はてなキーワード: インターネットとは
インターネットやめてるんじゃないの🙄
多分自分がそういうツイートばかり見てるからおすすめに出てくるのだと思うが
でもだんだん見てるうちに、ウワキモー…の気持ちがデカくなるんだが
よくよく考えてみれば自分の周りにそんなキチガイはいなかった!ということに気付いて、ホッとする っていうのを最近ずっとやってる
そういうツイート(性犯罪が〜とか冤罪が〜とか)見てると結構見覚えのあるアカウントとかも出来てきたりして
なんか救えねーーーー、、、となるな
実は現実でまともそうに見えてるあの人も、実はネットではそうなのだろうか
とか考えちゃうね
まあ実害なければよしだよねー
既に実名制が導入されている韓国インターネットでの誹謗中傷がひどいことを上げる人がいるけど、精力的な戦闘民族である韓民族であるから現状があるだけで、和を以て貴しとなすと言いながら相手が油断したところを後ろから撲殺する卑怯で卑小な大和民族は、実名制が導入されれば借りてきた猫のように大人しくなると思うんですが、いかがでしょう。
自分の意志でDM開放しておいて「クソDM送ってくんな」は無理があるわ
好きなの選べ
オープンであるべきという信念があるなら、なおさらDM閉じて良くね? 意味わかんない
ちょっとツイートがバズった結果、ちょいちょいな数メンションが届くようになった。
別にオープンな場でクソリプしてくるのは気にしないんだよ。面白いクソリプならこちらもたまに返したりするんだけど・・・。
問題はDM。私はオールドタイプのインターネット老人会に片足突っ込むレベルの人間なので、「インターネット上ではオープンであるべきだ」と思っているので、基本的にDMは開放状態にしてるんだけど、そのDMにいちいちクソリプしてくるのが理解できない
インターネットなんだから堂々とオープンな場でメンション投げろよ。いちいちDMよこしてくるのってどういう心境なの・・・? もしかして最近のインターネット文化って、そういう感じになっちゃったの・・・?
イトーヨーカドーが大量閉店するがヨーカドーが出来たせいで周辺で沢山の小規模店が閉店したのに責任を取らず「撤退します」というのは許されるのか
https://togetter.com/li/2311217
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2311217
上記まとめにて買い物難民が大量発生するなどと発言してる人、閉店するイトーヨーカドーの周辺にどれくらいスーパーマーケットがあるか調べてないでしょ。
という訳で、撤退する青森県内の4店舗全ての周辺を地図で調べてみたよ。
100メートル東に弘前駅があり、そこにAPPLIESEという駅ビル型ショッピングセンターあり
駅の東には、カブセンター(紅屋商事)、ユニバース(アークスグループ)あり
400メートル東に、ドンキホーテ、ユニバース(アークスグループ)、カブセンター(紅屋商事)あり
という訳でイトーヨーカドーが青森県から撤退しても、買い物難民が発生することはまず考えられません。心配してくれた人、杞憂でした。
ちなみにアークスグループや紅屋商事は北海道や東北地方を中心に展開するスーパーマーケットの運営母体です。イトーヨーカドーが地元小売店を閉店に追いやって、いざ採算が取れなくなると撤退して買い物難民を大量に生み出していると主張する人がいるようですが、地元小売店は健在のようですね。
Togetterのまとめによると、青森県の地理を全く知らない人が煽りを入れて、それにつられて的外れな意見を言う人が多数連なってしまったと見受けられます。
「買い物難民が発生する~」だの「地方がますます衰退する~」だの書き込んでいる人たちは、せっかくインターネットに繋がってるのだから、知らずに情報発信する前にGoogleマップとかマピオンとかで地図を調べた方がよかったと思います。
なんの権限も持たない一消費者としての戯言なんで、世のクリエイターや業界関係者の人は「無責任なアホだなあ」と思ってくれていいよ。
俺は漫画版のチート付与魔術が大好きだが、コイツが原作改変なのは間違いない。
原作改変がこの世になかったら俺はこの漫画を読めなかったので、原作改変を俺は支持することにした。
漫画版チート付与魔術師はナーロッパが舞台なのにドラゴンがUZIを隠し持ち、半グレを倒すために黒塗りの乗用車が押し寄せる脅威の原作改変漫画だ。
中世風の世界だったはずなのにパチンコが存在し、文明の利器を使うと魔力がなくなるから使ってないだけで電気は街中に通っていることが明かされる。
現代と中世が交差する異様な空間として漫画版チー付与はインターネットで大人気だが、これは紛れもない原作改変の産物だ。
この様子に原作者はどういう心情なんだろうか?
文筆家である本人でさえその内情を正確に吐露することが不可能なほどに混沌とした言語化不可能な心理状態と察せられる。
本人の知覚さえ不可能な無意識下でどれほどの愛憎が渦巻いているかなぞ無産階級の匹夫には想像する資格さえあるまい。
20年前とあるラノベのアニメ版で発せられ、今も語り継がれるセリフに「メディアの違いを理解せよ!」というものがある。
貴重なスタートダッシュの第一話であろうことかこの言葉を皮切りとして映像化に向けた会議が生徒会室で繰り広げられていたのを覚えている(その1話しか見てないので、他に覚えているのは聞き流してゲームのWIKIを更新しているキャラが居たことぐらいだが……あと主人公の髪がピンク……いや白……黒?あれ?髪の色も思い出せない。PSPをやっていたことは覚えている。DSだったかな……あれ……当時まだDSはない……アレ?セリフ以外に覚えてるものある?)
そもそもあってたまるだろうか?ラノベで初っ端アニメ化の台本を書いてくる作品なんて。
これは絶対だ。
キャラクターが一言目を発した瞬間からそれぞれの読者がイメージしていた声との差異について誰かがSNSで語りだす。
部屋の作り、主人公の佇まい、あらゆる所作と小道具が原作と比較される。
似せることは出来るし、再現しようとすることは出来るが同じものにはならない。
良くも悪くも。
原作改変の善悪を決める権利が原作者にあるというなら、権利者としての力を存分に振るってくれて構わない。
だが消費者からすれば、個人的な好き嫌いや楽しめたかどうかだけが、原作改変の良し悪しになる。
面白くなるならいくらでも原作改変して欲しいし、メディアの違いを理解せずに必死に原作を維持しようとして駄作が産まれたなら単に見ないだけだ。
好きにして欲しい。
ここのところ「自己肯定感がある方が生きやすい」みたいなことが言われて、まあそうだよなーと思ったが
考えれば考えるほど、自分のことを好きになれるようなトピックがない。
面接受けが悪くどこにも就職ができない、インターネットをただ長くやっているだけでSNSで人気者になったわけでも続けたことがあるわけでもない
金もなく人付き合いも悪く、コミュニケーションもうまくいかない、飽き性で、何かクリエイティブなことができるわけでもない
指摘して今まで「直します!ありがとう!」でやりとり終わってた作家が何人か明らかにダウンしてマジでめんどい
話題になった最後のポエム(笑)が繊細な作家様何人かのトドメになった
「作画ここ崩れてます」「ここ誤字ってます」「表現これで大丈夫ですか」みたいな赤ペン確認だけで「心がしんどくなっちゃって。。。。。」「直す気力なくて。。。。。」とか抜かす始末
お前の作品だぞ。ファンが待ってんだぞ。出したら直せないんだぞ。出さなくて飯食えなくなるのお前だぞ。ふざけんな
起こして飯食わせて風呂入れてヨシヨシして「こことここ直してほしいんだけど大丈夫かな~?直せるかな~?」て感じの仕事がプラスされてマジで介護。こっちは仕事でやってんだぞ
死人は復活しねーし増田だって思うことはあるし、局との関係も切れないし我々のような一般人には何もできないんだよ。割り切れとは言わないからインターネットやめろ
猫飼ってなかったらこっちが死にてえ~
私の実家は細い。
父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。
母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。
親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーのパート職員をしていた。
職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。
クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラも練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。
私の世代で子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。
習い事も2つだけ。
地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。
サッカーは習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。
幸い、勉強はできる方だった。
塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。
どうやら母方の爺さんは名家の医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。
まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。
そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。
外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。
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学校では、放課後や休み時間にパソコンを貸してもらえるようになった。
最初はパソコンでゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。
そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねる」である。
「創価学会をバカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています」
叩かれた。
「高校を卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」
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2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金をギリギリまで借り、地方国立大学の工学部に進学した。
大学を卒業したとき、高校・大学合わせて奨学金の借金額は600万円まで膨らんでいた。
国立大学の工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。
子供に小遣いも与えられるようになった。
私はこの現状をとても幸せに感じている。
地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。
しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。
実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。
一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。
あの頃、インターネットに出会わなかったらどうなっていただろうか。
2ちゃんねるで学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。
情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、
インターネットは偉大だ。
母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。
母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学か高校頃までは生きていたのだと思います。
両親が学会員だったってこと?
ちなみに、自治会のリーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教の総本山まで。
タダより高い物はない。
与えられた仕事がない時は自分で仕事を見つける必要がありますが、やる価値のあることは少ないのです。
やってコストになるならやらないほうがマシです。
それで、私は「これをやってほしい」とあちら側からやってくるのを切望しているのです。
社畜といえばそれまでですが、私は金儲けは得意ではないので、金儲けの戦略を考えるような話では戦力外です。
「生産性を上げるためにこういうツールが必要だ、作ってくれ」という話ならば、やる気が湧くのですけどね。
それはそうと、私のチェスの腕前は素人レベルなのですが、chess.comで勝つといい気分になります。
結局、チェスとは1日における有限の集中力の割り当てゲームです。休日に朝起きて、朝食を食べた後ぐらいにやれば勝率が格段に増加します。
しかし調子に乗って二戦やると、すでに集中力を使っているので負ける公算が高いのです。
何か新しい趣味はないだろうか、と探し続けてしばらく経ちますが、ブログの執筆というのが一番しっくりくるような気がしているのです。
私はこれまでに何種類かのブログを書いてきました。
学生時代はサイバーセキュリティのブログ、就職後は自然言語処理ブログ、あとはいくつかの黒歴史です。
バカも黙っていれば利口に見えるというのは、聖書にすら書いてあります。
ブログなど書いても、チェスの集中力の話と同じで、いつか気力の弱い時にボロが出るだけでしょう。
それよりも一冊、フィクションの小説を書いてみるというのはどうでしょうか。
いや、私は知っています。世の中には溢れんばかりの小説がありますが、その需要は限界を迎えていることを。
例えばこういうのはどうでしょう。つまり、語り弾きの録音をして、soundcloudで発信するというのは?
もしかすると、アウトプットのできる趣味を求めるのが間違っているのかもしれません。
そもそもアウトプットは社会を前提とします。私の脳が社会的本能を持ってしまっているために、社会に何かを出したいと思ってしまっているのです。
しかし誰かに認められることなく、家の中で数学をやっている虚しさを私は経験しています。
結局学問というのは、社会に成果を発表してこそやる意味があるのです。今、卓上で宇宙の真実を発見したと言っても、虚しいだけです。
では趣味全般が、社会との交点を有意義さのために必要とするのでしょうか。
いえ、そんなはずはありません。私の母親は趣味で農業やダイビングをやっていますが、情報発信などせずに充実しているようです。
そうすると、なぜ私は社会のことを過剰に気にしてしまっているのでしょう。
それについては、たぶん私の「新規探究性」にあると思います。遺伝的に私は新規探究性が高いので、ようするに新しいことをしたいのです。
インターネットに不満を感じ始めたのは、目新しさが減り、なにもかもがありきたりに感じ始めたからかもしれません。
私はtiktokが出た時も、「ありきたりなアイデアだなぁ」と思っていました。
マルチメディアは動画・画像・テキスト・音声ぐらいしかなく、そのバリエーションで言えば、動画の次元である「再生時間」に制限を加えたSNSが出てくることぐらいは誰もが予見していたでしょう。
生成AIが出た時は、「AIもここまで進歩したか」とちょっと驚きましたが、触ってみるとすぐに飽きるのです。小説AI,ChatGPT,画像生成など色々試しましたが、AGIが出てこない限りはあまり驚くこともないでしょう。
野球場のヤジなんて選手に近い席の声デケーやつのぐらいしか選手には届かないが、
インターネットはありとあらゆる位置からの声が配信者にも可視化される
まあエグいよね
絵描き沼とカメラ沼に住むものとして、生成AIを批判する文脈の「生成AIの台頭は写真と同じだ」vs「カメラの開発では他人の権利を侵害しないだろw」に対して、もにょるものがあるので書いてみる。
この文章はとりあえず「生成AIの台頭は写真と同じだ」を肯定してみる。
かといって、写実画家と写真の誕生のような大昔の話にたとえるのは、まあまあ離れすぎてると思う。
でも、皆がスマホで写真を撮りSNSに上げるようになった最近の変化については、生成AIイラストと絵描きの関係を考える上でそこそこ良い補助線になるんじゃないかと思っている。
対比させる要素は、
この辺りだろうか。
まず、カメラという道具に対する認識の基本として、「この世の全ての肖像権を侵害しうるものである」というのは持っていて欲しい。
LAION-5Bの58億のデータセットどころではない、この世の全ての意匠、肖像を、撮影される人の意志に関係なく無断で写すことが事実上可能な道具である。
近年、スマホカメラの小型高性能化とインターネットと写真投稿SNSの台頭の組み合わせよって、全ての人が極めて簡単に、無制限に、世界中に、撮影物を公開できる環境が大きく加速した。
これは肖像権の侵害という視点で見るとかなりヤバイ加速だ。倫理に欠いた撮影と公開の被害は枚挙に暇がない。
スマホカメラと写真投稿SNSによって、知人に見せる程度で収まっていた写真が、SNSによって、より見栄え良くする需要が大幅に高まった。
それに伴い、従来の様々な写真家が開発し発展させてきた撮影技法、映える色彩補正スタイルが、スマホカメラアプリでそれっぽく再現できるように、無断で取り込まれた。
これによって、スタイルが大量に模倣されることによる陳腐化や市場の競合、新規参入によるダンピングはもちろん起こったが、著作権で保護される範囲では無いので受け入れるしかなかった。
イラスト生成AIで懸念されている、画風作風の模倣問題や実際起こっているAIによって大量供給される様々なマスピ顔の陳腐化は今後も抱え続ける問題になりそうだ。
借り物のモチーフ、借り物の構図、借り物の機能によって補助されまくった色彩調整で、素人騙して小金稼ぎしてる写真家モドキが憎い。
描く対象の知識も無く、ライティングの整合性も、グチャグチャになって違和感しかない箇所も認識できず、適切な修正もできないのに、客はそこまで見ないと括って適当に売るAI絵師が憎い。
何でもかんでも燃やすのは良くないけど、上層部が有耶無耶にして揉み消そうとしてた事柄について、インターネットで燃えたことでやっと重い腰を上げて対処し始める、みたいな例が多すぎて炎上も正義になり得るよな、と思うよ
昔のインターネットはそれでいいけど今は違うんだよ
麻雀やってるVtuberが「何度も打牌批判するなって言ってるのにやってくる奴らのせいでモチベーション保てねーわ」的なこと言ってる奴がいてすげー擁護されてるけど、ネットに晒すってことは有象無象がたかってくるってことなんかもう何十年も言われてることだろ。
Twitterでヘタ打ってバズって大炎上して「知り合いに向けた内輪向けのジョークのつもりだった」って釈明したら「ネットに晒すってことは誰が見るかもわからんし、何言われるかもわからんってこと。そんなこともわからないんだったら家のチラシに書いとけ」みたいなことをしたり顔で言うわけじゃん。
ネット上で何かやって注目稼いで金に換えるってことは良くも悪くもわけのわからん有象無象魑魅魍魎を呼び寄せるってことなんだよ。注目はされたいです!でも嫌な人は一人も来てほしくないです!ってそんな世界はない。
そんなになんか言われるのが嫌なんだったらオフで集まって家で打っとけ。もしそれを盗撮カメラかなんか仕掛けてまで批判してくる奴がいるんだったらそれは流石に警察に行け。
何年インターネットやってんだよ。
高菜コピペとか吉野家コピペとか白木屋とか、今書いてバズったら営業妨害とか言われそうだよな。冗談を冗談と判らないインターネットヤバすぎない?世の中キチガイすぎる。
プラスとマイナス成果だけ見て指折り数えていけばだいたいそんな感じじゃないかな。
つまり、マスコミとインターネットの評判、あと「今やって欲しいことをやってない(プラマイゼロ)」は加味しないということだが。
中韓のお菓子が内容量多く見せようとしててワロタwwwwみたいなのあったよな?
こういうの
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