はてなキーワード: 中学生とは
ガン告知を受けて2ヶ月で亡くなった。
(※最初に断っておきますが、非常に自己中心的な考えなので不快に思う方がいらっしゃったら大変申し訳ございません。)
のどっちかかと思われる。
新郎新婦やそのご家族がしきたりに厳しいようなら、喪中の出席はやめておいた方が良いかなと勝手に思う。
私の場合は大親友だったので、相手は私の母親が亡くなったことも知っているし、私も「喪中だけど出席して問題ないか」と聞いてOKをもらったから参列することにした。
さすがに忌中だったら友人の許可云々以前に辞退してたけど。
中座のエスコートを頼まれていたくらい、とても仲の良い友人なので私も結婚式にはなるべく参加したかったしとても楽しみにしていた。
母親が死んでからずっと抱いてきた鬱々とした気分も、お祝い事を目の前にすれば吹き飛ぶかもしれないという考えもあった。
結果、「親友の花嫁姿を見られて良かった、でも結婚式の演出がしんどくて出席を後悔した」というのが感想。
「自分で出席すること選んでおいて後悔とか言い出すの常識ねーわ」ってのはわかっている。
でももちろん親友本人にはそんなこと言ってないから見逃してほしい。
挙式、披露宴で随所に差し込まれる、「父親・母親・娘(花嫁)」の3人が揃っていることを大前提とした演出がしんどかった。
調べたらいろんな事情で親が結婚式に参列できない場合の演出方法もあるらしい。
もし親を亡くして数年経っていたなら落ち着いて見ていられたのだろうが、両親がいることを「完璧」として、どちらか一人でもいなかったら「欠陥」とみなされているようでとてもつらかった。
また、母親が生きているうちに結婚できなかった自分も責められているような気になってしまった。
披露宴で泣いたが、感動して泣いたわけではない。
自分の母親は亡くなったということを改めて突きつけられているようでつらくて泣いたのだ。
中座のエスコート役をやると、カメラマンが花嫁とのツーショットを撮ってくれる。
カメラマンに「笑って〜!」と何度も言われた。
笑えたら笑ってるし、笑ってないってことは笑えないということだからなにも言わないでくれと思った。
ただまぁ人の結婚式出て写真撮ってもらうのに笑わない人間は常識がない。
あり出席者側が「今日ちょっと機嫌悪いからムスッとしてる」とかはダメだと思う。(当たり前)
■結婚式後も引きずる痛み
結婚式の最中に感じた悲しみのせいでもあるし、大親友の結婚式に出てもネガティブな感情しか抱けなかった自分への嫌悪のせいでもあった。
家に着いたら、花嫁から「結婚式来てくれて本当にありがとう!!」「大好き!!!!」といったLINEが届いていた。
また悲しくなった。
これに対して私は「めちゃくちゃ良い式だったね!!」とかなんとか、素敵な言葉で返答しなければならない。
今は微塵もそんなこと思えないのに。
喪中なのに参加すると言ったのは私自身だし私がどうしようもないくらい悲しみを感じてしまうのはすべて私に責任がある。
■結論:新婦側の友人の場合、親が死んだばかりなら欠席した方が良い
結婚式からもうしばらく経つが、未だに花嫁である友人とは距離を置こうとしている。
「この友人と会って、結婚式の話になるたびに私はこのとき感じた痛みを思い起こしてしまうのか。」
「そして私はその痛みを隠して友人に当たり障りのないことを言い続けなければならないのか。」
そう思うと会いたくもなくなってくる。
中学生の時からの友人だし、社会人になってからも月1で会っているし、(コロナ前は)年に一回は一緒に海外旅行していた仲なのに、私はもう会いたくない。
結論としては、親が死んで喪中ならやっぱり結婚式への出席は考えた方が良いかもしれない。
また、結婚式を行う側の方々も、もしどうしても出席してほしい大親友が親御さんを亡くされたばかりなら、どうか気を配ってあげて出席辞退しやすいようにしてあげてください。
私は断るべきだったと思うし、もしかしたらこのままこの親友とは交流を断つかもしれない。
>>実際に同クリニックでは、二重にするなど目元の整形をした10代の患者数は、2015年から’20年の間に約38・5倍も増えたというから驚かされる。
https://www.jprime.jp/articles/-/21581
淘汰の結果不細工が居なくなったわけじゃないんじゃん
10年くらい前、「中二病でも恋がしたい」とかの影響で中二病という単語が広く知られるようになり、中二病ブーム起きた。
その頃ネットでは「中二病」が現代の「チー牛」や「オタク」や「陰キャ」のように気に入らないものを叩くためのレッテルとしてよく使われていた。
…こんな具合に。主に「実力が伴っていないのに行動を起こそうとしているヤツ」が「痛いヤツ」として扱われ、中二病として叩かれた。中二病だけではなく「中学生」もバカの代名詞として使われた。性欲旺盛なヤツに対して「中学生みたいな性欲だな!」出来の悪い小説に対して「中学生が描いたみたいだな!」等々。当時中学生だった増田は辛かった。中学生という身分であるだけで十字架を背負わされているかのようだった。
それから約10年経って現代。「気に入らないヤツにレッテルを貼るための言葉」として「中二病」や「中学生」を使う人はほとんどいなくなった。いいことだ。
後ろを泳いでいた大人コースの女性(40歳くらい)に「かわいいお尻だわ(笑)」と言われた。
アヒルのケツがプリプリで可愛いみたいな感覚なのだろうが、「ずっとお尻見られてたの?」と何とも言えない気持ちになったのを覚えている。
ちなみにその人、全く話した事もない他人だ。
ショートパンツがユニフォームなのだが痩せてはいなかったのでピチピチだった。
シャツインしながらだし。
いいお尻だねと言われても私は私のケツを正面から見たことねえし。
明るい男子でそれなりに打ち解けたのだが、後日女友達に「増田のこといいケツしてんなって言ってた(笑)」と言われた。
その後、グループデートのようなことをしたが微妙な気持ちだった。
必死にケツの主張が激しくない服を選んでいるのに私のケツがナイスすぎるばかりに。これって異端か?w
あ~あ。異世界転生悪役令嬢婚約破棄最強サキュバス魔王妹サバサバ女桃メーカーのオシリくん。
「増田チャンはお尻がキレイ!」……そうですか!ありがとう!キショ!お前その首から下げてる十字架のネックレス今すぐ捨てな。
それ本人に言わなくていいよ。
それほど親しくない人に普通言うか?親しくても本人のリアクション見てマズいなと思ったらやめてくれんか。
でもケツ以外褒める所のない女への優しさなんやね。
先週のことだ。
知り合ったのは3年ほど前。
趣味で通っていたライブハウスでわたしたちは出会い、半年ほどの彼からの猛烈なアプローチにわたしが半ば折れるような形で交際を始めた。
現在もう20代も半ばのわたし自身が中学生の頃に不登校を経験してからずっと心療内科にかかっていることもあって、人を信じるということに対するハードルが上がっていた。そして自分に恋愛なんて向いていないと思っていて今まで避けてきていたし、ましてや趣味で知り合った人を異性として見るなんて以ての外だと思っていた。
それでも半年もわたしがまともに相手をしなかったのに熱心にアプローチを続けてきたこと、忙しいはずなのに時間や労力を割いてでもわたしのような存在に費やしてくれたことを考えたら、この人のことは信じたいと思うようになった。
気がついたら2日に1回は会うようになっていたし、結婚を前提に同棲をしたいと頻繁に迫られるようになった。育った環境から結婚というものにあまりいいイメージがないだけに、「それは将来的に実現させられるといいね」と流していたけれど。
別れの原因になったのは他でもないモラハラだった。
彼はわたしより4歳年上で、どこか自分に自信がない様子を醸す人だった。
そのため自分以外の人間を必要以上に見下し、必死に優位に立つことでプライドを保っていたのだと思う。そのため共通の知人のことはもちろん、自分の思い通りにならなかった際はわたしのことをも必要以上にこき下ろしてきた。わたしが軽度の自閉症スペクトラムであることを説明した際に「幸せにしたい」と言ったのなんて真っ赤な嘘だったんじゃないかと思うぐらい、障害者蔑視とみられる発言も多かった。
自分の思い通りにいかないようならすぐに日本語が通じない、理解能力がないと言われる。確かにわたしはIQに偏りがあるし定型発達の人たちと比較すると頭の回転が早くはないと思う。しかし自慢ではないが論理力だけは平均値を大幅に上回っているし、幼少期から友達が少なかったこともあって活字が友達だと言っても過言ではない。それでも、彼が書いた文章がどんなに読みにくくて分かりにくい表現をしていても思っていることが伝わらないのはわたしの理解能力がないだけだという見解をされる日々が続いていた。そんなこと人生で一度も言われたことのない言葉であっただけに、それをどんどん気にするようになった。
そして隙があれば重箱の隅をつつくような感じで粗捜しされ、自分が取った行動であろうがわたしを責める。直接話していても、LINEでも、乾いた笑いが何度出たことかわからない。彼は必死に自分を正当化し、わたしに責任転嫁をすることでしか自分自身を認められなかった人なのだろうとすら思うまでである。ちなみに、この逆の行動をわたしが取ると激怒するのは言うまでもない。
おかげでどこかへ行こうと言っても心の底から楽しめなくなったし、気がついたら彼と一緒にいる時に大量の蕁麻疹が出るようになっていた。
しかしながら二度としないと言った約束は何度も何度も同じ形で繰り返された。それもすべて、わたしが知ったら傷つくような形で。三度目の正直、仏の顔も三度まで、と伝えてももちろん4度目があった。何なら2度目以降は持病の喘息の発作を引き起こすようになっていた。
そこまで約束をするほどに嫌がっていたことは、わたしが知らないと思って複数の女の子(しかもそのうちひとりは共通の知人である)にSNSで口説くことだった。この人にとっての「好き」の気持ちは、こんなにも薄っぺらくて誰にでも言えるものなんだ。そう思うと嫉妬なんていう気持ちは一切なくて、気がついたらバカバカしくなったことも正直数え切れない。どんどん自分への自信を喪失していったし、自分が彼を満足させられるような相手ではないからだろうと完全な自己嫌悪に陥った。今になって改めて思えば、カサンドラ症候群の気があったようにも感じる。
口説かれていた相手の女の子(先述の共通の知り合い)が彼の言動を嫌がっていた様子を含め証拠のスクショをもらい、それを突きつけても言い訳しか返ってこない。そして挙句の果てには「お前の言い方が悪い」「日本語の理解能力がない」「お前が嫉妬してくれないから遊び半分でやった」と感情的に何度も繰り返される。それでも彼にとっては冷静さを保っているつもりだったようで「感情的になって声を荒らげられるのは苦手だ」と何度伝えても続いた。
思えば揉めごとが起きる度に気がついたらなぜかわたしが泣いていたし、気がついたらなぜか彼に諭されていた。冷静に考えるとわけがわからない。時に彼の言葉はナイフのようで、身体的な危害を加えられないDVか何かのようだと感じた。
最終的にわたしが別れを告げた先週までは、前回揉めたことが共通の知り合いへの浮気だったというのもありまさに関係を修復している段階であった。
さすがに100%、とは言い切れなかったが、少しずつでも着実に前に進めていると思っていた。でもそう思っていたのは自分だけで、彼に一方的に期待をしていただけだったことに気がついた。
自分自身が心療内科に通っていることもあり精神疾患について勉強する機会も多々あったために彼はきっと自己愛性人格障害なのだから仕方ないと妥協していたが、それでも我慢の限界は来ていた。
前回喧嘩をした時に関係を戻したい、どうしても他の相手ではだめだと言って許しを乞うた人が関係を修復している真っ最中に同じことを繰り返せるのか、どんな理由があっても行動として出ている以上は簡単に欲に負けてしまえる程度の約束と相手だったということが示されたようなものである。幸せにしたい、大切にするという言葉は何だったのだろうか。
それでいて感情的に逆上される。喘息の発作が出るほどのトラウマがあってもう会いたくないとまで言っても、なぜかわたしの意見はわがままとして捉えられ1日でも早く話がしたいと執拗に責められる。挙句の果てには過去の自分の行動を恩を着せるかのように言われた。取った行動が約束を守っていない以上どこにも説得力なんてないし、何ならすべてが思い出話でしかないというのに。
そしてわたしは、別れを切り出した。
もう会いたいと思えない旨とさようならを告げ、LINEもTwitterもブロックした。
趣味がきっかけで知り合ったこともあり、共通の知人が多かったために特に親しい人たちやわたしたちの関係を知っている人たちにはすべて事情を説明し、わたしについて何か聞かれても何も答えないようにしてほしいと連絡して回った。
それでも彼はTwitterで捨て垢を作って執拗に連絡を続けてきた。それも何度も。
中にはリベンジポルノを仄めかすような脅しの文章もあった。晒されても困るような写真は幸い撮っていないが、プライバシーの侵害や脅迫という概念が抜け落ちている人なんだなと思った。まあそうでもなければモラハラなんて日常的に起こらないわけだが。
あまりにも何度も何度もブロックしても連絡が来るため、「何度も二度と会いたくないと伝えているし、これ以上関わるなら然るべき措置を取ります」と返した。ここで一段落ついた。
と思ったのが、間違いだった。
唯一フレンドになっていたソシャゲの公開チャットに、その返信が送られてきていた。頭が真っ白になった。時間を置くとは言っていてもこの期に及んでまだ執拗に会って話がしたいという文章にも、ソシャゲの公開チャットなんて不特定多数が閲覧できるのにそんなことが書かれていたことにも、理解にしばらくの時間を費やしたことは言うまでもない。
その後、案の定共通の知人のもとには彼がわたしについて聞く内容の連絡が次々と来ていた。事情は知っているからもう諦めるべきだとアドバイスする人、返信を送らない人。ありがたいことに、わたしはその人たちに守られた。
そのうちのひとりが事情を知らない前提で話を聞き出したところ、「どうしても会って話をして、何とかして説得したい。それで直接話をしても駄目なら諦める」と返信が来たそうだ。何度ももう会いたくないと伝えているはずなのに。
理解能力がない、日本語が通じないなどと散々罵っていた相手であるわたしの書いた文章を理解できていないのは他でもない彼だった。わたしは自分が書いた文章がアラビア語やタイ語などの専門的な知識がないと読めない言語や何かだったのか確認したが、デフォルトの日本語を使っていた。
彼と会わなくなって1週間。
日々の悩みだった蕁麻疹が出なくなった。
そして、自分自身が無意識に心身をすり減らしながらも生きることを自分なりに、必死に頑張っていたと気がついた。
彼はというと共通の知人いわくSNSで失恋ソングの歌詞や病んでいることを匂わせる投稿を連日しているようだが、わたしの知ったこっちゃない。
別れても寂しくない恋が存在するんだと思った。
既に前を向けている。
そして、少しでもわたしと同じ境遇に立っている人が、少しでもいなくなってほしいという気持ちがいちばんに強くなった。
きっと、モラハラを受けていた時よりもちょっとだけ強くなれたんだと思う。
この件で連日眠れない夜を過ごしたり、物理的な胸の痛みを感じたり、拒食気味になってきたりもしているので、そろそろ警察へ相談に行くか悩んでいる。しかし幸いにもこちらの住所(実家暮らしで友達を容易に呼べる環境ではないことにこれほど安堵したことはない)や自宅の電話番号、仕事先といったものは知られていないために、警察へ相談するのも次に何かしらのアクションが起きてからでないとさすがに彼の今後の人生に影響が出てしまうのではないかと思う。さすがにわたしのせいで彼の将来が暗いものとなっても、わたしには責任が取れるものではない。それに何より、別に人生をめちゃくちゃにしてやろうとは思わない。気力がもうない。
それほどまでに、もう関わりたくないのだ。
背が高くて、涼しげな顔立ちの、一つ上の高二の先輩。
みんなが同じような傷んだ茶髪に切り刻んだミニスカートを履いてる中で、黒髪ボブと膝上5cmを貫いていたのが印象的だった
時々きらめく青いピアスをよく覚えている
誰も通らない踊り場に大きな紙を広げて、裸足になって絵を描いた
本当は他の看板係も何人かいたけど、初回の顔合わせ以来ほとんど姿を見せなくて、放課後はいつも2人きりになった。
ぺたぺた絵の具を塗りながら、先輩の話を聞いた。
なんで美術科のある高校じゃなくてわざわざ進学校のうちに来たんですか?って聞いたら、さらりと
「家が近いから」
と言われた。
必死に勉強して受かった自分なんかとは大違いで、凄い人なんだなと素直に尊敬した。
休憩と言って2人でファミチキを食べに行ったり、どうせ塗りつぶすからって足元に落書きしたりしてるうちに、私は先輩のことが好きになっていた。
スカートについたおそろいの絵の具の汚れが嬉しくてたまらなかった。
こう思い返すと漫画みたいな恋だったけど、オチは本当にくだらない
体育祭はあっさり終わった。
先輩から「一緒に写真撮ろう」と言ってもらえてドキドキしながら肩を組んで、やっぱり私はこの人のこと好きなんだって思って、でも自覚すると気持ち悪いと思われるのが怖くなって、自分から連絡できなくなった。
卒業式の日にお祝いのラインをして、「ありがとう!美大生になれたよ✨」と返してもらったのが最後の会話。
同性愛者というわけではない。
今年度から教科書が変わって、英語が難しくなりました。イメージとしては、上の学年で習う内容が降りてきた感じ。
定期テストって平均6割くらいで、授業でやったことを覚えたら、平均点は行けるテストだったはず。
でも今はそんなことない。初見の文章がバンバン出る。しかも、リスニングにライティングもある。表とかもあるよ。こんなん昔から英語やってる人じゃないとキツいよ。さらに量が多い。大問13くらいまであるし。
なんで定期テストなのに模試みたいになってっんのって話。定期テストなんだから、授業でやったことを覚えたらできるテストのほうがいいやん。苦手な子が追い付くには、壁がドカンと増えてしまった。
授業数は変わんないのに、学ぶ量が増えたから、曖昧なままの子がすごく多い。もともと中学の英語は文法をおざなりにしてるから、そういう子は多かったんだけど、より一層多くなる。平均点が50でも、20点と80点で50って感じになってくね。
人間の関心の対象は、両親→家族→近隣の住人/友人へと発達過程を通して拡大していく。
ムラよりでかい規模の人間関係にまで頭が回るようになるのは高校生くらいからだろうから、小学生の間なら、ムラで育とうと都市で育とうとコミュニケーション能力を育む観点ではあまり気にしなくてよいのではないだろうか。
中学生くらいが一番えげつないいじめをすると思う。そうなってしまうのは、彼らの精神が発達途上にあって、彼らの世界観がまだ主に学級や部活といった狭いグループの中に限られているからだ。いじめる側には小さい世界の中でニワトリのつつきみたいなことをやるしか能がない。いじめられる側もその世界に上手くなじめなければ世界の終わりかのように思ってしまう。
高校生くらいになるとようやく、世界はもっと広くて、自分の属せる可能性のある選択肢として、自分の今属している小さなグループ以外の世界がいくらでもあることに気付き始める。
これはそのとおり。iPhoneは(少なくとも4S=2011年10月 iOS5 以降は)大ハズレってのはない。
Androidの 駄機種 が淘汰され、まあまあハズレがないぐらいになってきたのは、贔屓目に見てもAndorid 6(2015年10月)、かなり安心になったのはAndorid 8(2017年8月)ぐらいからだと思う。
その間4年~6年ぐらいは、iPhoneでなきゃだめ!は 「わかってない女子供の戯言」 ではなく 「ある程度は真実」 だった。キャリアが売るAndoridスマホの大半は駄機種だった。IT業界でこれだけリードされてしまっては、そりゃまあ真実がもう変わったと言っても聞き入れる人は少ないだろう。6年といえば中学生でスマホに触れた子が高校を卒業するぐらいの時間だ。
個人的な悩みとしては、「よいAndorid端末だが、人気がないおかげで安い」 のを見つけるのが好きだったのに、最近はキャリアが余らせて放出する弾数が減ってしまい、お買い得なものも減ってしまった。Andoridの評価がもっと高まっても値上がるし、かといって余らないほど縮小してしまっても困る。ほどほどで頑張ってほしい。
中学生で二次創作をやっていた頃から、なぜか精神的に病んでいる人から好かれやすかった
自分の作品を好きだって言ってくれている方のブログを見ると、大抵向精神薬を飲んでいた
今もTwitterで交流している人は、病んでいる人だったり、交流していくうちに病んでいったりする
正しいかどうは棚に上げておいて、最近のイメージを書いておく。
生まれ持ったステータス的な意味であって、これに学習とか諸々加味されて、結局千差万別になる。
けど、「学習や経験による補正値を含まない、基本軸としてはこれかなぁ」って思っていることのα版。
人間は昆虫で例えると不完全変態の一種で、幼体から成体に変わる時期が中学生。
群れを支えたり子どもを生んだりする期間が大体35歳まで。
DEOCOの記事で「JKの匂い分泌するのは35歳くらいまで」という内容の記事を見たことがある。
あと、アメリカ勤務の女性が日本に来た時の雑談で「デートに誘われていたのは35歳まで」という話を聞いた。
以降は、狩猟採集時代だと、群れを統率する立ち位置になんだろうと思う。
行為じゃなくて表情や目線で語るんだよ。押し付けがましくならないように「俺は君に気があるんだけど、君の方はどう?」とか「俺から押し付ける気は無いけど、君がその気ならおいでよ」とか目や表情で語り続けるんだよ。
学校とか職場とかなら「あまり関わりがなくても告白する」というのは分からなくもない。
でも、毎日同じ電車やバスに乗る人、毎日すれ違う人に好きと告白された場合ってどう対応するのが正しいのだろうか。
相手が何を望んで告白したのか分からない。付き合いたいと思ってしたのか、ただ伝えたかっただけなのか。
そもそもその程度の関わりで好きになることってあるのだろうか。でも、一目惚れとかほんとにあるのならあるのかもしれない。
先日、毎朝同じバスに乗る男の子に告白された。私は高校生だけど制服から見て相手は中学生か高校生か多分それくらい。
その子は、私が「スイカの残高無くて困ってた中学生にお金を渡したり、手提げの袋を座席に忘れて降りてしまった小学生をバスを降りて追いかけたりした」ところを見て好きになったと言った。
でも、あの状況下で助けるのは当たり前のことだからそんなことで褒められるのは好きになられるのは嬉しい反面複雑だった。現にあの時は周りも「誰が助けるのか」みたいな空気感になっていたし、私がしなければ誰かが必ずしてたことだから。
なんかSwitchで64のゲームが出来るようになったじゃないですか。
64と共に小学校生活を送っていた(64は赤とクリアのボディだった)僕、すごく嬉しくて当然やり始めましたよ。コントローラー?そんな大層なものは無いですが。
そしたらもうびっくり。画面がかくかくするし視点切り替えらんないし一歩がやたらでかいし直感的にボタン操作できないし微調整出来ないしですぐに酔っちゃった。ポリゴン酔い。
いやーもう歳なのかなーと思ったんだけど、僕よく考えたら最近のゲームも出来ないんですよ。何か画面が綺麗すぎて落ち着かないとか言っちゃって。それでゲームキューブ引っ張り出して中学生くらいの時に買ったゲームばっかりやってるんです。全クリしてやり込み要素も網羅したゲームを何回も。
おかしいじゃないですか。ゲーム好きを自認してきたのに64のゲームも満足に出来ないなんて。でも新しいグラフィックの綺麗なゲームも出来ないんです。
やり込み要素のあるゲームが好きなのに新しくそれを始めるのは億劫で、でもストーリー薄いゲームやろうとは思えないし。さっきも64始めた時に早く終わんねーかなと思いながら立ち上げてたんですよ。
もうがっかりでびっくりですよ。アレですかね。脳が新しく何かを覚えたり考えたり出来なくなってるんですね。こりゃだめだわ。
というわけで何とか時のオカリナを最後までクリアしたいと思います。まだデクの樹様の中から出られないんだけど。あとサリアってもっと美人じゃなかったっけ?
あと、こんな僕でもできそうなゲームあったら教えてください。