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はてなキーワード: 冗談とは

2020-09-29

anond:20200929165818

なんとか、自称お手伝いとか、自称恩返しとか

こっちは やらないでほしいから、やってないことを

なんとかして、やろうとするひと

それをやられると、いままでの準備が台無し

から邪魔したいんだろうなぁという

 

誕生日ケーキロウソク

主賓じゃないのに

吹き消して つければいいじゃん、もう1回という

冗談から というひとは 俺の知り合いにもいた

 

俺の誕生日は祝わなくていい、問題成るだろうから

誕生会は2度としないとなった事件

anond:20200929015159

いくらフェミでもイスラムを敵に回すのだけは冗談でもよしとけ…という生命危機上位ポリコ指定中国にも適用されるようになるのかな

anond:20200928211140


私はこの増田の妻側の人間だ。自分と状況が似ていたので参考にならないかも知れないがコメント残させていただく。

はいわゆる友達同士や職場での関係、外ヅラが良いタイプだ。

家の中でも基本穏やか……のつもりが、時たま自分でも制御できないくらイライラスイッチが入ることがある。ご飯はひっくり返したことないけど。そこら中の椅子をひっくり返したり、夫の眼鏡を投げたり。

実家に住んでた時は反抗期口論こそあったものの、物に当たったことはなかったので、最初自分もびっくりした。

今でこそスイッチの入るきっかけが読めるようになってきたが、当初はかなり戸惑った。何度か検証を重ねるうち下記のパターンに入るとスイッチが入りやすいことがわかった。

もともと外ヅラが良いというのはそこにポジションを求める気持ちの裏返しだ。例えば職場では仕事という目的があるので役割を与えられやすいし、成果に伴って評価もついてくる。

しかし家庭は四六時中一緒にいるのでそうはいかない…ざっくり言うと他人自分の弱みを握られるのが苦手なのだ

奥さんがどんな方かは存じ上げないが、自分場合家事が不得意で、可能な限り一日中寝ていたいタイプ恋人同士だった頃は毎日アクティブな私を見ていたので、夫はそのギャップに驚いたそうだ。

ヅラが良い分、他人に何か指摘されることに慣れておらず、冗談のつもりで言及したこと必要以上に刺さる時がある。ましてや恋人時代比較されると、100%自分存在否定された気がしてしまうのだ。

そんなわけで結婚1,2年目は夫とかなり衝突した。夫も、私のスイッチが入るのが怖くて本音を言わず溜め込んで爆発したり、なんというか双方いいことはなかった。。。

自分に原因があることがわかっていながらも、だんだん夫が本音を言わなくなりいつ離婚を切り出されてもおかしくない状況になるのが怖かった。なので奥さんベタベタ甘えたなのは納得できる、自分もそうだったから。

矛盾しているようだがどちらも本音なんだ。。。

スイッチが入ってる時の記憶が無くなることはないので(あの時なんでああなったんだろう、とは思うけど…) お互いが冷静な時に歩み寄れるよう、少しずつ話し合った。

自分自身の言動を振り返り、幼稚さや至らなさと向き合うのは辛かった。夫も、察してちゃんや溜め込みを辞めて「これ以上やると怒るよ」とメッセージを発してくれるようになった。

そんな感じで、お互いの越えてはならない一線理解しつつ、今ではそこそこ良い関係を築くことができている。

まり参考にならないかもしれないし身勝手な思いで申し訳ないが、、、増田ご夫妻には幸せになってほしい。溜め込みすぎないでね。

私の祖父が怒りに任せて物に当たる人だったので(家の壁に穴複数…)これも遺伝的な気質だろうと長らく思っていたけど、病名や診断名がつくのなら是非とも知りたい。

anond:20200928102809

冗談マジレスするけど、すると思うの?中華プロダクトを好む人が中国人政治的思想にも共感してると思うのはネトウヨくらいだよ。

中国人視点では一つの中国にしたいという考えがあるだろうということは「理解」するとしても、台湾は実際ひとつ政治的独立した地域として長年立派にやっているんだし、中国の主張を安易には「支持」出来ない、そういうのが俺を含めた一般的日本人感覚だと思うね。

いいモノはいいモノ。モノはモノで正当に評価されるべき。背後のものと何がなんでも病的に結びつけようとするのは、「かぶれてる」だけだと思うね。人々はそんな仮想的なバトルよりも、プラグマティック価値を重視する。もちろんプロダクトの背後にある思想意図が実害を伴って浮かび上がってくる状況では価値が反転することは充分ありえるし、警戒感がないワケではないけど、そこまで全部が全部を信じられない訳じゃない。よく知っていけば、多くの民間企業は誠実だと分かるし、実害なくモノの良さを享受できることは多い。そういうポジティブ実体験を俺だけじゃなく世界中の人が積み重ねているから、中華プロダクトは経済的にも評価が高いわけ。

2020-09-28

無心で働くということ

仕事上のストレスを減らす最も有効方法は無心になることだと思う。上司、同僚、部下、客などから嫌なことを言われたり褒められたり冗談を言われたりしても軽く受け流して自分仕事淡々とこなせば仕事ストレスがほぼゼロになる。自分言動に対して積極的な反応を求める「かまってちゃん」など相手にする必要はない。

薄い反応を続けていればそのうち誰も話しかけなくなるだろうし礼儀正しい態度をとりするべきことをしていればひどく嫌われることもない。仕事関係はそれくらいが丁度良いと思う。過度な仲間意識や友人のような付き合いはストレスのもとになる。

もう東京でお刺身食べれない

転勤でオホーツク海側に来てから1年が経った。

今でも毎日スーパーに行くのが楽しみで仕方がない。

なぜなら魚がとにかく安くて美味しいからだ。

東京居酒屋つぶ貝刺身を食べるとほんのちょっとで580~1280円だけど、

こっちは1個50~60円で売っている上にタダで大量に貰えることも。

ホタテも大粒で安い。もう東京でお刺身食べられない…。

そしてスーパーで売っているお刺身の冊が信じられない位に安い。

冗談じゃなく200円台で美味しいお刺身が食べれる。

来年任期を終えて東京に戻る予定だったが、このご時世なので移住することに決めた。

海沿いに初めて住んでいるけど、こんなに最高だなんて…。

オホーツク海に限らず海が近い地域はどこもお刺身が安いんだろうなぁ。

あの日、僕は彼女に別れを告げた。彼女のことを愛していたか

開口一番、医者は僕に病名を告知した。予想通りの病名。驚きはもちろん、悲しみさえわかなかった。むしろ若干自分のことが誇らしくすらあった。ここ数週間医学論文を読み込みたどり着いた結論と一致していたからだ。診断の意味するところは一つだった。僕は、もうすぐ死ぬ。緩やかに、けれども確実に。一つ一つ、できて当たり前のことができなくなりながら他人よりもずいぶん早いペースで死という端点へと近づいていく。「自発呼吸」というピース最後に残して、パズルからピースが外れていく。それを防ぐ手立て――治療法――は存在していなかった。

病院から彼女と一緒に暮らすマンションへと向かう帰路で、僕はこれまでの自分人生を、積み重ねてきた努力を思い返した。教授に詰められながらゼミ論文紹介をしたっけ。巨大なコードベースからなるプログラムの不可解なバグの原因を何週間もかけて追究したっけ。診断が意味していたのは、これまでの自分努力収束先だった。大学院で身に着けた英語論文サーベイするスキル、もはや複雑系様相を呈する巨大なソフトウェア不具合デバッグするなかで向上した問題解決能力、それらのおかげで英語医学論文を読み解くことができたし、近頃の体の不調の原因を特定するに至ったのだと思う。僕がこれまで努力してこれらのスキルを獲得したのは、自分の死期と死に様を人よりも早く知るためだったのか?僕は自嘲した。自分がこれまで生きてきたのはうまく死ぬためだったのかと思うと妙に可笑しかった。

連続時間軸上で物事連続的に変化する。そのどこに境界線を引くかは恣意的しか決められない。しかしそのことは境界線という概念のもの否定するものではない。何手目からという合意が必ずしもとれなくともチェスの対局には常にエンドゲームがあるように、人生には常に晩年がある。医師が診断を下した瞬間に晩年が始まったと僕は解釈した。そして僕にはまだ、晩年の概形を定めるだけの力は残されていた。やり遂げなければならないことがあった。晩節を汚さないために。手遅れになる前に。彼女と、別れる必要があった。

「なんのつもりー?」彼女は無邪気に笑った。本気だとは微塵も思っていないかのような口ぶりだ。僕が信じていたように、なにがあっても僕たちの愛は揺るぎない、そう彼女確信しているようだった。「ねえ、それ冗談だとしても面白くないかも」彼女が眉間にしわを寄せて言った。彼女の目を見ることが出来なかった。「ホント理解できないんだけど……どうして?」妥当な疑問だった。しかし僕は返答に窮した。本当のことなんか誰が言えようか?僕の人生でこれから待ち受けていることを告げても、彼女はそれを受け入れ、最期まで寄り添うことを決断してくれるであろうことは明らかだった。僕たちのあいだに存在するものは極めて純粋な形の愛だと断言できた。だからこそ、愛する彼女にそんなことをさせるわけにはいかなかった。君が男女平等主義者なのは知ってる。でも最後に一度だけパターナリスティック振る舞うことを許してほしい。残念ながら僕には君と一緒に思い描いた未来を歩む能力は、君を幸福にする能力は与えられていなかった。でも君が不幸になるのを防ぐことはできるんだ。僕の世話をする以外の未来が君にはあって、君はそれを選ぶべきなんだ。言うべき言葉は明らかだった。彼女の目を見据えて言った。「実は、他に好きな人ができたんだ」それを聞くなり彼女は目を見開き息を飲んだ。


それから三年の年月が経過した。秋の柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。窓際でいつものように目の動きをキーボード入力に変換するソフトを使ってWebブラウジングをしていたところ、あの日別れを告げた彼女SNS 投稿が目に留まった。ウェディングドレスを着た彼女がとびきりの笑顔で写っていた。様々な種類の感情が同時に生起した。混沌のなかで最初言語化できたのは「これでよかったんだ」という思いだった。祝福する気持ち表現しようとしたが笑顔がうまく作れない。涙が頬を伝う感覚があった。しかしそれを確かめるすべを僕はとうに失っている。ちょうど暖かな日差しが運んできたまどろみに身を任せて僕は眠りに落ちた。

2020-09-27

人間ゴルゴ13ではなかったけれど、背後に人の気配を感じるといつも攻撃的な気分になった。

大抵、電車を降りる時とか、スーパーレジ待ちのタイミングで、

自分イメージしているよりも一歩近い距離他人が立って、

ただその人物が立ったということ自体、その認識の瞬間に怒りが燃え上がる。

分別のない中高年に多いが、男女問わずそのまま押し退けようとぶつかってきたり、

連れと大声でお喋りに夢中になっていたり、後はベビーカーで靴のかかとを押されたら、

怒りのクッションが深く沈み、そこから跳ね上がって振り返って睨み付ける。

ベビーカーを使うのは構わないが、大きなスーツケースと同じように、人にぶつけたらちょっと頭を下げるくらいの振りはして欲しい。)

一度若い男に駅のショッピングモールでぶつかられた時、明らかにわざとだったので振り返って睨みつけた。

男は睨みつけられた苛立ちから、なんだよお前が悪いんだろと怒鳴った。

言い返さずに罵声を聞き流し、右手中指を立てたところ、ますます男は燃え上がって、

歩きながら何度か振り返って親指で首を切る真似をしていた。

真似した手技で反論してくるのは創造性がないので、この勝負人間の勝ちだった。

人間自分の中に、決して上品とは言えない暴力的乱暴な一面があることを自覚していた。

それは月並み暴力性だが、持ち合わせている人間は他にもたくさんいる。

中指を立てるのは舌打ちの代わりだ。舌打ちをすると美しくないという美意識も少しはあったので、

アメリカ産ドラマで頻繁に見かけたジェスチャー代打することにした。

それは我慢だった。

人間は、何度か他人暴力性に晒されてきた。

小学生の頃に通っていた塾までのバス運転していた老人に、

冗談まじりでルートを変えて欲しいと告げたら、怒鳴り散らされて驚いた。

中学生の頃、教室に入ってきた蜂をやっつけてと先生冗談まじりで告げたら、

なんで俺がやらなきゃいけないんだと怒鳴り散らされて、やはり驚いた。

高校生の頃、携帯電話を見て電車を待っていたら、

電車から降りてきた老人に突然手首を掴まれて憎々しげに引きずられた時もびっくりした。

それから車内で降りようとする見知らぬ男に何度もわざと突き飛ばされるという暴力を振るわれた時もびっくりした。

何故自分暴力をあからさまに他人から振るわれるのかわからなかった。

謝ったり、一歩引いたりして小さく謝罪すれば終わるようなことなのに、彼らは一様に拳を振り下ろした。

人間ホームや、電車の中で、誰かが怒鳴ったり、窓を乱暴に叩いたりしていると、この鬱屈とした怒りを思い出す。

どのときも、その瞬間には暴力に晒されて呆然としているまま、

弱い惨めな気分のまま終わって、後から泣いたり悔しがったりして、消化することはできなかった。

人に聞かせて面白い話でもなく、相手の顔を写真に撮ってSNSにあげるようなこざかしい真似もできた試しがない。

せいぜい中指を立てるくらいだった。

から人間が望むのは、今度こそこの、自分に対する暴力の生じた瞬間に相手をブチのめすことだ。

今度こそ、顔や腹に拳を打ち込んで、向こうが鼻血を出している間に吐くほど痛めつける。

相手死ぬとか、怖いとか、やめろということをやる。暴力理不尽なのだ

晒されて精神に残った暴力痕跡は消えない。暴力感染する。暴力は強いからだ。

そうしないと、いつまでも暴力記憶から自由になれないと分かっている。

いつかやるつもりで今日電車に乗っているし、ホームを歩いているし、街を歩いている。

背後に立つ人間暴力を仕掛けてくる可能性が高い。

他人の気配を背後に感じたら、体が勝手に緊張する。

今までは暴力を振るわれるかもしれないと怯えていたけれど、

間抜け人間中指を立てて我慢してきたけれど、次こそは違うかもしれない。

暴力イメージは、どんどん具体的になっている。

anond:20200927085716

ぼくは

可能範囲ですぐに謝れといった

それを

上司権限

すぐに謝れに変えた

 

まり、謝っちゃいけない事はない

あいてが、嫌がるときでも

嫌がらせのように、嫌がらせをするために

謝って良い

暴行を加えたあとに、謝罪のためなら合えるといった

そして、未だ冗談程度のわりぃ しか謝ってくれないか

すでに十分な時間がたった

ということを考えると

謝るに値しないんだろうな

 

ういういいかたはもうしわけないが

もし自衛隊なら

なんとかハーバー

わりぃ とか 首をすくめる程度でいいといったことを僕は忘れない

忘れるだろうけどね

脳挫傷とかならそりゃ忘れる

から、代わりに書いておく

僕の記憶

2020-09-25

パヨクって冗談抜きで

差別日本が嫌いだよな

なんか失礼だけど面白なっちゃ

太っているかあなたとは離婚したいといわれて離婚した

35歳の時、婚活サイトで知り合った38歳の方と1年お付き合いし結婚したが、結婚後1年で「あなたが太っているか離婚したい」と言われました。

言われたというか、正しくはメールで伝えられた。最初冗談だと思っていたが、仕事から神妙な顔をして帰ってきたので本気なんだと。

私の当時の体重身長155cm体重52kg、痩せてもいなかったが離婚されるほど太ってもいなかったと思う。

職業スポーツインストラクターとか警察官とか自衛官のような身体酷使する仕事だったので、そこそこ筋肉がついており日々鍛えていたのでぽちぽちゃはしていなかった。

趣味として年に1度はフルマラソンを走っているし、そもそも初めて彼と出会った時と体形が変わっていなかった。

から本当に最初冗談だと思ったのだ。

冗談じゃなかった。

はいつも「痩せている女はゴージャスだ」と言っていた。ふーんそんなものかと流していたが、今思えば遠回しに「お前は太っているから痩せろ」と言っていたのだ。

それに気が付かなかったのは、そもそも彼が太っていたから。私より少し背が高いくらいの小太りだったのだ。少し綺麗目の芋洗坂係長といった感じだ。

製薬関係営業をしていて、出張や夜の付き合いも多くお腹お酒のせいでポッコリと出ていた。

まさかそんな人に太っているから痩せろだなんて言われると微塵も思っていなかった。

私はどうしても離婚したくなくて、ゴネた。

こんな理由離婚するのも嫌だったし、たったの1年で別れるなんでお祝いしてくれた父や母、祝ってくれた職場の皆になんて言えばいいのか。

しかし彼に「これから痩せるから!」と言ってももう遅いよ、とため息をつかれるだけだった。

35歳でようやく結婚出来て、仕事をしながら料理洗濯掃除弁当作りも頑張った。

それなのにこんな理由離婚を切り出されるなんて、悲しくて悲しくてどうしようもなかった。

どんなことをしても別れたくなかった私は、無理難題押し付ければ離婚回避できると考え、「慰謝料〇万くれたら離婚する」と言った。

この頃、彼はどうしても私と別れたくて弁護士相談していたらしいが、私に一つも落ち度がないので(浮気家事放棄など)どうしようもなかったようです。

数日後、彼は「これで離婚してください」と、本当に現金で〇万持ってきて私にくれた。

帯のついた札束を見るのは初めてで、なんだかまったく現実感がなかったのですがここまでしても私と別れたいんだな、と泣く泣く離婚に至りました。

今思えば彼がバツイチだったので大々的な結婚式はしておらず、親の顔合わせだけで、財布もお互い働いていて別だったのは良かったです。

また、私は子供が欲しかったけど、「女性はすぐ子供欲しがるけど、僕はいらない」と言われていて諦めていたので、無理に作らなくて良かった。

今思えば、彼はなんで私と結婚したんでしょう?

10年たった今もよくわかりません。

気の迷いだったのかな?それとも浮気してたのかなあ?

かに彼は私と正反対の、派手な女性が好みでした。

離婚後すぐ、1度だけ彼を偶然町で見かけました。

ヒールはいて背が高くミニスカート、金茶のロングヘアーを綺麗に巻いた若い女性と繁華街で車で待ち合わせていました。

その女性はなぜか1歳くらいの赤ちゃんを抱いていて、彼はぎこちくその子あやしていました。

はいたたまれなくて逃げだしたけど、

あ、そうか。当時はわからなかったけど、あの赤ちゃんの子か。それなら納得いくな。

私と結婚後、夜のお店の子赤ちゃんできて産んでしまたことを知らされたのかもしれない。

からあん大金ぽんと出したり、弁護士相談してたりしてたんだ・・・・。

ここに書き込むことで、過去出来事が整理されました。

こんな長い文章にお付き合いしてくださった方、ありがとうございました。たいしたことではないですが、誰にも言っていない過去出来事を吐き出したかったのです。

離婚して2年後、私は職場の隣の部署に転勤してきた同い年の男性と知り合い、結婚子供も生まれ今は幸せ暮らしています

仕事を辞め地元も離れ、私が過去に別の結婚をしていたことを知っているのは両親と兄弟だけです。

今の夫は芋洗坂係長より背も高く、スタイルもよく、細マッチョ家事育児もよく手伝ってくれる良い夫です。

私がバツイチなのは知っていますが、なぜ離婚したのかは知りません。聞いてもこないので話していません。

そして私は子供を産んだらすっかり太ってしまいました。

今更税金がかかると言われても困るので、慰謝料金額は伏せました。

いただいた慰謝料は、子供教育費にしようと思います

幼少期に虐待を受けた人は自然に人のせいにする

なにか言ったとして、相手が全く予想外の反応をしたとする。

  • 不愉快な顔をした
  • 期待と見当違いの返答をした
  • 思ったより深刻に受け取ってもらえなかった

いろいろあると思う。

こういう時に「何でこの人は私の言っていることを理解してくれないのだろう」と思う人は結構多いと思う。

はっきり言うとこの疑問はそもそもおかしい。だが、全くこの疑問がおかしいことに気が付かない人がいる。

この疑問を持つためには「私の口から発せられた言葉100%自分意図を反映しており、1パターン以外の解釈不可能になるように組み立てられている」必要がある。だが、この疑問を持つ人は全く逆の言葉を使う。

私の思っていることと真逆の内容を口から出しており、いかようにでも解釈できる文章を作っている

のだ。

例えば、今すぐぶん殴りたいくらいムカついているのに「ヤダモー面白いんだから!!!」っていう反応をしたりする。ここで表情との不一致があれば相手も気付くだろうが、これを満面の笑み、ジェスチャーでやっているのだから相手は「あぁ、これでこの人には問題ないのだな」という理解をする。当たり前だろう。

ものすごく深刻な話を冗談めかして言ったりもするのがこういう人の特徴だ。

要は「私の言うことは私の思いとは真逆理解していい」と全身で示しながら「私の言うことを私の思い通りに理解してほしい」と思っているのだ。

相手からしたらまるで罠にはめられたような感じすらするだろう。

で、こういう感じの人は、幼少期に虐待を受けている場合がある。

ここで言う虐待というのは、殴られたり罵られたり、ということではない。

相手が怖すぎて自分の思いを捻じ曲げて発信すること」以外の選択肢がなかった人のことだ。

例えば、親の出した食事匂いだけで吐きそうなくらいまずかったとしても、正直に「美味しくない、食べたくない」と言ったら自分に何が怒るのか想像もできないくらい緊張した家庭にいるなら、その子供は「うん!美味しい!おかわり!」とまで言うのだ。それが親が機嫌よくなるのなら。

自分意見を述べるだけで豹変する親はいる。YesとNo、どちらを使っても怒らない親の下で育った多数の人には気づかないだろう。たとえ病気になってでもYesと言うことが正しいという親はいる。

だが、このことをまっすぐそのまま述べる親はいない。当たり前だ、もしそんなことをバカ正直に言えば自分立場が悪くなる。子供学校で「僕のお母さん、嫌だって言うと殴るんだ」と言わせてはいけない。「僕はお母さんが大好きだから、言うことを聞きます」という模範解答を出させなくてはならない。これだけで、ひどい虐待親が子供の躾が行き届いた立派な親になれる。

では、どう言うか。

あなたのためなんだからやりなさい」

とか

あなたが言うことを聞いてくれないのが私は悲しくて仕方がない」

とかだ。

客観的に見れば「Yes」以外の選択肢を一切子供から奪い取る言葉なのだが、子供が「言うことを聞かない自分が悪かったのだな」と捻じ曲げてくれる魔法言葉だ。

ただ、こんな親でも100回に1回位は「そんな事言わせてゴメンね、本当は嫌だったよね」と理解してくれたりする。もしくは「子供自分意見をきちんと言うべきよ」と何故か他の人には言ったりする。

こういう矛盾の中で生きている子供にとって最大の恐怖は「自分の思いを率直に言うこと」だ。

そのまま大人になればYesマンになる。

自分の思いを捻じ曲げていることが基準になるので、相手もそう言っていると解釈することが自然になる。

話は戻って、「何であの人は私の言うことをきちんと理解してくれないのか」という疑問に映る。

自分自分の言うことを捻じ曲げて話している。そして相手にはこの捻じ曲げを捻じ曲げ直してもとに戻すことを期待している。

「もうこれが好きでしょうがない」と言ったなら「あぁ、本当は嫌なのに無理して好きだと言っているのだな」と理解してほしい。ネジ曲がった言葉を捻じ曲げ直せばそうなる、と素朴に考えている。

だが、人によってはネジ曲がったまま受け取る、更に捻じ曲げて受け取る、自分が思ったほど捻じ曲げ直してくれない、など様々だ。

anond:20200925054713

入居申し込み

 

それは冗談として増田都合でなく日程決まらん原因とかあるんけ?

家賃計算にも関わってくる話だが

2020-09-24

タモリスーツ

タモリさんが笑っていいとも披露していたんだけど、彼のスーツには「フェラチオ・ボッキーニ」というタグが付いているそうだ。

もちろんそんなブランド存在しないので、冗談がてらオーダーの時にタグまでオリジナルにしてしまってるんだろう。

名前刺繍入りのスーツステータス」なんて言う人もいるけれど、こう言う「大人ならではの悪ふざけ」ならお金かけるのも面白そうだと思わないではない。

マジな話、おまえらアニメとか漫画の絵でシコってるん?

冗談はいうけどマジな話あんなのでちんちん立たんでしょ

2020-09-22

徳三郎の駅前屋台

駅前で徳三郎が五平餅を売る姿は、戦前の果名村の風景のものであった。もともとは村の者ではなかった彼が屋台を営む姿は年月とともに周囲へ溶け込み、その存在に疑問を抱く者はもはやなかった。

木造駅舎の改札を出ると、小さな広場の向こうに商人宿がある。その軒先に徳三郎は質素屋台を据え、七輪に火を起こし、金網に五平餅を載せて客を待つ。

森深い谷間に取り残されたような果名の駅にあえて降り立つ人々は当時それほど多くはなかった。早朝から町で用を足して帰ってきた村人を除けば、大きな荷物を担いで山間の村々を歩いてきた行商人や、近隣の温泉場から渓谷へ遊びに来る湯治客くらいであった。

そのような駅の前で生業を営む必要が何処にあったか、餅を買いに訪れる村人が冗談めかして尋ねたことは一度や二度ではなかった。その度に徳三郎は含羞めいた笑みを穏やかに浮かべるばかりであったという。

柔和で笑みを絶やさなかった徳三郎には村内で客がついたものらしく、屋台は続いた。だが五平餅だけで生計を立てることは難しかったのか、同じ屋台支那そばも売り始めている。当時はまだ新しい食べ物であった支那そばを作ることのできた徳三郎は、都会育ちであっただろう。村に唯一残されている屋台写真には「羅宇麺」と書かれた立札が見える。徳三郎の作る支那そば温泉客のあいだでも評判を呼んだものらしく、当時の温泉街の冊子には「果名ノ羅宇麺」として紹介されている。

だが屋台の繁盛は徳三郎の逮捕により終焉を迎える。ある晴れた日、駅から出てきた男女二人連れの姿を認めた徳三郎は、広場で女に襲いかかった。馬乗りになって首筋に千枚通しを突き刺そうとしたところで村人に取り押さえられている。警察の調べに対し徳三郎は「許せなかった」とだけ語り黙秘を貫いたとされる。徳三郎が村にやってくる前の恋愛事件に起因する私的怨恨説が村内でまことしやかに取り沙汰されたが、真相不明なまま村は戦時体制突入していった。

戦後まもなく、徳三郎の駅前屋台一時的に復活している。神社の軒下で寝泊まりしている人物が徳三郎であることに気づいた自作農家の幣原元彌氏が徳三郎の身柄を引き取り、再び屋台を持たせた。徳三郎の人となりを知っており、彼が作る支那そばの味を懐かしんだ幣原氏が「おめが羅宇麺をまた食わせてくれや」と懇請し、元の場所屋台を設置する資金援助を申し出たものであった。

近隣の温泉地は進駐軍保養地として接収され、果名村にも米兵ジープが度々姿を現すようになった。米兵から手に入れたコカ・コーラ支那そばスープに隠し味として入れる手法を徳三郎が考案したのはこの頃であるとされる。彼が生み出した味は、再起を助けた幣原氏への感謝を込めて「おめが羅宇麺」と名付けられ、中部地方を中心に戦後日本に広まった。



(『果名村史 近代編』、果名村史編纂委員会、2018、p.98-101)

僕の人生救世

わらいもの

冗談を言うゆとり

冗談をすきなだけいえばいい

anond:20200922124828

AVとか冗談趣味が合わない程度のもんだろ、あんま考え過ぎんなよ、今にも自分病みそうなら離れたほうが楽だが、その場でやり過ごす術はちょっとずつでも身に付けとかんと、最終的にはコミュ全絶ちすることになるぞ?

2020-09-21

anond:20200921105025

冗談ではなく若年性痴呆の初期症状では。感情コントロールできなくなるという。

身の危険を感じるならバイト貯金するなど一人暮らしする準備を始めよう。

anond:20200921132717

私にとっては笑えない冗談だ。切実に。

anond:20200919215647

冗談交じりであろうことを無視して言うけど、

「なんで人を殺してはいけないのか」に対して「決まりから」と回答するような意見はあまりにも想像力が無くて好きじゃないなぁ。

現実ありきのルールであって、ルールにない現実が新たに現れたら、ルールを見直すのが先じゃないかな。

バス乗客、生きたヘビをマスクとして着用 当局注意喚起 英国

(CNN) 生きたヘビをマスクとして使用しないで――。

バスの中で大きなヘビを顔に巻き付けた乗客が目撃されたことを受け、英国の運輸当局乗客に対してそんな呼びかけを行った。

この光景は14日、イングランドマンチェスターに向かうバスの中で目撃された。

乗客男性は、首と口の周りに大きな茶色いヘビを巻き付けた姿で乗車していた。

目撃者女性地元メディア取材に対し、最初冗談マスクだと思っていたが、そのうちヘビが手すりに巻き付いて這(は)い始めたと話している。

英国では健康上の問題がある場合などを除き、公共交通機関を利用する際のマスク着用が義務付けられている。

マスクの種類については「サージカルマスクである必要はない。

手製のマスクでも、スカーフバンダナなどでも構わない」としたうえで、

「多少の解釈余地はあるものの、ヘビ皮の使用特にまだヘビに付着している状態での使用には、この解釈は拡大できないと考える」と言い添えている。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35159721.html

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