はてなキーワード: 腐臭とは
泊まったはなれは絶望的に汚かったので、仕事の手伝い以外の時間は半泣きで掃除をし続けた。
神主の奥さんはインパクトのある人で、外見は普通の小太りで白髪で短髪パーマで普通の服を着たにこやかなおばちゃんなんだけど、話し方が物凄く上品で遅かった。
「お~と~と~さ~ま~と~お~か~か~さ~ま~が~」みたいな平安貴族っぽい高い声で一文字ごとに4秒くらい伸ばす話し方、笑う時には平安貴族のように首をかしげて口元を隠しながら高い声でオホ~ホ~ホ~ホだった。
名物らしく氏子さんがたが「電話で30分かけても簡単な用事を伝えられず後から本人が迎えに来た」「年末に一晩台所で立ったまま寝てて、慌てて声をかけたら包丁は横にどけているので大丈夫ですと笑顔で返された」「ずっと同じ所に立ち続けて箒を動かして1日ずっと掃き掃除しても狭い範囲しか出来てない」と色々話してくれた。
神主さんは婿養子に入った結構名のある芸術家でとてもせっかちだった。
帰りにお礼のお金を包まれ、家で搾った油と鏡餅を土産に持たされたが、餅はありえないくらいでかくて重く一面にカビが生えカチカチなのを戻すためだとゴミ袋の中で水に浸かって腐臭を放っていた。
カビを削って食べると教えてもらったが、これ電車に持ち込んだら迷惑だし物凄く重いし臭くて食べられないし、でも神社の鏡餅なんて罰が当たりそうで捨てられないしどうすればと思い悩みながら苦労して家まで持ち帰り、次の日には捨てられていた。
油は一升瓶に入っていたが、何故か電車の中で物凄い音を立てて勢いよく蓋が飛び、屋根にガンッと当たり床に落ちそのまま座席に勢いよくぶつかって止まった、悪臭を放っていたおかげか周囲に人は少なく幸い人にぶつからなかったが、下手したら大惨事だったと震えた。
埒もあかない。前進しない。今、一番かっこいい奴は、
なりふりかまわず「やってる」奴なんだよな。終戦直後みたいな。
そういう、怒声を張り上げてぐちゃぐちゃになってでも
最悪な状況の埒をあかすために何かを実行しようとしてる奴に対して
やってる奴のやる気なくさせたりしてるわけだが、邪魔だから死ねと。
ただ残念なのは、やってる奴は、やってることを間違えてることが多い
んだよな。この最悪な状況を打破するために必死こいてやってるのは
いいんだけどやってる内容が間違ってることが多い。
もっとみんなが望んでいることを必死でやってくれればいいんだけど
誰も望んでいないことを必死こいてやってんのは、結局ただ逃げている
だけなんじゃないかと思われても仕方がねえよな。
まぁ、皮肉というか、元の内容に対するアンチテーゼで煽り入れちゃってるしねぇ。
「批判せず読めよ」って人たちに対して、俺みたいに素直に読んであの増田から腐臭を覚えてしまう奴もいるんだ!って事ですよ。
大人しい書き方した方が賞賛派にも反発されにくくて伝わりやすいんかもしれんけど、
あまりそーゆー気もなかったんで、つい。
あと「些細な事に幸せを感じられる」のは、才能とかじゃなくて「今満たされている、或いは、十分な愛情を受けて育った」のが大きいと思う。
嫌味じゃなしに、本当に彼は幸せな人なんだと思う。
それだけに「誰からも見放されているであろう、カワイソウな浮浪者」の惨めな気分を味わいに行くという幸せな彼と、
「あの地区で実際に本当に苦しい生活をしている人たち」とを、どうしても並べて見てしまう(並べて書いているのだから...)。
ちょっと前に「子どもってすごい」ってタイトルで姉をボロカスに貶してた増田と一緒で、
いい話をするのなら、わざわざ他人の暗い影を一緒に映さないでくれ、って思うのです。
Macについて調べて出てくる比較記事の大多数に漂う薄気味悪さ、チープな選民思想が本当に心底気持ち悪い。
似たようなことは例えばEvernoteを勧める記事にも言える。恐らく大多数の人間がこの感覚を抱いたことがあるだろう。
あまりに浅薄だ。その愚かさを意識している自分像が文字列から滲み出ていて不快だ。加えてその意識自体に無理解な他者への嘲笑が内包されているときた。
お前はそんなつもりで書いたんじゃないと反駁するかもしれない。だが文字列はもう存在していて、そこからは既に腐臭が放たれている。
「どういうつもりで書いたか」なんてことは問題じゃない。問題は何が読み出されるように書かれているかだ。
思うにこの薄気味悪さは相互理解の軽視に由来する。
自らの製品のよさを理解できないものたち。その区切りを導入することについては何も言わない。
問題は、そうして区切られた「自分たちとは同質でないもの」=「他者」の感性が暴力的に抽象化され、さらにその暴力性が意識されていないところにある。
ドザであるとかマカーであるとか。日本人であるとか男であるとか女であるとか人類であるとか。いい加減にしてくれ。
もちろんだからといって抽象化をやめろなどと言うつもりはない(暴力でないことがこの世にいったいどれほどあるのか)。
もしかしたら分かり合えるかも知れない、「分かり合えない」ということそれ自体すらも分かり合おうとしない態度だ。
形骸化しているかもしれない自らの思考回路についての反省を可能性レベルで取り除く態度だ。
俺はそれを読み取って、ほとんど生理的な次元で、心底薄気味悪いと思う。
他者を汲み尽くせるとだけは思うな。
プログラマーという人々は、機会があるたびに自分が書いたプログラム・コードを整理する。
日々の追記作業で複雑になってしまったプログラム・コードは、もう近づくのも嫌なほどの、腐臭を漂わせる。
そうなってしまったら、楽しいはずのプログラム作業もイヤイヤやることになってしまう。
だからコードを整理する。この作業は”リファクタリング”とよばれている。
コードを整理することに血道を上げてきたプログラマーの私だが、
しかし自宅のキッチンはほとんど使えていなかった。カレー調理後の脂まみれのシンクに皿が重なっているのをみるたび、「俺ってずぼらだなぁ…」と嘆いていた。
でもある日ふと思いついて、キッチンも”リファクタリング”してみた。
ずぼらの皆さんの役に立つかもしれないので、ここに紹介します。
こういう「なにかをする度に必ず必要になる」そういうコードはプログラマーの世界では”ボイラープレート”と呼ばれて、蛇蝎のごとく嫌われている。
キッチンばさみを使おう。
左右に分割できるタイプが綺麗に洗えて良い。
で、鍋やフライパンの上で、切る。
唯一困るのは、カボチャが切れないことだが、それはカットカボチャを買ってくることで対応する。
玉ねぎのみじん切りは、ちょうどよいサイズの器に適当に割った玉ねぎを入れ、ハサミを突っ込んでメッタメタに切り刻む。
本職のシェフは怒るだろうが、私達はシェフじゃない。プログラマーだ。
三角コーナーはダメだ。三角コーナーは構造が複雑すぎて、綺麗に洗うのがとても面倒くさい。
受け皿のリングに網の袋を取り付けるタイプもダメ。網を取り替えるため常に清潔になるが、網を付ける構造が複雑なので、その作業がいちいち面倒くさい。
ゴミの溜まった網を取り外す→手が汚れる→生ごみの袋にゴミを捨てる→新しい網をとろうとするが…しかし手が汚れてるんだった。洗う?いやちょっとまて、今はシンクに網がついていない。洗うとゴミが吸い込まれていってしまう… ああ面倒くさい。
浅くて、取り外しやすい受け皿に取り替えよう。
深い受け皿はダメだ。あなたは夏の日にぼたもちを受け皿に落として忘れてしまう(一週間後に白くなっている。表面がうごめいている)。
網が張っているものではなく、曲げた板にたくさん穴を開けたもの(パンチングストレーナーという)、を買うといい。
http://item.rakuten.co.jp/a-life2010/sp-208/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1080401710
ただし、2つ買う。
今使っている受け皿がゴミでいっぱいになったら、それをとり外し、即座にスペアに取り替える。
受け皿のゴミを生ごみの袋に移したら、シンクで受け皿を綺麗に洗う。移しきれなかったゴミは、たった今取り替えた受け皿にキャッチされる。
このサイクルを繰り返すことで、常に清潔なシンクが保たれる。キープ・イット・清潔・シンク。
貯めといた食器を洗う作業が憂鬱だ。
ならば食器洗い機を買うか? …ダメ。高級なのは問題にならないとしても、食器洗い機自体を洗うのが、とても面倒くさ(そうだ)。置く場所も確保しなければならない。
食器を少なくする。
表面がつるつるしたもの、セラミック製やホーローが良い。フォークなどは角ばっていないものが洗いやすい。
そして、それぞれ1つずつしか持たない。
食べるためには必ず洗わないといけないので、食器を洗い場に貯めておくことがなくなる。
鍋を吹きこぼす。するとコンロの周りが致命的に崩壊していく。受け皿が汚れ、コンロ自体が汚れ、コンロを置いとく台も汚れ、更に悪くすると床まで汚してしまう。
放置しておくとカビが生えたり、白くなったりする(うごめく)。
火力が弱いのが難点で、チャーハンを上手く作れないが、マヨネーズを使うことで解決可能(google:チャーハン パラパラ マヨネーズ)。
こびりついた茶しぶが取れない。
洗剤をつけるスポンジの他に、メラミンスポンジを導入する。
水をつけて使う。使うたび、消しゴムのように削れていく。こびりついた汚れにはこのタイプのスポンジを、油汚れには洗剤のスポンジを、と使い分ける。分割統治だ。
ふきんを引っ掛ける、ふきんを取る、のが地味に面倒だ。
引掛けそこなって落としてしまったり、上手く取れなかったりする。
100均で、コードリール式の携帯の充電ケーブルを買ってくる。
こういうやつだ。
http://nhnl.yosshi7777.com/archives/2110/
コネクタ部分を切り落としてキーホルダー用の小型カラビナgoogle:小型カラビナを付け、ふきんに結びつける。
それをキッチンのシンクの上などに付けておいて、皿を洗うタイミングで、引っ張りだす。
洗い終わったら、長めに引っ張って話すと、スルスルと収納されていく。
オーブントースターでちょっとチーズトーストを焼きたい。チーズってあったっけ?あ、ピザ用チーズがあるや。
ずぼらである私達は、シンクでパンの上にチーズを盛ったりしない。オーブントースターの中でやろうとしてしまう。
すると、チーズはバラバラこぼれ、オーブントースターの中に落ち、加熱すると黒鉛を発して炭化する。
そうなるともう、掃除は不可能だ。
レンジとトースターが一体になったものを使う。多少値が張るが、優先すべきは”面倒くさくないこと”だ。
回転台のないものを選ぶとよい。回転テーブルを洗う手間が省略できる。
機能が破綻しそうになる、その”匂い”がする度に、プログラマーはプログラム・コードをリファクタリングするのです。
ずぼらの皆様のキッチンも洗練していくでしょう。
それでずぼらが治ることはありませんが、キッチンの機能を引き出すことができます。それで十分なのです。
そして、ふつうのずぼらの上を行ってください。
自分じゃ自分のことを完璧主義者なんだと思っていたけど、何てことはない。
負け癖が骨の髄まで染み付いたタダの負け犬。
30間際になった今になってようやく気づく自分は、どうしようもない大馬鹿者だ。
自分でコードを書いていて、綺麗に書けない。設計がすごく悪いと気づく。
でも書き直そうにも納期までの時間はそんなに残されていない。しょうがない。このまま、汚いまま、クソみたいな設計のまま、進めよう。終わった時に自分で反省会でもして、その時にダメなところを洗い出してそれについての対策を考えて、そして次からやり直せばいい。
けれど、終わっても一人で反省会をやることもない。仕事が一段落して浮かれて酒を飲んで。そのまま忘れるんだ。そして次もまた同じ事を思う。コード汚い。設計がクソ。まあでも時間ないし、また次のプロジェクトで完璧なコードを書いてやればいいのさ...
趣味という趣味もないから一人でできそうなスポーツを始めてみた。
ちょくちょく時間の空いた時に行ってみる。自分よりも筋肉質な運動神経良さそうなやつらは、バリバリかっこいい動きをこなしている。
すげえなぁ。自分もああなりたいなぁ。やってみても、そううまくはいかない。思うように体は動かない。なんでだ。多分疲れてるんだろう。腕とか足とかすげえダルいし。まぁ今日はもう疲れてて無理だからまた次来た時にがんばろう。そしたら自分もああなってるはずさ。
けれど、次の機会もクソみたいな体の動きしかできない。自分よりも歴の浅い奴らがドンドン上を行く。日ごとに自分との距離が開いてゆく。なんだよあいつら。多分自分よりも暇なんだろうな。そりゃあハイペースでトレーニングこなしてりゃ誰だって強くなるよ。僕は忙しいから君たちのようにスポーツにのみかまけてられないからね...ああ、そんなこと考えてるうちに何だか疲れてきたぞ。腕も足も上がらなくなってきた。まぁしょうがない。また来週来た時には本気出してやってやるよ...
彼女なんてここ数年いない。
会社にゃ女の子なんかいない。女性はいるけど自分と世代は一回り違うしみんな結婚してるし。
合コンに行ってみても、なんだか自分と話が合う気がしない。話せるには話せるんだけど、なんて言うか当たり障りのない会話で終わってしまう。これじゃ連絡先聞いたところで二人で食事にでも...なんてことは期待できないな。なんかもっとこう、違う系統の女の子じゃないと自分と話合わないんじゃないのかな?
今の話し方がダメならちょっと趣向を変えて違う話を振ってみようか?でも今目の前にいるこの女じゃ話に乗ってくれなさそうだな...まぁ次来た時に別のノリの良さそうな女の子でチャレンジしてみよう...
来週の自分ならうまくやってくれるだろうと馬鹿な期待を寄せて任せてるだけ。
でも来週の自分は来月の自分に馬鹿な期待をするだろう。来月の自分は来年の自分に馬鹿な期待をするだろう。来年の自分は...
未来のどの瞬間の自分を切り取ったところで、どいつもこいつも未来の自分ならいい感じのコンディションでいい感じに実力をつけていい感じにやってくれるだろうと期待して、そいつに全てを任せてるんだ。本当に馬鹿だ。もしうまく出来なかったら、どの瞬間の自分が責任をとるんだ??
自分が変わらなきゃ、未来の自分は変わらない。未来の自分は他人ではない。当然だ。自分以外の何者でもない。今の自分が投げ出したものだ。来週になっても来月になっても来年になってもいつになっても、こなせるはずなんてないんだよ。
こんな誰でもわかるようなこと、何でいままで理解出来なかったんだ!!?
成功のための計画を今の自分が練るのも大切だけど、もっとも大切なのは成功しようという意志だ。
努力の延期癖が染み付いた最低の負け犬根性だ。失敗してもいいからベストを尽くそう、なんて甘ったるい事言ってられやしない。成功しなきゃ何も意味がない。時間の無駄だ。やるからには絶対に成功しようという意志。
今の自分は負けることに、失敗することに心のどこかで安心している。自分が失敗ばかりする環境で生きてきたんだ。きっとそういう自分の見知った世界に留まっているのが心地良いんだろう。
とにかくこのドロドロに腐りきった腐臭漂うゲロみたいな根性を叩きなおさねばならない。まずは一歩踏み出す勇気!だとかそんな馬鹿なこと言ってる暇ない。一歩踏み出すなんざ誰だって出来る。勝たなきゃ意味がない。畜生。
これを書き終わったらリファクタリングだ。クソみたいなコードを書きなおせ。納期?これから毎晩寝る間を3時間も削ればいけるだろ。「今出来る部分をやる」なんてクソ食らえ。部分的にでも負けを認めてたまるか。決心の意味がない。まずは腐った根性を叩きなおせ。
リファクタリングの合間にジムに通うんだ。1,2時間を週に3日くらい費やすのなんてどうってことないだろう。今までダラダラとtwitterやfacebookを見ていた時間を削れば十分に時間をひねり出せるだろ?二度と腕が上がらないとか足が重いなんて言い訳できなくなってしまえ。
ああ、畜生。何故自分はこんなに馬鹿だったんだ。無為に過ごした時間とお金はどれほどだろう。そして同年代の人間に追いつくために、それだけに、あとどれだけ時間とお金を費やさなければならないんだろう。本当に馬鹿だ。畜生。今に見てろよクソ共。30になるころにはお前らの大半を追い抜かしているからな。絶対だ。クソ。畜生。k
AKBの峯岸みなみが、恋愛禁止条例を破ったせいで丸坊主になりました。(参照])
しかし、20歳の女の子が奴隷みたいに自分の髪を切り落とす事態をみても、一部のファンは「よくやった(by小林よしのり)」「非処女!ビッチ!」「ざまぁ」「自業自得」「ルールを破ったんだから、このくらい当然」と言っている人すらいます。
若い女の子が髪を切り落とさざるを得ない性質の悪い体罰じみた状況は、明らかに異常ですよね。なぜ彼女はそこまで追い詰められてしまったのか?長年のアイドルファン視点で解説します。彼女が髪を切り落とすのは『日本型のイジメ体質』のせいなどではありません。そうしなければ、ファンが彼女を許さないからです。
日本のアイドルファンの中に「処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドル」を求める気持ちがあります。日本のアイドルは、擬似恋愛の対象として成立してきました。だから、『恋愛禁止』はアイドルをする上で守らなければならないお約束だったのですね。実際、「恋愛しません」と宣言しているのに、「イケメンちんぽ!しゅきいい」と約束を破っているのですから、激烈に怒るファンがいるのは当然です。だから、峯岸みなみは禊として髪を剃らざるを得なかったのです。それくらいアイドルファンの中にある処女性信仰は根強い。
しかし、もう処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドルは成立しなくなってしまっているのではないでしょうか?時代が変化し、「恋愛しません」というフィクションには限界がきている。AKB48は、既に賞味期限の切れている疑似恋愛というフィクションを守ろうとするあまり、秋元康以外の全員が不幸になっています。
かつてのアイドルは「恋愛禁止」のお約束が成立していました。アイドルは処女性を持ったみんなの恋人だったのです。
でも、実情はどうだったか?
当時のアイドルたちが大人になってから書いたエッセイ・回顧録・暴露本を読むと、「堕胎して死んだ赤ん坊を持ち歩いていた」「忙しいスケジュールの間をぬって、逢瀬を重ねていた」「同期の男性アイドルと関係があった」と書かれています。
つまり、恋愛禁止は昔も守られていなかったのです。考えてみれば当たり前のことです。アイドルになるような積極的な女の子に恋愛を禁止するなんて、どだいできるわけがないからです。そもそも、秋元康自体が恋愛禁止を掲げながら、高井麻巳子を喰ってるしな!
ただ、昔はその嘘がつき通せた。裏切りが露見しなかった。
携帯カメラを持っている一般人なんていない。秘密を知っている友人がいてもTwitterに書き込めなかった。芸能人そのものの人数が少なかったから、事務所がコントロールできた。処女性を前提としたアイドルは、過去だから成立し得た一過性の徒花だったのです。
ところが、現代では、「恋愛禁止」の嘘を突き通すのは並大抵のことではありません。
一億人が高解像度のカメラを持ち歩き、死角はどこにもない。男性遍歴を知るかつての友人がTwitterでリークし、一瞬で拡散されてしまう。アイドルになってから恋愛禁止を守ろうとしても、過去のプリクラ・ハメ撮り・書き込みをすべて消去することはできない。アイドルになる前に、アイドルとして殺されてしまう。
つまり、いくら嘘をつき通そうとしも「処女性を前提とした疑似恋愛の対象としてのアイドル」というフィクションは成り立たなくなってしまっているのです。
このように、「みんなの恋人」アイドルは成立しなくなってしまっています。賞味期限が切れて腐臭を放つフィクションをかたくなに守らせようとすると、どうなるか?
小林よしのりのように(参照)恋愛禁止を求め、アイドルに処女性を強要するファンは、ファンでありながら、好きな女の子の不幸を望むことになります。
まず、年頃の女の子にとって「好きな人と恋に落ちる」のは普遍的な感情です。おそらく止めようとしても止められるものではありません。昔も今も守られてきていないのですから。アイドルだって人間だから好きな人とご飯が食べたい、一緒に歩きたい、その先も進みたいでしょう。
疑似恋愛を求め、処女性を強要し、思春期の女の子に恋愛禁止を望むのは、要するに「人間たるな。アイドルを演じる奴隷たれ」といっているのと同じです。それは「疑似恋愛に酔いたい」という自分の欲望のために、彼女たちに、日本国憲法ではありえない自己犠牲を強要しているのです。
好きな女の子が夢を諦めたり、髪を切り落とさざるを得なくなる「条例」に何も感じないのは、ファンとはいえません。その約束はもう守れない時代になっているのです。
さらに、疑似恋愛型ファンは、ファン自身も絶対に幸せになれません。
まず、どんなに入れ込んでも、握手に通いつめても付き合えません。自分でも付き合えるなんて思ってないでしょ?(指原みたいな例外はあるが)アイドルはむしろ恋愛に積極的な部類の人間です。約束を守っているように見えているだけで、たいていは約束をやぶっている。だから、嘘に気がついた時に疑似恋愛を求めるファンは傷つくだけです。魔法は必ず解けます。なら、最初から恋愛の対象として考えない方が、幸せなのではないでしょうか?
「恋愛しない可愛い女の子」というフィクションには必ず終わりがきて、ショックをうけるだけです。
「疑似恋愛型アイドルには限界がきているから、やめるべき」というと、「歌も上手くないし、ダンスも微妙。顔もそこそこの子が売れるには、処女性幻想、疑似恋愛幻想って付加価値がないとダメなんじゃないの?」との反論があるかもしれません。
しかし、現に疑似恋愛を抜きにしてもアイドルは成立します。なぜなら、アイドルのファンは疑似恋愛を求めるファンだけではないからです。「頑張っている子を応援したい」気持ちでアイドルを好きになるファンはいくらでもいて、彼らの需要は非常に大きいのです。
たとえば、Perfume。ルックスはそれほどではないけれど、パフォーマンスの上手さ、楽曲の魅力、物語の魅力でファンを獲得しています。
たとえば、ももいろクローバーZ。ルックスもダンスもそれほどではなくても、「全力でカバーしている。(僕は今一番好きなアイドルです)
彼女たちの人気は、疑似恋愛を抜きにした「応援したい」需要で成立しています。
実際、Perfumeの子たちにスキャンダルがあったときは、一部をのぞいてそれほど騒がれませんでした。人気も全く落ちていない。仮に、ももいろクローバーにスキャンダルが起きても「お…おう…」と若干の生臭さにひく人はいても、AKBのように激烈な反応は起きないはずです。
最近では勢いがあるのは「応援したい」型のアイドルです。なぜなら、老若男女の需要を取り込めるから。実際、私の家族は全員ももいろクローバーZのファンです。
だから、AKBも恋愛禁止っていうもう時代遅れのフィクションに拘泥するのはやめて、「頑張っている姿を応援したい」需要に特化していくべきです。
AKBには、百田夏菜子をはるかにしのぐ運動能力を持つ子がいる。世界大会に出場するくらいのダンスの実力を持った子もいる。アーティストより歌が上手い子もいた。多様な個性を持つ彼女たちが、死ぬ気で夢に向かって頑張っている姿は、ファンを取り込む普遍的な力があります。彼女たちの魅力をそのまま伝えていくべき。
疑似恋愛をやめても、「そこそこ可愛い子が死ぬ気で頑張っている」だけでアイドルは成立するのです。それこそ、SKE48はかなりももいろクローバーZに近いタイプの人気がある。
「処女アイドル」という時代遅れの腐臭を放つフィクションに拘泥しても、関わっている全員が不幸になるだけ。彼女たちが『人間として』アイドルを続けられるように応援するのが真のファンではないでしょうか。
まず、アイドル。恋愛をしてもいいけど本気で隠して欲しい。隠して欲しいのは、生臭いから。できるだけ隠すように努力するべきです。芸能人専用の絶対にバレないラブホテルとか、芸能事務所合同でつくってほしい。トイレで暗証番号を押すと、扉が開いて、ホテルに入れるみたいな。
それでも、昔の友人の嫉妬でリークされたり、コンビニ強盗のような格好に変装をしているのにフライデーされることはあるでしょう。その時、ファンは「まぁ、しょうがないよね、女の子だし」と寛容になるべきです。「そのかわり、もっと頑張ってよね」でいいじゃないですか。処女性を押し付けるのはやめて、夢に向かって頑張っている女の子の物語を楽しみましょうよ。
ファンが寛容になり、「恋愛をしてもいいよね」という風潮が生まれれば、秋元康だって恋愛禁止条例を取り下げるかもしれない。廃止しないまでも、ペナルティも軽くなるでしょう。カビの生えた「恋愛禁止条例」に拘泥して騒いでも、得をするのはスポーツ新聞と秋元康だけ。ファンとアイドルは傷つくだけ。
恋愛禁止条例なんて守る必要はない、支持する意味もない。なぜか。
そもそも、秋元康自体が恋愛禁止を掲げながら、高井麻巳子を喰ってるからだよ!教祖だけが破っていい掟の正当性なんてあるわけないだろ!
少なくとも、底辺ではないよね。
というか、はてなってのは、「ギークみたいな大学では便所飯食ってIT企業に入ってリア充モドキ演じてる残念小僧」のためにあるわけじゃなくて、
ふつうの人々のためにあるんだけど。
あ、「ふつうってなんだ?ふつうの定義は?あなたにとってのふつうは他の人達のふつうなんでしょうか?」とか思ったお前、お前だよ。お前みたいな奴が邪魔なんだ。
いいか、ネットはリアルに侵食されてるとカワンゴは言った。それはすなわち、お前らがネットでも便所飯食べることになるということを意味している。
ネットで便所飯食べるようなキモクズに、いち民間企業はてなが擦り寄る道理はない。
なに?「はてなってのはギークみたいな大学では便所飯食ってIT企業に入ってリア充モドキ演じてる残念小僧そのものがあつまる企業」だって?
だから、はてなも残念小僧のしょんべん臭さをリセッシュできないし、そこに群がってるお前ら(俺も)の腐臭もファブリーズできないんだって。
いいか、お前らは沈みゆくタイタニック号の乗客であり、それははてなというメタファーであり、日本というメタファーであるのだ。
職業イメージ的に、精神力とかありそうに見える仕事についている。
正直つらい。
仕事中に暴力も振るわれた時は、さすがに相手の親に書面で講義して本人から治療費を出させたが、
別の先輩からの「仕事に支障をきたしたのだから迷惑かけた皆に礼を言ってください」というお言葉だった。
そんな職場からは離れるべきなのだろうが、この不況下、そんな博打は打てない。
それにどうして虐待される側がリスクをとらなければならないのか、その選択肢にはどうしても納得できない。
年老いた親もいる。結婚を考え付き合っている相手もいる。逃げられない。
肉体か精神のどちらかを壊してしまって、仕方のない理由で強制的に仕事から離れられればいいのになと常に思っている。
でも壊れない。
狂った職場環境を受け入れ働き続けている時点で既にもう私は十分におかしいだろうと思うのだけれども、
業務上、目に見える障害が発生しない限りは「壊れた」とは判断されない。
日々たまる疲れを癒す為に温泉に行ってばかりいるから、きっと体は健康なのだろう。
一人暮らしの気楽さ、大好きな温泉で何時間も寛いで心も癒されているから、きっと心も健康なのだろう。
でもこの現状は病的だと言わざるを得ない。
生活費を得るために働いているだけなのに、普通なら病まざるを得ないような職場環境というのはどう見てもおかしい。
もう嫌だ。
正直言えば、何もかも捨てて逃げたい。
でも辞めたら今の自分が守りたいと思ってるささやかな何もかもさえ失うことになる。
こんな腐った連中や場に負けてたまるかという思いひとつでもう何年も踏み留まって仕事をしている。
一緒に資格を取った連中は半分近く離職している。
その事実に絶望するほど若くはないが、定年まで腐臭を嗅ぎながら仕事したいとは思わない。
こうして書いたら、楽になったと思う。
そして健康は保たれる。
こうやってどこまでも続いていくのだろう。
深夜だが、少し外を走って頭を冷やしてこよう。健康の為にも。
元々、結婚がプライベートな行事じゃなかったのが異常だったんだよ。
俺も元来は旧家の出なんだけどさ。
つっても妾腹だったんで色々あれだったんだけど。
本妻のガキが死んだので跡継ぎに昇格したのね。もうずっと昔の話だけど。
その一連のゴタゴタをじーっとみてたお蔭で、結婚はプライベートな行事であるべきと確信を抱いた。
そんで家を出た。
あーいうの、キチガイ沙汰。
人を人とも思わないキチガイ沙汰。
そんな制度に疑問を抱かないのは、人類としての知能の最底辺をぶっちぎった
現代のクソ土民。「政略結婚」の延長上にあるものを肯定するような奴は死ね。
あんもん不幸しか呼ばねえんだよ。
20歳前後までは、「彼女が処女であることを望む童貞」が当たり前。
むしろ18歳未満の非童貞や非処女はDQNばかり。家庭環境も学歴もモラルも人格も底辺だ。
しかし大学生から新社会人くらいの年齢になると、家庭環境がよく知的レベルは並以上の非童貞・非処女が増える。
その層はそのまま26歳から29歳くらいで結婚する。スムーズに大人になっていく。
30歳以上の未婚者は、たいていの場合売れ残り。特に30歳以上の童貞や処女は容姿に問題があることが多い。
売れ残り同士で結婚すれば問題は無いけれど、売れ残り暦が長くなるほどプライドが高くなり、異性への理想も高くなる。
30歳以上の童貞にお似合いなのは、自意識過剰でコミュ力皆無の三十路ブス処女とかになるわけだけど、彼らはそれで納得しない。
三十路処女が売れ残りであることをわかっている。自分自身売れ残りのくせに、売れ残りを掴まされるのはごめんだと思っている。
だから女子高生など、処女であることが当たり前の年齢のハイスペック美少女を欲しがる。だから気持ちが悪いのだ。
自分の童貞に価値があると思っているのも大きな勘違いだ。その童貞は守りぬいた童貞でなく、誰にも欲しがられなかった童貞。
若いイケメンの童貞や、若い美人の処女なら、大きな価値を持っているし、欲しがる人も多い。
でも不細工高齢男女の童貞や処女なんて、負債でしかない。30歳を過ぎると腐敗して腐臭を放ちだすのが童貞や処女。
それに価値を見出して欲しいと思うのが間違い。ヤリ捨てられた独身三十路よりはマシと自分では思っているかもしれないが、どっちもゴミ。
不細工高齢童貞と、不細工高齢処女が、お互いの負債を引き取りあうような結婚であれば、誰も叩かない。
でも実際はどちらも勘違いしている。自分の童貞や処女には価値があると勘違いし、それを人に認められるべきだと勘違いしている。