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はてなキーワード: 理想像とは

2023-07-01

anond:20230629223718

生殖・増殖は単体で出来たとしても外的要因の取り込みがなくなると勝てる試合しかできなくなります

社会宗教自然も清らかな心で善意として弱者問題を内在し共存させてるのではありません

試合を選んでいけば勝ち続けられるというわけではありません

負けは試合としてすら感知されなくなります

なぜ地球上に完全で永久不明生物存在しないか理由を考えたことはありますか?

容易に再発見できるこの世の理想像人間創作物として沢山あります

こう言ったところで理解はされないと思うので、理解できる寓話とか説法などにとびつきやすい甘い餌の空想をまぜて人は常識を育んでいます

あなたの逸脱もわるいものではありませんが、あなたが率先してわるいものとして失敗例になる必要はないですよ

2023-06-21

子供のいない夫婦、仲良すぎ問題

割とそういう傾向強くないですか?うちもそうなんですが。

これは普通に考えると生存バイアスで、子供がいなくて仲の良くない夫婦はあっさり離婚していくので時間が経つほど仲のいい夫婦けが残っていくというものだと思う。「子は鎹」と言うように、子供がいたら多少夫婦関係が悪い程度ではそうそ離婚なんてできないだろう。

少子化の世の中で完結出生児数も減ってきているとはいえ、いまでも大多数の夫婦子供を持っている。だから統計的な傾向として、世の中の平均的な夫婦関係の像は、子供のいない夫婦関係性よりも「うっすらと仲が良くない」方に偏っていると思う。その結果として、社会規範意識や仕組みや言説やエンタメやその他もろもろは「夫婦とはうっすらと仲が良くないもの」という前提で作られているように感じるんですよね(仲の良い夫婦の話は「非現実的理想像」として提供されているように思う)。そりゃボリュームゾーンがそういう人たちなのであれば、その人たちに刺さるように仕組みやビジネスを作った方が得なので当然でしょう。

そのような社会で我々のように仲の良い夫婦をやっていると、それだけで何となく肩身が狭いというか場違い感というか、居心地の悪い感じになってしまう。なんかやっぱり「あるべき姿」じゃないんだなあという思いを日々感じながら生きている。世の中に広く提供されているものがいちいち刺さらないのだから当然だよね。この社会はnot for youですよというメッセージ継続的に受け取ることになる。

から世の中はダメなんだとか、我々に刺さるもの提供しろとか、そういうことは全く思わないんだけど、居心地悪いな〜とそれだけの話です。

2023-06-15

ポケモンがおじさんの理想像を教えてくれている

まずは理科系の男になってスタートラインに立つ

給料を貯めて釣り人か山男になるとやっと一人前

2023-06-03

ポリコレあれこれ

黒人女優を起用したリトルマーメイドが性懲りも無く物議を醸している。

米国では某ネズミ会社を筆頭として、数年前から多種多様人種を起用した映画作品の展開が続いており、しばしばファンの間で話題になっているが、中でも既存キャラクター人種を変える今回のようなパターンでは特に炎上揶揄が起きやすい。

しかもそういった取組がその人種から支持を得られているかというとそう単純な話でもないようで、ゼンデイヤの「私は白人ウケの良い黒人発言にあるように、見た目上で人種の置き換えを行なったところで、民族性無視されている、ゆえにポリコレとしては片手落ちであるというメンドクサイ議論もあちらでは巻き起こっているらしい。(まぁハリウッド映画で散々コレジャナイ日本人を見ているので気持ち分からんでもない)

ブラックパンサーが大ヒットしたように、最初からエスニシティを前面に押し出しキャラクターないしヒーローを新たに打ち出せばいいようにも思えるが、どういうわけかアメリカという国はキャラクターコンテンツ新陳代謝が悪く、ディズニーのようなクラシックからアメコミのようなサブカルまで、何十年も同じキャラを擦るという特性がある。(というかブラックパンサーも60年台から擦られ続けている)

加えて、さまざまなインタビューを見るに、どうもあちらの女性には「◯◯姫になれなかった」ルサンチマンがあるらしい。リトルマーメイドで言えば、肌の色ゆえにアリエルになることを諦めた少女達がいるというわけだ。それは確かに良いことではないが、そもそもプリンセスという古い類型に囚われる必要もないのではないか、という方向性議論寡聞にして知らない。なぜならアメリカコンテンツ古典があまりにも強すぎて、新しいキャラクターが生まれてもヒットするのはごく限られた一部しかなく、よって過去に目を向けるしかないわけである

古典が強すぎる環境、②プリンセスルサンチマンという2つの要素が組み合わさることにより、「じゃあ人気のある既存キャラクター人種を変えよう!」という判断を下しているのが今のアメリカにおけるエンタメジャイアント達なわけであるが、これは結局のところ古典を別な方向から強化しているだけで、今この時の自分達を肯定するメッセージとは似て非なるモノだ。

ようするに現在主流のポリコレというやつは同じ理想像再生産をしているだけであり、全ての人種リトルマーメイド映画を作れないように持続性がないのである

2023-06-02

性は不潔だと思ってしま

小学生とき学校での性教育で、精子卵子にたどり着いて・・・ってのを習ったときに、母親に「どうやってたどり着くの?空中とか泳いでいくの?」と訊いたら「そんなふざけたことを訊くな!!!」といきなり怒鳴られて泣いた。

ジャンプとかで裸とか水着女性が出てくるものがあったときは遠慮なく捨てられた。

TVとかでもまあ似たようなもん。

チャンネルを変える前に「性を売り物にしてる」と罵倒しまくってた。

ちゃん仮装大賞もけなしてたなあ。バニーガールが出てくるから


まあ俺もええかげんおっさんから理性では「別に性は悪いことじゃない」というのはわかる。

でも無意識下というのか、考え方の根底に性は汚い唾棄すべきものという考えもこびりついてる。

世間だって性はタブー扱いしてるだろ、という言い訳武器にしたくなる。

色恋沙汰や性欲なんかどうでもいい、という男がかっこいいと今でも思ってる。

それが俺の理想像になってる。


でも現実はそうはいかない。欲望はどうしてもある。

恋愛はした。セックスもしようとしたけど、駄目だった。勃たなかった。

もはやアレが恋愛だったのかどうか、その時の気持ちももう完全に忘れたけど。


恋愛セックスをしたいと同時に、それらをしたくないというジレンマがいい年こいてもずっと続いてる。

いか恋愛ドラマとかは観ない。

そういうのと縁がなさそうなものばかり読んだり観たりしてる。

でも世の中、たいていは恋愛から成り立ってるんだな。

そういうのが皆無な作品は少ない。

恋愛要素が出てきて「お前もか」という気分になり憂鬱になる。


軽いものならいいんだよ。

キスをするかしないかで大騒ぎしてるとかそんな感じの。

でも一線を超えて朝を迎える、とかいうやつを見るとマジで凹む。

最初ギャグコメディだと思ってたのにそういう展開になると裏切られた気分になる。

こうやって凹んでる自分に凹む。

から慌てたところで取り返しがつかないという事実にも凹む。


多分、俺の親みたいなのは普通にいると思うんだけど、なんでみんな嫌悪感を感じたりしないで行為に到れるんだ?

2023-05-27

anond:20230526043327

長文増田読んだ

これ仮に書いてるのが男で文中の男を女に置き換えると「童貞拗らせてる」言われる奴だ

HPSだの蛙化現象だの関係なくて異常に高すぎる男性理想像問題だぞ

2023-05-18

anond:20230516192434

この手の話の本質は、情報が伝達されるようになったことが原因なんだよ。 村の中で情報が閉じていた時代井の中の蛙で生きられた。 いまはネットにつながった瞬間から、果てしなく他人情報が入ってきて、他人自分を比べることを無限強迫される。 つながればつながるほど、人々の中で作られる理想像は高くなりつづけ、完璧で潔癖な育児結婚像だけが独り歩きをし、だれもが幸せにならなくなってる。 救いは、そのことに気が付くことなんだよ。 いいかネットにつながればつながるほど、自尊心は奪われ、自他の境界あいまいになり、自分が誰だかわからなくなっていく。情報大海でおぼれていることに気が付かなければ救いはこない。 koguma.vc

2023-05-17

anond:20230517123803

新聞で言ったら、輪転機回している工場のオッチャンはジャーリストかという話。

 

ジャーナリズムってのは、どこを取材してどのニュース乗せるか決めるときにつかう思想っていうか、理想像みたいなもんだ。

 

言われた通りに喋って、櫻井としてのコメントだけしているうちは、ただの顔の良い輪転機よ。

輪転機の性能はとても重要という話でもあるが。ジャーナリズムよりも。

2023-05-11

anond:20230510185706

これ書いたのが本当に富山価値観に染まった女の可能性はあるが、「富山にいる(割と年配の)既婚者男」と考えるとすんなり納得できる部分は多い

なぜなら、この人はとにかく気味が悪くなるほどに”男にとって都合のいい女”すぎるから

・男の番にならず子供も作らない女は「子供みたいに自分のことばかり考えてる女」で、嫌なことがあっても発言権はないという価値観

・未婚増田たちは結婚しないのではなく「出来ない」

子供をたくさん育て家事育児に専念する女は「すばらしい」

しか子供1人を育てるのはたかが知れている(片手間でできるレベルのこと)で、家事スイッチ押す程度でできるため働いてないのは怠けている「遊び人

・色々書いているがつまり育児は女が1人でやって当然

家事平等しか役割分担するのではなく「早く帰宅できた方が家事をする」ため、日常的に帰宅が遅くなる男は家事をしなくても仕方ないと言い訳可能

自分は「主人」で、文字通りご主人様、女は召使という認識

・「女が正社員で働くことが当たり前の風潮」恐らく自分の稼ぎが芳しくないため、女にも収入が高く安定した正社員で働いてほしいという願望

出産リスクは全て「少ない可能性」なので女は目を向けるべきではない(男にとって不都合なのでそこに目を向けないでほしい)

・そんなことより「愛する人と家庭を作り子育てをする」ことが女にとっての「無限に広がる幸せ

・そして「上記の扱いを全て受け入れ、文句一つ言わずに男を支え家事育児もやる女」という男から見た完璧な女の理想像

2023-02-05

非モテ女の要求スペック自分反比例するのは比較対象がないか

モテ男集団場合

ヤッた人数で競い合うので相手スペックのものは余程悲惨でもない限り気にされない


非モテ集団場合

彼女が居るというそ事実だけで勝利できるので相手スペックは余程悲惨でもない限り気にされない


普通集団場合

彼氏が居るのが当然なのでその彼氏スペック競争が始まる

自分元彼自分所属する団体内の女の彼氏スペック参照点になるので勝利条件がある程度把握できている


非モテ集団場合

彼氏が居るのが当然だという空気を醸し出しつつ実際は誰にも居ない

誰にも彼氏がおらず、誰にも参照点が無いので集団内全員の考える理想像を超えないと勝利できない(身長が駄目だの年収が駄目だのいちゃもんを付けられる)

2023-01-31

anond:20230131145042

昔は「セックスさせてくれる美少女内面的にはママ」がありがちな男の理想像だったのが、「自分なついてる猫ちゃんがある日突然女体化した」ぐらいまで弱体化したのか…。

2022-12-13

anond:20221211125309

教育人間理想像だけをたたえすぎてるけど教育からはなれたら動物園

未だに痴漢犯罪がある日本満員電車や、生活保護受給手続きさえできずに姉を飢え死にさせる兄弟

https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/202212/0015856257.shtml

をみればそれは明らか

2022-11-24

anond:20221123192703

視聴者の興味を引く番組提供する」が体感よりずっとずっと低い(芸能人特に死亡のニュースでどんだけPV稼ぎたいんだよお前らってなる)ので、メディア自身が考えるメディア理想像を"やれてます"って体で回答してるだけあって事実ではないと思う。

まぁ理想であっても日本のこの回答ヤバいなとは思う。

2022-11-14

生きる意味が感じられない理由

※低〜中程度のうつなんで、それによるネガティブ思考も多分含まれる。

生きる意味が感じられない。

と、言うよりは世の中に対する違和感が強い。

なぜ、お金をそんなに人は求める。本来必要な分だけあれば良い。より多くお金を動かす為に、広告感情煽りSNS依存を生ませる。不幸な人を増やして金を生むな。

幸せになる為に必要なのがお金ではなかったか

愛だ恋だ、そんな綺麗なものはない。

空想で作り上げるな。変な理想像を植え付けるな。苦しむ人が増えるだけだ。

anond:20221114180048

わかる、やっぱり今の「偏差値」ではこういう誤解しちゃうよな

なんとなく、偏差値には線形性があるような気がしちゃうんだよ

から正規分布仮定で得られる累積分関数の値をそのまま持ってきたってこと

いいけどあんたの理想像では60→80の差にくらべて60→40が下がり過ぎで実態を表せてないな。

anond:20221114175546

要するに偏差値定義最後10倍して50足すところを別の値にしたいってこと?

いいけどあんたの理想像では60→80の差にくらべて60→40が下がり過ぎで実態を表せてないな。

冷静に考えて偏差値ってわかりにくすぎるだろ

受験経験して、大学一年くらいで推測統計(高校でやるのは記述統計までなので)を触れてやっと意味がわかる概念じゃん

全体での立ち位置を知るための数字なんだから、だいたい

偏差値80
100
偏差値75
→99
偏差値70
→98
偏差値65
→93
偏差値60
→84
偏差値40
→16

くらいに変えたほうがめちゃくちゃストレート直観的だと思うんだけど

追記

現状の偏差値だと、なんとなく線形に見えるからこういう誤解を生みがちだと思うんだよな

要するに偏差値定義最後10倍して50足すところを別の値にしたいってこと?

いいけどあんたの理想像では60→80の差にくらべて60→40が下がり過ぎで実態を表せてないな。

2022-11-03

父親とのコミュニケーションが成立しない

身内の愚痴

父とのコミュニケーションはいつも父から一方的説教に終始する。

以前は納得がいかないとき意見をしていたがそれが聞き入れられないと分かったときこちらの意志相手に伝えることを諦めた。

諦めてからこちらは一言言葉を発さないようにしている。

それでも父は説教に終始する。

廊下でのすれ違いざま、食事中、こちらへの説教が話の内容すべてを占めている。

そしてその説教こちらの心を打つことはない。

振り返ると以前は自分他人とのコミュニケーションは何かへの批判説教に終始していた。

実家を離れ時間が経ち、相手感情や考えを踏まえた会話をするよう心掛けるようになった。

そう心掛けるようになったのは、人間関係が変わり父などの家族以外との人間コミュニケーションをとるようになったのが原因だと思っている。

いまでもたまに説教のクセが出そうになるので気を付けている。

時と場に応じて人を喜ばせたり楽しませるコミュニケーションができるのが自分理想だ。

(自分は何か学びや利益を得ようとしたり疑問を納得・理解しようとするようなコミュニケーションをしてしまう。相手はそんな会話を欲していないタイミングもあると思う。)

それから実家に戻ったが、やはり父のコミュニケーションは変わっていなかった。

正確には実家に戻ってから父のコミュニケーション一方的であることを認識した。

これは様々な人と交流することで得られた気付きだと思う。実家を出て良かったことの一つだと思う。

兄弟実家には戻っていない。分からなかった戻ってこない理由ひとつが分かったような気がする。

父の一方的コミュニケーションは父自身幸せにしているのだろうか。

自分が父の説教を受けてその理想像を実現するのは難しい。

もちろん尻を叩いてもらっているありがたみの側面もあると思う。

双方向コミュニケーションができるようになる時が来ることを信じて生きる。

2022-10-24

anond:20221018142335

子供になって欲しい理想像自分自身が近づくこと

赤ちゃん時代から感情的なつながりも大事にして愛着と信頼を形成する

いくら親が立派になってもその生き方を身近で伝えるだけの濃密な関係性が無ければ意味いか

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(2)※末尾に追記

(1)anond:20221023223518からの続き

 いくら視覚的な識別手段機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。

 例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。

 「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というもの存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」

 二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。

 このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦言葉想像力による夢幻世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。

 ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。

 視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。

 それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなた想像産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。

 もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。

 もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレント言葉なのではないだろうか。

 『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品執筆したものと思われる。

 『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ甘露寺蜜璃のような「本当の自分他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実世界にも多数存在するように思われる。

 そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。

 それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である

 そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである

(了)

(2022/10/25追記)香り嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである

2022-10-07

anond:20221007204947

そりゃ当たり障りのない理想像からだよ

女性(特に「優しい人」と答えるタイプ)が求めているのは、無難と羨望だよ

から話題にしても自慢と捉えられないけど、適度に羨ましがられるぐらいがいい

それに金とか見た目とか社会的地位とかそんな返事したら、目立つ上に自分価値下がるじゃん

「みんなと一緒」になれないじゃん

変なことを言うと面白い話として、女子の中で話題にされてしまうじゃん

特別優秀な所を目指さない女ほど、少しでも悪い部分がないかを気にする

「優しい男」の定義は「適度に羨ましがられるけど、あまり特徴のない男」だよ

女子グループで2番目にいい旦那である事を目指しているから、そのグループでの平均よりはちょっと上だけど

2022-09-22

人間はおそらくルッキズムから逃れることができない

タイトル釣りです。

厳密には、「外見の美醜を判断せずに生きることはできない」が正しい。おそらく、人類99.999%は、生きている内に心の内で他人を美醜で判断する。数字根拠はない。99%かもしれないし、もっといかも。ルッキズム批判してる人でさえ、それは多分否定しようがない。なお、これはルッキズムと異なる概念だとまず押さえてほしい。

すっげえ素朴な話、鼻毛切らないやつとか髪の毛の寝癖ひどくて頭のフォルムおかしいやつ見て「なんだこいつ?」って思うの避けられないと思うんだよね。なぜなら、ルッキズムの根っこにある「美しいものがいい」の裏には「嫌いなのは醜いもの」がある筈で、それはおおよそ「醜いものは嫌い」と同質だから。完全に同じとは言わないが、嫌いと醜い、鶏と卵なので。

問題はさ、「みんな美しくあるべき」はうーんって思っても、「みんな醜くなるのは避けるべき」ってさ、すっげえ素朴な感情として「まあ、そうね」ってなっちゃうところ。

ルッキズムの一番ひどいパターンの、「美しさの理想像合致しない存在社会的不利益を被る」みたいなやつ、これはまあ否定すべきなんだけど。この否定って極論「美しくないとされるような見た目をしてるやつは良くない」って価値観を反面で肯定しないといけないんだよ。

これさ、すっげえ難しくね?

前者はまだ否定できるんだよ、社会的には。社会的不利益を与える規範絶対によくない。デモ後者は無理。美醜における醜って、不衛生と漸近することが多いんだよ。髪の毛ぼさぼさって風呂入ってないってことじゃん。服が汚れてるって洗ってないってことじゃん。そういうのは生理的嫌悪感惹起する。

生理的嫌悪感を許容できるかっていうと、理性的な頭では許容すべきってのは言えるかもしれないが、生理的な部分では無理じゃん。それを否定しきれない部分で、究極的にはルッキズムの根っこにある価値観からは逃れられないと思うんだよね。もちろん思考実験として「鼻毛ボーボボOKであるべき」は言えるけど、もっと生活に根ざした価値観としてOKって言えるかってことよ。

なお、この問題は男女関係なく発生しているからな。どっちも男女両方で発生してる問題だ。ただ、その不利益を被りやすいのは圧倒的に女性ってのは間違いない。この増田投稿してるのは男性だけど、男性の中でも何かしらある。自分はおそらく中の中から中の下、くらいだと思う見た目的には。女性場合は「美しくあるべき」って+側への規範が、男性場合は「醜くならないようにすべき(清潔であるべき)」って-側への規範が強いんじゃねえかなって思ってる。

から増田意見としちゃ、社会制度としてはルッキズム否定しなきゃいけない(見た目による差別罰則を設けるなどの制度を設けるべき)、その反面でルッキズム人間感性からは除去できないんじゃないかなってところです。

じゃあどうすればいいかって? そんなのわからん。ただ、過度なルッキズム否定はおそらく「生理的嫌悪感の許容」に少しずつ近づく(ように見える)ので、筋がよくないってのは前提に議論されねばならないと増田は思う。

(出てきそうな反論に先に返しておくと、国や文化が違えばルッキズム尺度変わるって話はされても困るからな。アフリカのある部族じゃ男性は服着ない女性ではなく服着る女性に興奮するらしいんだけど、じゃあその例出されて反論されても、お前じゃあ女性は服着ないでもOKであるべきって友人知家族の前で言えるのかって話よ。言える人もいるかもしれんが社会的にはおそらく狂人なんよ。もうちょい生活に根ざした反論を頼む)

2022-09-19

女さんの写真の加工考えてみなよ。

頭を小さくする

顎をとがらせる

鼻を高くする

目を大きくする

胸を大きくする

ウエストを細くする

足を細く長くする

背を高くする


そして、肌を白くする。

いか白人容姿に近づけるかが理想の姿なわけだろ。白人容姿理想であるのは否定しようがないよ。

2022-09-15

三次元推し自殺しそうなのを指咥えて見てるだけのオタクの話

推しは人気アーティストだ。

でもいつ自殺したと言われてもああやっぱりそうだったか、って思うような状況だ。

誰がどう見ても明らかな心身の病、というわけではない。ツイッターでは普通に呟いている。

ただ、出てくる作品が明らかに病んでいる。

もう1年以上同じテーマを描き続けている。毎作毎作というわけではないが、半分〜2/3くらいはそういう感じだ。

でもそれは相当なコアファンしか気づかないし、言ったとしても考えすぎ乙で流されるのが目に見えている。

なぜか? 表面上はどれもとても楽しげではちゃめちゃな作品に見えるからだ。

執拗に繰り返される主張は大体こんな内容だ。

「言いたいこと思ったことが口に出せない」「表面上の私しか皆見ていない」「全て滅茶苦茶にしてしまいたい、けどできない」


最初に言った通り、推しは人気アーティストだ。

世間からは「はちゃめちゃな作品をノリノリで作る人」と思われている。

実際その通りではある。作品公募なんかに自分からそういう作品を投げていくし、昔からそういう作風で作っていた。

しかし、「それ以外」は見向きもされないのだ。

クオリティが伴わないというだけなら諦めもつく。

問題は「それ以外」の作品存在すら知られていない、認知されていないことだ。

推し作品を手掛けます! というと「今度はどんなカオスが出てくるんだろう?」というような反応になる。少しでも「普段」と違う作品が出されようものならすかさず「今回ははちゃめちゃじゃないのか」と言われる。実際は全体の半数くらいがその「普段と違う作品」であったとしても、へえ珍しいーと首を傾げられ、そして忘れられていく。

これは鶏と卵だが、商業的にもほとんど「そういう作品しかオーダーされない。認知度の差は更に広がるばかりだ。


決定的だったのは、作品の中でこう言い出したことだった。

「どんなに訳の分からんこと言っても、何をやっても、わかるーってみんなに全肯定してほしい」

本当にそれでいいのか、と思った。

推しストーリー性のある作品をよく作る。はちゃめちゃな作風と深いストーリー性を両立している。

ファン考察質問にあまり反応はしないので自分のような深読みオタクのことをどう思っているかは分からないし、深読みするのが正しいとか言いたいわけではないのだが、少なくとも頭空っぽで全要素を受け止められる作品では断じてない。

そして現状、ストーリー性の方は比較的顧みられないことが多い。

その前提込みで「みんな」に「わかるー」と言ってもらうには…馬鹿でもわかるくらいストーリーを単純にするか、万人受けする作品を作るか、2択しかない。

でも推しは「何をやっても肯定されたい」のだ。自分のやりたいことをやりきって評価が欲しいのだ。


推し承認欲求怪物か、と思われるだろう。実際その通りではある。

推し宣伝執拗にするタイプではない。反響が良かったとき感謝を述べることはあっても、悪かった時に必死拡散する人ではない。自分の出した作品に対しての評価に躍起になって異議を申し立てる人ではない。

プロジェクトセカイの東雲絵名を知っている人なら彼女の絵のアカウントを想起してほしい。自分の人気自撮りアカウント宣伝すれば一瞬で爆伸びするはずの別アカウント。それをしないのは彼女プライド故だ。それでは意味がないと考えている。

推しも同じだ。ただ、絵名と決定的に違うのは、なりふりかまわぬ最終手段を持ち合わせていないところだ。


推しSOSを出し始めたのはここ1年ほどのことだが、似たような愚痴は昔からあった。人は急には変わらない。

ただ、今まで愚痴を吐いたその口でカオス作風を吐き出すような真似は(顧客にオーダーされない限り)していなかった。

今は違う。

誰が望もうが望むまいが、自分からカオス度を加速させ、その一方で虚無感を吐き捨てる。それをこの1年ほど繰り返し続けている。

みんなの望む「悪い子」を叩き壊すどころか強化する一方で「もうやめたい」と泣く矛盾


ああ、推しいつ死んでもおかしくないな、とオタクは思ってしまった。


この矛盾煮詰まるだけ煮詰まってしまったら推しはどうなるのだろう、と考えるたびに胸が詰まりそうになる。

そもそも「みんなの望む像」があるだけ幸せだと言う人もいるだろう。それが確立しているのは推しが人気だからだ、と。

けれどそれは本当に推し本人なのだろうか。

理想像が高く積み上がっていく一方で、誰にも顧みられず朽ちていく誰かがいるんじゃないだろうか。


推し特定されたいけど書いてる人のことはあんまり特定されたくなくて、最大限ぼかすような卑怯な書き方になってしまった。指を咥えて見ているだけ、というのはそういうことだ。

あの人かな、と思い当たったらどこかに書いてほしい。正解があったら自分もその人ですと書くつもりだ。

そうして思い当たったら、どうかたまには、ちょっとだけでも、推し本人のことも見てくれたらいいな、と切に願う。


そしてせめて、表現者として筆を折るだけであることを、命まで投げ捨てないでもらいたいと、心から祈っている。

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