はてなキーワード: 身の回りとは
この前、あるオンラインイベントに参加して話していたときにある参加者から、その参加者が参加した別イベントに参加していたある参加者からこんな質問を受けたという話題が出た。要は又聞きの話し。
私は、自分が住んでいる市町村や身の回りの場所といった回答をした。辞書を引いても第一義とそんなにズレていないのではないか。
2 (日本、または国際社会が)独立国として承認していない領域。また、ある国の領土の一部であるが、本国とは別の体制を認められている区域、自治領、植民地などをいう。
その参加者が参加した別イベントに参加していたある参加者が言うにはこうらしい。
なるほど。地域 = 田舎に意味が変わっている?という発見に、私が参加したイベントで話題になった。また別の参加者から総務省の「地域おこし協力隊」のせいではないかという意見が出た。
地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期はおおむね1年から3年です。
たしかにこのこの文脈では地域を地方や過疎化している田舎と解釈してもおかしくない。別のサイトでも都市から地方へ行くことが暗黙の前提として説明されている。
趣味が合って、毎日メッセージを送り合ってしょっちゅう合ってお泊まり会も何回もした。
それぞれ別の高校に進学して、お互いそこまで馴染めなかったこともあって、より一層親密になった。
高校時代は住んでいる場所もかなり離れてしまったけれど、時間が空いてさえいればずーっとLINEをして何度も何度もやり取りをして、時間を見つけてはskypeを何時間も繋いで、お喋りしたりだらだら過ごしたりした。お揃いのスマホケースとかもつけていた。
たぶんお互いがお互いを恋愛対象ではなかったんだけど、大人になったら同性婚できる国に行って結婚しようか、みたいなことを話したりした。
どっちも東京の大学に進学することになって、距離が離れていてもそれだけ親密だったんだから、距離が近くて気軽に会えるようになったら、今後もずっと関係が続くと思っていた。
友達は偏差値40くらいの大学で、私は偏差値70くらいの大学に進学した。もともと具体的な受験勉強の話はほぼしなかったし、特にこれまでと変わることもないかなと思ってた。
でも、どんどん話が合わなくなってきた。
もともと私は地元の小学校や中学校で浮いてて、友達も多くなく、いつも馴染めない気持ちが強かった。しかし、大学に進学したら自分と同じような考え方や価値観を持っている人とたくさん出会えてものすごく感動した。
同じような価値観の人たちの中で過ごす時間が増えるにつれて、どんどん友達との話が合わなくなっていくのを感じた。
とりあえず大学生になることくらいしか考えてなかった高校時代と違って、具体的な将来について考え始める時期になったことも大きいかもしれない。
将来観、人生において重要視する価値観、社会問題に対する価値観や政治観など、根本的な考え方がかなり違っていて、話をしていてもいまいち噛み合わない。
将来の進路や夢について熱く語る自己効力感の強い同級生たちとは全然違って、何か大きな夢を抱いていたりチャレンジしたいというような話はなく、会社に望む労働条件に関しても必要最低限さえあればよくて低姿勢だった。
言葉の通じなさも気になるようになった。熟語や雑学、新聞などでよく出てくる用語など、大学の同級生たちだったら当然知っていて通じるような言葉を使った話も、通じない/伝わらないなと気づくことが増えた。
徐々に、将来の話や人生観の話といった、私にとって根本的で重要な話を友達とすることが減っていって、そういう話は大学でできた友達と主にするようになっていった。
大学3〜4年は就活に時間を使ってものすごく大変な思いをしたけど、就活の話も、私がどういう企業を受けているのか、どういう選考を受けているのか、進捗はどうかなどを具体的に話すと、自慢のようになってしまうと思って、ほとんど話すことはなかった。
その分同級生たちとは、企業にジャッジされることにピリつきながらも情報交換や悩みの話などをよくした。
この頃には、1〜2週間に数回やりとりする程度で、会う頻度も2ヶ月に1度〜2度くらいになっていた。
さらに顕著になったのは、大学を卒業して働き始めてからだった。経済状況の違いがさらに加わって、食べるものや身だしなみ、身の回りのものなども合わなくなってきた。
特に私は食べ物はそこそこお金をかけて美味しいものを食べたいし、お酒も料理と一緒に美味しいものを飲むのが好きなのだが、友達とご飯を食べに行く場合は、大幅に予算を下げて、いつも物足りない内容になる。
趣味に対してどの程度お金を投資できるかという点でも、どんどん差ができてしまった。
もともと私達の家庭環境には差があって、そもそもの金銭感覚もややズレがあった。
私の家は両親はいずれも大卒で家にもお金はそこそこあったが、友達の家は親が専門卒で、お金もそこまで裕福ではないようで、家族で行ってたファミレスや旅行の話など、やや差を感じることがあった。
親からの小遣いや申し訳程度のアルバイト代をやりくりしていた頃はまだ良かったが、会社員としてフルタイムで働いて稼いだお金を、自分のためにじゃんじゃん使える状況になったら、本当に差ができてきてしまった。
お互いの価値観や取り巻く環境の差が大きくなってしまい、話が合わなくなったこともあるけれども、友達に対して自由に話ができない/できる話がグッと減ってしまったというところも大きい。
私にもっとコミュニケーション能力があったなら、こんな状況でも問題なく話ができたのかもしれないが、私は中学のスクールカーストでずっと下位だったコミュ障で、自分に関することや自分にとって重要なことを話そうとすると、友達に対する自慢やマウントになってしまわないか?という思いから、素直に話せない。
逆に、同じような大学を出て同じくらい稼げる会社に就職した人や、自分よりももっといい会社で働いている人に対しては、そのような気遣いをする必要がなくてとても楽だ。私にとって「当たり前」にある物事の話を、私は気兼ねなく「当たり前」のものとして話すことができる。行きたい価格帯の店に行ける。
環境が変わってしまうことによって、付き合う相手も変わっていくことは自然なことで、みんなそういうものなんだろうと思う。
友達とも定期的に会えてはいるし、趣味の話に関しては以前のようにできる。
けれども、私にとっても友達にとっても、もう一番親密な相手はお互いではない。同じ東京に住んでいるのに、長距離でも毎日絶え間なくやり取りをしていたあの頃の関係よりも、ずっと遠くなってしまった。
ある人は黙示録を読んで予言の書だと考察するし、またある人は少年漫画を読んでこれはボーイズラブだと解釈をします。
今話題になっている介護されたいオタク騒動も、「自分は歳だから介護にみえちゃうんだよね〜」という個人の感想だったら良かったのですが
「これは身の回りの世話をしてほしい高齢オタクを狙った作品ですね〜上手い!」
などという他人へのレッテル貼りに終始していてファンに対しても作者に対しても失礼だと思ったのでこのエントリをあげました。
英語圏最大のオタクコミュニティに MyAnimeList (MAL) があります。MALにおいてもフリーレンは人気で、現在放映中のアニメ210(注)作品中で2位、スコア8.93と高評価をつけています。フリーレンの登録者数は21万人。
MALにおける面白い機能の一つに Rcommendations があります。これは「このアニメが好きならこっちもおすすめだよ!」という作品をユーザーが自由に登録できるシステムです。つまり Recommendation に何が登録されているかを調べることで、フリーレンがどのアニメに似ているとユーザーは考えているのかを知ることができます。
以下、 Recommendation に登録されていた作品一覧です:
ヴァイオレットは戦場で大切な人を失った。兵器として育てられた彼女には、その最後の言葉は理解できないものだった。
戦後、手紙を代筆する仕事に就いたヴァイオレット。人々の手紙を通して様々な愛の形に触れていく・・・
ある日、地上に”球”が投げ込まれた。その使命は地球上の全てを記録すること。球は”不死”と名付けられ人々と共に生きていく
弱く愚かで、時に間違いながらも懸命に生きていく人々。不死の目線から数千年にわたり人類を見つめ続ける。
一人々はあまりにも弱く無力な命たち。それらはやがて集まり歴史となり、伝承となり、文明は紡がれていく・・・
3users 以下は作品数が多すぎるので勝手にカテゴリ分けしてまとめました:
TRIGUN (1users)
魔女の旅々 (3users)
キノの旅 (3uers)
蟲師 (2users)
狼と香辛料(1user)
少女終末旅行(1user)
魔法使いの嫁(2users)
鋼の錬金術師(1user)
以上をまとめると多分こんな感じでしょうか:
(ヒンメルとフリーレン)
必ず置いていかれる運命のエルフと人。それでも人と関わり続けようとするエルフ
魔法の設定周りが魅力
あまり使いたくない表現ですが萌え豚アニメではなく、質アニメとか癒し系アニメ寄りの傾向があります。
kou-qana 逆に、介護されて楽しい!って作品あるんだろうか?介護ほどでなければおにまいとか?あのフリーレン評のお世話され願望説、賛否はともかく何を指してるのかピンとこない…オギャり欲を指してる?
そう、そこが気になっていました。介護されたいという願望がピンとこないんですよね
misafusa 無自覚を検証したらそうなったという話だろうから、本人が『介護物』と捉えているかどうかはこの際無関係。なんかボーッとしてるけど実はスゴい主人公が若い弟子に面倒をみてもらう話を『介護物』と定義しただけで。
楽園の魔女のエイザードとかか・・・ でも、あの手の魅力は「普段はダメそうなやつがいざという時ギラっと強くなる」というところにあるので、お世話してもらいたい欲とは関係ない気がします。弱いエイザーどんとか、頭の悪い後藤隊長とか嫌でしょ?
あーーロキシー先生か・・!あの無表情(?)具合もたしかに・・・
見当違いだったらごめん。ハガレンもどこに入れたらいいかよくわかんない
versatile ここは、BLAME! でしょ!w
コンテンツ自体は残ってるんだけど「当時はそれが主流だった」ってのが、今の人たちには信じられないみたいで 「スクールカースト上位は勉強も運動もできるリア充、あくまで一部の落ちこぼれがヤンキーになり、普通の子はそいつらを冷笑的に見てた」みたいな史観で上書きされてるんだよ。今で言うとこのトー横キッズ的なマイノリティだと思われてる。
「リア充グループ=ヤンキーグループ、普通の子も基本はちょいヤンキー趣味で、ヤンキー文化に馴染めない子は陰キャ、マイノリティだった」って言っても信じてもらえない。
一部の治安のいい地域を除いて公立の中学ってだいたいそういう風潮だった(実際、校内暴力が社会問題になってたわけだから嘘ではない)から、それを嫌って中学受験する人が増えて1980年代半ばから私学の新設ブームが来て中受が一般的になったんだよ。
文教地区で育った子や私学に行った子は、そりゃ身の回りにヤンキーなんていなかったんだろうし、50代なかば以上でネットで発信してる人ってだいたいはそっち側の高偏差値層だから、田舎でヤンキーまみれの社会で育ったその世代の人がそもそもいないというのはありそう。
今なんかより情報は行き渡ってなくて、自分の暮らす地域ではないよその地域の一般人がどういう暮らしをしているかなんて誰も知らなかった時代だし。
ボンタン、短ランとかはヤンキーグループじゃない普通よりの子も着てたし、女子も一部の真面目な子以外はスカート長くしてた(生活指導の検査がある日はウエストを折り曲げてごまかす。ちょっと前のギャルと逆)。
30代
若い頃はいつ死んでもいいやという心意気が大事と教わり、そう心がけてきた
自分の身の回りは常に整理整頓しミニマムに生きることにも慣れきった
結婚もしていないしから自分の後には何もないスッキリとした状態なのが心地良い
あと今年は遺書の書き方を習おうと思う
だけど今は少しだけ不安だ
いつ死んでもいいのは変わらないけど、死ぬ時期を選ぶことはできないのが苦しくなってきた
早まるならまだ踏ん切りが付くしむしろ明日癌と告知されても驚かないだろう
けど、これが80歳まで続くとしたら恐ろしいよな
自分ただ一人のためにこれから50年近く生きるのは相当無理がある
常に整理整頓を心がける必要があるし都会でなければかなり難しい
そうすると住処が固定化されるので、高齢者になっても現状維持は厳しい
その時に考えればいいのだが、その時に考えて動けるかなんてわからない
そしてなにより、数十年後の自分が今と同じ心構えをしているかわからない
一寸先の闇には無類の強さを誇るのに、何十年も生きる耐性がない
たぶんもう15年くらい、某ゲームのファン同士ってことでゆるく繋がっているフォロワーさんたちがいて、そのうちのお一人は、顔も名前も職業も現住所も、なんだったらリアルの性別さえ知らないんだが、なんかめちゃくちゃ気が合うので勝手にいちばん仲良し…だと思っていたんだが、ふとその方がご結婚なさっていたことを知ってしまった。
いや、もしかして最初に知り合った時からどなたかの奥さんだったのかもしれないし、というか、いくら未婚率高くなってるとはいえそれでも自分のように生涯結婚する予定がない、相方を迎える気もない…って方がずっと珍しくて、向こうさんだって自分が未婚だって知ったら驚くかもしれないし…なのだけれども、
そっかー。ずっとなんとなく一方的に勝手に親しみをおぼえていたけれど、いつのまにかご結婚されてたのか〜……
私にとっては結婚してないのがふつうで、この人もわたしと同じふつうの中に暮らしてるんだろうな、と思っちゃうんだけど、せめてTLのなかでくらいそう思ってたいんだけど、実はわたしと同じふつうをふつうとして生きてる人は、リアルにもネットにも、もうほとんど身の回りにいないんだなあ。
寂しいとも孤独とも違うんだけど、こう、わたしの考える「ふつう」のエリアの中には、わたし以外誰もいないんだなーと思うと、なんか、ほかのみんなが遠いなあ
私は全く行きたくないのだが嫁の強い希望で行くことに決まってしまった。
最初は「面倒だなー」という感情しかなかったが、徐々になぜ自分が面倒なのか気になってきた。
ぜひ他の人の意見も聞いてみたい。
簡単に言えば私にとってディズニーは「デフォルメされすぎている」ということだと思っている。
どのように決まるかはわからないが、多分日常的に触れているコンテンツの
例えば私が好きなバイオRE4は結構リアルなのでデフォルメ度合い1、
ディズニーは結構デフォルメされているので5、みたいな具合だ。
式にすると以下だろう。
デフォルメ度合い = ( Σ 個々のコンテンツのデフォルメ度合い ) / コンテンツ総数
生き物の性質なのかなと思う。
つまり帯域外のものは自分の身の回りのものとはあまりに様子が違いすぎて、
本能的に「得体の知れない怪しいもの」という風に捉えてしまうのだと思う。
暗いトンネルが怖いのと同じようなもので、人間は得体の知れないものが基本的に怖い。
なぜなら得体が知れないので次の予測ができず、もしかすると自分の生命が
とはいえディズニーに行くことは決定事項なので行かないという選択肢はない。
(実は一度私マターの理由でディズニーがキャンセルになり嫁を怒らせたことがある)
このままだときついなーと思っていたのだが、上記の理屈が正しければそんなに心配することはないのである。
というのも、一度行ってしまうと自分の中のデフォルメ度合いが一気に変化する。
ディズニーなんてデフォルメの塊みたいなものなので、一日でかなり耐性ができることが期待できる。
「行ってみたら意外と楽しかった」という現象はこの理屈で説明できる。
なので対策というほどでもないが、要はどうしても行かなければいけない場合は
さっさと経験してデフォルメ度合いをチューニングした方が結局は自分が楽ということである。
まだチューニング前なので凄く面倒。
◯◯に何が入るかは、アンチ◯◯が正しいかどうか議論をしたくないため伏せる。
アンチ◯◯にハマった結果、暴言が多くなり、会話が成り立たなくなったことが今回の吐き出したいことです。
共通の友人(Aとする)が言うには、アンチ◯◯にハマった友人(Bとする)と共通の知り合いで過激なアンチ◯◯がおり(Cとする)、Cの影響でBがおかしくなったとのこと。
AはBもCも友達ではあるのだそうだけど、アンチ◯◯のおかしなことを言われるのが嫌で、共通のSNSをやめた。
Cの存在をまったく知らなかった私は、なぜBがいきなり怒りっぽくなり、成立しない会話を始めたのか理解できなかった。
何かに対してアンチ…っていうか嫌いでも全然いいと思う。ただ、自分自身の考えを怒りに任せて他人にぶつけ続けられると、どんなに仲の良い友達でも受け止めきれなくなる。
私個人の考えだけど、その友達の言い分は的外れで科学的根拠がないと思ってるから共感できない。何かのエビデンスがあるわけじゃなくて、ネットの声の大きい人の言ってることを鵜呑みにしてる。もちろん、そのまま「お前のいうことは証拠がないからおかしい」と言い返すようなことはしないし、「なるほど、そう思うんだね」と返す。
…が、そろそろ共感できないことを怒りながら支離滅裂な文章で送ってこられることに限界を感じるようになった。
陰謀論にハマるのは寂しい人、何か困ってることがある人というのが一般的な見方なので、なるべくBにも寄り添いたいと思うが、私のような考えの違う人は身の回りからいなくなってほしいんだろうか?
昔、母が軽いアンチ△△で、その時はすごく戸惑ったし、「お母さんの考えは間違ってる」と言ってしまったことがあって大変なことになったけど、軽かったので、「(アンチを続けることによって損なわれる)お母さんの健康を心配してるんだよ」と何度か言ったら、『心配してる』が伝わって、母のアンチ△△はなくなった。