九州北部は古代には幾度も戦場になった。
戦を繰替えすたびに打ち捨てられた遺体が腐臭を放っていた。
当時の地元の高僧はその状況を憂いて少しづつ墓を立てていった。
拳ほどの石が並んだだけの粗末なものながら、最終的には何万という墓が並んだという。
そのことから、いつしか墓多と呼ばれるようになった。
それが博多という地名の語源である。
博多と表記されるようになったのは忌み言葉を避けたためと考えられている。
という与太話を考えたんだけどどうかな。
Permalink | 記事への反応(1) | 08:58
ツイートシェア
湯桶読みになってるのがいわかん