はてなキーワード: 自発的とは
もう少し詳しく説明してほしい。
また、「構成員がその社会の社会支援の基準を検討することは社会支援への同意と何も矛盾しない」は賛成or反対?
お金と時間が有限な以上、誰かのためにそれらを費やすと決めることは別の誰かには費やさないと決めることとイコールだよね。
なので税金の話で書いたけど、別に税金にだけ限定するつもりはないよ。
とはいえ、自発的な募金や助け合いで強制でないなら、他人がとやかく言う筋合いもないしお好きなようにどうぞって思うけど。
運用はまぁそうだろうけど、要件を決定するのは有権者の主観的な考えの集合だよ。
例えば、破産法252条1項4号の「浪費または賭博その他の射幸行為」の元になっているのは公正さに対する有権者の思いだろう。
もし要件決定に客観性や絶対性があるなら、毎年たくさんの法律の要件が変更になったり、死刑や同性婚など喧々諤々の議論になったりしないわな。
で、元増田の基準が主観的相対的な条件であるのは確かだけれど、元増田がその思いを胸に直接/間接的に法律の制定に力を尽くしたとして、その法律が無制限に拡大していくとはならないよね?という話。
まぁこれは余談だけど、
一人一票の民主制社会において社会福祉システムなんて基準緩和の方向に進む力のほうが強いのは明らかで、
(基本的に基準緩和で負担が減る人≒貧困層の数>負担が増える人≒富裕層の数)
基準強化の訴えはアンチテーゼとしても非常に重要だし、それによって基準強化が無制限に進むということは国家の意思決定システムからも考えにくい。
カナメが「美大生の子は絶対に食らいついてモノになる」と確信があり、そう確信できる程の人を見る目があり、くらいつかせるだけのカリスマ性があるようには描かれてないからモヤるんだな。
カナメは「人を見る目がある」って自分で言ってるけど、少なくとも私には特にそう思える描写はなかった。
むしろこのあとの展開としては美大生の子が潰れそうになって、カナメが自分の自信満々の曖昧なダメ出しの仕方ではムリで、どうしたらゲームの世界観を共有できるか悩む話になってもおかしくないとすら思った。
(年寄りなのでたとえが古くてゴメンだけど)今どきは月影先生とか宗像コーチみたいに「才能を見出す眼力あるカリスマ」って描き方は流行らないんだろうね。宗像コーチなんか今見たらけっこうなブラック上司だけど、「岡ひろみは一流のテニスプレイヤーになる」という信念は読者にガンガン伝わってくる。
でも残念ながらカナメは「謎の自信でイキってる人の予言どおりにうまく行って結果オーライ」のように見えてしまった。うまく行ったのが偶然ではなく見る目があったからだというのが納得できなかった。
前作を読めばわかるのかな?
(もしカナメが運任せでいい人材の獲得を目論んでて、そのためにエピソードにならない潰されたバイトの死屍累々、「あー、見る目曇ってましたかね?まぁそういう殺伐とした業界ですから、ね?フフフ、いいゲーム作るためにはそんなの構っちゃいられないんですよニッコリ」ってキャラならむしろ読みたいかも)
スパムをかいくぐって他の人の書いたあの漫画についての文を読んだ。
「カナメは人を見て、褒めた方がいいメガネの子は褒めるし、美大生の子は世界観の説明を突っぱねて自発的に表現するタイプとわかってやってる」と書いてあって、うーーーん、そうなのかー、そう読めるのか、私は読みが浅い…?となってる。
でもさー、美大生の子は「何でも描ける、世界観は聞かなくていい」と確かに言ったけど、そして読者には勝者になるキャラだってだんだん伝わるけど…カナメがそれを見通してる…ように感じなかったなあ…「潰れたらそれまでですよ」と言ってもおかしくないと感じる。
メガネの子に対して褒めてるのも、本当に素晴らしい音楽ができたとも取れるしコントロール下においてるとも取れる。どっちなのかを読者に明かさない演出なのかもしれないけど…
うん、カナメが他人をコントロールする人とするなら、もっとわかりやすくサイコパスみがないと私には納得感が持てないや。
また追記
この漫画が見るからに熱血で友情努力勝利のガワだったら、あまり気にならなかったかもしれないな。プライドと表現欲のある美大生に奮起をうながす、煽る描写として「普通」は成立しそう(好き嫌いはあっても)。その場合は、「普通」と言われてぐぬぬってなる美大生を見てニヤリと片眉をあげるくらいのあざとい描き方、カナメのモノローグで(オレは信じてるぜ、お前はこんなもんじゃねえ、本気を…お前の表現を見せてみろ…!待ってるぜ、美大生ちゃん!)くらい暑苦しいとわかりやすい。
でもそういう漫画じゃない。エッセイ漫画に近いガワで、淡々と、実際のゲームクリエイターベンチャーはこんな感じなんだな、と私のような一般人は思いながら読むから、現実ならありえねぇって反応になっちゃう。医療ドラマに医療関係者がツッコミいれちゃうみたいに、ゲーム関係者ならなおさらツッコミたくなるだろう。
もし、俺たちTUEEE!ナカーマ!をやるのならもう少し「これはファンタジーですよ〜」ってエクスキューズがほしかったなあ…。
うちの会社でも管理職一歩手前で自発的にストップする人が増えてる
課長以上が管理職なんだが、課長代理から課長になると時間外手当がつかなくなるので、昇進前より責任だけ増えて給料は少し下がる仕組みになってる
そこで2~3年耐えるとすぐに給料は逆転するんだけど、そういう努力するの嫌だし責任も背負いたくないし給料もそこそこでいいって男性が増えてる
従来は男性社員全員が定年まで出世レースを走るってのが当たり前だったのに、途中で降りちゃう人たちが増えてるので人事部も頭を抱えてるね
今はこれまで通り全員を競わせるのではなくて、かなり早いタイミング(入社7~8年目)で幹部候補を数名選抜する形に変更になったよ
とにかく私はリツイートに飢えていた。理由は簡単、だってされないんだもん。
シンプルに自分が作るものに魅力がないのだと、猛烈に絵の練習を始めた。おかげさまで信じられないくらいに画力は伸びたが、それでもリツイートの数は増えたりしなかった。
今となっては何故そんなにリツイートにこだわっていたのかわからないのだけど、リツイートの数が気になって気になって気になって夜も眠れなかった。眠れない日は絵の練習をした。どんなに画力が上がり表現の幅が広がっても、リツイートの数が増えることはなかった。
あまりに私が悩んでるから、フォロワーがリツイートしない理由を言及し始めた。日常垢も兼ねているから、二次創作のリツイートができないだとか、そういう理由。いや自発的にしてもらえないものを描いてる私が悪いから、違うんだよ、いいんだよ、とリプライなんかして、でも結局いろんなことが我慢できなくなって、最終的にアカウントは消した。pixivも消した。筆を折った。今は穏やかに、独りで絵を描いている。
別にジャンルを変わったわけではないので、他者の作品をたまに見にいくのだけど、私がいなくなってからはみんな楽しそうに交流していて、当時は空気を悪くしていたかもなといつも申し訳なくなる。何故そう思うかと言うと、今やリツイートが盛んなジャンルになっているから。
日常垢だからどうだと言っていた人も、何の気なしに、他人の作品を欠かさずリツイートしている。
男性向けって言うとわかりやすいかもだけど、みんながみんなの作品をリツイートしている。そして褒める。参加がきたらより積極的に共有している。当時私が欲しくてたまらなくて、頑張ってひとりでやっていたことだ。
ああ、私の作品をリツイートしたくないだけだったんだ。そりゃそうだ。他の人の作品がリツイートできなかったのだ。すれば私が傷つくと思ってたんだ。たぶんだけど。
私は、筆を折って、正解だったんだなあ。
タイトル通り。
初めて出会ったときは向こうが29歳だったのだがヨレヨレで色も落ちかけたポロシャツにヨレヨレの7部丈のカーゴパンツだった。学生の頃に買った物だという。
そのほかの洋服も00年代の高校生みたいなものばかりで、洋服だけ見たら生理的に受け付けないレベルなのだけど、中身がすてきな人だったので結婚に至った。
洋服だけではなく家具や、小物などどうくくったら分からないが「デザインセンス」が問われる物は全て私が選んでいる。
夫は「そういうのは興味ないから、任せるよ」と言っており、それはおかしなこだわりを持って任せてくれないよりは100倍マシなのだけど、もう少し興味を持って欲しい、自分でも選べるようになって欲しい。
私は服やおしゃれなインテリアが好きで、2人がすてきと思うものに囲まれた暮らしをしたいので本当はあれがいいこれがいいと話して決めていきたい。
でも実際は私が服を買わない限り、自発的に服を買わないし、無印やIKEAに行っても優しく「いいんじゃない」というだけでイマイチ盛り上がりに欠ける。
インテリアについてはともかく、洋服については、不満もある。夫は「自分は気にしないから」として洋服に価値を感じていないようだが、30代も半ばになって服装から人柄やセンスを受け取り評価をするのは自分ではなく相手だということに気づいていないことが辛い。また、一人前の大人が自分の服も満足に選べないのはどうなのか。もし私が先に死んだ後「服はずっと妻が選んでいたので買い方が分からない」なんてなったら悲惨な話だ。
私だってダサい服を着ているよりはかっこいい服を着ていてほしいし、さまざまなコミュニティでダセェって思われて欲しくない。
何回かやんわりともはっきりとも伝えているのだが興味がないものはないみたいで何も変わらない。私の愛が無限だと思ってる節もあるけど、服装がダサいというのはもし関係が悪化した時に嫌な要素になりうるという事も分からないみたいだ。
相手は私に「何を着ててもいいよ」と言ってくるのだけど、それは私が服装(や体型、髪型、その他美容)に気を遣っていて初めて成り立っているのだと気づいていない。きっと私が出会いたての頃からヨレヨレのTシャツジーパンスニーカーにボサボサの髪の毛だとしたら結婚にまで至らなかったであろう。家の中でも醜いおばさんにならないように最低限は気をつけている。
どうしたらおしゃれになってくれるのか。
俺の中ではファンマといえば、今はアビスパ福岡に所属しているサッカー選手のファンマ・デルガド選手だ。
そのファンマが昨日点を取ったらしいので、どんな感じの得点だったのか確認しようとしたがまだ公式のゴール動画やハイライトは上がっていなかった。
そこでTwitterでの福岡サポの反応を確認してみようとファンマで検索してみたのだが、明らかにサッカー選手のファンマの事ではないファンマって言葉が飛び交っていた。
「ファンマ作りました!」「ファンマ作らないんですか?」みたいな会話が飛び交っていて、その日得点したサッカー選手のファンマの話題より量が多い。
「なんだこれ?」と思いつつ、文脈を見るに何かの「ファン」+略語の「マ」という使われ方をしているのだという事は分かった。
「マーケット」では無さそうだし、「マシュマロ」にそういうサービスができた訳でも無さそうだ。
それで軽く調べてみたところ、どうやらファンが自発的に付ける、もしくはVtuberや創作物の作者などが「自分のファンはこれ付けてね!」と推奨したマークを略して「ファンマ」と呼んでいるらしい。
家紋とかヨーロッパ貴族が旗とか盾とかに付けてた紋章みたいなものなんだろうか。
もう、おじさんびっくり。
ファン向けのマークって文化が理解できないし、それが既に浸透している事にも全く気づいていなかった。
まあ俺はおじさんなので時代に取り残されるのはしゃあないとは思うのだが、被ったら喧嘩になったりしないのかなとちょっと心配になった。
社会学者の津田氏による「リメイクが続くとしたら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。」というツイートを批判していたが、作者の田中芳樹先生も同意見であった事が分かり、梯子を外されてしまった批判側。
一方津田氏は9月13日、「今回の騒ぎで「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかったし、謝罪したいと思う。」と謝意を示した。
興味深いのは津田氏が示した「同じ変更をするにしても「外から押し付けられた」か、「制作者が自発的に取り込んだ」かでその意味合いは全く変わってくる」という見解だ。
これは田中芳樹先生の意見が判明した後、批判側が食い下がっていた際の意見にかなり近い。田中芳樹先生やアニメ製作スタッフが自分の意志で変えるのと、外部が変えさせるのは違う、という事だ。
これにより「田中芳樹先生も津田氏と同じ意見じゃんw梯子外されてやんのw」と喜んでいた津田氏擁護側も津田氏本人により梯子を外された形になる。
津田氏の謝罪文は理知的に状況をとらえて振り返り、分析しているのでどちらの陣営も読んでみる価値があると思う。
例えば彼の発言について、「ネット上のただの発言を重く捉えすぎ」「影響力を大袈裟に考えすぎ」といった意見があったが、
彼は謝罪文で「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある。「ネットで炎上してるけど、気にしなきゃ平気」というのはなかなか難しいのではないか(体験済み)」と今回の自身の体験を含めてネット言論の無視できなさ、プレッシャーを振り返っている。
制作者の自発性を尊重しようという態度はなるほどと思わされた。
彼の発言を以って「これだから社会学者は」といったリアクションが見られたが、今回の彼の謝罪文を見れば、むしろ社会学者を見直す者も出てくるのではないだろうか。
追記:
リンクを貼ってくれとコメントがあったが、ツイッターのリンクを直接貼っていいか分からなかったので(ツイッターの引用って面倒臭い規約があった気がしたが、記憶違いかもしれない)ツイートへのブクマのリンクを貼っておく。ここから辿ってくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/brighthelmer/status/1305033407043231748
また、誤解がありそうなので追記しておくが、私は津田氏の当初の発言が「田中芳樹先生に対して修正を求めた」ものとは解釈していないし、その解釈は津田氏批判側の中でもマイナーだと思っている。
修正を求めているとしても明らかに対象は「リメイク(アニメ)」でありその製作スタッフだ。
そして彼の謝罪文は、そのアニメ製作スタッフに対して自分の発言が「「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかった」という趣旨である。(加えて、その影響について「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある」と影響力を軽く見ない事を宣言している)
一度作ったものではなくこれから作られるリメイクに対しても、「変更」は発生し得るし、その変更の受け止められ方に対する懸念と反省なのである。
これが理解できてない人がいるらしいんですよね。
そういったことに深く関わってそうな文化について研究してる人や、それを生業とする人の中にさえ。
どうすればいいんでしょうか?
学校で教えるべきなんですかね。
太宰論法は駄目だよって5時間ぐらいでカリキュラムに組み込む?
自分がやって欲しいと言ってるも同然なのに、それを相手が自発的にやろうとしたことによるすり替えは無責任だよ、って。
それ言ってた教師の側が平然とそのテクニックを振り回してたし、それで失敗した人に対して「俺がやれって言ったわけじゃないしー。俺はやっても良くねと単に思いつきを喋っただけ」って逃げてたこともあって、なるほど実物提示教育、ってなりましたが。
簡単じゃないんですよね。
今の私だってまさにその「俺はやっても良くと単に思いつきを喋っただけだしー」のポジションからものを申している訳で。
でも私はこれについて、私がそれをやるべきであると提案した時点で、やれと指示を出すほどではないにしろ現状を変えろという意見を口にした事実からは逃げる気はないですね。
現状、この問題を社会が抱えてるのは事実ですからね。変えるべきだと思います。
その手法として、教育に組み込むというものが既に行われていて、そして十分な効果は上げているがそれで掬いきれない部分に問題があり、別の手法を取るべきというのならそれに同意します。
そして、それに同意したからといって、この状況に対して問題提議をし、実際に動きが起きて然るべきと口にしたことをなかった事にはしません。
あーなんでいちいちここまでいわなあかんねん。こんなん不文律なのに、それをいいことに水面下から破ってくる奴がいるのがヤバすぎんだよなー。
教えるべきは不文律をこっそり破るなの方なのかー?
申し訳ない。愚痴だし、八つ当たりなのでみなさんには関係がない。
とあるイベントのライブ配信(モノを伏せるのは許してほしい。イベントに迷惑をかけたくない)で自分の姿が映った。その間俺はいつもどおり髪をいじり、落ち着きのない挙動をしていたらしい。
それを見たとある知人が Twitter に書いた。『"俺"さん髪いじりつづけるしうろつくし ADHD の人ってみんなあんな感じなのねwと嫁が失礼なことを言ったw』だそうだ
いやぁ失礼だろ。 ADHD に人の謝れ。
俺自身自覚的に髪の毛をいじいじする癖もあるし、じっと座ってるのが下手でそわそわする人間なのでまぁそれがみっともないという話ならわかる。超わかる。
それをあげつらってなんで俺ごと ADHD の人が無様みたいな笑われ方された上にそれが楽しい夫婦の会話の一部にされて、ほっこり(?)エピソードとしてインターネットにばらまかれにゃならんのだ。しかもイベントのキーワード入れて参加者・主催者に見つかりやすい形で?わざわざ?ご丁寧に?
せめて俺の癖をよくないと笑ってくれる分にはいい。君は知人だし俺的には友人なので何を言われても『言ったなこいつーw』である程度 OK だが、
俺をダシにして ADHD なりなんらかの属性の人まるごと笑いの種にしていいとは一切思えない。その上重要なことだが、まず俺は ADHD であると自称したことすらない。俺は診断も受けたことがなければ、彼らほど自分の有り様について悩んだこともない。友人に診断・公表している人がいるので、彼らがいかに適材適所という言葉の似合う人種かは知ってるつもり程度のにわかでしかない。
君が俺を『彼はもしかして ADHD なのかもな』と思ってもらう分にはいい。それはもう、そういうもんだし、そういう印象を与えるようなことを俺がしているのだろう。
ただ、俺は医師に診断も(いまのところ)受けておらず、自発的に ADHD を名乗って彼らの一部として誰かに迷惑をかけたり、俺個人の悪いところが彼ら全体の悪い印象につながるのをよしとはしてない。
と、いうことで腹に据えかね、これをインターネットに撒く神経と今後やっていけるイメージがないと思い至りブロックし、ついでに発言元の奥方(正味俺にとっては彼女?の方が印象が悪い。気に食わない、あるいは奇異なものにレッテルをはって即座に差別を作り出すタイプに俺には感じられてしまったから)もブロックした。
結果としてもともとの Twitter の彼は該当の書き込みを消してくれはしたものの、その書き込みはわざわざご丁寧に俺の映っていたライブのイベントを追おうとする人々らが検索でひっかけやすいような書き方をされており、イベントに携わった、あるいはイベントに興味のあった人らの目に入り、望むところか望まざるかのところとして、俺の悪癖が"ADHD らしい仕草"として勝手に笑い話と共に閲覧者に偏見として植え付けられたのであろう。
狙ってやったなら凄まじいキャンペーンだと思う。俺の悪癖をあげつらい、俺が自己認知しない病名を貼り付け、映像付きで俺("ADHD のヤツ")のダサい姿が閲覧できる(しかもイベント中なのでイベント参加者たちにうまく広まる検索用タグ付き!)。
苛立ちとブロック後の言動が知りたすぎてブロック後に少々閲覧したところ(こういうのが悪癖)、どうやら奥方は『なんでブロックされたかわからんけどブロックされてて不快だからブロックし返した』とのことである。実際ブロックされていた。当面解除しないままで居てほしいものである。
まぁすまん疲れも酔いもあって散文的だが、そういう経緯で腹が立ち、不快な気分になったという話である。
彼が優秀なエンジニアであり、インターネット上の有名人であり、影響力のある人には違いないので、インターネットの片隅で愚痴を言う(だって真っ向から言うと夫婦のかわいいエピソードに "ADHD" のやっかみ入れるなとか言われるんでしょ)が、与太話だと思って関係ない方々には流してほしい。