はてなキーワード: 精霊とは
そろそろネタバレしていいかなと思ってネタバレ有りで書くよ。最近はネタバレすぐされてフラットな気持ちで見れないから公開日から3日後くらいに行ったよ。例の騒動でフラットどころじゃなくなったので良かったよ笑
まず思ったのが、アナもエルサも含めて王族はカスだらけだなってことです。これは無印でもなんとなく思ってたけど2でそのカスさが血筋だなって思ってアレンデール国民マジ可哀相だなって…絶対住みたくない。
無印でもエルサとアナと両親は自分もしくは家族しか見えてなく自分勝手なことばっかしてたよね。
・城の人をめちゃくちゃリストラ
・王がいない期間でも貿易で栄えてた(執政ぽいおじさんが多分めっちゃ優秀なんだろね)
・パーティーを急にお開きにする
・夏を冬にしてしまったエルサがアレンデールが凍ってることに気付かない。ひきこもってたから「夏だけど雪山あるんやなぁ」くらいの気持ちだったの?国の地理を知らない王とか嫌だ
こんなことされてもアナが凍ってエルサが泣いてたときに空気を読んで悲しそうにする国民は健気。
話を2に戻します。
・原因もなんもかんも全部王族のせいだった
・祖父が死んだとき父親が子供だったからそこでもまた王不在時期があったと思われる。執政おじさんが頑張ってたんだ!
・両親の死の原因がエルサを助ける方法探しだった
・そもそも映画最初にアレンデールが危機になるんだけど、エルサのせい
・王も妹もついでにクリストフも被災後の国をほったらかしてエルサのルーツ探しへ(ハンスの方が優秀なのでは)
・アレンデールのためアレンデールのためってしょっちゅう言うけど、自分のルーツ探しの言い訳にしか見えない
・アナがダム崩壊させて津波を起こす。下流はアレンデールなので直撃です。霧を晴らすためだからしゃーないね!(エルサがアレンデール助けてくれるけどなんだかな)
・エルサは更にレリゴーしたので王やめる。アナが王になります。王がコロコロ変わりすぎ…(国民守るためったってもうそんなすることないだろ)
その他ちょっと悪かったところ
・秋感があまりない(日本人の秋と欧米人の秋の違いだと思うけど)
・クリストフいる?
・ダム崩壊して津波起きるシーンあるのに注意とか一切なかった。最近川が氾濫して死者がたくさんでたばかりなのに。
良かったところ
・エルサの最終形態が美しい
モアナ見習え
熱・炎を発する鎧が冷気に強いか熱気に強いかっていうのは結構分かれてるように思う。
例えばドラクエだと「ほのおのよろい」は冷気に強い。鎧の熱気が冷気を相殺するからって理屈でまあ筋が通っている。暑そうだけど…
モンハンとかだとこれは逆で、炎のモンスターの素材から作った「炎を宿した〜」みたいな説明文の防具は炎に強く、逆に冷気に弱い。これは直感的なようで実はよくわからない現象で、精霊とかそういう概念を持ち出さないと説明しがたい。ただでさえ熱い所に熱を加えられたらもっと熱くなるわけで、むしろダメージは増すはずだ。
熱伝導率が低い・断熱性が高いみたいな話だったらまあわかるんだけど、それなら冷気にも同じくらい強くあるべきなのではなかろうか。冷えると脆くなるみたいな話なのかもしれないが、そんなことってある?
十二月十五日、午後六時三十五分二十八秒、行き交う人の流れは荒れ狂う海原、僕はちっぽけで尊大な心を抱えて汚れた壁に一瞥をくれながら歩く!!歩く!!!歩く!!!!せせら嗤う彼岸花を踏みつけるが如く睨みつけ、暗闇の地下鉄を出ればそこは活動と欲望、愛と堕落、人間の腐る臭い、今日もまた手のひら一杯程度の幸せを壊れないように抱えて帰っていく非実在林、紛れて歩く聖母を退けて叫ぶ愛に誰もが気づいていない!!俺の声は何処にもたどり着くことなく!!劣等感、劣等感を劣等と思わずして優越に浸る幸せの人、俺は未だ劣等の底にいる、いつの間にやら優越に浸れるようになった者ばかりが下を向き電子の世界に閉じ込められたので、また上を向いたのは僕、辿り着く先は空、空の中で誰もが怒り狂って涙を流し大笑いしながら歓びの声を上げる!!死者数0、負傷者数86、今日はいい日だと呟く男の眼、何も映らない。何もない。毎日誰かがコンテンツ、明日は我が身かも知らぬ正義の棍棒を持つ者たちよ革靴に余る程の弾薬を詰め込んでいざ行かん!!隊列について発射準備、第3聯隊整列して聖人に続け!!!眼医者、蛸、林檎の精霊、髑髏と雨雲が君の家へとやってくる。
ブラウン管の中で大きな目を見た、いつまでもこちらを見つめては忙しなく視線を動かしたその目の面白いこと!!
もう三時半だ。アンナが横たわる風船のベッドに入る。黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒。
明日も生きていた。今がずっと逃げていく、自分から今が逃げていく、十二月十六日、午前八時四十二分三秒、それはもう過去に成り下がった時。カチカチという音を見つめた。静と動の間、可視化されたに過ぎない人工の過去と今と未来がいつでもみんなの周りに。
(疲れてきたのでとりとめもなく文章を書いた)
3Dでアイテム集めコンプリートし終え、2Dで最初からニズゼルファ撃破まで
※ウマレースはモード変更の再開ポイントで解禁されうるレースがクリア済みになるよう。たとえば増殖目的で「6つのオーブ」から再開させると、シルバー杯もクリア済みになり、むずかしい報酬の会心のカードは入手できない。
※3Dオンリーの称号は消えるわけでなく、ふたたび3Dモードにすると復活する。
アイテム増殖のためには、各キャラのどうぐ欄は空にしてからモードをかえたほうがいい(とくにグレイグは)。
オーブ6個揃えて、ラムダ長老に話しかけた時の主人公以外の6キャラのどうぐ欄が、ウルノーガ撃破後に過去に戻ったとき復元されることで、どうぐ欄においたアイテムが増殖される
3DSでできたセーニャ覚醒時の増殖はなし(DQ11Sでは、ベロニカのどうぐ欄アイテムがふくろにもどされる)
周回ごとにも増えるが、増殖もさせたいアイテム
2Dモードの初回だけ宝箱が開けられる、増殖もさせたいアイテム
「そろった6つのオーブ」から過去戻りするまでの時間がすくなく、開封済み宝箱が少ない2Dモードの方が、アイテム増殖に向いているだろう
注: 3Dモード、しばりなし、たねでのステータスアップ一切なし、消費アイテム不使用
目安: 10手
装備
目安: 12手
装備
目安: 3手
注: 「シーゴーレム」は、「クロスマダンテ」のあと300ダメージほど必要
装備
目安: 20手
装備
こちとら大好きなんだよォ久美沙織の癖がありまくりのゲームノベライズがよおォ!!!!!
お前らの小説ドラクエ(精霊ルビス伝説でもMOTHERでも何なら天地創造でもいいぜ!)愛を久しぶりに聞きてえんだよォ!!!!!
例の訴訟があったのも幸いに小説DQ5のここが好きって所を率先して一部だけ語らせてもらうから自分が語り足りてない所をお前らが語って聞かせてくれよォ!!!!!!!
付き添いでキリスト教の教会の礼拝に何度か参加したのですが、どうしても考えが相容れなくて困っています。
牧師にも直談判していくつか疑問をぶつけたのですが、細かいことだと言うのみでほとんど答えてもらえませんでした。
私個人としては不可知論(神や真理には人間はたどり着くことができない)であるが、世界は決められたルールによって動いていて科学的方法によって真理に近づくことはできるという立場(信仰?)です。
キリスト教のメインの主張の1つは、「旧約聖書・新約聖書が聖典である」ということであると思います。
福音派の聖書が全て正しいという主張を信じるなら、普遍史(聖書が叙述する内容に基づくキリスト教的史観から構成された世界史)が妥当だと思えますが、科学的な歴史(宇宙論、進化論)とは矛盾しています。世界五分前仮説などを持ち出せば(聖書には叙述トリックが用いられているとすれば)説明がつきますが、人類を騙すように世界を創造した神は、嘘のない聖書をもたらすとは思えません。
逆に聖書はストーリーであって字面とは違う本質を理解しなくてはいけないという主張をする人も多いですが、どのように解釈すればよいかのコンセンサスがとれるように思えません。
精霊によって正しい解釈は得られるという主張もありますが、霊感が得られたのか単なる思い込みなのかを区別する方法については語られず危険です。
教会で行われているのは、現代の常識に沿って聖書を解釈して活用しているようでしたが、もはや個人の思想を聖書の記述よりも上位に置いているように感じられました。
実際、「神は正しいので、戦争は間違っていると神は考えている」という主張をしていましたが、戦争は間違っているということの正しさについては語られませんでした。
変なことは教えていないと牧師は語っていましたが、もし聖書から真実を学べるというのなら、現代の常識と違う変なことこそを教えなくては意味がないのではないでしょうか。
また、牧師や信者の発言は、聖書に書いてあることそのもの、聖書を読んでいる人の間でコンセンサスがとれているもの、独自解釈のいずれであるかの区別がなされず、すべて同等の確度で成立する(あるいは自明の真実である)かのようになされていました。
さらに、説教の中で「この話を神様が今日私にするようにおっしゃいました」という主張がなされましたが、牧師には特別に神の指示があるのでしょうか。
この発言を許すと、神の名の下でのテロリズムを否定することも難しくなりますが、特に誰からも反論が出ていないようでした。
牧師に尋ねたところ、教会の上層部がこの発言を許したから間違えていないという答えを得ましたが、納得がいきません。
私のような素人の思いつくような疑問に対しても、過去の事例などを教えてくれず、信仰すればわかるが説明は難しいとの答えが返ってくるのみでした。
すでに我々は答えにたどり着いているので批判に対応する必要がないというスタンスのように思われました。
嘘も方便という東洋哲学的な思想も理解はできるのですが、キリスト教では嘘をつくことは良くないという教えのようでした。
もし相手を幸せにするためなら騙してもいいという考えで嘘の理屈を話していたとするならば、詐欺として訴えるのが妥当だと考えています。
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じだが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない。肩からは百の蛇の頭が生え、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた。
半人半蛇だけど「炎を吐く邪悪な蛇」のイメージにはなっているかも。
ラードーン(古希: Λάδων, Lādōn)は、ギリシア神話に登場する、林檎園の黄金の林檎を守っていた、100の頭を持つ茶色いドラゴン。
(中略)
口から炎を吐き、一説では顎の関節が尾にある為、体全体が口のようになっており、百の首を持つといわれている。
と、Wikipediaには書かれているが、ラードーンが火を吐くかどうかは定かでない。
何が出典なんだろ?
『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。
『ヨブ記』によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほどで、口から炎を、鼻から煙を吹く。
(中略)
その姿は、伝統的には巨大な魚やクジラやワニなどの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や(それに近い形での)竜などといった形でも描かれている。
ドラゴンになったのは後世。
プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。
(中略)
プリニウスの『博物誌』10巻には、サラマンドラは斑点を持つ小さなトカゲで、雨が降ると現れるが晴れると姿を消し、体が冷たく火に遭うと溶けると記録されているが、これはサンショウウオに関する記述と考えられている。
また、『博物誌』11巻にはピュラリスというキプロスの炉の炎の中でしか生きられない動物が登場しており、精霊のサラマンダーはこちらに近い。上記の通り、炎を操る特徴からファイアー・ドレイクと同一視され、ドラゴンとして扱われることもある。
『ベーオウルフ』が成立した時期は、作品内部にも外部の言及としても成立の時期を特定する記述が存在しないため、必ずしも明らかではないが、8世紀から9世紀にかけての間に成ったと考えられている[3]。
第一部でベーオウルフは巨人(ドラゴンとも言われている)グレンデルとその母親と戦い、第二部では炎を吐く竜と死闘をかわす。 なお、インパクトが強くかつ謎の多いグレンデルとその親に関しては言及されることが多いが、炎を吐く竜に関してのものは少ない傾向にある。だが、同時にいわゆる「ドラゴンの約束事」(財宝を蓄え守っている、翼を持って空を飛ぶ、火を吐くなど)をほぼそろえている珍しいドラゴンでもある。
スラヴ民族は文字を持たなかったため、伝えられた神話を民族独自に記録した資料は存在しない。スラヴ神話が存在した事を記す資料として、9世紀から12世紀の間に行われたキリスト教改宗弾圧の際の「キリスト教」の立場から記された断片的な異教信仰を示す内容の記述が残るのみである。スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。
ズメイ・ゴルイニチ(「山の息子の竜」の意)の場合、3つ首以上、多ければ12の体幹を持つと表現され、火や毒を噴くなど、歴然とした一般の「竜」のイメージで描かれる。
『アングロサクソン年代記』はアングロサクソン史を古英語で綴った年代記の集大成である。編纂は9世紀後半のアルフレッド大王の治世に、恐らくはウェセックスにおいて行われた。
「火の竜」を意味する名前の通り、炎をまとい、口からも炎を吐く。空を飛び、それが現れる時は辺り一面、昼のように照らされる。曇天の空に不思議な光が走る時はファイアー・ドレイクが飛んでいるのだとされた。
隕石という説があるらしい。
『イヴァンまたは獅子の騎士』(イヴァンまたはししのきし、Yvain, le Chevalier au Lion)は、1170年から1181年頃にかけてクレティアン・ド・トロワにより著作された散文騎士道物語であり、アーサー王伝説を主題にした5作品のひとつである。
イヴァンは旅の途中で火を吐く大蛇と獅子が戦っているところに出くわす。イヴァンは問答のすえ獅子に加勢し、大蛇を倒した。これに恩義を感じた獅子は、イヴァンと行動を共にするようになり、イヴァンは獅子を連れた騎士とだけしか名乗らなくなる。
『黄金伝説』(おうごんでんせつ、羅: Legenda aurea または Legenda sanctorum、レゲンダ・アウレア)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。
その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。
同じく「黄金伝説」に書かれている、有名な聖ゲオルギウスが退治したドラゴンは、毒を吐くが火は吐かない。
聖マルタが退治したタラスクは、「燃える糞を撒き散らす」と言われているけど、これ英語版では確認できなくない?
タラスクは、レヴィアタンとボナコンの子供なのだが、ボナコンの特徴である「燃える糞」が、日本語訳されるときに混同されたのでは。
といったところから考えると、5世紀くらいまでは「火を吐くドラゴン」概念は薄かったが、
8〜9世紀頃から伝承として語られはじめて、10〜12世紀頃にはすっかり定着していたという感じだろうか。
なぜ火を吐くようになったのか?
サラマンダーは、火をより大きく燃え上がらせる能力があり、火山の溶岩の中に住んでいるという伝承もある。
ズメイや、ヤコブのドラゴンは、吐く息から硫黄の臭いがするといい、火山を連想させる。
ドラゴンには「地を這うドラゴン」と「空を飛ぶドラゴン」の二種類のイメージがあるが、
蛇や蜥蜴からは空を飛ぶイメージがしづらいことを考えると、隕石からの連想には説得力がある。
そこから火を吐くように変わっていったことを考えると、これも自然な解釈に思われる。
うーん、わかんね。
追記。
「フンババの咆哮は洪水であり、彼の口は火を意味し、吐息はまさに死である」というのは単なる比喩なのでは。