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2019-12-20

放送三年後にユーリon ICEにハマったけど、これは未来アニメだと思う

私は結構フィクションに厳しい方だと思う。

現実希望を抱けないので、フィクションではせめて不快になりたくない。

からジェンダーセクシャリティ人種などの点で差別的表現があったり、ステレオタイプを刷り込むようなものは好きじゃないしそもそも見ないようにしている。

ここ数年は特にフィクションから遠ざかりがちで、厳選したものだけを見ていた。

そんなときたまたまユーリonICE再放送を見かけた。

パートナーの1人の家に泊まっていて、彼女テレビをつけっぱなしにしたままお風呂へ行ったから。手持ち無沙汰ななんとなくテレビに目を向けた。

センスのいいOP

よく分からんが始まったフリープログラム(第9話だった)

選手一人一人が、さまざまな形の愛をスケート表現していて、それを支える美しく綺麗な音楽

なんかすごいアニメ出会たかもしれない。

家に帰ってまず、サントラDLした。

音楽が良かった」という印象だけでDLしてどの曲が何とかも分からなかったけど、とりあえず一番それっぽい「Yuri on Ice」を再生してみる。

え……?

開始2秒で、涙が溢れた。こぼれてこぼれて、最後まで止まらなかった。

争いが嫌い。苦しみが憎い。それらは、熱くて、うるさくて、命の色をしている気がして。

冷たくて、静かで、青白いのが好きだった。

私にとって平和完璧世界はそんな場所で、いつもそれを求めている。

それを求め、現実との差に苦しんでいる。

けれどこの世界にもそれが感じられる場所はあって、モロッコのシャウエンや、アブダビシェイクザイードグランドモスクへ行ったりした。(冷たさや静けさは体感です)

次に行きたいのはボリビアウユニ塩湖ウズベキスタンサマルカンドかなと思っていたところ。

Yuri on ICE」は、そんな響きだった。

ピアノベース歌詞のない曲なのに、私の眼前には冷たくて静かで青白い、平和完璧世界が一瞬にして広がって。

私の望む世界がそこにある、と直感的に思った。

私がどんなに思い描いても、焦がれても、行けないその場所

最初から最後まで涙が止まらなくて、ピアノの響きが美しすぎて、前世自分ピアノだったことを思い出したかのような、そんな愛しくて温かく、切ないひらめきがあった。

そうだ。スケートリンクって、冷たくて、静かで、青白い。

ユーリ on ICEを全話見た。

こんなに優しい世界があるなんてと毎話泣いてしまうほど、そこには多種多様でたくさんの愛があった。

エロス」それがカツ丼でもいい。「アガペー」それはおじいちゃんからもらった。

異性愛だけじゃなく、同性同士でも、故郷への愛でも、兄妹愛でも、自分への愛でも。

恋人友達?なんて愚問だというくらい、全ての愛がそのまま肯定されて美しく描かれていた。

性別キャラ無駄なラベルを貼ったりしない。それぞれの「国」を背負うのは、みんなステレオタイプな「その国らしい」キャラとは限らない。

同性同士が、なんの名前もつけない「愛」のペアリングをつけても、それが自然世界

みんなただただ、自分らしく氷上で舞いたいと努力し合う。

自分の愛を誇りに思いながら。

もし本当にそんな世界が訪れたら、どんなにいいだろう。

これはいわゆる「腐女子向け」アニメだと言われることもある。

でも、世の中からゲイ」「BL」という言葉がなくなったら?

そんな言葉もいらないくらい、それらが普通のことになったら?

どんな愛でも、それが愛である限り大切な愛なのだ肯定される世界になったら?

ユーリon ICEはそんな世界で、ただただ温かい素敵な物語の一つになると思う。

そんなときが来ますようにと願いながら、私は今日ジェンダーセクシャリティがさまざまな複数パートナーたちと生きています

ユリオがユーリを「豚」と呼んだシーンは体型差別的だと感じる面もあるし、

(ユーリは太っている場合じゃないフィギュアスケート選手であるということを考慮したいとは思う)

私の気がつかなかった部分で、ユーリon ICEを見て嫌な気持ちになった人もいたかもしれないということは念頭に置きながら。

あ、どんな愛でも〜と言うと必ず「小児性愛も?」と聞いてくる人がいるので言っておきたいのは、それは愛ではなく病気であるということ。

小児性愛について知れる本が出てるので読んでみてください。

こんな但し書きをつけなきゃいけない現実つらい。

でも、私も、頑張るよ。

 
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