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はてなキーワード: 歴史的とは

2018-02-06

anond:20180206114104

今の国際社会ベース中世から近世西洋なのでそこですね

日本場合明治以降法的には明確に否定されてるはずです

西洋の影響ですね

歴史的に言えば女性が不当に制限されてるんではなく逆ですよって話なんですが

不当に搾取されていたのを未開として改めたわけです

anond:20180206112916

自由恋愛であるないに関わらず基本的には愛人を作るのは男であって(中世欧州貴族など例外はあるでしょうけど)

西洋では女性処女の方が価値があるという概念が根強かったはずです

まり歴史的不倫男性特権であって

それを取っ払ったのが現在普遍的価値観です

なんか美術館の絵が時代遅れどうこうって問題になってるけど

そもそも美術館ってそんな時代の先端に沿った時流に合うものばっか置くようなものなのか?

だいたいが結構な古いものを置くものであって、むしろ人によっては時流に合うものばっか置くほうを忌避するのもいるってイメージなんだが。

場合よっちゃ古いからこそ価値がある的な考えもあろうと思うんだが。

まあある美術館が、最先端の新しい芸術のみおきますって言うのならそれは個別事例として良いのかもしれんけど

美術館一般が古いのが合わない場所みたいに解釈してるような意見を見ると素人目ではとても違和感を覚える。

仮に歴史的には評価されて、現代価値観では評価されなくなったものでも、そして歴史的評価とやらが今考えてみると間違いで負の歴史であったのであっても、

それを伝えていくというのだってやっていけないということはないのではないのかと思う。

2018-02-02

アダルトビデオ出演の強要応援

最近アダルトビデオ強要事件に照らすと、女の子が出演後に後悔して警察に駆け込めば、これも強要にあたるのではと思ってしまます

迷ってる女の子に、1万人も求めてるんだから、と言うのは勇気を与えてるのか、プレッシャーを与えるのかどっちなんでしょう。

1万人共犯で全員書類送検されたら、歴史的事件として面白いんだけど。

10,000本の予約でAVデビュー。それ以下なら、普通女の子。」

https://ec.sod.co.jp/special/reservation/index.html

2018-02-01

anond:20180201163029

歴史的観点重要と言いつつ時代の違う話を「古来」で大雑把にまとめてしまうのすごいな。

anond:20180131190342

どれも言いたいことはわかるが現代においての考察しか語っていない。

いちばん重要歴史的観点が抜けている。

生理古来より「穢れ」として扱われてきた。

このために女性は常に男性より劣るものとして扱われ、神職直接支配者にもなれなかった。

※もともと体力的に男性の方が強いことな複数の要員はあるけれど。

卑弥呼がいるじゃないか!ってのもあるがこういうケースは非常にまれ

現代で培われてきたような考え方ではなく、

ソフトではあるが)忌み嫌うものとして、それこそ人間生理インプットされてると思われる。

2018-01-30

東北方言沖縄方言共通点

歴史的にも地理的にも相当の距離があるのに、「なくなってしまう」と言うときの訛りのイントネーション東北沖縄も同じ。何故?

2018-01-28

https://anond.hatelabo.jp/20180128080356

単純に言えば歴史的な話>母数が何故違うか

囲碁は昔から宮中で行われてたり、貴族の嗜みとして行われていて、女性的な遊戯だったんだよね。

将棋は、日本では軍事的な要素が強くて、武士の嗜みとして行われていた。

縁台将棋って言葉もあるように、昭和中期くらいまでは「将棋おっさんのもの」ってイメージが強かったし、今でも将棋サロンものすごいおっさん臭い女性の居心地のいい空間ではない。

羽生が初めて七冠取ったときに、ものすごい女性ファンが増えたんだけど、このとき連盟自身が「女性ファンをどう扱えばいいかからなかった」って言ってる。そのせいで、女性将棋ブーム一過性で終わって定着しなかったのが、今のスポンサージリ貧状態につながってる失策と言われてる。

まあ、そんくらい、将棋界が女性を受け入れる体制が出来てない。「将棋が好きで好きで仕方ない女の子がいるなら勝手にやればー?」くらい。

体制としては、工事現場女性が働きたいとやってきても、「女性用の更衣室ないから、車の中で着替えてくれる?」くらいな扱い。

それでもやりたいと食らいついてく人間絶対数自体が少ないから、そこから強い人間が出てくる確率も低いだけ。

まだ女流制度が出来てから40年くらいしか経ってないから、まだまだこれからだよ。

2018-01-27

妖怪同士でバトルする浮世絵とかってないの?

能力者バトルの歴史って、

超昔 神々がバトル

|  妖怪モンスター人間がバトル

今  能力者同士がバトル

って感じでブームが移ってくけど、能力者の人間同士がバトルするとかモンスター同士が戦ってる作品って歴史的に見るとかなり最近になるまで生まれてないのが不思議なんだよね。

マイナーなだけで昔からそういうのあったんちゃうかなと。

封神演義西遊記基本的に『凄い武器』を使って戦ってるので無しです。本人の異能力によるバトルに限ります

2018-01-19

anond:20180119144621

なんかこういうこと言う人ほど逆に過大評価してんじゃないかと思うよ。

信者たちが「仕組みが面白いしそこそこ売れるかもな!」と騒いでるとき

「そんな歴史的大ヒットなんかするわけないじゃん馬鹿!」って切れてるみたいな。

2018-01-18

引用数が多い小説

教養度が高かったり歴史的にも重要小説とは何かということを考えるとき論文じゃないが被引用数の多寡は一つの基準だと思う

何かの評論でも日常会話でもなんでもいいけど、小説中に出てくるワードとか概念が広く言及される=重要度が高い、みたいな

例えばオーウェル1984年なんか、本自体は読んでなくてもダブルシンクとかニュースピークとかあるいは”big brother is watching you”みたいな文言、どっかで見たことある人は多いと思う

というわけで1984年に1票、他にどんなのがあるでしょか

2018-01-16

anond:20180116221454

伊達上杉蒲生・蘆名と有名どころの戦国大名に所縁がありつつ会津藩絡みのあれこれもあって歴史的にはかなり美味しい。

2018-01-13

結局中国が一番賢いと思うんだが

人権自由制限するのは現代の潮流に逆らうけど

確実に世界覇権を握る存在にまで上り詰めつつあるじゃん

どんなに落ちぶれても絶対に這い上がってくる

根本的に賢いだけじゃなくて常に争いの中で栄枯盛衰してきただけあって現実を良く理解してる

そういった歴史的な蓄積があるってのが何より大きい

ちゃんと敵味方の区別をして、敵の敵は味方だという賢さも備えてる

絶対自分たちが損する選択肢を取らないし妥協しない

個人尊重しないから常に国が勝てる戦略を取れる

アメリカはまだ挫けたことが一度もないから、もし挫折したときが怖いが

中国は負けても絶対に負けて終わらないことが歴史的証明されてるように思える

回り回って結局は中国が一番賢いんじゃないか

2018-01-12

[] 日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

原典:日本發現的「國寶級中國瓷器」是真是假? 日經中文網

日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

2017/06/26

日経中文網 特約コラムニスト 張石

2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。

曜変天目茶碗とは

曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京静嘉堂文庫京都大徳寺龍光院大阪藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。

天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国人間国宝国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。

曜変天目茶碗」の鑑定が日本で大論争に

番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査計画した。

しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。

「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料ヨーロッパ18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルトクロムセレンカドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」

「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」

「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くとき方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」

長江さんは後で筆者に述べた。

「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」

中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。

「少なくとも「曜変天目茶碗」ではありません。12~13世紀製造されたという可能性も非常に低いものです。」

筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。

「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。

2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。

3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国流行している模倣品とは非常によく似ています。」

森達也教授さらに述べた。

テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」

この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。

「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」

筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。

テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」

新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。

魚島教授物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。

魚島教授は述べている。

「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日

一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。

「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授データには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」

日本の複数メディア報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県文化財指定のための調査を中止した。

なぜ「曜変天目茶碗」の鑑定は論争を引き起こしたか

私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。

だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。

「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ

このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年国際的に知られた陶磁研究専門家で日本陶磁研究第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代古瀬作品であるとして重要文化財に指定した。

その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。

このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。

私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。

筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?

確かにテレビ番組では、科学研究場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)

だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?

もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物科学的に鑑定する完璧方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物場合炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物場合基本的には炭素14鑑定は使えない。

また、熱ルミネセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギー放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。

しかしこのような報道もある。

「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部通報した。公安部担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日

魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。

「彼は本物の曜変天目との比較を一切行わず、例の茶碗のみで分析を行いました。これでは意味がありません。」

筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。

「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物である考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」

筆者:

―― それはつまりあなた検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。

魚島教授

「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」

筆者:

―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?

魚島教授

「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」

筆者は質問した。

―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなた検証方法では今回と同じような結果が出ますか?

魚島教授

「その可能性はあります。」

しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。

このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ

※ この記事は筆者の個人的視点を示したものです。

張石 略歴:

1985年中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35

2018-01-11

anond:20180111131833

「おつかれさま」と「ごくろうさま」の使い分けについて歴史的由来とそれに基づく根拠をきちんと示してくれたら俗流でないと認めるよ。

2018-01-10

anond:20180110172327

少なくとも金髪白人差別表象として扱われてきた歴史的文脈はねーわな

そもそも白人がすべて金髪というわけではなく、赤毛黒髪もいる

2018-01-07

人種差別っていうからからない

「黒塗りは人種差別だ」っていうから「じゃあ白人ダメだよな?」みたいな方向に議論が行ってしまってよくわからなくなるわけで、

本質は「(歴史的に黒塗りが黒人差別象徴であるため、黒塗りは黒人差別を想起させて)不快からやめろ」なんだから、そう言えばいいのに。

anond:20180107142955

差別はそこに意図があるかどうかが問題なのではない。

表現の表層が問題なのでもない。

文化的歴史的文脈に対して知識反省検証があるかどうかだ。

表現をするのに「意図がない」と言い訳するのは無知無神経無責任なだけで、最悪である

しか欧米文化には見下げる感覚があるから表層を真似るのだという前提が存在するため

全然ちがう。

尊敬している」は言い訳にはならない。

anond:20180107123649

あんたちの文化歴史的背景を全く違う成り立ちの国に押し付けていいのという問いに答えるべき

2018-01-05

anond:20180105101304

歴史的に高給の職業男性が独占していたから、女性としては将来の職業として低給のものしかイメージしにくいのではないか

まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメスプラトゥーン差し替えると良く分かる。

古文漢文って、基本的には要らないよね。

昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。

努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味現代では「積極的廃止すべき」だとも思う。

ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。

元増田の「人生を左右する受験必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。

そもそも立脚点スプラトゥーンとの違い)

高等学校学習指導要領スタートにするのは同意してもらえると思う。

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

だってスプラトゥーン短期間でPDCAサイクルを学べ、さらに非言語コミュニケーションを通じて素早くチームでの立ち位置を明確にして、彼我の戦力差からどのように地形を利用するまでを、なんとゲームとして楽しく学ぶことが出来て現代社会を生き抜く必須技法が学べる、とも言えるわけであって。

オレが思うに、元増田は、「スプラトゥーン受験科目に入っている世界で、それの意義に反発している」と同じなんだよね。

スプラトゥーンに意義があるのは判る。効能も確かにあるだろう、だがそれは受験科目に必須とすべきなのか?と言う。

なぜ漢文効能を謳うだけではダメなのか

とは言え、ゼロベースで積み上げ式で受験科目を考え直そう!という提言でも無かったわけだし、判り難いとも思う。

から、何故に「漢文には○○という効能がある」というのがダメなのかを説明する必要がある。

古典Aと古典Bの効能ではないから、なんだよね。

高等学校学習指導要領における、国語の中の古典で謳われている効能で説得する必要がある。

そこを無視すると「歴史イケメン口説くのに必須」とかと同じになっちゃうんだもの

そんなん教師は知ったこっちゃないし、オマエだけだろソレ、みたいなね。

その観点学習指導要領を読むと、もうブコメ効能とか的外れも良いトコだよね。

古典Aは古典に親しむ態度さえ育てば、一部法律古文っぽいのを読めるようになれなくても問題ないし、

古典Bは人生を豊かにする態度さえ育てば、読解能力が全くつかなかろうが関係ないんだよね。

本来問題にすべき古文漢文の話は、この学習指導要領における目標の部分であって

「態度育てるだけじゃダメじゃね」とか「態度こそが重要だ」みたいにならんとイカンわけよ。

そして、「古典に親しむ態度を育てるとか人生を豊かにする態度を、現代日本人生を左右しかねない受験科目に加える意義とは?」みたいな話になって無きゃ全く話しにならんワケですよ。

その上で、元増田意見には反論できてしま

オレは要らないと思ってるからそれは後述する。

ただなあ、元増田の「古文漢文人生を左右しかねない学力試験必須か?」には、オレは反論できる。

高校学習指導要領に定まっているから。

元増田も言っちゃってるじゃん。「"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない」って。

じゃあさ、そもそも入試って何よって話ね。

大学受験における入学試験学力試験な。アレは何を計測しているの?

基本的には「高校卒業程度の学力があり、さらに追加で一定学力があり、出来の良い方から入れたい」ってことだろ。

要は「高校で学んだはずのことを、より多く吸収できてれば良い」ってことだな。

大学本来学力試験の意義から考えれば、高校でキチンと学んで基礎を身につけてきたかね?

知識人として育てる/育つに値する人物かね?って問われているわけだ。

「機会を与えられたら、余さず吸収できる人間か?」と問う学力試験において、高校で学んだはずの漢文が身について無きゃ、ほかも推して知るべし、と言われても仕方がない。

から高校学習指導要領に定めがあり、高等学校卒業程度認定試験でも問われる学力を、大学学力試験確認するのは、合理性がある。

元増田意見とは異なるが、オレは古文漢文はもう要らないと思う。

さて、高等学校学習指導要領に定まっている科目の全てが大学入試に要るわけじゃない。

保健体育、芸術、家庭とかね。チョロっと書いたけど、高等学校卒業程度認定試験ベースに軽重付けてるのが現状ってところだろう。

正直に言えば、ワリと古文漢文って入試では軽視されてるから、まあ比率としては現代では既にして小さくなってるとも言える。

古典に親しむとか人生を豊かにとか、いわゆる武家公家伝統から来た明治文化人みたいな教養を求めるのは、ちっと早いんじゃないかな、と。

帝国大学国家ノ須要ニ応スル学術技芸教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」の頃から残滓に見える、とも言える。

高い学識と深い教養を持った官僚学者を生み出すために、高等教育を施す場所という意義は、既に失われてはいいか、と。

から高等学校卒業程度認定試験から外すべきだと、オレは思う。

高等学校卒業認定試験学習指導要領に定めのある全科目を試験していない以上、試験している科目は学力として重視していると考えるのが自然だ。

大学入学資格検定の時にはあった家庭科廃止されたのも、趣旨としては同じだろうし)

高校では親しみ、それは高校で学ぶ学力とは別だ、と明確にすべきだろう。

まとめ

元増田の主張は、「古典(古文漢文)を受験科目に加えるな」だった。

それは大学側への要請だ。

増田への反論は、『大学として「高校で学んだ学力試験する」のであれば、国語から古典を除くのは不合理だ』になる。

オレの主張は、「古典学力の一部と看做すのは現代ではそぐわないので、まずは高等学校卒業程度認定試験から外すべき」だ。

学習指導要領古典目標をみても(保健体育や芸術目標意味合いとして近いのに)学力に含めるのは、現代高等教育の意義からするとズレがあると思う。

最終的には、芸術地理歴史の科目として古典を分類し直すのが、筋論としては適切なように思う。

論語を読むのは芸術だろう。漢文(訓読)を使ってきた長い歴史理解するなら地理歴史だろう)

法律文を読み下すため」とか「読解能力を上げるため」とか言うなら、まずは学習指導要領改定するところからだろうと。

そうじゃない実務的な面でだ!現実を見ろ!というのであれば、

入試程度の古典知識でその判定してるってマジで主張するつもりなの?とは思うなあ。

漢文問題法律文を読む適性を試験してますって真顔で言われたらその大学はお取り潰しで良いのではないでしょうか。

もちろん、古典に親しみ、人生を豊かにする態度すら持てないもの高等教育を受ける資格はない、という反論はありうる。

現代日本におけるトップクラスの実務家たる弁護士が、現代語の基礎たる古典程度追加で勉強して試験突破できないのであれば、その学力には疑問符がつくので日本しか通用しない教養であっても歴史的な意義から残すべきである、という主張もありうる。(科挙末期みたいになりそうだけど)

ただなあ、「漢文には○○っていう効能があるよ無知乙」みたいな主張は「スプラトゥーンには○○という効能があるので受験科目にすべき」ってのと同じだと思うよ?

anond:20180104132743

anond:20180104132743

そもそも大学目的が「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的道徳的及び応用的能力を展開させること」(学校教育法83条1項)。

タテマエとはいえ、「専門の学芸」の前に「広く知識を授ける」場所。「広く知識を授ける」前提となる、前段階の教育課程において身につけたはずの「一般的教養」(同51条2号、64条2号)が備わっているかをはかるのが、大学入学選抜試験目的ひとつ。あとは何が「一般的教養」として重要かという問題で、これはもう歴史的背景に基づいた社会的合意によるとしかいいようがない。

道徳家庭科を軽視するというわけではないが、古文漢文により重きを置くと選択しているのが日本社会

anond:20180104132743

役に立つ/立たないとか教養うんぬんとかよくわからない話は抜きにするとして。

大学入試で計るものは「学問研究をするのに必要下地」を持っているかどうか。

研究プロセスにおいて明治以前の文献を読むことが必須である分野はそれなりに存在し、そのような文献を読む能力があるかどうかを大学入試で計るのは妥当

古文漢文が専門でなくても、他のことをやっていても必要になる。

弁護士になるという特定目的なら確かに必要いかもしれない。でも法律研究者になるなら歴史的文献にあたる必要があるかもしれない。

その目的に沿った細かい入試区分を設定するというのは現実的でない。

anond:20180104132743

なぜ「古典」が試験科目なのか考えてみた。

歴史的に、日本ヨーロッパ伝統に成り立つ大学という制度を導入・輸入した。

そのヨーロッパでは、人文系学問ならば、古典語(ラテン語ギリシア語)は大学入学のための必須科目である

この形式が雛形となって日本に持ち込まれたとしたら、日本場合、現状のような「古典」が必須になったことと繋がるかな?

ヨーロッパ規範は、いまや世界中にばら撒かれているから、自分物差しがどこに由来するのか意識すらしない。

2018-01-04

格闘技廃止すべし

子供が真似すると危険

殴り合ったり蹴り合ったり危険

格闘技には歴史的奴隷が行わさせられたものがあるから見てて不快

ということを、唱える人を見ないのはなんでなんだろうか。左の人とかこういうこと言ってそうなのに。

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