はてなキーワード: 非コミュとは
https://anond.hatelabo.jp/20180430150117
日本じゃいまだに規制が厳しくてuberできないけど、米国ですっかり定着したuberやlyftのドライバーがまさに非コミュ低能でも頑張ればなんとか毎月2000ドルくらいは稼げる。
とにかくシステムが指定してくる客を乗せて運ぶだけ。客と話す必要もない。自身の営業努力としては客が集まりやすい繁華街や客単価の高い空港あたりにスタンバイしてなきゃならんが、基本運転が苦にならない奴はストレスほぼゼロ。客待ちの間は駐車場に止まって携帯ゲームか本でも読んで時間潰せばいい。
メインの仕事としてははっきりいってクソ。本職があるけどそれじゃ稼げないってやつが空き時間でやるのがほとんどでこれメインでやるのは少数。
ただ人の会話することなく、表面的には「Be my boss」を演じられるので(実質はuberやlyftのシステムの駒に過ぎないんだけど)、自営業の社長みたいで一定のプライドを保てるらしい。
>小学校だが、ベルマークやバザーは職業人には非効率極まるので保護者が相応の額を寄付することで代替、 学級便りなど配布物はクラスのブログに替えて廃止、集金は口座引落と手数料負担でのカード決済、を勝ち得た。まだまだ合理化してやるわ。
さらに
>教務主任ですね。伝統守れだのパソコンやネットが使えない人はどうすんだとかいってきます。自分のITスキルがないだけでしょ、主語をでかくすんなよで秒殺。スマホも使えない50代は去れと
と続く
これ見た時うわっ可哀想と思った
この意識高い系ジジイ(ババア?)に巻き込まれる先生たちと一部の保護者が
高校の進学校だと生徒の各家庭に一台はスマホとパソコンあって、ipadだって持ってるしプリンターもFAXもある家庭だってけっこういます、って感じなんだろうが
小中学校だと生活保護家庭、片親、パソコン持ってない、両親ガラケーで機械オンチ、
両親がいなくて祖父母に育てられてるとかまあ色んなのがいる
学校のホームページこまめにわざわざ開いてチェックするなんて億劫でやだって親もいるだろう
俺みたいなのがもし親になったら絶対ろくに見ない
宗教上の理由で家にゲーム機やパソコンどころか洗濯機も電話も冷蔵庫も置いてない家で育った少年の話があったが
日本にも数校にひとつくらいそんなトンデモ一家がいるかもしれない。いやたぶんいるだろ
現実見えてなさすぎ
俺は学校関係者だけどうちの学校では、例えば天気が微妙な時運動会の開催はどうするかとか台風が来てる時に休校にするかどうかとか
全校生徒の保護者に緊急の連絡がある時はメールとアプリで連絡を送信するようにしてる
でもいくつかの家庭は、さまざまな理由で連絡が受け取れない
詳しくは知らないが上で挙げた理由の他にスマホの容量圧迫したくないとか学校にメールアドレス教えたくないなんてのもいるかもな
とにかく連絡が受け取れない、もしくはちゃんと連絡を受け取って見てくれてるか不安な家庭にはどうしてるかって言うと
そして、だいたいそういう家庭って何か訳ありで時間置いて一日に何回電話かけてもつながらなかったりする
まだ○○さんの家に連絡取れないんですよ~って先生がぼやいてるのだって見たことがある
教師は社会経験がなくて世間知らずで頭が悪いからパソコンが使えないんだ!って本当に呆れる
教務主任とかパソコンでの資料作成やメール送信めちゃくちゃやってるだろ
学校のホームページやブログ更新だって教員の誰かがやってるんだぞ
教員じゃないクソ下っ端の俺でもパソコンでの仕事それなりにやってるのに
元ツイの奴の学校の先生はモンペに折れて裏では情報弱者家庭に個別に電話連絡したり紙のプリント刷って持たせてるんだろうなと思うと泣けてくる
こいつの子どもが卒業したらこれ幸いと元のシステムに戻しそうだ
ボクたちいじめられっ子の本気を見せてやる!ボクたち弱者だってやる時にはやるんだ!やられっぱなしはもう終わり!子どもの時、教師の理不尽ないびりに逆らえなかったボクとは違う!強者に立ち向かうぞ!悪の教師をぶっ潰せ!などと思っているんだろうが
相変わらずネットのオタクたちは爆サイにいるような貧困層、キモヲタくんとは別の方向性の社会的弱者ががまったく見えていないんだな
いや、もしかしてわざとなのか?
「スマホも使えない50代は去れ」はそういう保護者にも向けている言葉なのか?
連絡事項をホームページでチェックできないようなのは親子もろとも取り残されてしまえ、小卒どころか最終学歴ホイ卒で十分だ、と
非コミュでオタクでネット民、そんな奴らのカタルシスのために底辺はますます底辺に落ちる
手を差し伸べずに蹴落として、そうして行き着く先は生活保護受給者やヤクザ者
そんなの結局みんな損じゃないか
本当にいいのか、それで
元増田です
追記
(タイミング的に、おそらく野球部がグラビアアイドルを取り囲んだ件だと思われる)
それに対して「陽キャとか使ってるのは陰キャだけw陽キャなんて死語」みたいなエアトラバがあったけど
「リア充」「ウェイ」は明るくて社交的でノリで生きてて
非コミュ層とは相容れないけどイイ奴、ってイメージがあって※パリピもここに含む
一方「陽キャ」には個人的に
「陽キャ」は死語だと言われても「リア充」「ウェイ」で代用することは難しい、じゃあ他にどんな言葉があるんだろうと思った
「マイルドヤンキー」だろうか
図書館法がどうこうだからいつでも何でも誰にでもすぐに貸し出すべきとか
司書はいつでもにっこり微笑んで利用者の言うことを何でも聞く人であるべきとか
そういうこと考えてる人ってやっぱり多いんだろうな
図書館を利用するのはおとなしくて常識的で善良な読書オタクや文学少年(文学少女)だけって固定観念があって
利用者が司書に塩対応された=マナーを守る善良なオタクが理不尽な目に遭った!許せない!と義憤に駆られるんだろう
性に目覚めた子どもが人体関係の本を見て陰毛!精通!とニヤニヤしながら連呼したり
本を何週間も延滞するのが当たり前の人もいたり物を食べながら読んで汚す人もいたりウォーリーにマルを付ける人がいたり
時にはあなたは迷惑行為をしていますよ、自覚していますか、って指摘しなきゃいけないこともある
それでもやっぱり増田たちに言わせれば「司書は誰にでも肯定的であるべき、たとえ延滞の前科か何十回ある人でも快く貸し出すべき」なんだろうか
元増田です
これ以上詳しく書くと本当に特定されそうですが、みなさんからたくさんのご意見ご感想をいただいたので追記をしようと思います
先日も書きましたが、「司書教諭」は教員です。ピアノが弾ける先生や外国人教師と英会話ができる先生がいるように、先生方の中には司書教諭資格を持っている教員がいます。みなさんのイメージする「司書の先生」はこの司書教諭ではありませんが、場合によっては図書館の運営に深く関わります。私の学校の司書教諭はとても忙しくあまり一緒に仕事をする機会はありませんが、私が作った図書館のおたよりの添削や購入本の精査などをしていただいています
私がおたよりに「○○小学校に新しい本がやってきたよ!読んでみてね!」と書くと赤ペンで「新しい本を購入しました。ぜひ読んでください」と直されます
購入する本を選ぶ際も、うちは図書費が少ないので、購入する本は学習に使える本が最優先、絵本や小説は二の次で、それらを買う際も挿絵が今時っぽくない、ためになるような本を選ぶこと、という感じのことをよく言われます
子どもたちや先生は「校庭の畑に野菜を植えるので、授業で野菜について調べることになりました。野菜の本を貸してください」「自由研究に使える本はありませんか?」「慣用句が書いてある本はないですか」といった風に相談に来ることが多いのでそんな時に対応できる本を揃える必要があります。娯楽のための本を購入する余裕はあまりありません
ただ、他の学校の司書さんからは「クラゲの図鑑とキノコの図鑑と虫のうんこの本、面白そうだから買っちゃった!」という話を聞いたことがあり、選書については予算の都合だとか校長教頭、司書教諭の先生との関係にかなり左右されると思います
教育委員会に喧嘩を売れば好きな本を買えるのかもしれませんが何分非コミュの文化系なのでそこまでする気力と体力はないです
私が小学生の時は図書館でゾロリ、○○のひみつシリーズ、怖い話の本、恐竜図鑑、精霊の守り人シリーズ、シートン動物記、あらしのよるにシリーズ、はやみねかおる作品などを読んでいました
貸し出しはできませんでしたが名探偵コナンやらんま1/2などの漫画本もあり自由に読むことができました
中学校では主に星新一を読み漁っていましたが図書館にはキノの旅やアリソン、バトルロワイヤル、小説版金田一少年の事件簿、小説版鋼の錬金術師、当時はまだ完結していませんでしたが既刊分のNo.6などが置いてあった記憶があります
時代だったのでしょうか。出身小中学校の図書館が今どうなっているかは知りません
私が赴任した小学校には守り人シリーズが最初の1巻しかなく、大変寂しく思ったので購入しました。読書好きな高学年の子がたびたび借りてくれています。私自身は別にゾロリでも何でも読めばいいと思いますがそういった考えを公にすると意識が低いとみなされるのであまり大声では言えません
ささやかな抵抗として、集英社の学習漫画日本の歴史シリーズ(表紙絵が荒木飛呂彦さんの聖徳太子で一時期話題になったあれ)を、漫画であることを隠してお堅い歴史本であるかのように見せかけ購入希望を出し、司書教諭の検閲をかいくぐって購入しました
また、「漢字どころかカタカナもまともに読めないような小さい子が、挿絵もルビもない重厚なファンタジー小説を借りようとする」件について補足ですが
カタカナも読めない、というのは学年や年齢ではなく個人にかかっています
決めつけているのではなく本当に読めないのです
図書館に来るのは読書好きな子や教室に居場所がない子とは限りません
暖房目当てでたむろしに来る子、読書も国語も大の苦手だけど虫や乗り物の写真が見たいから来る子、学校内で堂々と漫画(ブラックジャック)が読める場所だから来る子、雨が降っていて外で遊べないから仕方なくきた子、貸し出し冊数を自慢したくて借りては読みもせずに返し借りては返しを繰り返す子、担任に本を借りろと言われて嫌々来た子、さまざまな子がやってきます
本当に読めないし読む気もないのにキラキラしてかっこいいから借りて自分のランドセルの中に入れたいという理由で借りることがあります
貸し出すことの是非は一旦置いておいてそういう子もいるんです
今まで何度か業種を伏せて上司との軋轢等をはてな匿名ダイアリーで愚痴らせてもらいましたが、そのたびにぽつぽつと励ましのトラバやブコメをいただいています。今回、私に対して「辞めちまえ」「今すぐ首を吊って死ね」「殴り殺してやりたい」と思った方の中にも過去私にあたたかいトラバやブコメをくださった方がいらっしゃると思います。その節はありがとうございました
司書に幻滅した、がっかりしたとのトラバもいくつかありましたが
予算の潤沢なところは魅力的な絵本や小説が山ほどあり、複本も多く用意されており図鑑も何でも借り放題でこういった禁則事項は少ないと思います
元増田で列挙した実例は「別の学校の司書」「司書教諭」「司書教諭ではない先生」の発言が混ざっています。すべてが司書の発言ではないです
私は小学生の時からずっと司書になりたくて、その夢は無事に叶ったのですが、最近本当に頭がおかしくなりそうです
皆様に言わせるともうおかしくなっているのかもしれませんが
今思うと、
左右の目で大きく視力が違い、黒板の字がぶれて見えるレベルだったのにずっと眼鏡をかけず過ごしてきたこと
扁桃腺が風邪でもないのに常に腫れていて喉がふさがっていること
とにかく運動音痴で小中高大と体育は何をやっても駄目だった
特に球技が無理。バレーもバスケも卓球も全部無理。目のピントが合うのにタイムラグがあるのでボールの正確な現在地が分からない
陸上だって誰よりもゼエゼエ言ってるのに足が遅いせいでクラスメイトからは白い目で見られ
時には「ずるをしている」などと言われた。本当に地獄だった
しかし、アメトーークの運動神経悪い芸人、めちゃイケ運動会、リンカーン大運動会などは好きで何度も見たことがある。今もアメトーークを見ている
自分は非コミュでアニヲタではあるがお笑い番組も好きで、お笑い芸人に好意を持っているので
(と言っても島田紳助は苦手でテレビからいなくなった時はほっとしたし、今炎上中のニューヨークはフォローのしようがないしフォローしたくもない)
アメトーークでは弄る側も弄られる側もスタッフも仲がよいであろうことを知っているし
あれは自分にとって、例えば子犬がポテポテ歩いていたら転んで隣の子犬とぶつかるとか、
猫が着地に失敗してつるっと滑ってしまうとかその手のほのぼの映像の延長であり
自分と違って「お前ほんっと運動神経悪いなwww」「いやぁ~www」と仲間同士で明るくネタにして笑い合えることへの憧れも感じる
あれはけして嘲笑ではない。学生時代、体育の時間に自分に向けられた冷たい視線とはまったく異なるものだ
自分のように学生時代体育で辛い思いをした人たちがあの番組を批判しているのを見るたびに
なんとも言えない気持ちになる
転職しても同じだった。
同じチームの人たちとは仕事という共通の話題があるから仲良くはなれるが、他のチームの人たちとなると話すことがなくて途端にダメだ。もともと自分は閉鎖的な人間だし、できるだけ誰とも関わらずに穏便に毎日をやり過ごしたいと思っている。こうやって時を過ごしていくと、当然ながら会社内の人たちのパーソナルな情報から全く遮断されてしまう。
だから、例えば今日みたいに日付変更まで残業して偶然帰るタイミングが一緒になった隣の島のあの人に対して、明らかに異常な感じで一緒の帰宅を避けてしまう。だってある程度会社歴がついてきてしまって、それなのにその人のことを何も知らない、会社の人のことも何も知らない自分が、どうやってその人と帰途を過ごせるだろうか。自分が息苦しいのは勿論、相手にとっても迷惑だ。
なんでこんな人間が管理部門の仕事をしているんだろう。社交力がないから営業も無理だし。詰んでるなぁ。組織で働きたくないなぁ。
なんども繰り返し見たが、差別だと主張する人の気持ちが全くわからなかった。
彼は、サーフィンに出会ったことで自分の世界を広げ、失恋のショックから立ち直った。
相変わらずネット実況はするし、インドア趣味をやめたわけではない。
見た目が変わっても、彼の本質が変わっていないことは
「ほっといてください」
の台詞が物語っている。外見の変化は、彼にとっては大して重要じゃない。現に、彼が立ち直ったのも、人との縁に巡り会えたのも、外見が良くなったからではない。
世界を広げるってことは、今までいた世界を否定することじゃない。
彼の場合、失恋から立ち直るきっかけがアウトドアだったというだけの話。これがサーフィンでなく釣りでもいいし、読書でもいい。「新しい自分に会える」ことがメインテーマのこの動画では、なんの価値観も否定されていない。
それとも、「世界を広げることを肯定的に描くのは引きこもりに対する差別」とか「人との繋がりを描くのは非コミュ差別」とか言うんだろうか?
失恋から立ち直り、前向きになっていく彼を肯定的に描くことは「根暗差別」なのか?
こういった短編動画ではわかりやすい成功報酬として「かわいい彼女ができた」が使われ易いが、それがなかったのは好印象だった。
恋愛至上主義の押し付けに辟易しているのは、非モテもフェミも一緒ではないのか。
そういう意味では、非モテとフェミは同士だと思ってるんだよ。(ごく一部の「女をあてがえ論者を除いて)
とにかく一旦双方落ち着けよ、と思う。
自分も物凄い運動音痴で、体育の時間あまりの辛さに涙が出たこともあるし心無い言葉を投げかけられたこともあり
思い出すと息苦しくなる、体育の時間があると思ったら小学生や中学生の頃に戻りたいなんて絶対に思わない
体育の授業を受けなくてもよくなったというのは大人になってよかったことベスト3に入るくらい体育が嫌いで運動音痴だ
リンカーンの芸人大運動会、ロンドンハーツのスポーツテストも何度も見たことがある
辻・加護が若い頃にめちゃイケで運動会をやってて、足が遅いわすっ転ぶわで大変なことになっていたのもよく覚えている
自分は社交的でなかったのもあり、体育の時間で失敗したら貶されるでもなく励まされるでもなく周囲は静まり返った
教室で辛そうにしている人を見たら「大丈夫?」と声をかける子も体育の時間はどれだけ相手が肩で息を切らしゼエゼエヒューヒュー喉を鳴らしていても何も言わなかった
中学生の時はみんな気を使ってバスケの時はパスを回さなかったし、高校の時は先生も一切口出ししなかったのでバトミントンの時間ではひとりで壁打ちをしていた
なので運動音痴芸人たちがボールさばきを失敗する様でスタジオの芸人たちが笑っている姿はとてもほっとする
あの芸人たちは仲の良い者同士だし、けしていじめで笑っているわけではないのだ
運動ができないことを笑ってもよい関係、笑ってもよい空間がそこにはある
自分にとってあそこで起こる笑いは、野球の珍プレー集であるとか、
歩き始めたばかりの子犬がポテポテと歩いていたら足がもつれて顎から地面に滑り込んでしまう姿だとか、
赤ちゃんが積み木のおもちゃをうまく積み上げられなくて崩してしまう様だとか、そういったものを見た時に起こる笑いと大差ないのだ
あのコーナーをよく思わない人は、自分が芸人という人種を良く思っていないから、彼らが笑うことや笑われることが「嘲笑」に見えてしまうだけなのだと思う
また、けして怠けてやっているわけではなく、本気でやっているのにどうしてもうまく体が動かせない、ボールが追えない、そういった人間が本当に存在しているのだ、ふざけているわけではなく全力でやっているのにできない、というのを周知することに役立っている、と思う
風俗で働き始めて、「こりゃ無理だ」とすぐに辞めてしまったことがある。
その理由はなにかというと、一言で言えば「非コミュとコミュニケーション出来る程のコミュ力が自分になかったから」だ。
こういう言い方をすると怒られるかも知れないが、風俗に来る客というのは非コミュが多い。圧倒的に多い。いや、風俗の外ではどうなのか分からないが、少なくとも風俗店でコミュニケーション強者な客というのは一回も見たことがない。
非コミュというのは、要は「どうしたいのか」のキャッチボールが出来ない人、ということだ。
彼らはチンコは出すが自分の意志というものは出さない。なんか世間話っぽいものはするし、どういう訳かチンコ出したまま説教することもあるのだが、いわゆる「意思疎通」というものは全く行ってくれない。
ナニをどうしたいのか、ナニをどうして欲しいのか、全く伝えてくれない。こちらはそれを探り出しつつコトを進めなくてはいけない。しかもあちこちに地雷が埋まっており、その地雷をうっかり踏んでしまうとすげえ怒られる上に店に文句まで言われると来た。マインスイーパーか。
風俗で人気が出る人というのは、要はマインスイーパーがとてつもなく上手い人だ。直接口には出されない「して欲しいこと」「言って欲しいこと」を的確に探り当て、「して欲しくないこと」「言って欲しくないこと」を巧みに避ける。確かに、「そういうことまで含めて給料の内」ということなら全くその通りだと思うのだが、であれば事前にそれを開示して欲しかった。
これは自慢で言うのだが、私の胸は「女性が30人いればまあ1番目か2番目くらいだよね」という程度にはでかいし、顔もそこそこ良い方だと思う。だからこそスカウトされたのだと思うし、「取りあえず男共のチンコを気持ちよくしまくればいいんだろう?」と舐めてかかっていた節はある。
しかし違った。風俗というのはコミュニケーション業だった。非コミュといえば私だって十分非コミュであって、男女関係は基本自分のでかい胸一つ、いや二つだけで乗り切ってきた。いってみれば、物理攻撃力だけを磨いて、魔法攻撃力を高めることを完全に怠ってきたのだ。
体さえ良ければ風俗で稼げるとか、あんなの嘘っぱちだと分かった。
風俗に行く男性にお願いしたいことがある。せめて、せめて「どこをどうしたいのか」「どこをどうして欲しいのか」くらいは恥ずかしがらずに伝えて欲しい。こちらも仕事だ、サービスする意志はある。ただ、私はエスパーではないのだ。中にはエスパーのように適切に、あなたをやさしく包み込んでくれる風俗嬢もいるのかも知れないが、それは私ではない。