私見ではあるけれども、穴の位置を気にするようになれば大人だと思う。もちろん、穴の位置っていえばベルトの穴の位置の話だよ。常識です。
いやまあベルトの穴の位置に一喜一憂する様はかえってみすぼらしいというご意見・ご要望はあるかとは思うけれども、ええい、だまらっしゃい。
言わせてもらうならば、穴位置にこだわる人間は「自分の基準/はずれてはいけない自分内基準」と「次なる自分の目標/なるべきゴール」を見定められる人間なのだ。
基準を定められる人間は自分を律することができるし、目標を定められる人間は変革のためにその方法・道筋を考えることができる。
ベルト穴を気にするようになれば大人、というのはこういうわけである。
一方で、便利さが人類を堕落させたことも言っておかねばなるまい。
コットンベルトによく見られるこのフリーアジャストなバックルベルトは自分自身を律するための基準穴が存在しない。その日、そのとき、その気分で位置が決まる。好きになった人が好きなタイプである。ぶらり途中下車の旅である。いい旅夢気分である。
とまれ、フリーアジャストなベルトを締める御仁どもはきまってふくよかか、またはガリガリであまったベルト端をだらりとさげちゃっている。
ふくよかな御仁は自分を律するという概念をもたないのだし、ベルト端をだらりさせてるガリガリ君は身だしなみに対する意識が低いということである。
基準(あるべき姿)を持たず、また目標(なりたい姿)を持たないということでもある。
コットンベルトに支配された彼らが大人になれるのはいつの日か。
それは私にもわからないけど、そういや中学のころベルト半分に折って両手でもって「バチーン!バチーン!」って鞭の音のまね!とかしたよね。いまでもやるけど。