はてなキーワード: 雑学とは
増田は唐沢がいなくてもそのうちアカデミアなサブカル論に触れたり唐沢のパクリ元に行き着いたりしたと思う。唐沢は他人の業績を簒奪することで生き延びてきた人、雑学の知識に関しても不正確(IRAに関してはスコットランドとアイルランドの区別すらしていないことが露呈した)。こーいう人を評価してはいけません、害悪にしかならない。パクられ元をきちんと評価すべき。
また唐沢は一番衝撃のあった1冊目『トンデモ本の世界』には実は参加していないし、2冊目にも3本寄稿という実績。http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/karasawa_elder/019.html
なのにと学会がブームになったのちにトンデモの名をつけた類似本を量産し、結果質を落とした張本人じゃないっすかね。
演劇に対してこれっぽっちも業績などないのに外部の尻馬に乗って大御所を批判することで「演劇界のご意見番」的な地位を確保しようとしたごく最近の事例でもわかる通り、盛り上がっているところにいっちょかみしてさも自分の業績があるかのように見せることが上手なんだよ。「最新のオタクコンテンツ事情にまったく疎」いのはそういうこと。
唐沢の著作を読んでたことを恥じる必要はないけど、唐沢の本が売れることで唐沢の懐に入った印税はもしかしたらもっと正当な受取人がいたかもしれないんだよねぇ。
西村ひろゆき「フランスでは運動会というものはないんですよね」
西村ひろゆき「それってあなたの感想ですよね?」 キョロキョロ
ワイ「...ったくw 次、堀江貴文」
堀江貴文「出席確認って必要?見れば来てないかぐらい分かるじゃん」
堀江貴文「無駄な行為をただ昔からのルールってだけで続けるのはおかしいだろボケ」
ワイ「う、うるせーこれが普通じゃい!(汗)」
ワイ「まったくお前らは...次、メンタリストDaiGo」
ワイ「おーい、メンタリストDaiGoー?」
ワイ「おいおいまたかDaiGo、今回からは遅刻にカウントするからな」
DaiGo「遅刻って必ずしも悪いことじゃないんですよ。ペンシルベニア大学の研究チームが2012年に行った調査によると遅刻するグループは遅刻しないグループに比べて20%ほど運動能力が高いという結果が出たんですよね。これめちゃくちゃ意外じゃないですか?」
ワイ「ったく、大変なクラスを請け負っちったもんだぜ...」
でもこんな暮らしもまあ、悪くはない、かな?
たとえば、会社の同僚・上司、取引先の方々の顔は覚えると思うんだよ
そして、どうでもいい雑談が必要になった場合に、それらをタネにその話を振ったりすると思うんだよ(相手に喋らせる)
実際に会話に使うかどうかは別として、趣味や誕生や社内で誰と仲が良いかも把握すると思うんだよ
会社の同僚・上司、取引先の方々の良いところ探しだってするかも知れない
プライベートで、会社の同僚・上司、取引先の方々に声かけられたら「あ?話しかけんな」って思うじゃん???
1円も給与が出ない上に偉い人に顔を売ることもできない社内の飲み会とか「ふざけんな金寄越せ、誰が行くか」って思うじゃん???
でも、世の中の人間好きな人たちはそうじゃないみたいなんだ!!!!
職場の人間のディテールに興味がないし、メリット・デメリットよりも俺/私が好きか嫌いかを優先するけど、
飲み会大好き!!社員旅行大好き!!バーベキュー大好き!!!!
たとえばさ、プライベートで見知らぬ人としばし一緒に過ごさないといけなくなったとするじゃん?
当然プライベートだからお金が絡まない。途端にありとあらゆることがどうでもよくなると思うんだ
相手の良いところ探しをする気も起きないし、逆にイヤなところもカウントしない、だって微塵も興味がないから
仕事に役立ちそうな情報、雑学として面白い情報があれば記憶するけど、それ以外の情報は外見含めて数時間で忘れ去る
でも、世の中の人間好きな人たちはそうじゃないみたいなんだ!!
笑顔で対応するかどうかはその時の本人の気分、または相手を気に入ったかによるけど、
自分にメリットがなくても相手の良いところ探しをしまくるし、自分に害がなくても相手のイヤなところを尋常じゃなくカウントしまくる!
なにを話したかは殆ど記憶しないけど会話の感情だけはふわっと記憶していて、相手の外見をかなり正確に長期間記憶している
後日、街中で声を掛けられて「誰だっけコイツ」って気まずい思いをすることになる
親族の属性と最近なにをやっていたか・興味を示していたかくらいは記憶するけど、それで終わりだと思うんだ、外見の記憶も曖昧
でも、世の中の人間好きな人たちはそうじゃないみたいなんだ!!
属性と最近なにをやっていたか・興味を示していたかはよほど印象的ではない限り忘れ去るけど、
自分にメリットがなくても相手の良いところ探しをしまくるし、自分に害がなくても相手のイヤなところを尋常じゃなくカウントしまくる!
なにを話したかは殆ど記憶しないけど会話の感情だけはふわっと記憶していて、相手の外見をかなり正確に記憶している
後日、声を掛けたのに気付かなかった とか どこどこで見かけた とか言われてウゼーなって思うことになる
たとえば、付き合い始めたばかりのカップルがいたとする
おそらく彼女は、職場では「疲れた」の一言では済まさず、ちゃんと自分の状況を正確に伝えるとはずだ
彼氏のことが大好きで、大好きな彼氏に気遣って欲しいから、甘えているわけだな (伝えるコストを払わない)
対して彼氏の方
これが、役員だったり取引先の接待だったら 『疲れた』 になる前にまず声掛けをすると思うんだよね
『疲れた』の状況とニュアンスにもよるけど「ヤベ」ってなって予定を変更・休憩だってすると思う
彼女という安心出来る相手だから気を張ってないわけだな (気遣うコストを払わない)
こんな感じで双方がコミュニケーションに必要なコストを払わないんだよ
コミュニケーションに必要なコストを払わないと不毛なやり取りをしてお互いに消耗するハメになる
コミュニケーションに必要なコストを払う気がないなら最初から一緒に過ごさなければいいのでは・・・?
コミュニケーションに必要なコストを払わず不毛なやり取りをして消耗しても人と一緒に過ごしたいのが
なぜかというと「少年漫画でできないことができる」一種の解放区だったから
メジャーな出版社は少年漫画、青年漫画とかの建前上の枠に束縛されていた
当時の男の子向けと言ったら
不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、不良、スポーツ、が王道
「どこに需要があるの?」みたいな扱い
しかぁし!
いい例が魔夜峰央とかだろうな。『パタリロ!』から美少年を取ってみろ
国際謀略スパイアクションにホラーに落語に……どこが少女漫画やねん
当然、少年漫画だったらますますもって編集者が相手してくれない
あと
萩尾望都や竹宮恵子が切り開いた初期やおい(「BL」じゃないぞ)ブームは
大いなる追い風となった
(当時の少年漫画でこれはなかなか受け入れられにくい)
そんなわけで吉田秋生のBANANA FISHみたいな怪作も成立した
1980年代当時の少年漫画がヤンキー臭いスケールの小さな不良バトルばかりの中
本物のピストル振り回して政財界の大物の大人と戦う少年の話の方が
よっぽど面白いだろ!! などと思った男子は俺だけではないはずだ(偏見)
小学生でも知ってるメジャーな存在となったのはやっと1980年代後半
これも当時の少年漫画誌だったら許されなかったよな…
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【追記1】
「『やおい』ではない」「『少年愛』では?」「『JUNE』では?」
すまん、少なくとも1970年代~1980年代中期「BL」という語句は
【追記2】
「少年漫画誌、青年漫画誌でも実験的なSFやらファンタジーやら作品はあった」
諸星大二郎や星野之宣などのような異才も取りあげた点は評価せねばならん
が、寺沢武一みたいな例外を別にすれば安定した長期連載は少なかった印象
【追記3】
「お前が言ってるのは『花とゆめ』とか一部の少女漫画誌の話だろ」
確かに当時も大多数の少女漫画は普通の中高生男女の恋愛物だったと思う
が、俺はそーいうのに興味なかった
【追記4】
その通り! 今にして思えば、虚淵やら奈須やらその他を輩出した
当時のエロゲ業界こそ、団塊ジュニア世代のオタク系クリエイターにとっての
(1970末~80年代初頭のような)古き良きボーナスステージだったんや
【追記5】
すまん(50歳)
どうでもいいマジレスすると
出版業界はバブル時代に広告収入モデルで雑誌の部数も刊行点数も極度に増えた
その後、広告収入モデルが機能しなくなって沈没が続いてるわけだが
***
(書店ではなくコンビニで売ってる紙質の安い雑学本がメインだ)
仕事の本数自体は極端に減っていなくても単価の減少は痛烈に感じる
10年ぐらい前は一冊の本を3人ぐらいで分担して2~4か月ほどで作って
20万円前後にはなり、それを同時並行で3本ぐらい回していれば生活できた
ところが現在は、同レベルの仕事では1本当たりの単価は2~4割は減少してる
そりゃそうだ、今や金を出して紙の本なんか読む奴は年寄りしかいない
(しょせんは無署名記事でも)たまーに一度担当した本に増刷が掛かり
***
歴史雑学本とか統計データ本とかを書くぐらいしかできる仕事はない
(直接インタビュー系は依頼されることがかなり減った)
これでも、勤め人をしていた当時のような人間関係トラブルはないし
文筆専業になる以前よりはマシな方だとは思う
仕事の場を紙の出版からネット媒体に切り替える気はないかって?
自分らの世代まではギリギリ逃げ切れるのではないかと述べている
その背景として、自分らより下の世代は今さら紙の出版を目指す者が
かなり少ないので、下世代に食いぶちを奪われる危険性が低い点が挙げられるが
それもどこまで楽観して良いものか……
皆さん異世界物漫画好き?なんとなーくだけどディープな漫画ファンには異世界物って受け悪そうなイメージだよね。
まぁどこからどこまでが異世界物とするかによって変わるとは思うんだけどね。いわゆる「異世界転生」「異世界転移」系の話ね。
ぶっちゃけるとweb小説原作のコミカライズって作画担当のLVがあまり高くない事が多いのでジャンル全体のイメージが安くなるよね。
でも自分はそこそこ好きかなー。買ってるシリーズは少ないけど無料で読む分にはまぁありかなと。(女性向けと小説はほぼ読んでない)
なんで好きなのかと考えると1つは「冒険」の要素が残されているからかな。アドベンチャー、探検ね。
ドラゴンボールの初期とかトリコの初期とか「この世界がどう広がってるのか?」ってのがワクワクすんのよ。まぁ期待はずれな場合が多いけど。
「出発点」はそれぞれの作品で少しずつズラしてるんだけど「魔法学院に通う」とか結局共通ルートに入ってしまうのがね…。
多分小説の時点ではそこらへん力入れた作品も有ると思うのでそういう作品こそコミカライズしてくんないかなーと思ってる。
もう1つは「RPGの再生産」としての異世界物が面白いって話。
ゴブリンとかオークとかステータスとかファンタジー特にファンタジーRPGのテンプレが使われるけどさ、そこに改良が加わってく(時には改悪も有るだろうけど)のが面白い。
魔物を倒すと魔石を落としてそれが価値があって売れるってのは少なくとも昔のRPGでテンプレではなかったはず。
ドラゴンが女性化とかスライムが女性化とかもそれほど無かったと思うんだよね。でもそれがいつの間にかテンプレに加わっていく。
ドラクエ・FFではLV上がると勝手に能力値が上がるけど女神転生とかでは好きな能力に振れる、とか一種の革命だったよなぁ。
そういう地層の積み重ねを今目にしてんだよね。皆ワンアイデアなりにどう変えようかってのをやってるのは同一レギュレーションのコンテストで競ってるみたいで面白い。
あとは個人的おすすめの異世界漫画を紹介しとくよ。なんかおすすめ有ったら教えて(男が読んで面白い女性向け作品とか)。
■異世界居酒屋のぶ
絵★★★★★ 話★★★★★
異世界+飯もの。緻密な絵で飯がちゃんと美味そう。単話~3話ぐらいの短い人情物だけど細かい話が積み重なって後につながる構成が上手い。
絵★★★★ 話★★★★★
テンプレを全く使わず独自の世界を構築してるの良いね。ものづくり系で雑学知識も入るの好き。
■異世界からの企業進出⁉ ~元社畜が異世界転職して成り上がる! 勇者が攻略できない迷宮を作り上げろ~
絵★★★★★ 話★★★★
主人公が未知の世界に挑戦してやろうという意気込みとワクワク感を持っててそれが伝わってくるのが良い。
絵★★★★★ 話★★★★
絵がかなりしっかりしてる。展開自体はそこまで尖ってないが絵の巧さによって非常に安定して読める。
絵★★★★ 話★★★★
テンプレなしの独自世界観。弥生時代っぽい感じのビジュアルでバトル中心。
■月が導く異世界道中
絵★★★ 話★★★★
テンプレも若干有るけど独自路線が強い。主人公がモテるけど引いてるのが好み。
■ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり
絵★★★ 話★★★★★
まず断っておくと、この投稿には望月教授およびその関係者を貶める意図は全くない。また、「IUT理論が間違っている」と言っているわけでもない。この投稿の主旨は「IUT理論ブーム」の現象の本質を明らかにすることである。
まずIUT理論は決して数学(特に整数論、数論幾何)の主要なブランチではない。「論文を読もう」というレベルの関心がある数学者でさえ全世界に数十人しかおらず、自称「理解している」のは望月氏とその一派だけ、そして理解した上でさらに理論を発展させようとしている研究者は恐らく数人しかいない。
もちろん、これは数学の研究分野として珍しいことではないし、研究者の数が少ないと研究の「格」が下がるなどということもない。しかし、abc予想を解決したというインパクトに比べれば、これはあまりにも小規模な影響でしかない。そういうものに、一般人も含めて熱狂しているのは、異常と言える。
繰り返しになるが、これはIUT理論そのもの、および望月氏とその関係者を貶める意図はない。
数学科の学部生や、数学の非専門家で「IUT理論を勉強したい」などと言っている人も多い。それは大いに結構なことである。どんどんチャレンジすればいいと思う。
しかし、専門的な数学を学ぶ際には、たとえば「可換代数と複素解析が好きなので代数幾何を研究したい」とか「関数解析が好きなので偏微分方程式や作用素環論を研究したい」というように、既存の知識や経験を手がかりにして専攻を決めるものではないだろうか。IUT理論に興味がある非専門家には、そういう具体的な動機があるのか。単に「話題のキーワード」に反応しているだけじゃないのか。
IUT理論の具体的な内容に関心を持つには、望月氏の過去の一連の研究に通じている必要がある。そうでない人がIUT理論の「解説」などを読んでも、得られる情報は
だけだろう。これに意味があるだろうか。そのような理解で「何か」が腑に落ちたとしても、それはその人にも、数学界にも何ら好影響を与えないだろう。
こんなことを言うと、「専門的な数学を学ぶには、その前提となる知識を完全に知っていなければいけないのか」と思われるかも知れないが、もちろんそんなことはない。時には思い切りも必要である。
しかし、望月氏本人が述べているように、IUT理論を既存の数学知識の類推で理解できる数学者は、自身を除いてこの世にいない。これは数論幾何の専門家を含めての話である。数論幾何の専門家は、一般人から見れば雲の上の存在である。そういう人たちでもゼロから勉強し直さなければ読めないのである。一般人がIUT理論の分かりやすい解説を求めるのは、1桁の数の足し算が分からない幼稚園児が微分積分の分かりやすい解説を求めるのの1000倍くらいのギャップがあると言っても誇張ではない。要するに、難しすぎるのである。
一方、数学界には既存の数学の伝統を多く汲んでいて、最新の数学にも大きな影響を及ぼしているような理論は数多くある。それらは、学部4年生や大学院生のセミナーで扱われたり、全学部向けの開講科目で解説されたりしている。数学を知りたい、または普及させたいと思うならば、そういうものを扱う方が適切ではないだろうか。
「IUT理論ブーム」が示すのは要するに、ほとんどの人間はある事実を説明した文章なり理論なりの本質的な内容に興味がない、ということだ。
彼らは、書いてある事実関係を論理的に読み解くよりも、抽象的な内容を脳内で自由に解釈することを好む。むしろ、理解できないからこそ、何か高尚なことが書いてあると思って有難がったり、満足感を得たりする。
この構造は疑似科学や新興宗教と同じなのである(IUT理論が疑似科学だと言っているのではない)。彼らはあくまでも自分の中で腑に落ちる雑学知識を求めているだけであって、数学を理解したいわけではない。そして、こういう人向けに数学や科学の知識を「布教」しても、社会への貢献にはならないと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%BD%A2
「満6歳の誕生日を含む日以降に最初に到来する4月1日から就学する」こととなる。
なので4月1日に満6歳になったタイミングで入学できる。としか読み取れないんだけど続けて次の文章になる。
よって学校法上の小中学校は原則として、同じ学齢(1学年)は4月2日生まれから翌4月1日生まれまでの児童、生徒で構成される事になる
よってと書かれているんだけど。私の見間違いですか?よらないよらない。
同じ行の最初に書かれている通り、当日を含めてるんだから4月1日生まれは同じ学年に入る。
他の雑学サイトも、当たり前だよねーみたいに書いてるけど全然理解できない。
4月1日に満6歳になるんだから、法律に書かれているように当日を含めてその日が、「満六歳で訪れる最初の4月1日」になるので6歳の誕生日とともに入学するはずでしょ?どこをどう計算したら早生まれになるの?