はてなキーワード: 選民思想とは
2か月に1回くらいはよく見る界隈の学級会を煽るタイプの増田です。合わない奴がいるかは知らん。
長いし読みづらいと思うけど知らん。
・世の中のコンテンツはアイマスかアイマス以外であると考えている者
・現実世界のライブイベントにおいて「客」と「プロデューサー」は別だと考えている者
などのことを言う。
声優とキャラを限りなく同一視してるくせに声優のソロ名義イベントには全然足を運ばないだとか、
そういう個人的な文句は山ほどあるけど、それは置いといて今回特に言いたいのはマナーの話。
アイマスPは普段からどうやら自分たちの界隈は民度が高い、マナーがいいなどという幻想を抱いているようだけど、そう考えてるのはアイマスPたちだけ。
他の界隈から言われたことはないのか?「アイマスPはめんどくさい」と。
キャラクターの絵やセリフテキストなどに対する解釈で愛が重すぎるとかいうのもあるけど、大半はそこじゃない。
ライブやイベントのマナーに関して、あまりにもダブルスタンダードがすぎる。
先日参加した大型フェスイベントで隣にいたのが、アイマスの法被を着てサイリウムホルダーで何本も体に巻きつけているタイプのアイマスPだった。
そしてなぜか小さいダンボールを小脇に抱えていると思ったら中身はUOのパック。合計で100本ほど。
これだけならテンプレのアイマスPきたな~と笑い話で済ませられるレベルだったが、笑い話で済ませられなくなった。
ライブが始まったら口が臭い。コールのたびに隣から口臭が飛んでくる。歯を磨け、食生活を正せ。
先ほどの100本のUOは前の客席のパイプ椅子に叩きつけて折る。両手で折れ。
そのUOは両手に4本ずつのバルログ。そのライブのレギュはサイリウムは片手に1本ずつまでだぞ。
使用済みのUOは抱えてきた小さいダンボールに投げ捨てるが、ブン投げているためそこらじゅうに散乱する。ちゃんと片付けろ。
しまいには曲の歌い出しを演者と一緒に合唱し出す。これが決め手で直接怒った。お前の歌を聞きに来てるわけじゃない。
だから、この人個人に限った話なら個人の問題で片づけていいかもしれない。
だが、アイマスPは「自分たちの民度が高い、マナーがいい」と思っているのだろう?
アイマスPを名乗ることで他のオタクとは違う感を演出したいのだろう?
身に付けるもの等で何のオタクかすぐにわかるのはアイマスに限った話ではないことくらいは理解できるだろう。
アイマスPと他者から認識されることを理解した上で「民度が高い、マナーがいい、特別だ」と主張するならば、
ライブイベントにおける振るまいは個人の問題ではない。界隈全体の問題だ。
前述のアイマスPの、どこが民度高い?どこがマナーがいい?特別なのかは知らん。
前半は日常生活における基本的なエチケットだ。ルール以前の話だ。
後半は完全にライブに置けるマナー違反、明確なレギュレーション違反だ。
こういう話をするとアイマスPはすぐに「そんなやつはPじゃない」などと思考停止をするが、
アイマスのキャラクターがプリントされた法被を着てサイリウムをバルログするような人間をアイマスPと呼ばないのであれば、明確なアイマスPの定義を教えて欲しい。
現時点でアイマスPのライブイベントにおけるマナーは、アイマス以外のオタクと完全に同レベルだ。
むしろ「アイマスP」の括りで見られている点において、他界隈のオタクからは民度が低いとさえ認識されている。
これが前述の「アイマスPはめんどくさい」の正体だ。
サイリウムの色ひとつで度々揉め事を起こして同調圧力で潰す、ライブ後は感想よりも多く厄介報告をTwitterに垂れ流す、
個人の不快感と迷惑行為を混同して正義感を振りかざす(=アイマス警察)などその他にも枚挙に暇がない。
分母の大きいコンテンツになっているから勿論変なのもいれば立派な人もいる、フツーの人もいる。
なんなら他界隈から「アイマス以外のライブでアイマスPを見かけたら厄介だと思え」とすら言われていることを知らないのか?
アイマスを好きというだけで選ばれた人間のように考える勘違いを、いい加減に捨てろ。
別に女性が俳優目当てで映画見に行ったって良いのに、それを腐すようなコメントがあるのに驚いた。
あまつさえそういう傾向がある、ってデータで出ているのに、その傾向をすら否定しようとしている人がいる。
あたらめて問うけど俳優目当てで映画見に行って、何が悪いんですか?
女性の方が映画を(集団で)みに行く傾向がある、というのは悪いことなんですか?
それでいいじゃん。
この辺り、はてなの女は堂々としていればいいのに、何かこそこそと「俳優目当ての女性なんて見たことない」「女でも監督で選ぶ人いますが?」みたいなかんじで女の中に線引きをしようとしている。
それ一番やっちゃいけないことなんじゃないの?
「俳優目当てで映画見に行く人も多いけれども、そうじゃない人もいます、色んな人が色んな目的で映画見ていますが現況はこういう状態でこういうスタイルの映画が多いです(が何か問題が?)」で、良いじゃん。
あるいは「女の方が映画見に行って金払うとるんだから少し男は黙っとれ、笑」くらいでもいいだろう。
俳優目当てで見に行っている女性を等閑視するはてなの女性の姿勢はダメでしょ、と言う話。
ららマジというコンテンツがある。「キミと奏でる、音と魔法の学園RPG。」だそうだ。こんなこと言ってる時点でもう丸わかりだが、完全なる未プレイのままこれを書いている
そして自己紹介をすると、クラシックオタである。オタクと言ってもどれくらいかという話だが、バッハからギリギリウェーベルンまでと言った感じである
(ルネサンスの完全ポリフォニー音楽は正直よくわからんし、ウェーベルンで十二音音楽がギリギリって程度で、ベルクとか分からんし、セリエル音楽とか完全にダメである)
まあ要はクラシックオタとしては及第点ぐらいなのではないかという感じだ。自分で思っているだけだが、流石に新ウィーン楽派必修はキツすぎるしこんなもんだろう
そして、ららマジの存在は知っているのだが、それ故に全く手を付ける気になれない
要はミリヲタが艦これに文句つけてるアレである。知ってるとどうしたってアラが見えてしまうのだ
というわけで以降アラをあげつらう。ただ、最初に書いておくが、クラシックを題材に据えてくれたことそれ自体には感謝したい。大概な過疎界隈なので…
まず最初に引っかかったのがこれである。ワグナーチューバ専がいたのだ。おそらく人類初のワグナーチューバ専の演奏者ではないか?
どういうことか説明する。ワグナーチューバとかその名の通りリヒャルト・ワグナーが導入した楽器である
問題はその役割である。ワグナーチューバというのは、端的に言うとホルン奏者が持ち替えで吹くチューバ、要は補助楽器なのである
まず楽曲に登場する際もその様な管弦合奏の中での役割しか無い。無論ワグナーチューバの独奏曲なるものも地上には殆ど存在していないと思われる
ワグナーチューバ専の彼女が何の為に生きているか深刻に謎なのだ。もっと彼女の存在意義を明らかにして欲しい
単にワグナーチューバがちょっと奇を衒ったチョイスだと思ってこんなことをしたのなら…正直それは最もオタクが憎むところである
さっきの発想を拡大していけば自然とこういう結論が導き出されるのだ
まず編成が滅茶苦茶である。ワグナーチューバは勿論だが、なぜか胡弓がいる。譚盾でもやるのか?
ピッコロ・フルート奏者と、ファゴット・コントラファゴット奏者とそれぞれ別々ににいるし、オーボエもいないのになぜかイングリッシュホルンがいる
というか弦楽合奏の縁の下の力持ち、ヴィオラがいない。クラシックやる気ねえだろお前
まず、各楽器一人づつしかいないのが致命的におかしい。これで合奏なんかできるわけないじゃないか
一応確認してみたが、弦楽合奏はヴィオラが居ないのでまずどの編成も無理だし、金管五重奏をやるにはチューバがいないし
オーボエも居ないので木管五重奏も出来ない(イングリッシュホルンの奴を強制的にオーボエに持ち替えさせればイケなくはないが)
率直に言ってこの部活、端から演奏活動をする気があるとは思えないのである。演奏活動をしない音楽部ってなんだ?
まだ楽器弾けないクラシックオタが放課後に集まって一緒にクラシック聞く方がよほど真面目に部活動してると言えそうである
まず何のチューナーなのかが全く聞こえてこない。そこ、いちばん重要な情報である
…が、状況を見れば十中八九ピアノの調律師であろう。そうすると次の問題が出てきて、器楽部なんかで遊ばずにピアノ調律師の専門学校へ行けということだ
ピアノの「チューニング」自体は、実は器具さえあればクソ簡単である。あれは打弦楽器であり、本質的にギターのチューニングと同じなんだから当然だ
ピアノ「調律」のミソはピアノ全体の調整、とりわけハンマーの調整である。逆にここは素人が立ち入れるところでは全く無い
というかピアノ調律師は国家資格なのである。苟もこんな場所で遊んでいる暇などないはずなのだ
(ただ、ピアノ調律師なのではないかという推測は、チューナーくんがあれほどモテモテな事実への一つの根拠となる気がしている
ピアノ調律師はピアノ全体の調整をやらなきゃいけない都合上、一定程度のピアノ演奏の腕を持っていると考えていい
…そうピアノ奏者である。室内楽をやりたい器楽部に致命的に欠けていたピアノ奏者がここにいるのだ
ピアノとの二重奏による室内楽ソナタというのは各楽器に果てしなくあり、というかほぼその楽器の独奏曲レパートリーと言っていい
ピアノ演奏ができる、そして部員としてそれぐらいしかすることのないチューナーくんは引っ張りだこになること請け合いなのである)
ここまではららマジの方に100%非があることだと思っているが、これはららマジの方の非が50%、この増田の方の非が50%ぐらいだと思う
その前置きをした上で言うが、ららマジの曲チョイスはクラシックへの愛が欠片も感じられず、はっきり言って嫌悪感がするのである
Act 1「いばら姫」:バレエ音楽「眠れる森の美女」(チャイコフスキー)
Act 3「どうにもとまらない」:「どうにもとまらない」(山本リンダ)
Act 4「マイフェアレディ」:ミュージカル「マイ・フェア・レディ」(フレデリック・ロウ)
Act 5「ある晴れた日に」:歌劇「蝶々夫人」(プッチーニ)
Act 7「マランドリーノ」:喜歌劇「怪盗団/山賊の仕業」(スッペ)
Act 9「美しく蒼きドナウ」:「美しく青きドナウ」(ヨハン・シュトラウス2世)
Act 11「ハッピーアンバースデイソング」:映画「ふしぎの国のアリス」(オリバー・ウォレス)
Act 12「カノホナピリカイ」:フラソング「カノホナピリカイ」(ケアリィ・レイシェル編曲)
クラシック好きと言うのはガチの選民思想的なところがあり、こういう事をされると相当カチンと来るのである
そんなPOPなチョイスしたいなら吉松隆でも選べばいいじゃないか
数少ないクラシックのチョイスにしても、スッペの怪盗団を選んだ所以外全く評価できるところがない
24の前奏曲から第15番を選び、更にそれに「雨だれ」の題名を冠するのとか最悪である
今どきベト5を「運命が扉を叩く音」と言い出すぐらい古臭い最低なセンスである
音楽を、ただ音楽それ自体を聴いてくれ。エピソードはそれをやったもののみが語るべき要素である
実写顔出しYoutuberをつまらない、テレビの物真似と叩いてたはてな民がキャラクターのガワを被っただけのVtuberにはブヒブヒ言いながら興奮している姿が無様でしょうがない。
結局やってることといえばゲーム実況、歌ってみた、雑談の類。youtuberやニコ生主の二番煎じでしかなくそこに新しさなんて全く無い。にも関わらずそれを新しい文化だのとほざく。表面しか見えてないのかな…。
こういうと技術がー双方向性がーと言い出す阿呆が現れるが、半目で痙攣しながら喋る割り箸アニメのどこに技術的な見所があるの?ダンボール背負ってゲームしている姿をスゲースゲーと称賛していた連中と同じ臭いがする。
双方向性なんてそれこそピアキャス時代からあるんだが?今更そんなことを持ち上げてる連中って本当無知で呆れる。
自己顕示欲だけは強い乞食のくせに顔出しはできない卑怯者の養分になって楽しいか?女の形をしたハリボテCGのケツを追いかけ囲ってちやほやする姿ははっきり言って気持ち悪いよ。
お前らが嫌いなアイドルオタクそのものじゃん。むしろ架空の存在のおままごとに付き合ってるだけなのに選民思想のあるバチャ豚の方が臭いか。
> スプーンには20ccと記載があるのにどうして3杯20gになるのですか? | お客様の声を形にしました | お問い合わせ窓口 | 森永製菓株式会社
> http://b.hatena.ne.jp/entry/www.morinaga.co.jp/contact/voice/detail/11
このブクマを見ていると、
「愚民対応」「無知」「一般常識」「教育が必要」「中学生の時何してたんだ」
などという言葉が並んでいる。
もちろんこれらは抜粋しただけなので偏重はあるが、それでも割合として無視できないほどいる。
一部の過程と結果を元に視野の狭い推論を構築し誤った結論を出し他者を愚民と罵る彼らには心底呆れる。
彼らのように無知にして身勝手な論理しか導き出せないアスペたちには我々のような真に教養ある者たちによる教育が必要だ。
でしょ?
オタクはネトウヨでロリコンが多い。他者への攻撃性はものすごく高いくせに、自分が傷つくことには敏感すぎるなどナイーブな一面も持つ。そんなとても厄介な人たち、それが現代のオタクである。
オタクの余裕のなさは何が原因になっているのかと考えていたのだけど、最近、低身長説を見て、これはそうかもしれないと思った。
自分の中高生時代、イキってるオタクがどんな人物だったかと思い出してみたら、全員低身長だった。被害者意識が強くてすぐにキレて、粘着質でとても陰湿。学力が高くなく、運動神経も平均以下。そんな人たちはみんな低身長だった。もちろん高身長のオタクもいたのだけど、彼らの態度にはどことなく余裕があって、すこし作品批判されたくらいで動じることはなく、笑って受け止め、そこから楽しい議論になったりした。高身長のオタクは何かあるたびにすぐにキレたりはしない印象がある。低身長のオタクは自分を守ろうという意識が強いのか、少しでも自分の好きなものについてネガティブな発言をされると、かっとなり、大声で早口でまくしたてていた。
身長がコンプレックスだと他者に対して不寛容で攻撃的になるということはあるのだろうか。オタクの場合、「俺は世間のやつらの知らないすごいものを知っている。俺はすごい」という選民思想も持っているが、そういった熟成されたプライドの高さと元来からある自分の容姿に対する強すぎるコンプレックスが化学反応を起こして、あの厄介な人格が形成されるのではないだろうか。「世間に迫害されている俺が実はすごい」という被害妄想ファンタジー。
今後の研究が待たれる。
これだけオタク差別のなくなった時代に「オタクは差別されている!」などと言っている連中はフェミニストと同じでカルト化しているように見える。
現代の30歳以下の普通のオタクはオタク差別が存在するかどうかについてそもそも考えたこともない。被害妄想の強い一部のカルト化したオタクだけが騒いでいる(彼らの多くは古参オタクで40代以上だろう)。
彼らにはどうも選民思想みたいなものがあるように見える。自分たちは神々しい悲劇の存在であるとでも言いたいかのよう(このあたりは「キモくて金のないおっさん」に近い)。現代ではもう世間はオタクのことなんかどうとも思っていないのに。
ネットでオタクを叩いているのは一部のこじらせたオタクとカルト化したフェミニストだろう。
一部の過激なフェミニストは相変わらずオタクを攻撃しているが、そんな連中など社会のごく一部というかほとんど無視していいカスみたいな存在でしかない(いまどき気の狂ったフェミニストの言葉をまともに受け取る人間もいないだろう)。オタクはフェミニストの攻撃を真に受ける必要はない。少なくとも世間はオタクのことなどどうとも思ってはいない。
フェミニストという一部のカルト教団が攻撃してくるからといって、日本社会全体から差別を受けているなどという思い上がった語り方はやめるべきだ。情けない。
きみらの被害妄想が強くなればなるほど、世間はきみらのことを冷ややかに見るようになるだろう。きみらはオタク差別と戦うのではなく、フェミニストというカルト教団と戦うべきである。オタク差別があるのではなく、フェミニストというカルト教団がきみらのことを攻撃しているだけなのだ。
そして、いまきみらはカルト教団から攻撃されているということをもって、被害妄想をこじらせ、日本社会全体から差別を受けているかのように語っているが、これもまたカルト化である。そんな事実はないのだから。
このままきみたちがカルト化した場合、カルト対カルトの宗教戦争になるだろう。そこにはもう理性はない。きみらはそんな人間になりたいのか? それこそまさに畜生ではないか。
A新聞に記者として働く学生時代の先輩がいる。彼女は今、アメリカに留学中で、昨今のセクハラ騒ぎを一昨日、知ったという。
同業他社の女性記者が受けたセクハラ被害に対し、思う事をFBに書き綴っていた。
先輩もまた、女性記者として今まで受けたセクハラを受けていた。
しかし、私は正直な所、彼女が受けたセクハラ被害を読んで、「この程度の事がセクハラになるなら、私なんてもっと最悪なケースではないか。」と思う事ばかりであった。
私は、FBに「イイネ」や「酷いね」などのリアクションも出来ず、コメントも残せなかった。角の立たないコメントを書けなかったし、励ましたり同情する言葉が浮かばなかった。「女性の敵は女性」になっている自分が、嫌だった。
そうこうしているうちに、彼女のFBに書き綴った内容の記事は大反響を呼び、改めて感謝の意や今後の抱負・反省などで、彼女はこの話題を締めくくっていた。
私はその締めくくりの記事を読み、虐められていた時の自分と重なった。虐められていた理由は、
・偉そう
・高みの見物
・人を何だと思っているのか
・「ごめんなさい」と言えば許してもらえると思っている。
・馬鹿にしているのが解る。
という理由だ。私は虐めを受けている当時は、全くわからなかった。謙虚に低姿勢に、世間様と接しているのに、なぜ、その彼らにこの様な酷い罵声を浴びなければならないのだろう。
鼻につくという理由で、なぜ。
けれども、先輩の締めくくりの記事には、まるで当時の私そのものの様子が、書き綴られていた。それを読み私は思わず、
「これじゃあ、風当たりが強いのも、無理はないな。」と思った。
反省している事、優等生の様な考え方、選民思想、そんな自分が理不尽なことを耐えて「あげた」だけでも偉いのに何故。
その様な事が見え隠れするような、表向きの締めくくりの美しい文章に思わず「勘違いした人間の間違った謙虚は、痛々しい」と感じてしまった。
ここで、先輩の文章を添付したりコピペする事は出来ないけれど、なぜ自分が虐めを受けてきたか、痛いほどよく解った。
虐めは悪い事だけれども、虐められる方も悪い。その理屈は近からず遠からずだと思った。少なくとも今の私だから、自分の痛々しい優等生っぷりが公害であったと理解できる。これでは社会が受け入れてくれるはずがない(社会に馴染めるはずがない)し、邪険にされるのも良く解る。
具体的な話を書けず、抽象的な内容でゴメン。私が言いたかったことは、昔の私を引っ叩いて自分の勘違い・自惚れ・思い上がりを先輩の記事を読ませて、不快感を通じて自分を客観視させたいという事だ。
ふたばちゃんねるがここ数ヶ月下手したら一年ぐらい面白いことになってるんで怪文書としてここに書いておく
最初にはてなの人はあそこの人達はスレのネタを外に持ち込むことを極端に嫌うと思ってるだろうけど
今のあいつらはそういう思想を残したままTwitterだろうと海外の違法サイトだろうとお構いなしに
そこから画像持ってきて貼り付けていちゃもんつけて語る奴等で形成されてるネットの最底辺の民度の人が大半を占めてるコミュニティ
そこは昔も今も変わらないか
変わったのはそこに今流行りの詳しく調べもせず情報ソースなしに書き込みだけをみて信じ込む正義感が合わさり
いい歳した時代遅れの正義感あふれるおっさんの蟲毒状態になってることか…おぞましい
そのおかげがまともな脳ミソ持った絵描いてた人やコラ作って投げてた人は危険だと判断して気の合う人達とどっか行った
まあ元からパースがどうたら指摘する奴等がいたんで糞みたいな環境ではあったんだけど…
前振りはここまでとして…ここの掲示板昔と比べて利用者が増えてるのにも関わらず
自演し放題の古いシステムでおまけにdelというスレの住人がクリック一つで削除依頼できるおかげで
簡単に私刑が行える状態となっており間違った方向へ行っても修正が利きづらいという事態に陥ってる
これは少数の書き込みで簡単に大勢を扇動できるという事でもあるんだけど今の住人はどれだけ気付いてるんだか…
ここ数ヶ月は見事にそれが悪い方向へばかりへと突き進んでるような気がしてならない
そこから何も学ばずなかったかのように振る舞うのがおっさん特有なのか…ネットならではなのか…うーんとなる
人の少ないところは平和なおっさんの語り部という感じなんだけど
いつ上記のような状況になるか戦々恐々しながら進行してるというのを否めない
こんな選民思想たっぷりな住人から反感持たれること必須な文章をここに投げたのは
どうせ現状このままならさっさと破滅へと突き進んで欲しいと思ったわけ
ぶっちゃけ今のあそこって糞
システム面の管理にしても住人による管理にしても極端な管理をしないと対応出来ないのが糞すぎる
現状このままならさっさと滅んでほしい
…ここまで書いてきたけどここ昔から糞だったわ忘れてた
一部のビーガンの選民思想的な考え方は苦手なんだけど、料理に関しては結構面白い
特に身近な食材でベジミート的なものを作るレシピは別にベジタリアンじゃなくても応用が利くことが多い
高野豆腐を粉チーズ風にしてみたり、唐揚げにしたりというのは肉食禁止という制約がなければ出てこない発想だと思う
この組み合わせで卵っぽい味になるというのは完全に盲点だった
俺はハンバーグを作る際に高野豆腐をすりおろして入れるのだが、これはベジ系レシピから丸パクリしてきたやり方だ
こういう事書くと、勝手に肉料理に応用するなと怒られるのかもしれないけどね
正直、肉食ってる人にマウンティングする為にビーガンやってる様に見える人がいるのも事実
でもそういう人達ばかりって訳でもない
肉食うかどうか程度で大した影響は無いと俺は思うけど、そう考えない人達がいても問題はないとも思う
なんにでも言える事だけど、人それぞれの価値観があるということと、特定の価値観を誰かに強制しようとすること、とは切り離して考えないとなぁと思う