はてなキーワード: アジャストとは
デデンデンデデン!
デデンデンデデン!
私の前に座ったその女性は、
そして、何のためらいもなく、
痛みすらも感じないように、
自らの皮膚をはぎ取り出した。
嫌な砉(骨と皮とがはなれる音)がして、
彼女はニッと私に向かって微笑んだ。
私は彼女の期待をよそに
「あー、それターミーネーターで見た!うけるー!
って言うか、もうそれ超古典ベタベタなアンドロイドギャグやめて!面白くないし」
「えー、驚かないの?ちょっとは反応してよ~、んもー」
でも最近はジョイント簡単になったから付け替えも楽チンよね~。
私は、彼女の左腕のむき出しになった肩の箇所の細い奥に特殊工具をゴリっと差し込んで押し回すと
簡単に左腕をとることができる。
約3.5kgの重さ。
とれた左腕を彼女にポンと渡すと
今まで使っていた、その腕をそっと置いて入れた。
「最新のユニットだから、関節動きやすいかな?利き手変えちゃおうかな」
「そうね、こっちの方が作動音もほとんど全くしないから、いいと思うわよ」
「うれしー!」
「あとね、今は皮膚の樹脂のつなぎ目も
「ほんと?よかった~!
あれって時間が経つと着色してきて、つなぎ目が分かっちゃうんだよね、カッコ悪い!」
「リョウカイ」
「ふん!」
そう言ってる間に、
左腕ユニットを取り替えて、
樹脂の皮膚のつなぎ目の熱処理を終えたところだった。
人間だと、
熱を感じないと言っても、
熱センサーがあるので、
彼女は180℃くらいで処理できちゃうのね、と何も見ずにサラりと言う。
まるでその様が、
油の鍋に箸を入れて、
箸の先から出てくる、あぶくを見ると油の温度が分かる、
そういうところは機械的。
もっぱら「天ぷら」というのも今や古風で伝統的な調理方法だが。
天ぷらのにおいってどんなんだろう?
彼女の樹脂の皮膚のつなぎ目の処理をしていて、
微かに立ちこめる焼けるにおいを嗅いで、なんとなくそう思った。
そんなにおいとは、きっとまた全く違うんだろう。
ふと、彼女が言った180℃のワードが天ぷらの本に結びついた。
「ありがとう、またね」
そう言って彼女はにっこり笑って
手を振って部屋から出て行った。
私は、探せばあるだろう
古風な天ぷらのお店に行ってみて
それを食べてみたいなと思いながら彼女を見送った。
とりわけ朝から
でもさ、美味しい天ぷら屋さんってのも憧れるわよね、
ギロッポンのゴイスーなシースーのお店みたいに
敷居が高いわよね!2mくらいの高さ。
料理人が揚げたての具材を箸で私たちの目の前に盛ってのせるのって
憧りんぐ!
油っぽくなっちゃう。
すいすいすいようび。
今日も頑張ろう!
※別に質問してるわけじゃないけど、いらん苦労をさせられてるんで愚痴まじりに罵る。
ESET Family Securty体験版の有効期限が切れるっていうんで、アクティベートしようとしてるんだが、やり方が分からん。
既にパッケージをAmazonで購入済みで箱は手元に届いてるんだが、わからん。
■1:インストール済みのESET(体験版)のメニューに「製品のアクティベート」というボタンがあったから選んだ。
サブウィンドウが出てきて、
「認証キーを入れる」か「ライセンスを購入する」かの2択になった。
■2:箱を開けたが「認証キー」に類するものはない。「購入コード」というものが記載された紙ならある。しかしコレではなさそうだ。
■3:「製品認証キーはどこにありますか?」というヘルプ用のリンクがあるので押してみた。
「オンラインで購入した場合は電子メール、店舗で購入した場合はライセンスカードにキーが記載されている」
との事。
俺の場合は「店舗で購入」に分類されるので、そっちのはずだが、ライセンスカードなんて入ってない。
(字義通りに受け取るならAmazonで買うのは「オンラインで購入」ではあるが、その程度の空気は読む)
■4:おそらくこの「購入コード」というのをどこかに入力すれば、「製品認証キー」が手に入るはず、と予想を立てた。
「eset 購入コード 製品認証キー」でググってトップに出てきたキャノンのヘルプページを開く。
このかゆい所に手が届く親切設計。さすがGoogle。それに比べてキャノン・・・。
ttp://eset-support.canon-its.jp/faq/show/3853
と言われた気分で探す。
どうやら、下記の部分が該当するらしい。
1.「シリアル番号」「ユーザー名」「ライセンスID」のいずれか1つ
※ 「シリアル番号」の確認方法は、下記Webページをご参照ください。
[Q&A]購入コード、シリアル番号とは?確認方法は? (←リンク※1)
※1のリンクで『購入コード、シリアル番号とは?確認方法は?』のページを開いた。
■6:ヘルプページ『購入コード、シリアル番号とは?確認方法は?』の主張
ttp://eset-support.canon-its.jp/faq/show/314
もう一度ウォーリーを探せ!
必要なのは「漏れ無く網羅する事」じゃなくて「必要な情報に速やかにアクセスできる事」だと思うんですけど、どう思います?
という事は俺はユーザー登録をすれば良いということになる。
無いはずがない。
ページの右上とか、フッターとか、トップページの上部とか、ESET Family Securityのメニューとかにあるはず。
でも無い。
大馬鹿野郎。
■8:ユーザー登録ページを探す。
システムを人に合わせるのではなく、システムに合わせて思考方法をアジャストするのが技術者だ。
「※ 該当のメールアドレスが現在利用できない場合は下記Webページより、ご登録メールアドレスの変更をお願いします。」
「下記Webページよりおこなってください。
「メールアドレスの変更」や「ライセンス情報照会」を行うなら、
当然「ログインページ」に飛ぶはず。
ログインページには必ずアレがある。
■9:「メールアドレスの変更」ページの驚異的なイケてなさ。
なにこれ
ttps://canon-its.jp/cgi-bin/chg_email_inp.cgi
以前、「簡潔に要点を言え!」と上司に叱られたのを思い出した。
それにしてもナニコレ。
フルHDで表示しても画面下部のフォームが見えない懇切丁寧な説明文の羅列。
そしてページ下部のフォームにも、
「シリアル番号」とか「ご登録時のメールアドレス」とかはあるが、
「新規登録」どころか「メールアドレスを忘れた場合」のリンクすら無い。
■10:これがゴールへの鍵だ。
しかし注意深く見れば、ゴールはこのページ内に潜んでいる事がわかる。
3たびウォーリーを探せ!
下の製品をご利用のお客さま
ESET NOD32アンチウイルス Windows/Mac対応
※ パッケージ版を購入されたお客さまは、ユーザー登録時に利用または発行された「シリアル番号」と、ユーザー登録時に利用された「メールアドレス」を入力してください。
※ ダウンロード版を購入されたお客さまは、購入時またはユーザー登録時に電子メールで送信、または表示された「シリアル番号(ライセンスキー)」と、ユーザー登録時に利用された「メールアドレス」を入力してください。
※ 変更完了後、ご登録時のメールアドレス宛に案内メールは届きません。
※ お引越しなどで郵便番号や都道府県名などを変更したい場合は、下記をご覧ください。
ESET ファミリーセキュリティ をご利用のお客さまはこちら
ESET パーソナル セキュリティ をご利用のお客さまはこちら
ESET オフィス セキュリティ をご利用のお客さまはこちら
ESET NOD32アンチウイルス Windows/Mac対応 をご利用のお客さまはこちら
おわかりいただけただろうか?
「ESET ファミリーセキュリティ をご利用のお客さまはこちら」
の「こちら」がリンクになっているのだ。
■11:見ろ! ログインボタンがあるぞ! 「CLUB ESETにログイン」ボタンだ!
ttps://eset-info.canon-its.jp/support/register/family.html#change
なんか微妙に不安になる名前だが、多分「CLUB ESET」というのが、俺がアカウントを登録するべきクラブなんだろう多分。
■12:クエストは続く。
ttps://canon-its.jp/cgi-bin/index.cgi?ACTION_ID=UC1001_ACT_SHOW_ENTRANCE
これはひょっとしてアレか?
マクドナルドの業績悪化のニュースが頻繁に聞こえてくる。それは良いとして不思議なのが、反応の多くが「批判」であり(ヤフコメは勿論、はてブもそうである)、さらに批判の多くは「昔は良かったマクドナルドが今はこんなに・・・」という文脈なことである。「良かった昔のマクドナルド」は藤田田のマクドナルドであり、原田泳幸のマクドナルドである。そう。それはそれで皆さんが叩きまくった両社長のマクドナルドである。
たしかに藤田田、原田泳幸両氏は、終盤では手法が消費者から飽きられアイディアは枯渇し、施策の迷走が見られ、その印象から今では全否定のような書き込みも目立つが、日本マクドナルドを実力値以上に牽引してきた手腕は確かにあると思われる。日本の外食というのは生き馬の目を抜く業界である。古いビジネス流行語で言えばレッドオーシャンの代表格といえる。参入障壁がもっとも低い業界であり、個人経営店が大規模資本のチェーン店を向こうにまわして費用対効果込みで切り伏せるほぼ唯一の業界である。
外食業界では勝ち組と言われる企業ですら薄利であり、更には長く勝ち続けることもできない。「勝者なき血みどろの戦場」である。
・すかいらーくは低価格店ガストのヒットで上昇カーブの寿命を永らえたが2000年代には沈没し、野村、その後米国系ファンドに買収された。
・吉野家は倒産から立ち直ったもののBSE問題を契機に再度沈没しまるで今のマックのように経営不振を取り上げられ続けた。今は立ち直ったイメージがあるが前年決算は売上1800億円に対して最終利益はわずか9億円、何かひとつ事故なりあればあっという間に赤字転落である。
・吉野家を凌駕した業界の新覇者ゼンショーは労働問題を契機に沈没し昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
・創業から成長が小説にもなった立志伝中のワタミも労働問題を契機に沈没し、昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
モスフードは健闘しているかのように言われるが670億円の売上に対して最終利益はわずか6億円台。ロッテリアはファンドの傘下。日本ケンタッキーは昨年5億円の赤字、三菱商事が経営してこの状況である。ファミレス復活などと言われるロイヤルも1200億円売って最終利益は18億円。最近では東京ちからめしが彗星のように店舗を100店舗以上に増やし、彗星のように13店舗(たった今HPで数えた)まで減らしたことはまだ東京都民の記憶にあるはずである。なぜ堅実だった三光マーケティングが牛丼を焼いただけでイケると思ってしまったのか、理解に苦しむ。ロードサイドのハイエナ率いるステーキのけんも業績が悪化しているという。
このくらいにしておこう。キリがない。
マクドナルドは、システムは洗練されているが提供するものは十年一日の米国発ファーストフードチェーンであり、少なくとも食の世界では米国への憧れが消えた90年代以降にあって世界でもっとも厳しい日本の外食市場で今まで大健闘してきた、というのが正しい評価ではないかと思う。現在のカサノバマックの状況はちょっと酷すぎるが、原田氏後期の状況は不振というよりもそれが実力値であり、実力値にアジャストが起きたにすぎないと思う。ライトサイズまでリストラされて経営者変えればまたそれなりになるだろう。
1980年代くらいまでのマックは今のスターバックスのポジショニングであったのだろう(当時のことをよく覚えていないので想像だが)。当初日本で成功させたのが藤田氏であり、マックが日本で飽和し日常と化して飽きられた頃に再度息を吹き返させたのが原田氏である。原田氏も10年近くたって飽きられたわけだが、当時原田マジックは確かにあったのだ。2人に肩入れしているわけではない。私個人としては彼らの主義主張にあまり好感を持っていない。しかしながら事実の評価は正当になされるべきと考える。業績のかなり落ち込んだ原田マックを引き継いだはずのカサノバ社長が更に底なしに業績を悪化させているのは一つの証左である。日本の外食のプロでない人がなぜ経営できると思ったのか、過去に日本で勤務していたというがどこまで自身が現場で深く市場と格闘していたのか、本社のこの判断誤りは内部で責任を問われるに相当である。失敗が予想され、予想通り失敗している。アメリカやカナダとは市場がまったく違うのだ。
日本の外食を知っているやり手を経営者に据えれば原田マックの後期くらいには復活できると思われるので、外部に売却するというマックグローバルの方針のニュースを見たときには「え???早過ぎないか?」と思ったが、今後店舗整理で日本のマックはまだまだ損失を計上すると思われ、親会社決算に損失が反映されるのを避けたいのだろう。現在の持ち株比率は49.99%で連結はせずにおさえているけれど、損失は取り込まれるからね。持分法で簿かは切り下がっているから売却損も大きくは出ないし(更に優待目当ての個人投資家で株価は割高だというし)、立ち直って将来買いなおすと、キャッシュ的には安値で売って高値で買い戻すわけだから損だが、PL的には高値で買い戻しても損失が計上されるわけではない(のれんに計上されるだけで減損されない限りPL損は出ない。損を出す頃には次の経営者である)。米国投資家のEPSへのプレッシャーはとても強いし、短期思考の米国流経営ならではである。
日本の外食市場が世界で最も厳しい、というのは感覚値の話で、これを定量的にサポートすることは難しいが、ひんぱんに海外に出張する人なら同様に思うのではないかと思う。アジアを除く海外では安く食事できる外食の種類がそもそもあまりないし、ファーストフードの店舗は往々にして荒れている。店員の態度も、愛想があるないとか、そういったこと以前の水準である。下記のページをみつけたのだが、各国人口比のマクドナルドの店舗数が掲載されている。大量閉店前の2014年のデータではあるが、アングロサクソン系(US、CA、AU、NZ)以外の国では日本の人口比の店舗数が最も高い。一方食事のうまい国はおしなべて低い(FR、IT、SP)。日本は一応ミシュランの星数が世界最高だというので、食事のうまい国に入ると思われる。さらに内需の規模があるため群雄が割拠しており、サービスの品質もマックのマニュアルに頼らなくても非常に丁寧で高い。日用品市場で日本の消費者は世界一厳しいと言われるが、これはおそらく外食でも同じで、1000円以下の食事で定員の態度から清潔さからすべて完璧に近い水準を求めるのが日本の消費者であり、ライバルもそこで戦って鍛えられている会社たちなのである。
http://www.world401.com/data_yougo/mcdonalds.html
ところで本エントリを書きながらUSのマック本社の決算も見てみたのだが、今のレートでざっくり換算して、売上3兆円強、最終利益5700億円といったところである。たしかにこの3年ほど停滞しているようであるが、この絶対水準で業績不振と言われているのだからツライよな、と思った。
ありがとうございます。一番目の方にも二番目の方にも、的外れだと言われているので、あまり期待されると…w
A1:拒絶する。
■女性に期待するものがかなり高いようにお見受けします。理想が高いというやつですね。
A2:違いがある。治安が乱れない程度には保障したほうが良い。内容は基本的に男女平等でよいと素人考えでは思う。
■機会の平等と結果の平等の差が認められるというのは、現実とある程度アジャストしておられるのではと推察します。
社会保障については、とても残念なのですが「現状できることまでしかできない」という特徴がありますので、
財政赤字が膨大になっている日本では限界がいありそうですね…個人的にもとても残念に思っています。
A3:思いつかない。
A4:人に興味が無いから。
A5:思わない。
■全体的に熱量が低い方なのでしょうか。一時期よく言われていたような草食系という感じというか
自分のリソースをわざわざ割いてまで人とコミュニケーションを取ることを重たいと感じているのかもしれません。
欲を封じた状態で特に大きく不満がある様子もありませんので、行動と心情にあまり齟齬がないのでしょう。
ただし人間はつねに矛盾する生き物でもありますので、 ひょっとしたら「あのブドウはすっぱかったんだ」という気持ちが
心の中に潜んでいる可能性もあります。行動と心情の齟齬がない生活は「色々楽な生活」でもあります。楽を求めて熱量(欲)を抑えている可能性もゼロではないです。
どのみち、熱量の低さについて、他人である私が善し悪しを決める権利はありませんが。
■異性愛者の男性には一番多い回答なのではと思います。男性のホモフォビアは心理的にはごく普通に起こりうることだと思いますので。
上の質問でもそうでしたが、やはり行動と心情の齟齬が少ないので、他害的な傾向が小さいように思います。
本当に個人的なので恐縮なのですが、感想を申し上げますと、まだ(実年齢というか経験年齢が)お若いのだろうか、という気もしました。
人に興味がないという言葉を文字通りに受け取れば、自分だけの人生が充実しているとも考えられますが、
あるいは、他を知ることで自分が変わるのを潜在的に恐れている、または、まだ(経験年齢が)若く自我を作っている途中である、などの可能性もあります。
自我の構築は人格形成上とても大切なことで、多くの人にとって避けられない「他者との交わり」において、嫌なことから自分を守る盾にもなりますが
そのまま巨大な砂の城を作っているだけになってしまうと、とても残念だと思います。これは個人的な気持ちです。
他害的な思考をお持ちではなさそうなので、生き方は個人の自由ではありますので。
どう分析されるんだろうドキドキ
■0.01%でも、私が指摘した「恐いから」「まだその時期じゃない」という気持ちが、ご自分の中にあるかどうか、深く心の中をもぐってみてほしいです。
何だかんだで、人とコミュニケーションを取るというのは、とてもエキサイティングな体験です。巻き込まれて変化していくのも、快感だったりしますし。
ただし、たまに、本当に他人とのコミュニケーションが不要だという方も、もちろんいますので、そういう場合は大きなお世話になってしまいますが
当時のみすぼらしい思い
嫉妬・恥ずかしさ・無力さ・なにもできない徒労感
つっかかってきた奴らへの恐怖感
設定は小学校のようだ
嫌な思いをさせられた人物ばかりが
またおれに、嫌な思いをさせてくる
いまのおれなら
こんなの黙っちゃいないのに
なにも行動しないへらへらしてるぐらいだ
すこし視点が離れる
包まれたモノのようにはっきりと見える
あの時の思いを
払拭したいがために
夢は見させるものだと思っていたが
そうじゃない
久しく忘れていた
あの頃感じた
あの感覚
あれは無くならない
ただ
あの感覚はあの当時
それらが見せていた、
一個の世界だったんだと見えた
夢は、その中でなにか行動を求めてきていていたように
思っていたけどそうじゃない
あの頃どんなに憎い相手にどんなことが
夢の中で行えるか、それにより自分の恐怖感を
克服できるそんな風に捉えていたが違う
離れた視点で見れるようになること
そのスタンスを取れるようになることを
求めてきていたんだと知る
なったときに感じる
あー、あ、やっと忘れていた感覚だったのに
また思い出してしもた。目覚めたら嫌な気分をひきずるわこれは
だけど、この時の思いを閉じ込めていたことで
今の日常の中で過ごす日々の中で
なにか現実味をおびておらず
ふわふわと足元がしっかりとしていない
それをその閉じ込めていた感覚と思い出の中に
あるように思えてならなかった
だけど、こんな思いをまた再体験するのがいやだから
見ることができなかった
いまそれが変わった。
認識が変わった。
忘れ閉じ込める事しかできないと思ってた
だけど側に置いておくことができる。
夢では視点が離れた時に
そんなパッケージされた
包みのような世界がずらりと
地平線のむこうまで
みんな生活しているんだ。そう感じた。
なにか真っ白な…
もうよく覚えていないや。
地平線まで無数のパッケージがならんでいるような絵だった
覚醒して、頭の中で整理をする
あの時かんじた嫌な感覚がまだ胸のなかでもやついている
思考が鈍りそうになる
はやく、夢を忘れる前に
素早く整理する
いまみたことを、そして
きっとこのチャンスはもう何年も先までない
経験でわかってる
いや、ここまで明瞭に感じたことはない
半分寝ぼけたような感覚が残っているうちに
残さないと
いま、夜中の2:12
まぁでも、そもそも、よその家の家事内容にケチ付けるなんて、大きなお世話だよ。
あなたの言っていることが本当に正しいなら、夫婦ともにガッツリ働いている夫婦が子供を作るハードルがどんどん上がるだけ
以前から、少子化を推進してるのは「良い母親幻想」に取りつかれた女たちなんじゃないかと思ってるんだけど、あなたがまさにそういうタイプだよ
ちょっと狂ってると思う。自分が暮らしている暮らしだけが「正しい生活」なわけじゃないよ。「正しい生活」なんてそもそもないんだし
発端のブログを読み返してみた方がいいと思うけど、普段は「ちゃんと調理するコース」だけど、奥様が入院したので「時短コース」に変更したとあるし
ずっと毎日ヨシケイ時短コースな人もいるかもしれないけど、その家で育てられた子供は全員ろくでもないなんてこと、傾向化はされないよ
子育てって、「これだけ親が手をかけた=いい子に育つ」なんて単純な構造ではないよ。手をかけすぎてスポイルされるってのも山ほど事例があるし
いろいろ考えてみた。思考の開始点は「とりあえず年収800万くらいにすればいいんじゃね?」だった。
たぶん「そんなことできるはずないだろ」という返事が帰ってくると思う。でもそういう年収の人は現実に存在するんだよな。できるはずがないのは、そのチャレンジが面倒だということにすぎない。もしかしたら不可能かもしれないけれど、不可能かどうかはやってみないとわからないのだから。しかしチャレンジが善であり正しいとも限らない。それは選択であり別の希望方向への行動もありうる。
そこからいろいろ考えた結果、以下の様な結論に落ち着いた。
増田は、面倒なことを避けて、楽なことを選んだ人生を送ってきたんだろうな。と。
その価値観で生きてきたんだから、今の結果――孤独であり比較的低い収入であり結婚適齢期はとうに過ぎ去り休日は暇つぶしのゲームだけをする――というのはまさに増田の望んだ結果なんだ。それは大喜びすべきであって、増田が苦しむことそのものが間違いだ。間違ってるのは増田の人生ではなく、増田の人生の受け取り方だ。
恋愛も人間関係も趣味も、それぞれ面倒くさいものだよ。むしろ面倒臭さを楽しむたぐいのものだ。
人間望まないものは得られないし得ても身につかないわけで、増田の人生は順当そのもの、ある意味順風満帆に見える。
このままおいておいても腐ってしまうので鮭の卵のように放流です
仮に1年間生きるのに必要な最低限のお金を家賃込み200万円、研究費50万円、学費50万円としよう。バイトの時給を1500円としても、300万円稼ぐには年2000時間、週40時間働かないといけない
@t もし病気もせず、家族も持たず、貯金も必要なければ、ね。
ただし希望はある。新興宗教を見ていれば解るけれど、とことんニッチな市場を追求すると、あなた一人が辛うじて食べられる程度の収益を上げられるだけのコンテンツを生産・販売することは、それほど困難なことではない。
「院生問題」が内部では永久に解決しないのは、意志決定権を握る教員にとって、院生が「競争相手」であるからだということを忘れちゃいけない。正義の味方を演じたいアホ教員たちは、「敵に塩」なんてバカなことは絶対にしない。必ず正義は勝たねばならないのだから。
最後に、これではあまりに夢がないので、「博士と就職」について、少しだけ書いておく。
「博士まで行って就職するのと、学士や修士で就職するのとどちらが良いか?」というのは、正直答えるのが難しい。職種や業種によってあまりに違うから。ただ、「どちらが易しいか」ならば、明らかに後者
私は幸運にもいくつかの企業から内定をいただけたけれど、国内企業はすべて書類落ち、外資でも1つの企業ではひたすら圧迫面接だった。いかに私がモラトリアムに浸かっているか、私の研究が無意味であるかを延々説かれる1時間×3セットは、鬱になりかけた。
もちろんその企業は落ちたが。
私を書類で落とした会社は全部潰れちゃえ。っていうか今後じっくり時間をかけてすべて潰す。
一言で言うと、私が内定を取れたのは、1. 頭の回転がとてもとても速いこと(いわゆる地頭) 2. 自分の研究をより一般的な体験として語れたこと 3. コンサル用の話し方へとがんばってアジャストしたこと これに尽きると思う。
結論から言うと、すべての博士学生がコンサルになれるとは思わないし、向いているとも思わない。私だって、実際は来年の4月になるまで解りはしない。だから、博士はコンサルを目指すべきとも、就職すべきとも思わない。
2. については、既に述べたので省略して、1.と3.について少しだけ書いておく。
一般に、採用担当者は大学や大学院での専門にはまったく興味がない。早い話がなんでも良い。
これから以降の話は、「外資コンサル」のみに該当することだから、注意。
彼らが興味を持つのは、1. 中高を含めた学校歴 2. 素早く的確な分析能力 3. 他の事例から解決策を持ってくる結合力(アイデア) 4. 人間的なおもしろさ の4つ。
1. については、博士は相当高くないとダメ。学部だけではなくて、中高もしっかり見ている。私について言えば、学校歴は問題なかったけど、文系であるが故にMcK社では「この人、数字の計算とか大丈夫なの?」という会話が裏でなされていたそうな。
2. については、「とにかく速く目星を立てて、それを検証する能力」が大事。研究だと、どれだけ時間をかけても網羅的であることが求められるけれど、面接ではそんなの求められない。速さと、常識的な範囲での網羅性。
3.は飛ばして、4.はすごく難しい。McK社には五大陸最高峰制覇最年少記録保持者とかもいたらしいけど、そういうのでなくても、「まったく違う人とでも、良い関係を築くことのできそうなイメージ」という感じ。
いろんな企業があるけれど、一般に博士の就職に対する風当たりは非常に厳しい。大学の中でもいろいろな妨害や誹謗を受けるし、外でも色物扱いされるのは避けられない。でも、それを乗り越えるだけの能力と精神力があれば、何とかなる。
先ほどの繰り返しになるけれど、私はすべての博士が就職できるとも、すべきだとも思わない。ただ、研究の道は一般に考えられている以上に厳しいこと、研究以外の人生もあって、まだ完全に道がふさがれている訳ではないということは、知っておいて欲しい。
多くの博士は自分の研究分野で素晴らしい業績を挙げ、自分には才能も努力もあると思っているのだろうし、それは間違いではないのだろうと思う。ただ、あなたの能力や知識、技能には、他の活かし方もあるのです。
日々の研究生活で視野狭窄に陥って、高いリスクを伴う研究の道しかないなんて思い込まないでください。また、自分を「外」へ開くことを恐れないでください。
私見ではあるけれども、穴の位置を気にするようになれば大人だと思う。もちろん、穴の位置っていえばベルトの穴の位置の話だよ。常識です。
いやまあベルトの穴の位置に一喜一憂する様はかえってみすぼらしいというご意見・ご要望はあるかとは思うけれども、ええい、だまらっしゃい。
言わせてもらうならば、穴位置にこだわる人間は「自分の基準/はずれてはいけない自分内基準」と「次なる自分の目標/なるべきゴール」を見定められる人間なのだ。
基準を定められる人間は自分を律することができるし、目標を定められる人間は変革のためにその方法・道筋を考えることができる。
ベルト穴を気にするようになれば大人、というのはこういうわけである。
一方で、便利さが人類を堕落させたことも言っておかねばなるまい。
コットンベルトによく見られるこのフリーアジャストなバックルベルトは自分自身を律するための基準穴が存在しない。その日、そのとき、その気分で位置が決まる。好きになった人が好きなタイプである。ぶらり途中下車の旅である。いい旅夢気分である。
とまれ、フリーアジャストなベルトを締める御仁どもはきまってふくよかか、またはガリガリであまったベルト端をだらりとさげちゃっている。
ふくよかな御仁は自分を律するという概念をもたないのだし、ベルト端をだらりさせてるガリガリ君は身だしなみに対する意識が低いということである。
基準(あるべき姿)を持たず、また目標(なりたい姿)を持たないということでもある。
コットンベルトに支配された彼らが大人になれるのはいつの日か。
それは私にもわからないけど、そういや中学のころベルト半分に折って両手でもって「バチーン!バチーン!」って鞭の音のまね!とかしたよね。いまでもやるけど。
病院の3分の1は赤字であるという話が出ている。
入院施設のある医療機関は、大きく分けて、通常病棟と療養病棟に分類される。
通常病棟においては、ベッド数と看護士の定数によって、7対1、10対1、13対1、15対1と区分されている。ベッド数に比べて看護士の数が多い病院ほど、急性期や手術対応を取る病院であり、看護士の数が少ない病院は、そういう病院を目指しているんだけど、地域に病院の数が多すぎて、患者の取り合いになってしまっていて、患者数が増えず、普段は看護士数を減らし、患者が増えたら補助看護士を取って7対1を目指すという状態になっていると考えて差し支えない。
通常病棟は、治療行為によって点数を稼ぐ病院とも言える。入院基本料が、7対1でベッド一台一日あたり15550円の売り上げが立つが、その金額と同等以上、できれば倍額である30000円程度の処置売り上げを付け、ベッド一台一日当り平均45000円の売り上げ(3割負担ならば13500円)を出さないと、成立しないと考えた方が良い。入院期間中に、点数の高い手術をしたり、自費負担の重粒子線療法をしたりといった事をやって、がばっと売り上げを稼げる日を何日か作らないと、達成できない数値である。
常に患者で満床になっているとは限らない事や、男女を同室には出来ない事等から、病床稼働率は高いところで95%が上限と見られている。それ以上になると、ベッド待ちの患者が他の病院を求め、商売敵が発生し、結果的に、患者を取り合って75%くらいまで稼働率が落ちる。10日で退院できる患者を、検査だなんだかんだと15日くらいに引き伸ばす事は可能であるし、それだけで、50%の病床稼働率を75%に引き伸ばせるが、当然、検査待ちで何もしない入院日数が発生するので13対1(入院基本料一日10290円)にまで看護士を減らす事になるし、やれる検査も処置も変わらないので、ベッド一台一日当りの平均売り上げは20000円程度にまで落ちる。
やれる検査も処置も決まっている以上、短い入院期間で退院させた方が、ベッド一台一日当りの売り上げは上昇するし、患者にとっても、実は、入院基本料が減る分だけ、支払い総額が下がるというメリットがある。
これに対し、療養病棟は入院基本料に処置費が全て含まれる包括式になっている場合と、通常病棟の一部が療養病床に指定されていて、安価な基本料に出来高払いの処置費が付け加えられる場合とに分かれるが、通常病棟に療養病床を置く事は、ベッド一台一日当りの売り上げの平均値を引き下げる事になる為に、患者が十分にいる病院では、常識的には設置されない。療養病棟に空きが無くて転院させられなかった時に、やむを得ず置く場合ぐらいである。療養病棟は、重病患者や痴呆が進んで移動すらままならなくなった人でないと、基本的には受け入れてくれない。というのも、症状に応じて売り上げが決まる為で、一番高い基本料が取れて(ベッド一台一日当り17400円)、かつ、手間のかからない患者を受け入れるのが、一番美味しいとなっている。ただし、そういう患者でも180日が経ったら退院させなければならず、それを引き取る家族は、苦労を背負い込む事になる。
通常病棟には、内科の他に外科や小児科といったほとんど全ての診療科を置かなければならないが、療養病棟には内科だけで十分であるという事から、患者さえ十分に居るならば、療養病棟専門にした方がメリットは大きいのだが、入院期間に通常・療養あわせて180日の制限がある為に、患者の確保が難しくなり、通常病院が療養病棟を持つという、一番売り上げに対してマイナスな手段を取らざるを得なくなっている。180日が経ったから退院させるという時に、家族が引取りを拒否するような事態を発生させない為には、大きな手術が終わったら、すぐに家族に引き渡した方が、スムーズに押し付けられるという現実があるためである。
このために、療養病棟を専業とする病院は、可能な限り通常病棟への転換を目指し、結果的に、患者の発生量に対して病院が多すぎるという事態を起こしているのである。
救急においてたらいまわしが発生しているという話や無医村・無病院町が発生しているという話と、病院が多すぎて赤字になる病院が増えているという話は噛み合っていないのだが、たらいまわしが発生するのは、産科や小児科といったハイリスク診療科の話であるし、無医村・無病院町が発生するのは、丼勘定の健康保険制度において収入と支払いのバランスから、請求した診療報酬がガシガシと削られて赤字になるのが原因である。正当な報酬が受け取れない事や、リスクに対する責任が理不尽である為に、病院が逃げ出したり、産科と小児科の医師が逃げ出したりとなり、病院が消滅し、たらいまわしになるのである。
医者といえども、自分や子孫の繁栄を願うのは、世人と変わらないと以前書いた(cf.[2007.5.1])。人口が増えている時代であれば、病院が増える事は望まれており、今の制度は、その目的にアジャストされたままになっている。人口が安定している状態や減少に向かう状態では、病院の総数を一定にしたり併合させて減らしていくという事が必要になり、制度と現実の間に、ズレが発生しているのである。このズレを無くす一つの方法が、病院の株式会社化であり、個人所有の診療所を病院、大病院へと拡大していくという考え方から、すでに存在する病院の株式を、医師として現役の期間だけ保有するという考え方への転換である。
多すぎる病院を、いきなり減らす事は難しいであろうが、やらなければならない事なのである。医療や介護が新産業になるという主張が本当ならば、赤字の病院や介護施設は存在しない筈である。数字は嘘をつかないが、人は嘘をつくのである。