はてなキーワード: 枕詞とは
なんか抱えきれないもやもやを感じるから、ここに書き殴っとく。
半年くらい前に、飲み屋の女の子20代半ば(仮にモモカちゃんてしておく)を好きになった。
あ、でも倫理観がどうとか、そういう話じゃないんで悪しからず。
そんな中で、ご近所さんとかゲーム(Ingressな)とか子ども関連で知り合う人はここで生まれてずっと住んでるって人が8割って感じ。
ほとんどの人は生活の中で市外に出ないみたいで、なんでもまぁ基本的には市内で済ませちゃうよね、て感じ。
俺は仕事の関係で毎日じゃないけど市外に行くし、決まったとこだけじゃなくていろんなとこに行く。
休日も車を運転するのが好きってのもあって、半径100~150kmくらいの範囲ならなんの苦もなく行っちゃう。
ご近所さんとか、今どき車買っても「高速なんて乗らないからETCは付けない」とか言うのにカルチャーショックを受けたね。(まぁ2台目3台目だったりするけど)
JRも私鉄もあるのに交通系のICカードを1枚も持ってないとかザラにいる。
んで、付き合いで3ヶ月に一回くらい行く店にモモカちゃんはいて、初めてモモカちゃんを見た瞬間に好きになった。
もともと俺は夜の店って、付き合いで行くくらいしかなかったんだけど、モモカちゃんに出会ってからなんか口実つけて月に2~3回は行くようになった。
モモカちゃんも地元民で、昼間は地元で仕事して夜も店でバイトしてた。
要は日々の生活の中で移動する範囲が、高校時代からほとんど変化がないっていう。
先日初めてプライベートで会ってくれて、いろんな話を聞かせてくれたんだ。
彼氏ができたことや、半同棲始めたとか、結婚もするかもしんないとか、だから近いうちに店を辞めることとか、家族の話とか、まぁそういう類のことを聞かせてくれた。
下心があったのは否定しない。
俺は、ただただ嫁以外にここ20年間で好きになれたのはモモカちゃん以外いないって伝えたくてね。
嘘じゃないし。
それに、俺の当時はLINEなんてモンはなかったから、モモカちゃんとLINEしてて既読が付かねぇとか未読スルーされるとかそういう苦悩を味わえたし。
一回り以上も年下の娘からこんなにも学ぶことがあるなんて、やっぱ人間の付き合いてのは面白れぇなって思ったりしてたのよ。
で、やっともやもやの本題なんだけど。
モモカちゃんは最後の方はもう、何かにつけて「あたしにはもう時間が無くなるからなー」とか「あたしはもう動けなくなるからなぁ」とか、そういうことを枕詞のように言うわけ。
「あたしにはもう時間が無くなるからなー、こうやって会えない」とか、「あたしはもう動けなくなるからなぁ、同伴もアフターもできない」とか、そういう感じ。
店以外で会えないってのは、この際どうでもいい。
モモカちゃんから見れば、俺は一回り以上も年上の既婚子持ちのオッサンだからな。
もやもやしてんのは、モモカちゃんみたいな子がまだ若いのになんかいろいろと諦めちゃってる閉塞感にもやもやしていて。
結婚して、旦那のメシを作って、子どもを産んで、親の介護をしてっていうのが、私の幸せなんだって、モモカちゃんがモモカちゃん自身に言い聞かせているようにも聞こえていた。
美人だし、スタイルいいし、頭がイイとは言わないけど切れるし、モモカちゃんの可能性は無限のように思えるのに。
結婚したら家に居なきゃいけないとか、親の面倒含めて家事も全部やんなきゃいけないとか、モモカちゃんの人生に対する閉塞感みたいのを俺はその言葉に感じた。
この子の才能が輝くのは、家庭以外にもっと他に場所があるはずなのに、あまりにももったいない。
まだまだ知らない美味いものや、見たことない景色や、芸術作品とかそういうのを知らないまま人生が閉じてく方向にいってるのを受け入れてるのを感じてしまった。
結局のとこ、モモカちゃんと一発ヤっときたかったとか、ただそういう下衆なことなんじゃねぇの?てことの100%を否定できないが、なんだかもやもやを抱えてる。
Twitterでどんな上司/先輩に当たったら病むかということについて次の5つが挙げられていた。人格否定してくる、我流を押し付けてくる、否定批判から入る、人の気持ちを推し量れない、あらかじめ用意した正答にに導きたがるという要素らしく、そして決して悪い人ではないという枕詞がつくらしい。私の前職の上司が全て当てはまっていた。二人いたのだが、見事に私は彼らに追い込まれて退職するに至った。
上司Aの場合。私の職場は管理職の人間が2年ごとに転勤するのだが、その上司の悪名は来る前から伝わっていた。いざ来てみるとあれ、思ったよりまともな人じゃないかと私も含めた同僚皆が安心していたのだが違った。彼は我々を安心させた後本性を表し職場の人間を慢性的なイライラ状態に追い込んだ。私個人に対しても仕事のミスで説教からの公衆の面前での人格否定、他の人間と同じ速度もしくはそれ以上のスピードで仕事を進めているのにそのやり方は間違っているといって自分のやりかたを押し付ける。明らかに職場の人間を差別的な評価で選民している。職場の全員が疑問をもつようなことであっても自分の設定したやり方で押し通す。ほかにも多数の悪行を働き社員の士気を下げてきた。しかしその中には彼のやり方に多少の批判をいうものの、「でも悪い人じゃないから」とか「仕事はできるから」などいってかばうような人間もいた。それをいった人間は上司Aに贔屓されている人間だった。そして私は仕事を辞めることを本気で考えるようになった。
上司Bの場合。ほぼ上司Aと同じようなことをしていて周囲から煙たがられていた。しかし同じように彼をかばうような人間もいて、その人間もまた彼に贔屓されたにんげんだった。もしくは彼と以前寝たといわれていた。上司Aと違うのは彼が職場内のお局様だったことだ。彼は長年同じ職場で同じ中間管理職につき、同じことをし続けて嫌われていた。私はその職場に2年しかいなかったのだが、彼のやり方に反発して退職した人間が何人もいたらしい。そして彼のやり方に誰もが嫌悪感を感じながら、誰も改善しようとは思わず、ただ喫煙所や飲みの席で愚痴をこぼすだけだった。この職場に嫌気がさして結局2年、次の職場も決まらないまま辞めた。
彼らの下で働く人間は3種類に分けられるのじゃないかと思う。彼らの愚痴を言い合ってうっぷんを晴らす人間、彼らのお眼鏡にかない気に入られるもしくは順応して同じような種類になる人間、そして私のように根性もないのですぐやめる人間である。現代は新卒離職率が上がっているし私のような人間が増えて、社会的にもこのような上司、職場環境をなくそう、社員に気持ちよく働いてもらおうという機運が高まっているようにも思える。しかし実際のところそのような動きは一部の企業にしかなく、ほとんどの企業、社会人はそのような考え方を疎んじているだけなのではと感じてしまう。狭い視野ではあるが私の身の回りの人はそうだった。結局どこにいっても嫌な奴はいるのだからやめるような人間は甘えているだけ、社会不適合者なだけといわれているような気がした。昔はすぐにやめるなどもってのほか、継続したらいずれ慣れるという了解があったのだろうが、この情報過多の社会で自分よりいい環境をのぞくことのできる私のような人間には我慢なんてできないし、慣れることもできない。一連の出来事を通して日本の本音と建て前の文化や、安定を求める国民性がわずかながら理解できたような気がした。もし自分がこのような上司・先輩のいる職場に適応できる人間だったらと思う。そしたらこのように思いつめるような経験をせずに済んだのに。だからといってこのような上司たちの立場になったとき彼らと同じように好き勝手に振舞いたいとはみじんも思わない。彼らは若かったころ自分がやられたことをただ繰り返しているだけなのだから。私は自分がやられたことを繰り返さず、よりよい職場環境に貢献できるようにいつでも柔軟な姿勢でいようと思う。そして同じような状況に陥らないようにしたいし、陥りそうになる人がいたら助けてあげられる人間になろうと思う。
25歳になっても、人生というものの楽しみ方がさっぱりわからない。 齢25でそんなことを言ってても、チャンチャラ可笑しいかもしれない。 まずは、だ。私には趣味がない。覚えている限り13歳の頃ぐらいからだ。 これは12歳の頃に精神的に參って10年ほど、ノイローゼになっていたことが原因の一つだと考えている。 覚えている限りと枕詞を使った理由は、私は過去の記憶が薄いからだ。 旅行に連れられていっても食事にいっても、数カ月後には覚えていない。 12歳以前のことはよく覚えていない。もしかしたら趣味などなかったのかもしれない。 趣味に対し非常に高い幻想をいだいているのかもしれない。 次に、私には友人、恋人などはいない。 趣味もなく、記憶力もなく、ここまで読んだ方は察しているかもしれないが、卑屈な人がどうやって人と仲良くなれるだろうか。 いや、なれるのかもしれないが、自分のような人と楽しく過ごせる時間が想像つかない。 「自分を愛せないひとは真に他人を愛せない」。愛せない人は愛されない。そういうことだ。 友人がいたのは二年程度だが、その頃の感情は上手く思い出せないので、 友人だとか、恋人だとか、そういうものに趣味と同じく幻想をいだいているかもしれない。 人を楽しめるすべが分からない。 最後に、私には悪意の楽しみ方が分からない。 ここまで卑屈で孤独で趣味もない人間の私だが、人を傷つけて楽しむことができない。分からない。 インターネットを渡り歩いていると数多の悪意を見る機会があるが、ああいう楽しみ方は出来なかった。 楽しいと趣味もなく、孤独な私にとっては、悪意をかざして楽しむ、そういうことすら羨ましく感じる。 これも幻想をいだいているのかもしれない。 正義感でやっているのであれば、おそらく感じるのは楽しいではなく怒りだろう。 けれども楽しむ手段がないのだ。意図して彼らの気持ちをシミュレートする余裕はない。 楽しみ方が分からないが、私が死ぬことで他人の楽しみが奪われることも知っている。 楽しくなくても人生を続けなくてはいけないのだ。 だからせめて静かに生きさせて欲しい。
例の育児ボーナスのやつ、自分がああいう家庭の子供だったからすごくしんどい。
その家庭ごとに幸せがあるし、私は切り取ったライン部分しか知らないから、
あのご夫婦が幸せならそれでいいと思うけど、同じくあのラインしか見ていない蚊帳の外の
人たちが絶賛してるのが意味分かんなかった。
普通に予定もあると思うんだけど、
明日から3日予定変わります!育児以外暇だよね!対応出来るでしょ!
っていうのが非常にしんどい。
事前に言って欲しいって言ってる人にサプライズ苦手ですか?
って聞いている人がいたけど、個人的に相手の都合を全く考えていないのは
私はそういう、自分(父)以外は全員暇で予定を合わせられると思っている家庭で
育って、サプライズ(というより突発的に自分がしたくなる)、自営業で
自由に休めるし結構稼いでいたから、規模もいちいちデカかった。
っていう感じで、私は旅行と重なる日に提出しないと、進級できないのに
(事前に提出が出来ないもの)葬式ということで事前に提出して、
それが出来ない。
学費を止められたら進級できても通えないし
了承するまで、ずっと怒鳴り散らされて、
話は戻るけど、今回のもそういう可能性は結構あると思うんだよね。
美容院?予約が一杯だし無理だよ~、
子供が幼稚園とかだったら役員会議とかも結構頻繁に開かれたりするし。
明日、明後日の予定も全て把握したうえでサプライズの可能性も十分ある。
それに、思い通りに行かなくてもそっか。で済む夫ならそれでいいと思う。
私の育った環境がくそ過ぎかつ、相手の出方を被害妄想かっていう方向で
想像してるから、あのご夫婦ではなくて自分のトラウマが勝手に蘇っただけだから、
そこはほんとに申し訳ない。
ツイートがバズったばかりなのに、「俺もさみしいし」の枕詞がついたら、
このくそ寒い中イチゴ狩りに行くのは可愛くてキュンとするっていう反応に
なるのが、最高に気持ち悪かった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/373212188/comment/morita_non
元ブコメだけじゃなくメタブでもわかってない人が多すぎてこの表現を愛する者として悲しい。特に六文銭さんのブコメとか。いやそこがわかってなかったのかよ!
death6coin 変換できないぞ!うそつき!!/↑うまく検索できなかったけどおそらく「かみ」は、上のかみで、「上司」というか「長」を意味する日本語から来ていて、中国語でいう太守の「守」に当てて読んでいるということかと。
これもともとは、「ヨーロッパでは~~~」「欧州では~~~」を枕詞にして話す(たいてい「それに比べて日本は~~~」とつなげる)人を「欧州出羽守」と揶揄する表現なんすよ。
出羽国って東北にあるでしょ。で、東北の令制国はもうひとつ陸奥国があって、そこは奥州って呼ばれてるでしょ。つまり「では」と「出羽」、「欧州」と「奥州」がかかってるんですよ。
感じたこと
・人が少ない
通路がとても広かった
・変な人が少ない
スペース前で15分ノンストップでしゃべりまくるような変な人
・若い人が少ない
おいおいガキはこんなところよりふさわしい場所があるだろう
というような若い人が少なかった
・コスプレイヤーが少ない
・スタッフの練度が少ない
撤収時に机や椅子を回収してる人の横でだらだら喋るスタッフが複数
撤収時に椅子や机をせっせと運んでる人の目の前でずっと喋ってるサークルが複数いた
2015年よりひどい
・活気が少ない
島中に熱気が溢れてなかった
2015年は煙が逆流してくるくらい熱かった
新刊出すところが少なければ挨拶回りのための顔出しみたいなイベントになってる
新刊を求める声がそこら中から聞こえその度に謝るサークルばかり
答えになっているかどうか微妙ですが・・・誤字脱字で書き散らしですみません。
40代後半のゲイです。一意見として読んで頂けたら嬉しいです。
「ラーメンズ」が好きです。アメリカドラマの「クローザー」が好きです。
単発の2016年物を当時見て、2018年物をアマゾンでさっき見ました。
日本のドラマはほぼ見たことがありません。テレビ自体も実は30年近くほぼ見ませんでした。
アメリカのドラマがクオリティが高いのとマイノリティに対する態勢が違うのでやはり
日本に漫画があるようにアメリカのドラマの裾野の広さはすごいです。
ジョークセンス、マイノリティに対する姿勢、作品のクリエイティブ度、それらのバランス。
2016年版では薄かったマイノリティに対する配慮はすごく感じました。
大多数がそーだよな。そーなるよな。と納得できるリアルさ。
おっさんずラブのレビューでも男性の絶賛レビューに枕詞のようにつく、
これがリアルな状況なんです。自分が同性愛者だと思われては困ると言う事。
それが、同性愛者の人を傷つけていると気が付いたと、コメントされています。
余談ですが、
同性愛に対する嫌悪感の一部分は、近親者同士の恋愛の嫌悪感に近いと思っています。
いけない事と言う感覚。
しかしこの感覚は実は曖昧だと思います。国や地域や宗教によって、ずいぶん変わります。
実際に血縁者でも事実を知らなければ、恋愛に落ちることもあるでしょう。
社会的な原因での嫌悪感は存在すると思います。もちろん、それで全て説明はできません。
例えば、なぜ私個人が女性との性的関係に嫌悪感を感じてしまうか?など。
ただ映像で異性愛者同士の性的なシーンを見ても嫌悪感は感じないんです。
これは本当にすごいことです。時代ですね。
多くのゲイがBLに対して思う「性的指向は変化しない」と言う思い。
しかし性的指向も100%変化しないものではないし、かつ恋愛と性的指向の関係も完全ではないです。
ずっと一緒にいたい=結婚したい!って話なら性的指向だけで決定するものでもないでしょうし。
ただこの問題はちょっと複雑なんです。性的マイノリティの辛さの原因の一つは、
当事者は、
時代とともに変わりますし、結果、失敗(自己否定)に終わる考察もあります。
色々な経験をして性的マイノリティ―と言う特徴が自分の全てではないと思った時期
当事者が今、どのような考え方なのかによって作品に対する評価も相当変わるでしょう。
この番組の当事者のメリットとデメリットで考えると、断然メリットが上回っていると思います。
ハッピーエンドで終わったこと。春田と牧がゴールだったことは大きいと思います。
あり得ない!っていう評価は、フィクションにたいしてナンセンス。
視聴者が、制作者の誘導に納得した作りで、かつ、ゴールが異性愛者同士じゃなかったのは感動しました。
箇条書きに他に気になったところをあげます。
(ジョークとしては品がない、まぁ結果的に想像も及ばない破壊神にやられてしまうわけですが)
黒沢部長の盗撮とパワハラとセクハラ(面白さとトレードオフですかねぇこの作品の掴みの肝ですから)
黒沢部長の恋がコメディリリーフ過ぎた・・・可愛そうな終わり方だったです。
でも、もっとコメディとして突き抜けてほしかったし・・・(笑)
武川正宗のトイレの視線(ちよっと偏見がきついですね、犯罪ですから・・・)
ロリでと言うセリフ(ロリの定義も含めて小児性愛者の問題は難しいです。)
上記の問題点もアメリカのドラマであれば、もっと突き抜けたジョークになりますし、
ポリティカルコレクトをしっかり守りつつ、フォローもちゃんとします。時勢に合わせてですけど。
それでも、おっさんずラブは、今までの日本のゲイ関係のドラマと比べて突き抜けたと思います。
偶然もあると思ってます。でも、ゲイを一つの設定として使い、純愛を描いた。
約40年前の漫画作品で竹宮恵子さん作の「風と木の詩」があります。
「つながりへの希求、他者による自己肯定の欲求」が少女漫画の「根底のテーマ」
拒否される愛としての少年愛は、「それ」を見つめることを可能とした。
究極のつながりとは何か?という純粋な関係性のみを問題視しえた。とおっしゃっています。
「おっさんずラブ」とゆうモダンホラー風の喜劇の中で使われました。大成功だと思います。(笑)
BL、やおい、少年愛、長く受け継がれ蓄積した少女漫画の資産。
それによって受け取り側が大きく変わったこと。
制作者側がどれほど意識したかは確かに微妙です。細かい設定では矛盾や無理解もあります。
ゲイの話とかじゃなく純愛なんです!(ゲイはマイナス要素だけど、いい話という理論)
だけではなく、
NHKの「弟の夫」は素晴らしい作品でした。感動して死ぬほど泣きました。
でも、異性愛者にとっては?と考えると、おっさんずラブは、エンターテイメントとして秀逸。
がゆえにゲイ要素のある作品が大勢の人に評価される。大事な事だと思います。橋渡しとして。
脚本家の素晴らしいセンス、それを映像化できる俳優を含めた優秀なスタッフ。
1つだけ。作中の音楽が好みではありませんでした。
テーマ曲の2曲は良かったんです。それ以外が一貫性がないと言うか・・・
当初、小児性愛者に関する記述に思慮が足らずいい加減な書き方をしてしまいました。
「小児性愛者関連はちょっと・・・」はあまりに言葉足らずでした。すみません。
読んで頂いてありがとうございます。