はてなキーワード: 中華とは
16GBで5,640円
わざわざ高い金額払って、補償もサポートもないものを通販する意味よな
愛国心があるのは偉いけどw、さすがに痛いからもうその活動やめたほうがいいよ
日本のAmazonとかに出てきてる中華業者は三流のはみ出し者が多い、これ豆な
そういう無名中華企業はやらかしが多くなるのは自明、売り方見ても分かるが悪徳だらけと言っても良い、悪印象になるのはやむなし感はあるが、それが中華のすべてではない
情強はそういう怪しい中華には食いつかず、Aliとかでよく売れてて動画レビューとかも沢山でているまともな中華ブランドを選ぶ
ちなみに俺が以前買って問題なく使えてるおすすめの中華メモリはこれだ
Aが中国人だよ よく読め
いつも笑ってスルーしてるだけなんだけど、今回自作PCの話題だったんで
って純粋なアドバイスしたら、中国馬鹿にされたと思ってキレかかってきたというだけの話
哀れやなw
Aさん「自作パーツは、中華メモリとか安く買えてメリットだらけだよ」
Bさん「メモリのような核心パーツは安物は危険。ケースとか動作に関係ないパーツなら中華は遊べるよ」
Aさん「その用途なら仮想サーバ(VPS)を契約すればいいよね」(←論点ずらし)
Aさん「自作パーツは、中華メモリとか安く買えてメリットだらけだよ」
Bさん「メモリのような核心パーツは安物は危険。ケースとか動作に関係ないパーツなら中華は遊べるよ」
Aさん「その用途なら仮想サーバ(VPS)を契約すればいいよね」(←論点ずらし)
いやメモリもクーラーもWi-Fi6モジュールカードも中華の大手ブランドのを個人輸入して使ってるけどしっかりしてるしパフォーマンスも良いぞ。
マウスやメカニカルキーボードみたいな周辺機器も日本人は全然知らんだろうが中華に優れたブランドがいくつかあるのを俺は知ってるし、使って実感もしてる。自作マニアの欧米人もそのことを知ってて動画もたくさんでてるが、日本語じゃないから日本のマニアは置いてかれてるんだよ。同じことは中華スマホにも中華家電にも言える。
ドレスコーズも好きですがマリーズ時代の曲もやっぱいいよね、ってことで今もよく聴いてます。
あんまり周りに知ってる人(≒興味ある人)いないからここでツラツラ紹介させてください。
早速まずは第10位から。
10位は「VELVET GOLD WAY」です。
イントロ&歌い出しの「甘い日々だったようだった〜〜」の一節がカッコいいので好きです。
終始勢いがあって約4分があっという間に過ぎます。
勢いの中にもなんというか、抜け感みたいなものも感じられます。
9位は「ダンデライオン」です。
ラストアルバムは初期の頃の曲とは対照的に優しい雰囲気の歌が多いんですが、
その中でも特に優しい雰囲気で王道?ラブソングな感じの曲です。
ブランネルサンズの意味を分からずずっと聴いてましたが、イギリスの町の名前みたいですね。
普段あんまり歌詞を気にして曲を聴くことがないんですが、この曲の歌詞はすぐに覚えられました。
それくらい歌詞が良い曲なんでしょうね。
8位は「センチメントがお好き?」です。
デル・シャノンの悲しき街角オマージュな間奏がメチャカッコいいです。
7位は「「ジャーニー」です。
「Keep on 不安定 さらば安定」って歌詞がマリーズらしくていいですよね。
6位は「ラプソディ・イン・ザ・ムード」です。
これは優しいというか、少ししんみりしたムードの曲ですね。
昭和歌謡を彷彿させるメロディと志磨さんの歌い方が相まって聴き心地がいいです。
ロックバンドの出すこういう感じのスローテンポなポジションの曲って名曲多い印象です。
(毛色は違いますがBlack SabbathのChangesとかいいですよね)
バンドの幅というか、可能性を感じさせる1曲でアルバムを通しで聴いていると先の展開が
5位は「悪魔も憫む歌」です。
収録順だと最後の曲でかなり落ち着いた曲で、志磨さんの優しい歌い方が好きです。
元ネタはストーンズの「Sympathy For The Devil(タイトルのみオマージュ)」。
ちなみにSympathy For The Devil収録アルバムのべガーズ・バンケットも好きです。
志磨さん曰く「物憂げ系」ラブソングとのことですが、まさにピッタリなキャッチフレーズです。
浅川マキさんの訃報をうけて作成された曲らしいので、なるほどなと感じられますね。
東京をテーマにしたアルバムなのでどことなくハイカラな雰囲気も漂ってるところもオシャレで良いです。
3位は「ジ・エンド」です。
ラストアルバムの最後の曲なのでまさにマリーズの集大成的位置付けの曲だと思ってます。
ゆっくりした出だしから、一転してロックな感じに切り替わる瞬間がメチャ痺れます。
歌詞もまさにジ・エンドって感じで、解散前最後の曲にふさわしいと思います。
初期の頃の荒々しさはなく、綺麗にまとまった1曲だと思います。
2位は「上海姑娘」です。
大人しい曲が多いラストアルバムの中で異彩を放つ騒がしい曲です。
何が良いか、というと何となくイメージで持ってる「中国っぽい感じ」を
しっかり音に落とし込んで曲として成立させているところが単純に凄いな、と思いました。
ただただ中国っぽい感じな曲なだけではなくて、普通にカッコいい1曲なんですよ。
ラストアルバムのしんみりムードもこの曲のおかげで暗くなり過ぎずに済んでると思います。
そういった意味でもかなり貴重な1曲。
1位は「BABYDOLL」です。
4枚目のアルバムであり、メジャーデビューアルバムから1曲です。
この曲は不動の一位ですね。
全体通して凄いキラキラしていて、凄い元気がもらえるので好きです。
以上、ベスト10でした。
10曲に絞るのかなり大変でした。
これで興味を持ったり、思い出したりで聴いていただけると嬉しいです。
壊れても大丈夫だ。買い替えのいい機会になる。
なに、恐れる必要はない。今は安くて良い中華キーボードがある。
俺のおすすめはAJAZZのAK33で、今もそれで書いている。
5000円しない値段でRGB照明のメカニカルキーボードが買える。
別に七色に光らせたくないという人でも、俺のように暗めのミントグリーン単色常時点灯とかにしておけばいい。まあつべ見れば照明含めレビューしてる動画はたくさんあるだろう。
これのいいところは、掃除がしやすい点だ。本体からミニUSBケーブルを抜けばすぐ掃除に取りかかれるし、盤面がキーごとに凹んでいたりしないのも掃除面で有利だ。
キートップの印字がよくあるゲーミングキーボードみたいなゴツゴツしたダサいフォントになってないのも好印象。スペースバーのロゴだけは微妙だが、ご愛嬌だろう。(※今みたら現行モデルのフォントは結構ゴツめだった。マシな方ではあるが)
万超えの有名メーカー品を使っていたこともあり、そういうのと比べるとキーキャップの加工精度が悪くよく見ると列が若干ガタついていたりするのだが、ガワの話にすぎんので実用上の問題はない。
転売価格が上がるとかじゃなくて、当のメーカーが定価自体を平気で2割以上値上げしたりする。
本当に発売半年で平気でそのくらいシレッと値上げする。
・ネット以上の情報がまとまったキャンプ入門書がこの世に存在しない
ネット程度の知識を180ページくらいにまとめて表紙だけちゃんとしてる本が1番まともという世界。
何より酷いのはキャンプ用具の宣伝に終始してるもはやパンフレット状態になってる入門書が8割ということ。
しかもコスパ最強すぎてもはや定番となってしまった中華ギアとかでも安物はめったに紹介しないという。
・自転車や電車でキャンプ来る人間を白眼しするキチガイが希少種じゃない。全然存在する。
日本への送料とか関税とか諸経費を諸々ひっくるめてもネット注文で6万円で買えるテントが日本の通販サイトで11万円で売られてる。Amazonでも楽天でも。
・数万円の新品買って不良品届くとかが平気である。穴空いてたり、糸くずだらけだったり、蛾の死体が挟まってたり、酷い時には違う製品送ってこられたり。
そういうのに目くじら立ててはいけないくらいにはよくあることみたいになってる。
アウトドア系出版社も日系大手アウトドアメーカーも、それどころか外資大手のアウトドアメーカーですら中の人が奴隷待遇で貧乏強いられてる。
何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアのメディア業界で急速に成長しているM-townという企業で営業に携われることになりました。
こうして、マレーシアで飛び込み営業の毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主に中華系の割合が多いことに気が付き、中国語を勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華系レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。
この経験から、マレーシアで事業を作る為には中国語が必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学の短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシアで勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。
転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易な結論に至り、その通りに動くことにしました。
しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシアに自分の会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。
会社が立ち上がった頃は、マレーシアの賃貸問題を解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。
物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業はマレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華系マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業がスタート。しかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケールの展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。
会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。
当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェで横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないかと不安でたまりませんでした。
そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約を根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所が世界中にあれば外国人の住居探し問題は解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。
関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクトの共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています。
結果、幸いなことに178万円以上の支援をいただき、クアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。
ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアのノマドコミュニティーやゲストハウスのネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。
しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業をスケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。
1582年夏 本能寺の変。信長親子脱出成功。山崎の合戦で光秀滅亡。
1583年夏 信忠・秀吉による九州攻め開始。信長による小田原城砲撃で後北条家滅亡。柴田勝家が小田原からの帰路で謀反。
1583年秋 第一次関ヶ原合戦。勝家勢が信長を追い詰める間際、勝家勢後方に下品な金成瓢箪が現れ勝家勢崩壊。お市に会いたく無い勝家が安土城で自刃。
1584年夏 「三州騒乱」勃発。伊達、上杉を巻き込んだ徳川家康による信長への叛逆。岐阜城攻防戦で家康勢遅滞。
1584年秋 秀吉による近江口への誘引で「第二次関ヶ原合戦」発生。
1585年頃 信長により天下統一完了。日本皇国成立。海外進出が本格化、大陸方面では無く東南アジアや北海道方面へ。
1587年頃 スペイン帝国主力の欧州連合による東洋派遣艦隊を撃破。印度以東の欧州権益取得。信長は南海覇公と呼ばれる。
1620年頃 新大陸で新出雲新界成立。その後スペイン帝国領ヌエバ・エスパーニャ副王領を併合。日本皇国領大和州となる。
1762年 日本皇国大和州派遣軍が大和民国軍に新出雲の戦いで敗れる。これにより大和民国独立が確定。
1813年 プロイセン陸軍参謀本部が九州攻めを参考にした「ライヘンバッハ・プラン」でナポレオンの内線作戦を崩壊寸前にまで追い込む。
1814年 ウィーン会議。ナポレオンは失脚せずフランス帝国も存続。
1848年 大和民国の武力恫喝によってヴァージニアが割譲される。欧州の新大陸領土消失。
1898年 大西戦争によって大和民国はスペインからキューバをはじめとするカリブ海領土を得る。
1937年 「満州戦争」勃発。中華連合共和国が中華民国領満州へ侵攻開始。日本皇国は中華民国との同盟により渋々介入。
1938年 大韓帝国が日本皇国に宣戦布告。大英帝国大艦隊が大和民国領キューバを奇襲攻撃し「大西洋戦争」勃発。
1939年 中華民国が中華連合共和国に降伏。林彪上級大将率いる中華沿海州装甲軍が日本皇国沿海州で攻勢に出る
1940年 日本皇国・大和民国を中心とする「大東洋同盟」が成立。
1941年 大韓帝国が日本皇国と休戦。中華連合共和国に宣戦布告。
1942年 中華連合共和国・大英帝国が大東洋同盟に降伏。大西洋戦争終結。
と思って今晩作ろうと思う
■用意するもの 三人前
フライパン(できれば二つ)
木べら、ボウルのようなもの
卵5個
玉ねぎ1個
米酢
■調理
ちょい焦げるぐらいがベター
③炒めた玉ねぎをボウルに入れ、中華スープ一本と卵5個を入れて混ぜる
④ボウルの中身をフライパンで焼く、焼いてる間はあまり触らない、オムライスのビジュアルを意識する
⑥タレをつくる ケチャップをマグカップの底ぐらいフライパンに出してしばらく(オレンジ色になるぐらい)炒める
⑦ケチャップにケチャップ同量の酢と水を入れる 粘度はある程度さらさらになるまで水で調整 舐めてくどくなければok 片栗粉でとろみをつける
⑧⑤の上に⑦をかける
結論から言うと、東軍が勝ったパンティーラインに住んでる人かわいそう。
パンティー川家康は関ケ原でパンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。
その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋が白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼が白パンティーを履く。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易でパンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金を徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフやトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で縫製労働者や下着難民の代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想がパンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想はパンティーと大して関係がないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由にパンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育をきっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティー連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティー戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティー列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域の代表者からなる元パンティー院、PANTY議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、パンティー地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアのヌーディストとノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジア・インド・中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合、全裸連合、ノーパン連合、紐パン連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。