はてなキーワード: キレイとは
20年くらい名古屋で働いてるけど、1回だけ「おじさんぽ」のロケをしてる
N水さんを見かけて、それは超絶ラッキーだったと思う。
20年で1度だけです。
某人気女性アナウンサーさんと女優さんが、普通に2人で居てびっくりした。
ちなみに、私は友人に言われるまで気づかなかった。
年初から決めていたことがある。平成最後の日である4/30にこの世から去りたい。
平成に生まれ、育ち、学校行って、就職して、結婚して、転職して、離婚して、一通り人生で体験することもう全部終わった。
次の元号になったら生まれ変わるんじゃないかと希望を持ってたときもあったけど、それは自分じゃない人が愉しめばいいとも思えてくる。
令和の令には「物事のつやがあるように美しい」という意味があるらしいけど、そんなにキレイじゃないので時代に合わない。
ばいばい。
でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。
誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。
私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、本気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。
中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。
そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。
自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。
機材なんて、一番思い出のつまるものだろう。
売られた機材たちの寂しそうな顔が悲しくて、せめて誰かの目に留まりやすいようにと、私はDTM機材コーナーの整理整頓は丁寧にやっていた。
お喋りなおじさんで、レジをしていた私に「家に色ちがいのER-1がいて、その子の友達にする」と話してくれた。
このEA-1は元の持ち主にいらないと言われて売られたのに、この日、色ちがいのER-1と名前をつけてくれる素敵なおじさんに出会えた。なんて素晴らしいだろう。映画みたいだ。
EA-1に名前をつけるような優しく面白いおじさんに育ててくれた親にも、なぜか感謝してしまった。
ほかにも、私が持っているCS1xと同じものが売られて店頭に出ていた時期があった。
私のは私の家で幸せに暮らしているのに、どうしてこの子はこんな目に……と思って悲しくて心のなかで泣いていた。
でもそのCS1xにも、新しい人生がやって来た。この間、おじさんに買われていったのだ。
レジをしながらCS1xに向かって「おまえ!!! 幸せになるんだぞ……!!!!!!!」と心のなかで祝福をした。
シンセだけじゃない。サンプラーのコーナーを整理していて、誰からも忘れられたように奥に追いやられていた小さなSU10が出てきた。
かわいそうに、と思って一番目立つところに置いておいた。
SU10はその日に売れた。
驚いた。しかも目立つところに置いてから30分くらいで売れたと思う。早すぎた。
SU10がこの世から忘れられていた時間からすれば、秒での出世だと思う。
私がその日、サンプラーのコーナーを整理しなければ、おじさんとも出会うこともなく、SU10は廃棄の運命だったかもしれない。なんだか恋のキューピットになった気分だった。
捨てられた機材たちが第二の人生を歩める姿を見届けられるというのは、単純に嬉しいと思う。
次に来たときに買おうと思っていても、残ってるとは限らない。
お客様に、昨日はあったのになぜ今日はないんだ! と言われたことがある。単純に売れた。誰かおじさんが買ったんだ。
それくらい早く、一瞬のタイミングがズレるともう二度と出会えない、そんな場所なんだ。
私は最近、機材と人が出会えた一瞬のタイミングが素敵だな、と思うようにもなってきた。
嫌いだったリサイクルショップでこんなこと思うなんて自分でもビックリしてる。
そんな中古嫌いの私もついに、自分のリサイクルショップで長い間忘れられていたQ-80EXを買ってしまった。
誰かに買ってもらいたくて、結構目立つところに置き続けていたけど、このQ-80EXは運命の人に出会えなかったらしい。
どうも。おじさんです。
最初はてなブログに書いてたんだけどツイッターとかないし読まれにくそうだったからここに書くよ。
おじさんはけもフレ自体はアプリはやってなくて1が好きだったおじさんだよ。
あえて言うなら「雑」の一言に尽きるよ。
そんな2期の話は一瞬で終わってしまうおじさんが今回なんでこんなブログ始めたかというとね。
今のけもフレの界隈に失望とさみしさの混じった気持ちを感じてるからなんだ。
そんなおじさんの話はどうでもいいよって人はもう帰ってもらっても大丈夫だよ。
おじさんの気持ち?まぁ試しに聞いてやってもいいぜって優しい人はそのままページを下にすすめてくれるとうれしいね。
それでね、おじさんがまず何を思ってるかというとね。
公式に対する暴言リプと、それを許容してしまってるほどのユーザー全体の悪意についてだよ。
「いや、あんな公式なんだからあれくらい叩かれてちょうどいいだろ」
「むしろ早く潰れてくれ」
たぶん暴言リプしてなくても、このくらいのこと思ってる人、いっぱいいるよね。
あんな1期に対する悪意じみたアニメ作ってるんだから、これくらいの仕打ちはされて当然だって。思う人もいると思うんだ。
でもさ、ああいう暴言を「当然」って思っちゃう界隈って、他所から見たら、どうかな。
怖いよね。
いくらそれに正当性を持ち出されたとしても、印象としては「うわなんかキレちらかしてて怖い……ちかよらんとこ」ってなるよね。
けもフレは終わったんだよ。って思う人もいるかもしれないけどさ。
僕たちが好きだったけもフレは、例え二次創作の中だとしても、あるじゃない。
たつき監督が示してくれたやさしさを、後から知る人のためにもその入り口はキレイにしておきたくないかい。
以前のけもフレの界隈の空気だったら、例え2期でひどいものを見せられたとしても、暴言に対する注意喚起っていうのはもっと広く行われていたと思うんだ。
じゃぱりさん、っていうけもフレの考察動画を投稿している人がいるね。
たぶんこの記事を読みに来てくれるような人は知ってると思うけど。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34681332
この人のことだね。
この人も動画内では「公式へのリプ欄とかで騒ぐのはやめようね」って言ってるね。
こういうね、冷静に物事を見たり、判断したりする人は以前のけもフレではちらちらと、特にそういうものを漁ってないおじさんでも目に付くくらい活動が見えていたんだ。たつき降板で荒れたときとかね。冷静な電話凸とか署名活動とか、あったと思うんだ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31994753
9.25けもフレ事件のタグで動画を昔の方を漁れば、その手の注意喚起や呼びかけの動画も普通にあると思う。
今はどうかな。
あんな作品は潰れて当然だって言葉、空気、悪意。そしてそれを黙って見ているだけの人たち。
なんというかね。おじさんは、別に「それをするな」って言いたいというよりね。
ただ悲しくなったんだよね。
ああ。もう、優しく注意をしてくれる人ってのはけもフレ2が始まるころには離れていっちゃったのかなって。
これをね、読んでくれた人へ。
そしてね、もしもその気が少しでも湧いたら、身近に、公式への暴言してるような人がいたら。
暴言をやめろとまではいわないでもね、公式じゃなくて別のところに当たったほうがいいんじゃないかな、とか。
そんなことするくらいならKADOKAWAやテレ東自体に電話とかして抗議するとか。そういう署名を募るとか。僕らができることってもっといい方法があるんじゃないかなって。
(実際、けもフレ2のせいで1期すら見れなくなってる精神的に傷つけられた人も何人か見えてるしそういう人たちで訴えることできちゃうんじゃない?)
そういう説得をできたらそれが一番いいけど。
心に留めてもらえるだけでもうれしいから気にしないでね。
そもそもおじさんだってこういうのはいっちょ前に作ったくせにそういう運動してないからね。「お前やってねぇじゃねぇか!」「それくらい言うなら自分でやれ!」って言われちゃうと反論できないからさ。
おじさん、もうけもフレに疲れちゃったんだよね。
空気もそうだし。もうたつきのけもフレも見れないだろうって諦めちゃってるし。
だから、こういう思いをみんなに言葉として伝えるくらいしか、できないんだ。
おじさんのけもフレに対する思いはもう薄れてしまってるけれど。
「けもフレ」に対する優しさを忘れないでくれ。
どうか終わらせないでくれ。
君たちがおしまいだって投げちゃったら本当に終わっちゃうんだよ。
僕たちの怒りの声を、ただの罵詈雑言で終わらせないでくれ。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
けもフレ2のせいで心の歪んでしまったみんなの気持ちがどこかで癒されますように。
それではどうか、お元気で。
でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。
誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。
私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、本気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。
中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。
そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。
自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。
売られたぬいぐるみたちの寂しそうな顔が悲しくて、せめて誰かの目に留まりやすいようにと、私はぬいぐるみコーナーの整理整頓は丁寧にやっていた。
そんなある日、男の子がゴリラのぬいぐるみを持ってレジに来た。
お喋りな子で、レジをしていた私に「家に色ちがいの同じゴリラがいて、その子の友達にする」と話してくれた。
このゴリラは元の持ち主にいらないと言われて売られたのに、この日、色ちがいの友達ゴリラと名前をつけてくれる素敵な男の子に出会えた。なんて素晴らしいだろう。映画みたいだ。
ぬいぐるみに名前をつけるような優しく面白い男の子に育ててくれた親にも、なぜか感謝してしまった。
ほかにも、私が持っているアザラシのぬいぐるみと同じものが売られて店頭に出ていた時期があった。
私のアザラシは私の家で幸せに暮らしているのに、どうしてこの子はこんな目に……と思って悲しくて心のなかで泣いていた。
でもそのアザラシにも、新しい人生がやって来た。この間、小さな女の子に買われていったのだ。
レジをしながらアザラシに向かって「おまえ!!! 幸せになるんだぞ……!!!!!!!」と心のなかで祝福をした。
ぬいぐるみだけじゃない。カバンのコーナーを整理していて、誰からも忘れられたように奥に追いやられていた小さなビーズのポシェットが出てきた。
かわいそうに、と思って一番目立つところに置いておいた。
ポシェットはその日に売れた。
驚いた。しかも目立つところに置いてから30分くらいで売れたと思う。早すぎた。
ポシェットがこの世から忘れられていた時間からすれば、秒での出世だと思う。
私がその日、カバンのコーナーを整理しなければ、お客さんとも出会うこともなく、ビーズのポシェットは廃棄の運命だったかもしれない。なんだか恋のキューピットになった気分だった。
捨てられた物たちが第二の人生を歩める姿を見届けられるというのは、単純に嬉しいと思う。
次に来たときに買おうと思っていても、残ってるとは限らない。
お客様に、昨日はあったのになぜ今日はないんだ! と言われたことがある。単純に売れた。誰かが買ったんだ。
それくらい早く、一瞬のタイミングがズレるともう二度と出会えない、そんな場所なんだ。
私は最近、物と人が出会えた一瞬のタイミングが素敵だな、と思うようにもなってきた。
嫌いだったリサイクルショップでこんなこと思うなんて自分でもビックリしてる。
そんな中古嫌いの私もついに、自分のリサイクルショップで長い間忘れられていたリスのぬいぐるみを買ってしまった。
誰かに買ってもらいたくて、結構目立つところに置き続けていたけど、このリスは運命の人に出会えなかったらしい。
今となっては結果論だけど、仮に仮を重ねたとき、2期の出来が良かったとしてそれは評価されたのかなあ。
それはそれでとにかく粗探しして見つけ次第何でもかんでも叩いてたと思うんだけど。
「たつきの作るけものフレンズが見てえ」はまだ分かるし自分もずっとそう思ってるけど、T監督大勝利!角川ザマァ!とか監督死ねまで行くとコンテンツとかこれまでの経緯をオカズにして気持ちよくなりたいとか、RTが貰えて気持ちいいとか、悲劇のヒロインを気取ったような発言見えてくるとそれはちょっとズレすぎなんじゃない?って。
見たうえでの評価ってのもあるとは思うんだけど、それにしては最終話の再生数50万くらい?がそれまでのペースに比較して多すぎるのはもう前提として「叩くために見てた」と言われてもおかしくなさそうだけど。
2自体がこれまでの経緯からマイナススタートの評価なのは仕方ないとして、作品の出来次第でそれがプラスかあるいはゼロに転じる可能性があったのかは2を叩いている人たちに聞いてみたいなあ。9.25まで中心にいたたつき監督の一切の存在が消されたままだとして。
2見てないから分からないけど、ここまで言われてるなら相当の出来なんだとは思う。
あの〇〇さんもキレた!(呪詛落ち?)とか言われても「誰だよ」ってしかならないけどなあ。例えば自分の母ちゃんがキレてたとしても私もそう思います!って微塵も思わないし。
私はこんなに傷ついています論調をツイートなりメモ帳スクショなり公式へのリプライなり、文字だけ動画で振りかざすのはいいんだけど、それが傍から見てどう見えるかってのにあまり興味がなさそうに見える。
同調してほしい、賛同が欲しければ必要なのはお気持ち表明でなく、まとめサイトやらWikiじゃない?界隈の人種見てるとアフィリエイトとか貼ってありそうだから絶対見に行かないけど。
被害者面で制作陣や批判への批判を総叩きにするにしても、上澄みのキレイな聞こえのいい分だけを掬い取った虫のいいハンマーで殴ってるように見えるんだよなあ。
・トドメを刺しに行っているように見える
いっそ2がクソ、9.25もクソ、2叩きの人々が絶対正義だとここは仮定して、彼らのとっている行動
お気持ち表明
アンケートに5を押しにいく
が今後タイトルにとってどういう善をもたらすのか全く想像がつかない。
火の付いた総本山へ油や糞尿を注ぎに注ぎまくって、土を固めた人形に逃避するのが「優しい世界」だと称するならそれはそれで構わんけど...
彼らは一体今後タイトルがどうなったらいいんだろうか。
今後続編や同様の世界設定の話が出たときに、「2の客層が生み出した負債」が尾を引いて更なるマイナススタートにならないといいけどね。
少なくとも、
の人がこれだけ多い(あるいは、そう見える)現状ではこうなんというか、上塗りをしてしまった面はあると思う。
彼らが死んでほしいのはY、K、自分を叩く奴、あるいはタイトルそのもののどれなんだろう。
ってかアンケートってそんなに意味あんのかね。これが俺たちの意思だ!ドヤ!ってやりたいがために押してたように見えるけど。(おめでとう!)
「〇〇〇〇!名監督の送る続編は次々と話題を呼び最終話の配信は視聴者数50万超を記録!」ってならないといいけどね。
・そもそも、なんで「見た」のか
彼らが作品を見限ったとしたら、「黙って」「9.25の時点で」出来なかったのは何故なんだろうと考える。
自分は「たつき監督が作らない限り2以降は見ない、関連作品に金を落とさない」と9.25の時点で決めた。それがたつき監督への敬意であり、パブリッシャーへの意思表明になればいいていたけど、これは頭が固かったのかなあ。
9.25の時点で「たつき監督の作る2期」が絶望的になり、新制作陣が決まり、それでもついていこうと決めたのならその結果に対し後から文句を言いまくるのは少し無責任...という単語は適切でないと思うけど、都合が良すぎるというか。
ぽっと出の新作を見てつまんねえっていう話じゃなく、これまでの不祥事重ね(つっても9.25とオーディション台本と未払いくらいしか知らんけど)の上で、で。
とすれば、それを承知で2と向き合うということは、
A.「叩くために見るから別に出来はどうでもいい」 = けものフレンズというタイトルを見限った
B.「けものフレンズにたつきは必ずしも必要でない」 = たつき監督を見捨てた
のどちらかになると思ってるんだよね。
だから、AかBのどちらかに該当する限り、これらのワードを使う批判意見って「あ、そういうことなんだな」ってお察しムードになってしまうようになってしまいかねないし、少なくとも僕はそう感じる。。
流石に大多数は「たつき監督の作る2期」が理想であるというのは一致すると思う。ただ、理由のいかんにかかわらず2を「見た」からには、何かを見捨てたそれを後出しじゃんけんで振りかざすなよ、と思う。
年度初めからフルパワーで仕事して、くたくたになった。だからスパイスの効いたカレーを食べたくなったんだ。ランチにインドカレー屋さんを見つけて、思わず入った。サラリーマンと暇を持て余した大学生、笑顔のインド人と山盛りのナン、汗を流して食べるカレー。そんなものを期待していた。しかし、それは裏切られた。
間違えて、主婦たちの集会場へ入ってしまったようだった。みなオバサンが2〜6人で連れ立って食事していた。駅のホームでダッシュしたら女性専用車両へ乗り込んでしまったときのような気まずさがある。よく見るとおじさんもいるが、ファミリーか同僚で女性を伴っているぞ。結構盛況みたいで意外だった。一度足を踏み入れたなら仕方がない。毒食らうなら皿まで、カレー食うならナンおかわりまで。
インド人のお兄さんに片言の日本語でメニューを聞かれるのだと思っていた、しかし店員サンは20代後半〜30代と思われる日本人のキレイなお姉さんでした。よく見るとホールの店員さんはみんな女の子だった。なんか気まずい、なんだろうこれ。カレーを食いに来ただけなのに。適当にセットを注文した。カレーが何種類か乗っていて、ライスとナンがセットで、タンドリーチキン込だった。ちょっと欲張りな注文だ。
秒でカレーが運ばれてきた。これは☓☓のカレー、こちらは○○の野菜カレーなどと能書きを説明してくれた。早速食べてみた。
うーん、味が薄い。
カレーというよりスープカレー、ああもともとインドカレーは水分多めだけどスパイスの刺激を圧倒的に欠いていた。なんか、お上品すぎるんだよ。カレーはもっと刺激的であってほしいんだよ。おまけに、スープカレーが冷めてやがる。
ナンが、ふかふかしている。いや、もっとナンはガサガサしてハードな食べごたえのはずだ。コッペパンじゃねえんだぞ。
タンドリーチキンてきなやつをたべた。これつくね、スパイシーのかけらもないつくね。もう一つはかろうじてタンドリーチキン風。しかし、もうこれインド料理である必要あるの??
セットドリンクのチャイが一向こないので、ランチサービスのコーヒーをマグカップいっぱいに注いでがぶ飲みして帰った。
2年ほど前に5ちゃんの日記系スレにも書いた内容だから(全然話題にならなかったけど)なんか読んだことある人は読んだことあるかも。
父親は今で言う社畜で育児の協力は皆無だったし、母親は相当疲れていたと思う。いつもカリカリしてた。
ちょうど2年生になると週一でクラブ活動が始まる。私は手芸部に入った。
確か9月の月曜日の放課後、先生に来週までに必要なものを準備してきてと言われたのを、私はちゃんと聞いていなかった。
帰宅してから母親に「何を準備したらいいの?」と聞かれて「忘れちゃった」と答えた。
「じゃあ明日ちゃんと聞いてきて」と言われたのに、アホアホ小学生だった私は翌日にはキレイさっぱり忘れてしまった。
その日も「忘れちゃった」と言うと、母親が火をつけたように「なんで忘れるんだ。ちゃんと聞いてこいって言ったろ!」と物凄い剣幕で怒ってきた。
服を引っ張られて、背中を押されて、お尻を何度も何度も蹴られた。
今思い返すと、あそこまでやることないよなって思う。でもきっと産後のホルモンの乱れってやつで、プツンと切れちゃったんだろうね。
怖いし痛いしで思わず玄関を飛び出して、とりあえず団地の真ん中にある公園に向かった。
公園には友達やその母親もいて、涙目の私を見て心配してくれたけど「目がかゆいだけ」なんて言って誤魔化した。
徐々に暗くなってきて、みんな帰って行ったけど、私はどうしても帰る気にはなれなかった。
帰ったらまた怒られる。また蹴られるかも。帰りたくない。でも家出する勇気もない。
気付くともう真っ暗になっていた。
公園の真横には、団地の出入口に繋がる大きめの道路がある。私は公園を囲む低めの塀に登って、道路を見下ろす形で縮こまって座っていた。
もう何時になったか分からなくなってきた頃、奥から一台の車が走ってきた。
私の目の前で停まったかと思うと、窓が開いて「何してるの?」と運転席の男の人が話しかけてきた。
父親くらいの年齢の人だった。
「なんでもないです」
と少し警戒しながら答えると
「もう遅いよ。早く帰らないと家の人が心配するよ。」と言って、私が小さく「はい」と答えると、その男の人は窓を閉めて出入口のほうへ車を走らせていった。
緊張が溶けてまた縮こまって座っていると、今度は車が来た同じ方向から、女の人が歩いてきた。
素通りしていくかと思ったら、私の目の前にきて「どうしたの?」と声をかけてきた。
ちゃんと見ると、背中に赤ちゃんをおんぶしている。弟くらいの小さい赤ちゃんだった。
「なんでもないです」
とさっきと同じように答えると
と言われた。
「ママとの約束やぶったから怒られた。帰ってもまた怒られる」と、そんなことを泣きじゃくりながら言ったと思う。
女の人は「家に帰ろう?ママもきっと心配しているよ」と言ってくれたけど
「心配なんかしてない。まだ怒ってる」
と私はなかなか引かなかった。
でも女の人は「ちゃんと謝れば大丈夫だよ。私が玄関の前まで一緒に行くから」と優しく言ってくれた。
私もようやく帰る気になって、女の人と一緒に自分が住んでる棟まで歩いた。
棟の中まで入ると「ここまでで大丈夫?」と言われたので「うん。」と答えた。
「ちゃんと謝れば大丈夫だから、ね」と言って女の人は帰っていった。
私も意を決して自分の家がある2階まで上がろうとしたとき、弟をおんぶした母親が階段を降りてきた。
ここで私の記憶は終わっている。
多分母親に「なんで帰ってこなかったんだ」とものすごく怒られただろうし、ものすごく泣いたと思うけど、ここから先はちゃんと覚えていない。
そして何年もたった今、思うことがある。
あの女の人は、最初に声をかけてきた男の人の奥さんだったのではないかと。
二人とも同じ方向から来たし、暗い中わざわざ赤ちゃんをおんぶして外に出てくるなんてそうそうないと思う。(田舎なので買い物に行く場所も近くになかった)
当時はスマホなんてない。
もしかしたら、男の人は固定電話か公衆電話で女の人に、私の様子を見に行ってくれと頼んだのではないのか。
ただの憶測だけれど。
それから数年後には私達家族は引越したし、この話自体ももう20年以上も前のことなので、どうやっても確認はできない。
あのときおんぶされてた赤ちゃんも、多分弟と同い年なので立派な大人になってるはず。
私も昨年、一児の母になった。
このことを思い出すと、いつかは私も母親のように自分の子供を怒って蹴り倒してしまうのだろうかと不安になるし、もし当時の私のような小さい子を見かけたら、どう対応すればいいのか悩んでしまうと思う。
でも、あのときの夫婦(仮)のように、連帯して助けることができたら良いなと思っている。
届かないと思うけど、あのとき声をかけてくれたお二方、本当に本当にありがとうございました。
https://anond.hatelabo.jp/20190207135140
今20代女なんだけど、中学の頃から端の角栓が目立つようになって、ピンセットとかで抜く生活してたら案の定汚鼻になってました。
大学に入ってからは抜くのは辞めて、角栓対策の洗顔とか化粧水・乳液をしっかりするようになったんだけど一向に良くならず。
一年前くらいに、角栓対策用の商品をすべてやめて、敏感肌用の優しい洗顔や化粧水に変えてからは少し改善されたように感じたけど、
周りと比べるとまだまだ汚い、、、
一番つらかったのは、なんのスキンケアもしていない夫の鼻がめちゃくちゃキレイだったことかな。
顔をまじまじと見られるのが嫌で仕方なかった。
8ヶ月前くらいに、水洗顔に切り替えると一気に毛穴が良くなったとおもう。
でも夫には遥かに及ばない感じ。でもこの頃から夫に「鼻きれいになった?」とか言われるようになって、少しうれしかった。
しばらくこのスキンケアを続けていたんだけど、まだ納得はしてなかった。
今までもなんとなく、化粧水は意味がないみたいな記事を読んだりして気になっていたんだけど、
なかなか辞める勇気が出なくて、、、
でも増田さんはこんな儲けも出ないような場所で本気でアドバイスしてくれた。
だから試してみようって思えました!
効果抜群でした!夫にもすごく褒められました!
今となっては、私には化粧水が合っていなかったのだと思う。それをずっと続けたたわけだから良くなる訳がないよね。
こういうのは個人差が激しいだろうし、年齢でも違ってくると思う。
それに私は普段めったに化粧をしないから水洗顔とオイル・クリームですむわけで、
最近一度化粧をする機会があったんだけど、ミルククレンジング使ったら一発で肌荒れしました。
化粧をしながらきれいな肌を保っている人はほんとにすごいと思います!友人にそういう人がいてめっちゃ尊敬してます!!!
あとこれは話それるけど、
夫は以前頭のフケが多くて、フケ用のシャンプーやトニックでも全然治らなかったのが、
ポテチや外食を控えるようになってからはかなり良くなりました。
私も同じ時期にニキビが良くなったので、やっぱり食生活も大事だなと思いました。
野菜たくさん摂るとかは難しいけど、ポテチ辞めるくらいならすぐできると思うので、
悩んでいる方がいたら参考程度に。
最後にもう一度、増田さん本当にありがとうございました!!
読者の感想で作品が完成するくらいの「足りなさ」のある未完成の状態でわざと投稿します。
例えば、
・続きが気になるところで終了して読者に「この先、どうなるの?」と言わせる
・クライマックスを途中で切りあげて別のシーンにする。一番おもしろいところは読者の想像力で補わせる
・小さいボケを繰り返してから、むちゃくちゃな大ボケで終わらせて読者にツッコませる
・二者択一の選択で終わらせて「私ならこっちがいい!」「いや、こっちのほうが」と読者同士を討論させる
・ある世代では非常識だが、別の世代では常識となるジェネレーションギャップを描く
・謎と謎を解くヒントは書き、謎の答えは描かない(考察好きの読者を狙う)
・読者は他人から「こんなもの読んでるのぉ?」と後ろ指さされるような作品には感想を書きたくならないものです
・読者に名前を覚えてもらう。名前を忘れるほど長い期間を空けない
・自分の「好き」を読者に問いかけるというのを何度も繰り返す。作者の性格を覚えてもらう
・特定のひとりの読者のために作品を作る(その人からは必ず感想がもらえるように)
(4) 「読者のために書く」ということの大変さを理解する
・作者が楽しいと思って書いたものは、読者にはウケないことが多い
「描写がリアルにできた」「起承転結にキレイにまとめられた」といった作者の楽しさは創作者の目線であって、読者の目線ではない
・創作の知識やノウハウを身につけると、読者の目線から遠ざかる可能性が高まる
読者の目線を追求することが「読者のために書く」ことにつながる
・創作の楽しさ≠読者の楽しさ
・自分の中で意識して「創作の楽しさ」と「読者の楽しさ」を切り替えられることが大事
自分がただの読者だったときに何を楽しいと思っていたか?を思い出す
書いてて思ったけど、これだけじゃないな。もっとたくさんありそう
極論を持ち出して自己正当化に努める奴の証言なんか当てになるか。
具 体 的 に 言 え よ 。
俺の言っている「無視するな 毎日話しかけろ 孤立させるな」の方が100倍分かりやすいわ。
どう違うのか具体例を出してハッキリ言えよ。
具体的に言ったらまた極論持ち出して回避しようとするだろ?
そもそもあーだこーだと拒否する時点で君は他人に敬意を払う気がない、気に入らない奴は排除したいというのがミエミエ。
職場でも学校でも家庭内でも孤立しててもネットがあれば生きていける。そう君は言うのか?
違うなら的外れだな。
それなのに行動するのを拒み、「誰も受け入れてくれない」と自分の殻に閉じこもってちゃ
「閉じこもってる」のじゃないぞ。「閉じ込められてる」のな。君みたいにリスペクトのない奴に。
具 体 的 に 言 え よ 。
俺の言っている「無視するな 毎日話しかけろ 孤立させるな」の方が100倍分かりやすいわ。
どう違うのか具体例を出してハッキリ言えよ。
同じ考えの持ち主を探せば良いだろ。大抵雰囲気で分かる。ネット上探せばいくらでも居る。
それなのに行動するのを拒み、「誰も受け入れてくれない」と自分の殻に閉じこもってちゃ
極論を言えばそうだ。
俺はお前と敵対し、お前とはずーっと分かり合えないのではないかと思ってる。
お前の考えは変わらないし、俺の考えも変わらん。
とにかくお前と話していると疲れるんだよな。すごく消耗する。
話している場所が違うというか、想定しているパターンが違うというか何だろうな。
見ているものが違うんだよ。
お前はキレイゴトしか見たくないし、そういう世界であれと思っているようだけどな。
お前の言いたいことはずっと、「無視するな、孤立させるな、毎日話しかけろ」だもんな。
俺は「お互いに話し合って離れると決意したならそれくらい許せ」としか言ってない。
俺はお前のことを無視していないし、一度話はしたから無関係とはいかねぇ。
本当に一人が良い奴もいれば、どこかグループに所属したい奴も居る。
本当に一人が良い奴に対し、毎日毎日話しかけていったらウザいだろう?そりゃぁ氏ねとも言われる。
お前は無視されたり孤立したりしたが、本当はグループに所属したかったんだろう?
まぁそれはそれで良いわ。そういう事だろうからな。
女の言う「女の美しさ」は男の言う「男の美学」と同じで、何の客観的事実もない観念的な虚構だということがよく分かる。
「ニキビのない自分」という、欲しくても絶対に得られないと思っていたものを手にしてもなお
「ニキビのなかった16歳の自分」というかつて存在したこともなく、これからも絶対に存在することのないものを欲しがる。
実際16歳ぐらいの女なんてどんなにキレイキレイしてフリフリした袋被せても、その薄っぺらい存在から突出した自意識が鼻につくだけの存在だ。
そんなものが女の間では自他共に認められた「美しさ」の定義なんだから笑える。目指すところが低すぎるといえよう。
そんな「キレイな16歳」に16歳の子供がなりたいというならまだしも、いい歳した大人がなりたいというのだから不憫なものだ。
「今ここにいる自分」より「どこにもいなかった16歳の自分」のほうがいいものだとしたら、今日まで生きてきた自分の立つ瀬がないというものだ。