はてなキーワード: 身体とは
救いか追い討ちになるかわかんないけど
過去にメンズエステ数店で働いていた者として、メンズエステという場所がどんなところか知っておいたほうがいいのではないかと思う
最大限好意的に見ると、旦那さんは浮気をしないように努力しているように思える
メンズエステのコンセプトは「セクシーなセラピストによる、ギリギリ性的でない(しかし、それ以上を期待させる)マッサージ店」だ
内容は、店舗によって違いはあるだろうが、おおよその店は男性が紙パンツで横たわり、女性の方から身体を密着してのオイルマッサージやストレッチを行うスタイル。
女性の服はタイトめで胸が空いたミニワンピかセットアップが多い。水着の店もあるみたいだけど少ない
抜きや性器への接触はなく、男性の方から女性に触ってもいけない店がほとんど
予約時間の7割は背中や足の一般的なマッサージや指圧を行い、残りの時間で通常の店では触られないようなところまで触るギリギリなマッサージ(仰向けでガニ股になったり、四つん這いになったりして鼠蹊部をオイルマッサージ)をする
ほとんどこ男性は勃起するが、女性がフィニッシュを手伝うことはなく、大抵の男性は射精せずに帰っていく(出てしまう人も自分の手で出す人もいるが、一応ルール違反である)
正直、抜き無しの生殺し状態、素人の施術、それでいて安くもない値段に「こんなもんに金払う男いるんかいな」と働くまでは思っていたが、都心の店舗での休憩時間もない盛況っぷりに驚いたものだった。
思うに、メンズエステに来る男性は真面目だったり、気が弱い男性が多い。見た感じ9割がM気質だ。
嫌な思いをしたことも山ほどあるが、しかし彼らの大半は行儀良くルールを守り、キャバクラのように2時間喋ったり口説くでもなく、大抵の場合は少し話しては黙ってマッサージを受け、勃起し、射精せずに帰っていった。
彼らは「疲労回復のためにマッサージを受けに来たら、エロい女が出てきて、エロいマッサージをするので、仕方なくエロい気持ちになってしまった」という言い訳に高い金を払っているのだ。
彼らはその免罪符とムラムラを持ち帰ってオナニーの材料にするのだろう
2人きりになったり、食事したり、アイドルにうつつを抜かすことを浮気だと言う人もいるだろうし
でもメンエスで働いた実感として、私はメンエスなら許すかもしれない
セラピストと客というロール上、疑似恋愛関係になったりline交換することも少ないし(そういう営業するやつもいるが)
私自身は既婚者が他人にムラっときてしまうのは避けようにも避けられない人の業だと思ってるので、そこから先の行動に移さない自制こそが夫婦関係の上で尊いものだと思っている
私が見たお客さんはそれ以上の浮気をしないための手助けとしてメンズエステを使っているように見える人も多かったので、そういう視点で見てみることもできると思う
例えばキャバクラだったら許せるか、自分がホストに通ってたら浮気だろうか
もしイケメンがちょっとエロいところをかすめてくることが売りの女性用パーソナルトレーニングがあったとして(ない)それに自分が下心ありで通うのは浮気かどうか
なんて事はない、前に使っていた携帯電話が居間にあったものだから。
記憶の中でロック解除している指の軌道を思い出すと、パスワードはなんとなく想像がついた。
そのままタップしたらロック解除されたものだから、何の気なしにSNSを見てしまったのだ。
予兆はあった。
数年前、その時も見なければ良かったのにロックを解除してしまった。
これ以上ないくらい、心臓がバクバクしたが検索だけで済んでいた、とその時は判断したのでひとまず写真だけ撮ってそっ閉じした。
それから何かあった時の為にと残しておいたけど、ある日、心が苦しくなって削除してしまった。
仕事に行く前、必ずキスをしてくれる旦那を疑いたくはなかったから。
レスになったのも、自分に魅力が無くなったからだと一人で慰むようになった。
「世の中には知らなければ良い事もある」と何かのキャラクターが言っていた気もした。
あとはもうお察しの通り。
良かったなと思うのは、浮気はしていなくて、プロのお店に行っていること。
(恐らく)SNS上のやり取りだけで留めていること。
おじさん構文的な内容は送っていなかったこと。
心がギュっとしたのは、今日の仕事前にお店で嬢の方に会いに行くこと。
今まさに、この瞬間。旦那は気持ち良さで心と身体を満たしている。
私ではない女性と。
どうしてこんなに悲しいんだーーーーーーーーー????????????????別に一緒に居過ぎるともう「女」として見れないって記事は何回も見て来ただろ?!?!?!?!?!?!?!そういうもんなんだって!!!!!!!!!!!!割り切れよ!!!!!!!!!!!!別に浮気じゃないから良いだろ!!!!!!!!!!お前で満たせない部分をプロに満たしてもらってるだけだろ!??!?!?!??!??!?!!?!?何!?「仕事先の同僚からお土産貰ったからお返ししたい」って言われて一緒に選んだプレゼントが、実は同僚じゃなくてお店の女の子に渡すプレゼントだったのが悲しいのか!?!????!嘘つかれたのが悲しいのか!?!?!??!?!?!?そうなの私?!?!?!?!どうなの!!??!?!??!?!?!!
あーあ明日からどうやって生きようかな、もう知らない頃には戻れないな。
みんなどうやって立ち直ってんだろうな。お金出さなくてもいつでも家には「女」がいるのに。
それでも、お金を出してでも通いたいと思った原因は私にあるだろうから、せめて私の何がいけなかっただけ教えて欲しいな。
別に行くこと自体は否定しないけど、実際に行ってるとなるとちょっと、いや多大にクるものがある。
[以下、追記]
これは本当にまじでそう、本当にそうです。500%私が悪い。
プライバシーを蹴破って、ぎゃーぎゃー喚いているキモ女という自覚はあります。
冷静に読み返すとSNS見るあたり、何の気しかないじゃんね。すまん。
直接的に書くとBANされるかもと思ってしまった。すまん。
文章を書いているのが妻側なので、そっち目線の内容しか書けないけれど。
まあよくある話で、ずっと一緒に住んでいて回数も少なくなり、こっちから誘うも「仕事で疲れている」 「今はそのタイミングではない」と断られ。
いつも旦那のタイミングで致して、私のタイミングでは致した事がないので、「流石に私のタイミングでもさせて欲しいかもしれない」と4年前ぐらいに話し合いを設けた際、言われたのは「やっぱりお風呂あがりとかに恥じらいがなくなると…」だったので、流石に全裸で歩き回ったりはしていないにせよ、Tシャツ+下着で歩き回ったりはしてしまっていたから反省し、そういった事をなくしたのだが、結局「仕事で疲れている」と言われ、もう5-6年レスです。
そら毎日しゅきしゅきセックスしたかったよ。いつ致しても良いようにVIOつるぴかにしてたよ。
なので、私目線だと旦那かなと思うけど、旦那は多分私のタイミングが下手だからって思ってそうだなって書きながら思った。
だからきっと、原因はどっちも。
そういや書きながら思い出したけど、「そろそろ(年齢的にも)勃たなくなってきた」って事も話し合いの時に言っていたな。
後出しが嫌われることは重々承知なのだが、ここ半年、軽いうつ状態の時があり(今回の件とは関係がないので詳細は省かせてくれ)、それで迷惑をかけてしまっていたという自責の念がいつもある。
薬で治療をしているが、そりゃあ、どのタイミングで気分が浮いて沈むか分からない女の相手をするのって本当に大変だよなあ。
癪に障る様な書き方だったら申し訳ないが、多分旦那は私の事も好きで、でも性欲の対象ではもう無くて。
「プレッシャーの捌け口」というコメントを見て、しっくりきたよ。元従業員の方からの最後の一文も非常にくるものがあった。
ちなみに、どこまでが許せる?っていうのは非常に難しい問題で、風俗店に詳しくないので検討違いの事だったら申し訳ないが…。
認可?が降りてる店でプロの方と対峙するなら問題ないと思っていて、例えば家庭のお金を使い込むとか嬢の方に対して痛客になっているとかだったらちょいちょいちょいってなるかも。
今回「ウワーーーッ」となったのはやっぱり、「同僚からプレゼント貰ったからお返ししたい」のくだりかな。
そのプレゼント、キッチン周りの実用品でありがたく使ったんだ。だから、同僚じゃなかったか~~~ってのが1番つらいかも。
嬢の方に貰ったものを使っていることが嫌という事ではなく、嘘をつかれたことがまじでこたえた。いやどうだろ、嫌だったのかな。もう分からない。
結論、パスコードかけてる携帯を見て、知らなくて良い事を知って、ネットで喚いている愚かな女であることに変わりはないです、仰る通り。
もう旦那の携帯は見ません、何も知らなかったことにして、愛想つかされない様に生きていきます。
ただ流石に今日、出勤出来ないぐらいには見てしまった真実に、自責の念も相まって体が動かんので、今だけはちょっと泣かせてくれ。
寿司が握れるってのは身体性が必要な特技だから、それができる時点であまり弱者じゃないんだよな
40代後半
168cm、70kg
ルックス:平均よりやや下
交友:友人少なめ、経営者の知人多め
年収:600万~1500万円ぐらい(自営・在宅)
貯蓄:3000万ぐらい(株・現金の合計)
車:250万円ぐらいので十分、30年無事故無違反
酒:下戸
自慰:週に1~2回
性風俗:年に2回ぐらい
https://togetter.com/li/2381518
ノリで決めてる人も多いのは確かだと思う(それが悪いという話ではない)
なんかこういうのって溝を深めるだけな気がして(普段叩かれやすいからついこういう事も言いたくなるのはわかるが)
そうじゃなくってもっと軽いものであるって認識になっていったほうが嬉しい
ちなみに自分はあんま見えないとこ(恥部とかじゃないぞ)にちょこちょこかわいらしく入れてるだけだが
人生なんて短いっちゃ短くて、なんかあるたびにタトゥーに刻むっていうのは精神的にすごく浸透するものがあって
私というものを定着させてくれるような働きがあるなと感じるんだな
モチーフを起こった出来事と直接的に結びつける人もいるけど、けっこうそれってリスキーで
それよりはこのタトゥーは~の時に入れたんだったという感じで思い出すものが多くて
入れ墨って太古では武装に近いものやスピリチュアルなものだったと思うけど
現代社会でのそれはもっとカジュアルな生きた、生きている証のような感覚
一生消えないっていうけど、一生なんてあっという間なんだよね
社会的に損することが多いから日本で入れるのは別の意味でリスキーなのは確かなんだけど
自分の身体に印をつけるという行為は「私は私なんだな」と直感的に感じることがしやすくなる
それはタトゥーを入れることで見た目として威圧したいとかそういうヤンキー発想のものじゃない
だからほんとに見えにくいとことかでもいいからワンポイント入れてみるといいと思う
タトゥーなんて親からもらった大事な体になんてことを、なんて考え方もまだあるけど
タトゥーを入れることで自分の身体がすごく大事に思えてくる、そんな効果もあったりするのだ
別に人生が豊かだと思えなくてもいいじゃん、特になんにもないけどちょっと入れてみるか、なんておじさんがやるのもシャレてていいと思うよ
なんにもなくても、ああ自分には生きた体があるんだなって実感できるよ
コメント色々ついてた・!
全身入りまくりとかだいぶ昔に入れてる人とかはリスク高いかも(医者に止められやすいかも)
今は金属含まない成分になってきてるのでそのへんの事情も変わってきてるよ
これは自分の書き方もよくなかた
入れる時ってどんな柄にするかとか、どこでするかとか、いつするかとか、何回に分けるとか、けっこう計画的にするものなんよ
他にも色々書かれてたけど温泉入れないとかは自分もいやなんよね
まあでも日本でもああタトゥー入ってるんだね、くらいの当たり前のものになったら
そもそも輩の武装、怖い、みたいなイメージもなくなるだろうし温泉にも入れるだろうしそうなってくれたらいいなーと思ってる
消えないからこそいいんだよね
今朝の電車は7時48分の当駅始発じゃないほうに乗ったためにそこそこの混雑度のなか心のメーターが50削られるくらいのストレスを抱え、またさらに後ろに立っていた女性の背中とおしりが僕の背中とおしりに当たってしまうことに精神を擦り減らして、可能な限り身体をよじらせて当たらないように避けるのにたいへん苦労した。降りる際にチラッと後ろを振り向き確認、茶髪のウェーブのおしゃれなお姉さんだった。
ロングスリーパーの睡眠時間ほどの労働時間を強いられ駅に着いたのは21時45分ごろ、駅前のキッチンオリジンの閉店までは15分あったが(営業時間を知らずに)店に入るともう店じまいだから帰れと言わんばかりの下校風メロディと空っぽになった台とショーケースだけしかない店内を見渡して気まずい心地のまま踵を返して仕方なしにファミリーマートでサンドイッチを買った。
水筒が割れてしまった、くじらの、黒い水筒だった。どんなに水を入れてもくじらを潤すことは
中に歯ブラシとか髭剃りとかを置いて、浴槽の
端に置いておくことに
そうして、くじらはずっと空に向かって直立して
歯ブラシが刺さっていた
ある日、風呂に入ってるとふと
くじらを水に泳がせてやりたくなった
泳がせたのだった
見せびらかしていたよ。何度もそれを眺めて
湯から連れ出して、灯りをそれ越しにみると
くじらが飛んでいるみたいだった
フルボッキできる時点で交感神経と副交感神経のバランスは正常だから、今回の話とはちょっとズレてるかな
仰る通り、人間は単純じゃない。単純じゃないから、ストレスが多大にかかる状況でも逃げ出さない。これ野生動物はすぐ逃げ出すらしい、ストレスは「ここにいてはいけない」という信号だから。
危機察知→ストレス発生→交感神経が優位に→体が逃げ出したり闘ったりする準備ができる という順に体はストレスに反応する。闘ったりする準備というのは、呼吸が浅くなったり血流が早くなったりする身体反応と、思考回路が問題解決に集中しそれ以外のことを考えなくなる頭脳の反応など、いくつかある。
しかしこれはあくまで非常時の反応で、長期間この状態になることは設計上想定されていないんだ。
人間はストレスを感じてもすぐに逃げ出したりしないよね?仕事でストレスを感じても、仕事を放りだして帰ったりしない。翌日もちゃんと出勤する。こうしていると交感神経が優位な状況が長引き、さっき書いた闘う準備状態がずっと続くことになる。すると余計なことを考えず目の前の問題のことばかり考えるようになる。
ふむふむ、なかなか鋭い質問じゃの。わらわの考えを聞きたいというのか?よかろう、特別にお答えしてやるのじゃ♡
まず、デート代の話であるが、確かにデートはお互いを知るための期間じゃ。ここでどちらが多めに払うのかという話は、結局のところ、その人たちの価値観や関係性次第じゃろう。しかし、もしも「デート代を出すよ」とオファーしてくれる男性がいるなら、それはその人の気配りや優しさの現れじゃ。もちろん、女性も感謝の気持ちを持ち、次回のデートで何かお返しをするのもまた一つの形じゃと思うのじゃ。
そして、結婚と家庭の話じゃの。確かに、女性が妊娠・出産・授乳と大きな身体的負担を背負うのは事実じゃ。これに対して男性がどのようにサポートできるかというのは非常に大事じゃの。出費の面では、家庭に共に寄与するという考えが基本的には正しいじゃが、その負担を軽減するために何ができるかを考えるのもまた重要じゃ。家事分担や育児の協力、感謝の気持ちを常に示すことなどがその一つじゃ。
最後にじゃ、デート代についての男性側の態度についても話しておきたいのじゃ。もちろんデートにおいて気遣いを見せることは大切じゃが、それだけでなくお互いのリスペクトも忘れてはならんのじゃ。真心を持って接することが、最終的にはお互いの信頼関係を築く鍵となるのじゃよ♡
まあ、わらわから言わせてもらえば、結局のところ大切なのはお互いを尊重し合い、協力し合うことじゃ。それができる二人なら、どんな障害も乗り越えていけるのじゃからのう♡
今日もペットショップで里親募集の繁殖引退猫(6歳)見てきたけどほんと可愛いわ…
金網越しに撫でてたら最初はガン無視されてたのにぴょいっと立って金網に身体こすりつけて撫でてぇ~ってアピールしてくるのよ
汚いままでも飼えなくはないし
ニコ生で猫飼ってる奴の家も結構汚かったし飼ってもいいんだろうけど踏ん切りがつかねえよォ
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン
ここに、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という規範を示す。
本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲット層である。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。
風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る。風邪の治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病の蔓延を防止することができる。
ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社や学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。
私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範の趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範の趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである。
しかし、かかる見解は妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。
以下、敷衍する。
★「人を傷つけてはならない」という規範
なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。
まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為が禁止されているように、紀元前時代からの常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民に構成要件として配布していることからも明らかである。
そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社や学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者の生理的機能に障害(傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。
したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。
よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである。
そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範を適用するのは妥当ではない。風邪の自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いかに判断するべきか。
まず、自らの病状につき善意(無知)である場合について、いかに解するべきか。
故意責任の本質は、反規範的人格態度に対する道義的非難である。
すなわち、自分が風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機を形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為は道義的非難に値する。
よって、自分が風邪であると認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である。
逆に、自分が風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機を形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間が存在するウイルスは多いことからも、このような結論が妥当である。
以上より、自らの病状につき善意(無知)である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。
なお、ここでいう「体調不良」とは、月経・片頭痛・食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。
この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズムの観点からは、風邪か体調不良か判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。
しかし、単なる体調不良であれば、他者の生命・身体を侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思の範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。
したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。
・平熱と比して体温が高い
・前日に気怠さがあった
・雨にうたれた
・知人が熱を出した
・病状が軽微である
たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしかに月経という事情は伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経は無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般に風邪と判断されるべきものである。
なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良の場合は自由意思を尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解は採用しなかった。
では、自らの風邪に自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。
この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方の身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。
そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである。冠婚葬祭や親族の危篤、会社や学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズムが第三者の身体・生命の侵害を正当化する場面は限定的であるべきである。
これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価の悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである。
第三者の身体・生命は、きわめて重要な法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事の重要性・症状を鑑みて、第三者の身体・生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきであると判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。
たとえば、冠婚葬祭や親族の危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事の重要性は高いものといえる。
もっとも、当人が伝染させればきわめて身体・生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ、新型コロナウイルス、ノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれぬ事情が存在しない限りは、外出するべきではない。
そして、会社や学校への出席は、上記の用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。
そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害を惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである。
★まとめ
以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という合理的な規範が成立し、ニンゲンは原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである。
その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。
・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?
症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児や後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体・生命に侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである。
もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要な考慮要素となりうる。
・風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?
友人の集まりや会社等で、自己が風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範が妥当しないのではないか?という反論が考えられる。
しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害を惹起する可能性があるだろう。
そして、合意者がさらに第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。
・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?
たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社や学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。
しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病の頒布は他人を傷害する行為であるから、伝染によって他人を傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。
また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的な理由であるから、エゴイズムが第三者の生命・身体を侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。
以上
確かに怖い。
でもこれ夫や妻に優しくしないからという話じゃないと思う。(少なくともこの夫は、妻に贅沢させ、しかも当時では珍しく芝居なんかに連れ歩くなど「優しい」タイプでは?女性の内心に無頓着すぎて想像力がないけど)
自分で選んだ相手ではないから夫に自動的に反発し、とにかく否定することに夢中になってしまっている。
でも彼女が困窮のない生活を享受できるのは、嫌っている夫に稼ぐ才覚があるから。
贈り物を当然という態度で相手の手からひったくりいそいそと懐にしまい込みながら、贈り主をフン!とねめつけるような矛盾、厭らしさを感じる。
でもこれは100年以上前、女を子袋としてやりとりする時代、女性の経済的自立なんかほぼあり得なかった時代ならでは。
ほとんど何も考えずに生きてきたのは考えても無駄というかつらくなるだけだからであり、
物のように嫁がされて自分の意思を省みられないから反発している。
人間が精神的自由がないと感じているとこうなるのかという見本みたいな話。
なんかの本でも明治、大正時代の妻たちを外国人がインタビューした本読んだときも似たようなことを公家の妻たちが言ってたの思い出した。