はてなキーワード: 尾崎豊とは
1980年代当時、尾崎豊を愛聴していた人間の大部分が、本当に盗んだバイクで走ったり、校舎のガラスを割る不良だったわけではない
むしろ、不良っぽいノリに憧れつつ実行できない良い子ちゃんがこっそり聴いていたという面もあった
今となっては、ネット上ではみんな不良ヤンキーDQNをバカにする
だがしかし、単純に「そういう事実があった」という客観的傍証で言えば
1980年代当時、学校秩序に順応してるだけのよい子にとって不良は「大人」に見えた
そしてそれゆえ、悔しいが世間からは格好良い連中であるかのように思われた
なぜか?
中卒や高校中退で働いている不良は自分で働いて稼いだ金でバイクや車を買って
自動車なんて動く個室だもんね、その中に異性を連れ込むことも出来る
そうはいっても尾崎豊が生きていた1980年代当時、ケータイもネットもなかった
学校の内側しか知らないよい子ちゃん(成績優秀とは限らない、単に親と教師に逆らう気概がないだけ)にとって、不良は悔しいが外の世界を知ってる大人に見えた
無論、学校の中だけで世界が完結してて外の世界なんか興味ない奴は不良なんかうらやましくなかったろうさ
オタ学生自体が少なかったしその手の部活やサークルが存在するのはごくごく一部の都市部の高偏差校のみ
教師は簡単に体罰を振るうし、「そんな態度じゃ社会に出てからやっていけないぞ」「
君らは外の世間を知らない井の中の蛙だ」みたいなことを言う癖に
アルバイト禁止とかでその学校の外の世界を知ろうとすることを断固阻む
そういう学校の空気に反発を抱くと、ロールモデル像が不良しかない
21世紀の現代でこそ、不良にもならず、IT技術とかyoutuberとか歌い手とかオタ才能でフリーで食っていく生き方もあるだろう
ところが、1980年代にはそういうロールモデルが本当になかったんだ
うっかり、尾崎豊みたいなのが地方で孤立してる社会不適合者にとってのイメージ的理想像になるしかなかったんだよ
くり返すが、俺個人は不良ヤンキーDQNは嫌いだ、尾崎豊も1980年代リアルタイムではちっとも好きではなかった
が、1980年代当時はぱっとせず地味に学校に順応したフリして生きるしかできなかったのに、あれから30年以上経って大人になってから、今さら不良ヤンキーDQNや尾崎豊を矮小化して勝った気になるのは、ちょっと不誠実じゃないかと思ってる
「盗んだバイクで走り出す」「夜の校舎窓ガラス壊して回った」
今の子供たちにこんな言葉を言ったらどういう反応をされるだろうか。
大半は見向きもしないだろう。
床に擦り付けた唐揚げを揚げるカラオケ屋と何が違うの、とすら思うのかもしれない。
私自身世代ではないので、たった数十年前、今の現役世代が若者だった頃に熱狂していたことに衝撃を受ける。
主張するのは結構だけど、一線を超えたら終わりだ。実力行使に出た時点で何の説得力もなくなってしまう。相手が何をしてこようと、こちらまで相手と同じ土俵に上がる必要はない。
かつての若者たちが今、そんな時代もあったねと話せているならいいのだが、精神が心に宿っているのだとすれば恐ろしさを感じる。
101回目のプロポーズが放送されたのも
ちびまる子ちゃんのアニメとともに「おどるポンポコリン」が大ヒットしたのも
B'zが「太陽のKomachi Angel」で初めてオリコン1位を取ったのも
プリンセス・プリンセスの「Diamonds」がCD作品でミリオンセラー第一号となったのも
尾崎豊が亡くなったのも
キリン一番搾りが発売されたのも
カルピスウォーターが発売されたのも
Tokyo Walkerが創刊されたのも
朝日新聞で「となりの山田くん(ののちゃん)」の連載がはじまったのも
ロッテオリオンズが千葉ロッテマリーンズに改名したのも
ぜんぶ平成なんだよね。
声は良いんだよ
何度も聞く羽目になるのも別に良いんだよ
曲も歌詞もまあ悪くはないんだよ
いや悪いな、悪い、悪いんだけど、まあ許せるんだよ
何様だよって言われるのは百も承知なんだけどさ
「嬉しいのに〜」
「うれしい」までが同じ音程で、「ぃー」で音程高くしちゃうそのセンスが死ぬ程嫌い!!!
「メロディ先に作って、なんかメロディに合う言葉探して、でもなかなか見つからなくて、まあいいやこれでもうめんどいし」って感じが見え見えで、聞いてて辛いんだよ!!!
いや、なんかさー、B面とかだったらいいんだよ、別にテキトーこいてもさー
これオリンピックの曲だからね?日本を代表する曲だからね?ライブでこの先も、歳食っても何度も何度も歌う羽目になるであろう曲だからね?
仮にも日本を代表するバンドなんだから、もうちょいこだわってくれ!!!
ワンオクもそうなんだけどさー、日本語も英語も単語覚えたての中学生レベルなのやめてくれよ!!!
You are my angelじゃねーよ!!!うっとり歌や良いってもんじゃねーんだよ!!!
はっぴいえんどとか井上陽水とか尾崎豊とか忌野清志郎とか美空ひばりとかがせっかくこつこつ積み上げてきた「メロディと一体になった、歌って良し、聞いて良し、眺めて良しな日本語音楽」のイメージが台無し!!!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base
甲子園初出場を果たすも文武両道を否定して前時代的な指導で物議を醸した下関国際だが、自分はこの高校を見て真っ先に「駆けろ!大空」を思い出した。
20年位前のコロコロコミックで連載されていた野球漫画なのだが、漫画はこちらで読めるので、興味があったら読んでみるといい。
https://www.mangaz.com/book/detail/44691
下関国際が駆けろ!大空に似てると思うところとオススメポイントを書く。
「不良たちが一丸となって甲子園を目指す」と聞くと、まっさきにRookiesが出てくると思うが、Rookiesの連載開始は1998年、駆けろ!大空の連載開始は1996年である。自分はこういう「マイナーだけどジャンルの中では一番最初にやってる」みたいな作品にすごく弱い。もしそういう作品を好むなら、それだけでも読む価値はあるだろう。
調べてみたが、この学校の偏差値は36で非常に低い数字だ。所謂進学校と呼ばれる高校はだいたい偏差値60以上で、偏差値36といえば下から数えたほうが早い。自分の地元の高校と比較してみれば、偏差値36がどれだけ低いかより実感できるだろう。
実際にニュース記事などを漁ると、授業妨害はちょいちょいあるし部室は落書きだらけだしでいろいろ問題のある高校だなというのはなんとなく分かる。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2311/rd_276472/
http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/yamaguchi/news/TKY200607110194.html
翻って「駆けろ!大空」の舞台となる博愛高校だが、授業中に校舎内でバイクを乗り回し尾崎豊よろしく窓ガラスを割って回る不良とか、落書きだらけの部室とかが出てきて、今で言うところの教育困難校っぽい感じが冒頭の随所で描写されていた。
偏差値が低いからって実情はそんなに悪くないっていうのはもちろんあるが、少なくとも自分はこういう学校には行きたくない。
メンバーが一通り揃ったところで他校と練習試合をしようとするも不良だらけの学校だからどこも取り合ってくれない。そんななか、練習試合を買って出た高校と練習試合をすることになったが、こいつらがやばい。
こいつらも不良なのだけれど、デッドボールは当たり前、バントすると見せかけてキャッチャーの顔面にバットを当てるわ、ピッチャーの肩にバットを放り投げるわで、終盤はメンバーのほぼ全員が立ってるのもやっとという惨状になる。
「9回までもったのはこいつらが初めてだぜ…」とか相手高校のモブがぼやいてたけど、そういうスポーツじゃねえからこれ!
この、「相手を先に倒したほうが勝ち」みたいな風潮、今のテニプリなら当たり前だけど、それを20年前に先駆けたこの作品はマジすごいと思う。
終盤、地区予選でライバル校と戦うのだけれど、7回まで0-0だったのにメンバーの一人のエラーで失点してしまう(待ちガイルvs待ちガイルでソニックブームをガードしてしまった感じ)
重要なタイミングで致命的なエラーをやっちゃってすごく落ち込んでるところに、「お前にしては上出来だ、これで俺の逆転ホーマーが際立つ」「何言ってんだ、こいつは俺のために見せ場を用意してくれたんだ!」ってうまくフォローしあってるところがすごく好き。
不良に限らず、基本的に世間の落ちこぼれが何者かになろうと何かをめざすストーリーってなんだかすごく良いって思う。個人的には高校野球自体そんなに好きじゃなくてなんで野球部ってみんな坊主なの?とかなんでかき氷禁止なの?とかなんでスマホ禁止なの?とかいろいろ突っ込みたいところはあるし、こんな練習じゃ絶対死人が出るだろうって思うし、生存バイアスに満ち満ちているけど、やっぱり人間って何かそういうサクセスストーリーのようなものが1つでもあればいいんじゃないかなって思うんだ。
私は40代男性。現在の私については追ってご説明差し上げるが、かつて、成人を迎えるまでは早漏であった。早漏という概念を人に、特に女性に対して説明するのはひどく難しい。なぜなら早漏の基準が明確ではないからだ。じっさい、私が早漏であったのかどうかよくわからない。具体例をあげるので、私が早漏であったかどうかはこの文章を読んでくれている皆様の判断を仰ぎたいと思う。たとえば、ノーパンで(注/私は束縛を忌み嫌う尾崎豊信者だった)デニムを履けば、数秒のうちに射出していた。あの硬質な布地にテポドンが犯されている感覚を私は忘れることができない。たとえば、キッチンにあるホーロー鍋に早漏なテポドンを押し付けるだけで、数秒のうちに射出していた。事後、母がホーロー鍋でクリームシチューをつくったとき私が二度目の絶頂を迎えたのはいうまでもない。こうした経験から私自身には早漏という自負はあるが、世間一般的にみて私は早漏なのだろうか。1980年代は人権意識が低い時代であった。早漏は人ではないという風潮があった。ホーロー早漏を重ねていた私には地獄の時期だった。さいわい、私のテポドンは適度にムケていたので、見た目で嘲笑されることはなかった。当時から現在まで、包茎テポドンの方々の苦難を想うだけで熱いものが頬を伝ってくる。もし私のテポドンが早漏で包茎だったら…。考えるだけでおそろしい。早漏なだけの私はまだ恵まれていた。ただ、年齢を重ねるにつれ、ホーローに押し付けるたびに、早漏という事実は私のなかで大きな質量をもったものになっていった。都会に隠れる殺人犯の気持ちといったら大袈裟だろうか。早漏であるかぎり、ホーローしか相手にしてくれない。私は寂しかった。女性とちょめちょめしたかった。私は、己のテポドンを鍛えに鍛えた。私は映画「ベストキッド」の特訓のように握りしめたテポドンをライトサークル(ブルん)、レフトサークル(ブルッ)、アップダウンアップダウン(ブルブルブルブル)と振り回した。冷水をかけ流したあとで熱湯につけた。痛めつけたりもした。繰り返した。当初、ブルブルするたびにドラゴンのごとく白き炎を吐き出していた私のテポドンは熱湯コマーシャルを重ねるうちに大人の階段を登り、多少の刺激にはビクともしなくなった。それからしばらくして、私は、私のテポドンは死んだ。勃起しなくなってしまったのだ。祈るような気持ちでライトサークル、レフトサークル、アップダウンアップダウンしても、私の、かつてドラゴンのように咆哮したテポドンは、ミミズの死骸のような無惨な姿を晒すだけである。現在の私は包茎や早漏以下のインポテンツ、最近はバイアグラも効かなくなった。何も感じなくなった世界で、私はときどき、あの早漏の頃を思い出しては、そろそろとだらしなく精液を垂れ流している。
大好きなアイドルが亡くなりました。
18歳。詳細は明らかになってませんが病死だそうです。
およそ4年前にはまり、ずっと追い続けているグループの一人です。
「見た目は大人、中身は子供」のキャッチフレーズのとおり、モデルとしても活躍する端正な顔立ち、すらりと伸びた手足といったビジュアルとは裏腹に、番組やライブのMCなどで見せる天真爛漫な姿が大好きでした。
だから突然の訃報には驚き、悲嘆に暮れ、しばらく言葉になりませんでした。
Twitterには同じように悲しむ人たちで溢れており、その言葉を眺めて、自分の気持ちを整理させようとしました。
しかし、それらの言葉に触発され、様々なことを思い返せば思い返すほど、悲しみは増し、言葉にならない想いが次々と胸に去来しました。
「若くして死んだ子は同世代に命の大切さや、死の身近さを気づかせる役目のため神様に選ばれた」
「すごいな。ジョン・レノンや尾崎豊よりも若いうちに神様の前でパフォーマンスするために呼ばれたなんて」
とてもひどい言葉だと思いました。
大切な人を失って悲しむ友人や家族が隣にいたら、同じ言葉をかけるのでしょうか。
でも「~~のために死んだ」とは決して思いませんでしたし、そんな言葉をかける人もいませんでした。
もっと長生きしてもらいたかったし、もっと色んなことをしてあげたかったから、もし何かのために死んだというなら、それが神様であろうと人殺しだと思うでしょう。
でも、そのツイートにはたくさんのリツイートといいねがついていました。
そんなことで大切な人を奪われてもいい人ばかりなのでしょうか。
「死」それ自体に意味を与えて、「いい話」として消費されているような気がして、とても悲しくなりました。
そして、人の死が「いい話」を呟いた人の承認欲求の道具にされているような気もして。
時間もたって落ち着いた感もあるので。
フジロックで昨年、シールズがトークショーに参加したことで批判を浴びた。
という批判だった。
その際にメディアで盛んに主張されたのが
という文脈を無視して(あるいは知らずに)政治との関わりを絶つというのはネトウヨ或いは無知蒙昧な馬鹿である。
と言う主張だ。
※ちょっと語気荒いけど、大体こんな感じだったと思う。
私はこの類の主張を目にして、言っている内容は筋道が通っているけどもやはり少しずれているなとも思った。
というより、今の音楽界隈に対する不満や足りない点が見えてきたというところだろうか。
・トークテーマは「参院選を振り返る。安保法制、沖縄、憲法、原発」
ちなみにアトミック・カフェというのは以下のようなイベントである。
アトミック・カフェ・フェスティバル(ACF)は、映画『アトミック・カフェ』の上映運動に由来するフェスティバルであり、日本で1984年に開始した。
「音楽を通じて反核・脱原発を訴えていく」がテーマのイベントで、1980年代には加藤登紀子、浜田省吾、宇崎竜童、尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、ルースターズ、エコーズ、BOØWYらが出演していた。1984年に日比谷野外大音楽堂で開催された第1回目のライブでは、尾崎豊が高さ7メートルの照明から飛び降り左足を骨折するも、ステージに這いつくばりながら「Scrambling Rock'n'Roll」を最後まで歌い続けたという有名なエピソードが残っている。1980年代の最後の開催は1987年であった。
2011年のフジロック・フェスティバルでアトミック・カフェ・フェスティバルは復活した。フジロックでの開催場所はバイオディーゼル燃料や太陽光などを電源に使用するNew Power Gear Field/AVALONエリアにあるGYPSY AVALONステージとNGOヴィレッジの2か所。
ロックフェスティバルで、このようなイベントをするのはロックが政治と密接に関わってきたからでもある。
ヒッピー文化とかカウンタカルチャーとかまぁざっくり説明するくらいでもはてな民ならなんとなくはわかるだろう。
※というか俺もそれほど詳しくないし。
ロックの曲自体に反体制的メッセージが直接なくても社会的盛り上がりから、そういう文脈があるとか
まぁそういう感じだ。
ここからが本題だが、上記のような事情を知った上で違和感を感じたことが2点ある。
②安保、沖縄、反核・脱原発というトークショーのテーマの妥当性
そもそも今のロックはそんなに反体制的なの?という疑問点がまずある。
詳しく調べればまぁ、まず政治的なメッセージの込められた歌はあるだろう。
しかしながら反核・脱原発を訴えた曲がそこまで多いのかといわれればぶっちゃけそんなイメージは全然ない。
2016年のフジロックで反核・脱原発系と解釈できる曲があるのであれば教えて欲しい。※一応補足しとくと1曲、2曲程度の話ではなくここで言いたいのはフェス全体の傾向である。
つまり、現在のロック界の表現している内容とトークショーの内容があまりに乖離しすぎではないのかということだ。
アジカンの後藤さんはTwitterで以下のような発言をしていた。
あとすんごい不思議なの、俺、ほとんどライブのMCで政治の話しないんだけど(NO NUKESとかのフェスを除く)、さもしてるような感じで絡んでくる(妄想してる)人が絶えないこと。大体そんな感じで、来たこともない人たち、本やTFTを読んでくれなひとたちだけが、そういうことを言うのよ。
正直この発言を見てずっこけた。
そりゃ客も面食らうわ。
なんかイキナリ「実は政治的メッセージあんのよね」的な感じになってしまう。
10台の客捕まえて、「俺達は政治的な発言しないけど、過去の人はしてきたからロックは反体制」
とか言われてもえぇぇ!?と言う感じになる。
今のロックの雰囲気みてるととても反原発的な話をするかんじではない。
そしてもう一点気になったのが以下である。
正直、安保、沖縄、反核・脱原発というテーマはやっぱ乖離しすぎじゃね?
と思うわけだ。
「この世界の片隅に」で植民地に関する議論、あるいは軍部どうたらとか、あるいは市井の人の生活について語る
とかならまぁわかる。
というのもまぁわかる。
そんなに好きじゃないけど。
「シン・ゴジラ」と「君の名は。」と「聲の形」と「この世界の片隅に」で「ルワンダ虐殺を語る」くらいに違和感があるわけだ。
いや、そりゃまぁ戦争だし、日本軍も虐殺したけどねって感じだ。
どうにも、そういう「あまりにも飛躍しすぎである」感がアトミックカフェからはぬぐえないのだ。
と言いたくなるのはわかるのだがなんか批評のレベルが50年前走ってねぇかと思うわけである。
と言うわけで反体制的であることをちゃんと今の人達に広く伝えるには今のロック歌手も定期的に政治的なお話をして
また、周囲もちゃんと批評も行ってレベルを高めるべきだと思う。
正直時間も立ちすぎてロックそのものが反体制であるというのは無理が出てきている。
そんな状況ではロックは存在そのものが反体制とは安易には主張できない。