はてなキーワード: キレイとは
ルックバック、単行本化して金儲けする気マンマンですけど、「京アニ事件に対する藤本先生なりの追悼作品なんだ」って気持ち悪い持ち上げ方してた信者はどう弁解するの?100ワニの追悼POPショップとやってること変わんねえじゃん。
フィクションだろうと死をネタにするなと100ワニにブチ切れてた人がいたけど、その理屈でいくならこっちは実在の事件を連想させる分余計にタチが悪くない?
靴擦れしない靴ってこの世にあるのかしら? と常日頃思っていたのだけれど、ついに運命の出会いを果たしたのがひと月前のこと。
水商売のキレイなお姉さんしか似合わないでしょう、と思って敬遠していた""ESPERANZA""のヒール、これがとっても歩きやすい! それにヒールが7.5センチもあるの!
私はいつ何時でもヒールしか履けません。ヒールを履きたがらない女の子はよく見るけれど、案外同士には出会ったことがない。
なんて他人に語ったら馬鹿にされると分かっているので、普段は口にしません。
でもね、これは嘘なんかじゃないの。私の眺める世界はいつだって+7.5センチに広がっている。ヒールの高さは私が臆病者である証。ありのままの世界と向き合えない、弱さの証。
おとなになればなるほど新しいものに触れることを拒むと言うけれど、どうやら私もその一人らしい。一度はじめてしまった背伸びをやめて、±0センチで生きてゆくのって、世界が根底から覆ってまっさらなスタートを切るみたいで、怖い。
街中の風景に溶け込む私は、今日もフラットシューズで軽やかに走る女の子を目で追っていた。私もあんなふうに、ぺったんこの地面を蹴り上げてみたいものだ。
わから~~ん。
というわけで考察してみました。
うーん速攻で論破して~~。
でも気持ちはわかるわ~~。
わざわざ障害者なんかのために高い金出してみんな仲良しみんな友達ってイベントやって、不満たらたらの障害者に対してガス抜きをちゃんと行えるときにやっておきたいってのは事実だわ。
虐げられるべくして虐げられる無能にこそ救いの手を、さすれば犯罪率の低下に繋がり社会的に利益がもたらされるであろう。
とはいえねえ、結局は「たまたまスポーツ適正があった障害者だけ」が持ち上げられるイベントだからねえ。
むしろそういうの駄目な障害者はかえって疎外感を感じることになりかねえんじゃねえかな。
結局はガス抜きと新しいガスの注入が半々になりそうだよねえ。
そもそも論として「障害者を見世物にして楽しみつつ、表向きは障害者とも仲良しこよしを演じる」っていう超絶悪趣味な上に、障害者を見下したイベントなのがどうしようもねえよな。
言ってる奴らは騙されるのがお上手ですよ。
いや~~人生が上手くて羨ましい。
俺もそれぐらい幸せに生きていた~~~い。
納得感はあるよね。
俺も結構ネットで色々やってきたし、そもそも今回みたいに松明持って(比喩表現だぞ)界隈にみんなで押し寄せる行為自体がリンチやセカンドレイプの一種じゃないのかって言われたら反論は難しいわ。
今はともかく20年後の価値観でどう裁かれるか分からんしなあ。
そのときに「価値観が変わりました。ゴメンナサイ」と言っても、今回価値観が変わることが予測できるようなことが起きてるのにネットリンチに加わってるなら結局は自覚的だよねって言われたらもう言い訳のしようもないね。
あとあと御免なさいして許してもらえるかよく分からん以上は、「今回僕たちがコイツを皆でボコボコにしているのは、『これがパラリンピック関連という異例のパターンだから』なんです」と宣言しておけば、あとあと何かあっても「え?アレはパラリンピックという特殊な状況下だったからですよ?」で無限にとは言えずともかなり逃げやすくはなるよね。
先々のことを考えてこっそり線引きをしておくってこういうのを言うのかな?
上手いよね。
ひとまず3つ仮説を立ててみるんだとしたら最後はこれかなあ。
自分が好きなアーティストが同じように後ろ暗い過去があって、でもそこにまで飛び火してほしくないから『パラリンピック』という囲いを作る。
いわゆるダメージコントロールってやつかね?
議論の場に防火扉のようなものをこっそり建設していくような感じ?
確かに『あーちすと』の類ってのはどうもイキり癖が強いからねえ。
なにより普通の社会よりもいい作品作ってりゃ許されるってルールが強いせいで過去の悪事とか強気に暴露するもんね。
「こんな人社会的に認めちゃ駄目ですよ!いっそ今からでも刑務所に入れ直しましょうよ!」みたいなこと言い出したら世の中のクリエイターの何%かは本当に捕まっちゃいそうなぐらい余罪あれこれ持ってそうだしねえ。
そこに好きなアーティストがいたり、今既に後輩イジメだとかコロナイキりとかで爆弾抱えてたら、ファンだったらそっと逃げ道を作っておきたくなるよね。
いやーなんのかんの言って皆お上手だね~~~。
ポジショントークとかあえて洗脳されていくとか都合よくゴールをズラすとか色々お上手。
はてなの人たちってやっぱり頭いいんだね~~~~
おじさんが鏡をどれくらい見ているか分からないが、おじさんが毎日自分のあの…おじさんのあの顔を毎朝見て、自分の身体に触れ、自分の声を聴き、同じおじさんと話し、そして帰ってまた自分の顔を見て、身体に触れ、寝る。そしておじさんとして目覚める。
それ、きつくないですか。
私はおじさんが好きだが、もし、私がおじさんになったら(そんなドラマやアニメはたくさんあるが)かなりきつい。
鏡を見るたびにうんざりするだろう。そして、もっと、清らかで若くすがすがしくみずみずしい、花のような、可憐な存在に触れたいと思う。
これは、私が女性であるから、美しいものに触れたいと思うのだろうか?
美しい宝石や、輝くアクセサリーや、キレイな色の服や、口紅や、うっとりする香りのシャンプーや石鹸、美しい花、そういったものを買うのは、いつも目に入るものが美しいものが良いからだ。
逆に、こういう生活をしている50代の女性と言うのは、50代になったおじさんの夫を受け入れられるのだろうか。必ず目に入るし、動き回るし、家に住んでいる人間も、美しくきれいに整えたくなってしまうのでは。
ひどいいじめの話になるたびに加害者を吊るせという話になるけど、子供時代のパワーバランスなんてどっちに転んでもおかしくない。たまたまいじめられる側に回っただけでいじめる方を悪鬼のごとく罵るのも違うと思う(気持ちはわかるが)。
そもそもいじめを子供だけで解決させようとするのが間違ってる。加害者という悪い奴がいるということにしないで、いじめを発生させない、最小限に食い止めるシステムを構築していかないといけない。
例えば、親に心配をかけたくないから相談しないと一人で耐えた結果取り返しのつかない事態に発展する前に気軽に相談できるシステムを作るとか、クラス経営に関して抜本的な改革をするとか。
個人的には「いじめバイバイ」みたいなくそキレイな綺麗事ではなく、いじめの実例をあげて「うわコイツ醜いわ、いじめ醜いわ。クソダサ。いじめクソダサ」みたいな啓発があってもいいと思う。LINEで仲間はずれとかクソダサ道徳アニメみたいな価値観を子供に広げる。何で人を殴ってヘラヘラできるのか。アホなのかな。関わらんとこ。そういうのやめようよ、クソダサいから。そう気軽に言えるような空気を作るのが大人の責任だろ。何がいじめバイバイだよ、煽ってんなよ。
口を開けば「権利」「権利」って、良い加減にして欲しいなって思うのって、僕だけですか。
LGBTとかフェミニストとかベジタリアンだとか、そういうの、リベラルって言うんでしょうか?
詳しくは知りませんけど。
世の中って、キレイごとだけで回っているわけではないじゃないですか。
彼らって、少し傲慢に聞こえませんか。
正しい世の中のあり方について、まるで理解してしまっているんだというような態度を取るじゃないですか。
歴史が常に正しい方に進歩してきていて、その進歩の途上に今があるんだというような理解をしているように聞こえるんです。
本来、社会に権利を認めさせるのって、誰かの利益を侵害したり、自ら犠牲を払ったりする必要があるものじゃないですか。
なのに、権利の方ばかり主張して、義務の方を語らないじゃないですか。
これじゃあまるで一方的じゃないですか。
夫婦別姓とかも、まあ形式的な話ですし、割とどうでも良いと思いますけど、家族や親族がいるという事で受けて来た恩恵もあるはずです。
家族のもとで育ててもらって、教育を受けて来たんですよね。もし何か身の上に不幸があっても、身を寄せる場所として一番頼りになるのは家族ですよね。
親が亡くなったら相続で財産や家督も引き継がれますよね。自分が死んだら、家族の墓に入るじゃないですか。
みんながみんな僕みたいに恵まれた家族親族を持っていない事は承知してますが、彼らはこういった事を考えた上で夫婦別姓を主張しているんでしょうか。
そうでないのなら、虫の良すぎる話じゃないんですか?
子供の頃は自分が間違った事をしたらよく父親から殴られました。
今では何かあると体罰だ体罰だと言いますが、体罰を受けない権利を得るためには、説教を頭でわかるだけの頭が必要だと思います。
然らざる者に権利を与えて、なんでもかんでも「事件」にして「訴え」て「手続き」を取って、暴力を誰かに外注してしまう世の中の方が、よっぽど情けなくはないでしょうか。
僕、15の時、クリスマスのために豚を屠った事があるんです。ショックでしたよ。豚が可哀想だなって思いましたよ。
二匹屠ったんですけど、一匹目を撃った後に、二匹目が怯えてたんですよね。パニックになった豚の姿を、今でも思い出すことができます。
夜は涙で枕を濡らしましたし、ベジタリアンになろうかなと真剣に思いました。
でもお肉ってやっぱり美味しいじゃないですか。だからやっぱり今でも美味しく食べてますよ。
僕って、間違えてるんですか。
私は才能にも恵まれたこともあり、幼少期から俺TUEEEEEな人生を送ってきた。
勉強、運動、音楽など、適当にやれば平均以上なので持て囃される。親からも。
それが当たり前だった私は、自分にしか興味がなく、全ての人間は私を讃えるために存在すると思っていた。
正直、才能のない人たちを見下していた。
しかし、私の能力がイマイチ評価されない分野があった。ネット上の2次創作だ。
私は美術の成績は良かったけれどそれは写実的な絵画の話であり、マンガ的表現や、いわゆる絵心は皆無だった。
小説も嫌いで一切読んでこなかったので、文章力も皆無だ。センター試験の国語は小説セクションだけ点数が低かった。
オタクのことはキモいと思っていたし、アニメにも興味なかったが、昔からゲームはやっていたのでその2次創作をネットでちらほらと見ることはあった。
そこから興味が湧き、この私の才能なら創作界隈でも無双できるのでは?と思い、長文SSを掲示板へ投稿した。
「こんなに否定されたのは初めてだ。顔が見えないとこうも攻撃的なことを言えるのか。批判した奴らの顔を見てみたい。どうせ、会った瞬間にあっ察しとなるような、キモい見た目と態度なんだろうなあ。
総合的に見ればこの私の方が能力的にも社会的地位でも上なのだ。底辺のくせに何様だ。この私を上から目線で批判する資格があるのか?」
ツイッターでの活動も始めた。界隈の書き手をフォローし、持ち前の人当たりの良さ(初対面だけ)で友好関係を広げていった。
全ては私の作品を称賛させるためであり、相手の作品に全く興味はない。だが、さすがにしばらくは人付き合いで他人の作品を読み感想を送り、馴れ合いを続けた。
しかしながら、それは長く続かなかった。自作が掲示板でこき下ろされるたび、私はツイッターで荒れた。その批判は正当か?とか、批判した奴出てこい直接話せ、とか。
そうでなくても元々私は隙あらば自分語りするタイプだし、他人との交流を楽しむという発想がない。それに加えて暴言やネガティブツイートばかり。当然、周囲は離れていった。
いや、離れる前にこちらから勝手に憎悪を膨らませ、ブロックした方が多かったか。
なぜお前はあの作品を賞賛する?あの作品より私の方が優れているのに。
なぜ界隈であの作品が話題になっている?私の作品の方が先にそのテーマに言及し、クオリティも高いのに。私の作品が当然先に評価されるべきだろう。おい、リツイートしたそこのお前も同罪だ。」
などなど。上記のことは直接発言こそしていないが、匂わせることは言った上で、ブロック。
そうこうしてるうちに、相互フォローは一桁になった。
だが、数年も経てばそんな感情も忘れ、承認欲求が高まってくるものだ。
今度は小説だけでなく、絵も始めた。絵心がなく正直ヘタクソだが、小説に比べると圧倒的に反応がいい。リアルタイムでいいね数が増えていく快感は私を満足させた。
前回の過ちを繰り返さないよう、私はツイッターではいい子ちゃんぶっていた。そのほうがいいね数を稼げるから。
また、作品の内容も界隈に媚を売るようになった。トレンドを盛り込んだり、わかりやすい百合要素を入れたり。そのほうがいいね数を稼げるから。
元々、人の輪に溶け込むのが苦手な私は、孤高のご意見版みたいなポジションを目指した。実際、「頭良さそうな人」みたいなイメージは持たれていたと思うがしかし、界隈の有力者とは仲良くなれずにイマイチ地位を確立できない。
実力で叩き伏せるほどの画力はないし、小説はそもそもあまり読まれない。
次第にいいね数に限界が生じてきた。ヒット作を生み出すも、それが当然のラインとなり以降の自分を苦しめる。
血迷った私は色々なものに手を出した。クソコラも作ったし、楽器も演奏したし、音ゲーのプレイ動画も作った。だがどれも反応はイマイチ。
次に私は、そのゲーム(アイドルもの)のリアルイベントに行くことにした。
アイドルのライブにこの私が行くだと?キモいと見下していたが、まあいい。住む世界の違いを見せつけてやろう。オタク達から見れば、何か育ちの良さそうなキレイめな奴が来た、いけ好かねえ。と思われるはずだ。それで私の承認欲求は満たされる。
臭い。なんだこの人たち。これは誇張ではなく本当に臭かった。
運動部の男子更衣室のむさ苦しさとは少し違う。オタク特有の臭さだ。ネット上で言われてるようにホントに風呂入ってないの?
まあ私とて、夏場の寝起きはこんな感じで脂ギッシュで汚いのだが、そのまま家を出てきたのかこの人たちは?
ライブ自体はまあ楽しかったが、周囲が気になって集中できなかった。
その後も何度か行ったが、やはり周りが不愉快でしんどかった。臭いだけじゃない。行動も発言内容も気持ち悪いし、たむろして迷惑かけたり、なんていうか、幼い。
自分も大概なのだが、自分の黒歴史を見ている気分になってしまった。
この中にいると、私もキモく見えてくる。
ライブ終了後の全体写真には絶対写りたくなかったし、握手会も一度も行かなかった。自分で自分がキモく思えてしまうのが嫌だから。アイドル自体に罪はないし、パフォーマンスそのものは良かったけど。
かつて私に批判コメントを送っていた連中の顔は、おおよそこんな感じなんだろうなあ。
奴らを見下すことで、承認欲求を満たすつもりだったが、なんか微妙な気分になってしまった。
そして、これまでの自分の行いを振り返り、自分が嫌になった。結局私は特別な存在でもない。みんなと同じく、普通のキモい人間だ。
これまで俺TUEEEEしてイキってきたつもりだったが、周りからはあっ察し状態だったんだろうなあ。
そう考えると途端に恥ずかしくなってきた。
というか、このプロセスすら、大なり小なり誰しもが経験し大人になっていく過程なのではないか?
それが遅すぎたのだ、私は。もう、30歳を超えているというのに。
私は2度目の垢消しをして、引退した。
その数年後、結局別の界隈で再開したけど。
今は壁打ち垢のみで、誰とも関わらずに気が向いたときだけ投稿している。
いいね数は一桁。
結局断ち切れていない。でも、こうやって少しずつ大人になっていくんだろうと思うことにする。
・顔は平均以上。若い頃はモテたが、しかし中身が幼いので、大人になってからはパッとしない印象。さらに薄毛も始まり、現在は美形とは言えない。
こう列挙すると嘘くさいが、本当です。
・写実的なのが得意とは言っても、そこまでレベル高いわけではない。模写が得意なだけで、2次創作には向かない。背景とか武器ばかりやたらリアルになってしまいキャラがお粗末。
こうやって増田に投稿することも承認欲求を満たすため。何も本質的に変わってはいない。
拡散されて特定されることを恐れつつも期待している自分がいる。キモいな。
久しぶりだこの高揚感。初めてSS投稿したときのことを思い出した。
自己愛野郎は、賞賛だろうが批判だろうがとにかく構ってもらうことが重要。というかそれしかコミュニケーションの手段がない。
掲示板の荒らしに構ってはいけないとよく言うけけどその通り。無視が一番効く。
ということで、いい気分転換になった。
ちなみに書いてあることは本当。
↓こっちの記事も私が書いたんだが、少し誇張している。実際は会社では苦戦している。努力を知らないので、大学院を出ておきながら何の知識も積み上げていない。社会性がないので人脈を築けないし、成長も遅い。でも年功序列と人手不足に助けられ、ヒィヒィ言いながらも管理職としてなんとかやっていけている。
https://anond.hatelabo.jp/20210710112952
私の両親も似たようなタイプで、顔と才能で一切挫折せずに生きてきたようだ。私が子供の頃は私と一緒になってよその子を見下していた。私が就職決まったことを告げると、即、私の目の前でその企業の就職偏差値を検索し、上位であることを確認し満足していた。
いわゆる毒親なのかな?と思いつつも、別にそうは思わない。別に嫌な思いはしてないし、仲もいい。私がこの先も勝ち続ければいいだけの話だ。
しかし、私自身は子供を作る予定はない。人格面を育てられる自信はないし、才能だけで無双できる時代でもなさそうだし。不幸にしてしまいそうで、怖い。
「もともと二次創作BLヘイターのオレ様が、あるあるネタ(とそれが世に受容されてるの)を見てさらにヘイトを強めたぜい!」
って話じゃん。
ツイにもはてブにも共感者が多いってことは、あるあるネタとして優秀で
実在する「二次創作BLとその消費現場」にかなり迫ってるんでしょ?
増田「オレの嫌いな、実在する『二次創作BLとその消費現場』をメタネタで追認する一般ギャグ漫画が表でウケてやがる・・・やっぱこいつら全員クソ」
に対して
「フィクションと現実の区別がついてない」「創作見て認識を改めてる」
はツッコミとしてズレてるでしょ。あるある描写された現実だけキレイにピックしてるし認識を改めてもないし。
例えば「裏で援交してる女キャラあるある」「チャラ男に寝取られてる女キャラあるある」
で一喜一憂するエロ同人オタ霊&霊媒師が今回の漫画のモチーフだとして
「オレの嫌いな、実在する『エロ同人の原作改変とその消費現場』をメタネタで追認する一般ギャグ漫画が表でウケてる・・・やっぱこいつら全員クソ」
に対して
「フィクションと現実の区別がついてない」「創作見て認識を改めてる」
考えてもよくわからないんだけど
「小道具が架空の作中作だから、漫才じゃなくて絵だから、増田くんにはこの作品を嫌わないでほしい」
ってことが言いたいの・・・?
あー!あれか!いわゆる表現の自由戦士に何か言ってやりたくて屁が出ちゃったみたいな感じか!