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はてなキーワード: 感情移入とは

2017-12-29

anond:20171229144722

???

それって創作物感情移入するのは非常識って立場になんの?

それともゲーム非常識だけど小説OKかいう話になんの?

anond:20171229144333

いやいや、飛躍の上に短絡的すぎるだろ

お前の日常でのコミュニケーションのほうに感情移入してしまうわ。

この文脈の上でのシムシティの住人への感情移入は(俺からすると)非常識

理解できた?

それと、創作物への感情移入はある程度の年齢を超えるとキモいぞ! 笑

anond:20171229143519

君にとっては常識じゃないかもしれないが、

俺は「現実ではないゲーム住民感情移入すんのか?」とそこで驚いたわけ

うんだから創作物感情移入するのは非常識だと思ってるわけね。はい

anond:20171229142459

創作物への感情移入自由だと思うけどね、

君の指摘にはちょっと飛躍があるよ?

俺は神と人間関係アナロジーとして

シムシティの住人の気持ち考えるのか?」

と聞いたわけね

そこで「考える」と返されたわけだ。

君にとっては常識じゃないかもしれないが、

俺は「現実ではないゲーム住民感情移入すんのか?」とそこで驚いたわけ、

(※これはどう思おうが勝手でしょ)

で、そこで横から君に

創作物への感情移入否定すんのか?」

と問われているわけだけど、

それは個人自由と思うよ。

anond:20171229141152

???

それって創作物感情移入するの全否定する立場になんの?

それともゲームはあり得ないけど小説OKかいう話になんの?

2017-12-28

めざせ!世界一クリスマスツリーについて思ったこ

大手メディアは本イベント批判を「木がかわいそう」などとまとめていますが、実際は「震災の鎮魂と復興再生テーマにふさわしいイベントなのか」「実行までの不透明過程」「主催者の二転三転する説明への不信」などが焦点になっています

会期も終わり、クリスマスツリーとされた大木は、植樹と言われながら根付ことな伐採されました。

自分の心を整理するため、主催者被災者の鎮魂、復興再生を謳ったイベント主催としての誠意が全くみられなかった、という点について書きたいと思います。(他の面については他の方が証拠を揃えて書かれていますので、書きませんが、重大な問題だと思っています

 ◆◆◆

神戸の街と人々は、22年前に地震という自然の力に否応無しに痛めつけられました。大切な物を喪い、傷つき、絶望した記憶は、街が復興を遂げたとしても癒えるとは限りません。中には望まずして愛する街を去らねばならなかった人もいました。

そのような人々に対して、健やかに山で生きていた大木功名心とも思える動機で切り出して、にぎやかなイベントアトラクションとして据えることが、鎮魂の象徴にふさわしいなどと、どうして思えたのでしょう。本来であれば、主催説明をすべきことですが、彼らはいくら真摯意見を受けても、説明する責任を果たしませんでした。主催の西畠清順氏は、会期中5回以上のトークイベントを設定しながら、このテーマについて語った言葉は数えるほどしかありません。関係者説明から逃げ「嫌なら見なくていい」と放言したり、中傷されたと被害者ぶったり、わざわざ直接ではない言い方で「くだらない」「厄介な傷つきやすさのアピール」と侮辱をしたのです。

私には、否応無く採取輸送で痛めつけられ半死半生で潮風にさらされる木が、150年以上にわたって自らを育んだ地から強制的に引き剥がされた木が、被災した神戸の人々に重なってなりませんでした。震災経験した方の中にも、そのように感じ、つらい記憶が生々しく蘇って苦しんだ方がいらっしゃいました。それは、西畠氏が仕掛けた「この木への感情移入」に少なからず原因があったと思います

また、何より許し難かったことは、被災地の子供たちに願いを書いてもらったオーナメントが無残に風にちぎれ飛ばされていたことでした。主催にとって、「鎮魂と復興再生」というのが単なる都合の良い大義名分以上のものではないということを如実に示していました。

私は、悲愴な記憶を「もう○年前のことだから」「自分には権利があるから」と、踏みにじってもよいもの、利用してもよいもの、軽んじてもよいもの、として扱う鎮魂ビジネスを断固として拒絶します。

そしてその姿勢を是とした西畠清順、糸井重里、そら植物園フェリシモ神戸市等への不信感を決して忘れません。

いつか、東北熊本で同じようなことを企む輩が出るかもしれません。震災に限らず、聞こえのよい大義名分のもとに、メディアに守られたならず者が土足で人々の思いを踏みにじることがあるかもしれない。

その時には亡くなった者、傷ついた者の尊厳を守るために断固として戦わなければならないと思いました。

参考)

有川浩さんのブログ https://ameblo.jp/arikawahiro0609/entry-12336781681.html

いいなさんのブログ(本企画時系列) http://iina-kobe.com/entry88/

なぜ神戸に半殺しの生木を吊してはいけないのか:震災死者を冒涜する#世界一クリスマスツリーの売名鎮魂ビジネス

https://www.insightnow.jp/article/9833

2017-12-27

人生物語はい

思うに人間理解能力ってのはあんまりにも小さくて、何かを受け止める事が本当にできない。

それは、いわゆる小説的なテキスト理解する能力人間によってはびっくりするほど低いってことだけじゃなくて、現実世界で起きてる様々なことを咀嚼して取り込む理解力根本的にかけているということこそが中心だ。

ごく一般的人間は、何か事件が起きた場合、その理解をするために、相当に圧縮をかけて、派手な見出しをつけて、感情移入ポイントマーキングして――もっと粗忽に言うのならば脚色して戯画化しないと、それを理解することができない。

たとえばマスコミニュースだ。国の政策予算という、基礎的な情報が全部オープンになっていて、それに対する研究論文が溢れていて、ほとんど正解といえる説が定まっていることでさえ、仕分けだとか節約だとか国民一人あたりの借金だとか、そういう次元に落とし込まないと理解が出来ない。そして当然戯画化されたその理解は、現実理解としては粗悪品なので道案内としても役に立たない。人間理解能力は、本当に限定的だ。びっくりするほど限られたテンプレートの、個人感情ベースのことしか人間は受け取ることが出来ない。

人間は様々なことを理解できないし、その最たるもの自分人生だ。自分気持ち自分いちばんよく分かるとか、自分人生自分自身理解できるとか、まるで嘘っぱちだ。人間五感入力された情報を99%廃棄しないと理解できないし、それ以上に何か起きた物事をあるがままに受け止める精神的な強靭さにかけている。

ブッサイクに生まれた男がいたとして、その原因は遺伝子とか節制とかあるだろうが、「そう生まれなければならなかった理由」なんてものはない。他でもないその男がそのような顔に生まれつき、そのことで傷つき、劣等感を抱え込まなければいけない理由なんてものは(宗教的には前世因縁とか解説されるが)存在しない。

人間社会で起きることの大半は、大きな意味で言えば偶然で、要するに運だ。俺が日本人として生まれてきたのは運だし、50年代ではなく70年代に生まれたのも運だ。そういう意味でいまスマホを持っているのも運だし、個人用の飛行車を持っていないのも運だ(もう50年もすれば所持できるかもしれない)。富裕層である場合もそうでない場合も運だ。もし俺が、まだ65歳なのに寝たきりになってしまった要介護父親を抱えているとして、それもまた運でしかない。でも、ただそれだけのことが、多くの人間にとって正面から受け止められないほどの苦痛を伴う。

人間はそういう世界とか摂理とか人生とか運命の有り様を、本質的には受容できる能力がない。

から普通人間物語の中でしか、つまり物語という形に希釈した現実しか、生きられない。納得できない何かを納得して生きていくためには物語必要だし、そもそも物語がなければ人間現実把握能力はおそらく犬猫レベルしかない。脳という解釈機関を搭載している以上、すべての人間物語の中を生きていくしかない。

そして他人理解するためにも物語必要だ。自分人生ですらまともに飲み干せないのに、他人のそれなんてとてもじゃないが手に負えない。ダイジェストダイジェストにして、初めて人間他人人生に触れることが出来る。あるいはそれはあんまりにも恣意的抜粋で、もしかしたら相手気持ち無視したストーカー妄想のようなものしかいかもしれないけれど、人間はそういう形でしか他人人生共感することが出来ない。

そういう虚構虚構を塗り重ねたような先で俺たちは社会を形作ってるのだけれど、その社会がないと現代において人間人間として生きられない。

人生物語必要だ。「人生物語必要ないという物語」でさえ必要だ。

唯一の救いは、おそらく俺以外の全員も、つまり人類がその程度のポンコツだということだ。同病相哀れむとお互い様の間で、よろめきながら存在できるというのは、多分最悪よりはかなりマシな状況だと言えると思う。

なぜスターウォーズ 最後ジェダイダメなのか

※ この記事にはネタバレが含まれています

公開初日最後ジェダイを見て来たのだが、何とも言えないモヤモヤが残り続け

自分の中ではずっと評価保留になっていた。

色々と他人感想を聞くにつれ、モヤモヤの正体が見えてきたので聞いてほしい。

前作であるep7「フォース覚醒」はパーフェクトではなくとも、それなりに楽めた。

ep6「ジェダイの帰還」から作中でも実世界でも30年越しの新作、ファンとして興奮しないわけがない。

ep7を鑑賞した後、次回作の展開について頭の中で空想を巡らせた。初めてスターウォーズを見た子供のように。

レイスノークの正体は?ルークはどんな活躍をするのか?カイロ・レンはアナキンの後継足り得るのか?

今になって思えば、公開前までが一番ep8「最後ジェダイ」を楽しむことができた、幸福時間だった。

実際にep8を鑑賞すると、想像していたような展開は何一つとして実現せず、常に観客の裏をかく脚本に仕上がっていた。

もちろんこれは意図的路線変更であり、明らかに過去作との差別化を目指している。

過去キャラクターとの決別や「お約束」の排除、「神話」と揶揄される古いヒーロー像の否定・・・

これらは確かに旧作ファンからすると寂しいものがあるが、私は実のところこういった「テコ入れ」は嫌いではない。

少し話が逸れるが、私はスクリプトをこねくり回すような職についていたことがあるのだが、

国内外わずシリーズものが強いコンテンツ業界においては「テコ入れ」や「リブート」は必須スキルだ。

これは持論だが、テコ入れはいくつか定型パターンがある。

構造の変更」とは例えばギャグ漫画がバトル漫画になったり、

冒険譚が日常系になったり、物語フレームを取り替えてしまう。

舞台の変更」とは例えば現代の話が江戸時代タイムスリップしたり、

SFになったりファンタジーになったり、「海外編」が始まったりする。

キャラクターの変更」とは例えば敵キャラ主人公に抜擢されたり

性別を変えてみたりキャラクター解釈を変えてみたりキャッチーな新キャラを登場させたりする。

演出の変更」とは絵柄や作画担当を変えたり、アニメ化実写化もこれに当たるかな?

そして最後に「抽象度の変更」、これは物語リアリティレベルを変え、

リアルハードストーリーになったり、逆にマイルド子供向けになったりする。

ep8の「テコ入れ」で大きいのは「キャラクターの変更」と「抽象度の変更」だろう。

ep8ではジェダイ血筋神話性を否定し、これまで凡俗とされていた人々にフォーカスを当てた。

正直、このタイプテコ入れは大好きだ。大好物だ。

X-MENの新作「ローガン」では今まで考えられなかったウルヴァリンキャラクター性と生き様を描き、

シン・ゴジラ」では原点回帰意識させつつ妙なリアリティ説得力を持って庵野ワールド表現している。

しかし、ep8はどうだろうか。

本来この方針で行くならば徹底的にリアリティを追求して凡俗な者たちの力で泥臭く物語を進めたり、

新世代のジェダイ」は「滅びゆくジェダイ」と全く違う描き方をすべきだった。

凡俗な者たちの人間ドラマについても群像劇なりに感情移入できるだけの脚本力が欲しい。

しか実査には御都合主義的で破綻した脚本感情移入できないキャラクターたち、

とりあえず性別は変えたが扱いに困る「新世代のジェダイ」。

これが自分の中のモヤモヤの正体だった。

ついでに書くと、この方針転換はep7からやるべきだった。

ep7では旧作を意識した作りをして、旧3部作を踏襲するかのように思わせておいてep8でどんでん返しを決めた。

かに驚きはあったが、仮にep8の物語が上出来だったとしても幸福裏切りにはならなかっただろう。

最後に望むのは、ep9がep8の「テコ入れ」を上手く回収し、ep7からの3部作を「名作」たらしめて幕を下ろすことだ。

2017-12-25

ドラマけがマルチヒロイン化されてない

ゲームアニメ世界では、いまやヒロインが一人だなんてことはありえないくらいにマルチマルチ化している。

たった一人のキャラクターの魅力で、多くのユーザーを惹きつけることがそれだけ難しい世の中になったということだ。

その流れは何も二次元に限った話ではなく、実在する人間によって編成されるアイドルだってグループ化が当然だ。

さらに言えばこれはヒロインに限った話ではない。

戦隊モノヒーローも回を追うごとに人数が増えていく一方だし、ロックシンガーダンサーも当たり前のようにユニット化していきている。

視聴者には、登場人物一人一人に主役級の憧れをもつ自由が許されているはずだ。

なのに、ドラマ世界だけは一向に主役とヒロインという構図が崩れる様子がない。

サブキャラに魅力ある女優が起用されることはあっても、ヒロインストーリーのために消化されていく流れに変りはない。

せっかくそうした個性的登場人物感情移入できても、ストーリー最後にはあらすじ程度に紹介されて終わってしまう。

かと言ってスピンオフが見たいわけではない。

サブキャラのためだけにストーリーが作られて、サブキャラが主役の扱いをされたいわけではないのだ。

あくまで個々の登場人物たちがそれぞれに一生懸命に生きる姿を、それぞれに同等に認めてほしいだけなのだ

学芸会ですら主役が複数人いることが当然になっているのに、どうしてドラマでそれができないのか。

プロダクションの力関係女優プライド?だとしたら誰がそんなものを求めているというのか。

日本ドラマがつまらない根本的な理由があるとするならば、そうした視聴者以外に対する忖度にほかならない。

実際の世の中は誰が主役で誰が脇役かなんてものは決められていない。それぞれがそれぞれの人生という舞台の主役だ。

それがわからないなら、日本ドラマはいつまでたっても面白いものにはならない。

もうキラキラに輝く主人公たちの物語にはうんざりだ。俺みたいな人間でも主役として認められる世界を早く見たいんだよ!

2017-12-24

ヘテロカップルを見るのが好き

具体的にいうと一緒にいるところを見るのが好きだ。

まあ、理由はろくでもなくて、単に男性側に感情移入できるからだが。

何の拍子にそう思うようになったかはなんとなく分かっていて、

片思い片思いのまま終わらせたあのときからそう思うようになったのだと思う。

勝手に好きになり、話したこともないのに夢の中で話をするなどし、

そんなこんなしている間に知人が彼女と付き合い、二人が本当に楽しそうにしているところを見て、後に夢の中で二人の子どもがいるところを見た。

つらかった。が、考えてみると目的は果たせていたのだ。

そもそも彼女が楽しそうにしているところを見るのが目的だった。

俺は叶えられなかったが、知人はそれを叶えてくれた。

知人と付き合っている彼女は本当に楽しそうで、これが見たかったのだと、勝手に悶えるなどしていた。

他のカップルに目を向けてみる。

これまた最高だった。喜んでいるのは赤の他人なのに、こうも嬉しいことがあるものなのか。

そんなこんなしてのめりこんでいった。のだと思う。

まあ、その場にいたら見るぐらいで、追ったりするほどではないが。

自分が見るカップルには共通点がある。

男性側がうまくやっているのだ。

付き合っている彼女に対して俺にはできない良い反応をしている。

女性エスコートする側だろうと、女性エスコートされる側だろうと、いずれでもなくてもだ。

まず女性と付き合って街を歩ける男性最初剪定しているのだから、まあこうなる。

見るそれはまるで人生RTAのようで、けれど俺は何も努力をしていないのだ。

楽しい部分だけを労力を経ずに味わっている。

盗人のようで、ほんとうにろくでもない。

こんなだから付き合えないんだと思う。

だが、それとは関係なく、どうか、うまくやってほしいと願っている。

どうか、今日も存分に楽しんでいてほしい。

2017-12-19

宝石の国の「傷つきやすいワタシ」みたいな主人公キモいよね

主人公が直接キモいのではなくて、そんなキャラ感情移入してる読者や作者がキモい

他人と触れ合うたびに傷つく

・お調子者だけどナイーブ

・でも愛されキャラ

自分本来の姿を失って役に立つ人間になった

・でも本来自分との間にある差で無理するとヒビが入っちゃう

くっせー

これはくっせーぜ

繊細メンヘラ適応障害ガチ人格破綻者の臭いがするぜ

そんな奴に感情移入とかキモすぎんぜ

お前らに1つ言っておくけどなフォスフォフィライトが愛されてるのは内面がおめえらみたいに歪んでねえからだぞ。

それとな、おめーらは合金化してパワーアップなんて出来てねーからな。

今までサボりまくってた努力人生危機によって仕方なくやり始めて少しだけマシになっただけで相変わらずの役立たずだからな。

差分デカすぎてそう感じるだけだからな。

いつだって底辺は主役である

学校底辺と言えばいじめられっ子運動音痴学力底辺ブサメンだが

そういう中の下〜下の下みたいなところは主人公になりやす

まあ創作物というものヒエラルキー下位に好まれがちだから分かる

そっちの方が感情移入やす

こういうの、ヒエラルキー上位陣はどう見ていたのだろう?

 

翻って、近年青年大人向けの作品大分多くなった

主人公となるのはやはり底辺が多い

底辺から這い上がっていく作品はやはり王道面白い

だけど、こちこちらは読者が社会的底辺とは限らない

学校における陰キャはそのまま社会人底辺スライドするケースよりも、ある程度普通ラインに収まるだろう

その点で学校とはギャップがある

私も実際のところ底辺というほどではないので、社会人底辺物語を見せられてもうーんとなる

誇張なのかリアルなのか判断がつかない、感情移入ができない

 

学校においては、ここ20年は徐々に「ふつうキャラ主人公になるケースが出てきたが

社会人ふつう主人公はあまり見ない、出てきても「普通サラリーマン」という設定くらいだ

まあ書きにくいのはわかるが

噂によると女性向けはそこら辺が黎明期らしい

(この前マツコのなんたらで見た)

男性向けは一歩遅れている感がある

か、知らないだけか

anond:20171219105438

それをつまらなく感じるのは、それをやってるのが女や黒人アジア人から、と言う理由が全く無いとは思えないんだが。

白人男なら感情移入出来るから面白く感じるだけでは?

anond:20171219104354

視点が散らかってるんじゃなくて、そもそも多くの観客は感情移入必要としてないんだよ。おまえの鑑賞態度が貧困なだけ。

スターウォーズいまいち乗れない理由

3分ぐらいで考えてみたが

戦争群像劇が苦手だ

何に注目していいかからないし、誰に感情移入していいかもわからない

 

歴史漫画とかは上手くて、感情移入するための主人公を1人用意して

そこから派生させて全体を見せていると思う

 

そういうのが一部のジャンルでは存在しない

映画だけではないと思う

三国志あたりも苦手だ

 

ところで、最近流行りの三部作映画とか、こういう視点が散らかったものが多いと思う

6時間超えるとそうなっちゃうよな

だいたい三部作の一作目で満足してあとは見ない

2017-12-18

スクリーンを切り裂きたくなるようなクソ映画 「最後ジェダイ

当たり前だが、ネタバレだらけだ。だが知ったことか。こんなクソ映画

人生で一番のクソ映画だった。(いままでのナンバーワンはロボコップ3

プロットホール、設定無視の山盛り。クソの山。

ローグ・ワン」も「フォース覚醒」も大した映画じゃないが頭には来なかった。

プロットホールは皆が話しているとおり。出て来る登場人物一人のこらずアホで感情移入を拒む。お約束を破りたいがためのめちゃくちゃな展開。

設定無視フォースの新能力イミフ爆撃機、一番ひどいのはハイパードライブアタック。あれがありなら今までの戦いはほとんど無意味になる。

だが、こんなものは平凡なクソ要素だ。べつにスクリーンを切り裂いて、なかったことにしたいほどのことじゃない。

番頭に来たのは「差別構造肯定だ。スター・ウォーズ世界観のなかで基本的に「人間」中心主義がある。共和国にもあったが帝国が勃興してよりそれが強固になったわけだ。だから帝国基本的エイリアンはいない。(例外映画以外のメディアでいるのは知っている)

エイリアン人間差別被差別関係作品で何度も描かれる。そしてそれよりも下の被差別階級としてドロイド。この3つの種族関係はそれぞれの立場がきちんと映画で描かれ続けてきた。ジャージャーやイウォーク存在も「スター・ウォーズ」の必須の要素だった。

それが今回はじめてまったくないがしろにされている。もっとレジスタンス側で位の高いエイリアンであるアクバー提督を雑に殺し、その代わりに人間の紫おばさんをコネ抜擢する。老齢の身でありながらレジスタンスに身を捧げた大提督人間エイリアン友愛象徴だったはずなのに。

エイリアンに見えるファースト・オーダー最高指導者も、彼が受けてきた恥辱や野心もまったく描かれず、雑に殺される。

その他のエイリアンは背景に押しやられ、奴隷(または逆に低能人間差別者)としてしか描かれない。ジェダイテンプルに仕えるエイリアン原住民愚者のように描き、あまつさえルークはそれをあざ笑っているかのように描く。ポーグのような意識を持たない「かわいいエイリアンしかクローズアップされない。この映画エイリアンは全くの差別されて然るべき存在しか描かれないし、登場人物全員がそんなように行動する。(指導的なエイリアンは二体でてくるが実体として描かない狡猾さまで備えている)

ロイドはそれにまして影が薄く、まったく雑な扱い。

この差別構造肯定もっとエスカレートする。有色人種白人との分断まで肯定してくる。

黒人白人絶対くっつけないために、容姿の悪い愚鈍黄色人種をわざわざ黒人主人公に割り当てる。

最後には白人主人公白人パイロット出会うと今後の結びつきを予感させる、例の言葉を口にするのだ。

そしてラストシーンにはエイリアン奴隷化された白人少年フォースに目覚めるかのように描かれる。過去ジェダイナイトとしてたくさんいたエイリアンではなく、新しいジェダイ白人少年なのだ

馬鹿にしてんのか。別にエイリアン主人公しろとか有色人種活躍させろっていってんじゃない。出すならちゃんと扱えよ。過去に敬意を払えよ。ルーカスはつたなくとも他者エイリアン、ドロイド有色人種)にたいして良い奴も悪いやつもいるし、バカも利口もいるように描いてきたぞ。

からスター」ウォーズだったんだ。主人公たちがエイリアンやドロイドに対して見せる豊かな感情共感してきたんだ。

聖書に則ったテーマがあれば絶賛するクソ評論家の町山には心底失望した。こんな酷い、悪意の塊のような映画はまったく認めれらない。

白人人間だけにクローズアップされた「スター」ウォーズなんてスカイウォーカー血筋物語の百倍クソだってわかんないのか。神話民主化したというが、個人家族)の話が人種の話にすり替わるほうが何倍も悪質なのがわかんないのか。

まったく胸糞悪くなる映画体験だった。

2017-12-17

anond:20171217014250

触手に犯されている女の子感情移入するんだよ。

基本的女の子になりたい変身願望はあるけれど、男に犯されるのは嫌…という欲求があって、

それを満たすシチュエーションが、百合であったり、触手であったりするわけ。

百合だと両方とも女の子なので、理想女の子からかけ離れてしまうという点であまり激しく虐められたりするシーンは妄想しずらいけど、

触手ならいくらでも好きにできるのが触手メリットかな。

触手ものが好きな男のひとって

どこに感情移入しているの?

ふたなり触手にやられるやつが好きっていうならまだ分かるけど

2017-12-14

乳袋文句言うなら、少女マンガ女性マンガBL男性の体型がパースおかしなことになってる件も触れてほしい。

自分乳袋パース狂った男もどっちも我慢できないから、読みたい漫画が限られちゃう

ギャグとかならいいんだけど。シリアスなシーンとかラブシーンでパース狂ってると、感情移入より先に笑っちゃってダメ

2017-12-12

anond:20171212163405

俺は痩せ型だから主人公デブだとそれだけで感情移入できなくなるわ

anond:20171212163405

AVで男がハゲマッチョ刺青野郎だった時の全く感情移入出来ない感じがイヤ過ぎるし、誰の需要に応えているんだろう?と思う。

あんまりみすぼらしい感じ(ハゲおやじ)とかもイヤなんだけどね。なんか印象の薄い人がいい。そこそこ若いか若干中年掛かり気味くらいの。

童貞だと「竿役が童貞」のとき感情移入できるからいいじゃん

俺はサキュバスみたいなビッチ逆レイプされるようなエロCG集が好きなんだけど、どうしても一つ許せないのが「主人公童貞」なことよ。

だってサキュバスが「女の子の肌みたことないでしょ?童貞だもんね~♥」「でも、私は童貞好きだからいただきま~す」みたいなシチュエーションがあっても「スマヌ…ワシは童貞じゃないんじゃ…すまぬ…サキュバスの娘っ子すまぬ…」と相手を騙しているような感覚に陥ってしまって抜けなくなる。

せっかくなにも考えずに抜けるようにバカみたいなセリフを言わせてバカになって抜けばいいのに、考えてしまう。

それは、作者と登場人物への冒涜といっても過言ではないじゃん。

でも童貞ならそういう感覚に陥らないからいいじゃん。

2017-12-07

anond:20171207120353

自分の中での面白い本、って話になっちゃうけど

少し前に話題になってた「ルワンダ中央銀行総裁日記」かな

 

俺TUEEEEリアルでやった人の話で

 

1.60年代独立間もないルワンダ問題が山積み

2.その問題を1つ取り上げて、その国内国際的理由説明

3.それに対して日本から派遣された作者=総裁はこう対処した

4.結果このルワンダは良くなった

5.2に戻る

 

を延々繰り返すので単純では有るんだけど深すぎる物語じゃないし、

日本人主人公から感情移入が楽だし、

読み疲れた上記繰り返しの各章だから好きな所で止められるから

読んでてすごい楽だった

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