はてなキーワード: 北斗の拳とは
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。
https://ima.goo.ne.jp/column/article/9229.html
ギフテッド凄いね。この人はソフバンの禿に飼われてるみたいで幸せだね。でも本当の天才以外は興味無いのが禿らしい。てめぇ自身は凡人なのに。
結局この人レベルじゃないと周りは助けてくれないわけで、この少し下レベルや才能を発揮する方向が違うだけで世間は途端に冷たくなる。たぶん禿も見向きしてくれない。
天才の奇行は許されるべきという話もあるが、当事者にとっては別だ。実際自分がそうだ。
我が家は毒親じゃなかったし母親が専業主婦な昭和~平成の一般的家庭だった。自分は診断を受けたこと無いが所謂定型で弟がギフテッドだった。なんでもそつなくこなす弟に対して不思議と北斗の拳のジャギみたいな感情にはならなかった。そんな暇が無かった。
ギフテッドって『痴呆じゃない元気な若者』なんだよ。興味があれば何でもやる。家族とか気にもしないし世間体も気にしない。季節も時間も気にせずやりたい放題するので尻拭いは家族である。なんか徘徊老人の世話してる家族に共感を覚える。高速道路を歩くとかは無いけどそのレベルのやらかしはたくさんある。
ギフテッドに理解がある社会になればとかいう人も居るが、では貴方の家の敷地になんか分からないモニュメントを作られて「ああ、なんて素敵な作品だ」と縁側で茶をすすりながら眺める余裕があるか?賃貸物件の家主なら部屋がビビットピンクに塗られて「これは青春の怒りと葛藤を…」とか言って原状回復をしなくて済むか?もっと色々あるけど実際貴方に彼らの活動が降り掛かった時に受け入れるだけの度量があるのか?
禿の財団が尻拭いしてくれるのかは知らないが、してくれるなら最高だ。でも禿のお眼鏡に適わないレベルや方向だった場合、その家族や周囲にソフトバンク並みの資金と社会的地位を要求されるのだ。
禿の財団だろうと国だろうと、ギフテッドは鎖で繋げられないし、その被害は必ず多くの一般人に行くしその時全てを受け入れられますか?国の宝だと優しく接しられますか?私は弟は親族だし糞みたいな言動と行動の裏の葛藤も知ってるから好きだし、助けることに義務感を感じていない。普通の家族的思考だ。でも赤の他人のギフテッドは嫌いだし、出来るなら彼らの被害に遭いたくはない。
旧来のジャンプ的少年漫画の王道文法と呼ばれる要素の一つに、社会性のない獣のような主人公が成長して(ある程度は)人間的になっていくというものがある。
無いです。
スラダンや幽白は単なる不良漫画の系譜であって悟空なんかとは明らかにキャラが違います。
キン肉マンも北斗の拳もキャプ翼も聖闘士星矢もジョジョもるろ剣もハンタもONE PIECEもBLEACHもNARUTOもそんな話ではありません。
まあドラゴンボールとチェンソーマンだけ見て思いついたことを補強するために我田引水した感じですね。
ところで、鬼滅関連の記事かTwitter投稿か何かで見たのだが、今の小学生はジャンプを読まないそうである。何を読んでいるのかというと、コロコロとかだそうだ。ジャンプは中学生のお兄さんやお姉さんが読む雑誌らしい。
土肥: 『コロコロ』の読者ターゲットは、小学4~6年生の男子なんですよね。この層は150万人ほどいるのに対し、雑誌の発行部数は80万部。
160万部の12.8%なんで20万部ぶんくらいは小学生が読んでいる計算です。
小学生向けに特化して80万部と、全年齢を見据えたうちの20万部。
どういう捉え方をするかはともかく、そうした具体的な規模感は把握しておくべきです。
そのくらいの手間も惜しんで出元の曖昧な伝聞情報を信じ込んでいるのがおまえの馬鹿さ加減を表しています。
90年代のゲーム雑誌を「懐かしいな~」とめくっていてね、花形クリエイターのインタビューとか読んでてね、「あれ、こいつら、この時代めっちゃ若くないか?」ってことでゲームクリエイターの年齢を調べてた。
はあああああ~~~若い。業界自体がほとんど80年代に興ったような若い業界だから作り手も若いのは当たり前なんだけど、それにしたって若い。
神童みたいな存在だった中村光一や中裕司が若いうちから代表作を残しているのは当たり前としても、あんな清濁併せ呑むような作風の『タクティクスオウガ』作ったときの松野泰己が20代なんだよ。「ガキが...舐めてると潰すぞ」ってならんか?ならんか?
あと何気にショッキングだったのは、堀井雄二と広井王子ね。元々ゲーム業界外の出身であるこのへんは年齢も高く、ゲーム雑誌を熱心に読んでいた90年代中盤の自分にとっては「おじさん」っていうか殆ど「初老」って感じだったんだけど、年齢みたら40歳前半くらいなんだよな。全然若いなオイ、ソシャゲのディレクターとかのが全然年齢上だぞ、ってなる。
だから年齢の問題はともかく、橋野さんや外山さんに比べて一回り遅れている気持ちが、どうしても僕の中にはあります。若い頃に芽が出なくて、やっと32歳のときに『ドラッグオンドラグーン』でディレクターでしたから。
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ニーア、ペルソナ等の人気ゲーム開発者が激論! 国内ゲーム産業を支える40代クリエイターの苦悩とは【SIE外山圭一郎×アトラス橋野桂×スクエニ藤澤仁×ヨコオタロウ】
ヨコオタロウの「やっと32歳でディレクター」というのは、現在の感覚からすると随分順調なように思えるが、2003年(『ドラッグオンドラグーン』のリリース年)であっても、なおそれくらいの若々しさが残っていた業界だったということだ。この座談会のなかで、外山はコナミで3年目、橋野はアトラスで5年目で初ディレクターを任されたと語っている。
心の熱いハートの煮えたぎる心の和太鼓を打ち鳴らしたくなるほどの
ついに!ついに!
ついにこの季節がこの季節がやってきたわよ!
本域で歌うイヨマンテで熊が本当に倒せそうなほど、
私もこの戦いに挑むべきべきく、
なかなか溶けない固いめの餡は、
箸を弾くほど餡!
アンカケマンテの歌!待って熱いって!
ほっぺに熱々のおでんをくっつけられぐらいに
結構出演者ミュージカル俳優がそろう今回のエールの俳優陣に交じっての歌担当だったのに、
まあ最終的にはあんかけ中華なんて私の敵じゃないほどペロリと平らげちゃうんだかんね!
大盛りとなると別だけど、
寒くなってきてやっとあんかけ中華の季節が来ましたね!って言うと、
お姉さん曰く、
笑顔で返されたわ。
こんな身近にあんかけ中華のプロが存在しただなんて知らなかったわ的な灯台もと暗し暗い岬では足もと気を付けてあるいてね!って言いたいところよ。
そのお姉さんが凄くプロってるところは、
まかない食べているというメンタルの強さがまた逞しさを醸し出しているのよね。
こないだなんか席がないからって、
私が顔なじみか知らないけど、
相席ってなんか店員さんとお昼一緒に食べているみたいで、
それはそれで楽しかったし、
まあそんなこんなしてたわけでこんな時間というところで今日は締めくくりの獅子舞にしたいところよ。
うふふ。
ハムタマゴサンドすらなかったこの世紀末の北斗の拳の世界観なサンドイッチの棚にはレタスサンドしかなく、
って言っても、
朝温まりたいので、
生姜湯のレシピを調べずに夏作って置いた乾燥スライス生姜お手製のやつね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・「資本主義経済が存続している限り経済活動は必ず成長していくのですから、何時どんな値段で購入しても"損"をするなんて事は有り得ません。」
→とりあえず「ありえない」とか強い言葉使うなや。だから胡散臭く思われんねん。信託手数料とか売買手数料とかの諸々ピンハネ案分を詳しく説明せいや。
・「世界経済が崩壊して北斗の拳の世紀末世界にでもならない限り、証券価値が"ゼロ"になるなんて事は有り得ません。」
→ジャンプ漫画の荒唐無稽な仮定世界を持ち出す暇があったら、サーバーがクラックされるとかバックアップもろとも物理的に破壊されるとか内部の人為的ミスでデータ全部飛んだ場合とかの現実的なリスクを説明せいや。