はてなキーワード: 震災とは
「この作品で、作者は、それがどんな過酷な体験であったかを、まるでドキュメンタリーのように詳細に描いてゆく。ここまで真正面からストレートに『あの日』を描いたフィクションはなかったように思う」
「これほどの天災を語る時、かつては必らず誰もが『神』について考え、祈ったり呪ったりしたはずが、なぜ登場しないのか。この作品の優れて批評的な部分は、それを『マス・メディア』に置き換えて語っているからだ。『神』は横倒しになっている」
「読み始めるやすぐに、これは並はずれた作品と出会ってしまったのではないかという気持ちにとらわれたのだが、その感覚は読み進めるうちに強まる一方だった。激しく胸を揺すぶられ、ときに唸り声などもらしながら夢中で読み終えた」
「作品の全体が緊迫感にあふれ、たまらないほどの悲しみに覆われている。しかも文章には勢いがあり、いきいきとした躍動があって、平板に陥ることがない」
「ひょっとして実際の災害とは無縁の作者によるものだとしたら、それはまたこの小説の驚嘆すべき点」
「破格の筆力によって、日本のみならず世界に向かって発信されるべき作品が生まれ出た」
「驚くべき才能の登場に興奮が収まらない」
「これはちょっと相当に凄い小説である。力作と書いたが、まさに言葉に宿る「力」が尋常ではない」
「作者は一歩も後ずさりをしようとはせず、逃げていない。こういうことはめったに出来ることではない」
「しかも、作者は実は被災者ではないのだ。しかし、それでも彼女はこの小説を書いたのだし、書けたのだ。」
(これまでの震災作品は)「震災が起きたという事実を『反映』しているだけで、本質的なところで表現しているとは言えなかった」
「ついに2011年に起きた東日本大震災を『表現』する作品が登場したと言っていい」
「過酷な現実に対応せざるをえない未成熟な自己の、その痛ましくも力強い格闘の記録であり、成長の物語である。私は昼飯のパンをかじりながら読み、落涙したよ」
「ポスト震災の文学を論じていく際には外せない作品として、今後広く長く参照されることになるでしょう。文学研究者として断言します」
『美しい顔』読みました。
海側ではないのでこの小説のような壮絶な被災経験はありませんが。
震災の映像と同じく、心身ともに影響のない人だけが読んだ方がいいです。
まず、主人公が岩手ないし宮城の海側の女子高生とは思えないところ。
冒頭のカメラマンに対しての「電車も走ってないのにわざわざきた」「ここが銀座八丁目だったら」「いいねが欲しいんだろ」の部分。
車必須社会なのに最初に電車を思い浮かべるかな?と。新幹線ならわかるけど。
この辺の電車だから本数なんて1時間に数本レベル。それなのに車じゃなくて電車?といのがひとつ。
あとJKが思い浮かべる都会は渋谷原宿新宿東京上野はあっても銀座は(ヾノ・∀・`)ナイナイ
そして震災当時はそこまで「いいね」文化はなかった。「いいね」って言葉はまだ一般的ではなかった。
Twitterのファボはハートじゃなくて星だったし、インスタはまだない。ミクシィがまだ活躍してた。
女子高生が複数の医師と看護師をみて「あー医師団だ」って思うだろうか。
こういうことをあげていったらキリがないけれど、とにかく17、8の女子高生の一人称視点には思えない。
最初読んでいてずっと大学生だと思ってた。それでも合ってないけど。言葉のチョイスやものの見方がその年代と合っていないと思う。
感性が老けてる。10代のそれじゃない。なんのために主人公を10代にしたのか分からないくらい女子高生に思えない。
まして主人公は「大学に行っておいたら」と母に言われてるってことは、大学行っても行かなくても良しとされる程度の学力だと思われる。
なので頭の回転とかもお察しだから、年相応以上の言葉選びに余計に違和感。
先入観があるからだけど、都会に住む大人がルポを読んでいい感じに組み立てた小説にしか思えない。
主人公が東北の片田舎に暮らす女子高生とは最後まで思えなかった。
この小説に凄みがあるのは、“盗作された”と名前のあがったノンフィクション作品がそれだけ凄いんだと思う。
それならそれでいいけど、なおさら何故参考文献として触れもしなかったのか。
著者にコンタクトを取らなかったのか。
もうそこに尽きるよね。
震災でデマ情報も増える可能性があるから、デマと断言しないまでも、こういう情報はすぐに信用せずにまず確認する、という方法でも共有しようや。
これまでに数々のデマに踊らされてきた増田やはてな民なら、自分なりの見かけた方がたぶんあるはず。
自分も、自分なりの見かけた方を提供するから、ほら、共有!共有!
休校を市長が指示出したために現場が混乱したというニュースが流れている。 大阪市長のツイートで学校混乱 - https://this.kiji.is/382090578945229921 時系列にするとこんな感じのようだ 07時58分 地震発生(大阪市でも震度5弱以上を検知) 09時20分 大阪市長がツイッターで市内の小中学校休校を指示したとのツイート 11時すぎ 市教育委員会が各学校に臨時休校を指示するメール送信 ※ツイッター検索すると11時半過ぎでも授業していた学校があるもよう 【問題点1】 大阪市長は地震発生から1時間20分後に(市教育委員会?)指示したとツイート →市長が教育委員会に指示を出すのは権限外。 【問題点2】 市教育委員会が各学校に臨時休校指示を出したのは地震発生から3時間以上経過後 →市教育委員会が指示が遅れたのは、緊急時にすぐさま判断出来る体制が整ってなかった? ※震災当時は電話は繋がりにくかったが、メールではやり取りは可能であったため、連絡できないと言うのは無いはず 【問題点3】 大阪市では地震発生時における休校体制が明確に定まっていない? →他の地域も見る限り、基準は「教育委員会」が策定 そこで自然災害発生時の体制を調べてみたが、大阪市は明確な基準が記載されておらず、市教育委員会が判断を下さない限り対応できなかった模様。 それでいて、市教育委員会の各学校へのメールは11時過ぎと遅い。。。 ■近隣市町村の台風・地震など自然災害発生時の対応状況 高槻市 http://www.city.takatsuki.osaka.jp/kakuka/kyoikushido/ksidou/oshirase/1370514670340.html 茨木市 http://www.educ.city.ibaraki.osaka.jp/kita-j/keihouji.htm 箕面市(箕面小学校) https://www.city.minoh.lg.jp/minoh-ele/html/osirase/documents/h28saigaitaiou.pdf 狭山市 http://dai7-es.osakasayama.ed.jp/index.cfm/1,776,24,html →基本的に「震度5弱or強」以上が発生したら休校すると記載されている。 大阪市(公式のが無いため、教育委員会所有の学校HPから) http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e581212&frame=frm51c1131d07a6a http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=e581215&frame=frm55a713824186f →全ては確認出来ていないが、明確に「震度○以上」発生した場合とかは書いていない。あったとしても「午前7時時点でJR線か大阪メトロ(地下鉄)が運休時は休校」という記載が多い。 ■兵庫県 地震で臨時休校、対応分かれる 阪神間の小学校 - https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180620-00000014-kobenext-l28 →「震度5弱以上」であれば休校措置をとる体制になっている自治体が多い模様。 但し、震度4では各学校判断だったため、対応がばらけてしまったため、その対応で混乱は起きた模様。 >(芦屋市)教育委員会が午前8時20分すぎに全8校に休校を指示したという。 阪神大震災を経験している芦屋市では、地震発生20分後には教育委員会が休校指示を出していた。 1時間20分後に大阪市長がツイッターで休校指示を出したことが問題とされていたが、今回の事案では、この市長のツイッターでの指示の前に休校指示を出せなかった、大阪市教育委員会の対応が一番問題視されるべきではないだろうか? 神戸新聞の記事にあるように、震度4でも児童は不安がっていたとある。そこよりも震度が高かった大阪市において「通常授業」をさせていた状態の方が異常であると思わない方がおかしい。
外部的に補強できるのは補強するわな。
また、姉歯みたいなのを許さないからこそこれだけ死者が少なかった。
震度6なんか途上国で起きたら、ウン千人クラスで死者が出てる案件だと思う。
なお、少し前に騒いだ四川大地震は死者は6万9197人、負傷者は37万4176人だが、震度自体はマックスが6弱。
言ってしまえば、姉歯含めて、建築確認ガバガバで、建築基準が四川大震災並みだったら、今回の地震はウン万人で死者が出てもおかしくなかった地震なんだね。
>>亡くなったクラスメイトの命も含め、過去震災や災害で命を落とした人々の尊い犠牲の上で、私達は日々暮らしているのだと実感した出来事だった。
なんだろ
普通の日本人様方はそう思ってんだ
吹田市民です。
私のスペック。30代男性。大阪市内の会社に勤務。妻、30代、専業主婦。
自宅。築40年のマンション。古い。6階。
朝、いつもアラームは8時20分に設定している。(始業は10時なので、ゆっくりめ起床)
妻も既に起きていて、本能的に体を寄せ合う。
阪神大震災の時は、目覚めた時、既に揺れており、部屋が平行四辺形にグラグラ揺れていたのを覚えている。
違ったのは、振動の長さ。阪神大震災の時は1分ぐらい続いたと思うが、今回は15秒ぐらいで済んだ記憶がある。
震源に近かったせいか、緊急地震速報は、揺れの最中から鳴り出した。
玄関にいき、下履きを持ってきて、泥を払った上で、室内用として使用する。(ガラスや陶器が割れて散乱しているので)
ダイニングの食器棚が倒壊し、食器は約半分が使い物にならない。
書斎のPCモニター(24インチ液晶)が机から落ちていた。正常に動作するかどうかは、未検証。
書斎の本棚が倒壊し、再起不能なほどに壊れた。当然、中の本はすべて書斎内に散乱。
寝室は、引き出し式のクローゼットが私の寝床に倒れていた。すぐに飛び起きていなければ、頭直撃コースだったに違いない。
それ以外は深刻な被害はなかった。
続いて、風呂に水を貯める。ガスの元栓を閉じる。ベランダなど、すべての扉が開くかどうかをチェック→正常に開いたので、問題なし。
自分と妻のワイモバイル回線→音声通話は不可だったが、4Gは通信できた。
我が家は、基本的に必要なものしかストックしないという妻の方針のため、非常食になるようなものがない。
会社の上司に連絡。電車がいつ動くかわからないこと、部屋の中に割れた食器と家財道具が散乱していることを伝えると、出社しなくて良いとの連絡。
(家の惨状を写真に撮って送ったら、たいそう驚かれた。上司は京都に住んでいるので、ここまでひどくなかったのかもしれない)
確認したところ、こういうときに必要なものとしては、2リットルのミネラルウォーターが2本と、昨晩沸かしたお茶約1リットル弱しかない。
そこで、コンビニへ買い出しに行くことにした。
買ったものは、昼食の弁当×2、非常食相当のカップラーメン×2、朝食相当のカロリーメイト×1、紙パックのお茶1リットル とりあえず、夕方まではしのげる量の食料を確保。
自宅に戻り、午前中の間はテレビとネットで情報収集しつつ、下手に動いて余震にやられないよう、寝室で待機。
正午過ぎにお昼を食べて、そこから部屋の片付けを開始。
下履きを履きながら、室内の割れ物を回収していく。みかんのダンボール箱相当で、3箱分ぐらいの、ガラス・陶器の割れ物が発生。
細かい割れ物は新聞に包んで、特に営利で凶器になってしまいそうなものは、ガムテープとラップで養生してから、マンションのゴミ捨て場に捨てに行く。
同じような割れ物が、たくさん捨てられていた。
片付け作業中、1時間に1回ぐらいの割合で、テレビをつけて情報収集。私はずっとつけっぱなしにしたかったが、妻はこういう状況で災害の放送をずっとつけていると、精神的にもよくないと反対。
私も納得して、必要以上に情報に接しないよう心がけた。単純に、片付けにも集中できるという意味で、効果は高かったと思う。(私はテレビ見ながらの作業は、ついつい手がお留守になりがちなので)
5時になり、ライフラインの疑問が解決しないかと思い、マンションの管理室に行ってみる。
水道水がにごっていること、ガスを使っていいのか、この2点を尋ねに行った。
ガスは、一定の震度に達すると自動的にストップするので、再始動の手順がガスメーターに記載されていることを教えてもらった。
昨晩の残り物、白ごはん、ねぎ焼きが残っていたのでそれを電子レンジで温めて、惣菜といっしょに食べた。
室内の掃除はあらかた終わり、あとは細かい破片を取るために粘着ローラーをかけるだけとなった。
夜は、寝室とは別の、一番家具の少ない部屋で寝ることにした。
念の為、天吊の灯具は外した。寝るにしか使わない部屋なので、当面困ることもない。
翌日は普通に出勤するも、一部でJRが動いていないため、阪急で出社。30分の遅刻。
妻は、最後の片付けをしていたようだ。
一部の交通機関を除き、平常運転だったようだが、街の中には様々な傷跡がのこっていた。
マンションや駅のエレベーターは、軒並みストップ。点検して安全が確認されるまで封鎖。
公共施設の多くで、天井や壁に亀裂(クラック)が入っており、これも点検修理が終わるまでは近づかないよう、カラーコーンなどで規制線がはられている。
街ゆく車の中には、工事関係の車が目立った。かんでん○○とか、ガスサービスセンター○○といった、インフラ系関連会社や、
○○ビルテクノ・サービスといった、ビル管理系の車がよく目につく。
自分の会社の自席は奇跡的になにも倒壊していなかったが、いくつかのモニターは倒れていたようだ。
あと、うちの会社の部屋だけエアコンがついておらず、昨日今日と暑い中、汗をふきふき仕事をしている。
マスコミの報道内容とか、ヤフーニュースのトピックを見ていると、地震の扱いは過去の地震と比べて小さいように思う。
死者の数は1桁、翌日から通常営業できるようになったせいか、さほど深刻に受け止められていないように思うが、
実際に震源の近くで暮らしているものからすると、余震に怯えたり、想定外の後片づけに悩まされたりと、色々苦労をしている。
ただ、これだけの震度でありながら、犠牲者の数が少なく済んだのは、阪神大震災の経験が大きいと思う。
私は小学生の時に自宅で震度7を経験したが、揺れ方だけ見れば、あの時の悪夢と全く同じだった。
それにもかかわらず、倒壊損壊した建物、火災になった建物がわずかばかりであったのは、過去の教訓が行きていると思う。
当時幼いながらも、そのことで、人の生死なんて、いつどうなるかわかったもんじゃない、と感じた。
改めて今回思うのは、儚さだ。人の命もそうだし、割れた食器たちを拾い集めている時も、同じ気持ちを抱いた。
しかし、22年前と比べると、確実に社会は変わったと思う。もちろん、前向きな意味で。
マグニチュードや震度だけ見れば、当時より少し小規模だが、被害の規模は明らかに小さい。
建築物は、確実にあの時よりも丈夫になっている。
情報インフラも発達し、被害状況がほぼリアルタイムで分かるようになった。
色んな課題を抱えているこの社会だけど、耐震性というか、カウンターディザスタネスとでも言えばいいのか、
亡くなったクラスメイトの命も含め、過去震災や災害で命を落とした人々の尊い犠牲の上で、私達は日々暮らしているのだと実感した出来事だった。
839 :名無しさん@おーぷん:2017/04/26(水)17:51:19 ID:Hz7
ありがたいこと大変なこと嫌なことたくさんあったがここで言いたいことはひとつ
実はいろんなところで言われてるがあまり浸透していないようなので
被災者のためにと衣類を送ってくださった方々の善意まで否定する気は毛頭ない
ただ現実的に被災地で何が起こったかを知ってもらえたらありがたい
マスコミの「冬用衣類が足りない!」(ちょうど季節の変わり目だった)という報道を受けて爆発的に増加
あっという間に狭い体育館を埋め尽くした
床が見えないほどの服、服、服の海…
もちろん食料品や生活雑貨など衣類の他にもさまざまな種類の物資も続々と届く
しかし個人から送られてきた衣類ほどスタッフを苦しめる存在はなかった
まず仕分けの手間。普通の物資を1とすれば衣類の箱は10というほど手間がかかる
せめてこれだけでも分類した状態で入っていれば御の字だがそんな箱はほぼない
箱を開き一枚一枚手に取って確認する
これは女性のセーター、Mサイズ。こっちは子どものズボン、140センチ。
見た目ですぐに判断できる服ばかりではない。
これが想像以上に膨大な時間と手間を要する。やってもやっても衣類は減らない
それどころか次々に新手が送られてくる
840 :名無しさん@おーぷん:2017/04/26(水)17:51:50 ID:Hz7
ひらひらのワンピース、タイトなミニスカート、スーツに礼服。誰が着るだろう
こうした需要のない服、人には勧められないような服の割合は実に3~4割にも達した
しかしすぐに捨てることはできない
ゴミ袋ひとつとっても災害の片づけで不足している上、マスコミの目もある
「善意」をゴミとして捨てていると報じられたらどれだけのバッシングを浴びるか
結局「使えない服」として分類された大量の衣類が少なくない場所を占拠していく
また、被災者に衣類を選んでもらうのも一苦労だ
場所がない中でぎゅうぎゅうに並べた服を、被災者が自分のサイズを探してかき回す
ぜいたくを言うなと怒られるかもしれないが被災者にもプライドがあり
特に発災から日がたってくると、服も「着られれば何でもいい」とはならない
しかし個人から送られてくる衣類というのは大半が「うちではもう誰も着ない」服だ
気に入っていて今よく着ているという服を送ってくる人はいない
しかしデザインが古いとか何度も着て色が落ちてきたとかそんな理由で着なくなった服は
結果的に選ばれるのは数少ない、本当にわずかな新品や新品同様の服
それ以外はいつまでも山となって残る
841 :名無しさん@おーぷん:2017/04/26(水)17:52:57 ID:Hz7
具合が悪くなるほどの服の海に溺れているにもかかわらず
この二つは中古で人にあげるということがまずないので
送るとしたら新品になるが、わざわざ新品を買って送ってくれる人はほとんどいない
いても個人レベルなのでせいぜいが5セット、10セットといったところ
これが本当に苦しい
肌着や靴下の不足は本当に深刻で、服と一緒に並べようものなら数秒でなくなる
そこで避難所内に不公平感が出ないようなるべく平等に配布したいのだが
肌着がない、肌着がほしいという被災者の要望にはほとんど答えられなかった
もっとも効率的だったのはだいぶ経ってから実現した企業からの支援
衣類メーカー、肌着メーカーが「新品」を「大量」に送ってくれた
一人〇点限りとはいえ全員に行き渡る新品
さらにひと箱に同じサイズの同じ製品が入っているため仕分け不要のありがたさ
正直涙が出た。そのくらい仕分けはきつかった
服の山に埋もれているのに肝心の被災者の求めるものはないという状況もきつかった
各地からの応援職員、大震災を経験したボランティアに話を聞くと全員が同じ事態に直面していた
842 :名無しさん@おーぷん:2017/04/26(水)17:53:23 ID:Hz7
「新品しかいらない」「同じものを大量にほしい」「古いの汚いの送るな」「需要考えろ」「仕分けして詰めろ」
なので、結果として同じことが繰り返されているのだろう
被災地では、特に発災直後はスタッフが不眠不休で働かねばならない
多くの人員が割かれ、貴重なスペースを奪われ、他の業務に支障をきたすことも多々あった
箱を開き、服を取り出し、サイズを確認し、誰も着ないと判断した服を再び別の箱に詰め、積み上げる
言い方は悪いがゴミを捨てるまでの手順をわざわざ増やしているようなものだから
自分の実感としては、衣類に関しては個人からの中古品の寄付は受けるべきではない
被災地の人手を奪った上に誰にも利用されず最後はごみとして処分され処分費用がかかるのは
例えばこれまでの災害で寄せられた義援金などをどこかにプールしておき
新たな災害が起こった時にそれを財源として企業から新品を供出してもらうような形が最適ではないか