はてなキーワード: 選民思想とは
人間同士の間の権利の問題を解決することなく、動物の権利を主張するのは、今現在人権を侵害されている人たちから見れば、動物の権利を人間の問題に優先する人々とみられても仕方ないのでは?
うがった見方をすれば、動物の権利を掲げることで、人間の間の権利侵害から目を背けているのみならず、消極的にだが人間間の問題を解決しないことに加担している。
もっといえば、動物の権利という「正論」を掲げることで、どんな相手であれ論難することができる。
これが恣意的に行われれば、本来の人種差別的感情を糊塗し、「動物の権利」の観点から文化や価値観の違う人たちを非難することさえできる。
ヴィーガンはキリスト教的価値観がが崩壊せざるを得ない現代において、隠れた選民思想を秘めた新しい新無神主義という宗教に近しい思想ではないか?
自分にはピーターシンガーの思想は人間に対して恐ろしく差別的であると感じる。
ぶらさげとこう
選民思想といっても過言ではない。
電車、新幹線、フェリー、飛行機、高速バス。なんでもござれで瞬時に酔う。
なんなら車の助手席で窓を開けてても偶に酔うくらいには酷い。
(自分で運転してても段差が多かったり長時間運転してると酔う)
酔い止めもダメ、ストレッチもダメ、三半規管を鍛えようと色々やったけど症状全く寛解せず。
そのせいで、乗り物に乗る時は、必死で前を見ているか眠ることしかできない。
横や後ろを見ていたら、十分もしないうちに気持ち悪さで限界になるから。
だから、私は移動時間を上手く使う発言が憎らしいし、同時に羨望の対象になっている。
新幹線でスケジューリングとかPCで作業をやるサラリーマンが眩しい。
夜行バス、隣の席でプロレスだかの週刊記事を遂行して書いていたライターのおっちゃんが羨ましい。
電車でのどかな山村地域をバックに、小説を読みふけっていた眼鏡のお姉さんが輝かしい。
移動時間を上手く使え、と執拗に言ってくる輩に文句の一つでも言ってやりたい。
その選択肢が無い人が、少なくともここにいるんだ、って。
そりゃ選民思想ってなそういうもんよ
「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」がNHKでドラマ化したら「腐女子、うっかりゲイに告る」になった件。
タイトルの理解は正しくなくて、「僕」から見たら主人公は「ホモ」だけど、「腐女子」から見たら「ゲイ」だということで、なんの齟齬もない。
むしろ原題をそのまま使うのは難しいことから、彼女目線のタイトルに変えることで作者の意思をうまく尊重したのだという考え方すらできる。
それでも、という話。
この作品の主人公はどこまでも「ホモ」で、「ゲイ」じゃない(肯定的な意味でも否定的な意味でも)。
何の違いか、というのを端的に言うと、ゲイとしてゲイコミュニティに何の違和感もなく馴染めるゲイとそうじゃないホモということで、
(原作者はBLで目覚めて後からゲイパレードを始めとするゲイ文化を知り、愕然としたというバックグラウンドがあるらしい。
BLの対象となる「ホモ」と現実に存在する「ゲイ」という対比、ニュアンスもある、はず)
ヘテロにとっちゃどうでもいいことだろうと思うが、いわゆる「新宿二丁目」なゲイ像を男性同性愛者の全体が受け入れているということではない。
むしろ、ああいう雰囲気を移されないようあえて遠ざけているという人間さえいる。
作者のこだわりというが、自分もとても共感していた部分だったのでドラマの原題が最終的に「ゲイ」になったのが残念でしかたない。
もちろん、ホモなんて言葉を入れるわけにいかないことはわかっているけども。
「ただの同族嫌悪と何が違うんだ」「選民思想に溺れているんじゃないか」と謗られても説得力のある反論は思いつかない。
「そんなつもりじゃない」ぐらいしか言えない。
実際、自己肯定なのか自家中毒なのかわからない執着を抱えながら「ホモ」で居続けることが素晴らしいことだなんて思わない。
それでも、「ああ、一括りなんだな」という残念さが消えない。
女を「ババア」と呼んで勝手に親近感を持ったり、オネエ言葉を使ったりすることはアイデンティティとして受け入れられないんだよ。
一緒にされたくない、というのが偽らざる本音だ。
納得できない出来事があったので、初めて匿名ダイアリーを書いてみる。以下独り言。
私の所属している研究室では、毎週発表会がある。研究室の学生・教員が全員参加し、学生の発表に対して議論する本格的なものだ。研究室内で行うぶん参加者は皆分野に関する知識を持っており、レベルが高いものとなっている。学生は(炎上を避けたいがために)気合を入れて発表をする。
先日、私の発表順が回ってきたため、全研究室メンバーの前で発表をした。プレゼン後、学生間の質疑応答があり、それから先生と議論をする。
先生は開口一番「君はこの前、学会で賞をもらっていたね」と言った。
私は先日、学会で受賞をした。とある委員会が開催する、1年を通して複数回行われる学会の中から、2018年度の若手賞に選ばれたのだ。
私は「はい、もらいました」と応えた。すると先生から、このように返ってきた。
「君の研究は、高校生レベルの稚拙なものだ。君の説明がわかりやすいのは認める。わかりやすいから、質疑応答も盛り上がる。ただ、君は研究内容ではなく発表のやり方で受賞をしたのだ。正直、委員会の人間にも頭の悪いヤツは多いから、君の発表が評価されたのだろう。研究室内の人間はみんな、君の発表をアホかこいつはと思って聞いているよ。」
衝撃だった。そして、こんなにも他者を理解しようとしない人間がいるのか、と思った。圧倒的な選民思想。他者を見下す態度、相手に理解させようとする姿勢の無さ。
自分とは評価基準が異なる人間を馬鹿にする態度。委員会の人間にバカなやつが多い、という言葉。私を評価してくださった方々は、先生からするとみんなバカなようだ。議論を盛り上げてくださった方々も同様。仮にも専門家である。自分に理解できないものは、全て低俗なものであるという考えなのだろう。自分の評価軸だけを信じ、自分のものの見方だけを信じ、 他者の価値観を一切受け入れない姿勢。
私は、今回の受賞において研究内容だけで評価されたわけではないと思っている。私が大切にしていたのは、発表に対する態度や、わかりやすい説明、盛り上げようとする工夫である。相手にできるだけ話をきいてもらおう・理解してもらおうと努めることである。
私は大学院から専攻を変えたので、分野に関する知識はかなり浅い。だからこそ、こんな自分が学会に参加させていただき、発表させていただくことになったとき、じゃあ自分にできることは何かと考えるのだ。
学会とは、最先端の研究成果を共有する場である。それと同時に、他分野の研究についての理解を深める場でもあると思う。そのため、相手に理解してもらい、自分の研究内容について理解してもらうことが大切であると思うのだ。どんなに素晴らしい研究をしていても、誰にも理解してもらえない発表をするなら学会に参加する意味はない。ただの時間と金の無駄である。他者の時間をも浪費する愚行である。そんなやつは、1人部屋に篭って好き勝手に研究していろ、と思う。
先生は無知を馬鹿にするが、無知を馬鹿にしていては研究成果が世の中に広まることはない。分野に対する知識が浅い人でも興味を持って議論に参加でき、理解できる発表をしなければ、どんなに素晴らしい研究成果も内輪に留まってしまうだろう。相手を理解した上で、相手に理解させる説明をする必要がある。
私にできることは、研究内容を理解してもらうこと。それと同時に、自分の研究分野についても理解してもらうことなのだ。それが、無知である私だからこそできる最大の貢献であると思う。
今回受賞した学会には、私と同研究室から、私より遥かにハイレベルな研究をしている方も多く参加していた。それでも、受賞したのは私だった。だからこそ、委員会の先生方は、私の発表に対する姿勢を評価してくださったんじゃないかと思うのだ。
そんな評価軸を持っているであろう先生方を、「バカ」の一言で片付ける。研究室内の知識ある人々にとってハイレベルでない研究を、「アホ」の一言で片付ける。
東大入学式の祝辞で著名なフェミニストである上野千鶴子がスピーチを行い、その内容についてインターネット上では賛否の声が上がっている。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
個人的な感想を端的に言うと、内容の正否以前にわかりづらい部分があって、ときおり彼女が何を主張しているのか理解できない部分があった(私だけだったらすいませんでした)。インターネットの皆さまは内容を理解した上で議論しているのだろうか?まあ実際のところはこのようなスピーチを真面目に読む人暇人なんぞは少数派だろうから、雰囲気で流し読みしてあーだこーだと感想を言っているのだろう。それはいいとしても、このスピーチでは、いかに東大生の頭がいいと言っても口頭ではロジックを理解できずに混乱してしまったのではないだろかと心配になる。
「女性学のパイオニアとして」の章は著者の自分語りであるし、「変化と多様性に拓かれた大学」と「東京大学で学ぶ価値」の章は良い雰囲気の一般論なのでこれらの章に特に理解が難しい点はない。問題なのは、女性学生差別にまつわる内容が記述されている「女子学生の置かれている現実」の章であり、その中でも特に理解が難しく、思わず男性差別的なのではないかと脊髄反射してしまいそうなパートは、第3パラグラフである。以下では、同パラグラフの読解を行うので、私と同様に一読してわからなかった人、特に男性差別的に感じた人は読んでほしい。
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
このパラグラフはいきなり衝撃的なトピックセンテンス「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。」で始まる。おまけにサポートセンテンスの中には「男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」という主張が入ってくるので、恐らくこれを口頭で聴いたら「上野千鶴子はとりあえず男が馬鹿だと言いたいのか?」と感じてしまう可能性がある(実際にTwitter上ではそのようなリアクションが少なからずみられる)。さらに、冒頭で「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」と言っておきながら、サポートセンテンスでは「統計的には偏差値の正規分布に男女差はありません」と真逆のことを言われて、読者(聴衆)は混乱の極致に達する。しかし、このパラグラフの本意はそうではない。鍵は、この前にある第2パラグラフにある。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
つまり、著者はひとつ前の第2パラグラフで、「医学部以外の女子の入りにくさは1以下で、医学部が1以上であることの理由をこれから説明するよー」と宣言しているわけだが、実際に次の第3パラグラフで説明されるのは、前者の「なぜ女子の合格率は(医学部以外において)高いのか」ということに対する理由だけだ。この宣言と実際のズレが、まずもって2パラと3パラの繋がりを分かりづらくしている。
それを踏まえて第3パラグラフのトピックセンテンスである「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」を解釈すると、これは実はかなり曖昧で、「受験生全体としてみたときに女子の方が偏差値が高い」という解釈(A)と「ある大学の受験者プールをみたときに女子の方が偏差値が高い」という解釈(B)の両方が必要となる。このトピックセンテンスの意味の曖昧さが、続くサポートセンテンスとの繋がりを不明瞭にすることで、このパラグラフの読解を困難にしている。しかしながら、これらはいずれも、「なぜ女子の合格率は男子に比べて高いのか?」という第2パラグラフの問いに対する明確な解答となっている。
では、このトピックセンテンスの解釈(A)、(B)を前提として、そのあとに続く3つのサポートセンテンスの内容を読み解いていこう。
①「第1に、女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。」⇒要は、女子は余裕を持って受かる大学を選ぶため、ある大学の受験者プールで見たときに女子の方が偏差値が高い、という話なので解釈(B)を支持する内容。
②「第2に、東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。(中略)統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。」⇒これも①と似たような話。男子の方が相対的に下方の学力の学生まで東大を受験するため、平均的にみれば女子東大受験生の方が偏差値が高いということ。解釈(B)を支持する。なお、ここでいう偏差値の正規分布とは、「東大受験する/しない」「大学受験する/しない」という条件を一切つけない高校生全体の分布の話をしていることに注意しよう。一方でトピックセンテンスの「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」は、これらの条件を付けたときの条件付き確率分布の話をしている。ここもわかりづらいポイント。
③「第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。」⇒要は、学力順に大学受験をするとしたら大学進学率の高い男子の方が下方の学力の学生まで大学受験をするため、平均的にみれば女子受験生の方が偏差値が高いということ。これは受験生全体の話なので解釈(A)を支持する内容。
以上の様な形で、一見意味不明にみえる第3パラグラフも、落ち着いてよく読んでみればしっかりと論理的な構成になっている。では、結局のところ上野千鶴子はこのパラグラフで何が言いたいのか?私の理解は次の通り。「女子学生は、性差別の抑圧の結果として、浪人のリスクをとって上位校を目指したり、東大生になろうとすることが忌避され、その上そもそも大学進学率が低いことから結果的に大学合格率が高くなっている(除く医学部)。」つまり、女子受験生の偏差値が高い(⇔合格率が高い)というのは性差別による抑圧の結果なので、上野千鶴子はそれをポジティブに捉えてはいないということになり、男性差別的な意図とは真逆であるということがわかる。
以上、誤読しそうな一章第3パラグラフの読解を、ややスピーチを擁護しながら行ったが、以下ではこのスピーチに対する批判的な私見も+αで少し書く。
まず1パラグラフ目について。
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
たしかに東京医科大では女性差別的な入試不正が行われていたのは事実だし、ここに列挙されている私大についても不正をしている可能性はある。それ自体は何らかの形で是正されていくべき問題であることは同意。ただ、私はこのパラグラフで拭えない違和感を覚えてしまう。それは、東大理3にもこの議論を敷衍している点と、「地方国立大医学部が並んでいます」という記述である。
当たり前だが、どれだけ男女平等に選抜してもこの男女合格率比率は1を超えたり1を下回ったりしてフレる。奇しくも彼女自身が記述している通り、「鳥取大、島根大、徳島大、弘前大」では1を下回って、女性有利の結果となっているのだが、これは単なるフレであると考えられるので、彼女は「これらの大学では男性が差別されている」とは主張しないだろう。にもかかわらず上野千鶴子は、断言はしないものの、この比率が1.03しかない理3に入試不正の話をつなげる訳だが、これは誰しもが感じる通り、さすがに無理筋である。1.03という差はどれほどなのか考えてみよう。理3女子の合格率が概ね25%だとすると、男子の合格率は25.75%であり、わずか0.75%ポイントの差でしかない。つまり、100人受けたときに1人未満の合否の差が発生するということであるが、これは統計的に有意な差たりえるだろうか?もちろん私は実際の分布についての情報を持たないので統計検定は出来ないが、理3受験者数の少なさ(標本の少なさ=この比率のフレも大きい)まで含めて考えれば検定するまでもないと思う。こんな微妙な差を以って、東大理3の入試においても男女差別が存在しうることを仄めかす様な物言いをするのはいかがなものか。
また、些末過ぎて私しか感じないかもしれないが、「地方国立大医学部が並んでいます」という記述にもなんとなく違和感というか、いやらしさを覚えた。彼女がわざわざ先ほどの4校を持ち出して、「地方国立大医学部が並んでいます」と記述した理由は何なのか。うがった見方をすれば、「女子は地方のless prestigiousな大学に追いやられ、東大理3を含む首都圏のprestigiousな大学は差別により入れない」という印象を明確にしたいがために、これらの地方国立大医学部を拾ってきて並べたように思える。しかしながら、もしも彼女がこの様な印象操作を図ったとすれば、それはやや牽強付会にみえてしまう。なぜなら、理由は2つあって、そもそも地方国立大の方が医学部が多いということと、加えて、(平成30年度入試のデータではあるが)帝京大学や北里大学、東京医科歯科大学医学部医学科、東京女子医科大学(当然)、自治医科大(首都圏か微妙だが)、など首都圏の大学でも女性有利の結果となっている大学は存在しているので、地方国立だけ取り出してみせるのはいささか正当性に欠けるように思えるてしまうからである。(ソース:http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdf)
もう一つ、東大生によるレイプ事件に言及した第6パラグラフをみてほしい。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
具体的に「どんな目」でみられているか上野千鶴子は言及しないが、文脈からいえば、「他大学の女子を頭が悪いからと見下していて、彼女らをレイプしてもいいと考えている異常な選民思想を持った人々」と解釈できるだろう(この解釈は行き過ぎだろうか?否、これが男女差別の文脈のスピーチのおいて、レイプ事件と関連した東大"男子"学生のイメージとして語られた以上、性的加虐の意味は必然的に含まれている)。「彼女は頭が悪いから」という作品はたった一冊のフィクション作品であり、しかもモデルとなった事件もおよそ東大生一般に当てはまるようなものとは思い難い。そこに描かれた東大男子像を持ってして、お前らはこう見られてるから自覚しろ、と彼らを脅迫する行為はいくらなんでも行き過ぎであろう。少なくとも私は普通の東大生男子たちが、もしかしたらうちに秘めたエリート意識ぐらいは持っているのかもしれないが、それを以ってレイプに及ぶ様な集団だとは思っていない。世間が東大男子のことを選民思想レイパーだと思っている、と本当に言いたいなら、アンケート調査で統計をとってみてはいかがだろう。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
「動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ること」
しかし、動物愛護法で「愛護動物」に指定される動物はごく限られている。
「4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの」
要約すると、動物愛護法において動物の命の価値は三等級にランク付けされていることになる。
仮に保護される度合いが高い順に「Aランク」「Bランク」「Cランク」と呼ぶとすれば、
以下のようになる。
****************************************
【Aランク動物】(人の管理下にない野良でも愛護しなければならない動物)
・「牛」「馬」「豚」「めん羊」「山羊」「犬」「猫」「いえうさぎ」「いえばと」「あひる」の12種
【Bランク動物】(人の管理下にあれば愛護しなければない動物。野良は対象外)
・哺乳類
・鳥類
・爬虫類
・魚類
・両生類
・すべての無脊椎動物
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この時点で「おや?」と首を傾げる人も多いことだろう。
法律上では金魚やカエル、カブトムシといったペットは愛護しなくてもよいことになっている。
一方で、犬や猫、ウサギといったペットはたとえ野良であろうが虐待してはいけないことになっている。
しかし、現実には「金魚やカエル、カブトムシは好きだけど犬猫は嫌い」という人もいる。
そして、金魚・カエル・カブトムシと犬や猫の命を区別する理由は、
もっと言うなら、ゴキブリをペットとして愛している人もいるだろう。
だが、愛護法ではゴキブリは人の管理下にあろうが野良だろうが、
平然と殺されてよい生き物とされている。(ペットゴキブリの場合は、器物損壊にはなるだろうが)
にもかかわらず、猫は人の管理下にあろうがなかろうが、
別に犬猫ウサギなんて好きでも何でもない、むしろ嫌いな人だって多くいるだろう。
それなのに、個人の自由であるべき嗜好を、法律で罰則まで付けて強制している。
【Aランク動物】を傷つけた人は問答無用で百万円以下の罰金を受けることになるのに、
「どの動物が好きか」「どの動物が嫌いか」という個人の属性によって、
曰く「犬猫を虐待する人間は殺人犯になりやすい」だの「昆虫を愛する人間は異常者」だの、
これは「黒人は犯罪率が高いから黒人は犯罪者予備軍だ」というヘイトスピーチとまったく同じ構文だ。
ニューヨークなどの都市で黒人の犯罪率が高いのは統計的事実だが、
だから「肌の黒い人間を規制せよ!」などというのはバカバカしい。
黒人の犯罪率が高いのは、「黒人に貧困層が多いから」「黒人に教育を受けてない層が多いから」かもしれない。
肌の色が犯罪を誘発する原因とは断定できないし、無根拠に断定したとすればそれは差別だ。
「犬猫の動物虐待者は犯罪者予備軍」というのも、当然例外ではない。
ハリポを一切履修していないワイ、ファンタスティックビーストを見る。
見たのちょっと前だし、一回しか見てないから色々間違っている感想。
面白いかどうかと言われたらまあ、良い娯楽大作なんちゃうか、設定も色々あって楽しいね、って感じなんだけど
底にある考え方がキツいというかしんどいというか
そら、上位の存在が一般公衆を守るべきっていう考え方はあるだろうけれど(受け入れ可能かどうかは置いておいて)
一番こいつとは相容れないな、と思ったのは一般公衆の記憶消したところ。
http://akunohosomichi.hatenablog.com/entry/2018/10/20/025725
最終回手前のオルガの死に様と
「止まるんじゃねえぞ」をおもちゃにしている
呼んでいますが
今回はその「止まるキッズ」のみなさんの
彼らから透けて見えるのは
「敗者に対してさらに追い討ちをかける彼らにしたら
ごく当たり前の神経」
なわけです。
「優勝劣敗」
「選民思想」
「天然優生学」
「溺れた犬見つけて棒でつついて
とでも言えばいいでしょうかね。
蔑んだことも無ければ
誹り笑ったこともない。
さらには「強いられているんだ」を
と言ったが正直障害者と評したのがいけなかった。
「産業廃棄物」とあの時言えば良かったのだ。
つまり、彼らはアニメという「産業」が生み出した「産業廃棄物」ではないか。
翳すがそのお陰で
表現規制反対に大きな影を落としていると
なぜ氣づかないのか?
はっきり言うが表現規制反対派にとって
今すぐオルガの死体で遊ぶのをやめろ。
人として腐りたく無ければ。