はてなキーワード: 行使とは
聞く度???ってなるんだけど
しかも中高生とかならまだしも普通に仕事してる同じ年齢くらいの人が若い世代代表みたいにしてそういうの言ってて本当に凄い嫌なんだけど
もし自分に原因があって相手が怒ってる状態で理性的でいるより感情的になる事が問題解決の妨げであるとか問題解決を優先すべきだって言うのなら、原因である自分こそ理性的であるべきで相手が感情的になってようと関係ないし、というか相手の怒りはむしろ進んで思考材料とすべきだし、原因から筋道辿って自分に何かしら不備があったのなら自戒として改めたりそれを口にするなり何なりすればいいだけの話じゃん
そこでうるさく言われて嫌な気分になったら反省とか出来ないでしょ、ってなるのは自分こそ超感情優先で動いてるじゃんって思う
だって怒られてる内容/論理じゃなくてその声の大きさや怒られてるって事実自体が嫌なわけでしょ
理性では少なくとも何か自分が悪いって事は分かってんのに感情面でそれを否としてるって事なんだから超感情的じゃん理性とは真逆じゃん
自分がやった事への責任やその代償、自分が変わらない事での自分や周囲への影響より感情面優先させて意思決定すんのは普通に超感情的な人間だよ
しかも反省出来ない、って表現ってそういう自分の行動が原因になってこれから起き得る、今起こったのと同じような問題の影響の責任までその相手にあるってそういう言い方なんだよね
あんたがそうやってこっちの気分悪くさせて反省出来なくしたからまた同じ事起きるかもねってそういうの
相手の感情や相手が周囲へ配慮する、影響考えるその気持ち人質に取った一種の脅しだよね
そういうのをそこまで自己分析も言語化も何もしないまま自覚ないまま口にしてる
ていうかそもそも問題解決のための理性的な論理と問題によって影響が及んだ側の感情は対象が人間であるなら引き離すべきものじゃないし、引き離したって大方何の解決にもならないって散々言われてる事だし
実際相手の感情的な面を新たに問題の原因だと定義して自身への影響面で同じ事を繰り返さないようにだとか反省するために一定状態以上の気分の維持が必要なのにって主張してるわけでしょ
感情面の尊重を求めてる時点で問題解決の過程で感情的であるべきでない、って主張は矛盾するよね
その定義の仕方自体、元を辿れば自分が原因であるって部分を無視してて相手が感情的になるのは自身が原因だとしても嫌だけど自分が相手に感情的になるのは別にいいっていう超自己中心的で自分勝手な話だけど
たぶんそれが問題解決における近道だと思ってるから正答だと思ってて、だから矛盾も自分勝手さも関係無いって思ってるんだと思うけど
結局その近道って問題の発生から解決における道筋においての近道で、間にある自身が原因になった事での影響とそれを訴える側からの意見への受容って部分を勝手にすっ飛ばしてて、影響あった側が飛ばすのは分かるけど原因作った側がそれいらないよねホラ近道じゃんって言う傲慢さのやばさたるやって感じだよね
問題起こした人間が怒ってる相手に対して感情の出し方もその範囲も問題の解決方法もこっちで決める、こっちが機嫌損ねるような事言ったら反省なんてしないってそう言ってんだもんやっばいよ
原因に向けた怒りや悲しみの発露って言うなれば相手への訴え、手段としてのその責任への代償を求めるに至った事への倫理的説得性の補強行為なわけで、それがあったら反省できないとか言うの逆に笑っちゃう
感情的になる事が逆に説得力を欠く事になるって意見は分かるし、実際解決方法として用いる分の手段のはずの感情をぶつけるそれ自体目的になっちゃってる人もいて、そこの部分に辟易するのも理解できるんだけどでもそれはあくまで論理に対する説得性に関しての部分で、その原因が引き起こした感情に関して自体とそこへの責任を否定するものではないんだよね
正論だどうこう言ってる人はそこを同じ感情って部分で混同してると思う
教育の場だと感情に対する責任は教師相手のものからは問われない事が多いからその意識をそのまま社会出てまで当て嵌めちゃってるとかなのかな
学校なら授業料払って学ぶ権利を得ていて法的にもまだ人として未熟だとされてる以上、学校側もあるところでそれを職務としてそこで問題を解決する場合に原因となった人間への対応として説得性の部分や当人の理解や反省が優先される方法を取って行くべきって主張はある意味正解ではあるとは思うけど
それが特異な環境である事を理解しないままそういう関係感を社会に出てまで引き摺ってるのだとしたら勘違いも甚だしいなって思う
学校でも生徒間の問題は感情面の責任についてむしろ言及される傾向にあると思うけど基本的にそこで怒られる状況があるなら第三者である教師にって場合がほとんどだからそこを分けて別のものと認識してて自分が問題を起こして影響を及ぼした相手が当事者意識を持って感情面の責任も含ませ自分を責めるって状況自体理解できてないのかもしれない
実際どうかは知らないけど
普通に考えれば解ると思うんだよね
問題があってその原因が自分にあるならそこにはその責任と代償が伴うっていうのは当たり前だし
その原因に対する責任においての再発防止策のひとつが安易だけど自省するって事でしょ
自分がやった事で相手が怒っててその相関性が常識的ならそこで引き起こされた相手の感情面の問題にも少なからず責任は発生するっていうのも普通の事だし
その責任の代償として露にした感情を受ける事を相手側がこちらに求める権利は当然あるし責任に対して受け入れる義務もあるって主張も理解できるじゃん
その原因作ってそういう状況にしたのは自分で、そのせいで相手に発生した権利を認めないって意味わかんないし
別にその権利を行使された結果そこでうるせえわって思うのも大袈裟なんだよって思うのも自由だけど少なくとも感情を出す事を相手が代償としたんならその選択の自由を原因作った側が制限する、制限出来る権利があるって思ってるのはほんと頭おかしいなって思う
説得力を欠くって問題がもしあったとして、それは問題を追求する過程でのやり方の話で問題の影響に対する責任への代償とは別の話なわけだし
そもそも問題の原因とされる事が不服でありその説得性という面で納得が出来ないので責任も無く代償も必要ないって言うなら解るけど、反省すべき事だと自覚がある上で問題解決の方法が気にいらないから責任は取らない、それは責任に対して代償を求められたからって意味わかんないんだよね
その状況で相手が感情的になってる理由を理解せずそれ自体を非難するのって責任の放棄、もしくは責任を認めない、理解してないって表明だし、それじゃ反省する気なんて起きないっていうのは同じく責任を認めない、理解してない、その上それ自体の責任まで相手に押し付けるものって話なわけでしょ
自分が何言ってるかも解ってないのかなって思う
感情的になる事自体に否定的だ自分の感情なんだから原因が別にあっても自分でコントロールすべきってスタンスならそれはそれで理解も出来るけど、でもそれならやっぱり相手が怒ってる事で自分が気分悪くなった責任も自分で追わなきゃ矛盾するじゃん
ていうか問題解決の折に感情的な面を材料として捉えないのは逆に理性的にと言いつつ感情的に主観的に忌む対象を排除しているというだけで全然理性的でも何でもないんだからそういうのは中学高校生ぐらいまでにしといて欲しいって思う
そういう事言う人ってたぶん凄い主観的で共感性低めだから分かんない部分があるのかもしれないけど立場変えて一度どういうもんか想像してみればいいのになって思う
クッソ嫌いな奴のやった事のせいで自分や大好きな人や大好きなキャラが怒ったり泣いたりしててその原因作った本人が何でそんな感情的になんの?声でかいし気分悪いし反省する気もなくなるわって言ってる姿思い浮かべてもその通りだなって思うのかな
映画とかでそんな場面あったら普通にヘイト集めるためのシーンだなって感じだけど
その人が言う通り反省して貰うために気分を損ねちゃいけないから怒るとか泣いて責めるなんてそういう自分達の気持ちは二の次にして気を使ってあげないとって思うの?
泣いてる子に対してこの人の気分を害したお前のせいになるよって?
だったらそれは逆にもういっそ凄いねって思う
自分がやらかした場合の相手が感情的になる選択の権利を勝手にどうこうする根拠には全くならないけど
結局自分が原因にも関わらず相手の感情的な訴えより自分の気分を優先するっていうのはただ自分が相手の事なんて、相手が自分の行動でどうショックを受けたか、傷付いたかなんてどうでもいいってだけで、諭してくれないと、なんてそもそも何かやらかしたのは分かるけど何が問題か理解してない、どう思ったかは言っていいけど感情的に表現するのはやめてくれ、でも自分は嫌だと思って気分悪くしたら態度に表れるし反省できないよ、なぜなら感情的に表現するからってそういう話でしかないと思う
やっぱりただ自己中なだけだよ
自己中なのは自由だし自分の人生だし自分の人間関係だからどうでもいいと思うならそれでいいけど
怒る声苦手だしそういう性格だから悪いの分かってても怒られると良い方には行かないんだよって言うならそういう人もいるからって思うし否定しないけど(それでも責任に対する代償は負えよって思うけど)、その良い方に行かない原因が自分の性格じゃなく相手の人間性にあるって思うのはやばいしその歳でそこを理解できてないのもやばいなって思う
自分が言ってる事もやってる事も普通な事でむしろおかしいのは相手だって思ってる感じが
解ってないのは仕方ないけど解ってない事ぐらい自覚しなよって思う
自分で自分が何でそう思うか解ってないのに相手が問題あるって根拠なく疑いないのってすごい人としてやばいじゃん
相手によって、立場によって変わるような自分の偏った極々感情的な問題を正論だ理性的だみたいに思い込むのはやめた方がいいと思う
ていうかそれをその年代の常識みたいな顔して言うのをやめて欲しい
全然理性とは真逆の反応だし超主観的で自分勝手で傲慢で正論でもないし矛盾しまくってて馬鹿みたいだから
ほんとに
横田です。増田の意見が難解だったので、意訳しました。下記スタイルで対訳しています。
原文
訳文
運用に問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う
警察が罪であると判断したことに対して、"倫理性の面" (後述) から、罪にはならないって主張しているのがよく分からない。
ラクガキを器物損壊として万引きを窃盗いじめを暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察の対応の妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるからで元増田の論理には同じような感じを受けた
例えば、落書きなら器物損壊、万引きなら窃盗、いじめなら暴行として警察は対応するよね?
このとき、補導された子の親が「子供の将来がー」とか「ただのイタズラなのにー」って感じで "倫理性の面" から非難するのって、違和感がすごくない?
上記の行為が罪には当たらないって主張したいんなら、子供への影響を持ち出して "倫理性の面" に訴えるんじゃなくて、罪には当たらないと考えるその根拠を言ってほしいわけよ。
元増田の論理も、この親の論理と同じようにズレてる気がするんだよね。
それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機は所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力の行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味はちょっとわかんないなって思う
「ノルマのためにー」とか「上司への点数稼ぎのためにー」とかっていう動機が警察側にあったとしても、それはただの付随事項でしかないんだよ。
動機が何であれ警察が権力を行使したのは、それが罪であると定義されているから。
なので警察を批判したいんなら「ホントにそれが罪であると定義されているの? 」って部分を問うべきなんじゃない?
そこをひっくり返さずに、罪には当たらないという前提で、警察のコメントとかその影響について論じるのってちょっと分からない。
その権力の行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害でしかないってやるにはわからない
「罪にはなるだろうが、運用に問題があるだろ」っていう主張なら分かるんだけど、「罪ではないから人権侵害」って主張してるのが謎。
本来そこやるなら運用への認識の問題とその理解や意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念と警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機の適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う
「運用に問題があるだろ」ってことを主張するにしても、触れるべきポイントがちとズレてないかい?
本来なら、問題のある運用によって引き起こされた事象、同じことが起こる懸念、責任の所在、という流れで論じるべきだと思う。
それなのに、補導した動機の適当性、対象の選び方(中学生を選んだ)ってのを問題視するのはちょっと理解できない。
いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う
もしこれが殺害予告とか爆破予告のイタズラだったら補導もしゃあなしでしょ。
中学生だからとか警察側の動機がとかじゃなく、このイタズラが罪に当たるかどうかをまず考えるよね。
そこを考えずに、モラル向上の晒し者にするという理由だけで補導されたから人権侵害、っていう論理は成立しないと思う。
警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為をモラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめの晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う
と言っても警察側は、モラル向上の意図で補導したのであって、晒し者にするという理由だけで補導したのではない。
結果としてそうなったのは当人が法を犯したからである、というスタンスだし、実際に罪になるのであれば自業自得な面があると思う。
そこの運用がおかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う
この運用がおかしいと主張するのならば、どうおかしいのかの説明が必要で、それがないと万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事は変わらなくなる。
子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない
子供のイタズラなのに補導なんて、取り調べまでするの、学校でいじめられたらどうするの、受験に影響したらどうするの、って言ってるのと大差ない。
罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察の解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象
単に「罪は罪でしょ」と言いたいわけじゃない。
罪に当たるとする警察の解釈のどの部分がおかしいのかの根拠を示さずに論理を展開する感じが、バカ親と元増田って同じだよね、と言いたいのだ。
警察側の動機への批判は、警察という組織の問題点を指摘しているだけで、罪か罪じゃないかとはまた別の話だし。
その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導や家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする
警察側の動機によって罪でないものが罪にされたのだと言うのなら、どの辺りが罪でないのかの説明が、余計に必要になる気がする。
それに、補導や家宅捜査についても、警察側の言い分のどの辺りがおかしいのかの説明も必要な気がする。
だからこそ、僧衣を着たまま車を運転して交通違反を切られた坊さん達は、罪には当たらないことを示すために、僧衣が動き辛いとする定義への反証として動きまくったわけだし。
中学生を補導した警察が正しい、と言いたいわけじゃなくて、論理展開の仕方が意味分かんないというかブッ飛んでんなって思った。
勝手に意訳してゴメンね。間違って解釈してるところもあると思う。
できれば次投稿するときは、もう少しだけ、おれら側に歩み寄ってくれると嬉しいです。
(javascriptって難読化できるんだけど、増田も何か意図があってそうしたのかしら)
運用に問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う
ラクガキを器物損壊として万引きを窃盗いじめを暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察の対応の妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるからで元増田の論理には同じような感じを受けた
それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機は所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力の行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味はちょっとわかんないなって思う
その権力の行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害でしかないってやるにはわからない
本来そこやるなら運用への認識の問題とその理解や意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念と警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機の適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う
いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う
警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為をモラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめの晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う
そこの運用がおかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う
子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない
罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察の解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象
そこでの警察側への動機の批判は警察組織における問題点への指摘でしかないわけで罪か罪じゃないかとはまた別の話だし
その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導や家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする
Net IB News: 「みんなで逮捕されようプロジェクト」がネット上で拡散中~サイバー犯罪対策課は「自分の子どもにもそんなことが言えるのか」と反発
https://www.data-max.co.jp/article/28329
ならない。運用がおかしい。まぁこれは最初から分かっていたことだ。ひどいのはこの後だ。
若年者という社会的立場の弱い者を、見せしめのために人権を侵害し、晒しものにした、と自白している。
警鐘にするためには晒し上げないといけない。だからこそ補導した後、報道させた。報道させて広く晒し者にしないと警鐘にならないからだ。
ある程度ひどい目に合わせないと警鐘にならない。だからこそ単に注意するのではなく、補導し家宅捜索し書類送検した。
これだけは許してはいけない。魔女裁判である。警察の権限を濫用した蛮行である。人間の尊厳に対する冒涜である。
補導、家宅捜索、書類送検、いずれも人権の制限であり、正当な理由なしに振るわれた場合には人権の侵害である。
すべて国民は、個人として尊重される(憲法第十三条)。見せしめ、晒しものにされるためだけにその人権が侵害されてよい訳はない。
モラルを一つ向上させるためだけに、その都度全国の中学生から一人が選ばれ、家捜しされ補導され、「モラルが向上しましたよかったですね(中学生のその後など知ったことではない)」となるような社会にしてはならない。
警鐘を鳴らすために、警鐘の数だけ人間を犠牲にするようなことをしてはならない。人間は警鐘にされるために生まれてきたのではない。
特に、警察の考える「モラルの向上」がとてもとてもとてもささいなことである今回の件ではなおさらである。
警察という国家機構が強い力を持ち、補導・家宅捜索・送検やその経歴等が人生に及ぼす大きな影響を理解していない。
その濫用が市民に直接的な害を与えることを全く自覚していない。
自分の子どもが補導され、全国にその事実を報道されても「娘は安易に行っている者への警鐘となりインターネットモラルの向上に貢献できた」と言えるのか。
で?君は何が問題だと思ってる?
俺は野党議員のこういう発言に象徴される、ノーリスペクトな姿勢がダメだと思ってる
安倍総理の知性は小学2年生以下、良心は幼稚園児以下だろう。専守防衛の定義「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、」の「相手」は日本を攻める国ではなく「アメリカの相手」のイランや北朝鮮とも読める!と言い張って、自衛隊員らを戦死させようとしている。https://t.co/kQgkZpEDLf— 小西ひろゆき (参議院議員) (@konishihiroyuki) 2019年2月14日
国政選挙の投票率が5割弱で自公合わせた得票率が2割弱だから残り5割の無党派層が選挙に行けば自公1強体制が崩れるかもしれない、という指摘があるじゃん?
でも俺が思うにこの【選挙に行かない無党派層】の実態ってその8割以上は漫画ウシジマくんに登場する様な生活苦の低所得者やノーモラルのマイルドヤンキーやDQNだと思うんだよな。
それで残りの2割程度の無党派層の内訳は国外在住者や知的、身体、精神障害者や認知症患者や後期高齢者等の選挙権の行使に際して一般的な人々より多少なりとも困難が生じる人々や、何かしら自分なりの考えがあって意識的に選挙権を行使しない人々だと思うわ。
それでさ、無党派層に期待してる野党支持者に聞きたいんだけど、本当に無党派層が政治参加したら自公1強体制に変化が生じると思ってるわけ?
俺の考えではこの無党派層の大半は第二次安倍内閣以降の政府の経済政策の恩恵を受けていない層が大半を占めてるとは思うんだよ。
でも彼らはそれを認識できるだけの知識も逆に自分達を利する選択肢を提供してくれる政党を判断する知識も備わっていない人達だと思うんだよな。
だから肉屋を支持する豚よろしく政治参加を促されて仕方なく投票に向かったとしても自公に投票すると思うよ俺は。
だからむしろ今の状況は野党支持者に有利な状況だとすら思うね俺は。
彼ら無党派層が政治参加しないおかげで野党支持者は「自公は有権者の2割の支持しか得ていない」っていう批判ができるわけじゃん。
栗原潔 | 弁理士 ITコンサルタント 金沢工業大学客員教授
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20190208-00114086/
著作者Aさんが著作物Xを作り、著作者Bさんがそれに独自の表現Yを加えた二次著作物X+Yを作ったとします。この時に、第三者であるCさんが勝手にX+Yを使うと、AさんもBさんも、Cさんに対して権利行使できます。BさんがAさんの許可なくX+Yを作った場合、そのことについてAさんはBさんに翻案権の侵害を主張できますが、それはBさんがCさんに権利行使できることを妨げません。
ちょっとややこしいのでもっとわかりやすいたとえを使うと、著作権侵害の疑いが強いパロディ同人誌を他人に勝手にコピーされて販売されてしまったら同人誌の作者は泣き寝入りかというとそんなことはない、ということです。
ブログ主が元記事を明かさないので判断できないが、「強い女メーカー」をホストしているPicrewには以下のような規約がある。
(1)ユーザーは、本件画像の全ての著作権(著作権法第27条及び第28条の権利を含む)を、素材を提供したクリエイターに無償で譲渡するものとし、本件画像の著作者人格権を行使しないものとします。
(2)ユーザーは、本件画像を、第8条第2項でクリエイター及び当社が設定する「本件利用可能範囲」でのみ使用することができます。
なので、「強い女メーカー」で作成した画像を転載していたのなら著作権侵害にあたる可能性はある。そのブログにアフィリエイトが貼られ1円でも収益があがっていたら商用利用とみなされる可能性はある。
この事件は、旅行業者が自社のブログに職業写真家が撮影したハワイの写真を無断転載したというケースです。裁判所は写真の無断転載による著作権侵害について、約15万円の損害賠償の支払いを命じました。
ブログや画像の無断転載の事例では、およその目安として、損害賠償額は「100万円」程度までにおさまるケースが多いということが言えるでしょう。
またまとめサイトへのイラストの無断転載が争われた事件では以下のような判決が出ている。
50万円は多いような気もするが、元記事がわからないのでなんともいえない。また請求額をいくらにするかは原告の自由である。
60万以下なので最初は恐らく少額訴訟になる。これを提起した場合、相手の住所に裁判所から訴状を送る必要があるので、まず住所を調べる必要がある。
ブログ主が住所を開示していない場合、発信者情報開示請求をプロバイダやらブログホストやらに提起して住所を特定していく。これにかかる料金も通常請求金額に乗っけられる。ここで特定できなければ逃げ切れるし、特定してまで裁判をしたくないと原告が判断すれば逃げられる。請求金額が膨らんでいくと、取れる可能性も減るからね。
住所が特定されると訴状が送られてくる。これを無視して受け取りを拒否することも可能。その場合原告は裁判所に、「その住所に本当に本人が住んでいるのか」を証明する必要がある。証明が終わったら被告欠席で裁判が行われ、判決が確定する。それが嫌なら出席して争うことになる。
請求が確定しても逃げる方法はある。相手の請求をガン無視すればいい。その場合相手は被告の口座を突き止めて差し押さえ請求をする必要がある。これは少取引でもない限り相当に難しいし、口座から金を引き上げておけばとれない。「ないところからは取れない」というのが民訴の基本。ここまでやって取れないと原告が丸損になるので、逃げ切りたい損賠の被告はこの辺の空気を読みながら駆け引きをしていくことが求められる。
著作権侵害なので警察署に行って告訴をすることもできる。その場合は警察が「悪質と判断するか」「捜査をどこまでするか」にかかってくる。悪質と判断されて捜査の対象になったらなかなか逃げ切れないはず。実刑は食らわないと思うが、逮捕くらいはある可能性は否定できない。
それは今回の件とは全く関係ない。むしろこんなことをぐだぐだと書いてると名誉毀損の訴訟を追加で起こされる可能性がある。
裁判を受けて数万円くらいで和解するのがもっともリスク管理はできると思う。
それが嫌ならガン無視チキンレースに突入。本件は逃げ切れる公算が高いように見えるが、駄目な場合は発信者情報請求の金額も乗せられた上で請求される。
最近またバカッターとかの炎上が見られるけど、確かに悪いことだとは思う。
ただ、それをネット上に晒して炎上の種を撒くのはちょっと違う気がする。
日本国内だったら人を裁くことができるのは「法」なわけで、それを行使できるのは「司法」ってワケ。
netgeekとかが率先してtwitterで晒し上げてるけど、それって本当に正しいことなのか?
一度の過ちで人が生きていけなくなるのを阻止するために保護されるべきものがネットを通じて住所とか学校とかが公のものにされがち。
こういうことを書くと「お前はそういう人間を擁護するのか」とか言われるけど、ただただ「正義」という名目を持っているだけで他人の住所や家族構成や学歴を暴露していい身分になれるのか?
別にそういうのを探すのをやめろというわけではない、見つけたとしたらお客様専用窓口にて匿名で通報するなりするのが正義なのでは?