はてなキーワード: 自殺未遂とは
社会人2年目なんだけどマジで金がない。現在躁鬱で2ヶ月入院・療養で休職中。来月復職予定。
躁のときの浪費+引越し・車検・物損事故・自殺未遂で入院と重なったせいで貯金ぶっ飛んだ。
入院時に保険30万降りたけど入院前の支払い分+入院費でほぼ飛んだ。
今月カードの支払い5万(食費・ガス・水道・通信費・ガソリン代・各種保険)したら貯金がゼロになる。
家賃・電気代多分6万くらいと医療ローン3万が払えそうにない。
傷病手当も出はするけど申請に時間がかかってて支払日に間に合わん。
なんなら来月も傷病手当だけじゃ多分間に合わん。
次に給料が満額出るのは来年になってから。ボーナスは多分なし。
明日市役所行って生活福祉金申請するけど通るかも分からんし借りられても入院費分だけの額らしい。
親は警察のお世話になるような人種なんで親族からも総スカンで誰も頼れない。
なんでもっと貯金してなかったの?って言われそうだけど、高校の時から学費自分で払って進学後の一人暮らしも全部自分で賄ってたから微々たる額しか貯められてなかった。
◾️追記
市役所行って生活福祉金の小口資金貸付制度の申請してきた。限度額の10万で貸付可能だけどやっぱり申請から承認・振込まで時間かかるとのこと。
どうあがいても家賃と医療ローンの引き落としには間に合わないので管理会社には電話した。
親友が自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。
親友は職場で出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子。
シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。
出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。
ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまったことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばあちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。
親友が自殺行為をしたつい1週間前にも旅行(登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。
その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分のデスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。
『○時までに来なかったら読んでね』
自殺をしたこと、場所、警察や家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。
時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいつはいつも通り仕事に来るはずだ。
親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。
母親が電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親に電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。
一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。
一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。
親友のアパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、楽しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。
親友はそのまま精神病院に入院になった。携帯もパソコンも使えない環境を案じて、塗り絵やブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。
まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。
私の差し入れが主治医の判断で没収されたこと、生活の不満、不安定な感情、いろんなものをぶつけられた。
それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。
親友の母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。
だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。
気力も体力も時間もお金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。
それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束をキャンセルしておいて、というようなお願いもあった。
プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂をしたことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。
私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師や看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。
私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。
そして、こんな短期間で、医師や看護師に相談できて、私や家族に心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めから大したことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。
こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺が成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。
あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だから、むちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。
もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。
そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。
あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。
長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう。
(追記)
そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。
今日は半年も前から楽しみにしていた、彼氏の職場関係の団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。
私は何を楽しみに生きているのだろうか。
平成の頃、公私どちらもめちゃくちゃでどうしようもなく追い込まれ、迷惑なことに職場で首を括った。
すぐに発見されたので大事に至らなかったが、もちろん退職になった。
令和になった今は職業を転々としつつも、やっとまともな社会復帰を果たせた、と思う。
だが偶然今年から配属先が変わり、私は今、過去に首を吊った建物で働いている。
正直ここに来るのは気が進まなかったし、今も前職の人から声を掛けられたらとびくびくする。
この文章の問題点は、焦点がぼやけていて、読み手に具体的な状況や考えが十分に伝わらないことです。読み進めるのが苦しくなるほど、あいまいで整理されていない箇所が多く、これではどこが問題の本質なのかを理解するのが難しいです。
まず、最初の部分で「注意かも」や「増田20代後半」といった箇条書き的な表現は、読者に対して雑で印象が悪いです。また、冒頭から「死にたかったから生きていこうと少しでも思えるならなんでもよかった」といった自己弁護に近い表現が目立ち、読み手を突き放してしまいます。最初から「私はこういう苦しい環境にいる」ということを強調するのではなく、問題がどこにあるのかを率直に示すべきです。
次に、テーマが一貫しておらず、あちこちに枝分かれしています。「夫の嘘」、「借金」、「夫の精神的な問題」、「浮気」、そして「妊娠」と、問題が多岐にわたっているにもかかわらず、それらが整理されていないため、読者はどれが主要な悩みで、どれが二次的なものかを把握できません。たとえば、「夫の病的な嘘」と「浮気」がどれだけあなたの精神に影響を与えているかを、もっと深く掘り下げると説得力が増します。現在の文脈だと、それらがただ「羅列」されているように感じられ、重みが伝わりにくいです。
さらに、夫が抱える精神的な問題についても、エッセイの流れが混乱しています。「統合失調症の可能性」と「双極性障害の可能性」が述べられていますが、医師の見解や診断結果があいまいなままになっており、読者は混乱します。これらの病名を列挙すること自体に説得力はなく、読者があなたの状況を深く理解する助けにはなりません。ここは、「夫の嘘を無意識にしてしまうことで生じた不信」といった視点に絞り、何が具体的な問題で、どうして苦しいのかを明確に伝えるべきです。
また、「何度も自殺未遂を繰り返すようになった」「精神が崩壊した」といった表現もありますが、これらは非常に感情的な言葉であり、共感を生みづらいです。感情の表現は必要ですが、読み手が理解しやすいように冷静に整理することが重要です。具体的にどんな心の変化があったのか、どうして自分を追い詰めるような状況になってしまったのかを、もう少し丁寧に説明する必要があります。
最後に、まとめがない点も大きな問題です。「離婚するしかないかもしれない」と書きながら、最後には「離婚したくない」とも述べており、結論が不明確です。結局何が言いたいのか、何を求めているのかが見えません。「これを通して、読者に何を伝えたいのか」を意識し、もっと簡潔に締めくくりましょう。
よく見るコメント返しみたいなやつやり方がわからなくてすみません
まずこんなに長くてとりとめのない文章を読んでくれてありがとうございます
増田のことや産後のこと心配してくれた方もありがとうございます
じゃかじゃかが謎の論争を産んでいたけど方言ではないかもしれません
医療職だったころじゃかじゃか(じゃんじゃんに近い使い方かも、じゃんじゃん飲ませてとか)とか、たかたか(とにかく早くの意味合い)とか使う人が多くてそれの名残な気がする
何個かあった夫と増田の見た目についてですが、怪我とか傷とかではないとだけ
仕事に関しては割と今まで色々やってきた経験をいかしてやってる=有資格者などではないという感じなんだけど、その経験すら本当じゃなかったら?というのが恐怖(仕事内容はともかくとして本当に夫本人が言う通りの会社に在籍していたことは確認できているが)
産後1年すぎるまで大きな決断はしない方がいいと書いてくれた方、本当にそうかもしれないと思えた
これ本当にそうだと思う
専業主婦になってから本当に超楽観的というスキルが欲しすぎて喉が手が出てる
割と書いている人が多かったけど今離婚して特に何かよくなるわけでもない気はしている、よくなるとしたら不安によるメンタルの改善くらい
本当にみなさんありがとうございます
ちなみに夫は存在している(と思う)
長いので注意かも
夫30代前半
出会って2ヶ月くらいで結婚した。お互い初婚ではなかった(増田はバツイチ、夫は死別)し、死にたかったから生きていこうと少しでも思えるならなんでもよかった
夫は経済的に余裕のある人だと紹介してくれた人からも本人からも聞いていた
実際都内一等地のマンション(賃貸)に住んでいたし、カジュアルに食事しに行く場所のチョイスも一般的には高めだったし、1人40万くらいする指輪を出会って3回目くらいの増田にぽんと買ってくれたしあんまり疑う余地はなかった
が、結婚して数ヶ月して夫の話していたことがほとんど全て嘘だとわかった
幼い頃に虐待を受けて養子に取られたという話から経営していた会社を売却して大きなお金を得たという話、ストックオプションがあるという話、関わりのある人や関係を持った女の子の話など他の本当に些細なことまでほとんど全部が事実と異なることだった
ここまで書いたら身バレのリスクしかないよなとか思うがもうどうでもいい
ちなみにではなぜ都内の一等地に住めていたかという話だが、まず家の契約を義父名義にしていたことと、本人に前述したような大きな財産などはなかったが、会社員として年収1000万円ほどはもらっていたため現在の家賃の支払いや生活に困るというほどではなかったからだった
こうしてみると、家賃の安いところに引っ越して借金さえ返してしまえば特に問題はないのでは?という感じに見えるだろうが、問題はそんなことではない
では問題はなにかというと、そもそもこの嘘というのが、夫の意図したものではないことである
何件か精神科にかかり医師の見解を聞いたのだが、統合失調症っぽい統合失調症ではないが統合失調症なのでは?という医師と、夫は元々双極性障害があるのだが、躁転しているときや鬱の時に誇大した、あるいはその逆の話をしたことの辻褄を合わせるために嘘をつき、それがいつのまにか事実のようになってしまっていたのでは、という医師がいた
そのどちらでもいいのだがとにかく夫には嘘をついていたという自覚はないのである
嘘をついていたという自覚があればまだ、じゃあもう嘘はやめましょうねとすればよかったのだが、そうでないため、こちらも夫も何が嘘で何が本当かわからなくなってしまった
しかも前の会社の同僚から夫は虚言癖により解雇されたと聞かされ(実際はそうではなく書類上は一身上の都合になっていたが)、今後もそのようなことが起こるのではないかという不安に苛まれるようになった
なおこの夫の病的な嘘が発覚した時期についでのように浮気までされたので私の精神は崩壊して何度も自殺未遂を繰り返すようになった
1人で夫の嘘と向き合う自信がなかったので夫の田舎に帰ることにしたのだが、田舎すぎてより私の精神が狂い、数ヶ月で東京に戻ってくるなどの狂イベントが発生したりもした
このとんちきな結婚生活のどこに妊娠する隙があったのだという感じだろうが、まあ隙をついてなのかつかれてなのか妊娠した
実際現在目に見えている問題は借金だけなので、妊娠したこと自体は非常に嬉しかったのだが、これによりさらに不安定さは増し、もうとても生活をやっていける状況ではなくなってしまった
とてもまとまりのない文になってしまったが、現在の不安としては①夫の嘘に自覚がなく会社に迷惑をかけたりしてクビになるのではないか②クビになった場合借金を返しながら子供も育てていかなければならない③そうでなくても数百万の借金を返さなければならない→とにかく生活が不安
といったところだろうか
現在の時点で年収1000万をもらっているのであれば仮にクビになったところでどうにかできるのでは?と思われそうだが、夫は見た目に問題があり(詳しくは書けないが察してほしい)、そんな人間が簡単に転職できるのか?という不安もある
ちなみに増田自身は医療系の国家資格を持っているのだが、夫と結婚して金銭的な心配がないとなった段階で問題のある見た目になってしまい(これもまた察して欲しい)資格を活かして働くことは難しいかもしれない
また、妊娠していることによりすぐに働くということができずそれもまた不安である
というわけでじゃかじゃかと書き連ねたが、とにかく夫といるだけで四六時中不安が不安を連れて行進して永遠にパレードをしているような状態で、とてもまともな精神を保っていられない
ここ数ヶ月は大喧嘩をしては仲直りをしてまた少ししては大喧嘩をしてということが繰り返され、もう夫と口を聞かない方が心穏やかに過ごせるという状態にまでなってしまった
悪いことばかり書いたが、夫は私の連れてきたペットにも私にも非常に優しく、普段は本当に温厚な人間である。嘘をついてしまうという状態にも彼なりに向き合おうとしていることはわかっているし、借金があっても私には極力好きなことをさせてくれる人だ
だから離婚したいわけではないのだが、もうこの状態なら離婚した方がまだお互いやっていけるのでは?と思ってしまう自分もいる
夫と別れればこの不安とも別れて生活することができるのに、とも思う
もう離婚なんですかね?これ。
母は13歳で統合失調症を発症し私がそれを知ったのは40歳の時。本人もそれまで知らなかった。 私が10歳の時に父と離婚してからは、母と私二人で17年間暮らした。私達の暮しは酷く貧乏で家の中は荒れ、母の妄想や奇行、自殺未遂などもあった。私は状況が理解出来ずいつも母の言動に翻弄された。今思うと本当におかしいのに、産まれてからずっとその母に育てられているとわからないのだ。かなりの変人だと思っていたらただの狂人だったのだ。
誰も私達を助けてはくれなかった。学校や地域の人達に奇異な目で見られても、私は鈍感なふりをするしかなかった。私は自虐的になった。勉強はまあまあ出来たが大学進学など到底できないと悟った。高校は1ヶ月で辞めた。
27歳の時に家を出た。母は私に依存しておりとても罪悪感を覚えた。独り暮らしをしてからもずっと母から金の無心が続いた。
母から離れて暫くたつと、こんな自分でも少しはまともな生活が出来る様になってきたが、自分は普通の人とは違うんだという思いがいつもあり人間関係が上手く行かない。独りでいることが楽で選んでそうしているが、誰からも必要とされていない孤独に虚しさや寂しさを感じる。
ずっと何かが違うと感じながらも何なのか解らず、子供のころから未来に対する何の目標も持てずに日々を過ごしているだけだった。初老となった今から人間関係を始めるのはもう無理だ。 どうせ、普通の人のふりをしながら毎日をやり過ごすだけだ。今の表面上安定した生活は奇跡に近く、ずっと薄い氷の上に居り、職場の若者の無邪気な一言で氷が割れて私は溺れてしまうだろう。
正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家は生活保護だったと思う。
父親と母親は離婚しており、シングルマザーで姉妹で育ててもらった。
私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまり言わず従っておりそのたびに母親に褒められていた。
母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。
母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。
保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。
そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。
アパートに暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。
姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。
私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。
地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由で農業高校に入った。
家から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。
小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。
そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。
高校二年のときに大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。
最悪の出会いだった。
医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。
この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存だけが残った。
母親にお金のことは気にしなくていいから大学に通って良い、と言われた。
底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたから奨学金を借りなかった。
入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。
そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。
もう大学に入学してしまったからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。
利子が60万ついた。
私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。
親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。
しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族は生活保護を抜けて生活をしていた。
短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。
この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。
ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。
学校のカウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。
栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。
考えなしの馬鹿だった。
勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。
なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業に就職した。
実家からどうしても離れたくて地元以外の場所の店舗の希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。
実家から店舗への距離が10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパートに引っ越した。
その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。
ここまで話には出してこなかったが、母方の実家の祖母は気狂いだ。
宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。
昔の人だから働いたこともなく、祖父のお金だけで暮らしてきた人だった。
私は祖母に友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母がたまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手に友達の家に侵入してきたことがあった。
ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。
こういう人だから、いつ学校に不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。
中学の時に祖父が亡くなり、母の精神がさらに不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。
母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。
そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。
だから祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。
話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラとセクハラが横行するブラックだった。
ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。
エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。
また、登録販売者の資格を入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。
その結果は上司に送られる。
そこで結果が悪いと、休憩時間、休日も店舗に強制出勤させ、勉強をさせられた。
家に帰ってもずっと勉強をしていた。
私は馬鹿で記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。
仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイトの大学生と比べられることが多かった。
店長は2つの店舗を兼任しており、ほとんど私のいる店舗にはいなかった。
店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。
出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑だから休むなら休むで帰って」と言われるようになった。
後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。
期待するな。
あまり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。
こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。
「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。
院内でいじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。
辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。
生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。
実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒で暮らしてるだけになってしまうから。
生活保護は案外すんなり通った。
その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。
しかしメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。
ここで生活保護を抜けた。
2年ほどだった。
父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。
毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。
叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査で統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病か判断する検査をした。
うつ病だった。
その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。
希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手にベランダから落ちようとするのだ。
流石にそのことを姉たちに打ち上けた。
ひどく失望された。
これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親が女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。
通った。
生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。
色々あって、結果的に新卒の会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。
メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持の状態が続いていた。
外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホでyoutubeを流して横になっていた。
最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモートの営業を二ヶ月だけやった。
何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。
全部メールとチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。
下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保や医療費を払っている。
ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。
ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。
猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病で治療費がちょうど9万だった。
たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。
偶然に助けられた。
正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。
だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。
不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用は人間に比べたら大したことなかった。
でも働いていなかったら?どうなっていたかわからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。
話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。
欲が出た。
ルームシェアをしたいと思った。
ただそのためには生活保護ではいけないし、貯金も100万以上ないと引っ越しは難しい。
私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。
どこも受からなかった。
クローズ就労がほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。
でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。
色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。
このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。
今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。
だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。
7年の空白期間はでかすぎた。
正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブで喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。
そもそも精神不安定な自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。
田舎なのでまともなB型、A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。
もう諦めるしかないのかな。
就労支援事業所はバスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神が不安定になる。
それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。
フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。
生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態で病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。
ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。
障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。
13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。
何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力も勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。
駄目人間だ。
だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。
親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。
というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか?未来のことを考えると憂鬱になる。
隣の芝生は青いというが、
せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。
ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。
糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。
正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。
本当にどうしよう。
恐らくここから辿った未来が少し前ネットで流行った「美緒48歳」なんだと思う。
誰か教えてくれ
この男は確かに最低だけど、
「女性が配偶者の同意なく中絶できる世の中」は、間違いなくこういう男の行為を助長させるよ。
中絶は女性の権利だというお題目をいいことに、無責任な中絶を強いる男は増えるだろう
@ujtsmo
「産んだら一生恨んでやる」…朝日新聞男性記者が不倫相手を自殺未遂に追い込んだ「衝撃の言葉」の数々
不倫で女性妊娠させて、一人でも産みたいという女性に堕胎させたら今度は「お前が子供を殺した」って、挙げ句、女性に前科つけた? 何だこのクソ男。実名、顔写真は?
Xではとかく、妊娠した女性が中絶「する」権利ばかりが叫ばれるけれど。
「産んだら一生恨んでやる」…朝日新聞男性記者が不倫相手を自殺未遂に追い込んだ「衝撃の言葉」の数々
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e14084ed9df33188d67dadfba0d590333356369
A子は1年前の2023年10月1日から日本経済新聞社へ転職が決まっていた。9月にはBも厚労省担当へ異動が決まり、会う頻度は少なくなっていた。ところが、10月の第一週にA子の妊娠が発覚する。経口避妊薬を服用していたので、予期せぬ妊娠だった。
「不安と歓びからA子はBに電話で妊娠したことを告げました。しかし、その答えは『オレ無理だから、堕ろしてくれ』という無情なものでした。翌朝、Bが部屋に来て何度も『堕胎してくれ』と懇願したようです。そして『妊娠したことは親にも会社にも誰にも言うな』と強い口調で約束をさせました。
A子は一人でも産みたいと懇願しましたが、Bは『堕ろせ』の一点張りだったそうです。何度も口論になって、そんな時でさえBは暴力を振るいました。
妊娠が発覚してからBはほぼ毎日のように部屋に居座っていました。中絶をするという確約を取り付けるために必死だったのだろうと思います。しかしA子の意志も固く、このままでは出産してしまうという焦りから、なかば監視をするかのような状態だったのだと推測します。
Bは『中絶をしてくれたら毎日会って一生支えていく』という言葉も口にしました。それでも暴力は続きましたし、『産んだら一生恨んでやる』との文言も残っています。初期中絶ができるのは12週までということで、A子の精神は崩壊寸前でした」
でも実際には、このニュースもそうだけど、古谷徹の不倫とか。医師の男が不倫相手に同意なく中絶薬を飲ませた事件とか。
どう考えたって現実に多いのは「女性は中絶したいけれど男性が中絶を許さない」事例ではなく、
こういうふうに、「女性は産みたいのに男性が中絶を強く求める」事例の方でしょう?
普通に考えたら産みたくない女性はその時点で性交渉を拒否するに決まっているし、大半の女性は性交渉に合意した時点で妊娠した場合には産みたいと考えてるんだよ。子供が要らないのに安易に性交に及ぶのは男特有の軽率さ。
少なくとも日本にはアメリカやヨーロッパみたいに宗教による禁忌がないんだから、元々中絶には親和的な文化なんだよ。ましてや優生保護法の下、「不良な子孫」をどんどん間引いてきたじゃないか
そんな世の中なんだから叫ぶべきはどう考えても中絶「しない」権利の方なのに、どうして中絶「する」権利ばかりがこうも声高に叫ばれるのか。
不思議でならない。
鬱病は中学2年生のころに発症し今も続いているが、明確な原因があって患ったというか、なるべくしてなった。鬱病になる素質が生まれつきあったと言うほうが納得いく。
鬱病は誰にでもなりうる病でるが、なりやすさは人の性質によって異なるだろう。どうやら自分はなりやすい人の中でもかなりピーキーな”生まれつきの鬱病予備軍“だったのであろう。
これに関しては、受け入れるしかない。困るのは自分の性質上、一回発症したら一生付きまとう可能性が高いことだ。実際2〜3年の周期でかなり鬱が悪化し自殺未遂で入院までした。幸い閉鎖病棟の生活は人間関係に恵まれかなり回復して退院できたのは良かった。
むしろかなりスマホもパソコンもなかったのに楽しくて今でも退院のときすごく寂しかったのを覚えている。調子のいい時期は、負の感情に晒されることが少ないとき。
ストレス耐える。これができない。普通以上につらくて感じてしまう。初就職の前職では1週間で鬱病が悪化し、辞職することになった。入社3日目あたりから職場や家、食事のときもまったくリラックスできず、動機と息切れや怒りが収まらず嫌なことがひたすら脳内に、意思に関係なく四六時中反芻される。
抗うつ病薬のおかげで朝だけは無の感情でなんとか出社はできたが、怖すぎて言葉や声を発することができなくなったこともある。
まず醜女で家庭環境悪くて頭も悪けりゃ生活力もないんだけど、今まで29年間虐待!鬱!自殺未遂!DV!貧困!病気!みたいな感じで本当に今日生きるか明日死ぬかみたいな生活をしてきた。
彼氏は一瞬何回か告白されてできたことがあったが引くのがモラ男ばかりで、身内の男と同じ空気を感じた瞬間別れてるから交尾まで持ち込めた事が一度もない。マジで死んだ方がマジなんだけど身内に負債押し付けられたからお金のために生きてる状態。
そんな感じで恋愛したくても選ばれなければ選べる余裕もないので膣として終わりの人生を歩んでるんだけど、周りの友人はかなりモテるので、毎日オスに選ばれたことのない未開通膣として扱われてすごくしんどい。
女性用風俗行く金もなければ、そこら辺の男は性病が気になる(なった時に行く病院代がないため)婚活やアプリはブラック企業に勤めているため休みが合わず、平日休みの週一休みならお前が俺に合わせて土日有給とれよと毎回言われてアプリ消去やブロックを繰り返してる。職場の男にはブス笑と言われてる。
他人に優しくされたり認められたことがないからどんどんどんどん意地悪になって、この間先輩に無自覚パワハラをしてしまった(貴方の休みを優先したいから上司からお前は休むなって言われて有給却下されるから休み申請はよ出してって直接言ったのが多分そう、あと仕事休んだ時貴方の仕事私に回されるからせめて引き継ぎはしてほしいって言ってしまったのもそう)らしく先輩が退職した。退職してから周りに言われて、先輩に申し訳なくて私も責任取って退職するつもり。
従兄弟は高学歴エリートなのに30になってからASDとうつで引きこもり、叔父さんはADHDとうつ?で生活保護、父は統合失調症とさまざまな精神疾患を患ってます。
他にもアルコール依存症や未診断発達障害疑いなど、きりがありません。
私は元不登校引きこもり自殺未遂経験ありの高卒だけど、なんやかんやでデスクワークで平均年収程度のお賃金をもらえてるから、普通寄りだと思う。
PMSあるけどピルでコントロールできてるし、眠れないときも睡眠薬があるから社会生活に難はない。
そんな普通っぽい私は顔だけはよかったので、理解のある彼くんを捕まえて、来年結婚予定なのですが…子供どうする問題で悩んでます。
私としては子供は好きだし、彼も子供は欲しそう(いなくても良いとは言ってくれている)ですが、薬でコントロールして社会生活を送れてる身としては、断薬が怖いのが一つ。
もう一つは精神疾患などの遺伝…この疾患が高確率で遺伝することを身をもって体感しています。
私の父はばかだから遺伝とか考えてなかったけど、統合失調症は結構の確率で遺伝する疾患です。私と姉は発症はしていないからセーフっぽいが、子供が隔世遺伝しないとは限りません。
彼氏は「自分の家系は普通だから確率下がるのでは」とは言ってくれてるが、もしも不登校引きこもりの子供だったならと思うと結構しんどい。
高確率で子育てには苦労するだろうし、私みたいな子供だったなら相当生きづらく苦しい思いをさせてしまう。
私が母に「産まれてきたくなかった。どうして私を産んだのか」と喚き散らしたように、私も子供に同じことを言わせてしまうかもしれない。
そんな苦労やかわいそうな思いを子供にさせてしまうなら、子なしでいいと思ってはいます。
思ってはいるんですが、ショッピングモールで可愛い赤ちゃん見た時や、彼氏が子供に微笑みかけてる時、将来のことを考えた時、母が「期待はしてないよ」とは言うものの大の子供好きだからきっと産まれたら喜ぶんだろうなあと考えた時、無責任に子供が欲しくなってしまうんです。
私は日々死にたいと思っていました。
自分は無価値な人間だから死にたい、でも死ぬのは怖い、生きるのもつらい、と毎日涙を流しました。
抗うつ薬や精神安定剤はたくさん試しましたがあまり効きません。唯一、アルコールを流し込むと思考が停止してくれます。でもそれは一時的なもので、酔いが冷めるとまた自己嫌悪に陥ります。そして次は酷い頭痛と倦怠感に悩まされます。
そんな自分が世界で一番醜くゴミのような人間だと思っていました。なので、勇気を出して死のうと思いました。
どのような方法で死ぬのがベストなのか、あわよくば誰かが悲しんでくれないか、色々と考えているうちに気づきました。
自分はきっと特別な何者かになりたかったが、なれなかった。なれないからいっそのこと死んで、何者かになりたいと思っているのだろう、と気づきました。
私は死んだところで、特別な何者にもなれません。
生きていても、なれません。
私の悩みは死ぬまで解消されることはなく、何者にもなれず、いつか事故なのか、病気なのか、死ぬつもりはない自殺未遂がそのまま自殺になるか、何だかしょうもない理由で死ぬのだと思います。
それを受け入れるしかありません。
姉に希死念慮があるのかと聞いた。中学生の頃自殺未遂やオーバードーズを繰り返してた姉、つい最近高齢出産を経て赤子を抱いてあやしている。そんな姉に聞いてみた。タブーだったそれを口に出すことが出来ることに感動すらした。15年前の自分に元気出せよって言いたい。姉ちゃん生きてるし今死にたくねえって。たまにあるけど今はもうそうじゃないって。聞いてるか?今俺も姉ちゃんも生きてるし俺には甥が出来たよ。
病院は、スマホが持ち込み不可だったので、妻のスマホを預かった。たくさんLINEが来ていて、どれくらい入院が続くのか分からなかったので、すぐ返す必要がある連絡を確認しようとしたのが悪かった。
詳細は伏せるがメッセージの中に、恋人関係の状態を表すフレーズが目についた。妻からは聞いたことのない男性の名前からのメッセージだった。
嫌な予感がして、自分の不安感を沈めるためにトークを開いてしまった。 過去のトークの大部分は消されているが、どうやら身の上の相談事をよくしていたようだ。
ただ、ちらほら、その中に相手から「抱きしめたい」や「大好きです」「私も大好き」などのやり取りがあった。妻が一番自殺を考えていた時のトークなので、シチュエーションに特殊性があるとは思うが、既婚者に対して言う言葉なのだろうか。
これまで、数年間、妻を必死に支えてきたつもりだったが、心が折れそうだ。
そのことを話し合う体力も今は妻にはない。
高校2年の夏過ぎにパニック障害不安障害で学校に行けなくなり中退。数年自宅療養からの徐々にアルバイトができるようになりフリーターに。
高校はわざわざ家から遠い場所にあるとある大学附属に行った(私の中学からは私1人しか行かなかった)。その大学に行きたい学部があったからだ。
その夢が諦めきれず、去年、関連する学科の専門学校に入学。その学問は、ややちいさな界隈であるが、その界隈では1番歴史のある学校だ。
学ぶことが楽しくて満足していた。3年間だけだけど有意義に過ごしたいと日々足掻いていた。
1年生のころに仲良くなった友達が2人いた。①ちゃんと②だ。ふたりとも私より年上の30代。 1年の頃はよく3人で行動していた。 私の体調が不安定なことからたまに学校を休むことがあり、そのときのプリントをもらってくれたり、プリントの穴あき部分は写させてもらっていた。基本皆勤の 2人はどうもそれがあまり良く思ってなかったようで。 私が学校を休むのは怠惰のせい、寝坊のせいと思われていた。違うのに。 2年の夏前から違和感を感じたが、夏休み前は期末テストの追い込みに忙しくあまりそちらを気にしている暇はなかった。
夏休みは一切連絡は取らなかった。 そのままフェードアウトするのがきっとお互いのためだったと思う。
5月ごろに理不尽な理由で私は文化祭委員に指名された。友達を巻き込んでいいとのことだったので、当時はまだ仲が良かったので①ちゃんと②を指名した。それと①②とも仲のいい男の子が1人加わってくれた。 現在その文化祭委員で集まることを酷に感じており、学校を休むことも多くなってしまった。 授業は日々進んでいく。私だけ受けられない。 勉強したいのに、授業受けたいのに、好きな先生も沢山いるのに。なんで授業に関係ないところでこんな負担を被らないといけないんだろう。
もともと持っていたパニック障害は完治はしていない。うつも治療中。メンタル状態は割とすぐに体調に直結する。 学校では2人は私には一切話しかけてこない。1年の頃は仲良かっただけにいまだに信じられない気持ちもあるし、2人に呆れてもう顔も見たくない気持ちもある。 いい歳して無視みたいな幼稚なことは流石にしないけど、そうじゃなくてもなんだかなって思う。基本クラス替えしないからあと1年半同じクラスなのにこんなに気まずくして大丈夫そ?とは思う。もしかして気まずいの私だけなのかな。私は比較的1人で行動できる範囲が広いらしい。だからこそ放っておいてもいいと思われてるのかも。この学校には学びに来たんだから、友達を優先するよりも自分の勉強欲を最優先にして何が悪いんだろう。 私のクラスは友達グループがびっちり出来上がっていて、ひとりぼっちの人って女の子は居なくて、だからこそいま浮いてしまっていて、クラス内の関係ない人には申し訳ない気持ちもあるし、自分自身が情けないし、必ず誰かと行動しないと行動できないクラスメイトも愚かだなって思う気持ちもある。このクラスにも問題があって、1年の最後に、クラスを替えてくれ、もしくは私だけでもいいから他のクラスにしてくれと先生に直談判したが、ダメだった。今になってもこのクラスは好きになれない。全て1人で勉強すればいいだけなら良かったのに、医療系なので複数人での実習は多い。正直クラスメイトに「え??」と思う時は多い。私が悪いのだろうか。どこを直せばいいのだろうか。 文化祭委員の担当教員が担任だったので相談したが、今になってメンバーから外すことはできないと言われた。細かな融通が全く効かない学校ではあるとはいろんなところからは感じてはいた。自殺未遂でもすれば動いてくれるだろうか。 文化祭委員は完全に3:1の状態。ストレスフル。2人とも私のことなんだと思ってるんだろ。君たちのせいで私は勉強できないのに。
私のメンタル面の体調の弱さも嫌になる。
心身の弱さをわかっているからこそ学校通えるようにいろんな面で他のストレスが減るように努力したり工夫したりしているのに、学校に通えないんじゃ何にも意味ない。
この①②との人間関係がストレスフルすぎる。どうしたらいいんだよ。こんなことで悩みたくないよ。
長年通っているかかりつけ医、学校のカウンセラー、担任、どれを頼ってもあまりうまくいかない。無料の相談窓口も探してみた、チャットで相談できるところに書いてるうちにわりとまとまったのでここにも投稿してみる。ちなみに相談窓口からはいまだに返信はない。
もし身近に、程度の大小はあれど、精神面に怪我を負ってる人がいるなら、優しくしてやってほしい。どう接したらいいのかわからない場合はいっそ本人に聞いてもいいと思う。して欲しくないことやそのラインはは人によって違う。完治してなくても、頑張って普通の人を装ってる私みたいな人も全然その辺にいるよ。
NT型なので私のどこがダメだったのか、なぜ距離を取ったのか、理由を一通り聞きたい。全部直すことは不可能だけど理解しておけば今後に活かせることは絶対ある。
反撃したすぎるけど全然反撃せずに静かにしてんの偉すぎる。昔よりも多少は成長したんかもしれん。いやわからんけど。
もっと細かく書けるところも沢山あるけどとりあえず。最近生活リズムも終わってて寝たら起きれないから今日はこのまま1限いくぜ〜〜夕方まで生きててくれよな。はぁ……マジ病ミ……
※この日記では「やたらと特定の人間に執着し、その人が他の人と2人で遊んでいるのが許せなくておかしくなってしまった人」などのことを便宜上"メンヘラ"と呼称している。
この日記は、現在進行系でメンヘラに付きまとわれていて縁を切りたい人向けに、本当に自分が行ったことを経験談として書いている。先に言っておくと、私がはじめに「こいつとは縁を切ろう」と考えてから1年以上かかっている。今もTwitterアカウントのブロックなどはできていないため、本当に縁を切れているかというと微妙である。
一応順を追って説明していくため、手っ取り早く方法だけ読みたい方は見出しを見て読み飛ばしてほしい。
Aと私はインターネット上でTRPGをする仲だった。わからない人向けに言えば、「通話しながら自分たちのキャラクターを操作して遊ぶ」ということだ。この遊びにはもちろん、Aと私以外にたくさん共通の友人が関わっている。
まだ縁を切ろうと思っていなかった時、私の方からたくさん「一緒に遊ぼう」と誘ってしまい、今でも(放置されているものの)約束として残っているものがいくつかある。
メンヘラと接しているうち、自身も精神を病んでいくことがある。特にメンヘラに依存されるような人間は共感性が高く、人を思いやれるような人間のためそういう事象に陥りやすい。(思ったことを書いたのだが、これだと"私は良い人です"と自慢しているようなものだ。実際そうなのだが)
第一として、メンヘラの相手をひとりでしてはいけない。ひとりであれこれ考えていると、段々「考えすぎかも」「悪いのは自分なのかも」と思うようになる。友人に話すには重すぎる話題に感じてしまった私が相談相手として選んだのは、母親だ。
母親は一貫して「そいつはヤバい」「縁を切りなさい」「連絡を取るな」と主張してくれた。この言葉が無ければ、私はきっと今も嫌々ながら関係を続けていたと思う。相談相手には意思がはっきりしている人間を選ぶと良い。
自分が相手になんと言われているか、悪口を言われていないかと気になってしょうがないと思うが、頑張って我慢しよう。
例えば相手が「貴方はこんなに酷いことをした」というような書き込みをしていれば、当然貴方はショックを受けるだろう。
実際私が行ったのは「今まで使ったことのないプラットフォームでアカウントを作る」ことだ。MisskeyやBluesky、タイッツーでもいい。IDも今まで使ったことのないような言葉で作る。
そこで、今までの人間関係を全てリセットする。フォロー・フォロワー0人の状態で、メンヘラ被害の愚痴を書き込む。良くないことかもしれないが、私はこれで大層気が楽になった。
他のやり方なら、鍵垢でも捨て垢でもいいし、紙に書き殴ってそれをビリビリに破いて捨てるでもいい。私は他人に見られる状態で悪口を言うのが一番スッキリした。(それが目に入った人には申し訳ないが)
相談相手に愚痴れるならそれでもいい。文字を打つのと書くのと、口に出すことではまた感覚が違う。もちろんそれが苦手な人もいるだろうから、自身にあったストレス発散をしよう。
当然だと思うかもしれないが、まずは当然のことから始める。今まで友人として接していた人間のアカウントを突然ブロックするのは難しい。だからこそ私は1年以上かかった。
相手の方から連絡が来た場合は当然無視する。既読もつけない方が良い。何を言っているか気になるかもしれないが、前述した通り気にしてはいけない。見て良いことなんかひとつもないのだ。
無視のハードルが高い、もしくはどうしても返信しなくてはならない場合は、即返信をやめるところから始めよう。最初は数時間、そのうち数日放置し、「トイレ行ってた」とか「気付かなかった」とか言っていればいい。とにかく、"自分はもう貴方の相手をしてくれませんよ"とアピールすることが大事だ。
もしこれで別の友人の方が反応が良いとわかれば、標的がそちらに向く可能性がある。よくないことに見えるかもしれないが、自分が助かればそれでいい。私はそう信じ込んだ。
ちなみに、結局Aが依存相手を変えたかは知らない。もう関係の無い相手なのだから当然だが、情報として記せないことは申し訳ない。
最後に、いわゆる「作業通話」へ行くのも控えた方がいい。別の友人と喋る予定でも、貴方がボイスチャットにいることにメンヘラが気付けば、乱入してくる可能性がある。そうなると今後の予定を取り付けられたりして大変だ。辛いかもしれないが、メンヘラと共通の友人との公開通話は控えよう。
逆に言えば、メンヘラの知らない人、知り得ない場所での通話は大丈夫だ。
私の場合、TRPGという他人も関わる遊びをしていた。だからこそ自分の一存で「やめます」というのは難しい。
まずは「諸事情でAとは距離を取っている」というような連絡をしよう。ここでは「あいつはメンヘラで、今までこんなことがあった」とかそんなことまで書かなくていい。大抵の人間は"諸事情"と聞けば納得してくれる。あとから共有する勇気が出れば、また話せばいい。
私は「今すぐに予定を取り消すという連絡をするのは難しいから、とりあえずこのまま予定の話を進めないでほしい」と個人的にお願いした。メンヘラ自身にはしばらく忙しいから日程は決められないとか、そういう理由でいくらでも誤魔化せる。例えメンヘラが「本当か?避けているのでは?」と思っていたとしてもそれでいい。避けているのだし。
これを完全にこなすのは難しいので、できる限りでいい。詳細は後述する。
例として私は、まずスマホアプリやSwitchなどのフレンドを解除・ブロックしていった。段階として、「しばらくログインしてないな」というようなものから始めるといい。
ここでの注意点として、できるならSNSへ投稿したフレンドになれる書き込み(IDの貼り付けや、QRコードなど)を削除しておくこと。また、ゲームアカウントのIDを変えたりもしたほうがいい。こちらからフレンドを解除しても、相手の方から申請される可能性があるからだ。そういったところまで潰しておくと、自身も「ここまでやれば大丈夫だろう」という安心感が持てるので良い。
私の場合、このあたりまで来るとほとんど関係を断てていた(相手から連絡が来なくなった)ため、Discordのアカウントをブロックしても問題無いと感じられている。このあたりは完全に人によるから、相談できる人がいるなら相談しながらやるといい。
これが一番難しい。
まず、私は「縁を切ろう」と決めてからもAと何回か遊んでいた。関係の無い第三者もいる中で、遊ぶ日付が決まっていたからだ。
TRPGという遊びには社会人も多い。有給を取ったり他の予定を諦めたりして、優先して私と遊ぶ約束を取り付けてくれている。
できるのなら、その約束を破ってもいい。だが私にはできなかった。
だから、「今決まっているものを最後にする」と決めた。以降約束さえ取り付けなければ、少なくともこれからずっと遊ぶことはなくなる。「この日遊ぼうよ」と誘われても、「ごめん予定があって」などと言って断ればいい。
私にとっては、それが最後の約束まで頑張る理由になった。ゴールが見えていれば人間、頑張れるものだ。
実際、メンヘラは一般人に擬態するのが上手い。だから私は数年間Aと遊んでいてなにも疑問に思わなかったし、傍から見ても誰も指摘しなかった。だからこそ、第三者を交えた遊びの場合は普通にできがちだ。「なんだかんだ楽しかったな」と思える。
ここで勘違いしてはいけないのが、「ならこのまま友達でもいいか」なんてことは無いということ。今まで自分が被ったことを、感じた不快感を忘れてはいけない。
私の話はあくまでも一例である。もちろん全てのメンヘラ被害者がこれで助かるわけではないだろう。
私が、今のところ懸念している点をあげる。
『メンヘラと縁を切る方法』と題しておきながら、冒頭で「本当に縁を切れるかというと微妙」と言ったのはこれが原因である。
Xにはブロック機能があるが、アカウントなどいくらでも作れる。鍵垢にしない限り、本当にメンヘラの目を逃れることはほぼ不可能と言っていいだろう。
私は「みんな私のツイートRTしたいだろうしな」と思って鍵をかけていないアカウントがある。見られていても、それはもう仕方ないと諦めている。
鍵垢にせずメンヘラから逃げるなら、「新しいアカウントを作る」しか無いだろう。しかし、これも完璧とは言い難い。大抵の場合、前まで関係のあった人達とは変わらず友人でいたいはずだ。となると、フォローフォロワーは以前のアカウントと大して変わらなくなる。IDを変えアカウント名を変えても、メンツでバレる可能性がある。
また、貴方が絵を描く人間だった場合、高確率で絵柄でバレる。例えば貴方がイラストでバズったとしたら、絶対にメンヘラに気付かれる。もう、そうなる。
つまり、Xで完全にメンヘラの目から逃れるには、「人間関係を捨てて完全に新しいアカウントを作る」か、「全て鍵垢にする」しか無いと考えられる。
私はそれを諦めた。
私が縁を切ったメンヘラAは、学生時代からの付き合いである。お互いに家を知っているし、電話番号も本名も知っている。つまり、アイツは来ようと思えばいつでもうちに来れるのだ。
私はそれがいつまでも怖い。同じ状況の人がいるなら、引っ越すしかないだろう。
そして、これは私の友人から聞いた話だが"自殺未遂"をするメンヘラがいる。
リストカットなどの自傷行為は恐らくメンヘラたちにとって日常茶飯事だが、「貴方が構ってくれないなら、私は今から死にますよ」と脅すような奴がいるのだ。
この場合はまず、第三者に連絡すべきだと思う。例えばそのメンヘラの家族などだが、大抵私たちはインターネット上での関係にすぎない。相手がどこに住んでいるのか、本名もなにも知らない場合があるだろう。
私には経験が無いので今調べたが、出来ることは110番通報しか無いように思う。
万一相手が本当に自殺したとしても、貴方に罪は無い。しかし罪の意識は確実に生まれてしまう。そうなったら貴方も被害者だ。できる限り未然に防ぎたい。
行うべきは措置入院だが、恐らく現実的ではないだろう。本当に警察に連絡しただけでメンヘラが入院できるとは思えない。
結論として、私が提示できる解決策は無い。誰か相談できる人がいれば、その人に相談してみてほしい。投げやりで申し訳ない。
まず、会話をしなくなった。私の方から避けているし、相手からも連絡が来なくなった。そもそも連絡手段を減らしているし、連絡が来ても断るか無視する。
実は縁を切って数カ月後に「遊ぼうよ」と連絡を受けたが、もちろん断っている。これからも断り続けることが、自分と相手のためになるのだ。
そして、Aは私と繋がっていたXアカウントを消去、あるいは使用しなくなった。それが私と縁を切ったからかはわからないが、少なくともそこから連絡が来ることは無い。しかし、捨て垢でIDメンションとかすればAはいつでも私とコンタクトを取れる。だから、完全に縁を切ったとは言えないのだ。
私はというと、すっかり元気になったというわけではなく、今でも定期的に悪夢を見る。具体的には「誤ってAとの約束を取り付けてしまった」とか「Aと通話してしまった」とか、そういう夢だ。それでも、全くAのことを考えずに済む時間は圧倒的に増えた。メンヘラのことで悩んでいた時期とは1年以上かけておさらばしたのだ。
これを読んでいる、実際にメンヘラ被害にあっている人に向けて綴る。
私は自分でも「縁を切るために頑張った」と思っている。自分のことを被害者だと思っているが、それでも自分が頑張らなくてはならないのは、「暴漢に襲われたら逃げよう」とか、そういうことだ。
なんで私がこんなに気を使って人に連絡しなきゃいけないんだと、何度も思った。でも仕方ない。自分の身は自分で守るしかない。
メンヘラと言うが、実際は病気なのである。病院を頼れよと思うが、人間への依存を解消させるのは難しい。だからこそ互いに頑張らなくてはならない。私が健康であるために、Aが私無しで生きられるように。
メンヘラと付き合うのが疲れたから縁を切ろうと思うのは、全く悪いことではない。メンヘラなしで人と遊ぶことは、貴方にある当然の権利だ。
少なくとも私は、今後10年Aと関わるつもりはない。
今、大学4年生でまもなく就職するのだけど、僕は不安や悩みが一切ない。
大学4年というと就職という大きな人生の決断に立たされるわけだから心配事が絶えず、大なり小なり不安定化してしまう人が周りに多い。
そのような要素を抜きにしても、昨今、若者の自己肯定感の低下が叫ばれるように、将来のことや人間関係のことなど、能力や実力がある人でもみんな何かしらの悩みを抱えて生きている。
ところが自分には怖いほど、不安や悩みがない。これは強がりでもなんでもない。
自分は家もお金がある方だし、勉強も人並み以上にできたから確実に恵まれている側なので悩む要素が根本として少ないのは事実だが、自分と同じような境遇の人と比較しても明らかに不安や悩みがないと感じている。
将来を思い詰めることもなければ、人間関係で悩むこともないし、誰かの期待に応えたいとプレッシャーに押しつぶされそうになることもない。
「まぁ何とかなるでしょ」の精神が常に自分を支配しており、ダメだったとしても「そういう時もあるよね」としか思わない。みんな考えすぎ。
自分の存在理由なんて、心臓が動いているからで十分とさえ思っている。
さて、僕は人と話すことがかなり好きな方で、ありがたいことに不安や悩みを打ち明けてくれる人が多くいる。
僕が単に不安や悩み知らずでそういう人たちとの関わりを非生産的だとみなすならまだ良かったが、僕は一丁前に他人の不安や悩みが気になるし、それに対してアドバイスをしてあげたくなるお節介なのだ。
僕は自分なりに考えて解決法を提示するが、正直、悲観する理屈は理解できても一切それに共感していないので、無慈悲なアンサーしかできない。
はっきりいって最悪の性格だし自分の幼さや未熟さを自覚している。
例えば、人からどう思われてるかを気にする人に対しては、「いやwそんなにみんな興味ないでしょw」、「どこかを切り取ったら人間みんなキモイ要素あるってw」とか言ってばかりで全く話がかみ合わない。
自分がこういった行動に走ってしまうのは、「正論」をぶつけて相手を困らせたいというよりは、「自分の意見で相手の心を動かしたい」という無意識的な支配欲がある気がする。
キツイことを言っていいわけではないことは理解しているが、それこそ自分の一言で何かが大きく変わるわけでもないし、仮に嫌われても特に何も思わないし、それくらいで嫌いになる人は間違いなく繊細な性格で、繊細な人は外向性に欠ける傾向があって友達も多くないので自分にさほど影響ないとか思ってしまいついつい強い言葉を使ってしまう。
僕は根本では、ずっと「なんでそんなことで悩んでるんだ?」と思っている一方で、他人が考えていることへの興味はあるので、ひたすらに悩みや不安を聞いては真正面からぶん殴るみたいな狂気のお悩み相談を続けている。
実をいうと、こんな感じで悩み相談していた友人が自殺未遂した。
別に自分が原因なわけじゃないし、彼の死に僕は一切関与していないだろうが、もしかしたら何かをしてあげられたかもしれないという意味のない感情が芽生えてしまった。
そしてこの狂気のお悩み相談は多くの人にとってはウザいだけだが、いつか自死の引き金を引くトリガーになってしまう気がする。
どうすればいいかはわからないが、楽観的な性格ゆえに直ちに解決が必要な問題だとも認識していない。
いずれにしても、悩みや不安がなさすぎるがゆえに、他人のそれに共感できず無自覚な言葉を投げかけてしまい、人が死ぬ気がしてる。まぁ考えすぎだろうけど。
2018年 フランス行く(留学) 三月 八月カンボジア行ってビジネス展開 カンボジアはうまくいかない
2019年度6月22日から天の声聴こえ地元の美術予備校と高校の不登校向け学習支援室に入る(統合失調症のさきがけ)
東京の美術予備校、2020年度4月〜すぐ病んで行かなくなり七月八月強制送還、十月予備校前で救急車呼ぶなど迷惑千万 十月〜十二月入院
Fラン福祉大学 2021年度 前期のみ通うが休学し退学 病んでる。編集者から原稿依頼きて原稿書くが界隈から反応なし、悪いから(笑)(病んでるな〜…病んでるな)
東京の美術予備校(Aとする)オンライン 2022年度春〜出禁(都合よく多分カモにされたんだ。馬鹿だったな。わたしの成績は底辺に近かったずっと。最高で二票しか入らんかった。三浪になのに)学研は全然講義に参加していなかった。うどん屋バイトも入れるが3、4、5、6の四ヶ月で十万しか稼げず。ずーっと怒られてた、ずーっと病んでる。死にたい。
小学生のままで時間止まっている。ま、じ、で。小学生が働いてるみたい。まじでなんで生きてるん?
別の東京の美術予備校(これをBとする)、2022年度夏期講習より参加。目をつけられて9月に出禁(病んでるから?笑)「だれがみるの?こんな絵」と笑われる。これが現実。有名な画家先生から
東京のマンションでじっとする、ネットを見て病むをくりかえしている。あんなに応援してもらったけど藝大受験のプレッシャーはわたしには険しかった。いくつかの店を出禁にされる(居酒屋、ホテル)
地元の塾 2024年度 4、5月のみ通いあとはサボる。ふわふわしていて覚束無い。
七月八月自殺未遂。
九月三十日短歌の賞に間に合わず自殺未遂。ぱっくりと手首切る。常に自殺したい。
過ぎたことはすぐに忘れる。ただのかまちょのメンタルヘラった女、それが私
自爆テロっぽい 特級呪物すぎる
ぐだ〜〜〜って病気と向かい合いながら病んでる。私本当になんで生きてるんだろう(笑)アハハ
アハ、疲れたな
結婚できないよ多分。派遣のバイトもうまくできないし死にたいな〜死にたい
ずーっと逃げてるし、うまく行かないと思うとすぐたたかわず逃げるし、基本的に逃げて逃げて逃げて逃げつづけてちょっとだけがんばると糖質発動ってどゆこと。
まじで社会の澱やんね