はてなキーワード: みくちゃとは
行きつけの店で会話と食事を楽しんだのち、友人たちと別れひとり乗り込んだ横須賀線にて違和感が生じた。
毎週土曜の習慣であるアニメ鑑賞を終え、日で染まったオレンジを隙間から覗かせる轟々とした雲の下を歩き、私は最寄駅に着いた。これから友人たちに会いに行くのだ。
数ヶ月に一度、大学時代の友人と定期的に会っている。場所は友人が昨年見つけた居酒屋。彼らと集まるときは必ずそこだった。
駅に着いた私は改札前の人だかりの隙間に小さなホワイトボードがあることを認めた。
イヤホンを外すと、京急線にて振替輸送が行われていると駅員の案内が聞こえた。
現在時刻は16:56。ホワイトボードの復旧予定時刻が17:30に書き換えられるのを見届けた私は京急線のホームへ向かった。
私と同じように流れてきた人たちにもみくちゃにされながら、京急線は品川まで到着した。ここから横須賀線に乗り換え、30分ほどで目的地である。
しかし、発車した横須賀線はほどなくして止まった。アナウンスを聞くと、今度は人身事故の影響で遅延が発生しているらしい。東京駅から折り返し運転の電車もあるため、身動きが取れない状態となっているとのこと。
ついていないな、などと思いながら待つこと15分、ようやく動き始めた電車は新橋についた。
先の理由から、電車は新橋にも留まるであろうことは想像していたので、私は電車を降りて汐留口に向かった。
私はタクシーを引き留め、目的地を告げた。現在時刻は18:27。待ち合わせの時間はすでに過ぎていた。予期せぬ出費は痛手ではあったが、いつまで待つのかわからない状況で人ごみに押しつぶされているのは耐え難いものだった。
鉄の棺桶と化した電車内で、目的地まではタクシーで20分¥2,400程度と調べておいた。タクシーに乗り20分。イルミネーションで彩られた道のりはまだ続いていた。結局かかった時間は35分ほどで、つくづくついていないな、と思いながら調べた金額にさらに¥1,000ほどを支払った。
すでに出来上がっていた友人たちに合流し、他愛ない話で代えがたい時間を過ごした。
出そうだ。
そのときは耐えうる痛みに感じた。過去何十回と耐えてきた痛み。今回も大丈夫だろう。
念のためと思い新橋で降車し、ホームからエスカレーターを昇りきり、青と赤の人型を見つけた次の瞬間にそれは起きた。
そのときの私はいたって冷静であった。今は個室に入りさえすればいい。それだけだった。
長い廊下を歩き、たどり着いた。
個室は空いていた。人もいなかった。ズボンと下着を脱ぎ、中を検めた。
うんちを漏らしていた。
うんちを漏らしたのは初めてだった。
私は下着に留まるそれを流し、ケツを拭いた紙を流し、ズボンに付着したそれを拭きとった紙を流した。
私は冷静であった。
異臭を放つ下着も流したかったが、紙で何重にも何重にも巻き、懐にしまい込んだ。
私は冷静であった。
手を洗いトイレを出て丁寧に包装した小包をゴミ箱にぶち込んだ。
私は冷静であった。
私は京浜東北線に乗っていた。ダイヤは復旧していたが、いつも以上の人がいた。やはりトラブルの影響は免れないようだった。
私はこのときになって初めて、自分がうんちを漏らしたことに対し恐怖を感じた。
もし異臭が残っていたら。もし誰かが気づいてしまったら。もしもう一度うんちを漏らしてしまったら。
ズボンの染みはコートの丈が隠してくれているが、ふとした拍子に他人の肩が当たったり目が合ってしまったときにひどく狼狽した。
しかし、私がうんちを漏らしたことを知る人はこの電車内に誰もおらず、また、私がうんちを漏らしたことを知る由もないのだと思うと、愉快でもあった。
忘年会を心行くまで楽しんだ大学生たちも、休日のこの時間に帰宅する年配のサラリーマンも、これから夜の街に消えていくであろう男女も、誰も知らないのである。
私は誰もいない暗い部屋に帰宅した。暖房をつけっぱなしにしていたようだが、うんちを漏らした私を温かく迎えてくれるのはありがたかった。
シャワーを浴び入念に体を洗っていくが、どれだけ洗っても落ちなかった。
何度も水で流し、洗い、跡が残っていないことを確認しても、落ちなかった。
それは、汚れが"穢れ"となった瞬間だった。
私の体は、もはや私の体ではなくなってしまっていた。
サラリーマンだったころ、もう通勤ラッシュが嫌になって、自腹で新幹線通勤をしていたことがある。
東海道新幹線の新横浜〜品川間、所要時間は10分弱。3ヶ月定期で10万円ぐらいしかなぁ。
Suicaは対応していないから、改札機に入れるタイプの磁気定期。偽造防止のためかホログラムが入っていて、真ん中に大きく赤字で(幹)って印字されてた。
品川も新横浜も「のぞみ」も含め全列車が止まるので、本数はめちゃくちゃ多い。
だけど、朝は座れない。三島始発の「こだま」号ですら、新横浜到着時点ではほぼ満席。
座っている乗客の読んでる新聞が「静岡新聞」だったりするから、ガチで遠距離通勤してる人が多数。
たった10分間で、おまけに座ることもできなかったけど、デッキで壁によりかかりながら、車窓を眺めるのが好きだった。
途中で並走する横須賀線の乗客と目線があったり、大崎駅あたりの再開発工事現場でみんなで点呼&ラジオ体操しているのが見えたり(ちょうと8時頃ね)。
あんまりいい景色じゃなかったけど、在来線で揉みくちゃにされて体の自由を奪われるよりかはマシだった。
そして、品川駅で新幹線改札を出て在来線乗換通路に入った瞬間、現実に引き戻される。
会社辞める直前は、定期券も切れてしまったので、行きは新幹線(回数券)、帰りは東海道線グリーン車とか、アホみたいなこともしてた。
とにかく金に糸目をつけず、混雑を避けて移動するためなら出費を惜しまなかった。
懐かしい黒歴史だ。
卯月「ニュージェネレーションの島村卯月です! 今日もラジオ頑張ります!」
愛海「ニュージェネレーションじゃない棟方愛海です! 今日もお山登り頑張ります!」
愛海「……あーその」
卯月「ですよね」
愛海「うん、食材三品目法、食三法という法律が近日公布されるんだけど、それの先行被験者なんだ」
卯月「もうこの、日菜子ちゃんと愛海ちゃんの二人が揃ったときの面倒臭いノリですよ」
愛海「それ、すごいよく言われる」
卯月「本当ですよ、二人それぞれ一人一人なら好きですけど、二人が揃ってるときは正直近寄りたくないですもん」
愛海「ひどいよ!」
卯月「その事件のとき、私もいたんですけど、本当に不愉快でした」
愛海「そこまで言わなくても」
卯月「全体を話すとアホみたいに長くなるので、かいつまむんで話しますね。
愛海ちゃんと日菜子ちゃんと、あと数人のアイドルが番組の待ち時間だったんですよ」
愛海「三時間ぐらい?」
卯月「そうですね。機材トラブルとかが色々あったんで、そのぐらい待ったんです」
愛海「で、その中であたしか日菜子ちゃんのどっちが急に「片栗粉中毒!」って言い出して」
卯月「そこからですよ、二人してアホみたいな大きい声で「片栗粉中毒!」「片栗粉中毒!」と延々繰り返すんですもん。しまいには、歌番組始まって他のアイドルが歌っているのに、それでもまだ「片栗粉中毒!」「片栗粉中毒!」と……」
愛海「い、いや、一応流れがあったんだよ、流れが」
卯月「そしたら番組のディレクターさんがブチ切れて346プロに公式に抗議の連絡がいって、全員が怒られたんです」
愛海「ごめんなさい」
愛海「食材三品目法」
愛海「ざっくりいうと、食材を自分が選んだ三つしか一生食べれないの。
豚、卵、玉ねぎ、だったらその三つだけを食べ続けるの。
それで、誰かと一緒にご飯を食べるときは、その人の食材も食べていいっていう、一緒に食卓を囲む楽しさを」
愛海「卯月さん周りの人だと、響子ちゃんが『牛、豚、卵』だよ」
愛海「するどい、玉ねぎ持ちの子を探してるので、玉ねぎを選んだ人は響子ちゃんと結婚できるチャンスだよ!」
卯月「なんとなく読めるけど、法子ちゃんは?」
ちなみに、凛さんとチョコが被ってたから、法子ちゃんと凛さんは結婚しないよ」
卯月「チョコかぶり、というか、ヤングドーナツを選ぶお嫁さん嫌ですよ」
ところで、愛海ちゃんはどんな三品なんですか?」
卯月「……は?」
愛海「あずき」
愛海「牛乳」
卯月「雫ちゃん?」
愛海「求肥」
愛海「雪見だいふくの外側」
卯月「その心は?」
愛海「ふおおおおおお! やわらかプニプニ! やわらかプニプニ! アイライク! プニプニ!」
愛海「糖尿病なりそう」
愛海「それなんだけど、アイスクリームって牛乳と砂糖を混ぜたらできると思ってたんだ」
卯月「卵がいるんでしたっけ?」
愛海「うん…… だから、想定では雪見だいふくと、あずきで作った餡子の大福を、交互に食べるつもりが
アイスクリームが作れなくて……」
卯月「今までの話題だけでも、卵を選んだアイドル多いから、結婚すればいいじゃないですか」
卯月「えー。ちなみに、結婚は冗談にしても、共同生活送ってる人は多いんじゃないですか?」
愛海「そうだね。ヤングドーナツを選んだ法子ちゃんを哀れに思ったのか、時子様が今週は家に泊めてるみたい」
愛海「『豚、鶏、鰻』」
愛海「こういうの私生活が謎な人のが知りたいよね」
愛海「ちなみに、七海ちゃんは全部魚編でした!」
それじゃあ、今週も」
愛海「ニュー乳Newジェネレーション! はっじまるよー!」
りりぽん(須藤凛々花)の話題が色々あがってるけどさ、はてなで語られてることなんてどれもこれも的外れなんだよ。
れんぞくして握手会のレーンに並んだことは?
全員自分と同じようなおっさん達にもみくちゃにされながら、イェッタイガーを叫んだことはあるのか?
部屋で一人、すがるような気持ちで推しの選抜入りを祈ったことは?
無い袖を振りに振りながら、何十枚と同じCD(ジャケットだけは数パターンある)を買ったことは?
いままで無名だった推しが、ちょっとメジャーになって嬉しいような寂しいような気持ちになったことはあるのか?
はてなでは、今までAKBGに全然関心を抱いてこなかったような奴らが見当違いの批判をし、メディアやまとめサイトは面白いおかしく極端な意見だけを世間に見せる。
ずっと不思議だった、人付き合いにおいてコミュ力と綺麗な容姿は強い武器だ、男もスクールカースト上位に入っている美人達を見てきたはずだ。
男も同じように容姿がいい男は人と付き合う上で有利なはずなのに何故女だけ不利に働くと思うのか。
ついでに美人は大概痩せたり髪型にかまったり服を研究したり化粧をする努力の上にいるので、キモオタのような弱者寄りがそこまで多くない。
そりゃ容姿に恵まれているがコミュ力が無くて虐められる美人もたまには居るかも知れないが、そういう人はブスでも虐められているだろう。
その謎がやっと解った。
今日私は池の鯉に餌をあげていた。
黒い鯉が気持ち悪いほど沢山やってきて口をバクバクさせている中に一匹だけ真っ白な鯉がいた。
私は白い鯉に餌をやろうと狙って撒いた。
白い鯉は他の鯉にこづかれ割り込まれ覆いかぶさられもみくちゃにされ、なかなか食べられなかった。
やっぱり一匹だけ真っ白だと虐められるのかなぁと思った。
しかしよく見ると他の鯉達も奪い合いで似たような被害にあいながら食べようとしていた、黒い鯉に注目してなかったから気がつかなかった。
考えてみたら白い鯉目掛けて餌を投げていたので白い鯉がよく被害にあってるように見えるのも当たり前だった。
美人が虐められていると勘違いするのも、男が美人だけに注目して味方目線になり被害にあうのを見ると美人だからと考えてしまうからなのだろうなぁとストンと納得いった。
ついでに唇が変な形に腫れた目立って醜い鯉が居たが、一瞬視界に入って嫌な気分になっただけで、この鯉には全く注目していなかった。
僕は5年後10年後を考える海がきこえるで言うところの松野タイプではなく、拓タイプなので詳細なあらすじは書かないが、
ざっくり書くと、普段のラフィはサターニャのことをからかっていたずらをするため、雨の日に傘を差し出すラフィを不審に思うサターニャ、
しかしこの日は特にイタズラを仕掛ける気はなくラフィはただ一緒に傘に入って帰りたいだけだった
みたいな感じかなあ
いや、あらすじの何が難しいって、文章にしちゃうと文章にしたこと以外が伝わらないわけじゃないですか
「だってそれにはまだ名前がないんだもん」だのに、ラフィとサターニャの気持ちに名前をつけてしまうわけじゃないですか
だから、僕が涙止まらなくなった理由を書いたしまうのももどかしい
けど、書かないと伝えられないのも、たいへんだなあ
要するに「相合傘で一緒に帰るぐらいサターニャのことが好きなのに、それがサターニャにはうまく伝わらない様」がなんかこう、悲しいんだよ!
わかんないよ、ぶっちゃけ、本当になんとなく見てるだけで、今までの回も飛ばしてる回があるかもしれないぐらい、思い入れがないアニメだから、解釈を間違えている気がしなくもないんだけど、
で、さらに、そのなんか、天使と悪魔の悲哀てきなサムシングが絡むんでしょ?
あーあーあーあーあー、切ないー
いやもう、そのイタズラって具体的になんだよってのが思い出せないぐらいの思い入れしかないのに、なんで泣いちゃうんだろうなあ
今日会社で飲み会だったんですけど、女の子二人がめちゃくちゃイチャイチャするんですよ
大きいところでいうと、枝豆をじかに手で持って食べさせあったり
小さいところでいうと、向かいの料理をとるときにお洋服が料理の皿にくっつかないように手で抑えてあげたり
もう書ききれないぐらいの百合エピソードがあって、ちょっともう心が落ち着かないんですよ
あっ! こういうときはアイマスのアイドルで例えないといけないんですよね
えーっと
みりあちゃんのソロ曲のロマンティクなうって曲あるじゃないですか
あれの
そっかあ、みりあちゃんはみくちゃんと一緒にお歌を歌いのかなーって思ってた
思ってたんだから、仕方ないよね
前を向いたらスプリング
振り向いたならウインター
「…ではこちらの比較画像をご覧ください。これを見てもえみつんとみくちゃんは別人だと?」
「比較も何も…紅白出演声優のえみつんと黒乳首AV女優のみくちゃん、どこからどう見ても別人だろ?」
「…実はこの比較画像、えみつんの写真同士を比較したものなのです」
「なっ…!?」
「貴方は今、えみつんを見て彼女はみくちゃんだと…お認めになりましたね?」
「……」
「…貴方も気づいていたのではありませんか?えみつんとみくちゃんは同一人物だと…」
「……俺の負けだ。どうしても認めたくなかったんだ。えみつんが黒乳首だったなんて…」
「いや~一時はどうなるかと思いましたよ!それにしても、こんな写真どこから見つけて来たんですか?どう見てもえみつんとみくちゃんの比較画像じゃないですか!」
「そりゃそうでしょ。だってえみつんとみくちゃんの比較画像だもん」
「……え?あれ?」
「あ~やっぱり~!…いや…え?あれ~!?」
何件かのツイートで、乗客に対して「人が死んでるのに遅延したことへの文句しかないのか」と。
でも、都心部へ電車通勤してる人なら言わずもがな、人身事故はもはや日常。
年間3万件を超えるという自殺のうち、何割が電車で処理されてるのか知らないが、全くもって珍しくない。
私は列車トラブルを聞き逃すと困るから、ウォークマンは使わない。
車内放送は聞き取りずらいし、第一報が聞けていたら、振替輸送で遅延回避できることもある。
で、振替可能なポイントで第一報をキャッチしたら、いつもとは違う駅で降りて、振替用の券もらって、いつもとは違う列車に乗って会社に向かう。
列車通勤だと振替輸送も何度もお世話になるから、そんなに特別なことじゃないけど、
「いつもとは違う」ことで少し落ち着かない。
どうにもならないのは、振替不可ポイントで第一報を聞いたとき。
最短で40分は待ちぼうけ。
やっと電車が動き出しても、一本目にはまず乗れない。
運が良ければ二本目で。
でもすごい混んでる、ホントに混んでる。
まっすぐなんて、当然立てない。
座ってるおっさんの足が膝の間に割り込んでくる、信じられない、でも痴漢じゃない!
乗ってるだけで疲れるくらい混んでる…
会社の最寄り駅に到着した頃には、まちぼうけのイライラと混雑電車でもみくちゃにされたせいで、
すっかり疲れてる。
マジか?
そんなこんなで仕事を終えて、駅構内に入ったら真っ先に注目するのは電光掲示板。
〇〇線はいつも大変だなーって思いながら、スイカで改札通ります。
ちゃんと数えたことはないけど、電車使ってると人身事故のニュースを一か月聞かないで過ごすことはできない。
そしてその事故は一日限りとはいえ、ダイレクトに生活に影響してくる。
一回一回は一時間程度でも、それは何度も起こり繰り返す。
多分、人身事故のニュースを聞いて一瞬でも気持ちが暗くならない人はほとんどいないんじゃないかな。
でも、何度も何度も繰り返すそれに、やっぱり慣れも生じてくる。
またか、って思ってこれから自分が起こすべきアクションを想定する。
今の自分が出来るよりよい行動の変更を。
でも、日常に何度も何度も割り込んでくる、「見知らぬ人の死」に感情移入し続けることはできない。
普段電車を使ってる人なら、人身事故が起きたら30分は復旧しないことは分かってると思う。(路線によるかもだけど)
だから、遅延で駅員に絡んでる人は、
自分の行動が狂わされたことの収まらない腹立ちを当たりやすい人にぶつけてるだけだと思う。
イライラしてんのはお前だけじゃないよ…と思ってうんざりする。
その駅員が解放されれば、振替でまごついてる他のお客さんの対応ができて、
たまった人がスムーズに流れるというのに。
一度だけ、自分の乗っている電車が事故の該当車だったことがある。
ほとんどホームに入っていたから、該当車であることにすぐに気づかなかった。
でも、ドアが開かないしなんだかおかしいな…と思っていたら、事故が起きたのはこの駅だという。
5両目くらいに乗っていた。
特に変わった音は聞かなかったと思う。
降車したい客は一両目のドアを開けるから、そこから降りろという。
ここしか開けられなかったのは、「救助活動」の現場を人目にさらさぬためだったかもしれない。
遠目に担架らしきものが運ばれていくのが見えた。
やがて運転再開のアナウンスが流れ、該当車がこのまま運転を続けることに軽い驚きを覚えながら、
そのまま出勤した。
遅刻出勤しても、該当車に乗り合わせたことを仕事仲間には言わなかった。
救助された人が無事だったかどうか、私は知らない。
そうだな、大学生活初めの3年間は色んなトラブルはあったし、いっぱい苦しんだことはあったけど、
まぁトータルで見たら自分でも納得のできる道のりを歩んできたとは思う。
何の努力もしてないとは言わないが、やっぱりそれでも足りないものは足りなくて。
自分の持ってる才能って何だろうって色々考えてみたし、一応持って生まれた見た目でも勝負はしてみたけど
お話にはならなかった。ショックは受けたけど、それはそれなりに吸収できるような状況にはあったかな、って思う。
でも、大学4年生から今までの4年間を考えてみると、それはもう暗鬱たる結果というか、
多分全てが自業自得、自分の蒔いた種が今芽吹いて一斉に俺を攻撃してるんだと思うんだけど。
研究では何も成果が出ず、それも相まってどんどん堕落してしまった。
後輩にはきちんとしろと怒られるし、きっと今でも許されてはいないのだろう。
正式な学会には1度も行っていない。B4の後輩が学会に出ているのを尻目に見ていて悔しくないわけがないが、
そういう事もあるよな、と思いながら続けるしかなかった。続けられていたのか?
就活に関しては自己分析が出来ていなかった。結果、ほとんどの企業に落ちて、
一応推薦を出していた今の会社に受かる。試験を全部受けさせてもらえるという推薦なのでかなりギリギリの橋を渡っていたように思うが、
結局渡ったところで"渡らせてもらった"感が強くなってしまって、すっきりした終わり方というわけにはいかなかった。
でもそこをけってもう1年やるっていう決心も出来なかった。不安だった。就活以上に、研究をこれ以上続けたくなかった。
3年間ゴミのような試料を作り続けてきたために、時間を無駄にすることになってしまうのがどうしてもいやだった。
未だに自己分析がよくわかんない。やりたいことってなんだろう。
会社に入って何がしたいかもよくわかんない。何をしているのかも一応は説明できるけど正直詳細まで言えるかっつったら怪しい。
多分本当はやりたい事なんてなくて、ただただ生きていたいだけなんだと思う。生きてるだけで儲けもんだって言う言葉もあるけど本当にその通りで、
ただただ生きているだけの事をまず肯定してもらいたい。そんな事、肯定してくれる人なんて昔の祖父母くらいしかいないんだけどな。
豆腐メンタルだと人は言う。
まずやってみなきゃわかんないだろって声は多い、確かに俺もそう思うしどうやったってそうすることでしか抜けられない
でもガソリン欲しいもの 心奮い立つようなガソリンが欲しいんだって ああ生きててよかった、次の目標に向かって頑張ろう、
よーし次は○○目指してみるか とか思いたい
ガソリンの供給が無い状態でそういう精神状態まで持って行かなくちゃいけないのか?
タフでストイックでなくちゃいけないのか?みんな本当にそうなの?本当に?ねえ強すぎない?
何だよ豆腐メンタルって 言う側は放言しときゃいいよな別に俺の内心なんて推し量る必要もないだろうから
勝手にマウント取ってボコボコにしとけばいいし、そういう役回りかもしれねぇな
なんだ「まだ仕事辞めてないの?」って オメーラ冗談のつもりかもしんねーけど俺以外にその言葉使ったことあんのか?
安易に社会性が無い事を示唆して悦に入ってんじゃねーぞ殺すぞマジで
あと確かに今の会社はブラックかもしれないっていう話はまことしやかにささやかれてはいるが、
人の働くところにたいしてオメーラからブラックブラックいってんじゃねえ殺すぞ
働く意欲を入社前に挫くんじゃない
あんなに安堵した事は今までないってくらい安堵してようやく得た仕事先で、収入先で、
もしかしたらまた俺が心機一転できるようなところになるかもしれない組織
そんなところを簡単にやめると思うのか?とりあえずはやってみるだろ一応さぁ
俺は自分勝手だと人は言う 他人に対する思いやりが無いと人は言う
今までを思い返してみると、トラブルの元は確かにそういう所だった。的を射ている。
本当に人の事を思いやる気持ちさえあれば、きっと色んなトラブルが回避出来て今頃上手くいっているのかもしれない。
正直、人の気持ちを推しはかるのはとても苦手だ。自分なりに気を遣う事はある。
ただ、それはあくまで自分なりだからわからない事も多い。言われて初めて気づく事も多いし、それで以前の彼女は別れた。
他人の指摘を受け入れる気持ちが無いという指摘がある。そんなことはない・・・と思ったが、
上でいう仕事関連の冗談やら、人への思いやりが無いというところに非常にショックを受け、色々考えて傷ついたフリ?をしているあたり、
本当なのかもしれない。多分本当なんだ。
だったらどうすればいいんだ。25になって社会性も無い状態で。人への思いやりが無いから仕事でも失敗すんのかな。
するんだろうな。でも親父はそろそろ定年だし、"社会人だから"自分の事は自分でしないといけない。
何をすればいいんだ。誰か教えてくれよ。ワガママか。ワガママなのか。ワガママしか言ってねーのか俺は。
俺への指摘をするなら本当にそこも含めて教えてくれよ。わかんないよ。何すればいいんだよ。
よくわかんねーやグチャグチャだ。死ぬという言葉は軽々しく使うべきではないが、
元々無かった思考能力が度重なるブラックアウトでどんどん低下している今、すべてをリセットするという意味で一考してしまっている自分が嫌だ。
家計を圧迫しながらも続けたサークル2つが俺に残してくれたものはなんだったのか?
楽しい思い出と、その裏に潜む強烈な劣等感と嫉妬と、それと自分でぶち壊していった人間関係。
7年間で、一体俺はいくつの物を生み出して壊して、自分を血まみれにしていったのかはわかんないけど
とりあえず今そのすべてをなげうってどこかに行ってしまいたい
唯一歌だけは上手いって言われたけど、それだって、それだってさ。
結局今何も残ってない。
前に進むのってどうやるんだ。
何すればいいんだ。
ひょっとして何事にもやる気が起きないのを人から肯定されてないからっていう言い訳でごまかそうとしてるのかな
そうしたら俺の本当の気持ちってなに?よくわかんない
すげぇ落ち込んでるけどこの気持ちも誤魔化しなの?全部いいわけなの
じゃあ俺の本当の気持ちってなんなの
何がしたいの
どこに行きたいの
誰と生きたいの
自分で考えるってどうやるんだ
同期が、周りがまぶしすぎる
でもきっと俺よりつらい体験をしてたり、考える事をしてるからきっと俺より精神的に立派で、
じゃあ勝てないや
勝てないからってあきらめるのかって言われたら諦めないけど、諦めないなら諦めないだけのスタミナをつけなきゃ
でも結局周りにクソ迷惑かけて生きてきたのは周りからの証言でも確かでさ
こういうことをしゃべることも迷惑に繋がると考えるともう誰にもしゃべれねーよ
どうすればいいのかなー全部もみくちゃにして忘れてしまえばいいのかな
あーでも忘れたらまた思いやりを忘れてしまう
思いやりを忘れないようにしたら今度はこの悩みが芋づる式で出てきてしまう
結局精神性としては何にも変わってないんだろう
子供のころからずーっとこうだ いつからこうだったかはわからないけど、
多分おちゃらけて隠す事が少し上手くなっていただけで元の人間性は最悪なんだなと改めて感じる
セックスは俺にとって救いだったのかもしれない
一晩とはいえ、体を許す事は圧倒的な優越感と達成感を俺に与えてくれたような気がする。
だからこそそこに価値を見出してしまったが、結局その過程で人をたくさん傷つけてしまっている。
酒も絡んでの話ではあるが、抑圧された本来の人間性が出ちゃっているんだから世話無いね。
もし俺が今後の人生でまた優越感を見出すためのツールとしてセックスを用いるようになるんだとしたら、
もうセックスはしないほうが身のためなのかもしれない。
でも死んだ方が身のためなのか?俺が死んだ事で悲しむ人がいるかどうかはさておき、
死んで迷惑がかかるってのはほんとなのか?
誰に迷惑がかかるんだ?親か?周りの人はむしろ迷惑がかからなくなるだろ
あーでもあれか、無駄に罪悪感とか抱かせちゃうもんな、確かにダメだ
きっと爺ちゃん婆ちゃんも悲しむしなぁ
8月2日にTOHOのレイトでシン・ゴジラを観て発狂しそうになった。凄すぎて。そこからもう寝ても覚めてもゴジラのことしか考えられなくなり、気づいたらもうすぐリピートの回数が2ケタになろうとしている。もともと特撮映画大好き人間だったけど、それにしたってこの映画は別格だ。こんなに映画に熱狂することは、向こう十年はないと思う。
とにかく全編渡って大傑作だったんだけど、特に中盤の、夜の東京でゴジラが熱線を吐き全てを破壊するシーンでは本当に気が狂うかと思った。自分でも理解できない膨大な感情の波が押し寄せてきて内面をひたすら揉みくちゃにした挙句、最終的に途方もない歓喜だけが残った。もう完全に中毒になってしまって、ちょっとでも間が空けばシンゴジの熱線が見たくなって、気づけば劇場に向かってしまう。なんでこんなにこのシーンに惹かれるのか何度も観て何度も考えて、やっぱり自分の震災体験が影響しているんだと思った。それに気づいてから、熱線のシーンを見た俺の感情の詳細が大分分かるようになってきた。
ここでちょっと自分語りをさせてもらいたい。俺は宮城の実家で東日本大震災を経験した。津波での被害は一切なかったが、それでも色々と滅茶苦茶になり、10日くらい避難所生活を余儀なくされた。当日だか翌日の夜に河北新報の号外で福島のことを知ったときは本当に世界の終わりだと思ったし、いつまで経ってもインフラが復旧しないので、二度と元の生活には戻れないかと思った。震災の日から夜が本当に暗くなった。町に一切電気が灯らなくなることが、これほど恐ろしく、心細いとは思わなかった。だから、しばらくして、ようやく電気が戻って、夜の街に明かりがついたとき、本当に泣きそうになった。元の生活に戻れると実感して、堪らなく嬉しかった。あの夜の光は、俺にとってまさしく希望だったのだ。
だが、シン・ゴジラはやってくれた。夜の街を照らす光を、絶望の象徴へと塗り替えたのだ。
タバ作戦を踏みつぶしたゴジラは東京に侵入する。夜になる。ゴジラに蹂躙される東京は、当然ながら停電する。暗闇に包まれる中、ゴジラの身体の赤い光だけが街に映える(何と美しい画面!)。日本ではもう為すすべがない。アメリカが出てくる。B-2がどえらい爆弾でゴジラを傷つける。そしてゴジラは光り出す。
東京を火の海とし、数え切れぬ人間を虐殺したあの光は、何よりもまず俺にとって冒涜だった。311の際に俺が経験した、夜の光に対する感動と希望を、完全に死と破壊で塗り替えたのだ。被災した夜の街に光が戻っている。なのに、その光は日常の復帰ではなく、二度と日常が戻らないことを告げている。俺があの日感じた希望を、ゴジラは完全に踏みつぶしたのだ。そして次に出てきた感情が畏怖だ。俺の中にある希望の記憶すらも完全に蹂躙する圧倒的な厄災。本当に恐ろしく、絶対に敵わない、どうしようもない、まさに神の如き存在だと思った。今までもゴジラはさんざん破壊神だと言われてきたけれど、本当に神様だと思えたのは初代ゴジラ以来だった。そして、そこで全ての感情が一転、途方もない歓喜に変わる。そう、今自分が観ているのはゴジラなのだ。VSシリーズ以降衰退の一途を辿り、FWという怪作(駄作ではないけど、最終作には相応しくない)を最後に息絶えたはずのゴジラが、こうして、紛うことなき神として復活し、震災の実体験で得た感情すらも蹂躙し、塗り替えてくれている。そう、今自分が観ているものはあくまでゴジラ、虚構であり、こんな圧倒的な光景すらも、自分は娯楽として享受することを許されている。何という特権!! 観客という立場にいることが、こんなにも幸福であると、今の今まで知らなかった。
その後のヤシオリ作戦ももちろん良かった。震災時に揺れや津波に蹂躙されてばかりの建物や電車が、震災の象徴たるゴジラに一矢報いるのは痛快だった。そして、ゴジラ災害が終息した後の、避難所で女の子が笑うシーン。泣けて仕方無かった。
でも、やっぱり、あの熱線のシーンは別格だった。あれは本当に事件だった。とてつもなかった。っていうか、これだけ言を尽くしても、あの凄まじさを一ミリも表現で来てないと思う。書いててまた観たくなってきた。また行く。何度でも行く。この映画を何度でも観たいし、それ以上に、こんな映画をこれからもたくさん観たい。こんな映画を毎年観れるなら、生きるってことがずっと楽しくなる。そういうレベルの映画だ、シン・ゴジラは。
最後に。以上はあくまで俺個人の感想だ。間違っても被災者の総意でないことは言うまでもない。結構リアルにあの日を抉ってくるので、きつい人もいると思う。
【追記:2016/08/29】
誤字直しました。「ごめんなさい(小声)」。