はてなキーワード: タブーとは
参考になります。
横道ですが、私が聞いている話だと、
については、部署によるんでしょうか。休憩時にそれなりに話題になっているそうです。隣の人とかと話題にしたり、上司とも少し話したとか。
ただ、情報は記事 (国内、国外とも) の話をして、うーんそういう話になっているのかとやっているレベルのようですが、あと社員が見れる自社記事クリッピングも不都合な記事も含めてファイルされているとかそんな話も。
おおごとではありますが、とりあえず目の前の仕事しようかというまだ静かな雰囲気というか、これで今やっている仕事の計画が延びるわけじゃないんだろ、とりあえずこっち、という感じなようで。
真実が明らかになって「やっぱりそうだと思ったんだ」と、あとで記憶をすりかえないために。
ちゃんと答え合わせをできるようにするためにここに答案を記す。(FAの件は後回しにして、3社買収問題のみの回答)
問1.オリンパスの過剰な3社の見積もりについて、会社側の真意を答えよ
答案1.
①実際は05年以前から、長期にわたって収益の水増し計上を行なっていた。(※背景には同社の脆弱な財務体質?)
③架空の現預金項目が数百億のレベルにまで膨れ上がり、明らかに不自然になってしまった。
④膿を出すため、06年5月から08年4月にかけてボロクズ会社3社を総額730億円で買収する、ということにする。(※リリースすら出さず、こっそりとやる)
⑤架空買収で生じた巨額ののれん代でもって、粉飾資産部分(現預金)をおきかえる。
⑥経営環境が悪化したということにして、巨額ののれん代をごっそりと減損する。(※この時、リーマン危機が重なったのはオリンパスにとって行幸だった)
⑦帳簿上はM&Aに失敗して現預金が流出した、という形式になり、粉飾していた現預金の水増し部分が解消する。以上
以下、若干の補足説明。
・ここでの1つの焦点は、誰にカネが渡ったかではなくて実際に現金が動いていたか否かにあります。Facta(今月号)は、実際にキャッシュアウトが伴っていた前提に立ち、それがヤミ勢力に渡ったのではないかと仮説を提示しています。しかし、”ヤミ勢力”がこれだけ巨額のキャッシュをわざわざこんな大企業から受け取る必然性は薄いと考えます。経営者へのキックバック目的という仮説も同様、サラリーマン経営者が私服を肥やすには大規模すぎます。私はしたがって、現金が動いていなかったという主張を支持しています。菊川会長の一連の行動は自己の利益のためではなく、愛する自社と社員を守るために行ったものであると考えています。
・オリンパスに勤める私の弟によれば、一般社員には何一つ情報は伝わってきておらず、社内でうわさ話をすることすらタブーになっているそうです(オリンパスには伝統的に”告げ口文化”と言うのがあるため、社員がヘタに論評をすると誰かに告げ口される危険性がある)。しかし私の答案が正しいとすれば、経営陣だけでなくオリンパスの財務・経理社員もこの粉飾に加担していることになります。そうなれば組織ぐるみということになり、社会的非難・制裁の声はさらに高まってくると予想されます。
当局による回答はおそらく数週間後、以下の空欄に記載する予定。
答1.
。
http://twitter.com/#!/zaway/status/127774939330772993
小学生の時聞かされた。
変だよね、こんなの。
遊郭としてたと言っても、すぐ前の世代ではなく、その前にやめて地主になって、それをある宗教に寄付して、無一文の状態になって・・・と色々あったらしい
その色々が続いてない事も無いから、こんな事を言ってくるのかもしれないが ( 精神的にいろいろあるからかもしれないが、別に親は生活やお金には困っていない。全然余裕なのに・・・ )
それにしても・・・・
昔から私に関する事だけ、洞察力が欠落したような事を平気で行う人だった
実の母親から、お前の幸せを願ってません と宣言されるようなものだし
普通の健全な家庭の特に専業主婦の人が聞いたら嫌がるようなことを好んで言う傾向もあった
(別にエロい事と言う訳じゃないです。エロい人ではないと思います)
言わなくて良い事実とか、厭世的になるような事とか
例えば、森村誠一氏の小説を読んで、なぜそんなものを読むのか聞いたら、「私は本当の事が知りたいもん」と言ったりされたりとか
森村氏は優れた小説家だと思うけど、年若い人が見ると、厭世的になったり人間不信になる可能性もあると思う。私に勧めてきたわけではないけど、こういう事も踏まえた上での答えとしては適当ではないと思う。
本当の事と言っても、小説はフィクションなので、本当の事が知りたいなら、ノンフィクションのドキュメントかルポを読むべきだと思うし。
言うとしたら、氏は、厭世観を持つような事実を扱いながらも、それだけではない深い何かがあるとか、それを超えたものもあるとか、何とか言えないものなのだろうか、と思う。
世の中にあるものを無批判に肯定的に受け止めるのではなく、時には皮肉や風刺も、クリティカルな思考をするために必要なように、社会の暗黒面を描くのもより良い情況を目指すためには、有効だとか、視点としては、そういう目も必要だから、とか何とでも良い言い方は色々できると思う。
しかし、彼女の場合はそんな事をわかって読んでいたのではないような気がする。
これは離れて暮らしている今もそうだが
どういう人間だったかと言うのが、チグハグすぎて思い描けないし、人に説明もできない。
これは父にも言える事だが。
それで、トラバはしてないけど、さっき書いた恋愛に夢が描けない話
これに繋がらない事もないわけだが
人様のお嬢さんを金にものを言わせて攫ってきて、性的搾取をしてきた先祖・・・と考えると、他人にそんな事をした人間の子孫は、恋愛なんてできない、と思いつめてしまった部分は、小学生だったので、少なからずあると思う。
小学生ごころにはきつすぎる。
ある程度、自己防衛的な思考や論理的な判断力が、育った状態でしかも安定した身分の状態の大学生くらいになってから、先祖の歴史として話すのなら、わからないでもないと思うが・・・
遊郭というのは、気になるから、何かの折に目に触れたものを読んだり、本を立ち読みしたりして、調べた範囲でも、摩訶不思議な構造になっている
江戸時代とそれ以降での違いというのもあるし、江戸時代でも、遊郭というのとその他のものでは、だいぶ違ったようだった
病気で亡くなった江戸を描く漫画家の杉浦日向子さんは、このあたりちゃんと書いていた。(ただ地名を正確に書いてたというだけだけど)
明治以降国家神道として神道を流行らせたりする時に、その町のイメージが悪くなってはいけないという配慮からなのか何かはよくわからないけど、映画でも何かの作品でもその町を舞台にしたものは、江戸時代は心中モノが描かれたりしてたけど、今は全然ない。他の町も吉原以外は似たようなもので、特にタブーだかたというわけではなく、吉原が通俗的にそのような場所として有名だからわかりやすいからかもしれないが。( 江戸時代の吉原と今のとではだいぶ趣が違うけど )
有名な江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎の演目で、伊達の殿様に切り殺されてしまう太夫の話がある。実話かどうかは定かではないらしいが、その太夫の死体が流れ着いた淵や、亡骸が祀られたとされている寺か神社もあるらしい。この話は、武士より武士みたいな形で亡くなってしまった遊女というところが皮肉なのだと思う。 創作だとしたら、こういう人身売買に誑かされて鼻の下を伸ばしている武士に対する皮肉もあったのではないかと思う。
遊女の腹から生まれた大名 で検索すると 23人もいたと記したページも出る
http://kkubota.cool.ne.jp/saihouji.htm
皮肉だ
江戸時代でも人身売買は悪いとわかる倫理観はあったと思う。わからないわけがないと思う。
それなのに、簡単に誑かされてしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20111012175922
それに、一番多いのは顔見知りや知り合いによるものですから、異常者の犯罪とは言えないと思う
少年マンガや青年誌で、レイプシーンはちょっと前から条例でどうこう言われてるけど、今までは普通にあった。悪役の場面や悪いシーンとしてだが。一方カニバリズムは、少しでも出したらタブーとして、お詫びコメントが出ていた。http://kirarabunko.cool.ne.jp/www/yomimon/jikenbo.html 沖さやか
これから考えても、レイプは話として受け入れられるが、食人は無理という事で、レイプは普通の人が見ても、それを礼賛するわけじゃないけど、見られないシーンではないという事だと思う。異常者だけがする行為だとしたら、こうも受け入れられないのではなかろうか?
この人たちのこと:
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1659940.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/5730351.html
以下検証:
アジア向け「旅行情報サイト」。報道を目的とするサイトでもなければ、CNNが自社の見解を載せる場でもない。
CNN-GO日本語版に曰く: 「東京トラベルガイドで本物のTOKYOをエンジョイ。CNNGoが、東京の宿、食、飲、買い物、遊びを紹介」
また、組織・人員的にも別。CNN-Goサイト紹介によれば: 「私たちはCNNから独立した部門で、各地に独自の職員を有しています。」
著者は韓国在住のフリーライター。CNN-GOが「ご当地情報」をかかせるために雇っている現地の記者の一人で、間違ってもCNN本体の社員ではない。
そして、当のコラムがかかれたのは、「tell me about it...」という自由コラム的な欄で、雇われ記者たちがフリーに思いの丈を発言できる場。
・Roland Kelts「震災後の東京: これからどうなる?」
・Andre Vltchek「なぜ私は日本を旅行するのが嫌いか」
・David McNeill「誰が福島原発事故の真実を伝えたか」
要するに、せいぜい記者個人の意見であって、間違ってもCNNを代表する意見ではない。逆に、これがCNNの公式見解だとしたら、炎上するレベル。
id:rig これがまともなマスコミの対応だと思う。/別に大流行!って煽るのはいいけどさ、批判がタブーだったり、批判書いたら解雇されたりするのは絶対おかしいだろ・・・
id:iijuft 日本でこういう正論言うとクビになるんだっけ?
id:a1101501j 何故日本のメディアにはこの視点がないのだろうか?戦中の翼賛体制からなにも変わっていないじゃないか。今回は韓流だから可愛いけどこれが政治的スローガンに使われたらと思うとゾッとする
『米国CNN 「韓国メディアがK-POPは流行っているという嘘をつくのは不可解」』というまとめブログの釣りタイトルにかかって、CNNの報道だと勘違いしている。そして、このテキトーなトラベルガイドのコラムが「まともなマスコミの対応」であり、日本のメディアに必要な「視点」らしい。
(参考までに、この記事は海外(例えば日本)での韓流ゴリ押しを批判する記事ですらない。この記者は、世界ではまったく相手にされていないのに、国内向けの報道で大騒ぎしている「内弁慶な韓国メディア」を批判している)
・CNNが韓流を批判する報道を行った → ウソ。CNNが運営している「旅行情報サイト」のフリーコラム欄に掲載されただけ。
・韓流はアメリカでも嫌われている → ウソ。記事を書いたのはご当地記事を担当する「韓国在住のフリーライター」。
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「あいつうぜーわ」
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「みんなで一斉に無視しようぜ(笑)」
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標的、最初は「なに無視してんだよ~」と笑ってたが、徐々に無表情になる
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昼休みに爆発、「なんだお前らふざけんだよ!」「こんな事して楽しいのかよ!ああ!?」
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誰かがぽつり「だっておめーうぜーし」
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沈黙、「は?」「耳遠いの?馬鹿」、喧嘩勃発、かと思いきや標的をうざいと思ってた奴等が加わって一方的なリンチに
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「調子こいてんな!」「てめー前からうざかったんだよ!」「死ね!」「きめーんだよ!」
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教師登場、関係者が相談室などに集められる、全員で示し合わせて標的がいかにうざかったかを教師に話す
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一方的にボコったことは咎められたが、標的は教師にも目をつけらていた問題児だったのでちょっぴり配慮
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一ヵ月後、標的が自殺未遂を起こしたという噂が伝わり、ぜんいん爆笑
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更に三ヵ月後、標的がとうとう自殺
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標的の存在を思い出し、一同笑う、「んなやつもいたなぁ」「ようやく死んだか」「ざまぁみろ」「調子こいてっからだよ」
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ニヤニヤ笑いながら線香をあげにいく
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しばらくして標的の遺書を発見、クラスメイトの名前が書かれていた
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クラスメイトが一斉に青ざめる
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「いや俺・・・そんなに殴ってねぇし」「言い出したのはてめーだろうが!」擦り付けあいの開始
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クラスメイト同士の諍いが何度も起こる、ある男子が椅子でぶん殴られて病院送りになる
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幸いにも俺の名前は書かれてなかったが、怖くなったので学校に行くのが嫌になる
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家族にもバレて会議が発生、「本当なの?」母親に問われて白を切っていると父親に殴られる、喧嘩になる、家族との関係悪化
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学校と標的の家族の争いが加熱、クラスの雰囲気が最悪になる、登校拒否が相次ぐ
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虐めを見過ごしていたとして担任教師に攻撃が集中、担任が学校に来なくなる
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ついに最初に「あいつ無視しようぜ」と言い出した奴に攻撃が加えられる
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クラスメイトの溜まりに溜まった鬱憤の標的にされたのであっという間に病院沙汰になる
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なぜか俺も標的になる、箒の一撃を避けようとして指の骨が折れる
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俺も段々と死にたくなり、陰々鬱々としてるとグッドなタイミングで父親の転勤話が持ち上がる
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嬉々として飛びつき、転校する事にする
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クラスメイトから「てめー逃げんじゃねーよ」と言われるが、無視する
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当事者の一人だったので色々と面倒な事になりそうだったが、指を折られていたので被害者の顔をして逃走
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クラスメイト達との連絡を一切たち、新しい土地で過去を忘れて生活を送る
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懐かしかったので話す、「あの後どうなった?」
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「あいつの家族が慰謝料みたいなん少し貰って、あとはみんなどっかに進学してったわ」
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「地元じゃタブーみたいになってるし、あの学校じゃ口に出すだけでも怒られるらしいわ」
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一応決着みたいなのはついたんだなぁと思っていると、「・・・お前はどう思ってる?」と聞かれる
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「どうって?」「いや・・・俺、今でもたまに夢に見たりするし、嫌な記憶だなぁって」
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「後悔してるわ。あんな事しなきゃよかった」
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俺は考えて、言う
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「多少の罪悪感はあるけど、あれは元はといえば標的が悪かったんだし、もうずっと昔の事だから、今更どうとも思わない」
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相手は少し黙ったあと、「そういうもんかな」と言う
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別れ際、「別のやつともたまに話したりするんだけど、やっぱり皆、あの事を後悔してたりするんだよな」
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俺は苛ついたので言う、「だったら最初からあんな事しなきゃよかったじゃねーか」
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今さら、10年も前のことを思い出したくもないけど、最近よく思い出すようになる
確かに、これは気分が良くないな
日本人は欧米人に大きく影響される。日本人は彼らの清潔さ、綺麗さ、美しさを取り入れ、それを自分たちの常識とする。
一方、それに対する価値観までは取り込むことができない、場合が多い。
美醜感だとか、汚潔感だとか、善悪感だとか、そういったものが相対的に不十分であるのだ目指している、憧れている善、潔、美に対して。
だから、その裏返しとして、悪、汚、醜へ上手に対峙することができない。
それらを漠然と、暗いもの、タブー、語るべきでないもの、と見做してしまう。これはどういうことか。
つまり、悪、汚、醜に立ち向かうことをせず、謂わば見て見ぬ振りをしておしまいにしてしまう事なかれ主義に安んずるということだ。
逃げているのだ、おかげで戦いもせず、乗り越えることもできない。
結果として、このような悪、汚、醜、に関する不具合、問題が生じても解決できないのである、それどころか見て見ぬ振りする逃避が主な解決策であると思い込み始めてしまいすらする。
この例は、日本人という蟻(専らよく働くから働き蟻、といったところだろうか)の身近に在る蟻地獄であり、
それはたとえば性犯罪である。被害者が訴えてもその声が聞かれないのは、そもそも周囲が聞こえない振りを大いにしている可能性が考えられる。
と、こんなことは日本人の間には無いだろうか。
一部の人は知っているが、ほとんどの人が知らない、お笑い界で行われている継続的な実験について、書いてみようと思う。
お笑い界というのは、そのまんまの意味で、「お笑い芸人などが中心の芸能界の一つ」である。吉本興業とかが中心のあれである。
そこで行われていた、ある実験について語ってみようと思う。その実験とは、至極簡単で
である。
この話は、別にタブーではない。なのにも関わらず、さほど語られない理由は、ただ一つ、実験の結果がでていないから、としかいいようがない。
それでも複数回の実験をしたことで、結果の傾向はでていると私は思っている。お笑い界の内部にいる人間が語ることはできない。しかし、私のような人間が語ることで、何かの知識の共有になればと思い、筆を取った。
「お笑いのスターとは何か?」という問いに対しては、業界的な答えはない。お笑い関係者は、それぞれの個人的な意見を持っているが、どれが正しいかの答えはもちろんない。議論は交わされるが、それも酒の肴以上の価値はなく、個々人が正しいと思うことを思っているだけである。
私の個人的な定義としては、「あらゆる道具を使って笑いを生み出すのがうまい」がお笑いのスターの定義だ。
お笑い芸人には二通りの人間がいる。一つは「お笑いの道具になる」人間で、もう一つは「他のお笑い芸人も道具として笑いを生み出せる」人間だ。
たとえば、一発屋と呼ばれるような芸人は前者だ。爆発的な笑いを生み出すことができるが、しかしそれは道具としての価値なのだ。道具は浪費され消費され摩耗される。要は自分を切り売りして笑いをとっているのだ。最終的には自分という財産がなくなって、芸人として生きていけなくなる。
後者はダウンタウンやくりぃむしちゅー、爆笑問題などがそうだ。他の芸人をいじったり、司会をやったりして、笑いを生み出すことができる。もちろん、自分自身を道具として笑いを生み出すこともできる。映画やコントを作ることもある。要は周りの道具をうまく使えるプロデューサー的な立ち位置になれるタイプのことだ。
このタイプは一握りだ。しかしその一握りの立ち位置になることができれば、かなり芸人としての息は長くなる。それがスターと呼ばれる芸人たちなのだ。
そこで、スターは作れるのか?という話に戻る。うまく道具を使えることができれば、スターになれるのだ。
しかし、うまく道具を使えるようになる、というのは実はコストがかなりかかってしまう。簡単に言うと、「道具を使える」という立場になるまでは、自分を切り売りしながら笑いを生み出し、自分の価値をあげていき、司会などの仕事をとることで、道具を使える立場をとらないといけない。
つまり、道具を使えるようになるまでのステップはかなり険しいため、事務所にとってはコストの高い投資になってしまっていたのだ。
そして、なんとかショートカットをすることができないかという実験が行われる。オリエンタルラジオだ。
以下のサイトが非常によくまとまっているので必見だ。一部だけ引用してみる。
中田「僕の中での整理の仕方なんですけど、吉本興業の中での実験だったんじゃないかと思うんですよね。‥テクニックもキャリアもなくてもそれで成立するんだったらビジネスモデルとしては正解じゃないですか。コストがかかってなくてパフォーマンス得れるんですからそれが成立したらそれをどんどんやっていくつもりだったと思うんです。」
http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20101123#p1
オリエンタルラジオ中田は頭がいい。実験の中身を見抜いていた。
実験とは、簡単に言うと、道具として使える技術的能力があれば、場さえ与えればその役割を果たせるのではないかというものだった。
オリエンタルラジオには才能があった。いまの活躍を見てもわかると思う。頭がよく、場を回せる才能があり、話術がある。つまり、技術はあった。しかし、不思議なことに、お笑いのキャリアがない人間はどうにもうまくいかないのだ。
これはなぜだろうか。答えはもちろんない。
私の個人的な意見では、いわゆる自分の中の「エネルギー」の量の問題だと思っている。
いわゆる芸の肥しという言葉がある。そういうものが大量に蓄積されていないと道具の使い方がワンパターンになってしまう。つまりは、内部に貯めた知見のようなものが大量にないといけないのではないか、という仮説だ。芸人として、いろいろなことをやり続けてエネルギーを貯めなければ、道具を使いこなすことができないのではないか。
もちろん、実験はこれで終わりではない。経験がすべてだという答えで終わらせるほどお笑い業界は甘い業界ではない。お笑い業界は常に進化し続けているのだ。これからは、どのように知見を効率良く試させるかの実験が行われていくだろう。
パソコンと向かい合っていて、作業の合間に行き詰まったりするとついちんこをモミモミする癖があった。
どこぞの芸人だったか忘れたけど、ヘソをほじってなんたらかんたらみたいな感じだった。
始めはヘソの周りに生えていた毛を剃った。そして、次に乳首の周りに生えていた毛も剃った。
とにかく、むだ毛が生えていると、それを無意識に引っこ抜いてしまうのだ。
で、ちん毛にいたってはもう片手でがしっと握って、何本かよく引き抜いていた。
ちんこをもみもみするのもこれに近い。
ただ、最近股間周辺の毛があまりにも毛深くなりすぎて困っていた。
なぜなら尻はもちろん、玉袋、果てには太ももの裏側にまではびこっていたのだ。
まるで真っ黒なビキニだ。嬉しくない。
そして、暑くてイライラしていたのか、作業が捗らなくてイライラしていたのか、ついカッとなって剃った。
まずはちんこの周辺が円形になるように剃った。
なんだか恐ろしくなったというか、今までタブーとして触れずにいた部分に手をかけてしまった恐ろしさがあって。
少し雑だけれど、まだ割と剃り残しがある。
そして一日経った。
なんか剃った瞬間からすごいチクチクしてた。当たり前か。普段こんなところカミソリ慣れしていたらおかしい。
剃ってスッキリしたはずだったが、それでも剃り残した部分を(無意識に)引っこ抜こうとしていた。
もうこうなったら覚悟を決めるしかなかった。
剃った。あまりにもあっけなかった。今度はもう妥協なく全部剃った。パイパンである。病気の人はごめんさい。Wikipediaみたら実写あって驚いた。
今も若干チクチクしているが、なんだか新鮮だった。
心も体もおっさんのはずなのに、体の一部分だけ9歳の少年に戻っている。
ただ、なんかもうここまでくるとすごくスッキリしている。が、やっぱりなんとなく情けなくもある。
無理を承知で剃ったのだが、なんだか今まで生きてきて蓄積されてきた叡智すらごっそり抜け落ちた気分だ。
普段は髪も切れば、髭も剃らなければならない。ただ、局部は残しておかなければならない。
電通のコンペで燃やすために残しておくため?
まあ、こんなところは滅多に人様に見せることもないのだし、無駄な癖が治るのだとしたら、これは英断だったと信じたい。
ちなみにまだ唯一残している部分がある。意図的ではないが、それは腋だ。
ここは人によっては剃れと推す人も多い。女性に至ってはもはや必須。
ただ、ここも暇なときによく引っ張っているのだが、これはうまく剃れるか心配である。
なんか腋のことを思ってこんなことを書いているからか、腋から汗が湿ってきた。
でもトイレも最近は座って用を足す人の件があるし、案外これも知らないだけで、意外と周りも剃っているのかもしれないな。
ただどんなに暗黙の了解だとしても母にだけは言えない。
そんな気がする。
あなたがその枠内で書いてないことを補足する。
・「万が一」の備えすらタブー
なんでそうなったかわかる?
広瀬とか小出とかみたいな職業的デマゴーグ、あるいは坂本龍一みたいなナイーブ文化人が「原子力=核=悪」という単純素朴な図式に乗っかって(太陽光だって核エネルギーなのにね)煽りまくった結果、原子力関係ではどんな些細なミスすらも許されなくなったからだよ。
原子力産業の従事者は「狼の番人」みたいなものだ。村に狼(放射性物質)が入ってこないように周囲の狼を退治するのが仕事の、ね。ところが村には「狼少年」が沢山いて、「犬が村の外を歩いていた」程度のことを報告しただけでも「狼だ!狼だ!」と騒がれてしまう。あるいは報告しなければ「隠蔽だ!」と騒がれる。そのせいで番人は「こいつら本当に頼りになるのか」と段々白い目で見られるようになる。「万が一のために村の入口に罠を仕掛けよう」なんて言った日には「お前は万が一にも、狼が村に入ってくることがあるというのか!そんな頼りない番人はクビだ!」と騒がれてしまう(保安院は長期電源喪失事故は「起こらないので対策不要」としたし事故対策用ロボットの開発を打ち切った。要するに批判を恐れた事なかれ主義的対応)。
そうなりゃ、もうどうなるかは目に見えてるだろ。番人だって村人を信用できなくなるんだよ。お前らのために一生懸命やってるのになんだその扱いは、狼のいそうなところは徹底的に駆除したのにその努力を認めてもくれないなんてやってられるか、となる。どういう場合に狼が現れるか、という検討事項とか、犬が村の中を歩いてた、なんて話はできるだけ隠す。そしてなんだかんだで自分たちの腕に自信はあるものだから、自分たちを批判する連中は全て無知な素人か、自分たちを嫌っている連中に見える(実際、多くの反原発団体は一部政治団体と結びついてイデオロギーありきであることないこと煽り立てていた)。
つまり、無知半分面白半分、あるいは私利私欲で「狼だ!狼だ!」と煽り立てていた「反原発村」の連中が「原子力村」の連中をわざわざそうなるように誘導したということはよく弁えてもらいたい。なんでも批判するのがインテリでリベラルだ、なんてのは大間違いなんだよ。
それでも「安全神話に騙されていた」なんて信じがたいけどね。少なくとも俺は心情的に原発に肯定的だった(今でもそう。自然エネルギーが「これから」の技術である現状、チェルノブイリよりずっと恐ろしい温暖化を確実に引き起こす火力よりマシだという考えは変わらん)が、それを口にするのがはばかられる雰囲気はもんじゅのナトリウム漏れやJCOのはるか以前からあったし、「原発は危険」というのがリベラルがかったインテリの「常識」で(イラク戦争は悪、とか小泉・ブッシュは最低のネオコン・ネオリベ、というのと同レベルの)、マスコミの報道、特に朝日・岩波・NHKはそれに沿った線だった。それに反対することは「愚民」扱いされることを覚悟するしかなかった。嘘だと思うならはてブを震災以前に遡ってみろ。
だいたい「絶対安全」なんて一度も聞いたことないぞ。「有史以来の自然災害でも起こらなければ事故リスクは天文学的に低い」とは聞いていたが。そして今回の地震が起こる前に「M9.0の地震が起こったらどうするんだ」と言われたら「そこまで極端なことが起こればそもそも原発どころの騒ぎではないはずだ、運が悪かったと思って諦めるしかないだろう」と言っていなかった自信は、正直言ってない。「推進派」が信じていた「安全神話」なんてその程度だ。
これは嘘。「危険を唱える科学者」の多くは原子力の専門家ではない、要するに素人だし、原子力畑の小出や今中が「排斥」されたのは単に査読付き論文書いてないから。平たく言えば「仕事しない給料泥棒」だから。しかもその給料の出所は税金だから。
民間企業の研究所なら論文も特許も出さない技術者なんてよくて左遷、悪くてクビ。それが定年までいられるんだからむしろどんな「お手盛り厚遇」だって話だぜ。国の金で自分のやりたい政治活動できるんだから、三日やったらやめられないよ、あの立場は。
民族性に還元?なにその本質主義?そういうこというからお前らが信用なくすってわかってる?だいたいどの民族よ?日本は大和民族だけの国じゃないしそもそも東北はアイヌ系民族の土地だったってわかって言ってる?あんたそれでも左翼なの?
厳しい安全基準
↓
『安全神話』
↓
・「万が一」の備えすらタブー
↓
『原発ムラ』化
情報隠蔽体質化
↓
大事故
…と、なるからねえ…。
スリーマイル、チェルノブイリだけでなく、東海村の事故とかからも「事故対応」という意味では何ひとつ学んでない民族に、今後の好転が期待できるのか?という文系の素朴な疑問ですな。いくら理屈が完璧でも、人間が運用する限り不確定要素は消えない、ということは分かるはず。だから……東京の真ん中には原発を作れないんだろ?
つまり、原発にせよ何にせよ事故が起こることは大前提なんだよ。脱原発を批判するのも構わないけど、「エネルギー戦略をどうする」という批判を投げつけるときは、一方で、原発推進側が目を背ける「事故を前提にしても推進なの?」という疑問にも、真摯に向き合うべきだと思うな。「事故は絶対起こらない」だって?…それは神話だった、ってもうみんな知ってる。
医学部に限らず、国立大学全般に言えるんじゃないのかなって思う。
私立大学だって私学助成金を貰ってるから程度の差はあれってことだけど。
奨学金みたいに回収を前提とした資金投入じゃないとダメなんじゃね?
欧州みたいに大学の学費をもっと安くしろっていう人たちはどう考えてるんだろう?
高学歴でニートだって本人はいいかもしれんけどさ、投資する側としちゃ、投資効果がないと判断せざるをえないでしょ。
まあ本人がそれでいいならいいと今書いたばかりだけど、好きで選んだ道なのに、もっと(博士の)仕事が溢れてるべきだとか、もっと高い報酬が得られるべきだとか、そういう文句まで社会に垂れ流してるわけでしょ。
そりゃ科学技術立国には高等教育は重要だと思うけどさ、なんとなく予算を垂れ流すだけじゃ還元されていかんわ。
教育現場は思想の中立って建前で、社会のために生きるとかはタブーだもん。
中立どころか寧ろ左寄り