はてなキーワード: オリジナルとは
…それはともかく、終盤に作品オリジナルのスーパーカー()出してきたのは安直だなあとおもってたけど、『BOY ~ハレルヤ~』のひとの主人公オリジナルデザインのとんでもセンスはもっと酷かったなー
これはアウトだろう。「差別って言うけど、しょせんはあなたの主観ですよね」という、ひろゆき的冷笑主義でしかない。
(1)他者の「差別」の定義や用法については、ネットの素人匿名の議論であろうが決して頭ごなしに否定しないこと。
こういうのマジでなんか言ってる風なだけで何も考えてない典型だよね。
この理屈で全員のオリジナル差別を尊重したらすべての行為が差別じゃん。
差別とは物事に差をつけることなんだ、ってだけの意味で使ってるならそれでもいいけど
どう考えても是正すべきものと言う意味を含んで使ってるじゃん。(特にこの場合は3で明記もされてるし)
ブコメにも散見されるけど、「是正対象に追加してほしい」と「すでに是正対象だ」という2つの主張を混同していて、
脳内物質の分泌に問題を抱えた女の子たちの、衝動に任せた刹那的な生活の物語。
公共の場で暴力行為や罵り合い繰り返す彼女たちに対し、周りの大人は冷たい目を向けるだけで何もしようとしない。
社交性が欠落しやたらと攻撃的で、互いの事を何も説明しないせいですれ違っていく感じは、ある意味で実際のバンドマンらしさもある。
いまのところ話の進展はほぼないが、なぜか主人公たちのバンドは人気が高まりつつあるらしい。
その前に登場人物の誰かしらの預金残高が尽きる気がするのだが。
性格がピーキーな登場人物をキャットファイトさせることで、何か物語が進展しているように見せかける手際は、いかにも花田十輝らしい。
ただ、見せ場のために非現実的で衝動的な行動をキャラクターに取らせる悪癖が、このアニメにおいては奇跡的にマッチしている。
最新話で、雨の中、軽トラの前に飛び出す主人公や、メジャーアーティストがステージ衣装のまま楽屋裏から屋外に駆けてくるシーンは、
思わず「そうはならんやろ」とモニターにツッコミを入れてしまった。
1話で切った。1話はよくできていたが、オリジナルストーリーで再スタートを切れなかったのは致命的失敗だろう。
原作に詰め込まれた小ネタのキモになる部分を巧みに採用しつつ、映像化に際してテンポを落とさないようにチューニングされている。
カットされているセリフが聞きたかった、と思うことはしばしばあるが、大きな不満はまったく無い。
「今期の覇権アニメ」といった刹那的なポジションではなく、耐用年数が長く何度も見返せる作品を意識しているのだろうか。
映像化に際してかなりの準備期間・制作期間をもって作られているらしいところがあるので、
3クール目がまだまだ先になるのでは無いかと懸念している。できれば、迫力のある絵で劇場でやってほしい。
制作会社が変わったせいか、どうも会話のテンポ感にハマりきらないところがある。
パッと見は作画が変わったくらいで、劇伴や声優はこれまでと変わらないだけに、この「ハマらなさ」がどこから来るのかがよく分からない。
たしかに、原作でもこのあたりの話は間延びしている感じはあったのだが、広角レンズを使った大コマの迫力があるぶんあまり気にならなかった。
アニメの場合、広角のシーンでもパンが振られていたり、キャラクターが動いているせいで逆に安っぽく見えるときがある。
視覚のすごみに欠けるせいで、見せ場となるシーンが単なる長回しになってしまい、テンポが悪く感じられるのかも。
予断だが、賛否両論あった映画のオリジナルストーリーは、個人的には大好きです。本編に影響がない未来の話だし、あれくらいやったほうがよい。
冬のオフィスに出社したときのひんやりとした空気感などがよく伝わってきたところが良かった。
3期は、キャラクターに「寒い」と言わせなければ寒さが伝わってこないような感じがある。いちゃもんっぽい批判ですが。
前回のアニメ化は1話しか見ていないので、話も含めて実質初見視聴。
概ね楽しく見ているが、街の風景や旅路、宿屋や酒場の描画が、全て同じに見える。リアリティが無いというか、生活感を感じられない点がちょっと気になる。
もっとも、この作品の面白さは何と言っても会話劇にあるから、背景の描き込みはほとんど気にならない。
主役の二人はもちろん、モブも交えた会話でも、小粋なセリフ回しで心地がよい。セリフそのものの魅力に、声優のバフがかかっている感じ。
この作品なら、動くアニメではなくて、朗読劇や舞台で見ても面白そう。
原作未読で、アニメで初見。さすが横手美智子とうなる軽妙な脚本。宮野の当て書きじゃねえか、とツッコミを入れたくなるくらい、宮野がハマっている。
記憶喪失の人物を通じて、野球という題材の汗臭さや泥臭さをメタにネタにしつつも、
当事者たちが取り込まれるある種の狂気も、野球未経験者にも分かりやすく伝わってくる。
うっとうしいくらいのギャグが脳に残ったところで、登場人物のシリアスな過去もばっちりと魅せてくる。
ダンジョン飯もそうだが、このアニメもキャラクターの作画上の演技が細かくて見入ってしまう。
アクションシーンが長いのではなく、さりげなく差し込まれる捕球のシーンなどの動きがよい。
グローブに球が収まるときの反動や、投げるときの重心移動の身体感覚が、視聴者に自然に伝わってくる。
増田は野球未経験だが、バッティングセンターに行ってみたくなる。打てるのかな。
吹奏楽部を題材にした学園サスペンスもの。ファムファタールに出てきそうな新キャラを交えて、陰湿さにもオーバードライブがかかっている。どう考えてもNHKの日曜夕方17時に放送していいアニメではない。なんとなくだが、売上の一部を不登校支援の寄付などに回したほうがいいと思う。
要するに、そのくらい心理描写が細かいアニメだと思う。破綻の無い作画もさることながら、表情やカメラワークが良い。黒沢ともよは化け物。アニメの黒沢ともよの演技が凄すぎるせいで、この作品は実写化できないんだと思う。
原作は未読だが、ねちっこい女性同士のからみにフォーカスして構成するあたりが花田十輝らしい。
それと、京アニのキャラクターの演技ってやたらとわざとらしいよね。顔の前で手を合わせたり、わざとらしく頭を掻いたり。変に心理描写が細かいから、そういうアニメっぽい仕草が浮いて見える。
「弱者男性」は「差別」されているのか? 社会から“排除”されてきた「低学歴中年男性」の支援に必要な視点
そもそも男性に生じている問題を「排除」ではなく「差別」の文脈で語ることは間違っています。差別とは、歴史的な構造のなかで、ある特定の属性を持ってきた人たちに対して社会が不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。
kakaku01 家父長制への回帰を求める声は聞いたことがない。差別ではなく排除というのもよくわからん。むしろこの記事のように「お前たちの問題は優先度が低い」とする態度が問題の根幹では。
伊藤氏には間違っている点と、批判側が理解していない点の両方がある。
まず間違っている点については、弱者男性への「差別」と言うべき事態は確実に存在しているのに、差別ではないと言い切ってしまっていること。一番わかりやすい例としては、婚活パーティが年収で足切りされていることや、女性からも年収で値踏みされていることなど、「稼ぐ能力の低い男」への差別的な視線や扱いである。ほかにも、同じ「40歳非正規独身」に対する世間のイメージについても、女性では「そう言う人も普通だよね」となるのに、男性だと「この人やばくね?大丈夫?」と見られるだろう。これを「差別」と表現していけない、ということはないはずだが、伊藤氏は差別ではないと言い切ってしまっている。
他方で、批判側がきちんと理解していないのは、「排除」という言葉の意味合いである。伊藤氏が言っているのは、「弱者男性」とは、世間的に一般に期待されている「男性」の社会的地位から落ちこぼれてしまったという問題であって、「男性」という属性そのものが蔑視されているわけではないということである。つまり、「女のくせに」は女性全般へ見下しがあるので差別だが、「男のくせに」はむしろ男性の社会的地位が高いことを前提にしているので差別ではない、ということになる。
社会学や社会政策とか学んでいれば、「排除」と「差別」を慎重に使い分けるべきことを理解できるけど、普通の人には伝わりにくく、言葉遊びに見えることも確かで、一般素人向けとしては伊藤氏の書き方は適切ではなかったと思う。
(追記)
婚活パーティの年収足切りは「排除」ではないか、という突っ込みが複数あったが、厳密に「排除」「差別」を定義すれば全くその通り。ここで言いたいのは、年収でその個人の全人格を評価することを「差別」という言葉で訴えたくなる人がいるのは、別に当たり前ことで、「差別ではない」と切り捨てたら反発する男性もそりゃいるだろう、ということ。
女性は非正規労働が多く、社会全体の構造として差別を受けていることは確かだが、非正規や低所得であること自体による蔑視を受けることは少ない。低所得であること自体で、異性のパートナーを見つけることが難しくなるということも基本的にはない。男性は社会全体の構造としては優遇されている面があることは確かだが、そのために低所得者であることで受ける蔑視は強くなる。そして低所得であること自体が、異性のパートナーを見つけることを困難にしている最大の原因ともなっている。
そのように、男性は低所得であることで全人格を下に評価されてしまう構造は確実にあり、そのことを「差別」と表現したくなる人が出てきても、それは全く不思議でも何でもでもない。伊藤氏の根本的な間違いは、言葉の定義を共有させることなど不可能な匿名ネット言論を対象にしているにもかかわらず、学者の「排除」「差別」という定義を持ち込んで、「弱者男性は差別ではなく排除の問題」と言い切ってしまったことにある。
(追記2)
これはアウトだろう。「差別って言うけど、しょせんはあなたの主観ですよね」という、ひろゆき的冷笑主義でしかない。
(1)他者の「差別」の定義や用法については、ネットの素人匿名の議論であろうが決して頭ごなしに否定しないこと。
pixivやXに流れてくるのは現状だと単なるドMに酷いことしてる作品ばかりなんですよね。
「体を張ってなんでもやる輿水幸子に対して腹パンをして分からせる」とかやってた頃から1ミリも成長してない。
当時でさえあんなのは単なる悪ノリばかりでリョナとして見ても三流の下品な遊びだと批判されていたのに、また同じことを繰り返そうとしているわけですよ。
何も分かってない。
広はただ辛いことが好きなだけの変態ではない。
自己効力感のあり方を拗らせきった変人であって、破滅願望に染まった変質者ではないのだ。
そこを理解してないなら適当にオリジナルな銀髪ロリでも作っとけ。
あと広は貧乳スレンダーだけど身長は159cmとそこそこあるということを忘れて汎用ロリで描いてしまっている奴もちょくちょくいて許せん。
そこを活かして竿役を普段ロリと絡ませるときより大きめに設定している作者はまあちょっとは信用できる気がするんだが、それでもまだま広というキャラクターへの理解が浅い。
まだまだ時間があるから取り越し苦労というか、本気で篠澤 広と向き合おうとしている人間ほど自分がまだ咀嚼を終わらせておらず出力出来る状態になってないことに自覚的な段階である可能性もあるな。
夏コミまで様子を見るよ。
まあそこは中間試験程度に捉えて落第レベルじゃなかったら冬コミまで待ってもいいかな。
そこまで言っても篠澤 広というキャラクターを全く理解することない作品しか出せないようなら俺はオタクを見限るよ。
単なるイナゴの群れに落ちぶれたんだなって。
ズルじゃね?
海が走るエンドロールみたいに完全オリジナルで頑張ってる作品もあるのにアオイホノオが一番面白いとかズルすぎない?
たまたま同級生にDAICONのメンバーがいただけなのに、滅茶苦茶面白い作品になっちゃってるのおかしくない?
伝説級アニメスタッフ達の若き日の奇行を当時の同級生目線でお届けってお前そりゃ面白くなるよ。
そもそも元の素材が面白すぎる上に、それを若気の至りの再現と称して更に面白く描いたらそりゃ絶対面白いよ。
でも素材の力が強すぎるから!
他の人達は頑張ってオリジナルキャラを作ってそれで勝負してるわけでしょ?
それをアオイホノオは平然とめっちゃ面白い奴らを「実はコイツら同級生なんで」と言って持ってくる。
ありか?
図画工作の時間に模型やレゴブロックを素材として持ってきて「でも俺の作品にはこれが必要なんで」と言うのと同じぐらいギリギリだよ。
素材の力が強すぎる!
面白いよ?面白いよマジで?でも何だろうな、もっとちゃんと自分の力で頑張ってる人達を差し置いて「映像学科を描いた作品ではアオイホノオが一番面白いよね」となってしまうのに俺は違和感があるよ!
さかしら【賢しら】
① 利口ぶること。いかにもわかっているというふうに振る舞うこと。また,そのさま。「―を言う」「―をする」「―な顔つき」
② 自分の考えで行動すること。「大君の遣はさなくに―に行きし荒雄ら沖に袖振る」〈万葉集•3860〉
昭和の笑点のネタなんか知らねーよ。ガキのころの一時期を除いてはほぼ見てないからなw
まったくオリジナルで、笑点のネタに採用されるくらいの「ちょっと面白いコト」考えついたんだから、大したもんだろww
---追記'240527---
むかしはテレビで映画をよく放送していた。地上波しかない時代。
むかしのテレビは画面の縦横比が 4:3 だった。今のワイドテレビよりも正方形に近い。
それに対して、映画はもっと横に長い縦横比だ。細かい比率はわからないけど、今の縦横比(16:9)に近いのやもっと横に細長いのもあった。
そういう横長の映画を、4:3のブラウン管にどうやって放映していたかというと、画面の左右をトリミングして画面いっぱいに表示していた。
テレビの画面が大きくなった今では、レターボックスやピラーボックス放映(上下や左右に余白を持たせてアスペクト比の違う映像を欠損なく投影する)が普通だけど、むかしは左右をぶった切るのが普通だった。
多少の情報は欠損しても作品の中央部を大きく鮮明に見せることが優先されたのだ。
画面左右をそれぞれどのくらいちょん切るかというと、古いシネスコサイズで20%以上、一般的なビスタサイズでも14%近く。つまり左右合わせて作品の面積の3割~4割ほどが捨て去られていたことになる。
そんなに切り捨ててしまうと、
という疑問がわく。
そういう時は、画面をパンしていた。画面の端のほうにいる人物がセリフを喋る時とかに、「ずるり」と画面がそっちのほうに動くのだ。
カメラを振っているような感じだが、もっと機械的で不自然な動き方。古いシネスコサイズの映画などでは飛距離が伸びるので特に顕著だった。
これはテレビ局側の編集でやっていることであり、作品の演出とは関係ないパンニングである。オリジナルではふたりの会話を定点でじっくり撮っているはずのシーンなのに、テレビ放映では画面がひっきりなしに左右に動いてやけにアクティブなニュアンスになってしまうこともあった。それでよしとされていたのである。
さらに、
という疑問もわく。
そういう時は、画面を横方向に圧縮していた。アッチョンブリケしていたのである。
これが多かったのは、出演者の名前が画面いっぱいに列挙されるようなオープニングロール。役者さんの名前は絶対に見切れてはいけないからね。
画面に映っているすべてのものが縦長にゆがんでしまうが、縦横比を保って縮小すると字がかなり小さくなってしまう。
テレビ放送の水平走査は525本、ここにビスタサイズの画面をレターボックスで投影すると高さの解像度は284本分にしかならない。これでは「山城新伍(友情出演)」みたいな小さい文字はツブれて読めなくなってしまう。
最近の子供は知らないだろうけど小五郎の声優騒動はとくダネ!とかでも報じられるくらいの騒動だったのだ。
周囲も、蘭役の方も泣いて続けることを望んだが神谷明は降板した。声優業界の闇のような話だったが、後に当時の読売Pとトムス協力で神谷明声のシティーハンターを作ることになる。
で、神谷明が指名したのが小山力也であり2009年からキャストの一員になった。たまに見る人は色々いうが、ファンとしてはもう殆どの小五郎は彼の声で再生される。性格もあってイベントや副音声では愛されおじさんだ。
白鳥警部の塩沢兼人が亡くなったときはこれも驚きで、あまり話題に出ていないのだが後任は井上和彦である。たらればを言っても仕方ないが、まぁ令和ならありえないキャスティングで今も続いている。
今でも荒れるキャスティングといえば白馬探の声だ。もともと石田彰ボイスだったのだが、まじっく快斗再制作となった際に宮野真守になってしまった。それが最近、本編外で聞こえる白馬の声が石田彰に戻っているのでザワついている最中だ。
最も衝撃だったのは高山みなみと青山剛昌の結婚と離婚だろう。これがまぁ円満離婚で(そもそもが友情結婚だったのかもしれない)後の話に続く。
赤井秀一の過去の恋人を演じるのは玉川紗己子で現在の池田秀一の妻なのだが、二人のキャラのシーンを盛り込んだらちょっと演じにくいというクレームが入ったとか。
で、同じようなケースで少し拗れてるのが古谷徹(バーボン)と小山茉美(ベルモット)で中の人は元夫婦なのだが…作中を見たらお察しである。二人がどういう関係なのかは分からないしイベント共演もしているが、青山が円満離婚すぎてあまり他所の夫婦関係に気を遣ってない気もしている。
余談だが青山が「赤井はシャアだけど安室は俺オリジナルキャラ」と言っているので別に古谷徹じゃなくてもいいと思う。
今年の映画は中森警部が目立っていた。長年、石塚運昇がやったキャラを石井康嗣が演じており自然で好評だ。
他にも惜しまれつつ声優を交代した人はたくさんいる。青子の声優多すぎ問題などもあるが、最近だとキャメル役の梁田清之が満を持してのキャメルSP回を前にして亡くなってしまったことが未だに寂しい。後任の乃村健次もまた自然で素晴らしいのだが。
面白い交代劇では灰原母の鈴木弘子がご勇退なされ、後任が灰原役の林原めぐみになったりしたことか。
逆に松本管理官を演じた加藤精三が亡くなってからは松本管理官は登場しなくなり…似たようなキャラとして黒田管理官が出てきたりしている。
まぁとにかくYAIBAも含めると長い歴史なのでこんなの一部ではあるのだが…声優は結構頻繁に交代をしてきた。
声優の命もあるから早くコナンを終わらせろと言う声もよく聞く。青山もインタビューで少し気にしているがある程度は諦めが見える。おそらく高山みなみが降りるときがコナンが終わるときだというのも察する。
だから、自分が死ぬ気がするコナン声優は青山のもとに行けばいいと思う。なんかわりとさらっと結末教えてくれるらしいから。
とにかくまぁ、色んなことがあるよなぁ。
俺はね、応用力を身につければそれが最短ルートだって言ってんのよ
atcoderをやるのでもいいしオリジナルのWEBサービスを作るのでもいいけど、さすがにchatgptのAPIを使う程度じゃ何も学習してねぇよな
数年前のはてな民『アニメ産業なんて数年で中国に完全に奪われる」
↑をみて昔思ってたことを話すと
日本のアニメって所詮は漫画や小説をネタにして膨らまし装置として機能してるだけなんだよね
たまにあるアニメオリジナルだけでアニメ市場や産業が維持できるわけないからね
このサイクルが回り始めたら日本のアニメが市場を奪われるだろうね
ブコメに返信
Q:じゃあラノベとかなろう系がすごいのでは?
それでもいいと思うよ。というか、そこは何でもよくて、低コストで参加できるプラットフォームが存在してそこで競争と選別が行われてるってことが重要。
そしてアニメ化するほど続いてる時点で競争を勝ち抜いたエリートなんだってことも忘れちゃいけない
「日本のアニメ」という主語のデカさが通用するのって、毎期ごとに話題の作品が出てくるほどの量産できてるからだよね
しかもそれをやってるのが20代ってのが凄いよね。20代が当たり前のように評価される産業はそら元気よね
話戻すけど、だから「アニメ産業なんて数年で中国に完全に奪われる」は、たまに出てくるおもしろい単発中国アニメじゃ無理だって話になる
原作小説とか漫画が面白くて(中国だとウェブトゥーンとかになるのかな?)それが毎期ごとに出てくるようになったらアニメ産業は中国に奪われるかもねって話