はてなキーワード: Jrとは
そうなんだよね。大抵の女性は自分より年収の高い男性を求める。上方婚。
ただ、賃金のみ低い女性(かつ賢い女性)というのもいるので男性には、その辺、穴場ですよと言いたい。
賃金のみ低い女性(かつ賢い女性)穴場説。 なるほど。はてなーに多そうな賢くて金のないおっさんは、賢くて金のもっとないおばさんとくっつけばいいのか。
そうなんですよー。私の嫁さん東大卒なんですけど、上昇志向ないというか、全力ではなくてセーブして生きていきたいとの事でした。まぁ、頑張りすぎちゃうと体こわしちゃったりしますよね。なので、そういう女性の生き方も分かるなー、と思って結婚しました。
私は学歴は無いのですが、仕事を頑張りたいタイプ。若い時は限界まで仕事したい方でした。
夫婦になって分かったんですが、どちらか片方は『ゆるい生活』してた方がいいですね。ふたりとも「キャリアめざすぜ!」みたいな感じだとお互い辛い時がでてきそうです。お互い競争みたいな関係は辛い。この関係は女性の上方婚も満たすのでマッチングしやすかったですね。なんだか会話もしやすいというか続くんですよね。嫁さんも凄く話すようになったし。
ブコメときどき拝見してますー。アイコン可愛い。あと賢さっていろいろな形がありませんか? もちろんお金を稼ぐのも1つの賢さです。が、他の賢さもありえませんか?
例えば家事をそつなくこなせる、手早く焼きうどんが作れたり、旅行の前に冷蔵庫の中身を綺麗に使い切るとか、引っ越しの段取りがスムーズとか、あと趣味に深かったり、サブカルへの興味があったり、教養が豊かだったり、といったのも賢さを感じるポイントかなー、と。
ただ『責任を取りたがるか否か』って結構違うポイントで、これで年収って変わっちゃいませんかね。 低賃金でも賢い子はいますね。
女性一人で子育て出来る国、育児手当てが厚い国は子供が増えてるよ。結婚すれば子をなすというわけじゃないのはもう十分わかったんじゃないの。
具体的にどこの国でしょうか? フランス? ノルウェー? スウェーデンですか? イギリスなんかも手当が厚いですよね?
どこの国もネイティブの出生率は人口を維持できる数値を割ってしまっています。しかしホント適当な人だよなー。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9020.html
あとね、今の少子化の原因は非婚化です。合計特殊出生率と出生数のグラフを比較してください。
http://www.garbagenews.net/archives/2013423.html
出生数は『減り続けて』います。
昨今、団塊Jr女性の妊娠出産年齢の限界からの駆け込み出産が増えて( 初産年齢が上昇して )いますが、
それでも子どもの数は増えていません。 結婚が難しくなったせいなのです。 本当にあんたクズだなぁ、と思いましたよ。
別に「手当が悪い」とは思っていないのです。日本でも低所得者層のカップルはいます。そういったカップルも子どもは作っていますが、子どもの将来を考えると手当は厚い方が望ましいに決まっています( これは親のためではありませんよ。子どもの将来の話です )ただ、手当は『結婚の難しさ』非婚化を解消するものではないんじゃないですか? という話なのです。
そもそも低所得者層男性を結婚対象にする女性は少ないのです。手当が出るからそういった男性が魅力的に見えるようになりますか? そのアプローチでは 非婚化 → 少子化 は止まらないでしょう( もちろん「結婚したくない男女」の意思は尊重されるべきです。ただ「結婚したいけど、自分の年収では結婚相手に選ばれない」と悩んでいる男性も多いのですよ。私もそうでした )
女性の上昇婚志向、男女の社会的平等、社会の存続はトリレンマ https://anond.hatelabo.jp/20150524232846
男女平等、格差対策、少子化対策のトリレンマ http://crossacross.org/ky/Tradeoffs+among+gender+equality+and+birth+rate
逆に質問なんですが、先進国で『女性の賃金が上がり続ける中で少子化を改善した先進国』ってどこですか? http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9020.html
私もそう思っています。あんまり綺麗な話じゃないですが、男性向けの「女性の代替コンテンツ」は素晴くなってきてます。昔はこんな可愛いコンテンツ多くなかった気が。この傾向は徐々に女性依存度を減らすでしょう。女性観点でもキモい男性に言い寄られなくて済むのでゾーニングのメリットもあります。
一方で、結婚を望む女性は「男性への期待値を下げ続けなければならない」ので、パートナーが成立するカップルを見ると上方婚傾向は薄くなっていくのではと。
作為的なデータの引っ張り方する人見かけるな。たとえば挙げられてるグラフ https://goo.gl/6CZFjI のフランスは91-98と一番出生率が低い時期のものだったりする。/ "男女平等~のトリレンマ" はかなりおかしな記事だった気が
ん?その後、「移民では無いフランス人女性の出生率(私は出生数でもいいという立場に立つけど)が改善した」っていうデータってあったかな?エビデンスをプリーズ。
http://vpoint.jp/world/eu/97124.html
最近だとフランス人の出生率で1.4というのがニュースに出てましたねー。
凄い低いなー。。。 トリレンマについては、私や引用が間違ってるという主張はもちろん構いませんが、その場合はもうちょっと反論の詳細をトラバでお願いしたいですねー。でないとただの適当なクソだなー、って感じです。
累進課税で金持ちからお金を巻き上げてる現状を、世帯人数で頭割りした累進課税にするのはどう思いますか?変に手当てを増やすとろくに教育のできない貧乏人の子供が増えて不幸なサイクルになると思うのです。
面白いね。ただそれだと貧困層の教育水準が下がって貧困の再生産になりませんか?
あとこれは私見ですが、賢い子が勉強する機会、あるいは社会的に成長する機会がないとテロリズムに走りませんか?地頭がいい男子の方が社会に対する絶望が深くなりはしないかな?アメリカなんかは貧富の格差が広がってて興味深い感じになってるよね。私は累進課税はあった方が社会が安定するんじゃないの?と賛成です。
女性の平均賃金が男性より低い現状では、女性がどのような志向を持っていようが一般的に自分より賃金の高い男性と結婚することになる。「上昇婚」は単に現象であって、そのような志向が存在するかは未解明よ。
『高収入女性も低収入男性と結婚しない』傾向がある。このためパワーカップルが生まれてしまう。この辺、君なら知らないわけなくね?いや知らなかったのかな?どちらにしてもクズだなー、くそったれだな。。。スターつけてる方も情弱というかだな。
松任谷由実の楽曲、および、JR東海が製作したCMだ。たしか1987年と1992年に1作ずつ作ってる。
CMの登場人物は、1人の女性のみ。1作目は河合美佐、2作目は横山めぐみ。
東海道新幹線、東京発新大阪行きの最終を舞台に、ホームに残された女性視点の心境を綴るCM。
発車時刻まで恋人とともに過ごす大切な時間、そして定刻になり、発車する列車。
当時は、スマホはおろか、携帯電話すらなくて、"会うこと"がなによりも大切だった。
今考えればありえない、連絡手段が固定電話と手紙しかない遠距離の恋。
すごく悔しくなった。
現在の発達した情報化社会に過ごしている故の、馬鹿で、甘えていて、前時代的で、この時代を一生懸命に過ごしていた人々にひどく叱責されそうな、でも、本当に正直にそう感じた。
何もかも便利になりすぎた。
便利になった、それ以前の世界を知らない。
世の中は、どんどん発達する。
人々の声は、口から耳に直接入るのではなく、信号化され、電波となり、機械を通して会話となる。
日々は益々忙しく、時間効率が技術に追いつかなくなった寝台列車は新幹線によって淘汰される。
人の代わりに、電脳が答えを導き出す。
別に嫌なことばかりじゃない。むしろ、便利なのは個々の生活をより豊かにする。
でも。
きっと"豊か"に慣れてしまったとき、心はある意味で疲弊してしまうのだろう。
もう二度と、手に入らないものを見たとき、人はそれを美しいと思う生き物なのだろう。
美しい、とともに、悲しいという感情も生まれてしまうのはなぜだろう。
病的にまで、余裕をすり減らして喜ぶ。
もう、"こころ"は戻らないのだろうか。
他にもデート向きではないファミレスはいっぱいあるのに何故サイゼリヤばかり上げられるのか不思議に思う人もいるだろうからコピペってみる
このわざわざ電車で四駅離れた所まで連れて行ったサイゼリヤデート男が印象深過ぎたのが原因
『おいしいイタリアン』って札幌→新さっぽろJR移動で連れていかれたお店がサイゼリアだったという、
驚愕の35歳とのお話です。フリーズする私に「知らないかもしれないけど、東京ではメジャーな店なんだよ。
向こうではよく行ってたんだ。」とドヤ顔で教えてくれたという・・・黒歴史でございます。
かつてドヤ顔で「すてきなカフェ」とタリーズに連れて行かれ「おいしいイタリアンの店」とわざわざ新さっぽろの
サイゼリアに連れて行かれた過去があります・・・朝っぱらからスミマセン。扉が開いてしまったもので
そそそ、そうなんですよ、サイゼリは内心「マジかよ?!」って思ってたんですけど、ヘタレが災いしてついて
行ってしまったのです・・・。しかも札幌からわざわざJRで。バカですねー
タリーズでは別の衝撃があってですね、これみよがしに「俺、食べ物なんでも美味しそうに食べるねって
よく褒められるんだ」ってよくわかんない自慢をされ、コーヒーひと口でニコッ☆ケーキひと口でニコッ☆
とよくわかんないアピール。いや、アナタ35歳ですしUZEEEEEE!!!となりましたな。
35歳で実家住まいの男性は間違いなく何かのフラグ立ってるって学びました
RT @bernese093: uzeeeeeeeeeeeeeeー…(どん引き)因みに、ラパウザの彼も35歳だったそうです。
35歳って何かあるんですかねー…(遠い目)
猫が「おれ君、今けっこうお腹減ってるんだよね。だからカリカリくれないかな?長くは待てないよ?」と言われても「ニャーニャニャニャーゴ」にしか聞こえない。
猫が「ニャー」と言う時、その「ニャー」は何を指しているのかまったく理解できない。
しかしながら猫はどうだろう。俺たちが小鉄っていうとちゃんと振り返る。小鉄ご飯やで〜っていうとちゃんと理解しているように見える。
声の震えが指す音の変化をちゃんと理解しているのだ。
仮に猫がおれのことをチエちゃんだと名付けたとして、猫の言葉で「チエちゃん、今日のご飯なんなんや?」って言われたとしてもおれには猫語の「チエ」が理解できない。
それどころか猫だけじゃなく犬の言葉だって分からないのだが犬も人間の言葉を理解しているように思える。
本当はいろいろ知って理解しているのにわからないフリをしている可能性が高い。
猫や犬は人間を欺いているのだ。
いずれその時がくれば愚かな人間どもに危機がくるのかもしれない。
世の中は猫や犬が「その方がみんな幸せだから」というだけで平和が保たれているのかもしれない。
ところで猫の虐待はゆるせない。
失恋した。
大学生になって初めてお付き合いを経験した。始まりは非常に軽く、冗談めかしていたのだが、いつの間にか自分がめちゃくちゃ相手に入れ込んだ。
自分が相手にのめり込むのとは反対に、向こうはどんどん冷めていった。薄々勘づきつつあったが、知らないふりをした。そしてフラれたのが今から半年前のことである。この半年間。妙なことに、ものすごく仲良し友達として過ごした。
無論それは、彼にとっては「友人としてはいい人なのでそばにおいておこう」という前提があり、私にとっては「好きだから仲良く話せるのが幸せだ」という、脆い関係性によって築かれている。あまりにも仲良しに見えるのか、別れてからも、周りから夫婦のようだと笑われた。
しかし、いつまでもこのままじゃいけないと思った。私にとって元彼の存在は麻薬みたいなものだった。会うたびに、嬉しくなったり悲しくなったりした。
彼は友人として接し続けたいらしいが、それはできないんだ。連絡先を残してたら連絡しそうなので全部消した。
いや、探せば一人くらいいるだろうし多分私が知らないだけなんだろうけど、ともかく私は知らない。それだけが今、私の眼前に漫然と横たわる事実である。
このことが浮かんだのは風呂場でシャワーを浴びている時だった。着衣の間もずっとモヤモヤしていた。
多くの人が知っているであろう通り、スポーツ観戦に観客の「歌」はつきものである。
有名なところだとマンUのリパブリック賛歌だろうか、サッカーなら日本の浦和レッズだって試合に勝つと合唱タイムがあったりする。
当然応援中にも応援歌が歌われるし、ファンが手っ取り早く一体感を得るにはそこに混じって歌を覚えればいいのである。
多くは自チームの攻撃中に歌われるもので、その選手固有のテーマが宛がわれたり、新人には右打者左打者ごとに汎用テーマが用意されていたりする。
私も贔屓のチームはもちろん、同一リーグの球団歌は一通り歌えたりする。
さて、選手個人に宛がわれる応援歌は、ほとんどの場合その球団で伝統的に使われてきたものであり、ある選手が引退したり移籍したりすれば、その選手のテーマは他の選手に流用されたりする。
しかしその選手が問題を起こしたり、逆にレジェンド級の活躍をするなどした場合、その歌はその選手の記憶と共に葬り去られる。
つまり、世代が進めば進むほど、応援歌の絶対数が少なくなっていくのだ。
その為どの球団でも、毎年1,2曲が「補充」される。
大体半分くらいの新曲は、勝手にそのへんの曲をパクってきたものだ。
横浜ではチャンスになるとパチスロ「獣王」の「サバンナチャンス」が流れ、
かつてロッテに在籍していた神戸が打席に立つと東方の「U.N.オーエンは彼女なのか?」が替え歌で歌われたり
といった具合だ。
もうすこし逸れる。
近年、多くの球団で、球場の最寄り駅の発車メロディーに球団歌を流すという試みがなされることが多い。
関内駅や日本大通駅ではベイスターズの「熱き星たちよ」が流れる。
海浜幕張駅ではロッテの「We Love Marines」が流れる。
つまり駅メロは、その球団をアピールするひとつの商材として考えられていることがわかる。
そこが贔屓のファンが行き帰りに球団歌を聴けるのはうれしいだろうし、考えても見れば、その駅を職場の最寄として使っているサラリーマンは、球団にとってこの上ない格好のターゲットなのだから、アピールするのは当然である。
日常の何気ない音楽で、ふとした拍子に野球をうまく意識させ、精神の根底に根付かせる。駅メロにはそういう効能があるのだろう。
さて。
それは「数小節で簡潔していて、ループさせても違和感がない」ことだ。
しかし前述の、球団歌を駅で流すというのは、それに使われる球団歌はどれも数小節でループしないし、試合中に連呼されるものでもない。
これはとても勿体無いと思う。
最寄り駅で週代わりで、上下線別々に特定の選手の応援歌をシンセにアレンジしたものを流せば、絶対にしっくりくる。
だが、逆にこう考えてみよう。
やっと本題に入る。
これをするためにはもうひとつ条件がある。
そしてこれは、つまり最初から歌詞がついている曲が駅メロとして採用されているものなら何の問題も無いということだ。
私が推したい駅メロが二曲ある。
品川駅の「鉄道唱歌」と、桜木町駅の「線路は続くよどこまでも」だ。
どちらもループがほどよい長さで、既に歌詞がついている。このまま球場で歌ってもなんの問題も無いし、替え歌しても誰も怒らない。
そしてこれらの曲を応援歌として用いるとなれば、品川と桜木町を訪れるたびに、プロ野球ファンは「あっ、あの選手の応援歌が流れてる」となる。
広告効果はそれなりにあるだろうし、何よりこの二曲は大昔のものだから著作権はない。
作曲する手間もパクるリスクもいらないし、どちらも日本人に馴染みのあるメロディーだからすぐに覚えられるだろう。
まだ応援歌のない野球選手がひとり、鉄ヲタを公言するだけでいい。それだけで、私のこのしょうもない妄想は実現させられるかもしれない。
・・・さて。
品川駅と桜木町駅は、どちらも京浜東北根岸線が縦に走っていて、関内駅まで直通している。
この私の案が一番「効く」のは、横浜DeNAベイスターズだろう、と勝手に思っている。