2023-01-07

墓場まで持っていきます

フェイクありノンフィクションです。

正月家族連れをたくさん見たからでしょうか。めちゃくちゃ久しぶりに親の夢を見ました。

夢の中の私は親と妹と、とても仲良く正月を過ごしていました。目覚めて、「あ、夢だったのか」と思った時、私はまだ親に期待してるんだと気づいて愕然しました。

親は悪い人ではなかったと思います必要ものは十分に買い与えられていたし、学校も県外の大学まで出してくれました。ただ、小さい頃から私が普通じゃないことを、私の努力不足だとして改善をせまる以外は。

私は小さい頃から一人遊びが好きで、人と上手くコミュニケーションを取れませんでした。

まだ1歳とか2歳の時に、遊びの集団から外れて日向ぼっこを一人でしていたといいますから、多分本当にうまれつきそうだったんでしょうね。

小さいうちはギリギリなんとかなってましたが、小学校高学年から高校くらいまでは本当にぼっちでした。

通信簿には「個性的な子」と書かれ、三者面談では母が担任先生に「友達とか大丈夫ですか」と聞いて困らせていて、家に帰ると「なぜ友達ができない、作ろうとしないのか」と責められました。

そんなこと言われたって、友達の作り方なんてよく分かりません。学期半ばになって既に出来上がった人間関係に割り込む勇気もありませんでした。

人間関係が辛くなって、不登校になりかかった時もありました。両親はなぜ私が学校行きたくないのか、と聞くことはなく、無理やり学校に連れて行くので、結局ちゃん不登校になることも出来ませんでした。

高校生の半ばくらいに、ようやく同じクラス優等生の真似をするという方法人間関係を円滑にするということが形だけ出来るようになりました。何をされても笑顔で、人の嫌なことを進んでする。苦痛でした。

両親はそんな私の変化を喜んでいたみたいです。「ようやく情緒が育った」と冗談のように言っていました。

人間関係問題は多々ありましたが、勉強関係は苦手ではなかったため、県外の大学に進学しました。進学先の大学には、「発達障害療育を受けている」と公言している人がいました。

その人の言動には、自分と通じるものがありました。「もしかして」と思いつつも、誰にも相談できず、大学卒業しました。

就活は苦労しました。本当は研究を続けたかったのですが、「妹もいるか学費はこれ以上出せない」と言われていたから、就職するしかありませんでした。

でもやりたいことでもないことに志望動機なんて書けませんでした。志望動機は「お金」以外に何があるのでしょう?そういうところを見抜かれるのでしょう、筆記は何十社も通ったのに、面接は片手の指で数えられるほどしか通りませんでした。

苦労した就活の果てにたどり着いたのは、人を指導する際に恫喝することしか知らない、休みが数週間ないこともあるようなブラック企業でした。

私は1年後に病んで、ブラック企業退職しました。正確には、休職願いを出した後、それを知った両親が「向こうの会社さんも迷惑だろうから」と退職するように何度も言ってきたのに折れた形です。

すぐに働けないのが分かってるから、ぎりぎりまで休業手当を貰いたい、休業手当は会社が出すものではないから向こうの会社は財布も痛まない、主張しまししたが、親は「迷惑」の一転ばり。戦う気力もありませんでした。

ブラック企業への退職届は手渡しするように指定されたため、父親に連れられてブラック企業に行きました。ブラック企業でのつらい記憶がよみがえり、帰り道に泣いた私に対し、父は「道端でそんなに泣くな、みっともない」と言いました。

実家は居心地が悪く、結局すぐに転職活動理由に家を出ました。

そのあと職業訓練を受けて、面接を何個か受けて、ブラックまではいかないけど、グレー寄りの企業就職しました。休みが少なく、賃金は安いけれど、前の会社に比べると優しい人の多い会社でした。新卒で1年で退職したこと空白期間があったことが響いて、ホワイト企業への転職は難しかったのです。

グレー企業ではなんとかやっていました。人がすぐ退職するので、クビになることもありませんでした。

ただ休みが少ないのはジワジワ効いていて、数少ない休日はずっと寝て過ごすような日々でした。ネットショッピングスマホゲームストレス発散にお金を使うので、数少ない貯金がどんどん減っていきました。

ある年のお正月実家に帰りました。その時に母に言われた言葉が忘れられません。「妹はあなたの失敗を見てきたかちゃんとしたところに就職した。あなたと妹だったら妹の方がお給料が良い。」

妹は私と違って「学費をこれ以上出せない」といって就職をせかされていなかったじゃないか、妹が就職決まったのは卒業する年の二月で、学校コネだったじゃないか、とかいろいろ言いたいことはありましたが、確かに今は妹の方がお給料が良いでしょう。黙って苦笑いを浮かべました。

それから帰省すると、いろいろとありました。もう疲れました。

今はコロナ理由に帰ることをやめました。何も言われないうちはこのままで行こうと思っています

親には黙ってることがいっぱいできました。

グレー企業は結局やめて、今は派遣社員です。ボーナスは無くなり、年収は低くなりましたが時給は良くなりました。残業もなく、土日祝が休めるので幸せです。派遣仲間には私みたいな感じの人もいるので、あまり問題にされることもありません。

あとメンタルクリニックにも行って、発達障害だと診断を受けて、お薬も飲むようになりました。障害者手帳も取得しました。障碍者手帳申請書類には「両親の住所」を書く欄がありましたが空白で出しました。ドキドしましたが何も言われませんでした。

ようやく発達障害だと診断がおりたことで、普通になんかなれないんだ、と改めて感じました。普通にならなきゃ、と思っていたけれど、ようやく肩の荷が降りました。普通にならなくて良い。今すごく幸せです。人生の中で、今が一番楽しいです、間違いなく。

でも全部、一生両親には言いません。墓場まで持って行きます。もしかしたらなんかのはずみで知ってしまう、もしくは知ってしまたかもしれませんが、親にはこちからは言う気はありません。

墓場まで持って行きます

私は独身のまま死ぬでしょう。黙っていたら実家のお墓に入れられることになるのでしょうが実家のお墓には絶対入りたくありません。

少しでも貯金をためて、自分のお墓を買って、そこに入るのが私のささやかな夢です。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん