はてなキーワード: ホワイト企業とは
弊社は所謂大企業で、自分が在籍している支社には70人くらいが働いている。そのうち、25人くらいしか仕事をしていない。にもかかわらず本社を除く全国の支社内で1,2位を争うほど売り上げがある。仕事をしない45人は25人に食わせてもらっている状態。ただの家畜みたいな社畜。
働いているのは数少ない20代、30代の社員と管理職のみ。過半数を占める50代の平社員はガチで何もしていない。ちなみに給料は平均より上で、残業代も賞与も出るし(そもそも残業も少なめ)休暇も基本的には好きに取れるのでホワイト企業。ただ、働く環境は良いとはいえないし、老人に邪魔ばかりされるので若手はどんどん辞めていく。現に従業員の満足度調査は年配社員ほど満足度が高く、若手ほど低かった。
ただ会社にいるだけの、まさに家畜ともいえる社畜の首を切るとどれだけ純利益が出るんだろうと思うし、逆に仕事をしない人を何十年も雇い続けられる余裕がどうしてあるんだろうと思う。
私の場合は、一緒に働いていた育児中社員を支えるのに疲れたというよりは、会社のワーママに対する配慮が過剰すぎて不公平だったことだけど。
総合職である以上、何でもどこでも仕事します!という前提でお給料をもらうもんだと思っていたけど、会社はワーママになった途端、転勤有無も異動先の部署も配慮するのな。
ワーママになった途端、あら不思議全国転勤の職種じゃなくなるのよ。
偶然じゃない?適材適所!と思いたかったけど、明らかに待遇が違うんだよ。
私は激務部署への異動も望んでいない転勤も会社に言われるがままやってきたけど、給料はワーママと変わらない。
ワーママになった途端超絶ホワイト企業化する会社って結構あるんじゃないか。
社外に「育児中でも働きやすい会社だよ!」ってアピールしたいのは分かるけど、その裏には支えてる人がいるってことを忘れずに。
結局横並び評価の年功序列JTCはたくさん働いた人に報いる仕組みになってないんだよ。
これはワーママだけじゃなく、「同じ職種なはずなのになんか異動の配慮がめちゃくちゃされている人」っているじゃん。
当時転職のきっかけになった一方で、転職後育児を始めた立場からすると、「会社が勝手に配慮してくれるだけだから育児中の立場を上手く利用して細く長く働けばいいや〜w」みたいな気持ちもまぁ分かるけどね。
でもワーママの異動がかなり配慮されている裏で、「会社が配慮すべきと決めた事情がない人」はすごく不満を持っていると思うと、そんな職場働き辛いよ。
今の仕事は「仕事した分だけ、勉強した分だけ給料が上がる」からまぁ厳しいといえば厳しいけど、公平だと思うし、実は将来の自分のためになっている感はある。
5月末に退去。一人暮らしは3年間しか続かなかった。戻る理由はいくつかある。
2. そろそろ一人暮らしを終えようと思っていた。
3. 父が怪我をし、何かしらの介助を受けると生活が楽になるような状態になった。
4. 父の怪我によって父が行っている事業の継続が徐々に厳しくなるので安易な考えだが継ごうと思った。
1は誰でもわかるように無職になり、就職活動をする必要が生まれた。勤めていた会社はブラックと呼ばれるほどではないが、ネット上で散見されるホワイト企業と比べるといくつか厳しいところではあった。スキルはあるかないかで言えばあるけど、自慢するほどではないので就職活動が困難を極めるのはわかっている。一人暮らしは3年だが、勤めたのは8年で、通勤時間1時間の実家で貯金をし、そのお金で一人暮らしを始めた。
2はなんとなく実家を離れて一人暮らしをしたいという目標を達成し、結婚願望もないのでこのまま続けるのか実家に戻るのか悩んでいたところ、3と4が発生したので安易な選択として一人暮らしをやめることにした。
一人暮らしを始めたときより実家暮らしに戻るときのほうがいろいろと書類が面倒だなって思った。一人暮らしを満喫していたり、親と不仲で帰りたくなかったり、地元にいい思い出がない人は今の家に満足していたら住み続けたほうがいいと思う。
年齢は30以上35未満、決断するなら最後かなと思った。就職活動を続けて都会での暮らしを謳歌するものいいけど、私自身は昔から親が亡くなる時は電話じゃなくて自分で知りたいと思っていた。幸い、弟が立派に結婚して父親から見て孫も生まれているので、将来の日本は弟に任せたと言っている。
実家に戻るってネット上では一人暮らしが出来なかった軟弱者というマイナスな印象が強いし、自分でもそうだとは思うけど、自分がその決断をしたんだったら胸を張って実家に戻ることを誇るべきだと思う。他人がどう思われようと親が認めたら他人が口をだすことではないし、他人のことなど無視すればいい。
実家に帰ったらあんまりこういった場所に顔を出さないと思う。だから最後にこういった文章を書いて、実家に戻ること自体は悪い選択ではないことを困ってる人に知らせたかった。
じゃあ、みんな元気で。
卒業後は違う都道府県住みだけどコロナ禍前は年に3~4回会って遊んでたし、Twitterでは頻繁に絡んでた。
オタ趣味だけでなく食や服の好みも合う子で、違う業種だったけど仕事の話もいつも盛り上がり毎回楽しく遊んでた。
Aはコロナ流行2年目にいきなり無職になった。理由は「会社勤めが嫌になった」から、らしい。
話聞く限り私から見たらホワイト企業だったのでそんな理由で辞めるのがまず理解できない。
ブラック気味の職場で毎日残業生活な私はこの時点で彼女にこっちから連絡取るのをやめた。
無職になったAは生活をTwitterで呟いてたけどそれがもうなんでこんなんと仲良くしてたんだろうってののオンパレードなので羅列する。
・精神科に通っているが病名がつかない
・ほしい物リストの主張がすごい
・自殺教唆→みんな優しくしてくれてありがとうを月イチペースで開催
・短時間のアルバイトから社会復帰してみよう、とかそういう動きは全くない
毎日ツイ見ててイラついてて、ミュートなりなんなりすればいいだけの話だけど、仲良くしてた頃こんな子じゃなかった…って気持ちがあるので切るにきれない。
私の方が社会不安障害の病名持ちで無理やり社会人やってきたので、普通にコミュ力あって友達多いAがこうなったのが本当に謎。
いきなり無職になった娘に小遣いやってる親御さんも片親団地暮らしで育った私には理解できない。
彼女と会う事も連絡取る事も今度ない予定だけど、これからAがどうなるか観察する気持ちで呟き見てる部分もある。超絶性格悪い話だけど。
アホか?病気か?と思われるだろうが、ガチでそんな気がしてならない。
俺中心に回ってるというか世界情勢が俺の気分に連動してる。
・コロナ以前
ずっとそこそこ楽しかった。まあ不満もどうしようもないこともあったけど、生きるのしんどいなーと思うほどでもなかった。
これは生かさず殺さずな世界と連動してたと思う。
大学卒業後就職した会社がクソブラックだった。ホワイト企業で有名だし社長や上司が人格者だと思われてたけどパワハラ祭りだった。3年目で辞めた。忙しすぎて同時期に彼女との関係も悪くなり別れた。
もう誰にも会いたくない、あの会社潰れろと思ってたらコロナがきた。
会社の業績はコロナ禍でめちゃくちゃ悪くなり、俺に辛く当たってた上司は会社から追い出されてた。
ただこの頃から自分の性格が悪くなったように感じた。↑のような不謹慎なこと考えてたのと人とあまり関わらなくなったからだと思う。
俺の性格の悪さがやばいことになり、(リアルではやらないが)人に対して悪い感情ばかり持つようになった時、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。そして日本の政治や経済がオワコンすぎて将来が危ぶまれるようになった。
変な事件が起こるようになったり社会の分断が進んだのも、俺が攻撃的な性格になったり人の粗探しばかりするようになってしまったからだと思う。
でも当たり前なんかないんだ、平凡な毎日はかけがえのない素晴らしいものなんだと思わされた。
そして、俺は未だかつてないほど人生を良くしようという気持ちが高まってる。
人を大切にしようと心掛け行動したり親孝行したり地域ボランティアに参加したり資格勉強したりしてる。人と助け合って一緒に幸せになるために生きていきたいと考えている。
別の増田で、俺の周囲では育休を上限いっぱいで取るのが当たり前みたいなホワイト企業に勤務している。
有休が持ち越せない分は消える直前に消化している人が多く、有休がリフレッシュされる時期の社内は閑古鳥が鳴いている。
ほとんどの人がその時期にまとまって休むから誰も気にしないって感じだな。
入社したころ、「そんなのどうやってみんな仕事回しているんですか?!信じられないです」的なことを言ったら、
「増田さんもすぐにそういうのになれますよ」と言われたのは今でも覚えているが、確かに慣れた。
ちなみに、傷病休暇も普通に取れるので、JTCのように入院すると有休がなくなるみたいなことはないな。
それが当たり前になったら、まあ、それが当たり前ってことで人々が仕事を回すからそれはそれで問題なくなる。
事前に引継ぎの書みたいなことを書いて、無給休暇も含めて長期旅行に行った人もいたな。
今年はホワイト企業に転職して時間に余裕あるし副業っていう奴を頑張るぞー、って意気込んではみたものの、
案件検索サイトとかで「平日夜・土日のみ」とかで検索すると言語とか単価とか関係なくヒット数0件になっちゃうんだよね
働きたい意欲とバイタリティはあると思うんだけど、
やっぱ調整とかMTGは普通の正社員の人と営業時間内で調整する必要があるわけで、
こっちも正社員やりつつの副業っていうのはなかなかきつい感じあるなー
特にアジャイル開発とだったらメンバーとの関係構築が大事になってくるしね
この感じだったら多少安くてもいいからって気分になってんだけど、なんとかならんもんかな
お正月、家族連れをたくさん見たからでしょうか。めちゃくちゃ久しぶりに親の夢を見ました。
夢の中の私は親と妹と、とても仲良く正月を過ごしていました。目覚めて、「あ、夢だったのか」と思った時、私はまだ親に期待してるんだと気づいて愕然としました。
親は悪い人ではなかったと思います。必要なものは十分に買い与えられていたし、学校も県外の大学まで出してくれました。ただ、小さい頃から私が普通じゃないことを、私の努力不足だとして改善をせまる以外は。
私は小さい頃から一人遊びが好きで、人と上手くコミュニケーションを取れませんでした。
まだ1歳とか2歳の時に、遊びの集団から外れて日向ぼっこを一人でしていたといいますから、多分本当にうまれつきそうだったんでしょうね。
小さいうちはギリギリなんとかなってましたが、小学校高学年から高校くらいまでは本当にぼっちでした。
通信簿には「個性的な子」と書かれ、三者面談では母が担任の先生に「友達とか大丈夫ですか」と聞いて困らせていて、家に帰ると「なぜ友達ができない、作ろうとしないのか」と責められました。
そんなこと言われたって、友達の作り方なんてよく分かりません。学期半ばになって既に出来上がった人間関係に割り込む勇気もありませんでした。
人間関係が辛くなって、不登校になりかかった時もありました。両親はなぜ私が学校に行きたくないのか、と聞くことはなく、無理やり学校に連れて行くので、結局ちゃんと不登校になることも出来ませんでした。
高校生の半ばくらいに、ようやく同じクラスの優等生の真似をするという方法で人間関係を円滑にするということが形だけ出来るようになりました。何をされても笑顔で、人の嫌なことを進んでする。苦痛でした。
両親はそんな私の変化を喜んでいたみたいです。「ようやく情緒が育った」と冗談のように言っていました。
人間関係に問題は多々ありましたが、勉強関係は苦手ではなかったため、県外の大学に進学しました。進学先の大学には、「発達障害で療育を受けている」と公言している人がいました。
その人の言動には、自分と通じるものがありました。「もしかして」と思いつつも、誰にも相談できず、大学を卒業しました。
就活は苦労しました。本当は研究を続けたかったのですが、「妹もいるから学費はこれ以上出せない」と言われていたから、就職するしかありませんでした。
でもやりたいことでもないことに志望動機なんて書けませんでした。志望動機は「お金」以外に何があるのでしょう?そういうところを見抜かれるのでしょう、筆記は何十社も通ったのに、面接は片手の指で数えられるほどしか通りませんでした。
苦労した就活の果てにたどり着いたのは、人を指導する際に恫喝することしか知らない、休みが数週間ないこともあるようなブラック企業でした。
私は1年後に病んで、ブラック企業を退職しました。正確には、休職願いを出した後、それを知った両親が「向こうの会社さんも迷惑だろうから」と退職するように何度も言ってきたのに折れた形です。
すぐに働けないのが分かってるから、ぎりぎりまで休業手当を貰いたい、休業手当は会社が出すものではないから向こうの会社は財布も痛まない、主張しまししたが、親は「迷惑」の一転ばり。戦う気力もありませんでした。
ブラック企業への退職届は手渡しするように指定されたため、父親に連れられてブラック企業に行きました。ブラック企業でのつらい記憶がよみがえり、帰り道に泣いた私に対し、父は「道端でそんなに泣くな、みっともない」と言いました。
実家は居心地が悪く、結局すぐに転職活動を理由に家を出ました。
そのあと職業訓練を受けて、面接を何個か受けて、ブラックまではいかないけど、グレー寄りの企業に就職しました。休みが少なく、賃金は安いけれど、前の会社に比べると優しい人の多い会社でした。新卒で1年で退職したこと、空白期間があったことが響いて、ホワイト企業への転職は難しかったのです。
グレー企業ではなんとかやっていました。人がすぐ退職するので、クビになることもありませんでした。
ただ休みが少ないのはジワジワ効いていて、数少ない休日はずっと寝て過ごすような日々でした。ネットショッピングやスマホゲームでストレス発散にお金を使うので、数少ない貯金がどんどん減っていきました。
ある年のお正月に実家に帰りました。その時に母に言われた言葉が忘れられません。「妹はあなたの失敗を見てきたからちゃんとしたところに就職した。あなたと妹だったら妹の方がお給料が良い。」
妹は私と違って「学費をこれ以上出せない」といって就職をせかされていなかったじゃないか、妹が就職決まったのは卒業する年の二月で、学校のコネだったじゃないか、とかいろいろ言いたいことはありましたが、確かに今は妹の方がお給料が良いでしょう。黙って苦笑いを浮かべました。
それからも帰省すると、いろいろとありました。もう疲れました。
今はコロナを理由に帰ることをやめました。何も言われないうちはこのままで行こうと思っています。
親には黙ってることがいっぱいできました。
グレー企業は結局やめて、今は派遣社員です。ボーナスは無くなり、年収は低くなりましたが時給は良くなりました。残業もなく、土日祝が休めるので幸せです。派遣仲間には私みたいな感じの人もいるので、あまり問題にされることもありません。
あとメンタルクリニックにも行って、発達障害だと診断を受けて、お薬も飲むようになりました。障害者手帳も取得しました。障碍者手帳の申請書類には「両親の住所」を書く欄がありましたが空白で出しました。ドキドキしましたが何も言われませんでした。
ようやく発達障害だと診断がおりたことで、普通になんかなれないんだ、と改めて感じました。普通にならなきゃ、と思っていたけれど、ようやく肩の荷が降りました。普通にならなくて良い。今すごく幸せです。人生の中で、今が一番楽しいです、間違いなく。
でも全部、一生両親には言いません。墓場まで持って行きます。もしかしたらなんかのはずみで知ってしまう、もしくは知ってしまったかもしれませんが、親にはこちらからは言う気はありません。
私は独身のまま死ぬでしょう。黙っていたら実家のお墓に入れられることになるのでしょうが、実家のお墓には絶対入りたくありません。
ずっと関東の政令指定都市の実家ぐらしで、就職を期に一人暮らし。
実家から2.5時間くらいのコンビニすらない人口2万人未満の小さなアパートに引っ越しました。
私だけの城で私に最適化した生活習慣にしたので、記録しておこうと思う。
・朝顔を洗わない
・化粧もしない。眉だけ書くときはある
・朝ごはんは食べない。菓子パンかウィダーを家から駅までの道で食べるときはある。
・寝間着のまま出勤(ギリギリ外に出れる格好で寝る、という意味でもある。職種は工場のバックオフィスと考えていただければ良くて、出勤したら作業着に着替える。出勤は社バスで、電車には乗らない)
・靴下は全て同じ黒いやつ。なんならちょっとくらい左右違っても気にしない
これで起床後5〜15分で家を出られる。
・陶器の皿は使わず、百均で買ったプラスチックのどんぶりか、汁物でないときは紙皿。
・カット済み葉物野菜か冷凍野菜を使う。根菜などを数日に分けて使おうとすると腐らすと分かったので。
・飲み物は基本的に水。紙パックのジュースを買うとゴミ捨てが面倒くさいと分かったので。たまにジュースやコーヒーやスープを飲むときは紙コップ。
・風呂は2日に1回
・風呂場に着替えを持ち込んで風呂場で着替える。洗面所が寒いので。
・水道代やガス代や電気代がもったいないなどを気にせずに、寒ければ暖房は一日中つけっぱなしだし、シャワー浴びる前にシャワーを1分くらい流しっぱなしにする。
・電気をつけっぱなしで寝る。朝起きられないので。
・トイレットペーパーは5倍巻きに。
まあこんなもんかな。
(追記)
意外と伸びていてビビった。年の瀬にこんな限界ズボラ女の生活を見せてしまってすみませんね。
うすうす感じていましたが、あらためて言語化してコメントをいただいて、やだ、私ってズボラすぎ…!と理解しました。
●感想
・私は不潔耐性と貧相な食事耐性はあるのかな、と思っています。親には私がこんな生活をしているなんて申し訳なくて言えません。
・ズボラを極めて浮いた時間で何をしているのかと言われると、寝るかぼーっとするかゲームするかくらいにしか当てていないですね…恥ずかしい…
・今は超絶ホワイト企業なので全然残業もなく、遅くたって19時すぎには家に帰れます。
・学生時代は研究室の拘束時間が比較的長く(帰宅は23:30-25:00)、一時期は3日に1回くらいしか家に帰らず、風呂も3日に1回、食事も毎日レトルトカレー、みたいな生活を送っていて、その時期の名残もあります。
・卒業前半年弱くらい、教授との関係が悪化して心を病んでいて、身だしなみや健康に気を配れなかった名残でもあります。入社後4~9月くらいまでは、毎日のように教授との日々を思い出しては泣いていました。辛うじて出勤していましたが、退勤後は毎日ベットでパチンコのようにどうでもいいサイトを読みながらうずくまっていました。最近ようやっと元気になってきました。今日様々な方にツッコミをいただいたので、少しだけ丁寧な人間らしく生活習慣を改善しようかな、と思えました。皆様ありがとうございます…
●清潔系
・目ヤニだけ洗ってとるときはあります。ついでに水洗いするときはあります。朝の洗顔の習慣は取り戻したいです。
・「日焼け止めだけはつけろ」との助言をいただいたので、サンカットなら頑張ればできそうなので時間があるときはやってもいいかなと思います。それか夜のうちに24 hいけるやつをつけておくかですね。そっちのほうができそうかな。
・風呂に入らなかった日はドライシャンプー(吹き付けてさっぱりするやつ)はしています。
・「どうせ出勤の10分だけですぐに作業着に着替えるのに、その間ほぼ人とも会わないのに、なぜわざわざ別の服に着替えねばならない?」と思って寝間着と出勤着を一緒にしました。そのためたまに更衣室で人と隣になるとちょっと気まずいです。
●食事系
・昼食は社食(おいしくて栄養満点)です。昼食が毎日バラエティ豊かな美味しいメニューなので、夜はほぼ同じメニューの適当でいいかな、と思っているのもあります。
・うどんについては、節約したい訳ではなく、献立を考えたくないのと、私がとにかくうどんが大好きなので毎日のようにうどんです。めんつゆは3倍濃縮の2リットルを3か月で1本のペースで消費しています。栄養は一応考えて、野菜と肉は適当に突っ込んでいます。最近はカット白菜です。ビタミン剤とビオフェルミンは一応毎日飲んでいます。
・うどんは太ります。意外と糖分多いですからね。学生時代と比較して6キロくらいは太りましたね。痩せたいなと思いつつ、でもこの食生活が好きでやめられません。
・同じ部署の同期も食には手を抜いていて、毎日卵かけご飯(卵をかけた方が栄養を取っている気がするとのこと)と業務用冷凍食品(唐揚げとかシュウマイとか)で、それかいっそ食べない、と言っていたので、食事に手を抜く人なんてこんなもんだよな、と思っています。同期からはトマトはそのまま食べられて野菜取っている気になるからオススメ、と言われました。
●その他
・食洗機は本当に欲しいのですが、スペースがないので買えません。食洗機を手に入れるまで陶器の皿は使わないと決めています。皿洗いの時に左手が重いのが嫌なんですよ。プラスチックの皿も本当は洗いたくないですね。
・スイッチボットは買いました。これで電気を消して寝られます。ありがとうございます。
・この規模の都市にワンルームは無いは本当にそうで、でもまあ探せばあるもその通りで、ワンルーム・1Kだと3軒とかしか選択肢が無い中選びました。しかも2DKと家賃が1万くらいしか変わらないんですよね。
・コンビニが無い、は駅前や私の生活圏内には無いという意味で、国道沿いに出ればコンビニはあります。車持っていないので行かないけど。言い方が悪かったです、すみません。来年度は車買いたいですね。
新卒で採用した社員が5年で半数以下に減った。ずっと一部上場(古い言い方か?)で、100年以上の歴史があって規模も事業内容も悪くない会社なのだが。辞めることが判明した段階で人事部に話が飛ぶので、慌てた人事部と面談が組まれるわけだがその段階ではもう内定承諾書にサインしているわけで止める手立てはない。
給与も悪くないがあくまで「悪くない」だけ((大卒5年目で500万ちょっとだが家賃補助は7割))。残業が殆どなくかなりホワイト企業だと思うのだが、それでも高給や活躍できる場所を求めて彼らは辞めていく。だいたいがさらなる有名企業へと渡っていき、残されたのは大人しくで従順な若手ばかりだ。刺激に欠けるホワイト企業はもう求められておらず、刺激の大きなベンチャーか、高給でそこそこ激務なキラキラした仕事なのだろう。長きに渡って日本のインフラを支えてきた当社だが、いよいよ今後が危うい。人事部は、もうどうすればいいのか分からない。