はてなキーワード: 感情移入とは
先日、「今web小説でおっさん主人公が人気!」という話題が5chで盛り上がっていたのだが、果たして読者がおっさんだからといってそうもシンプルにフィクションのおっさんに共感できるものだろうか?
小生は無理である
だいたいさ、ああいうのっておっさんといっても30代から40代ぐらいでしょ
自分や周囲の同年代を見渡してみても、今時のおっさんなんてそこまで枯れてねえし見た目も老けてねえぞ
かといってエロゲ漫画の竿役おじさんみたくギトギトしてもいない
ついでにいうと、おっさんだからこその落ち着きみたいなのもそんなない
後藤隊長や野原ひろしは好きなおっさんキャラだけど、彼らにおっさんとして共感できるかというとそれはまた別だもの
アニメのギャルとかおばさんキャラとリアルのそれが違うのと同じだの
まあそんなわけで俺はおっさんとして漫画アニメラノベエロゲごのおっさん主人公に共感するのは無理そうだけどさ、世のおっさんって同年代だからといってフィクションのおっさんにすんなり感情移入できるもんなのかね?
平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答
http://magurojuice.blog.shinobi.jp/Entry/19/
上記のやり取りや内容は特に面白くなかったのだけど、ブコメやツイッターでも評価が真っ二つで面白い。
「BIG FISH」という映画・小説は読んだことあるだろうか。
簡単に言えば「おとぎ話の様な人生はおくれないかもしれないが、人生をおとぎ話の様に語ることはできるよ」ってだけの話で
これが評価が両極端。
主人公は子供の頃から巨人男や狼男や魔女等が出てくる父親の創作話にうんざりしていたのだけど、父親が死にそうになって身辺整理をし始めたら魔女や狼男は出てこないにしても、似た様な人間が周りにたくさんいて父親は案外嘘つきではなかったのかもしれないな、と主人公が思う話。
息子側に感情移入すれば実際大人になった自分や親戚たちに自分のどうでもいい出来事をおとぎ話の様に喋られたら、息子としては「もう勘弁してくれ」と思うだろうし
おとぎ話を話続けた父親側に感情移入すれば、本当は語れる程何もなかった自分の人生を語らなければならない時に少しだけアクセントを加えてちょっとだけ面白くなる様に話をしただけ。
息子と父親、どちらが悪でどちらが善ではない。
父親を「夢ばかり見ていて大人になれなかったクズ」呼ばわりして評価する人もいれば、息子が冷酷すぎて父親がかわいそうだと評価する人もいる。
今回の前世の記憶がどうとかってのを楽しめない・ニセ科学や新興宗教を心配する人はきっと息子側で現実主義者なだけで別に間違ってはいないと思う。
楽しめる人は父親側で、自分の特に波のなかった人生を少しだけでも面白く語れる人なのかもしれない。
内容は違うのに、評価が少し似ているなと思った。
そもそもストーリーを紡ぐことは個人で可能なことであり、予算や企業側の都合などなんの関係もなく実行可能です。ゲームメディアやアニメディアでのシナリオライターは企画や会議に縛られるでしょうが、それは物語を作ることそのものとは関係ない、ただの商業的要請であって、それが嫌なら単著を出せば良いのです。
単著であっても編集の要請で好きなことが書けないという意見もありますが、それは、ただ単に編集の要請と自分の書きたいものを両立させるだけでの構築技術が不足しているということか、編集の要請に隷属しないと出版物が出せないという売上力の問題でしょう。
増田は「小説家になろう」から始まった作品や作家陣を蔑視していますが、それは随分大きな見当違いではないでしょうか? 商業的制約や生活費の要請などを無視して、ただひたすらに自分の欲求だけで書き始めて無料でもいいから書き続けている時点で、彼らこそ物語構築者として純粋なのではありませんか? たしかに彼らの作品は技術的な拙さや偏った傾向があるかもしれません。けれど、彼らは「編集に許可されないので好きなものが書けない」などという泣き言は言わないじゃないですか。
アニメやゲームと言った企業の営利創作のなかで「自由にかけない」「ストーリーは終わった」と嘆く人間よりも、「オレはこういうのが好き」「金とは無関係に書く」と活動できている彼らのほうが、よほど物語る事に対して建設的だと思いますよ。
たしかに現在、特に商業的な創作物は過剰消費の傾向があって、それはキャラ消費やシチュエーション消費などの二次創作的な需要にも思えます。しかし、二次創作的な需要の背景には、常にオリジナルな感動があるはずです。読者や視聴者が、記号的な美少女で喜んでいる現在があるとすれば、それは彼らが何処かでその記号を学習したから、感動を学習する原点があったからです。
物語消費が多様化して、消費量が増えて、今までは参入しなかったような(同人的とも言える)ハイアマチュアやセミプロが業界に参入して、市場は混沌としています。そういう現況に、トラッドな創作物を愛する人々が落胆し嫌悪感を覚えるのもわかります。しかしそれはやはり、懐古なのだと思いますよ。
記号的なキャラクターや記号的なシチュエーションに喜ぶ、増田から見て志が低いとされる読者視聴者であっても、彼らは彼らなりの人生や物語体験を経て感情移入出来る何かを学習してきたのです。それが「現代の読者」なのですから、その彼らに敬意と感情移入を持って自分の物語を書くのが、ストーリーテラーとして重要な事だと自分は考えます。
あああああああああああああああああ森島センパイいいいいいいいいいいいいいいいいい
正直オレ七咲派で森島センパイ?ああ天然でマドンナ的な人ねほーんとしか思ってなかったけど何気なく個別イベントみてったらこれやべえわ
七咲はまあまだ現実味あるっちゃあるけど森島センパイは現実味なさすぎてほんとやばい
みゃーみたいな妹いてりほこみたいな幼馴染いてモジャコみたいな女友達いて七咲みたいな後輩いて森島センパイみたいなセンパイいて俺はそんな人間なんだいや違うそれはゲームのしゅhじんこうであておれではない
でもこのアマガミへの感情移入度の高さはなんなんだろうな免疫なさすぎて逆にほんとやばい
あとねふつうの恋愛ゲームとちがうのはねイベントパターンの多さなのよね
たとえば最初に出会うシーンあるやん普通1パターンやろでもアマガミは少なくとも3パターンはある
七咲はいきなりスカートめくったら起こるかなカンケイによってはゆるしてくれるだろうな森島センパイは・・・あの一重のセンパイからめっちゃ怒られてもう近づけなくなるそうあああああああああ
だってさ、仮に俺が
わたモテのもこっちが好きですよ、ラブプラスの小早川凛子が好きですよ、ミルキィホームズの譲崎ネロが好きですよ、
Aチャンネルのトオルが好きですよ、生徒会役員共の萩村スズが好きですよ、魔法少女まどか☆マギカの佐倉杏子が好きですよ
って言ったらさ、聴き手サイドは、ああこいつは
わたモテのもこっちになりたいんだな、ラブプラスの小早川凛子になりたいんだな、ミルキィホームズの譲崎ネロになりたいんだな、
Aチャンネルのトオルがになりたいんだな、生徒会役員共の萩村スズになりたいんだな、魔法少女まどか☆マギカの佐倉杏子になりたいんだな
そう思う、それが筋、それが自然の摂理って話じゃないのか??
自分は自分がなりたい自分になりたくて、自分が好きなのは自分がなりたい自分になった自分で、それは自分ではないんだけど自分なんだ、
そういう話ではなかったか??
#####追記
全部返信するわ
全部優しい感じのコメントです
>>“わたモテのもこっちが好きですよ(略)って言ったらさ、聴き手サイドは、ああこいつはわたモテのもこっちになりたいんだな” 作中カプ尊重派なので、なりたいものがあるなら、うっちーになりたいのかな? と思う。
うっちーをキャラクターとして愛でる人は多い印象だが、うっちーになりたいってのはかなりユニークな性癖だという印象だな。素晴らしい。
>>愉悦部視点で不幸キャラを鑑賞するのが好きな人は、自分がどん底の危機に陥っても、それすらも愉悦として楽しみそうな雰囲気がある。
>>漫画おいでよどうぶつの森で、リセットさんが「ヒロインちゃんが好きすぎてヒロインちゃんになりたくなってきたでー!」とコスプレをして「愛情が歪みはじめた」とドン引きされる回
それは深いな。俺は妹持ちなんだが、妹が幼い頃「お兄ちゃんになりたい」って言ってたわ。
>>なりたいキャラもいればなりたくないキャラもいるな。加えて言えばなりたいキャラでも生き方とか性格とか見た目とか境遇とか、なりたい部分が細分化される。見た目や生き方は憧れるけど境遇は同じ道歩みたくないとか
それは俺にはなかった視点だな。なるほどなって思ったわ。俺はまずなりたい/なりたくないがあって、なりたければ全肯定ってスタンスかな。
>>なりたいかどうかで言えば宗像教授みたいなおっさんになりたい
申し訳ないことに知らなかったが、調べてみたらなかなかこれはなりたい度が高いな。
南方熊楠がモデルなのか。たしかにそういう存在への憧れは俺にもある。
>>“自分は自分がなりたい自分になりたくて、自分が好きなのは自分がなりたい自分になった自分で、それは自分ではないんだけど自分なんだ” ところでトッポってしっとりしてて美味しいよな
頑張って書いたのに!???
>>「好き」の形は多様だよ。同化願望の強い人なら「好き」と「なりたい」がイコールでもなんらおかしくないし、逆に自分がなりたいなんて畏れ多いって人も、好きなものを独占するために破壊したい人だっているだろう。
ああいや、「好き」の多様性を否定するつもりは全く無かったんだ。
ただ自分の「バイアス」に気づいて驚いたというか、そういう感じの話かな。
>>「好きな食べ物」とかの質問はどう受け止めてたの?
これは半分本気なんだが、食べ物にせよなんにせよ「なりたい」のカケラはあると思うわ。
食べ物ではなくて恐縮だが、俺は小さい頃ボンドに対するカネスチックのポジションに憧れていた。
まず享楽的な匂いがいいし、接着力は強力だが長持ちしない感じにゾクゾクする。
透明なのもいいんだよな。儚い感じで。
俺はそうなりたいと思っていたのかな。
>>今期では魔法使いの嫁のエリアス様が好きだけれど、別に彼の立場になりたいわけじゃなく理想の主人として欲しいわけで。なろうの奴隷少女モノって何割かは読者に秘密でこのメソッドで書かれている気がする。
これは大変有益な知見だな。
俺は恥ずかしながらなろう小説はよく知らないんだが、
むかしエロゲーマーが俺は主人公ではなく(白痴的な)ヒロインに感情移入してるんだ!
ってなことを言っていたが、そういう感じなのだろうか??
「SING」がすごいよかった。
まったく期待せず、人の付き添いで見に行ったのが最初で、そのあと1人で2回見に行った。
主人公のコアラの声が内村光良だと気が付かなくて、エンドロールを見たとき驚いた。
MISIAにも驚いた。歌以外のセリフのところ。気弱な象の女の子がMISIAの個人的なイメージとは正反対だったので、驚きだった。
長澤まさみの歌もよかったし、山寺宏一や宮野真守などのベテラン声優が脇をしっかり固めていたから安心感があった。
それよりなにより選曲がよかった。懐かしのナンバー。アニメだから子供向けなんだ、と思ってた自分を恥じた。
2017年最後に見たのは「Destiny 鎌倉ものがたり」
でもどうしても早送り感があってイマイチ楽しめない部分があった。次の話へどんどんどんどん進んでいくので、途中からどこに感情移入していいかわかんなくなって、置いてきぼりにされる寂しさがあった。
たぶん、いろんなことを詰め込みたくて、でも入りきらなくて、止む無く急な展開で話を進めていくしかなかったのかな…?とか考えた。
でも、そんなことはどうでもいいと思わせるほどかっこよくて愛らしい安藤サクラ演じる死神と、宇多田ヒカルのエンディングテーマ…なんかもうそれだけで充分見てよかった!って思えた。
派閥やグループがあってどっちの所属してるかでなにを指示するか決めなきゃいけないのが耐えられない
普通に考えてあらゆる物事に良い側面と悪い側面があって、なにを重視するかは人によって違う
そんなこと当たり前なのに、派閥やグループに属してしまうとそんなこと考えることなく対立する相手方と逆の流れに従わざるを得ない
政治だって政策によって指示不支持を決めたいのに、はてなにいると反安倍反自民以外の立場を許さない風潮がある
敵対してる派閥や部署のやる事には難癖をつけないと認められない空気がある
一体全体どうしてみんなそんあ敵味方を作りたがるんだろうか
物事の方しか見れないせいかそういった人間関係からできる流れみたいなものは正直邪魔でしかない
みんなに聞きたい
お前、通りすがりの人の小耳に挟んだ会話にいきなり絡んで謝罪求めてる状況なの理解してる?
俺はシムシティの住民には感情移入しないから、感情移入する人の話を聞いて驚いた。
これに、何か意見あるならどうぞ。