つい最近もコインチェックが問題を起こして、巷では「靴磨きの少年」の小話(靴磨きの少年=最後の市場への参加者が投資する頃になったらもはや相場も末期というアレ)が飛び交っている。
しかし、ビットコインはそもそも株やFXとは市場への通貨供給システムが異なるし、ニ度目の暴落は単にアジアの仮想通貨規制に起因するのでその話と関係があるとは思えない。
今回のコインチェックの件も単にハッキングで盗まれただけで、楽に儲けていた(これも思い込みだが)人間にバチが当たったわけではない。
そもそも、なぜ、誰でも出来たのに手を出さなかったのか、気づかなかったのか…
この件に限らず、最近は説教するという決定事項が先に来てしまって、こういった論点も論理関係もズレた説教をする人間が多く見受けられる。
どうして、今まで単純な中学・高校の勉強においてでさえ論理性も理解力も欠いて、その都度テストなどで自信満々に導いたものが誤りであるという現実を叩きつけられてきたであろう人間たちが。
どうして、社会・道徳的な説教(政治の見解や放射能などの科学知識なども、今回の論旨とは異なるが当てはまるだろう)においては自分の正しさを信用できてしまうのか。不思議でならない。
ふむ…君の正しさはなにに担保されてるの?
それはどの部分について言っているのでしょうか。 それとも、他人に対して自分の頭の中での正しさ以外の裏付けを求めるなと言う意味で言っているのでしょうか。