はてなキーワード: ゆるキャラとは
今回はガンガンオンライン
本筋は、いつも通りからまわり展開で、安定感がある。
まあ、強引ではあるが。
それはそれとして、採血したのは伏線だったりするのだろうかね。
さすがに、このままグリーンマイルじみてネルガルが処刑されたらギャグにならないので、どこかで脱獄するか無実証明に進展するのだろうけれども。
できれば脱獄後の生活を描くみたいな引き延ばし展開はやめて欲しいところだが。
今回、大分振り切った描き方をしてきたな。
将棋の戦術とか細かく説明されてもついていけないので、あくまで成長に必要なものが他のジャンルでも適用できそうな要素にしたのは正解だと思う。
弟子の成長もだけれども、同時に師匠の成長物語でもあるので、今後どう展開させていくか楽しみなところではある。
さて、ライバルキャラっぽいのが登場したようだが、どう絡ませていくのか。
とあるRPGとか映画を知っている人なら、ウサギは絶対に油断しちゃいけない相手なんだよね。
まあ、ボーパルバニーをそのまま本作に持ってきたらシャレにならないのでマイルドなんだろうけれども。
そっちが破れるんかい……。
「さくらえび子ちゃん」とか、造形といい完全にピーヒャラピーヒャラだし。
応募数が3桁超えてるってのもアレだが。
展開としては、もとが先輩が悪ノリして~ていうやつなので、別に続かなくていいかな。
何がとは言わないけれど、今回は随分と「露骨」だな。
さすがにちょっと引いたわ。
それにしても、風邪でサムゲタンだと「あれ」を思い出してしまうあたり、あの一件で騒いだ彼奴らの罪の重さよ……。
適切かはともかく、風邪だといっても、それなりに味がしっかりするもの食いたいのでアリだと思うんだけどね。
はしゃぎ方が完全に「アレ」でそれだけでも笑えるが、それでオチがより際立つね。
まあ、八頭身ネタとかがあるように、極端なのはネタにしかならないってのは周知だけれども。
現実のスキャンダルとかとは性質が違っても、アレみてこれまで通りファン続けるのは難しいわな。
絵面のインパクトとしては、ギャップもあって今まで出てきた妖怪でもトップクラスだし。
それにしても急遽呼び出したんだろうに、自分の生活があるにも関わらずちゃんと来てくれる妖怪たちが微笑ましいな。
いやいや、ああいう絡み方されたら、黒田じゃなくてもそう思うって。
本当に仲良くなりたいなら「相手のリアクションの大きさ」ではなくて、「どうすれば悪い印象を持たれないか」、「好印象を持ってくれるか」をよく考えて振舞わないとダメだわ。
もちろん、黒田が壁作っているというのもあるんだろうけれど、仲良くなりたいと第一に思っているのは八木なんだから、まず八木の言動を何とかしないと。
ただ話自体は、先生も先生っぽいことをやって、黒田も成長して関係性も向上と、これまででかなり綺麗に纏まっている部類でよかったかと。
男の子に見える設定にしたのは正解だったな。
だからこそ通常時の辛辣な態度で男の子が不憫になり過ぎないし、ギャグとしても成立する。
悪役もいる漫画で、モブとかで変に嫌味なキャラとか追加されても呼んでて不快感が増すだけだから。
急なハプニングで主人公が焦りつつも、冷静に対処しようとする狭間が伝わってきてよかったかな。
このまま電話越しでの交流なのかと思ったら、意外と早く医者の人の姿出てきたね。
この調子だと、ボイチャで話す編集の人も物語に絡んできたりするんかね。
さて、案の定というか、敵(?)に見つかってしまったわけだが、明らかに普通の人間ではない相手に、民間人がどう立ち向かうか。
大学に入学して3ヶ月が経とうとしている。やっと「本音で話せる友達」というのもできて毎日のキャンパスライフが楽しいと思っていた。
でも実際はまだ「本音で話せる」という段階まで達していなかったようだ。今日は本音を言ったら思いっきり痛い思いをしてしまった。
あらかじめ言っておくが、これは僕が悪いのだ。「人に言っていいことと悪いこと」の見分けがつかなかった僕が悪い。
いや~、こんなこと普通の人間なら思っていることだと思ったのになぁ……
* * *
アイドルの話題が出た。「握手するためにCDを大量に買うなんてバカだろwwwwwwwww」みたいな内容。
いやぁ~、そう言ったときのみんなの反応にビビったよ。キレられてtwitterもブロックされちったわ。
もう一度いうけど、この考えは一般常識だと思っていた。違うということに今日始めて気がついたよ。
アイドルなんて「人を押しのけて少しでも自分が上に行きたい」という人の集まりだと思っていたけど、どうやら違うようですね。
友達いわく、アイドルとは「ゆるキャラと同様に、かわいくて応援したくなるもの」らしい。知らんかったわ。
これから大学でどうやって過ごそうかなぁ。ぼっち飯だけは嫌だよぅ。。。
みなさんも、むやみに友達に本音を話すと痛い目を見るよ。お気をつけて!
(大学生)
ふなっしーは、千葉県船橋市在住の「梨の妖精」という設定のマスコットキャラクターである。
着ぐるみと中の人が一体となり、地域おこし活動のほかにタレント・歌手・声優としても活躍している。
2011年11月、船橋市名産の梨をモチーフにして、いち船橋市民が「個人的に」始めたご当地キャラクター(いわゆる「ゆるキャラ」)で
当初は船橋市役所などに売り込んでも受け入れてもらえなかったが、自主的に参加した地域イベントなどでの活動や
インターネット上の活動でじわじわと浸透し、2013年(平成25年)2月のCM出演を機に一気にブレークした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%97%E3%83%BC
Twitterのメンヘラさんが意味深な投稿して飛び降りたらしい。Twitterに兄と名乗る人物も現れたんだとか。(その兄はもう消えたらしいが)
「そんなに面白いことがあったのになんで私が暇なときじゃなかったんだろー。リアルタイムで追いたかったー。」と思ってしまった。私にとって彼女は「コンテンツ」でしかなかった。人間じゃなかった。ゆるキャラ、ディズニーランドのミッキー、芸能人と同じカテゴリー
芸能人や有名人になることのリスクは不特定多数の世間の大勢から自身が人間扱いされなくなることにある。非常に危険だ。
彼女は芸能人じゃなかったけど、ネット上で人間でなくなる道を選んじゃった。
ほんとに、死んじゃったのかな?
ゆるキャラ「なめてんの君」だ
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ひこにゃんの時代ならともかく、低予算で企画されたようなゆるキャラは、もはやあぶれてて誰も見向きもしないし何の価値も生み出していない。
「前ゆるキャラやって上手くいかなかったし、次は萌え行ってみっか」くらいの感覚でやれる。
つーか、一度ゆるキャラやった所は同じようにゆるキャラ発注しようと思っても
それが現実だよね。
ノーリスクハイリターンなゆるキャラではなく、敢えてハイリスクローリターンな萌えキャラを使う必要はないのに
オタクが必死で「地方おこしには萌えキャラを使うしかないんだ!」と言い張ってる状態。
実際は萌えキャラ使ってるのは騙された所くらいなんだろうね。
自衛隊は萌えポスターや萌えキャラを使って隊員を募集することで有名です
その中から今回ピックアップするのは、福島の自衛隊地方協力本部の萌えキャラ、福島美空さん、福島陸花さん、福島夏海さんです
http://www.mod.go.jp/pco/fukushima/tihon/kyara.html
プロに頼んでないことがばればれの絵です
ある隊員が「うちの子」を猛プッシュしたに違いありません
都道府県や市町村、もちろん国家だとか、公共性の高い観光協会だとか商工会だとかもそうですが、そうした団体が、アニメやゲームとタイアップとか、さらに言えばツタヤとタイアップとか、こうした事象が「社会問題化」しています。
なぜ問題になるのかその原因はというと、私は「デモクラシーが成立していないから」だと考えるわけです。
例えば市町村が、「萌えキャラ」にしろ「ゆるキャラ」でさえも、そうした広報、というかむしろ広告宣伝ですが、そういう行政をします。そうすると、市町村の構成員であり最も基本的な利害関係者(ステイクホルダー)は、そこの市町村民です。そこではたして、そこの市町村民の意思が、その広告宣伝活動に反映されているのでしょうか?
例えば武雄市などがツタヤと「タイアップ」したわけですが、これも市民の意思が反映されているのでしょうか、また、市民の利害に目を向けられているのでしょうか。
「選挙で勝ったから」という理由で、首長が何をしてもいいという風潮になっていますよね。その選挙でその候補者に投票した人がどのくらいの割合なのでしょうか? そもそも、全員一致で当選したとしたって、個別案件で市民の意思を完全無視していいという理屈は立たないと思います。
それに、投票の拒絶されている人(例えば未成年者)の利害に目が向けられていますか?
また、その施策が実行された後、将来になってその施策の利害を負わされる人への眼差しにも欠けています。典型的には、日本の「借金」の件もそうです。世代間の「支えあい」モデルの破綻した公的年金もそうです。だから率直に言って、「こういう無責任な人たちには人間の血が通っているのか?」と思いますよ。強権的(ポピュリズム的)な思想と、儒教的な(年長者を尊敬し、子孫に責めを負うという)思想が混在し、致命的な矛盾を起こしていると思います。
さてともかく、「選挙で勝ったから」という発想でさえも問題があるし、「俺が責任をとる」と云われても、損害が出てからお前が腹を切っても損害が無かったことにはならないわけですね。
ましてや、具体的で個別的な施策決定はむしろ、首長ではなく職員が決めていることが多いと思われます。首長は、上がってきた案にサインするだけかもしれませんし、ましてや「聞いていない」ことすらありうるのではないかと思います。そうするとつまり、その施策には住民の意思を反映するプロセスがあるのか、ということが問題であるわけです。
例えば、東京オリンピックのエンブレム問題もやはりそうなんですね。東京都がやるんだったら、東京都民の意思を反映しないといけないのに、むしろ密室的に行われていたわけですよね。
このような問題はですね、そのまま、「日本国」の問題でもあります。政策決定にしろ、道路を敷くだのダムを建てるだの原発を建てるだのもそうですし、「消費税」を上げるとかいうのもそうです。さらには、広報ポスターやCMに誰を採用するかというところにも、1件あたりならばたかが個別案件でも、継続的に、特定のタレントとか広告代理店とかを使っていくことが慣例化するともう、個別案件だといって済むとは思えないと感じます。(ちなみに、こうした問題点を軽減するための手法に「パブリックコメント」の制度があるわけです。)
そして、例えば、市町村だとか商工会や観光協会が特定のアニメとタイアップすると、当該市町村はそのアニメのイメージを負うことになります。そうすると、市町村民もそのイメージと影響を負うことになってしまいます。市町村民は意思決定プロセスに関与していないのに、利害を負わされるわけです。
それがかりにどっかの中小企業が宣伝でタイアップしたというのならば、それはその企業の「自由」だということになるのでしょう。上場企業だったら株主に責を負いますが、少なからぬ株主は「儲けてくれればいい」と思っているので、実際に収益が出れば文句は出にくい、つまり問題化はしにくいかもしれません。
それでも例えば鉄道事業者がやったら、その列車に乗る人みんなが、その作品だかなんだかを(事実上強制的に)見せられたり、さらには車内アナウンスまでも差し替えられて聞かされたりするわけです。そうすると、たとえ私鉄、「民間事業者」であったとしても、無難な選択にとどまって、「大冒険」はすべきではないというのが原則だと思われます。
ですから、事業の性質や規模によっては公共性が高くなり、決してプライベートでは済まされないことがあります。
話が長くなりましたが、昨今の騒動をみると、「大冒険をするな(最大公約数的であれ)」という主張と、「大冒険を許さないと社会が改まらない」という主張の二極対立、デジタル的・バイナリ的なコンフリクトになっているように思います。
しかし問題の本質は、「大冒険」をしても良い場合でも、その決定プロセスで構成員や利害関係者の意思を聴き反映させなければならない、ということにあるのです。
それを言い換えればデモクラシーだというわけです。
問題の本質は通底しているのに、そうした事件一つ一つを分断して個別化し、洞察や反省をしない習性が今の「日本人」にあるように思えます。
志摩市の海女の萌えキャラ騒動は個人的には全く興味がなかったので全然経緯とか追ってないんだけど、そういえば新潟県粟島の「泡姫ちゃん」ってゆるキャラが騒ぎになったよね。
一瞬ネットで大騒ぎになったけどすぐに下火になっちゃったから、検索するとその時の記事ばかりが出てくる。ちょうど2年前だったんですね。
もともと自治体の公式キャラじゃないから新潟県や粟島のサイトには載っていないし、温泉施設の公式サイトも無いようなので、まだ現役なのかどうかも分からない。
便りがないのは元気な証拠っていうけど、少なくとも表向き変な団体に目をつけられたりした気配もなさそうではあるけど。
誰か知ってる人いないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20151019213445
「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなたは全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。
なぜ魔法少女になれないのか。
なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷な事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構の世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。
あなたがこの世界で最初の魔法少女になればいいのだ。最初の魔法少女なのだから、自分自身がルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉が規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念を矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。
困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイトの管理人やネタブロガーを見習うのがいいだろう。
「いや、そんな理屈をこね回してネタで魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」
その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出やエフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐なものだったかもしれない。
何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかしあなたは彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女もいるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前から、あなたはコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?
このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差しを考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなたは創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。
……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。
あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなたが男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子が女子と見られるためのノウハウや文化の蓄積がある。あなたが青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。
だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作だから」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間は存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法」なのだ。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」という言葉を引用するまでもなく、我々は魔法という言葉に魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ。創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理を説明していないだけの超科学が常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である。
とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学、最先端技術を操れるわけではなかろう。習得しやすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女」から「魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミングで魔法が行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女の必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジックと映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。
魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかのパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。
さて、私の陳腐な魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想の魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後に叱咤の一言で締めくくろうと思う。
「努力が足りないのだ」