はてなキーワード: 楽器とは
分かるかなこの気持ち
特にウザいのが「やっぱロボットOPにはSE差し込まないとな!」みたいに主張してくるやつ
お前らのクソしょうもないノイジーマイノリティの声を勘違いしてか、ノイジーマイノリティそのもののせいで作品駄目になる
勇者王シリーズみたいに外連味を大事にしてるやつならそれもいいけど
普通のリアルっぽいやつとかリアル路線じゃないにしてもSEを主張させてくるのがマジでイヤだ
それならパイロットの叫び声とかどうでもいい日常会話とかも全部差し込めよ
そういう演出をしたいなら本編でやればいいのにOPのイメージソングに被せてくる必要ある?
気持ち悪い監督のオナニーとそのおっさんのオナニーでシコろうとする懐古厨(おっさん)がマジで大嫌いだ
もしアニメ監督を目指してる人や、現アニメ監督は良かれと思ってSEを被せてくるの本当にやめてくれ
SE差し込むのが許されたのは初期の頃のオリジナリティ扱いされていた流行りの時期だけだから
百歩譲って後期にバリエーションとして入れ込むのはいいよ(それも不自然極まりないからやめてほしいが)
というかSE差し込むくらいならファンの二次創作でいくらでもできるだろっつう話で
個々人の没入感の自由を阻害する要素にしかなってないから や・め・て・ほ・し・い・で・すマジでやめて
どんなに好きなOPでもこのせいで途端にクソ化して哀しくなる
タイトル詐欺です。要はただの自分の愚痴で,だらだらと読みづらいことをご承知ください。
『君の名は』地上波初放送 今日の夜9時からですね。それを祝して1/1と1/2の深夜に新海誠監督作品が放送されたことをご存知の方もいらっしゃるかと思います。
私は関東圏なので,『雲のむこう、約束の場所』『秒速5センチメートル』『星を追う子ども』『言の葉の庭』が放送されて全部観ました。(あとでほしのこえも観ました)
何回か見た作品もありましたが,Twitterの実況を流し見してると「小説版もいいぞ」という声が多い多い。なので,特に印象に残った『言の葉の庭』と『雲のむこう、約束の場所』を買いました。
このダイアリーは『言の葉の庭』を読んでいたら、自分のことをつらつらと殴り書きたくなった、活字もまともに読めない残念な人間の愚痴です。
ここからは自分を振り返ってみようと思います。(〇〇しようと思いますって表現だいきらいだけど)
そもそもの投稿した目的は「病んだ人間が自分の中に溜めきれなかった気持ちを吐き出そう」なわけです。
去年の8月末ぐらいに「全般性不安障害」と診断されました。ざっくり言えばうつ病の手前です。
医者へ行くきっかけになったのはある人(以下Aさんとしましょう)にメールで「他人の気持ちを考えてやりとりをしなさい(曖昧)」と言われたことでしょうか。
当時はインターンシップ(企業じゃなくて大学の研究室に行くっていう稀なやつです)やら学会発表やらでなにかと忙しかった。そんな中でこのメールが来たわけです。
その晩はずっと泣きました。そのあとは医者に行って薬もらってマシになりました。(いまは効きがイマイチに感じる 変えるべきかなぁ…)
で、今に至るまで病気を引きずってるわけですが、ここで新たなストレス「就職活動」がやってきます。(病気がきっかけで院進は向いてないなときっぱり諦めました)
ビッグサイトでやるような大規模イベントにも行きました(DaiGoのお話タメになったなぁ)。 企業の人と面談にも行ってみました。
いわゆる情報系なので就職するならSEとかそっち系だろうと思い込んでいたわけです。でも色々やってるうちに「どうやら以前からプログラミングは好きじゃないと思ってたことは正解だったんだ」と気づいていきます。
最初に書いたように大学生のようでそうじゃない立場の人間なので、同級生には就職してる人もたくさんいます。でもみんなつらそうだなぁ…と
そんな考え達が余計に自分を迷わせます。ある同級生は保育士目指しだすし、自分がなにをしたいのか余計にわかりません。
私は、洋服の青山の就活セールCMでダメージを食らい、SNSの就活広告でも神経をすり減らすようなメンヘラです。
孝雄くんは「靴職人」っていう立派な夢があっていいなとか、雪野先生も色々あったけど歩き出せていいな…とか観たり読んだりしてて思うわけです。
昔から趣味でベースとかやってて「楽器弄るの楽しいなぁ」と思っていた時期もありました。この前友人に言われた「楽器工房で働けばいいじゃん」の一言がずっと頭に残っています。
まぁでも今からだと遅いわけです。18歳以前ならその道も選択肢のひとつだったでしょう。でもここまで来てしまったので引き返すには相応の勇気が必要だなと思って結局決断できません。
ハナから見れば「若造がな~に遅いだのなんだのうだうだ言ってんだよ」って話ですが、いろいろ考えは浮かんでも決断は出来ないわけです。視野が狭い分出てくる考えも浅いことばかり。
ここまで読んでくださった方、周りの人には「仕事なんてつまんないよ」って言われます。仕事を探すときに「楽しいかどうか」って考えちゃいけないんでしょうか。
というか皆さん今の仕事どうやって決めたんでしょうか。
5年・10年・20年先を考えても仕方がないのに考えてしまうのはどうしたらいいんでしょうか。
あ~~~~~~~~~~~~~~~さっさと死にてぇなぁ クソったれ
長文失礼しました。
もうここでまでくると人間不信スパイラルです。名前も顔も知らない皆さんに罵詈雑言でも何でもいいからどうすりゃいいのか教えてくれよと思って書いた次第です。
だよね。
anond:20171230111228 の言っていることは。
「いま対いずれ」のトレードオフ(G.M.ワインバーグ『コンサルタントの秘密』参照)を否定して,常に「現在の苦痛を避けること」を最優先すれば,こんな論理はいくらでも構築できる。
等々。
極論は思考実験としては役立つが,現実に適用すると悲惨な結果しか生まないのは歴史が教えることであり,故に(元増田は残念だろうがその期待に反して)反出生主義は広がらないだろう,と予測しておく。
新宿→小田急沿線に住んでるから東京に出る=新宿に行く、大分冷めたけど写真が趣味だった時は西口のカメラ屋街をうろうろしていた。あとみんなが出てきやすいからオフ会の街だった。
渋谷→今行くならBunkamuraで何か展覧会とか見に行くくらいかな。10代の頃ライブハウス通うのにハマって道玄坂の方とかも居たしNHKホールでライブ見る事もあるし音楽の街ってイメージ。あとラブホ街があるね、幸和ってところに適当に入ってみたらたまたまヒノキ風呂の部屋で楽しかったよ。
六本木→新国立美術館のイメージしかない。それ以外にあまり縁が無いところ
せっかくだから他の街の印象も書いてくよ
上野→美術館と動物園の街、横浜に住んでた時はアプローチしにくかたっただけど上野東京ラインが出来て気分的に近くなった、しかしその後小田急沿線に引っ越したのでまたアプローチしにくくなった。
秋葉原→私にとっては自作PCの街で再開発がされる前は8時くらいには目ぼしい店もしまってすぐに暗くなる街って印象だった。その後飲食店が増えて郊外のどの場所から出てきても不公平感が無いから新宿と並んでオフ会で良く使う街になった、まあリナカフェに入り浸るtwitterユーザーだったってのもある。JRの駅にほとんどくっついた様な形でRemmって言うビジネスホテルの少し良い奴みたいなのあるけどあれのレインシャワーは好き
御茶ノ水→長い付き合いの友達が明大に通ってたから微妙に縁がある、椎名林檎が「リッケン620頂戴 19万も持ってない御茶ノ水」って歌ってたように楽器屋街でもある、あと定額音楽サービスに入ってからは足が遠のいてるけどジャニスって言う有名なレンタルCD店がある
銀座→各県の物産店が集中してる、個人的には高知県物産店と鹿児島県物産店(場所的には有楽町だけど)がお気に入り。あと高級ブランドショップの本店があったりするからそういう用事でも行くかなあ。個人的には八重洲のあたりと含めてもうちょっと開拓したい所。
日本橋→三越と高島屋の本店がある。高島屋で月初めにプレミア焼酎の懸賞をやってるからたまに応募しに行く(当った事は無い)、あとエレベーターガールが居たりするのと年季の入った建物がやっぱり本店って感じがする。
表参道→銀座と似ているのかな、高級ブランドショップ街がある。渋谷にも銀座にもApple storeはあるけどなんとなく表参道のを使う事が多い。冬の時期だと福井県物産店で水ようかん買ってく事が多い。
新大久保→まあコリアンタウンなんだけど最近はイスラム系の店が固まって出来たりその他モロモロの地域のエスニック料理屋あったりと混沌としている。路地裏の変な料理屋にふらっと入ってみるとカルチャーショックを味わえる、そして時々大当りの店が見つかる。
品川→アンミラがある、あのアンミラがある。実家住まいだった頃は京急で東京に出る事が多くてここで降りて何かすると言うよりは乗り替えのための場所。でも東京に出る=とりあえず品川に向うだったので結構印象深い場所。
書いてみると結構あれこれ上がってキリがないので山手線内だけでとりあえず打ち切る。池袋とか目黒・恵比寿も入れたかったんだけどあんまり印象が無い(あそこら辺も掘り下げると楽しいんだろうけど)
これだけ細々と上げられるのは東京都外に在住してるからかもしれない、それでも9割の用事は町田なり横浜なりに出れば済むんだけど……
やっぱり百貨店にしろ同人誌ショップにしろPCパーツ店にしろ東京の特定の街にある本店に行った方が売り場が広いし探しやすいみたいなのがあるのよ。
逆に言えば普通に生活するなら家のある駅と都心を往復してるだけで大抵の用は済むんじゃないかな、東京のどのあたりに住んでるのかは解らないけど。
気が向いたら山手線外編も書く。
ビートルズのBlackbirdを聴くと、気分がとても落ち着く。
毎日のように、Spotifyのアコギプレイリストを聴いて、辛い人生をやり過ごしている。
なぜアコギの音色を聴くと落ち着くのだろうか?ミチロウが「お母さん!」と叫びながら弾くアコギでさえ、なんとなく気が落ち着いてしまう瞬間がある。
両親は俺にミュージシャンになってほしいようだった。父は子供の頃全国レベルの合唱団に所属していて、高校ではバンドもやっていたようだ。
父は、保育園児だった俺をピアノ教室に通わせ、アコギを買ってくれたが、俺は興味を示さなかった。
ピアノ教室は二ヶ月で辞め、ギターはインテリアになった。長い間換えていなかった弦は、中学の友達が割り箸をピック代わりにかき鳴らした時に切れた。
上京した俺は、アコギを買った。アパートでは練習が出来ないということに気づいたのはその後で、今ではインテリアになってしまった。
ピアノはともかく、あの時買ってもらったアコギに興味を示していれば、父親の人生をもっと楽しませられたかもしれないし、無趣味に苦しむこともなかったかもしれない。
今、俺は誰かが弾くアコギの音色に癒やされている。本当に素晴らしい楽器だ。
弾けたら楽しいだろうな。
素人よりは遥かにひけるでしょうけど、慣れた楽器と同じレベルでは引けません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1375023088
音楽はプレーヤーではなく作家系、いわゆる宅録ミュージシャンをしていた。
それなりに曲を作り、自分で言うのもおかしいがそこそこのクオリティの作品を作り出していたと思う。
プレーヤーとして慕ってくれる人もいればクリエイターとして憧れてくれる人なんかもいた。
そもそも奥さんと一緒に音楽をしていたわけだけど、結婚をし家庭を持ったら話はまた別。
お互い家の事やらなにやらで音楽をする時間がまったくとれない。
以前なら夜中までパソコンを向き合い曲を作っていたがアパート暮らしになったらそれも出来ない。
楽器も弾かず曲も作らず、家庭的な夫になりつつあったが何かを表現する事に飢えていたのは確か。
振り返ってみると、音楽が好きで楽器を弾いたり曲を作っていたわけじゃなかった
何かを作ったり、作った何かを人に発表したりする事が好きだったんだと思う
それがたまたま中学生の時に手に入れた楽器を使って表現していただけで
それが別の何かだったらきっと他の何かをしていたんだと思う
そんな音楽生活から離れた時に出会ったのが父親のカメラとレンズ。
俺は恋人と水族館にいた。そこはよく訓練された動物たちがウリで、巨大水槽でスイミーをやったり、蟹が折り紙を切ってアートをやったりしてて、これはすごいなあって楽しんでた。俺たちはそのままアシカショーに足を運んだ。アシカたちもよく訓練されてて、いろんな芸があったが、目玉の芸というのが「その人のことを当てる」だった。たとえば消防士の客には消防車が描かれたカードを持ってきて渡したり、音楽が好きな客には楽器のカードを持ってきたり。
そうこうして俺達の番がやってきて、アシカはブラウン社のハンドブレンダー(クリスマスに自分用に買おうと思っていた)のカードとか、俺の職業を表すカードとか、俺の好きなバンドのカードなんかを持ってきて、俺はすごいなあすごいなあすごいなあと感心してた。何往復めかのとき、アシカはカードのかわりに、俺の日記帳のあるページを破ったものを持ってきた。そこには俺の誰にも言えない重大な秘密が書かれている。いやーもうね笑顔で近づいてきて突然ナイフで腹を刺されたみたいな衝撃。映画的にドラマチックだった。アシカに合図を与える男が、お前の秘密をしっているぞと俺に警告してきたみたいにおれは感じた。そっから、男はずっと俺を監視していたことがわかって、さらにチビりそうになる。いつの間にか横にいた恋人はいなくなってて、なんとか監視の男から逃げようとするのだが、俺はいつの間にか足を怪我していて早く走れない。いつの間にかゾンビみたいな奴らが街にうようよしていて……というところで目覚まし。
ちなみに、俺は日記をつけていない。怖い男と知り合いでもない。知られたくない秘密というのも、夢の中で秘密とわかっただけで具体的に何の秘密なのかも不明。日記帳も持ってない。なんでああいう演出だったのか謎だ……疲れてるのかな。
別に号泣するとかじゃないけど、ただ彼女のことをぼーっと考えて時間だけが過ぎていく。
ていうかそんな親しかったわけでもない。中高一貫の女子高で同級だっただけだ。
私は自分で描いた拙い漫画をせっせと刷ってコピー本にして地元の小さなイベントの端っこで配ってるようなオタ女で、同じようなオタ女たちとよくつるんでたけど、彼女はとびきり美人で性格も社交的だったから、そういう子が集まる派手めなグループにいた。
高校になっても私は受験組、彼女は附属大推薦組で、選択授業が被ったことはほとんどない。
唯一の接点が管弦楽部。でもこれは学年の4分の1くらいの子が所属するような大所帯だったから、そのなかでもやっぱり仲良しグループはあって、そこでも私は彼女とつながりはなかった。
ただ、彼女は目立つ子だったけど、少し要領が悪いというか、世渡りが苦手というようなところがあって、一度だけ、見かねた私が半ば強引に手助けしたようなことがあった。助けっていうほど大げさなものではなくて、普通にクラスメイトが困っていたら皆するようなことだったけど、それでも彼女は恩義を感じたのか、たまに話しかけてくれるようになった。彼女は優しい。
それでも、そのころの私たちには中高生にありがちな、グループの体裁みたいなものがあったから、話すときはなんとなく二人きりになったときだけだった。彼女は私のしょうもない話によく笑ってくれた。その顔がすごくかわいいので、私はくだらない持ちネタを繰り返した。彼女が笑うと満足した。
一緒にどこかへ遊びにいったりしたことはついぞなかったけど、彼女は地元の楽団にも参加してて、あるとき私を誘ってくれた。
大きなコンサートがあるときは、人数確保のために楽団員が知人を紹介することができるシステムだった。チェロ(私の担当楽器)が足りなくて、よかったらきてくれない?なんて言われたら行ってしまう。ふたを開けてみれば私しか誘われていなかったので、ちょっとした優越感でニコニコしてしまった。たぶん本当にチェロの人員だけが足りなかったからだろうけど、彼女から選ばれることは得意な気分にさせた。
彼女はバイオリン(とても上手)なので練習は別々だったけど、最後の合わせでは一緒に帰った。電車で座って、それまででいちばん長くしゃべった。私はそのとき彼女に外部受験して地元を離れることを話し、彼女は私に子供が好きで音楽の先生を目指していることを教えてくれた。
そうして私たちはそれぞれ進学し、二年の冬に彼女は亡くなった。
葬儀はご家族だけで執り行われて、私たち卒業生は母校でお別れ会を開いた。
そこで区切りがついたつもりだったのに、その後しばらくして、飲み会で入ったお店で流れているBGMが、あの、彼女と参加したコンサートの演目だと気づいたとき、すごく動揺してしまった。お酒が入ってたからかもしれない。
それから度々、突然彼女のことが心に浮かんで、とても寂しくてやりきれない気持ちになってしまう。心が体の真ん中から徐々にずれていって、そのままどこかにいってしまう。誰かを亡くした人ってみんなこんな気持ちを抱えて日々生きてるの?こういうのどうやって乗り越えてるの?寂しくて仕方ない。
卒業式も寂しかったけれど、これからみんな別々の道でそれぞれ元気にやっていくんだという信頼や希望のようなものがあったから、こんなどうしようもない悲しみだけではなかった。こんな私でも日々をあれこれなんとか過ごしているのに、彼女はどこにもいなくて、なにもしない。働いたり遊んだりしないし、バイオリンを弾かないし、笑ったり泣いたりしない。もうなにも作らないし、生まないし、何にも干渉しない。そんなことがあるだなんて思いもしなかった。あの、音楽室で隣に座って笑っていた人間が、この地球のどこにもいない。頼むからみんな長生きしてくれ。
彼女との記憶なんてこれだけで、でもそれだけをずっと繰り返し思い出してしまう。彼女のご家族はお別れ会で初めて拝見したし、グループにいるときの彼女とは関わりがなかったので彼女と共通の友達はいないし、誰とも彼女の話をできなくて、ここに書いてしまった。文字にしてたら落ち着いてきたから、明日からまた静かに日々が過ごせそう。表現の自由はすごい。
ていうか読み返すと自分のことばっかりでめちゃくちゃ気持ち悪い。彼女のご家族のほうがずっとずっと寂しいでしょ。お風呂入って寝ます。
ドミソが無理ならドミだけでも鳴らしてみればいい。
「あそこの先生の生徒さんは皆同じ弾き方をする」
また、youtubeで教室の生徒さんが演奏している動画を見ると、国内/海外、あるいは洋の東西を問わず
「お前そこのフレーズ、先生にそう弾けって言われたからその通りに弾いてるだけだろ?」
のが常態化していると言っていい。
別の言い方をするなら、口が悪くて恐縮だが、
「学習者の個性や解釈力の涵養は無視して、まずは立派な猿回しの猿になってもらう」
教育をしているわけだ。
でもそれってさ、
「じゃあお前、先生がいなかったらなんにもできねえのかよ」
って結果になるだけだと思うのだ。
…と、ここまで完全に悪口を書いてきてしまったが、これ難しい問題だよね多分。
など、子供の躾に近い大変さがあると思う。
では、音楽教育の素人である自分がなぜ言及するかというと、生徒さんの演奏で心底がっかりする経験ばかりというか、
「その曲、ちゃんと弾けたら本当に良い曲なのに、なんでそんな音で『弾けた』ことにするんだよ、頼むからこの曲が本来持ってる素晴らしい時間を台無しにしないでくれ!」
と思わされることが多すぎるのと、自分の仲間で先生に「ここはこう弾く、ここはああ弾く」のお仕着せで多少は上達してるっぽいけど、それ以上に苦しめられている人が何人もいるから。
ちなみに自分は幼少~高校まででいったんレッスンを辞め、数年前に別の先生の所でレッスンを再開したクチ。
確かに例によって先生に苦しめられてはいるが、再開前は腕が荒れまくっていて「音を出したら睨まれる」レベルだったのが、再開後半年で「別人のようになった」と言われ、今では「増田さんは凄く上手なので、ここに来て音を出してもらえれば、あとは何も心配していない」と事情を全く知らない共演者に言われるくらいにはなった。
これは本当に先生のおかげで、自分にとっては「アドバイスの内容は面倒だけど、逃げるわけにはいかない」という感じであるし、その先生の人格はともかく、指導内容はまっとうなのだと思う。
そして指導内容は
「これは私の好みだと思ったから言わなかったけど、何度か色んなフレーズを弾いてもらって、やっぱり○○の部分は直さないと奏者として先がないから言うね」
「結果的に××が●●にならないといけなくて、そこで重要なのはこの部分だけど、でもそれは奏者によって腕も手も指も大きさ・長さがまちまちだから、適正位置は奏者が体得するしかないんだよね…だから申し訳ないけどセンチ・ミリ単位では教えられない所です」
ガンプラ作りたい!ってのがやりたいことなら作ればいいと思うよ!
ただ、買っただけで満足して積んでるだけで、別に作りたいわけじゃないんであれば作らない方がいいと思う
作る、ってことにつながるかはわからんけど、自分が興味を持てるもの、モチベーション持って取り組めるものを見つけることがまず第一じゃないかなあ
何に興味持てるかの自己分析、もしくは分析じゃなくてあたってくだけろで、そういうものを探してみたらどうかな?
あたってくだけろでいろんなことをチャレンジしてみるのはいいかも
たとえば・・・
一人旅行してみたり
温泉いったり
とかアニメみる
あっごめん追記よんでなかった
作りたいものはあるんだ!すごい!
それを実際に作るまでの勉強に飽きちゃうってのはやっぱり成果が見えづらいからかな?と思うから、
とりあえずやりたいことをダーッとまとめて、その中から簡単なやつからやったらいんじゃないかな
すぐ動きがみえるやつ
ゴールを近くに設定するのがまず大事
遠いから勉強も大変で時間もかかって結局挫折ってのがあると思うけどどうかな?