呼んだシーンは体型差別的だと感じる面もあるし、
(ユーリは太っている場合じゃないフィギュアスケート選手であるということを考慮したいとは思う)
私の気がつかなかった部分で、ユーリon ICEを見て嫌な気持ちになった人もいたかもしれないということは念頭に置きながら。
あ、どんな愛でも〜と言うと必ず「小児性愛も?」と聞いてくる人がいるので言っておきたいのは、それは愛ではなく病気であるということ。
小児性愛について知れる本が出てるので読んでみてください。
こんな但し書きをつけなきゃいけない現実つらい。
でも、私も、頑張るよ。
アベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアガペーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガーアベガー
正しくは「セックスはしたくないが、子供が欲しい」と言っている。妹として私ができることはなんだろうか?とずっと考えている。
私が思うに「アセクシャル(※1)な男性」と友情結婚し、人工受精する案が一番良いと思う。
(追記:子育てパートナーになってくれたAセク男性の精子を人工受精する、という意味です。姉も性的なことを抜いた友情的な愛し方はできるはずです。精子製造機なんて扱いは絶対しないはずです。寧ろ下心0でアガペー100なんじゃないかなぁと妹は勝手に思ってます。)
どうやったらアセクシャル男性と出会うことができるのか、それが知りたい。
知って、探して、コンタクトをとって、姉にどんどん紹介だけするお見合いおばさんになりたい。
※1.性的なことに興味がない人
◼️姉のスペック
・30代後半
・子供が好き
・公務員
・実家住み(持ち家)
・両親健在
・野村佑香似※3
・性格は長女オブ長女
・男性は苦手だが、父親や兄弟、男友達との共同生活は問題ない(よって息子も問題ない)
姉はなぜ結婚したくないのかと言うと、自分は性行為ができないセクシャリティだから、夫になる人が可哀想だとのこと。姉は性欲がないだけで愛情深いのだ。
(余談。妹からすると姉は、アセクシャルじゃなくて性嫌悪症な気がする。なぜそう思うのかと言うと、親の教育がそうで私も性的なことが苦手だったからだ。男性が男性っぽいだけで気持ち悪かったし、触れられるのも無理だった。過去形なのは、夫と出会って大丈夫になったからだ。よく解らないけど何故か夫は気持ち悪くなかった。ただ、性行為中は離人感がある。自分がそうだからって姉もそうとは限らないし、「まだ出会ってないだけ論」をメチャクチャ嫌うからこの話は自分の心にしまっておく。ただ「男男した人や性欲が強すぎる人と結婚したくない」という部分は共感できるので協力したい。)
◼️考えた案
1がベストだと思うが、そんな男性をどうやって探せばいいのかが課題。
2は子供を得るには最短だと思うし、姉自身は2を希望している。認知すら面倒だから要らないらしい。自分だけの子供が欲しいというのが本音らしい。
でも、子持ちの妹としては、オススメしたくない。寧ろ阻止したい。悪い夫や悪い父親は不要だが、良い夫や良い父親は居た方が良いと思っている。
「おひとりさま出産」というエッセイ漫画を読んだが、出産や子育ては一人でしているけど、あちらは父親が存在する。読めば読むほど、どれだけクズでマイナス要素であっても父親という存在自体は在った方がいいのではと思えてくる。
でも本気で選択的シングルマザーになるのであれば、できる限りフォローしたいと思っている。姉に何かあった時の子供の後継人になってもいいと思ってはいる。
◼️却下された案
→心は繋がってないと嫌だとのこと(他に恋人を作ることは許せない)
→万一性的な関係を迫られたら困る、風俗や愛人は嫌だ、とのこと
→そんな人尊敬できないし、見つけるのも困難だとのこと
4.養子を引き取る
→これは未提案だが却下されると思う。例え治療であっても自身が「女性になっていく」のは想像するだけで気持ち悪いそうだ。それに本当にアセクシャルなのであればこの提案は姉を傷付けることになるからしない。そして性嫌悪は悪いことではないし変える必要もないと私は思っているので姉は姉のままでいいんだと思う。
姉にはただただ幸せになってほしい。
でも、余計なお世話なのは承知だけど、できれば父親が良た方が良いのではと思う。
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※2 貯金が少ないと突っ込まれたが、30前後まで都内で一人暮らしと夢追い人をしていたため、私が勝手に少なく見積もっている。実際は不明だが浪費家ではなく寧ろ倹約家なので安心して欲しい。
※3 生まれる子供がイメージできたほうがいいのかなと思ってこの例をあげた。多分美少女(美少年)が生まれるので妹的には遺伝子残して欲しい。
こんなサイ○パス気味の乞食にありがとうございました。辛辣なものも含めて噛み締めて読ませて頂きました。
特別養子縁組は両親揃ってないと駄目だけど、普通養子縁組は独身者でも審査次第でなれるらしいという記事を見つけました。相当難しそうですが、姉にも共有しようと思います。
・ペットは?
ペットも子供も家族には違いないんだろうけど姉の要望は人なので今回は人だけで考えたいです。
・妹が産む
私(妹)はやぶさかではないけど、姉と夫と母が反対しました。子が捨てられたと思う可能性がある、とのことで。
性的な視線でみられることがすでにダメなので、やっぱりへテロ男性とは難しいかも…。
「俺が女にしてやんよ」系の男性が大量発生して姉を消耗させそう…。私が姉を装うこともできますが、多分規約違反だと思うので…。
◼️質問について
・「女性になっていく」のが気持ち悪いのに出産や授乳は気持ち悪くないのか?
すいません、私の書き方が悪かったです。
正確には多分「他人(とくに男性)に女性にさせられる」のが気持ち悪いんだと思います。(私もこの表現気持ち悪いと感じました…。)妊娠出産授乳は自発的だから気持ち悪くないんじゃないのかな…?
・浪費癖があるのでは?
※2参照
妻はともかく、子への愛がないのであれば精子バンクの方が良いのでは…?と思います。
難関公務員試験を合格したのは半分ぐらいが「未来の子供のため」らしいので、半分くらいは本気なのではと思います。
◼️妹の今後について
皆様がおっしゃる通り、姉の人生に踏み要りすぎだと自覚しているので、これ以上余計なことはしないでおこう、そして姉の選択を全力で応援しようと思いました。
でももし、Aセクシャル男性の方、少しでも興味を持って下さったら、DMをいただけたらと思います。ブコメのアドバイス通り捨て垢を作りました。妹窓口です。宜しくお願いいたします。
つながっても 見失っても
手放すな、欲望は君の命だ
レオは「アガペー」を望んでいるのに、絶対に与えられないから「お前はマブじゃない」と言い続けていた
マブにとっての「アガぺ」はかわうそによりとりあげられた上に「お前の愛は欲望だ」「お前に向けられている愛はエロスだ」とずっと貶められていた。
マブにとっては、エロスよりもアガペーが毒だったのでアガペーを失って胸に穴があいてしまう
今回、ずっと「エロスとアガペー」どちらを選ぶかという二対立構造を提示され続けてきた主題が裏切られて、アガペーこそが最大の毒(罪と言い換えていいかどうかは悩む)であるという回だったんだと思う
そこで、兄への無償の愛(アガペー)をもち、兄(誓)への償い(人を殺した罪をかぶせた)を済ませないまま死んでしまった兄を生き返らせたいという気持ちが転じて、最大のエロスになってしまってカインである弟(悠)は天の国から離れて放浪する
しかし死は恐れるものではない。キリスト教において死は祝福である(甘き死よ、来たれ)
誰かとつながりたいということは、アガペーを感じたいということ
その世界での一稀の\生存戦略/がさらざんまいの主題なのではないだろうか
ストルゲー:悠がストルゲーと思ってたけど実はアガペー
アガペー:春河がアガペーだと思ってたけど実はエロスなのではないだろうか
実の母をひきはなした罪によってストルゲーたる資格を失った春河
まるい円の外側にいるのは春河1人なのではないだろうか
春河はキャラクターリストでも苗字なしだし弟でもないのではないか。愛する相手を奪いたい 欲望なのかな…?
「ぼくとカズちゃんは、始めから終わりまでまぁるい円でつながっているよ。」
このキリスト教まみれのなかで突然円環の理的な概念を持ち出す春河
ウロボロスの輪の中心にいるのだろうか?ウロボロス=ヘビ=悪魔で春河は悪魔である(仮説)
春河が話す星の王子様と出会う夢は悪魔の契約なのではないだろうか
欲望か愛を選べと言われたが、春河はそのどちらも選ばず円の外に出ることで一稀とずっとつながることを望んだ
ケッピは堕落した神で、春河を止めることが出来ない
吾妻 サラは巫女なので春河を止めようとしているのかもしれない
登場猫で不思議なキャラクターのにゃんたろう、星の王子様の飼い猫だった説も唱えていきたい
ユリ熊嵐では「ねえお姉たま。本物のスキはお星さまになるって本当?」
「本当よ。本物のスキは天に昇ってお星さまになるの。そして流れ星になって地上に落ちたお星さまは約束のキスになるのです」
とあるように本物のスキ、は星になるのであり星の王子様はここでいうとやはり愛(アガペー)を集めているはずである
「弟」キャラクターでイクニ作品で思い出すのはユリ熊嵐の「みるん」である
彼は姉に「約束のキス」をねだってハチミツを集めるけれど、事故で亡くなってしまう
死んでから姉に「約束のキス、ぼくからすればよかったんだ。ね?」って言うのだが
約束のキス=永遠のつながり=運命の輪をつなげる(ピンドラ)=はじめからおわりまでの関係=アガペー
イクニ先生!そういうことですか?
愛してるのに愛を伝えることは出来ず愛は伝えないと愛だと思えない、
愛を伝えよう
新共同訳より
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
(中略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%9A%E3%83%BC
増田が求めているのは、この形の愛、即ち無私の愛であり、隣人愛(フィリア)ではない。
無私の愛を知るには、無私の愛を示している神、あるいは人と接しない限り納得出来ないだろう。
言葉で定義を書くことは簡単だが、結局、それを実践しているかしていないかで、理解の度合いや納得の度合いが変わる。
得心すると表現した方が正確かもしれない。
こんばんは。
前回01と02に関してコメントやブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います。
SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。
山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます。
デッキが無いといいますか、撮影、編集側にもビデオデッキで再生する為の機材、今となっては化石の様な機器を使用して編集する必要がありそうですね。
親しい、大事な女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人か汚物になります。なりました。
さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。
01と02は結局40分前後の時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。
それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチな性的嗜好を否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。
私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。
4.愛される事について
昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。
性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?
愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。
愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身の愛情が足りないぜといっているのだ。
だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。
自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。
誰かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれるものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。
この考えに至ったのはとある成人向けゲーム、所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。
実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。
年甲斐も無く、ワクワクしながらゲームをプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。
で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。
まあ、この作品は所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。
しかし、冷静に考えるとこれがフルプライスで販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。
このゲームに固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人が子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。
昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。
しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品が流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。
中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。
他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由で主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまりは失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロインは主人公に惹かれるのだ。
だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断で神様気取りの主人公の何処が良いのだと。
ハーレムのヒロイン同士で約束や協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。
世界観で一夫多妻制?サブヒロインがハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当にしか描写されていないのでは無いだろうか。
作者は、そして物語の中で主人公はサブヒロインもヒロインと同じだけ愛せて無いのではないか。サブヒロインをハーレムに入れた事で彼女の人生への責任は誰が取るのだろう。
こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間の人生を無責任では負えないだろうに。
その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリのヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。
これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議なレベルの気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気の世界である。
こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記に狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。
主人公教タイプの創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファンが作品を支えて市場を作っている。つまりは売れ筋なのだ。
大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。