はてなキーワード: セブンとは
旦那がスーパーセブンという凄いクルマを買ってきて怒っている増田を昨日みた。
http://anond.hatelabo.jp/20170508181335
コメをみるとなぜか元増田が叩かれ気味だけど、これは旦那が悪いだろ。
「プリウスを買った」と嘘ついてたというのは論外だし、仮に嘘をついてなかったとしても、いきなり変なクルマを買ったらそりゃ揉めるわ。
※最初俺は、「プリウスを買ったと嘘をついてた」という部分を見落としてたので、以下は「嘘をついてた」という背景はない前提で書いてます。
いくら「任せる」と言われても、最終確認ぐらいはしてもらってから買わないとダメだ。
嫁も乗せて日常生活に使う前提のクルマを買うなら当然そうだし、それとは別に純粋に趣味のクルマを購入するにしてもそう。
誰のおカネかとか、任せると言われたとか、迷惑はかけてないとかそういうことじゃなくて、夫婦生活において「嫁がイメージしていなかったようなこと」を無断でやったり勝手に決めたりするのは良くないわけです。
ところが男というものは、往々にして1人で決めてしまう。俺もそうで、勝手に色々決めてしまってそのたびに嫁が切れる。
「任せる」とか「好きにして」とかよく言われるのだが、それを文字通りに真に受けてしまったらダメなのだ。
女は、考えるのがめんどくさいし決めるのが苦手だから「任せる」と言っているだけであって、一応頭のなかに選択肢のイメージが漠然とはある。その範囲内で選ぶ検討作業と実行作業を任せると言っただけなので、どの範囲までが想定内であるかを、男は忖度しなければならない。
といっても女は往々にして、その選択肢の範囲がどっからどこまでなのかを、事前には教えない。なので結局は、「任せる」と何度言われたとしても、最終確認ぐらいはしてから決めるほうがいいわけです。
…と分かってはいても、「好きにして」と言われたら本当に好きにしてしまって、毎回揉めるという男も多いのだが(俺もそう)。
じゃあ男の希望が嫁の選択肢イメージの範囲外だった場合、男は常に我慢しなければならないのかというと、べつにそんなことはない。
ちょっと無茶な選択であっても、嫁の機嫌がいいときに相談してみるとか、ちゃんと段取りを踏めば、許可を貰える場合がある。
また、そもそも女は、「その選択肢が嫌だから怒っている」のではなくて、「想定していなかったものがいきなり目の前に現れることが不快で、それを勝手に決めた男に怒っている」だけということも多いので、事前に言っておけば案外OKだったりするわけです。
はてなには、「そんなのめんどくせー」「そんな相手と結婚する必要なし」みたいなことを言う奴が多そうだが、それは童貞もしくはスーパーイケメンもしくはたまたま性格が100%一致する相手に出会えた超リア充の考え方だ。スーパーイケメンや超リア充がはてなを使っていることは稀だと思うので、だいたいそういうコメント付けてるやつは童貞だと判断していいだろう。
ふつうは、希望は100%は一致しないし、相互に相手を思いやることでカップルは成り立っているので、自分のわがままが通らないこともあるし、相手のわがままを拒否することもある。自分のわがままを通したいなら段取りが必要で、自分の選択が相手にとって不快でないか常に注意するのも当然のことだ。
一緒に暮らすんだから多少の不自由は受け入れるのはふつうだし、さっきも書いたように、言うほど自由が制約されているわけでもなく、事前に相談さえすればOKであることも多い。
だから、何度「任せる」と言われようとも、ある程度大きな買い物をする時とか、大きな物事を決める時には、嫁の事前承認を得るようにするべきです。元増田の旦那も俺も、どうせまた忘れるけど。
バッグのバーキンとスーパー・セブンレプリカを製造していたバーキンは関係あったのかなと思って調べたが、関係なさそうだった。ただの自動車ジョークかな。
バッグのほうはエルメスの共同設立者でCEOのジーン・ルイス・ドゥーマス氏が女性俳優のジェーン・バーキン氏と飛行機で隣の席になったことで知り合い、後日このバッグ使ってよと贈ったのが起源。
車のほうは設立者のジョン・ワトソン氏がレーサーのティム・バーキン氏の孫だったので名前を拝借したようだ。増田で「ジョン・ワトソン」をクリックするとはてなキーワードのF1レーサー、ジョン・ワトソン選手のページに飛ぶがそれはまた別人。
「なんとかスーパー7?」のほうに重きを置いてロータスが作ってたクラシックカーのスーパーセブンを思い浮かべてコメントしてそうな人と、「400万だそうです」に重きを置いて新車で400万のスズキジムニーエンジンを載せたセブン160を想像してコメントしている人がいるけど、どっちを買ってきたんだろう?
オタクは自由で放任主義な右翼と親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。
左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。
その言説について思うところを描いていく。
ヘイトスピーチや所謂「言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である「他人の人権を侵害しない」という原則の問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈からの反論(1)や、大日本帝国時代の児童文学や新聞の規制が言論統制そのものに変化していった前例が示すように、原則、否定するべき物ではない。
また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトのラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。
漫画関係の表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。
これらの理由から、オタクが左翼的言説を嫌うことには一定の理由があることがわかる。
チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現の規制側に回っていた。猥褻物や公序良俗を使用した最高裁の判決に対しては、保守派を批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼が表現の自由に不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。
悪書追放運動以来漫画の規制では政府与党が応援してきた。悪書追放運動の主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である。
所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ。
84年の衆議院予算委員会で、マンガを規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。
漫画関係でも、保守派の麻生議員とかは、漫画の規制に積極的な人だし、東京都でのマンガの規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎が都知事だった期間だ(5)。
漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。
つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタクの趣味をポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタクの趣味をポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。
ついでに、戦前でも児童文学の表現に著しい規制が付けられていた。
表現規制の問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。
それどころか、この10年の間は、マンガの表現規制は保守の側から行われている。
だと言うのに、どう言うわけか保守層が放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。
幾度か、マンガの規制の法制化がされるときに反対に回ってきた共産党の立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガの規制するよう求めてはいたから濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。
にもかかわらず、左翼は教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制の法制化の歴史を紐解くと真逆としか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。
……本当に、どう言うことなの?
理由を考えてみると、実際の活動は兎に角、左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動の発言や、ウルトラセブン第12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマトや宇宙の戦士への批判(小説の批評・批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。
特に、ウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨の文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。
また、政府肝いりの団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。
恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。
その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク=人権を御旗に自由を侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識と化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。
00年代前半からの10年、警察や保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨の認識の影響は少なくない気がする。
余談だが、戦前の表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉や表現が問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。
実質的に、差別を助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定や差別の強化自体は問題にされてしかるべきだ。
キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題が解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。
一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者は表現規制そのものを問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判は積極的に行われてよい。
兎に角、「表現を規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現は問題ではないのだから、どんな差別的な表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈の正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか。
いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。
「どんな表現にも寛容な保守と、教条的で表現の規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制の歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯ものの理屈がネットの世まかり押し通ってしまうのは
・60年代の悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った
・「セブン12話」や「宇宙の戦士」批判など、容易な「左翼の抗議による作品の封印」の戦果に容易にアクセス可能
・00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識が流行した
・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用
と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。
(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法のエチュード」86~91ページ
(2)ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」483~484ページ
(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落
(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ
(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ
競馬界席巻の北島三郎vs大魔神・佐々木 対象的な馬主哲学 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
競馬を知らない人がこの記事を読めば「愛ゆえに成功した北島と金に飽かして勝つ佐々木」というふうに勘違いするのではないか。
しかし競馬好きには佐々木主浩のハルーワスウィート愛は有名である。
水:将来的に、ご自分が持っていた馬の子供を持ちたいという願望はありますか。
佐:それはあります。僕は尻尾のないハルーワスウィートという馬が現役時代から大好きでして、あの馬の子供は全部ほしいんです。吉田勝己さんが『こんだけ好かれたらしょうがない。佐々木君のもんだ』と諦めているくらいに。なので、その子供もずっと持ち続けていきたいですよ。
(ちなみにこのインタビューはヴィルシーナでGI初勝利を挙げる前のものである)
佐々木の持ち馬で最も賞金を稼いでいる三頭、ヴィルシーナ、シュヴァルグラン、ヴィブロスは、全てこのハルーワスウィートの子供である。
記事では「勝てる良血馬を数多く購入している」とあるが、所有馬リストを見ても年に一頭か二頭しか買っていないし、
その内訳もハルーワスウィートの子供であったり、かつての持ち馬であるグレイスファミリーの子供であったりしている。
佐々木の成功は、馬に対するこだわりや愛情が報われたものであると言っても過言ではあるまい。
馬主 佐々木主浩 の競走馬検索結果|競馬データベース - netkeiba.com
そもそも良血馬を買っても成功できるわけではないのが競馬の難しさである。
「勝利は金で買える」と言わんばかりのこの書きぶりでは、何十億も散財してつい最近までGIを勝てなかった某馬主にも失礼であろう。
最近なんかさ、
手放し運転してみたいし一回乗ってみたいわね。
自動運転の車って、
乗ってるときは自動で運転してくれて楽チンって感じなんだろうけど、
あれって、
ショッピングセンターとかに行ったとき、
駐車場駐めて、
駐めた場所忘れても
そういう風なのが便利かもねー。
そういうことって、いずれはできるようになるのかしらね?
さすがに
北海道から沖縄に迎えに来てくれって言うのは酷だと思うんだけど、
お買い物とかでは便利そうよね。
すごい未来だわ。
こないだ、
てっきり最新の映画かと思っちゃった。
ペッパー君に
あれって、
私が通ったことを認識してしゃべりかけてくれたのかしら?
それとも、
何秒かおきに呼び込みをする設定になっていて
とか、いろいろ思っちゃうけど、
画面のストップを押してねって言うの。
押してみたら、
ペッパー君が言うの、
今日のあなたのオススメはチョコミントのチャレンジ・ザ・トリプルですって。
チョコミント3段重ねもいらない、
悪いけど、
今日私はチョコミント3つもチャレンジする勇気は持ち合わせていないわ。
パチパチのは食べたかったけど。
帰ってアップルパイでも食べましょう。
なんか、
未来だなーって思ったわ。
こう思ったら、
サンドイッチばかりね。
まあ美味しいからいいけど。
なにか教えてもらいたいわ。
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
メビウスの41話「思い出の先生」はなかなかに過去の作品をリスペクトしていて
食いつぶせる遺産とは思っていないと思うけど…
俺も「思い出の先生」好きだし、ティガの「ウルトラの星」も大好きだよ。
古いとこだと「ウルトラセブン参上!」や「ウルトラの星光る時」なんて脳汁出まくるしね。(帰マン好きなの)
こういう愛に溢れた感じでたまーにやってくれるなら全然歓迎なのよ。
新作が始まるとYouTubeで予告だけは見るからどんなのかは知ってる。
ポケモンみたいに山ほどカードやら人形、ガジェットを持ち歩いてて、
「行け!ゴモラ!」「頼むぞ!タロウ兄さん!」みたいなのでしょ?
そこにはまったく愛を感じないね。カプセル怪獣じゃないんだから。
だよね。ライダーも同じだよね。
その後は買収先とバンダイナムコが主導で作ってる
以前はウルトラ大好きだったクチなんだけど、ここ10年くらいとんと見なくなってしまった。
マックスくらいまでは「先人達をリスペクトしつつ、新しいものを作ろう!」という志の高さが感じられた。
「第三惑星の奇跡」なんて「超兵器R1号」や「怪獣使いと少年」に匹敵する名作だと思う。
でもそれ以降、大集合映画を乱発したり、ポケモンもどきの大怪獣バトルやセブンの息子など
過去の名作たちを「困ったときに食い潰せる使い勝手のいい遺産」みたいな感じに扱いはじめたんだよね。
デザインもどんどんゴテゴテしていって、小物玩具を売るためだけの番組に成り下がった感が出てきた。
放映権もテレ東に移って、再放送なのか新作なのか良くわからない放送形態。それが嫌で見なくなっちゃったなぁ。