はてなキーワード: ADHDとは
グレーゾーンですらない「普通」の人からするとアスペだろうがADHDだろうがADDだろうが全部いっしょくただよなあ
「発達障害」で一括にするのやめろやって思うわ
増田が言う通り、映画などを通して多くの人にそれぞれの障害の特性を知って貰える様な機会が与えられるのは良いことだね。自分も見てみるわ
まあ、「発達障害」だろうが「知的障害」だろうが「精神障害」だろうが「人格障害」だろうが十把一絡げな世間の状況はそう易々と変わらないだろうけどね
「普通」じゃないヤツは「障害」って扱いは続く(社会の「障害」になるという意味で。「マトモに仕事も出来ない。邪魔でしかない」とかね)
アカデミー賞総なめの「エブエブ」こと、 Everything Everywhere All at Once を見てきた。
カンフーやギャグや下ネタはさておき、「ADHDで悩む親子が、お互いの傷つけあいに終止符を打つ」というお話だった。
おれは、ADHDの毒親育ちで自分もADHDで苦しんでいる。そして自分の子どもも、発達障害という毒血筋。遺伝性の障害で、親子間の負の連鎖が続いているので、すごく共感したし、心に刺さった。
増田にいる発達系の障害を抱えたお前ら。お前らには共感するところがあるんじゃないかと思う。
こんな作品がアカデミー賞を取るなんてすごい時代だよ。LGBTの権利を認める動きはあるが、ADHDのことを知ってもらうには、この映画が良い。これを世界中の沢山の人が見てくれた、ADHDってあの映画みたいな感じなんだよ!と表現できる。初めて俺たちの意味不明の妄想拡大を代弁してくれる映像表現がでてきたんだ。
おれは、仲間がみつかったみたいに感じて、いまとても嬉しい。
ちなみに、「画家と泥棒」という映画(信じられないが、ドキュメンタリー映画)もADHDで悩む中年男性が出てくる。この映画もなんかすごく刺さったので、ADHDで悩んでるみんな、よかったらみてくれ。(アマプラで見られる)
思い返せば中学生ぐらいから「人と違うこと」に強い違和感を感じていた。
母も変わり者と言われていて、自分は「変わった親を支える健気な息子」という謎のラベルで分類されてて同級生からは「変なやつ」扱いされていじめを受けることもあっても地域や家族や親戚からは普通に接せられたため学校だけが特殊な空間だと思っていた。
父は吃音症を持っていて古希を迎えた今でも時々電話口で吃ったりしている。母は母で何の病気か分からなかったが精神的な何かを患っていたようだった。母の実家は、どうやら部落の歴史を持っている地域らしい。母方の祖母は看護婦だったが、民生委員の方と何か地域の活動もしていそうだった。母方の叔父は、なかなか定職につけないと言われていた。政治絡みのニュースを見たときや何かしら挨拶などを求められると「共産主義がどうのこうの」と呪文を唱え始めるので近寄り難かった。ボソボソ話していたので内容は全然記憶にない。母は若くして亡くなったがその葬儀の席でも呪文を唱えていたので憤慨したことを覚えている。母方の祖母も数年後追うように亡くなり、この叔父は施設に保護されているそうだ。
父方の祖父は戦時中に亡くなっている。父が1歳のとき、父方の叔母が祖母の胎内にいるときに満州で戦死したと聞いている。そういえば母方の祖父にもあったことはない。どちらも祖母はきっと女手一人で二人の子供を育てたのだろう。今、身近にいる子育て世代を見ていると恐ろしい時代だなと思うけど。
自分は昔から不思議と「良き先生や良き先輩」に恵まれると言われる。これは34年間はっきりと発達障害を認識するようになるまで酷いストレス下に晒されて精神を壊されるという経験をしてこなかったことが紛れもない証明のように思う。震災のときに大学を卒業して、無い内定だったときは凄い絶望感だったが当時はそれほどなかった「就職支援サービス」に助けを求めたら1年以内に上場企業の事業子会社という良縁に恵まれたこともあった。
昨年末、父は家族同伴を求められる大きい手術を受けた。その関係で実家と居住地を往復するなど体力的に厳しい日々を送った。加えて昨年下半期、所属部署が人員整理の対象になっていて転職するかどうするか本格的に検討を求められていた。人がどんどん減っていく中で責任ばかりが増大するそんな日々を送ったので年が明けてからとうとう体が悲鳴をあげるようになり休職することになった。
心療内科に初めて通ったのでついでに色々と検査もしてみたが、その中で「発達障害の疑い」も見つかった。
それからASDやADHDについてあれこれ調べたりする中で、昔からの違和感について発達障害だとすると説明がつくようなことが実に多い。ようやくはっきりとしたものが見つかりショックを受けるより今は安堵している。
担当医師によると診察の僅かな時間をみるだけでも「多動障害」のような動きが見られるらしい。しっかり診断するには知能テストを受けてもらう必要があるということなので高額ではあるが一生付き合うだろうし受けることにした。
自分は安堵しているがこれを家族や勤務先はどう受け入れるのかは謎だ。ただ私に早い段階から心療内科の受診を強く打診してくれた同僚は、1年前に休職したときに同じように知能テストを受けたらしい彼はグレーゾーンという結果だったそうだけど自分は恐らくはっきり診断されるんだろう。多動障害は多くは大人になると解消されるそうなので相当根強い何かがあるんだと思うし、多分遺伝的なものもあるんだと思う。
父は母についても認めたくなさそうだったから、息子も病気があると認められるとショックを受けそうで対面でじっくり話さないと駄目だろうなあと思っている。
恋愛については避けていたが、紹介したい人がいるという話をありがたいことに頂いてからこういうことが明らかになっている。父もいつまで元気じゃないということがわかった今、診断を受けて次のステップに動ければいいなあと思う。
多少フェイクも入れながら。
・年齢:今年33歳
・独身
・免許なし(視力の問題で原付までしか取れないが、障害者手帳は取れないレベル)
②ストレスから逃避するため、150万ほど消費者金融とクレカで借金をこさえる。
③それでもストレスから逃れられず、逃げるように転職を重ねる。
いわゆる室長さんというやつをしていたが、売上を上げることに必死な上司と成績を上げたい俺の意見が対立。
元々ADHD気質(のちにグレーゾーン診断)があったため書類のミスが多かったこともあり会議での吊し上げは日常茶飯事であった。
同じような状況は同期の中でも結構あって、40人いた同期が半年で10人になる。
「なぜだ・・・なぜだ・・・」を繰り返しているうちにうつ病を発症。
ストレスから逃れたいあまりに飲み歩くようになり、風俗とかにもハマった結果、
よく考えずに150万近く借金をこさえ、その返済によりさらにストレスを増やすスパイラル。
若干の愛社精神はあったため「こういう状況を減らしたい」と法務や総務を担当していたが、ここでも注意力散漫でミスを連発。
針の筵となり、逃げるように転職を決意。
「未経験からSEになれるよ」という知人の紹介でSES企業に転職。
ここでも深く考えずに転職したため、社内教育はゼロ。自学でなんとかやろうとするも、
クソ私大文系をギリギリ卒業した程度の頭では全く内容が理解できないまま初日から客先常駐。
もちろん何かがわかるわけもなく、ただただ罵倒される3か月を送り、速攻で退職。
塾勤務時代にバイトの採用などをやっていたので、人事・総務関連を担当。
わりかし順調に勤務していたがコロナの直撃や、部下が社長の愛人だったことが発覚。
その部下が起こしたミス(各種連絡漏れ、書類ミス等)を隠蔽し、全て俺の指示だと主張。
エンタメ系の中小企業でバックオフィス全般(人事・総務・広報)を担当。
ある程度ノウハウはわかっていたのと、立ち上げ直後の会社だったこともあり比較的高評価をいただくも、
現場社員からの不満を吸い上げ、パワハラ疑いのある言動に注意を促すよう上層部に取り計らうも相手にされず、
「バックオフィスが無能だから現場が縛り付けられる」論でボコボコにされる。←今ここ
「正しいこと、胸を張れる仕事をしたい」とは思っていて、しかし先述のパワハラ等、
社会的に見て「悪いこと」を指摘できないことが非常にストレス。
辞めたい気持ちもあるけど「また転職?」という気持ちもどこかであって。
諸氏がこういう気持ちをどうやって乗り切ったのか知りたい。
恥ずかしながら「大人としてやっておくべき」と認知されることがほとんどできていない自覚がある。
まあまずは借金返済かと思っているが、今手取りが22万くらい。
150万くらい(これが返せてない時点でお察しだけど)返したことある人、アドバイスくれると嬉しい。
まあそもそもこんなことを増田で聞いてるからお前はこどおじのゴミクズ野郎なんだ、
と言われれば返す言葉もないのだけど、こういう経験をきちんと乗り越えるにはどうしたらいいのかわからない。
鵜呑みにするだけじゃなくて自分でも考えながら浮かばないことが多い。
何も返せなくて恐縮だが、助けてくれ。
ブコメやトラバありがとう。ちょっと仕事のトラブルがあり全部は見れていないが、
あとでコメント等返させてもらおうと思う。
それから「地方か東京か書け」というのがあったので、追記する。
人気の記事一覧、みたいなのに自分の記事があってびっくりした。
本当にみんな色々な言葉をくれてありがとう。できる限り返信させていただく。
要約が下手くそで読みづらいかもしれないが、ご容赦いただきたい。
親に借りる、という選択肢は残念ながら取ることができない。
実は1度目のうつ病の際に借金の概要は両親にも打ち明けているが、その際両親も多額の借金を背負っていることがわかった。
(概要は伏せるが、祖父が仕事上で横領などをやらかしたらしく、それを父が肩代わりしたと聞いている)
この時両親とは「追加で借金をしないこと」「風俗通いをやめること」をそれぞれ約束した。
弁護士等の相談は正直ハードルが高いと思っていたが、増田諸氏のコメントを見て考えを改めた。
借り換え等を検討して、一番無理のない範囲での返済計画を立てようと思う。
自力での計画が難しいということは体感で理解しているつもりなので、少し相談先を調べてみる。
これに関しては確かにその通りだ。自分の無駄なこだわりに自分で苦しめられていると思う。
自分で文章にしてみて気が付いたんだけど「折り合いをつければいいのはわかるけど、どう折り合いをつければいいんだ」という部分で悩んでいたのかもしれない。
勉強不足と言われればそれまでだが、認知行動療法というものは名前だけ知っていた。病院に行って聞いてみようと思う。
コメントにあった家計簿アプリで自分の出費を調べてみたんだけど、使途不明や外食、衝動買いなどの出費が10万以上あった。
家には5万入れていて、残りから借金返済するわけだがご指摘の通り利子だけ払うみたいなことが続いていた。
「だから借金減らねえんだよ」と言われたらその通りだ。返す言葉もない。
ただ風俗通いだけは辞めた。キリがないので(だからどうした、と言われたらこれもまた返す言葉もない)。
強制引き落としは確かに良さそう。今月からやってみることにする。
うーん。「俺の状況だと」風俗通いは正しくない、と思う。
風俗という仕事の正当性みたいなのをここで論じてもしょうがないと思うし、そういう立場にもないので。
パワハラやらなんやらがあると自分が気持ち悪いし仕事が大変になるからなくしたい、と思っているだけだから。
自分のことは棚に上げて何を言っているんだというのも確かにその通り。俺が逆の立場ならたぶんそう言う。
少なくとも「仕事において」ハラスメントや不正は見逃されるべきではないよね、と思っていてこういう書き方になった。
うまく言えなくて申し訳ない。
自分の特性は育児のためにあったんじゃないかと思うくらい。そしてこうやって毎日楽しく育児できているのは共に育児している夫のおかげです。ありがとう。
体が弱いのですぐ風邪を引く、肺炎やインフルエンザに罹った事も一度や二度ではない。
そもそも生まれた時から体が弱かったのか、小学校入学までに7~8回ほど命に関わる手術を受けたらしい。
自分にそんな記憶はないのだけど、母や歳の離れた兄弟の話を聞く限り恐らくそれは事実なんだろうな、と思う。
すぐに体を壊して学校を休む、というだけでなく家でTVゲームをやりたい、体育の授業を受けたくない、いじめられたくない、というほんの些細な事からよく学校を休む子供だった。
そんな自分が好き好んで学校に行っていたのは、小学校から高校までの12年間で、同じクラスの子に恋をした中学校三年生の一年間だけだったと思う。
その子と同じ高校に行きたい、とその時は真剣に思っていたけれど、何せ学力テストでの全教科の合計が150点前後、一教科平均で30点ほどしか取れない馬鹿だったので、好きな子と同じ学校には進めなかった。
この時点で自分は同学年の子と比べても頭が非常に悪い事を自覚しておくべきだったのかもしれない。最近の言葉で言うとギリ健、いやもしかしたら本来なら特別支援学級に通った方が良い子供だったのかもしれない。
まあ、そんな馬鹿でも入れる高校となると自分の名前が書けて小学生レベルの問題が解ければ入れるだけの所謂バカ高しか無かった。そう呼ぶのはそこで働いていた先生や、真面目な同級生たちには大変失礼だとは思うけれど。
そんな馬鹿でも入れて、小学生レベルの問題が解ければ入れるバカ高でも、自分は付いていけなかった。幾つか…簡単な、馬鹿でも取れる資格だけは取れたけど、勉強には付いていけず早く家に帰ってゲームしたい、と思っていた。
後輩の不良が怖くてトイレに行けず、先生に相談して綺麗なトイレが使える近所のデパートまでの外出許可を貰っていた。三年間同じクラスだった同級生とも結局仲が良い友達は一人も居なかった。
隣の席の女子からは本当にこれ以上は無いというくらい嫌われていた。体育の時に近くの体育館までバスで外出するタイプの学校で、その席も固定で隣の女子から本当これでもかと嫌悪感をぶつけられた。
そうなると、ただでさえ嫌いな体育がもう授業そのものより参加する段階から自分にとっては苦痛でしか無かったので、体育のある曜日は絶対に休むようにした。隣の席の女子もその事に満足していたのではないだろうか。
友達が一人も居ない、女子からは毛嫌いされている、勉強が出来ず授業態度が不真面目なので当然先生から好かれる訳もない。三年間通った学校を卒業した時も、中学校の時と違い満足感や寂しさのような物は一切無かった。
ただ、唯一嬉しかったのは卒業式の後家族が外食に連れて行ってくれた事だった。そこまでの18年間の人生でも本当に家族には迷惑かけっぱなしだった。もし、自分が逆の立場だったらこんな奴すぐ見捨てていると思う。
中学校時代の友人がアルバイトに誘ってくれたり、新しく生まれた親類のために少しだけほんの少しだけバイトをした事もあったけど、長続きしなかった。バイトを即効で辞めたため、結局家族に大きな負担をかけただけだったと思う。
学習性無気力というのか、今度こそバイトを続けるぞ、と思って考えなしに行動しては痛い目に遭うという事をこれまで4回か5回ほど繰り返して、もうバイトしたくない、痛い目に遭うだけだな、と悟った気がする。
サポステに斡旋してもらう形で紹介してもらった食肉工場では、そこで支給されるエプロン?ナプキン?が体に合わなかったという事で、さあ働くぞ!と思って出勤するも、出勤初日から現場に入れずに泣きながら当日辞めた。
派遣会社に派遣してもらった次の食肉工場では、一日目にサイズの合わない作業靴で親指を痛めたり、現場リーダーが口が利けない外国人のお爺ちゃんを作業中にニヤニヤ笑いながら殴ってる所を初日に何時間も見せられた。
その派遣会社と結んだ契約なんて知った事か、ともう次の日からその現場に向かう事を拒否した。自分で絶対に現場に行かないという勇気が無かったので、親に代理で電話をかけてもらった。凄く情けない大人だと思う。
その次、タウンワークで自宅の近場にあった倉庫での作業は一週間だけ続いた。大した面接も無く働かせてもらえる事になって本当にラッキーだと思ったし、そこで働いてる人達も親切そうで良かった、と初日は思った。
ただ、リーダー格的な頼りになるおじさんがある同僚一人を露骨に虐めていたり、最年長の仕事が出来るベテラン爺さんが自分の仕事を全てやり直したり、凄く簡単な仕事さえ自分にはスピーディーに、丁寧にこなせない事が分かった。
初日から足を棒のようにして7時間働いただけでもうくたくたになってしまった。それで時給が800円前後だと、もうここで働くのは自分には無理だなあ…と、前回の工場と比べれば天国のような環境にも関わらず7日で辞めてしまった。
親に「何でも良いからとにかく働け」と言われたり、自発的に何か贈り物を挙げたいという動機でアルバイトを始めても早ければ当日、長くても一週間で辞めてしまう人間である事が4~5回の経験で分かった。
アルバイトに出てもどうせすぐに辞めるし、辞める度に自分ではなく親が代わりに辞職を願い出て自分は隠れて震えている、という事を何度も繰り返してここ数年はもう簡単なアルバイトに出ようとさえ思わなくなった
親は「とにかくアルバイトでも良いから何かしてみろ」と言うのだけど、実際にサポステやタウンワークを利用して働こうとすると「よく考えろ。考えなしに動くな」と矛盾したような事を自分に言った、と思う。4~5回、それを繰り返した。
ここからは本当に恥ずかしい事なんだけれど、倉庫でのアルバイトを辞めた後親に「何でも良いからとにかく働け」と言われると、怒りのままに物を壊し親兄弟に暴力を振るった事が数えた事は無いけれど数十回はあると思う。
自分より非力で、もう体力もない親や兄弟に暴力を振るう事に、自分は何のブレーキも無かった。普通なら、自分の家族にそんな事出来る筈ないだろうに、自分は出来てしまった。自分は、正常な人間では無いのだと思う。
心療内科・精神科医の先生に自分が発達障害だ、と正確に診断を受けたのはここ数年の事だった。それも、ADHDだけでなくややアスペルガーの気もあるらしい。通りで自分には空気が読めない訳だよなあ、とやっと理解出来た。
自分の家庭内暴力も、自分より強い父が生きていた頃は母親や兄弟に向かう事は無かったので、自分は「群れの中で自分より強い父」と言うブレーキが無ければ家族に全力暴力を振るえる動物なんだろう。人間と言うより、動物。
最も、母親や兄弟に向かなかっただけで飼っていた犬や猫には苛立っている時には八つ当たりで暴力を振るうような人間だったので、それは今更なんだろうな、とこれまでの自分の行動を振り返って見てみると思う。
お祭りで金魚を釣って来ても愛情を一切注がず、母親と兄弟に世話をさせていた。兄弟が飼っていたリスの籠を蹴ってしまい、リスを恐怖させ早死にさせてしまった。動物への行い的に、もし地獄があるなら死後は地獄行きだろうか。
この自分の精神的傾向は、父方の祖父にも、父にも、兄弟にもあるし、方向性は違うけれど、母も異常な所が無いとは言えない。ただ、社会に適応出来た両親や兄弟と違って、自分だけが落ちこぼれなのは、やはり原因がありそう。
新しく生まれた親類、つまり自分の甥姪もこの父方の精神性を受け継いでいるのだろうなと思うし、高齢出産という事もあり、もう今の段階で知的障害や発達障害の傾向が見られるので、この先苦労するだろうな、と悲しくなる。
自分は今、母親の不動産収入と父親の遺族年金と両親が一生懸命貯めた貯金を食い潰して生きている。それが無くなるタイムリミットは…正直、分からない。数十年、は無理だと思う。
今でも母親に「早く働きに行け」と言われるとカッとなる。そう言われて働きに出た結果何度もすぐ辞めたし、もう長続きしない事が分かったから。カッとなっても暴力を振るわないよう、最近はもうしばらく口を利かない方向にしている。
そう言えば、10年以上前に一緒にアルバイトに誘ってくれた中学校時代の友人ともここ数年は連絡が取れなくなった。寂しい気持ちと、もう親族でない他人と付き合わなくても良いという楽な気持ちが入り混じっている。
頭が悪く、能力が低く、仕事は長続きせず、肉親や小動物に暴力を振るう事に躊躇が無く、ただ無駄飯を食らって生きているだけの知的障害・精神病の中年男。こんな自分は生きているべきではない、とここ数年思っている。
今は障碍者手帳を申請したお陰で、発達障害者向けの薬を1割負担で貰えるが、飲むと体調が悪くなるので気が向いた時しか飲んでいない。母親が口喧嘩になるとすぐに「その薬を飲め」と言うのもある。キチガイ用の薬と言う訳だ。
税金も、父親が無くなってからは一度も市に納めていない。ズルズルと延期しているけれど、恐らく自分が死ぬまで一度も収める事は無いのではなかろうか。そもそも、何の税金かさえも分かりはしないし。
確定申告も、自分がPCで遊び惚けている間に母親が全て書類を用意して手続きを頑張ってくれている事をつい先日知った。自分は、確定申告とはどういうことなのか、何を書き込めば良いのかという事も一切理解していない。
今の自分は、毎日無料のアニメや無料の漫画で時間を潰して生きている。自分をすり減らして働いて生きるよりは幸せなんだろうな、とは思う。最近だとジャンププラスとゼブラック、コミックDAYSとヤンマガWEBが本当にお気に入りだ。
暇を潰せて生きているけど、こんな自分は主観的にも客観的にもさっさと死んだ方が世のため家族のためだと思っている。早く死にたい、と言う度に母は悲しそうにするし何だか怒るけど。
自分で死ぬ勇気はないけど、早く死にたい。母親が死んだら、自分も後を追って早く死にたい。もし母親がボケたり要介護の体になっても、自分には介護をする自信が無いので、酷い話だけどそうなる前に、早く死んでほしい。
こういう身内のお荷物のような人間は、両親が死んだ後今度は兄弟に寄生し更に狂暴化するという話をこの前ネットで見た。そうなる前に、狂暴化する前に、何らかの方法で、出来るだけ苦痛なく幸せに死ぬ事を、自分は望んでる。
そう言えば
「文章が書ける人間は知的障害ではない」という俗説をよく聞くけれど、
そういう人には「小学生低学年の知能でも文章は書ける」という事を分かってもらいたい。自分は、小学生の時から中年の今まで、頭の中がアップデートされていない自覚があるのだから。
読み返したら誤字ばかりだった
コロナがまぁ落ち着き、久々に職場の飲み会に行ったらおもんなさすぎてぶったまげた。
それなりに仲はいい集団だと思うのだけど、盛り上げるための雑なフリに応えるのも、どうでもいい老人たちの話をさも楽しそうに聞くのも無理すぎる。
自らの社不力と気のおけぬ友人たちとの飲みがいかに快適かを再確認。
ADHD(診断済・服薬中)なのもあると思うんだけど、こういうときに場に合わせてうまくやる方法がまるでわからない。
何か良い術があれば教えてください。
行かないのが一番かな。
【前回の話↓】
https://anond.hatelabo.jp/20230227200322
ストラテラ(40mg)を飲み始めて9日間が経ちました。
「眠気が出る人が多いから夕食後に飲んでね」と言われたものの、いつも以上に思考があちこち飛び散りなかなか眠れず、4時頃目が覚めること3日。4日目からは朝食後に飲むことに。
そしたら日中眠い……ので7日目から夕食後に戻すも、また4時頃目が覚める。ので9日目からまた朝に戻しました。
いかにも落ち着きがないけれど、「薬のせいで睡眠時間が確保できなくて眠い」よりは「睡眠時間は確保したものの薬のせいで眠い」の方がマシかと思い。傾眠と不眠が両方副作用としてあるの不思議。
吐き気や頭痛、食欲減退など、その他思い当たる副作用は特になし。
血圧を上げ、食欲を下げ、覚醒させるノルアドレナリン。これを補助する薬を飲むことになったのが、低血圧でよく食べよく眠る人間なのは納得ですね。
効くのに2週間以上かかるということで、今のところ特に効果は感じず。いつも通り会議すっぽかしたり物置き忘れたり食べ物こぼしたり言っちゃいけないこと言ったり……「寝る前の妄想がなくなる」とかいうけどそんな気配もなし。
今日心療内科へ行き、10日目からは80mgに増量する予定……だったのに、「眠い」と言ったらもう2週間40mgのままで行くことに。
2週間ぐらいでぼちぼち、二ヶ月ぐらいでようやく効いてくるらしいけどはたして。