はてなキーワード: 阪急とは
私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。
私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれた名前の中には、地元で教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。
小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市で勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生のお話を聞いた。ある年の学校新聞の1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。
高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶を担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
高校を卒業すると、私は自分の実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族と散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっといたかもしれないな」と思った。
大学を卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元は神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。
ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。
彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校の社会の教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分が高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
私は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビルは2021年に高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダンな茶色のファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。
私は今日、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、阪神淡路大震災の記憶とともに生きる「最後の世代」だと言われている。確かに、地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっといたかもしれない。地元の同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分の人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。
記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害の記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これからも阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後の世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後の世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。
10代から20代の初め頃、ツタヤにはお世話になったので、少し寂しい。
みんなNetflixとかSpotifyとか、サブスク契約だろう?
その偉大なサービスを紹介してみたいと思う。
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あれは、全部オレのものだ。
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ツタヤ阪急伊丹駅前店にあるDVDとCDは全部オレのものである。
ツタヤは、コンテンツ特化型資産管理業をやっていて、オレのDVDやCDをぜーんぶ管理してくれていた。(書籍や一部ゲームソフトは除く)
今考えてもすごいビジネスモデルだと思う。
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音楽好きとか映画好きな輩が自宅の棚に膨大なCDやDVDコレクションを並べて悦に浸る、みたいな趣味あるけど、
オレからしたら、そんなの比じゃないね。コレクションのボリュームがそもそも違う。
あれだけの量のコンテンツを普通に購入したら数千万円はかかるんじゃない?
にもかかわらず、ツタヤのサービスを契約すれば、初期費用は、入会金の200円だけ。
それを払うだけで、あの広大なフロアに並ぶ大量のDVD/CDたちがオレのものになった。
しかも地味にすごいのが、このコレクションは徐々に増えていく。
新作が発売されれば、自動的にコレクションに追加される。特にこちらからオーダーする必要もない。
このサービスと契約するだけで、オレは常に歴史的名作から皆が注目する最新作まで、いつでも手中に収めている状態になるわけ。
サブスクだったらそんなの当たり前やん、ってなるけど、DVD/CDという物理メディアが全部自分のものになるっていうのは、
ある一定から上の世代にとっては、すごい夢というか憧れが現実になった感があるんよね。
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そうそう、ツタヤの店舗は店舗ではないと言ったが、実は、あれはオレの貸し倉庫だ。
それなのに、オレは貸し倉庫のオーナーに家賃を払っているわけではない。
ツタヤのすごいところは、ツタヤがそれを立て替えてくれているという点。
しかし、ツタヤはオレに毎月その立て替えた家賃を請求することはない。
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じゃあツタヤのキャッシュポイントって何? ってなるんだけど、実はツタヤは手数料ビジネスをやっている。
貸し倉庫に保管されているオレの膨大なコレクションの中から「今日はこれ観たいor聞きたいな」っていうタイトルをピックアップし、
枚数に応じて、払い出し手数料を払う。タイトルのリリース時期によって手数料の金額は変わるが、
最新作でもなければ、1枚1回300円だ。
初期費用200円、払い出し手数料を300円/枚/回払うだけで、あの膨大なコレクションが全部オレのものになったと思うと、
このビジネスやってるツタヤは慈善事業かな? って思うちゃうぐらい。
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それにだ、ツタヤは、なんと貸し倉庫にオレ専用のスタッフを配置してくれている。
払い出しの手続きはもちろん、膨大なコレクションをジャンル別に陳列してくれたり、
スタッフに聞けば丁寧に場所を教えてくれたり、一緒に探してくれたりもする。
オレが、いつ貸し倉庫に行ってもいいように、シフトを組んで複数人体制で対応してくれる。
正直、この手厚いサービス、こんな安い手数料でここまでやっていいの? って思ってしまう。
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あと、大きな問題ではないのだが、ツタヤと契約し、サービスの提供を受ける上で注意しておくべきポイントもいくつかある。
例えば、払い出し期間だ。新作なら2泊3日、旧作は7泊8日というように、貸し倉庫へ戻す期限が設定されている。
これは、所有者であるオレがDVD/CDを借りすぎて、自宅に溜め込んで汚部屋にならないように、という配慮だと思う。
せっかく貸し倉庫があるんだから、自宅に溜め込まず、ちゃんと元の場所に戻しましょうね、ってことなんだろう。
しかも戻し忘れないよう、期限をすぎた場合は追加料金が発生する料金形態になっている。
人間誰しも損はしたくない。これはヒトの心理を突いた、うまい仕組みだな、と思った。
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次に、たまに払い出そうとしても払い出せない時がある。
世間ではこれを「レンタル中だったから借りれなかった」と言ったりするそうだが、
オレにはよくわからない。だって、オレの所有物である。手数料を払うのに、払い出せない訳が無い。
これはオレの想像だが、ツタヤのスタッフがディスクのメンテナンスをしてくれているのだと思う。
馴染みのスタッフが定期的に、汚れたディスクは読み取りエラーになるので、定期的にクリーニングしている、と言っていた。
こういう時は、数日待てば払い出し可能になるので、特に問題はない。
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たまに、めちゃくちゃコアでマニアックな知名度の低いタイトルを払い出したくなることがある。
流石にツタヤが管理してくれているオレのコレクションにもない場合がある。
オレのコレクションに追加してくれるようオーダーを頼むことができるのだろうか?
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あとはそうだな、せいぜい対応時間が限られるところ。24時間やっている(やっていた)ところもあるらしいが、
多くの場合、深夜早朝はオープンしていない。まあ、これは普通の人にとっては特に困る問題でもないだろう。
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それぐらいである。
それぐらいのことを気をつけてさえいれば、初期費用200円、都度課金の払い出し手数料300円で、
今のサブスクサービスとは違う。視聴しようがしまいが、月々数千円取られるのとは違う。
もし、その月に払い出ししなければ、かかる費用は0円だ。
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正直、ツタヤはどこで儲けているのか謎だ。
いくつか客側に制約があるとはいえ、それがキャッシュを産むような制約とは思えない。
コンテンツの購入費用、貸し倉庫の家賃、光熱費、スタッフの人件費…
オレの払い出し手数料で賄えていたのだろうか?
その謎のからくりも、時代の趨勢とは合わなくなってきたのかもしれない。
寂しい限りだ。
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ところで、ツタヤはレンタル業を装いながらレンタル業ではないというのがここまでの話だが、
あれが実は本当のレンタル業というのも、あまり知られていない事実だろう。
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結論から言うが、メルカリのアプリに並んでいる商品。各商品には販売者とされるユーザー名が付されているが、
あれはその商品の担当スタッフであって、あのユーザーの所有物ではない。
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例えば、初めてメルカリでモノを売るユーザーを想定してみよう。
最初の段階では、そのモノ、なんでもいい、機種変更して余ったSIMフリーのiPhoneでも売ることにしよう。
そのiPhoneは正真正銘、その売ろうとするユーザー、ここではAとしよう。Aその人のものである。
しかし、これに買い手がつき、Bというユーザーに販売が成立すると、所有権はメルカリに移る。
Bが買い、Bのモノになったのではないのか?
そうではない。Bは、デポジットをメルカリに支払い、そのiPhoneを無期限でレンタルするのだ。
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次に、そのiPhoneを買ったBが、そのiPhoneに満足しなかった場合や、必要がなくなった場合はどうすればいいか。
簡単である。メルカリに出品すればいいのである。そうすると、また別のユーザー、例えばCとしよう。
ここで、最初に支払ったデポジットより安く売れた場合、その差額が、BのiPhoneレンタル使用料ということになる。
例えばBがAから50,000円で買ったiPhone。これをCに40,000円で売ったとしたら、BのiPhoneレンタル使用料は10,000円だったいうことだ。
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この仕組みのすごいところは、レンタル料が無期限という点にある。
通常、レンタル品は期限が決められている。1泊2日◯円、といった具合だ。
次のレンタル希望者との間でディールした金額との価格差がレンタル使用料なのである。
レンタル期間によって変動はしない。
この姿勢が、ユーザーのメルカリ参入をここまで促したのではないだろうか。
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不思議なことに、メルカリはレンタル品の返却を義務付けていない。
ユーザーが壊したり、捨てたりしても、弁償する必要はないのだ。
ただし、その場合は、先程の例で言えば、BのiPhoneレンタル使用料は50,000円ということになる。
このレンタル使用料を低く抑えるためには、メルカリに返却(出品)することが最短の近道なのである。
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さらに、先程のケースではレンタル使用料をBが払う形になっていた。
だが、時としてレンタル費用がゼロか、あるいはマイナスになることもある。
Bが50,000円で買ったiPhoneを、Cが60,000円で買うこともあり得るということだ。
この場合、BはiPhoneをメルカリからレンタルしておきながら、メルカリから10,000円をもらうことになる。
この費用の名目は定かではないが、逆にメルカリがiPhoneの保管管理費用として支払うのか、
あるいは管理CへiPhoneを発送する配送手間賃として払っているのか。
いずれにしても、こういうワンチャンもあるため、メルカリに参入するユーザーは多いのだろう。
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メルカリサイドからすると、ものすごく旨味のあるビジネスである。
まず、在庫を抱える必要がない。最初に商品をユーザーから買い取った時点で、
いつレンタルされるかわからない商品を仕入れて、いつ倉庫から捌けるかヤキモキする必要がない。
これは物販やレンタル業の経験がある人間からすれば、とてつもなくストレスフリーな状況だと言える。
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メルカリのシステムやアプリそのものを開発したり保守管理するエンジニアが必要だが、
商品を登録したり、商品の写真を撮ったり、商品の解説文を用意する商品管理スタッフ。この人件費がスパッと要らなくなるのだ。
2021年12月の時点で、累計流通商品が25億品を突破したという。
累計なので、ある時点でのアクティブ在庫数は不明だが、それにしても、それだけ大量の商品を出品するには、
通常であればかなりの人数のスタッフを用意しないといけない。
それをユーザー負担とすることで、バッサリコストカットに成功したわけだ。お見事である。
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在庫していれば、経年劣化するし、劣化しないように倉庫の温度湿度管理などがシビアな商品もある。
先述の通り、在庫しない、倉庫も不要なので、メンテナンスコストも必要ないわけだ。
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最後に、手数料。先程のユーザーA・B・Cの例では、わかりやすくするために手数料を省いた。
実際のところは、次のレンタルが成立する時点で、成約した金額の10%をメルカリ側が手数料として徴収する。
これは、いわゆる天引きという形になるので、取りっぱぐれがない。
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世の中の形ある製品。
それはメーカーが開発し、製造し、販売することで商品となり、最初の顧客の元へ届く。
ここまでは、一般的なことだ。
しかし、最初のユーザーがメルカリへ出品した途端、それはメルカリの所有物となる。
あとは、メルカリのプラットフォーム内で、ぐるぐるとレンタルが続けられるだけである。
たまにレンタルが成立せず、ユーザーが廃棄することもあるかもしれない。
それはユーザーがデポジット=レンタル料として確定するだけのことだ。
メルカリを覗けば、こんなものまで売ってるの? と思わせられるほど、多種多様な、